森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

バーンとドーンでキリッとね。

2021-07-31 09:07:59 | 梢は歌う(日記)

先に

=皆さま、応援ありがとうございました。心の底から感謝します。無事に妹の手術は終わり、順調に回復中です。=

 

最近の医学の進歩には、私の中の病気や手術に対するイメージがついていけてません。

スノウさんは29日の朝8時に病室から移動して、9時から手術で、そこから10時間と聞いていたけれど、2時間ほど早く終わり午後5時には手術の終了の連絡が入りました。

今は「こんな時代」。

家族であっても、病院からの連絡頼みで、詳しい事は分からず「無事終了」と言う言葉を信じるのみです。ただ手術の直後に麻酔が覚めた時、担当医の名前が言えたというので、皆ホッとしたそうです。

もちろん私たちもです。

でもその時私たち姉妹は、スノウさんからの連絡が来るのは数日後だとみな思っていたのです。ところが、早くも昨日の30日に、一族のグループラインに彼女自信からのメールが入ったのでした。

 

もうメールが打てるなんて凄いなと思いました。

もちろん短いメールで、感謝を述べたものでした。

だけどその直後、彼女から姉妹Gラインにビデオ電話が入りました。

音声だけかなと出てみたら、映像のほうでした。

「すぐ切るよ。」と彼女が言うので、

「間違えちゃったの?」と聞くと

「違うよ。」と言いました。

でもその時、看護婦さんが来て、妹の名前を呼んだので、何か悪い事をしていたかのように、私はドキドキしてその電話を切ってしまいました。

頭に大きなガーゼとチューブなどもついていましたが、顔色も良くてしっかりした顔つきだったので、ほんのちょっとだけ顔を見る事が出来ただけでも、嬉しかったです。

ところが他の姉妹も同じ事をやっていて、皆時間がほんのちょっとずつずれて、うっかり自分だけ出てしまったと思って切ったようなのですが、スノウさんとはお話が出来なかったけものの、その時の看護婦さんとの会話をちょっとずつ聞いたそうです。

それによると、もう車いすに乗れる・・・。だけど彼女はまだ怖いから今は良いですと言うようなものだったらしいです。

もう車いすにも乗れる !

凄いなとやはり皆で言い合いました。

 

姉の蝶子さんが、「おいおい詳細は聞いて行こうね。」と言ったので、焦らずにそうしようと思っています。

 

ところで入院する日の朝、蝶子さんがスノウさんに

「ちょっくら病院に行っといで。」とラインのメールで書き込みが入れてありました。

こんな時の「ちょっくら」、イイナと思いました。気持ちが軽くなると言うものでしょう。

 

そして27日の一族の応援の書き込みの中の末の妹の名都さんの言葉に

『皆んなの心は、当日の手術日に、手術室の外で全員で待機して待ってるから、バーンと入って、ドーンと出てきて下さい。元気になったお姉ちゃんが帰ってくるの、待ってるよ。』とありました。

そして前日にも、昨日も書いたけれどと

『バーンとドーンでキリッね』とありました。

 

「一個増えてる。」と私は笑い、だけど良い言葉だなとしみじみと思い、それもちゃんと伝えました。最後の「キリッね」が凄く生きているのです。

バーンとドーンだけだと、ひとつ上の文を読んでいなければ、違った印象に、つまりネガティブな発想に走りかねない場合もあるからです。

世の中では、誰かが「擬音語・擬態語の多用されている会話はバカっぽい。」と言ったような気がします。確かに、それもあるかもしれなし、あながち否定できるものではないと思いますが、だからと言ってすべて追従する必要はないわけですね。

私なんかも日常の会話ではそれの多用な人なので、時々、頭の固い夫などから、「なんじゃそれは。」と攻撃されています。(フーンだ。ぷんぷん)

「そんなものはガッーとやって、終わらせよう。」とか「ババババとやっつけちゃおう。」とか。

長々話すよりも、非常に分かりやすい場合が多いのですよね。

 

この「バーンとドーンでキリッとね。」は何かの時の姉妹の合言葉になっていく予感がします。

 

昨日は、私にとっても新しい戦いの始まりの日でした。

家に(ちょっと難しいかも知れない)新しい少年を迎い入れる事になっていました。

私はヘラヘラして気さくなおばちゃんキャラでいましたが、実はかなり内面では緊張していました。

ちょっと気さくさ強調しすぎて、おしゃべりしすぎちゃったかもしれないし、午後からは何も出来ないような疲れを感じました。

だけど10分前だって、既に過去。とりあえずサクセスだったと信じて、未来に目を向けて行こうと思います。

(掃除も頑張ったしね。(^_^;))

 

 

 

 

 


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熱い夏だね。

2021-07-28 13:21:42 | 梢は歌う(日記)

オリンピックが始まった時、マスコミの人が「メダルラッシュを期待する。」みたいなことを言っていて、日本人って、すぐにちょっと取れても「ラッシュ」とか言っちゃうんだろうなぁと思っていました。

でも蓋を開けてみれば、本当にメダルラッシュで凄いですね。

誰かの頑張りは誰かのエールになったりすることもありますよね。

 

「始めてしまったものは終わらせなくてはいけない。」って、エヴァンゲリオンの庵野さんも言ってたでしょう。

単純な気持ちにはとっても成れないけれど、今はその言葉が、私には一番しっくりとくるかもしれません。

それに、妹のスノウさんが、

「暗い気持ちから抜け出せたような気がする。」とオリンピックでの金のニュースで言っていたから、私はそれだけで、もうそれだけで良いんです。

そういう人もいるんです。

 

