森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

夏よ、お前を2011<その3>ラジオ体操はいかが?

2011-07-31 01:36:01 | 思いつくまま

=夏の思い出を語りましょう。=

夏の朝の思い出と言ったら、「ラジオ体操」ではないですか。

私が子供の頃は、7月だけあったのか、もしかしたら8月のラストにまた1週間だけ付け足してあったのか、そんな感じでした。出席者多数。あれの良い所は、朝から友人たちと会い今日の遊ぶ約束などを出来るところにもあったかもしれませんね。

でも何が楽しみだったのかと言うと、やっぱり最後の日に貰えるご褒美のノートとか鉛筆だったんじゃないのかしら。それからあの判子を押してもらえるラジオ体操カードでした。

何でそんなものがと今なら思うけれど、イヤ、今でも枠がスタンプで埋まっていくのって楽しいですよね。ポイントカードとかも。

人には日常のささやかな楽しみが、実は極上の楽しみだったりもするのですよね。まして世界の小さくて狭い子供なら、こういうイベントは大切だと思います。

普通は「ラジオ体操」は子ども会が主催ですよね。

ある年、朝に弱いラッタ君が休みがちだったのに、まだ幼稚園だったルート君は皆勤賞でした。幼稚園児も参加して良かったのです。但しスタンプはありでもご褒美はナシ。幼稚園児を勝手に行かせることはなかったので、要するに私も皆勤賞。
良い思い出です。そう言えばルート君はそんな事を忘れてしまっているでしょうね。何かの機会があったら話してあげたいけれど、男子諸君は、母の思い出話を嫌う傾向があるので聞く耳を持たないかもしれないですね。

 

ラッタ君2年生の思い出はもっと彼は聞きたくないに違いありません。

近所から近所に引っ越しても、学校の校区が違ってしまった為に、学年の区切りまで前の地域に席を置いていました。それで子ども会も前の所でちょっと遠かったのです。でも自転車でそこに行っていました。

そこは公園といっても、ただ広い広場で普段は放置。申し訳程度に公園用玩具が片隅にあるようなところでした。夏祭りがあるので夏前にようやく草刈をするのですね。広すぎて夏祭りも暗くて寂しい感じ。自分が役員の時にその意見を言ったら、みんなも思っていたようで照明二倍にし、明るい夏祭りが開催でき褒められた事があります。

そんな駄々広い広場での片隅で、子供たちはラジオ体操をしていました。何故片隅かと言うと、夏前に草刈しても、草は既に伸びて、なんだか虫と格闘しながらと言う感じの、あまり良い環境の場所ではなかったからです。真ん中は草むら。端の方はまだマシと言うことで端っこでやっていたのですね。でもそれも良かったかもです。。前の記事でも書きましたが、ラジオ体操に気軽にサンダルで行ったら、足元が草の露で濡れたと言う事は、自然な経験だったかもしれませんから。

今では無駄に早起きの私は、昔は早起きが苦手。ラジオ体操に子供を行かせようと思ったらちょっと緊張。

ある朝、ふと気がつくと6時25分。
キャー、大変とラッタ君をたたき起こし、身支度させ、追い立てて行かせました。

ちょっぴり遅れちゃうけれど、まあ良いや。ふう、ヤレヤレと思って改めて時計を見ると・・・

ギャー、5時半!!!

昔からそんな事ばかりしているのですよ。1時間、時間を間違えたのです。

自分も急いで着替えてラッタ君を追いかけました。

ラジオ体操の会場までは自転車で5分以上は掛かるところにありましたが、後から追いかけたのでは、途中で追いつく事なんて出来ません。公園に行ってみると、ラッタ君、なんと公園のど真ん中の草むらで堂々と・・・・をしているじゃありませんか。

何とか小僧みたい。妙に絵になるなんて言ったら不謹慎ですか。時々ささやかな日常でも、映画的な場面ってあるでしょう。
早朝。澄み渡った空気。足を濡らす草の葉の露。誰も居ない空き地のような公園。その真ん中で彼は・・・・・

 

「ラッタ~、ママ、時間間違えちゃった。」
「うん、そうみたいだね。そんじゃ、帰ろうか。」
「ここで待っていないの?」
「もうイヤです。」

と、子供やる気に水を指してしまった母なのでした。

そんな事でも良い思い出です。

 

