9月2日に見てまいりました。ひとつ前の記事は、少々この記事の前振りにもなっています。読んで下さると嬉しく思います。→「自己紹介で拍手される」
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まるで本のページを一枚一枚めくっていくような映画だなと感じました。
この物語、見る人によっていろいろと考察し、結末のイメージが変わるらしい・・・・。
おっと、失敗したかなぁ。
私は、見たままその流れによって、何の疑いも持たずに自分が信じたように物語を紡いでしまいました。
その紡いだ物語でも、そうとう面白く感じました。
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私は家に帰り、手を叩いてみた。思わず誰かが振り向くようなそんな拍手が出来るものだろうか。
どうしようもなくなった事態を、手を叩くことで救う事の出来る、そんな拍手。
パチパチパチ・・・
いや、ダメだ。こんな叩き方じゃ。
あの喫茶店で津田が出会った男、秀吉のように叩くのだ。
パンパンパン・・・・
そうだ、これだよ。
私のような小さな手でも、手のひらに空気をちょっと残し叩けば、そんな音が出る拍手が出来るんだー。
いつか、こんな事も役に立つこともあるかもしれない。
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この映画に涙は不要。
だけどセリフの何か一つ、またはワンシーンにでも、自分のリアルとリンクして、不用意に涙が落ちる事があると思います。もしそれがあるのなら、それだけでその映画を見た事はサクセスな事だと思います。
深夜の喫茶店で、津田が出会った幸地秀吉と語り合った「ピータパンとウェンディ」の一節を知っただけでも、私には引き込まれるものがあったのでした。
この本の原作を読んでみようと思いました。そして「ピータパンとウェンディ」も読んでみたいと思いました。
画像の下は、あらすじは書いていませんがネタバレしています。
この物語の中で、古本屋から100円で買った「ピータパンとウェンディ」の本が、あっちこっちに移動しますが、その「なぜ」の部分が面白いと思いました。
元々薄汚れた本でしたが、それが津田の元に帰って来た時には、更に汚れていて、何かのシミもついていたように思うのです。そのシミって何だろうかぐらいは思いました。
私の見たまんまの物語。
3003万と自分が持っていたはずの本が、スーツケースの中に入っていたら、もう少し考えようよと、ちょっとイライラした気持ちで見ていました。本がスーツケースに入っていた謎は、語られるまで分からない事ですが・・・・・・これをこうなんじゃないかと推理できる人っているわけがないと思っていましたが、何かを推理する気満々で来ている人には、よく見ていれば、容易だったかも知れないと、たった今、思いました。
しかし返してもらった3万を本の栞代わりに挟んで、それが後から見当たらなかったら、もっと探しなさいよと、3万もなんだからと私は思う・・・・^^
3万を検証してそれがニセモノだと分かって、3000万を偽札と思うこと自体も、ドキドキしてしまいました。
だってこのお金の出どころは、人の話を聞いていれば、分かるじゃんと。古本屋から流れて来たと言う大きな事実があるわけですから。
つまり彼は人の話をちゃんと聞くタイプではないのかもしれませんが、それよりも、彼はお金に執着するタイプではないのだなと思いました。
3万にも頓着せず、3003万円が入って来ても、とりあえず散髪に行くぐらいですものね。
ああ。3000万、勿体ない~。
と、私は思いましたが、それって、結局は私がお金に執着があるって事かしら。
まあ、今ちょっと、物入りなものですから、お金に目が行ってしまうのかも(笑)
女にだらしがなくて、簡単にボコボコにされて、ヒーヒーと喚く。ちっともカッコよくありません。
だけど何か彼には裏がある?
