5月30日、青山劇場にて「シレンとラギ」を観てきました。
「おお、これはまるで・・」と思ったある事はネタバレになってしまいますので後ほど書くことにしまして、次に印象深かったのはメイクの美しさだったように思います。もちろんそれは、お芝居の本編がイマイチだったから目がいったというわけでは全くもって違います。
例えば蜷川さんのお芝居を観に行くと、いつもその舞台の美しさに打ち震えるような感情をいだきます。それと同じ様なものを今回のメイクに感じたのでした。
この物語は「アイ」のお話。
そのアイを語るにふさわしい主役二人、永作さんと藤原くんのシレンとラギの美しさが胸に迫ってきました。
近頃出費が多くて、2500円のパンフレットをケチってしまおうと最初は考えていました。でもその美しさを手元に置いておきたくてやっぱり帰る時にはGETしてしまいました。お芝居の帰りにそのまま実家の方に行ってしまったので、まだインタビューなどに目を通していないのですが、その美しい花を手折って手に入れた満足感と安心感があって、こういうのもお芝居を観に行く為に劇場に足を運ぶ楽しみだと思います。
ところで美しい者が語れば、その言葉には重みがあって印象深くすっと心に入ってくるのですが、そうでないものが語るとなんだか言葉も軽く捨て駒と言うか、本来の意味とは違いますが「捨て台詞」のような気になってしまうことはありませんか。
既に数日経っているので〈経っていなくても〉セリフはまったくあっていませんが、ラギが
「たまたまがあって、またたまたまで、またそのたまたまが続けば、それは偶然ではなく必然・・・」のようなことを言ったように思います。
そうだ、その通りだと思いました。
非日常は、その「たまたま」の連続で日常になっていくのですね。
だけどこのお芝居の中で、ちょっと下品なキャラの人が下品に言うので、非常に軽く感じてしまったセリフがありました。何度も繰り返されるそのセリフ・・・
そのセリフが最後にはズズンと胸に迫ります。軽さは繰り返されることで重さを増したというのでしょうか。いや、それはそうではなく最後にクルリと反転し意味を持ったように思います。
文を書く時、重複は駄文の元だと思います。だけど歌や詩、そしてお芝居の世界では、その繰り返しの使い方の上手さで印象も変わってくるのだと思いました。
役者様たちは皆素晴らしかったです。
以下はネタバレしています。
軽く感じたのに、最後にズズンときたセリフは、〈いつも正確ではありませんよ〉
「人生は潮干狩りのようなもの。今は潮が満ちているだけ。この潮が引いたならあさりもしじみも取り放題だわ。」
なんか最後の「だわ」がすごく上品な感じ・・・・明らかに違うな。^^
そうだそうだと励まされました。
冒頭に書いた
「おお、これはまるで・・」の続きですが、
「これはまるで、藤原竜也の今年後半の映画とお芝居の潜在的予告編のようだ。」と、私は思ってしまいました。
若き教祖。母との近親愛。
思わず連想をしてしまった人は私だけではないと思います。
だけどラギが頑ななシレンの心と体を包み込んで解きほぐしていく絡みのシーンでは、私は知らないうちに涙がこぼれました。
優しい美しいシーンでした。
その後の二人の充実し満ち足りた生活が、舞台からキラキラと伝わって来ました。
それ故に、唐突に語られた真実は絶望の断崖から突き落とすのに充分なものでした。
「貴様ら~~。」
一部の終わりのシーンは、完全なる竜也節。
大好き竜也!!
これが本当の歌舞伎なら、ここで声が掛かるところでだったと思います。
シレンが引き離された子供の話をした時から、展開は読めるというもの。それゆえに切なさもドキドキ感もアップ気味でした。
ところが一緒に行った人は
「子供はどこにいるんだろうな、と思っていたので吃驚した。」と羨ましい事を言いました。
古田新太さんの悪役ぶりが凄く良くて舞台を引き締めましたが、その人は何か理由があって、それがどんでん返しのようにいつ語られるんだろうと思っていたとも言ったのです。
こ、これは・・・
ただのうっかりさんではない発言なのだと思いました。
実は古田さんにとっては少々の痛い発言。なぜなら「めちゃくちゃだけど本当は憎めないやつなんだキャラ」を逸脱していないということを、サラリと言ってるんですよね。
こういうウッカリサラリさんの発言の中に、本当の舞台評があるのかも知れないなとチョッコシ思ってしまったりもしたのでした。
でもそのウッカリサラリさんは古田さんの事を
「あの方、顔はハンサムとは思えないのに(すみません、すみません、ペコペコ)、かっこいいのね~。」
「そうなのよ」と私。
「あのおじさんさあ、顔は全然イカサないのに(すみません、すみません、ぺこり)、いい男なんだよねえ。大好き。男はやっぱり顔じゃないよね。」と、おばさんトークも花が咲くというもの。
但し、かなりのラブコールトークでも、それを聞いたら本人がいい気分になるかは別なお話・・・。
細かいシーンを言うと、またあれやこれやと書ききれないので、いくつか拾って書かせて頂きます。
ラギが恋に落ちるシーン。
刺客を捕えるという殺伐としたシーンなのに、なぜかロミオとジュリエットの出会いの舞踏会のシーンを連想してしまいました。恋に落ちるのは一瞬なんですよね。
いつも何かの漫画を連想してしまう新感線の舞台ですが、映画のようなシーンを舞台に持ってきてと言うより、漫画で描いている世界を舞台に持ち込んで、その世界を輝かしているように見えるというのは私だけの感覚ではないと思うのですが、今回は少女漫画のような世界観を感じました。もちろん少女漫画といっても24年組の人たちの世界観なのですが。
シレンの悪夢。
股の間からメキメキと音がしてラギが現れ、殺して~と言うシーン。
ゾクッとしました。
ゾクッといえばやはりゴダイ大師(高橋克実)の優しさと怖さの振り幅。高橋さん、素晴らしいですね。
「母とヤリ、父を殺る。」
まさに地獄への道。そんな道にわが子を突き落とすことがゴダイの「アイ」だったのでしょうか。
教団絡みで、ちょっと私がホロリときてしまったのは、教団を支えたシンデン(北村有起哉)の夢が崩れ去った時。ゴダイに心酔するシンデンは彼を愛し尽くしていたシレンこそ正妻に相応しいと思っていました。ゴダイの側にシレンが仕え、そしてその傍らには後継者のラギがいる。それを自分の全てを徒して支えていくのがこの男の夢だったのです。
殺伐とした物語の中で、この男の純情と従順はホットさせるものがありました。
シレンの生きてきた道は血で彩られた道。
そしてこれからラギと生きていく道はやはり血の道・・・。
だけどそれは人々への救済の道。
「行こう、ラギ、一緒に。」
「その言葉は母として?
それとも、女として?」
「人間として。」
痺れましたね、ラストシーン。
※ ※ ※
幼き日に庭先で垣間見た美しい人にずっと心惹かれてきたのは、母だったからなのか・・・
ウウッ、泣ける。
(注:上記のようなセリフはないです)
しかしラギは何歳の時の子供なんでしょう。とにかく20歳違いらしい。
誰ですか、思わず「まだ、いけるかな」なんて夢を見ちゃった人は・・・。