ツイッターでも毎朝、今も「ラジオ体操に行って来た。」と言う言葉が並びます。

だけど今ではうちの近所ではやっていません。音が五月蝿いだとかお母さんたちが大変だからとか、そんな理由でなくなってしまったのです。これも時代かなとは思うのですが、現に遣っているところもあるわけですし、子供も少なくなって働くお母さんたちにも負担になって大変だなと思ったある地域では、子ども会行事から町会行事に変更し、地域ぐるみで遣っているところもあるのですよ。

伝統を守ると言う事は、それなりの努力が必要なんだと思います。

それに、自分だけの考えで「こんなもの」みたいに思うのも間違いだと思うのですよ。

 

自分が子ども会の担当だった時には、朝も弱いし、ラジオ体操の第二は覚えていないし、ふらふらして参加していました。小さな子ども会でしたので、担当は三人しか居ませんでした。でもひとりは何か行事があると、ことごとくその前に腰痛になるという不思議な人でしたので、実質は二人。その相方さんが「ラジオ体操なんて意味が無いと、以前からずっと思っていたわ。この先のお母さんたちからも喜ばれるから止めない?」と提案されました。フウフウしながら参加の私なので、即答で賛成とでも思っていたのでしょうか。

即答で反対しました。
「私の時には止めるというにはナシにして。」

来年、再来年の事は、その人たちが決めればいいのです。でも私は自分の時代まで流れてきたものを次の人たちに繋げたかったのでした。

同じ時期、学校の役員会での合間のおしゃべりで、ある人が自慢げに自分の提案でラジオ体操を止めさせたと言いました。何で鬼の首を取ったような言い方をするんだろうと、私には不思議でなりません。時代を変えるということは自慢になることもあるけれど、これはそうなのかなと首を傾げてしまいました。

でも私は逆に自分の次の人たちに襷を繋げた事の方が自慢です。

だけどやっぱり、うちの地域もそれから二、三年後には無くなってしまいました。

 

ちょうどその頃、今のお仕事を始めたのだと思います。

夏休み前のある日、うちに来ている子供がポツンと唐突に言いました。しかも寂しそうに。

「ないんだよ。うちのほうでは・・・・、ラジオ体操。」

「ほら~!!」って思わず言ってしまった私です。もちろん心の中で。

 

「麦藁帽子」は7文字。「ラジオ体操」も7文字。

じゃあ

「ラ~ジオ体操はもう消えた~~♪」夏休みの替え歌でって、歌い辛いな、ヤッパシ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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夏よ、お前を2011<その2>蝉時雨

2011-07-28 15:33:34 | 梢は歌う(日記)

皆様、お元気ですか。

私はまあまあです。ちなみにお仕事を頑張っています。

ところで昨日、今年初めて蝉の鳴き声を聞きました。窓を開けたら「ミーンミーン」と言う夏のおなじみの声が聞こえてきたのです。

今年は蝉の鳴き声を聞かないねと言うのが、最近の夫婦の話題でしたから、夫が帰ってきたら、真っ先に言いました。すると、夫も「あっ、俺も。」と言いました。と言うことは、我が家の家の周りでは昨日から鳴き出したのですね。

今年なんで鳴かないんだろうと思っていた方いませんでしたか。

そうしたら今朝「朝ズバっ!」でやっていましたね。今年春先の低気温が原因で育っていなかったらしいのです。それは蝉ばかりでなくカブトムシなんかも2,3週間ぐらい遅れているそうですよ。

暑い時に蝉の鳴き声は、暑さもまして煩く感じるときもありますが、やっぱり聞こえてこないと寂しいものです。

夏はやっぱり夏を楽しみたいものですよね。

 

※    ※     ※

 

今週は、昨日と今日がお仕事がちょっと大変な日です。昨日は服を着たまま10時半ごろ寝てしまい、そのまま朝まで起きることが出来ないくらい疲れました。そう言うのって、私的にはあまりないことなんです。

夏って、何かをかき立てるパッションみたいなものが潜んでいるような気がするのですよね。

そう、あの蝉時雨のようなもの。

あんな「音」が心の奥底から聞こえてくるような・・・・

 