彼は筆力を武器にしているから。
映画のストーリー自体が、彼の物語なら、私は彼の物語に引き込まれていたのでした。
単純な物語。
深夜の喫茶店で津田は、秀吉と出会う。
いつかその「ピータパン・・」の本を貸そうと約束する。
だけどその日を境に、秀吉家族は神隠しのように失踪してしまう。
津田は古本屋の親父から、デリヘルの女が困っているのを見かねて3万を借りて渡しているが、借りっぱなしになっている。
秀吉家族に有った出来事、3万の流れは見たまま。
みんなの考察が分かれるのは、あの雨の日の秀吉家族と郵便配達の男に起こった出来事に関してだと思う。
倉田と秀吉は同じ施設育ち。断ち難い関係で繋がっていた。その絆は家族以上であることを周りの者は知っているのか知らないのかは分からない。
だから倉田は秀吉の望み通り、彼のどうしようもない妻も助け郵便配達員も助けたと思う。ただけじめはつけて行かなくてはいけない。で、彼らは町から姿を消したのだ。
じゃあ、新聞に載っていた男女の水死体は誰なのか。
それはここに登場してきていない誰かじゃないのか。
どうも秀吉の妻を秀吉が得るために、ひとり死んでいるらしい。だけど津田はそこは語らない部分だと語る。余計な部分を語らないという事だ。その余計な部分の物語に、男女の死体があるのではないのか。
だいたい3万円の偽札はどのように生まれて来たのか。
そこが全く語られない。ゆえにそこに見えていない物語が存在すると思う。
街から姿を消しても、秀吉と倉田の絆は固いものだから、もちろんその後も彼らは離れるわけがない。そして最後に余計な事は書くなよと言う脅しもかねて、あの雨の日の最終的な物語を紡ぐヒントを与えた津田に興味を持った倉田と共に、秀吉は本を返しに来たのだと思った。
倉田たちも3000万円の出どころをちゃんとは知らなかったに違いない。
3万の偽札が戻ってくるかと思ったら、3000万円のおまけつき。プラス本。
それを倉田は支援している施設に、津田の名前で寄付したのだった。
結局は、そのお金はちゃんと孤児の為にと良い風に使われて、そして津田の命も助けたのではないだろうか。
きっと秀吉はどこかの街で、家族四人で幸せな家族ごっこを続け、いや、あの雨の日からスタートをはじめ、いつか本当に自分の家族になっていくのではないだろうか。そしてその妻は、前よりは少々元気もなくしおらしくなってはいるが、それでもしたたかに生きていくのではないだろうか。
郵便配達の男はもまた、何処かの街角で、女たちをたらしこんで生きていくに違いない。倉田の影におびえながら。
結局、才能があるのに少しも書こうとしない津田に
「見てろよ。書かずにはいられない所まで追い込んでやる。」とその先を見届ける事は出来ないのに、3000万を彼に残した古本屋の男の思惑だけが叶ったのだ。
しかし私的、一番の謎は、あの床屋の男だよ。
なんで、あの男、あんなに口も堅いし、堂々としてるし、なんだか表も裏も詳しい感じ・・・・。
あの男が、本当はもしかして~ !!!!?
いやいやそれは無いか。
という、単純な物語。
感想を書く前に他の人の感想は出来るだけ読まないようにしています。
でも今回は、そんなにみんなと違うのかなと二つほど拾い読みしました。どこの誰かが、既にわからなくなってしまったので、申し訳ないのですが、あの編集者の髪型と何度も出てくるクリーンセンタ―という言葉に、「なるほど~。」と思いました。
それについての、私の思った事は更に画像の下です。
確かに、検証に来た編集者の鳥飼の髪型が違うんですよね。
でも私、映画を見ていた時、あまり不自然にも思わなかったんです。彼女は津田を信用しては居ない。つまりこの話が現実とリンクしていたら、かなりヤバい事もあるかもしれないので、さりげなく変装をして行ったのだと、普通に思ってしまいました。
だけど家に帰って、その髪型のところを読んだ時、「ああ、もしかしたら」と思いました。
つまり、鳥飼が検証に行ったことが、小説の中の出来事なのではないかしら。
そう言えば喫茶店での沼本の登場の仕方や、デリヘルの社長の登場の仕方も、余りにもドラマっぽく、不自然でしたものね。
でももしここが小説ならば、あの施設の職員の堀之内はどうなのかしら。本当に存在した人間なのか?
だから、こうも考えられる。
女にだらしがない津田。喫茶店に馴染みの女性店員、沼本は居たかもしれません。寧ろ居て欲しい。
だけど雨の日の深夜、津田は幸地秀吉と出会い、そこで語り合い本を貸す。だけどその後その家族の失踪を知る。デリヘリの女から却って来た3万は、もう古本屋の店主が居ないので、津田は散髪に使うが偽物だった。ただ3000万円なんかなかった。だいたいなんで古本屋が津田にお金を残す?
ただ、あのビデオの中のファイルは、津田は見ていた。
偽札の問題か、または女の問題か、津田はその街から逃れてバーでバーテンとして働くが、そこに秀吉が本を返しにやってくる。倉田を連れて。
水死体であがった男女はやはり秀吉の妻と郵便配達の男だったかもしれない。3万の偽札事件の真相は闇の中。津田は知りたくもない。
彼は倉田たちを見て、「タイトル、決めた。『鳩の撃退法』だ。」と言う。
津田の武器は書くことだから!!
あと、死体さえ置いておけば、何でも燃やしてくれるクリーンセンターが何度も出てくるのは、津田の心理的心象風景なのではないかと思いました。
考察がと言うより妄想が暴走してるかもしれませんが、それはそれで面白いかも知れません。
とにかくも、読みたい本が増えて、しかし読書が進まず困った状態に陥っています(^_^;)
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