コロナ禍だったので、「月一実家帰り」と言うのを止めていましたが、そろそろ再開しようと思い、6月4・5・6日に横浜に帰ってきました。
この日に合わせて名都さんもやって来たので、夜は久しぶりの(元)女子会になりました。
私はこの時、スノウさんとの思い出を語り、みんなでゲラゲラと大笑いしながら楽しい夜を過ごしたのです。
思わず
「なんだよ~。こんなに面白い話をしてるってのに、何で主役のスノウさんがいないのよ~。」と言ってしまいました。
すると名都さんと蝶子さんが、「いや、きっと傍に居るよ。」と言いました。
「そうか。じゃあ、その辺にだね。」と、何故か一人分の空間が空いている場所を指さして言うと、本当に彼女がそこに居て笑っているような気がして、思わず微笑み、そしてまたウェーンと子供のように泣きたくなってしまいました。
私は今でもそんな事ばかり繰り返しているのです。
・「約8年 その9」の続きです。
その記事の中で
>『この年は、スノウさんとラッタさんと私だけでお風呂に行ったことがあるんです。→「横浜みなとみらい万葉倶楽部」
この記事を読んで、なんとまあ、私はツマラナイお出掛け記事なんかを書いているんだろうかと思いました。実はこの時とんでもない事が起きたのですが、ちょっと1行とか2行とかでは書ききれないので、また別の記事で書きますね。
スノウさん怒らないでね。だってそれは私にとっては大事な想い出なんだもの。』
このお風呂に行く1,2か月前、やはり姉妹で実家に泊まったある夜の事です。
姉妹の中でスノウさんと名都さんだけが酒豪です。飲まない母がビールを買っておくのは、この二人の為にでした。
夜、姉が自分の家に引き上げた後、二人の酒盛りが始まりました。ビールが無くなると「こんな所に日本酒もあった。」とその酒盛りは続きました。最初は私も参加していましたが、私はたいして飲めないので、すぐに酔っぱらい二人との会話に温度差が生じてきた頃に、お布団の中に「寝ます。」という理由で退散しました。
だけど耳元でずっと大きな声で二人が話しているのですから、寝られたものではありません。
でもそんな二人も眠さに負ける時間がやって来て、そして沈黙の時間が訪れました。
(言っちゃあなんだけどね、私はその後も目が冴えて寝られなかったんだからね。)
翌朝、姉から義兄から、果ては姪っ子からも、「昨日は盛り上がっていたね。2時くらいには寝たね。」と言われました。嫌味ではなく優しい言葉で言われましたが、私はスノウさんからも名都さんからも「お姉ちゃん」という立場の人なので、このお風呂の為に待ち合わせをした時にラッタ君を待つ間に言ったんです。
「あの時、みんなが『2時くらいまで』とはっきり時間を言ったのは、それまで寝られなくて、静かになったので『今は何時何だろうか。』と思わず全員、皆それぞれの場所で時計を見たからだと思うな。やっぱりやり過ぎだったと思うよ。」
「そうか。じゃあ、謝った方が良いよね。」
「うん、軽く、お兄さんには「この前はすみませんでした。」くらい言っておいた方が良いかもね。」
そんな事を言っている間に、ラッタさんも待ち合わせ場所に来たので目的地まで歩き始めた私たちだったのです。
そのうち目的地の「万葉倶楽部」が見えて来て、初めて行く場所にワクワクしたその時、背後でドサッと言う音がしました。
振り向くと !
えっーーーーーーーー!!
スノウさんが腹ばいで倒れていたのです。
「えっ、何をしてるの?」と思わず言いかけましたが、
何するわけもありません。転んでしまったのです。見ると歩道のタイルに5ミリから10ミリの間の段差があったのです。
意外とこれ、危ないのですよね。
「ちょっと、手首大丈夫? 立てる? 私たち大丈夫だから,今日は止めておく? いや、それより救急車を呼んだ方が良いかな。」
ええと、こういう場合は、呼んでも良いよね。どこを打っているのか分からないわけだから。ああ、いや、立てたらタクシーか。でも病院は何処に。ええとええと、と凄く短い時間にワアッと考えていたら、スノウさんが言いました。
「何言ってるの。『万葉倶楽部』は目の前よ。私は行くわよ。大丈夫立てるから。」
えっーーーーーーーーー!?