あっ、だけど私的にはね、「勝てば官軍」みたいな発想で、オリンピック終了後に「良かった良かった。ほら見た事か」的な発言は止めていただきたいものです。反対派の人たちに対しての攻撃の文章も、一文も読みたくないです。

と、少々の本音を書きまして、

私は昨日から、自分の仕事場にしているお部屋の大片づけを実行中です。

頑張っています。

この夏は、お仕事を頑張る予定です。

 

昨日はそれと共に、子供たちも含めて一族でまたスノウさんに応援のラインを送り合いました。

スノウさんは26日に入院して、明日は脳の三度目の手術です。

頭を三回も切るなんて、私だったら怖くて怖くて震えてしまいます。いや、一回だって嫌です。

「私は怖がりだから。」と言いながらも、「負けない」と言う彼女は本当に強いと思います。

 

子供たち(と言っても、皆中年の入り口)の送って来た、「頑張ってください。」「心から応援しています。」の言葉や、飼い猫たちの見守り猫の画像、私たちの「愛しているよ」「大好きだよ。」と言う言葉に、スノウさんは涙を流してくれたみたいです。

でも涙を流していたのは、彼女だけじゃなくて・・・・・・

私もです。

 

 

いつか、こんな熱い夏があった事を、笑い話にして語る事が出来ますように。

 

 

 

 

 

 

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オリンピックの始まりと「竜とそばかすの姫」

2021-07-24 15:35:04 | 映画

7月23日、とうとうオリンピックも始まりましたね。

あまりにも直前までいろいろあり過ぎて、むしろ逆に、開会式が無事に終わるように応援してしまいました。たぶん反対派の人が、関わる人の過去を掘っているのかなと思いますが、

私的にも決して過去の事だからと許す事の出来ず、去って行ってもらって良かったなと思う人もいれば、

23年前の20代の頃の思慮の浅かった、もしくは世界が狭いゆえの愚かしさが、今の自分を追いつめるなど思っても見なかっただろうにと、気の毒で仕方がないなと思える人もいたのでした。

昨日は午後10時半ごろ仕事から戻りました。

開会式ではもう少しで日本が入場してくるところでした。

そこから見たので、私的にはやはりドローンの地球とイマジンの歌などに感動いたしました。もちろん、聖火のリレーも良かったですね。

ああ、そうでした。「オリンピック賛歌」を歌った高校生たちの歌声も良かったです。その時歌った男子高校生たちは福島県立郡山高等学校、合唱部の男子生徒さんでしたね。

復興五輪と言うのは、被災地の子供たちをここで走らせたり、福島の高校生を歌わせたりという事なのかしらと、ほんの少しだけ思ってしまったのでした。

後半しか見ていなかった割には、書きだしたらあれやこれやと思い浮かんできます。また録画してあったものをちゃんと見たら、感想を書き直すかもしれません。

ただ単純に思った感想ー。

姉妹でチケットの申し込みを何にするかと揉めたり、当たった外れた(あっ、当たったは一個もなかったのでした。)とワーワー言ってた頃が、なんだか遠い昔に感じ、そして懐かしいです―という感想です。

下の画像は、友人が撮ったものを送ってくれたものです。

 

彼女が空を見上げて感動していた頃、私は映画館で涙をそっとぬぐっていました。

夫殿と「竜とそばかすの姫」を見に行ったのです。

私は細田守氏の前作の「未来のミライ」は、家で見て、自分の過去にいろいろと突き刺さりかなりの涙を流したと言うのに、映画的にはつまらないと思っていたのです。これはそれとこれとは別だと言うアレです。その感想は→「未来のミライ」

映画館の予告編を見て、心惹かれたものの、「ああ、細田さんか。」と思い、ちょっと引きました。

ところが聞こえてくるのは良い評価ばかり。しかも夫が行くと言うので、そうすると、なんだか自分ばかりがスルーすると、損をしたような気持ちになってくると言うわけの分からない感情に支配され行ってみる事にしました。

 

ところが、冒頭で鯨に乗ってBellが現れ、この作品のメインテーマを歌う場面から、思わず涙が零れました。これを称して「歌の力」と言うのかも知れません。

それとともに感じたのは「色彩の力」かも知れません。

解説とあらすじは、「映画.COM」からお借りしました。リンクしていますのでその他の情報もそこからどうぞ。↓

【「サマーウォーズ」「未来のミライ」の細田守監督が、超巨大インターネット空間の仮想世界を舞台に少女の成長を描いたオリジナル長編アニメーション。高知県の自然豊かな田舎町。17歳の女子高生すずは幼い頃に母を事故で亡くし、父と2人で暮らしている。母と一緒に歌うことが大好きだった彼女は、母の死をきっかけに歌うことができなくなり、現実の世界に心を閉ざすようになっていた。ある日、友人に誘われ全世界で50億人以上が集う仮想世界「U(ユー)」に参加することになったすずは、「ベル」というアバターで「U」の世界に足を踏み入れる。仮想世界では自然と歌うことができ、自作の歌を披露するうちにベルは世界中から注目される存在となっていく。そんな彼女の前に、 「U」の世界で恐れられている竜の姿をした謎の存在が現れる。主人公すず/ベル役はシンガーソングライターとして活動する中村佳穂が務め、劇中歌の歌唱や一部作詞等も務めた。謎の存在「竜」の声は佐藤健が務めた。ベルのデザインを「アナと雪の女王」のジン・キムが担当するなど、海外のクリエイターも参加している。】