行くんだ !?
スノウさんは、本当にお風呂好きだなあと思いました。
(画像の下に続きます。)
その後は、リンクした記事に書いたような楽しい時間を持ったわけですが、お食事の時、私は言いました。
「私さぁ、さっき振り向いた時、一瞬状況が分からなくて、思わず笑っちゃった~。何してるのって。」
「なんてやつだ !」とスノウさん。
そこにラッタさんの一言が、
「いや、あの状況は笑う。実は俺も、思わず笑った!!」
「なんてひどい親子だ!!」
「わはは」
「だけどね、確かに私、謝った方が良いとは言ったけれど、謝る人が傍に居ないのに、何で今謝ってるのって思ったわ~。しかも最土下座だなんて。」
これは元ラーメンズの片桐仁さんの持ちネタで「99.9刑事専門弁護士」でもやっていた、最土下座を知らないとあまり笑えない話です。
もしくはちょうどその頃公開された、阿部サダヲさんの「謝罪の王様」とか。
「謝んなきゃ、謝んなきゃと思って歩いていたからか、真面目だからさぁ私。ついつい、謝っちゃたわ~。」とスノウさん。
その日は楽しく時間を過ごした後、私は実家に、スノウさんとラッタさんはそれぞれの家にと解散したのでした。
数日経ってから、気になってスノウさんに連絡しました。打ち身は後から来るからです。するとスノウさんは言いました。
「あの日、家に帰ってから、私一晩中痛くて痛くて寝られなかったの。」
「えっ、何で ? 手首も捻ってなかったし、足も大丈夫に見えたのにね。」と私が言うと、
「肋骨が折れていたのよ。」とスノウさん。
えっーーーーーーーー !!
手首や足ばっかし見てしまったけれど、本当に手も足も出なくて、胸から転んでしまったのかと思いました。
とにかくスノウさんは、手術とかもそうだけれど、痛い目にばかりあっていて本当に可哀想だったと思いました。、このお話もやはり最後は痛い目にで、何とも言えない悲劇。
それなのにこの話の思い出話をしている時、何故か楽しく語りみんなを笑わせている私は、やっぱり酷いやつだと思います。
だけどやっぱりそこにスノウさんがいたら、彼女だって「大変だったんだからね。」と言って笑ったと思います。
(画像の下に続きます。)
だけどあの夜・・・・・
ふたりの酔っぱらいの会話を、私は布団の中で寝たふりをしながらじぃぃっと聞いていた。
何と二人は泣き上戸だったのか!?
スノウさんが泣きながら語る。
「たくさんいろんなものを失って来たけれど、だけど私、何にもいらないのよ。愛が欲しいの。愛だけが欲しいの。」
私には、それがただの酔っぱらいの言葉だとは思えなかった。
私は彼女の言葉に耳を澄まし、そして胸に刻みつけた。彼女の欲しい「愛」が何なのか、私には分かったから。
名都さんも語る。
「分かるよ~。私だってずっと寂しかったよ~。」
あっ、それは分かるよ。年の離れた姉を持って、名都さんの子供時代は、本当に寂しかったと思うから。
だけど父と母の末娘への溺愛が、私たちの距離をさらに広げていたって事、彼女は知らないだろうなぁ。
それでもね、父も母も普通に愛情深い人だったよ。
家はいつも賑やかで、そしてやっぱりいつもみんなで笑ってた。
それなのに、何で私たちはいつも心の中の孤独を埋められずに、時にはその孤独のせいで、自分に自信が持てず、世界の片隅で膝を抱えて拗ねていたんだろう。
スノウさんがもっと元気で生きていたら、みんなでやっとそんな話も出来る年頃になれたんじゃないかなと、私は思うんだ。
そう思うとね、やっぱり私は深い溜息をついちゃうんだよね。