 

竜とBellのシーンでは、秘密の城・薔薇・ダンスなど「美女と野獣」のオマージュ、もしくはモチーフとして、それを連想させるシーンが多く描かれていて、皆美しい。お城に迷い込むシーンも本当に美しく感じました。

だけどこれは王子と姫の物語ではない所が、常に家族をテーマにしているのではないかと思われる、細田氏の罠ではないでしょうか。

そして途中でベル・・・すずが歌うシーンは圧巻です。

思い出すとドライアイが治ります^^

感動したので、ネタバレでもう少し感想を書こうかと思いましたが、長くなってしまったので、もう止めようと思います。一番下にオープニングの音楽を貼っておくのでお楽しみください。

あっ、そうだ。やっぱり一言だけ言いたくなってしまいました。画像の下に書いておきます。

 

すずにUの世界で、一番最初に自信を持たせてくれたクリオネ少年の

「君は素敵」。

最後にリアルの世界で守君が言った

「君は素敵」。

綺麗なシナリオだと思いました。泣けますね。

 

millennium parade - U


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ゴジラVSコング

2021-07-23 16:24:49 | 映画

7月19日、妹の名都さんと見てまいりました。

「怪獣のプロレス」と言う噂が聞こえて来ていて、私はプロレスにまったく興味がない人なので、途中で眠くなったらどうしようかと思っていたのですが、まったくそんな心配はいらない事でした。

戦いにもドラマがあったからだと思います。

そしてなんだかサービス満点な物語展開だと思いました。

アッチに行ったりこっちに行ったり、あの人のこの人のとシーンも変わり、最後は、今ここにと集まり、物語はトンデモナイ方向にー。

まったく飽きませんでした。

 

いやぁ、しかしツッコミどころが多くてね、だんだんとそれが楽しくなってきて、肉弾戦なんか好きじゃないけれど、寝てる場合じゃなかったのです。

あっ、だから、楽しかったし面白かったのですよ。そこはきっぱり !!

 

だけど「シン・ゴジラ」、面白すぎたよなぁ、なんて事を考えながら見ていたり・・・・。

ああ、なんだか、褒めてるのか貶しているのか分からないと叱られそうですね。

だから貶してはいないって^^

 

あっ、いや、待てよ。貶したい部分はあります。

なんでハリウッド版ゴジラは、デブなの。下の画像なんか離れて見ると、シルエットがアジの開きに見えちゃったりして・・・。

思うんだけれど、日本のゴジラのビジュアル、使っちゃダメなの ?

ちゃんと「いいかな ?」って言ってくれれば、きっと「いいよ。」なるんじゃないかしら。

ダメなの、それ ?

 

まあ、きっとアメリカ人が好きな形状は、このゴジラなのですよね・・・という事で・・・。

好きと言えば、ハリウッド、どんだけコングが好きなのって思ってしまいました。

これって「VS」があるけれど、しかも先に名前が来てるけれど、主人公はコングですよね。

私は日本人なので、やっぱり、チョピッとほっぺが膨れたぞ^^

それとも大昔に日本が作った2匹の対峙が、コング好き国民として、何か気に入らなかったのかなと思ってみたり・・・・・。

私、けっこうゴジラ映画を見てきました。でもそれはある時までで、主に子供の頃がピークで、大好きだったのですよ、ゴジラ映画。でもキングコングに興味がなくて、その日本版の2匹が闘うのは未見です。

どうせ、完全なお子様映画になってから作ったんでしょ・・・・とか思ってしました。

だけど今回、ちょっと気になって検索してみました。

「キングコング対ゴジラ」は1962年の作品で、なんと私が子供のころ夢中になった「ゴジラ対モスラ」の前作だったのです。これ、なんとアマプラにありました。で、見始めたら、面白くて・・・・。

だけど今が、そのお話はぐっと我慢します。

なんたって「ゴジラVSコング」の感想なんで。

 

と言うわけで、楽しかったツッコミどころを中心に感想を書きます。

ゆえに、あらすじは書いていませんが、以下はネタバレしています。

 

ハリウッド、コングも好きだけれど、どれだけ地底探検が好きなのって思ってしまいました。イエね、私も好きですよ。

なんたって小学生の高学年から中学生の頃は、ジュール・ヴェルヌが愛読書みたいなものでしたから。

「地底探検」、ワクワクしますよね。その手の映画も大好き・・・かも。

でも、この映画でもそのシーンが出てくるとは思っていませんでした。

地下に行って、一番先に思った事。

「何で明るいの ?」

いや、これ、どんな地底探検ものでも明るいですよね。だけどちゃんとそれなりの答えがあるのだけれど、この映画は、方程式解くのに四則計算できて当たり前でしょうってな感じなんですよね。

で、四則計算部分。地熱エネルギーが太陽エネルギーの代わりを成して云々カンヌン。と、勝手に今までの知識からそう思いました。

 

また、その地下で、コングが岸壁の手形のところに手を置くでしょう。

勇み足で、「おお」とか思いそうになってしまいました。

だって、そこの手を置いた部分が、青白くピカッと光って扉がギギィと開くのかと思っちゃったものですから。

ところがコングが、そこに手を置いて、ギギィと扉を手で押し開けるのでした。

それでも私、ちょっと「おお」と思ってしまいました。

文明が…文明があるじゃないですか、そこには。

扉を開けるのに、手を置く位置を指し示す絵をいったい誰が描いたと言うのでしょうか。

しかもですよ、その内部に落ちていたのは、ゴジラの背びれの斧なんですよ。キングの証っていうか、そんな感じ。

だけど人類が石斧を作るのに、どれだけ時を有したと思ってるのかって、また私は思ってしまったのです。

 

ツッコミどころと言ったら、時間が経ってみたらそんな程度だったかなと思うのです。後は細かい感想などを書いていきたいと思います。

で、やっぱりスルー出来ないのは小栗旬氏のハリウッドデビューの件ではないでしょうか。

 

私、今回の映画自体をスルーしようかなと思っていました。ところが予告編で、旬氏のコートをばっと羽織るシーンが、すこぶるカッコ良くてですね、これは彼の記念すべき作品になるのだから、そのカッコいい所を見に行ってあげなければなんて思って、見に行こうと決めたようなものです。

ところが直前になって聞こえてくる噂は、なんだか可哀想なお話ばかり。

出番が大幅に削られて、セリフも数えるほどしかなかったと。

で、見てみたら、その噂通りでした。最初から知っていて良かったです。じゃなかったら、がっかりしたか、途中でショックのあまり、ラストが頭にはいらなかったかもしれません。

彼は会社側の科学者でメカゴジラと、え~と、なんて言うんだっけな、とにかく一体化する、いわば操縦する人なんだけれど、無駄に優し気で存在感がある顔をしているものだから、なんか彼のキャラがつかめないんです。省かれてしまった彼のセリフの中に、大事なものがあったように思います。

きっと(私の推理にすぎませんが)、会社の社長(会長?)が言っていた、怪獣と対等で戦える人類を守る存在を作ろうと、本当に信じていたのではないでしょうか。

本当にセリフがないものだから、今私が書いたような白い科学者なのか、とにかくマックス強い人造怪獣を作ってみたかっただけの黒の科学者なのかが、測る事も出来ないんですよね。

旬氏の白目をむいた顔ばかりが印象に残り、そしてメカゴジラ暴走後は出てこないものだから、死んでしまったのか、命からがらでも生きているのかさえも分からずじまい。なんかモヤリます。

この作品、旬氏にとっては黒歴史になってしまうのではと心配になってしまいました。

だけど後で知ったのですが、この「ゴジラ・・・」の後に、あの『罪の声』の撮影があったのですよ。

あの「罪の声」の旬氏は、本当に良かったですよねぇ。

彼も言っていますが、ハリウッドの撮影は驚くような事ばかりで、同じシーンをTAKE48ぐらい撮るのなんてざらだそうです。凄く勉強になったようです。

そしてその後で『罪の声』。

この作品での経験が、彼のプラスになっていないわけはないでしょうと思いました。

やはり人生に無駄はありませんね。

因みにメカゴジラの、その本質はキングギドラ。

思わず、日本生まれの怪獣たちを愛して下さり、ありがとうございますと言いたくなってしまいますね。

コングもゴジラも、強く男らしくてカッコいいですね。お互いに助け合ったりして面白かったです。ゴジラなどは地下に居るコングを助けたり、キングの証の斧にパワーを送ったりしたでしょう。

最後はやはりコングに花があったように思います。

しかし彼だって気に入らないものには容赦なく残酷だったと思います。あるシーンでは、心が痛かったです。

だけど彼らはなんだかんだと言って、人類の味方・・・・・らしい。

しかし香港は壊滅ですよ。どのくらいの損害なのかしら。復興までにどのくらいかかる。いや、復興できるのか・・・・・。大人なんで、怪獣映画では触れてはいけない部分が気になります。(「シン・ゴジラ」では触れていましたが。)

なんてことを、ゴジラ愛0の友人に、この映画の事を熱く語っていましたら(そうです。興味のない話を聞いてくださる良いお友達がいるのですよ♡)

「そこだけ、リアルに聞こえて来たわ。香港はどうなっていくのかしら。何か思って狙って場所を香港にしたのかしら。」と友は言いました。

「えっ、たまたまじゃない・・・?」と言いながら、私は夢の世界から現実に引き戻されたような気持ちになって行ったのでした。

 


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ブログ生活5678日♪

2021-07-20 23:45:55 | 新米パソコン生活

タイトル的に、この日を外しての更新はあり得ない記事だと思います。

ちょっと狙っていました。^^

それなのに、もうあとわずかで今日が終わってしまいます。

 

焦っても、ちゃんとしたものも書けないと思うので、写真日記です。

 

トップ画像は、我が家のベランダで誕生したキアゲハの青ちゃんです。

なぜキアゲハなのに青ちゃんなのかって ?

アオムシの頃からいつくしんでいたからですね♡

ある日生まれたばかりのこの蝶を見て、

「なんて美しい蝶なのかしら。こんなの見たことがないわ。」なんて私は思ってみたりして。

親バカ飼い主バカであるワタクシですが、よもや、蝶にまでこんな感情を持つなどとは思いませんでした。

ちょっとこの青ちゃんとのお話は、また機会があったら聞いてもらいたいなと思います。

 

また或る日、隣の街を歩いていましたら、こんな木を見つけました。

ウワァと思いました。

まるでアンリ・ルソーの描く木みたいじゃありませんか。

 

近頃は美術館に行くこともままならない事ですが、街や森の中には「まるで」と言うような風景が広がっている時がありますよね。

 

また、或る日。

私は、カンナと言う花があまり好きではありません。

「カンナ」と言う女の人の名前は可愛らしく感じるけれど、花自体は、ずうずうしい力強さみたいなイメージがあったのです。

ところが先日、こんな色のカンナを見つけました。

何とはなしに色が可愛いなと思いました。

すると他の花もイイナと思えてきたのです。

あっ、やっぱり、よく見ると・・・・・(^_^;)

 

私はこっちの方が好きかも。

梅雨明けて、サークルでの水遣りボランティアも本格的に動き出しました。

だけど早くもやり方を注意された人のほっぺが膨らんでしまいました。

そこで、このブルーベリーの黒く熟したものが3粒あったので、それを取って

「はい、お駄賃。」と渡しました。

 

なんだか疲れる毎日です。

そんなこんなで5678日。15年と203日のブログ生活。

楽しいの継続中です。

 

いつもお読みくださりありがとうございます。

これからもよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

コメント (6)
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「SEOBOK ソボク」

2021-07-19 00:55:31 | 映画

7月18日、朝一番の回で見てまいりました。

生きるとか、死ぬとか、それはいったいどういう事なのだろうかと、そんな想いが波のように心に押し寄せては引いて行きました。

そういう想いに強く囚われるのは、身近な者が病気だからだと思います。

 

この作品は、韓国映画でSFサスペンス。

「トッケビ」「新感染 ファイナル・エクスプレス」のコン・ユが元情報局員のギホンを演じ、パク・ボゴムがクローン人間のソボクを演じました。

『余命宣告を受けた元情報局員の男ギホンは、国家の極秘プロジェクトによって誕生した人類初のクローン、ソボクの護衛を命じられる。ところが任務開始早々、何者かの襲撃を受ける。からくも生き延びた2人だったが、人類に永遠の命をもたらす可能性を秘めたソボクの存在を狙い、その後もさまざまな勢力が襲ってくる。危機的な状況の中で逃避行を繰り広げるギホンとソボクは、衝突を繰り返しながらも徐々に心を通わせていくが……。』

 

例えば、SFに「斬新な」と言うストーリーを求めるとしたら、この映画は凡庸にも感じるかもしれません。

だけどそれを言ったら「新感染 ファイナル・エクスプレス」だって、それは無かったと思います。そしてそうなるだろうなと言う展開だったと思います。それでもハラハラドキドキし、また感動もし、涙を流しました。

この映画も同じでした。

まったく飽きない2時間で、そしてやはり最後に涙しました。

 

以下はネタバレ感想です。

 

しかしなんで異種のものであっても、あんな風に侮れるものなのか不思議に思います。もう少し敬意をもって接する事は出来ないものなのかと、その愚かしさ首を傾げたくもなると言うものです。これは映画の設定に文句を言っているわけではなくて、実際にそのような事が起きた時も、人類はやりかねないと思ったのでした。いや、やりかねない人もいると思ったと言うのが正しい言い方なのかも知れません。

死なない青年であるソボクの骨髄は、人類のあらゆる病気を治していく新しい細胞を生み出す希望の光。だったらもっと大切にしたらどうなんだと思ってしまったのでした。人の形をして会話もし感情もあるものを、どうして人間ではないと言えるのか分かりません。しかも人間以上のパワー(超能力)を持ってしまっているものなんですよ。

それなのに研究所の博士などは、彼を「実験体」と呼び、その成功に沸き立ち、かれを大切に思っているのかと思ったら、本当にタダの実験体でしか見ていなくて、爪の垢ほども、ソボクを人間として見ていなかったのでした。

口に出しても言ってました。「人間ではないから。」と。

博士からしてみれば、ソボクは不治の病を治す骨髄液のタンクでしかないのでしょう。

永遠に骨髄液を撮り続けると言う博士に

「そんな残酷な事を。」と言うギホンに

「豚からインシュリンを取り続けるのと同じですよ。」と言う・・・・-。

月並みな言い方ですが、やはり一番恐ろしいのは人間なのかも知れませんね。

 

またソボクとギホンの、死と眠りについての会話が心に残りました。

みんなが恐れる死はどのようなものかと問うソボクに、深い眠りにつくようなものと答えるギホン。それならば、なぜ人は平気で眠る事が出来るのか。ちょとの間死ぬようなものなのにと、またソボクが尋ねる。それは明日の朝、目が覚めると知っていて、それを信じているから・・・・・

細かい所は違うかもしれませんが、そんな感じ。

ああ、だったら眠りにつく時のように死んでいけばいいんだなと、私は思ってしまいました。来世と言うものを信じて。

 

それからまた、アメリカ人が死があるから、人は生きる事が出来るなどと語るのですが、皆やたら哲学を語りたがるなと思ってしまいました。でもそうでもしないとソボク排除の理由にならないからだと思いました。

アメリカ人はそんな事を語らずに、今までのイメージだったら、すぐに人間兵器にしちゃうと思いました。

利用か排除か・・・・!?

やっぱり人間ってアホですね。

 

ギホンがソボクとの思い出の場所に石を積んで去っていくシーンは、悲しく美しかったです。きっと彼にも、そう遠くない日に終わりの時が迫っていると思います。だけどそれにはまったく触れず、今を生きている彼がそこには居て、素敵な演出だと思いました。

やっぱり、コン・ユは素敵な人ですね。

またパク・ボゴムも美しい人だと思いました。

因みに、ソボクの名前の由来になった人については→ここ「徐福」

この映画の諸々の情報は→ここで

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「スーパーノヴァ」

2021-07-18 00:19:50 | 映画

7月3日に見てまいりました。

美しく静かな文章の短編小説を読んでいるような映画でした。

「スーパーノヴァ」は「超新星」と言う意味。

 

解説 (映画.COMより)←その他の諸々の情報もそちらにてどうぞ。

『コリン・ファースとスタンリー・トゥッチがカップル役を演じ、20年の歳月をともにしてきた2人が思いがけず早く訪れた最後の時間に向き合う姿を、イギリスの湖水地方の美しい風景とともに描いたヒューマンドラマ。ピアニストのサムと作家のタスカーは互いを思い合う20年来のパートナーで、ともにユーモアや文化を愛し、家族や友人にも恵まれ、幸せな人生を歩んできた。ところが、タスカーが不治の病に侵されていることがわかり、2人で歩む人生は思いがけず早い終幕を迎えることとなる。』

 

病・別れなどがテーマの場合、私などは涙もろいのですぐ泣いてしまうタイプ。

だけどこの映画では泣くシーンは、私的にはまったくなかったのでした。

もちろんプロモーションなどでは「号泣」などと謳っていたりもして、泣いたと言う感想もお見受けしたのですが、静かで淡々としていて、それがむしろリアルに感じ、涙よりも深く考えてしまったのでいた。

この映画は、無意識でも潜在的にでもゲイの人に偏見がある人には論外で、お勧めできません。

物語はそのずっと先にあるのですから。

そしてまた相手の想いを「受け入れる」と言うのは、究極の愛なのかも知れないと、最後に思いました。

だけどそう思っても、今の私にはできる事かどうか分からない事だと思いました。

 

画像の下はあらすじは書いていませんが、勘の良い方には内容が分かってしまうかもしれませんのでお気をつけて。

 

私はこの映画を見て、「アリスのままで」と言う作品のあるシーンを思い出しました。

「この質問に答えられなくなったら、何々の薬を全部飲む。」とパソコンにメモを残すアリス。だけど本当にそんな時が来て、その薬のところに何度も行くけれど、その場所に行くたびに、何をしようとしていたのか分からなくなって、何度もパソコンと薬のある洗面所を往復してしまうシーンです。

だけど失敗して、私はホッとしました。

しかしそれは、アリスがアリスのままでいられた最後のチャンスだったと思うのです。複雑な気持ちにもなりました。

ホッとしたのは家族の気持ち。

複雑な気持ちになったのは、アリスの行動に共鳴した、「もしも私がそうだったら」の私の気持ちがあったからだと思います。

 

この画像の下はネタバレしています。

コリン・ファース演じるサムも悩みました。

最初はタスカ―を施設に入れて、仕事の合間に本を読んであげる生活などを考えていたのです。だけど彼は最後まで、彼と共に生きようと決意するのです。ピアニストである仕事も止めて、ずっと介護しようと覚悟しました。

だけどタスカーはタスカー(スタンリー・トゥッチ)で、自分の最後を考えていました。それを知ってしまったサムが怒るのは当たり前です。

タスカーと最後まで一緒に居ようと、仕事まで引退しようとしていたわけですから。

二人がぶつかり合うラストは、引き込まれました。

サムの視点、タスカーの視点にたって気持ちは揺れるのでした。

そして上にも書いたことですが、相手の気持ちを受け入れるという事は、究極の愛なのかと感じたのでした。

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美味しい一日(水元公園にて)

2021-07-16 10:00:36 | お出掛け日記

星子さんが

「ああ、また見る必要もなかった風景を見てしまった !」と嘆きました。

なんだか上手い事を言うなと、私は感心してしまいました。

トップ画像は、その「見る必要もなかった風景」です。

別の言い方をするならば、それは「迷った」だけどー。

 

 

三郷は、大小の川が街の中に走っている街だなと思いました。

それを意識した産業とか土手などを作って来ていたら、水郷とか言われた未来があったかも。

それでも何でもないような街並みが、とても美しく感じたのでした。

 

7月15日(木曜日)、また星子さんと水元公園に行きました。

と言っても、今回の目的は、公園の緑や花々ではなくて、ずばり・・・・↓

根本のうなぎです。

肉厚でふんわりと柔らかく、とっても美味しかったです。

水元公園には、これで三回目。

徐々に、「水元公園=うなぎ」になりつつある私たちです。

《昨日、ここまで書いて、下の画像を入れたら、急に欲しいものが出来てずっとネット検索、お買い物サイトをウロウロしてしまい、ブログタイムは終了になってしまいました。そして朝になり、また書き始めました。》

急に欲しいものが出来た画像は・・・・↓

 

鰻屋さんにぴったりとは言い難い・・・・。

それでも大好きな絵に目は行ってしまいました。お店の誰かが好きなのでしょうか。何枚も飾ってありました。

実は、水森亜土ちゃんが描く女の子が大好きなのです。

女の子の素敵がギュッと詰まっているような絵に、なんだか頑張ろうと言う気になるのです。

根本にそんな絵が飾ってあって、得したような気持ちになったのです。

そして何が欲しくなったかと言うのは、まだ迷っているので、そのうちにという事にしますね。

 

 

鰻屋さんを後にした私たちの次のミッションは、この街のケーキ屋さんでそのお店の有名なモンブランをゲットする事だったのです。

それを公園で頂くと言う計画・・・・・。

私の当初のイメージは、木のテーブルに座り、深くなってきた緑や青い空を眺めつつ、ちょっと熱い大気を感じながら、持参したフォークで優雅に微笑みながら頂くと言うもの。

ところがこの日は、昨日までの暑さとは全然違って、すべてが溶けていくような感じです。

公園内でゆっくりテーブルを探す余裕が、時間的に許されてなかったように感じた私たちは、小さな池のほとりで頂くことにしたのです。

石の上に斜めに置かれるケーキ。

ああ、優雅とは程遠い !

この優雅には頂けなかったケーキのお店は、「水元公園 モンブラン」で検索していただければ、名前が出てきますよ。興味のある方は是非どうぞ。マロンクリームが美味しかったです。

ただ今時のケーキは、スポンジの大きさよりクリーム部分が多いでしょう。その系統で、この大きさだと、半分食べて一旦は冷蔵庫に閉まって3時間後にまた食べるのがベストな年齢になって来ていて、美味しいものを食べているのに、何でか眉間に皺をよせながら食べていた自分がいたのです。

最後の一口の時

「私は美味しいものを頂いているのだから、美味しい顔をして食べる !」と言ってニッコリしてから食べました(笑)

これは星子さんのミッションだったのに、彼女はもっとアウトで、それで申し訳ないのですがお名前は載せないのです。正直すぎますね^^

だけどケーキの好みは好き好きだと思います。たぶん私たちの理想のモンブランは、しっかり土台があって、それはそこそこの甘さしかない美味しいスポンジ台で、その上に帽子のように乗っているモンブランクリームと言うのがベストなのかも知れません。だけどそういうケーキを見て「何、これ、スポンジばっかりじゃん。」と低く見る方もいらっしゃるかも知れないでしょう。

ただここで焼き菓子を5個ほど買って来たのですが、皆美味しくて、5個、みんな私が食べてしまいそうな危険な予感がします(^_^;)

 

公園の中を少々散歩しながら、帰りのバス停に向かっていました。

やっぱり水元公園は美しいです。何度来ても良い所だと思いました。

脳内イメージではこんな所で食べるつもりでいたのかも。

だけど現実には、ここまで持っていたら、ケーキの冷たさはなくなってしまったようにも思うし、この写真だと、うす曇りに見えるけれど、太陽光線直撃で、やっぱり優雅なんてものではなかったと思います。

 

なんだか絵のような風景です。

この日、早めに帰途に就いたのは、夕方から私の仕事があったからなのですが、遠くに見える雲が真っ黒だったこともあるのです。(上の画像はその真っ黒な雲の写真ではありません。)

「きっとあの黒い雲の下は、雨が凄く降ってるね。」と言いました。

その黒い雲がどちらに流れてくるか分かりません。

 

そして早めに帰って来た私たちですが、喉がカラカラです。

急いで食べたら頭がキーンとなるかき氷で良いから、食べて帰ろうという事になりました。

と言うわけで、ガストで頂いて帰りました。

ここのかき氷、お値段的にも量的にも適量で、お気に入りです。

「生き返ったね。」と今までゾンビだったみたいな事を言いながら、解散しました。

その日の夜、夫殿が言いました。

「今日、メチャクチャ降ったな。どうもピンポイントだったみたいで、うちに会社の周りは凄いゲリラだったよ。」

「へぇ ・・・・」

あの黒い雲の下は、夫殿の会社だったのね・・・・( ̄ー ̄)ニヤリ

 

※       ※      ※

あっ、そうそう。

迷った話を書き忘れました。

これは行き方検索の言うとおりにしたら、とんでもない事が起きてしまっただけなのですが、ちょっと星子さんとの会話が心に残りました。忘れたくないようなことだなと思ったので、またそのうち書くかもしれません。

この「忘れたくないような事」と書いても、あとから読むと「何だっけ ?」とかなる。

ああ、そういうお年頃になってきちゃったかもなぁ・・・・。

コメント (6)
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「てにあまる」を観ました♪

2021-07-13 01:26:27 | 観劇・コンサート日記

6月の最後の日、

「今月は、何もお芝居を見ていないな。」と思いました。なんだかそれも寂しいなと思いました。

それで、「そうだ、今日こそあれを見よう」と、時間を作ってwowowで放送してくれて録画してあった「てにあまる」をとうとう見る事にしたのです。

 

私、ちょっと吃驚しました。

このお芝居は、時期的に劇場に行って観るとは最初から思っていませんでした。そのせいだったからか、ずっととんでもない間違いをしていました。

つまり、このお芝居はコメディであると思っていたのです。

「とりあえず、お父さん」のような。

柄本明さんとの再びのタッグだったからでしょうか。

ところがまったく違かったのです。

※ とりあえず、ものすごく楽しかった「とりあえず、お父さん」の感想は→「とりあえず、お父さん」、見てきましたよ~♪です。

 

私は思いました。

しみじみと。

最近、この「しみじみと」という言葉を多用していますが、あれやこれやと深く考えてしまった作品に出合うと、時には苦しくなる時もありますが、やはりそういう作品に巡り合えることは、素晴らしい事だなと思います。

しみじみと、最初に何を思ったかと言うと、この藤原竜也と言う人は、本当に俳優として強い人だなと思ったのです。

この鳥居勇気という男を、繰り返し演じるたのですから。この壊れていく男を。

ふと私は思ってしまいました。「バットマン/ダークナイト」のジョーカー役だったヒース・レジャーの事を。彼はひと月もホテルの一室に引きこもって、ジョーカーの役作りをしていました。

彼がこの役を引き受けた時、やはり前に同じ役をやったジャック・ニコルソンが、彼に精神的にやられないように気を付けろとアドバイスをした話は、ヒースが亡くなった時には、かなり言われていた事ですね。

役者さんは、心の中で、自分の鎧を付けたり外したりして調節しているのかもしれないですね。

 

こんな話を書いたのは、この役を、毎日毎日演じていて、彼は大丈夫だったのだろうかと、思わず思ってしまうような過酷な役だったと思ったからです。

あらすじは画像の下です。

 

 

あらすじは、

【一人で暮らす老人(柄本明)の家に、 男(藤原竜也)がやってくる。 老人は戸惑うが、 その男は老人を家に連れて帰り、 二人の奇妙な同居生活が始まる。
男はベンチャー企業の経営者であり、 部下(高杉真宙)が彼を支えている。 部下は男の家を訪れ、 見知らぬ老人がいるのに驚く。 男は「家政夫だ」と老人を紹介する。 部下は男に対して盲目的な憧れと畏れがあり、 素直に信用する。
ある日部下は、 男の別居中の妻(佐久間由衣)を連れてくる。 妻は男と離婚をしたがっており、 その話し合いのためだ。 家政夫の老人に対して怪訝な目を向ける妻に、 老人は不敵な笑みを浮かべる。
妻と部下の関係を疑い、 壊れていく男。 その様子に心が離れていく妻と部下。
男と妻子の間には何があったのか。 そして老人しか知らない、 男の過去の真実とは何か。
これは家族をやり直そうとする物語。
あるいは、 家族を終わらせようとする物語。】

 

その環境しか知らなければ、それがその人の世界です。

父に殴られて育った子供が、同じように「しつけ」と称して我が子を殴ってしまうのは、それがその人の世界だからなのでしょうか。

ところどころで差し込まれる、アプリの兄との会話や、嘘か真実か分からない佐々木の話で、その日に何があったのかが分かっていくのです。

彼に向けられた愛を感じず、悲しい物語だと思いました。唯一、彼を親のように無条件に愛していたものの愛に気がつかず・・・・・

それでも、この物語に光はあったのでしょうか。

凄く見逃しが多いような気がします。

録画はどんどん見て、さっさと消そうと思っているのですが、もう一度見なければ、よく分からないような気がします。

舞台は一期一会。真剣さが違うからか、こんな風には思った事はありません。逆に言えば、録画でお芝居を観ると、繰り返し見て奥を深めるという事が出来るかもと言う点が、良い所なのかも知れませんね。

だけど竜也節炸裂。

繰り返し見る事は、物語の内容的に少々辛いような気がしますが、チャレンジしようと思います。

 

 

画像とあらすじはこちらからお借りしました。→こちら


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お喋りをしましょう。その3「虹と戸定邸」

2021-07-11 23:59:44 | 梢は歌う(日記)

今日は午後三時くらいに、天気予報通りの大雨になりました。風も強く雷も激しく、またも我が家のあんずさんは、逃げ場所を求めて椅子の下やら押し入れの中とか、走り回ったりウロウロしたりしていました。

嵐が去っての午後6時半ごろ、空には綺麗な虹が出ていました。大きなアーチが立派だったのですが、まだ大気が不安定でしたので、雲を背景にした虹は、儚げな色だったと思います。

ところで6時半ごろと言ったら、そうです、BSでの大河のお時間です。

「青天を衝く !」の最後のところを(家賃をまけろの辺り)見つつ、虹の写真を撮りつつ、ベランダに飛び出してきたあんずさんを見張りつつのお時間でした。

 

今日の午前1時頃に書いたブログ記事が長すぎるからと言って、分けて3つ書くと

「お喋りしましょう。その1「変わらない? 変わった?」」

と、朝アップした記事に書きたのですが、長いと言ってもここまでは長くはなかったですよ。分けて書き足したら、このようになったのです。

しかも今日は、ちょっと寝たり起きたりの一日で、ハッと気がついたら、もう今日が終わってしまうみたい・・・・。

自分の言葉に縛られるわけではありませんが、ちょっと焦ります。あと10分で残りが書けるのかしら。

※          ※       ※

下の囲みは昨年の7月9日に投稿したものです。
先週の大河に徳川昭武が出て来て、
「ああ、松戸のお屋敷に行ったなぁ。」としみじみとしました。そうしたら、その記事が9日10日とgooから送られてきて、今頃だったんだなと、またしみじみとしたのです。

その記事の中に

>なんたってここは、水戸藩最後の藩主である徳川昭武が作った別邸

という言葉があるのですが、その頃の私は、この昭武と言う人を、どれだけ知っていたんだろうと思ってしまいました。

最後の将軍、徳川慶喜。次の将軍に成れなかった徳川昭武。

そして以下の囲みの中の記事は、その昭武の最後に住んだお屋敷です。

今日の大河の「紀行」にも出ていましたね。

 


 


戸定が丘歴史公園その1

以前松戸の税務署か何かに行った時に、駅にこの場所の案内板が出ていて、こんな場所にこのような所があるのかと、私の中でチェック項目に入れていました。・「2020年の手賀沼の蓮は !......


 

 


2回に分けて書きました。その2はお庭編で、昭武が作った庭園です。


 
戸定が丘歴史公園その2
・「戸定が丘歴史公園その1」の続きです。戸定邸を出ると広い庭園があります。今回は、その写真日記です。芝生が植えられた洋風庭園としては、日本最古なんですって。 東屋が......
 

 

昨年も史料館はお休みでした。慶喜から贈られた陣羽織とやらを見ていません。それだけでも、またここに来る理由になると思いました。

なんかムリムリに3つ書きました。

お喋りしましょう。その1「変わらない? 変わった?」

お喋りしましょう。その2「非公開にしました。」

も、合わせてお読み下さると嬉しく思います。


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