だけど、いつもそんな気持ちに支配されているわけではありません。時にはぼんやりしたりグータラしたり大事な事ですよね。夕方、ポストに郵便物を取りに行くついでに公園の周りをお散歩しに行きました。そこで近所の人に呼びとめられ、ちょっとしたおしゃべりをしました。

その話の中で、ずっと気になっていた事の真相が分かりました。

近所で凄く嫌いな人がいました。何でかは言いませんが、実害があるので嫌いです。最近見かけないなと思っていたら亡くなっていたのでした。もしかしたらとは思っていましたが、やっぱりそうだったのです。あっけないものです。あんなに元気にしていたのに。

それも夫に言いましたら「可愛そうに。」と彼は言いました。

私は自分に正直です。亡くなったからと言って「嫌いだった」と言う感情は変わりません。だから可哀想だと言う感情が沸き起こってくることはありません。だって人はいつか死ぬのですから。

でも・・・・

「嫌い」と言う感情は変わらなくても、意味を失い消えるのですね。

「そうか。」と私は思いました。

「あの人は、もういないのね。」

そして少し時間が空くと、また「そうか、あの人はもう居ないのね。」と同じ事を考えている私が居たのでした。

いろいろな人と関わり合って生きて行く、この道。

あの人は確かにこの道に居たのになと思います。

夏の日は幻・・・
ちょっとセンチメンタルな気分になった夕方でした。

 

<追記>

あっ、そうそう。及川光博さん、ご結婚ですね♪
しかもお相手は壇れいさん。「相棒」で共演していましたね。その時の共演がきっかけだったなんて。昔の恋人役だったのに未来の嫁さんになるなんて思うもしませんよね。ちなみにその共演した「相棒」の感想は→こちらです(大した事は書いていないけれど、一応褒めています。)こうなると、再放送して欲しいです!


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「夏よ、お前を」2011

2011-07-24 17:31:47 | 思いつくまま

=夏の思い出を語りましょう。=

なにやら世の中の節電事情に合わせて、テレビでは江戸の暮らしを取り上げる機会が、此処のところ多かったのではないかと思います。

江戸には江戸の、その時代の知恵があったのですね。

だけど・・・・

知恵があったかどうかは知りませんが、ほんの少し前の日本の夏だって、こんなに電気を使う夏ではなかった事だけは確かです。

「今日は本当に暑いね。」と言った日の気温が30度。
冷えたスイカを食べてれば凌げる温度だったと思います。

 

私は夏が大好き。

それはきっと夏の思い出が美しいから、毎年そう思うのだと思います。

清少納言の枕草子では

「夏は、夜。月の頃はさらなり。闇もなほ。蛍の多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし。」(夏は、夜がよい。満月の時期はなおさらだ。闇夜もなおよい。蛍が多く飛びかっているのがよい。一方、ただひとつふたつなどと、かすかに光ながら蛍が飛んでいくのも面白い。雨など降るのも趣がある。)と言っています。

確かに夏の夜は良いのですが、実は早朝も良いと思いませんか。

 

子供の頃からお風呂に入った後にトイレに行くのが嫌で、入浴後はさっさと寝てしまっていました。それが7時半であろうと8時であろうと。そうすると、そこから9時間10時間は寝ていた子供時代でしたが、それでも家族の中で一番早く起きてしまっていたと思います。

そんな私は、ひとり庭に出て庭の木々と戯れて、手足を濡らしていました。木々に舞い降りた朝露はひんやりと冷たかったと思います。

庭にひとり佇んでいると、
「どうしたの?」と朝の早い豆腐売りのお兄さんが、声を掛けてくれました。

朝の豆腐売り・・・・

いたのですよね。夕方の豆腐屋さんの姿は映画の「三丁目の夕日」などにも出てきたと思いますが、実はお豆腐屋さんは朝も早くから出来立てのお豆腐を売り歩いていたのですよ。

とう~ふ~♪

あのラッパの音は、不思議にちゃんとそう聞こえてきます。そして何故だか物悲しくも聞こえるのです。

でもそれは私が小さかった頃のお話。その豆腐屋さんは近所にあって結構長くやっていたけれど、朝に売り歩く事はいつの間にか止めてしまっていました。きっと冷蔵庫が普及したからかも知れませんね。

 

ところで金子みすゞの詩で

「誰にもいわずにおきましょう。

朝のお庭のすみっこで、
花がほろりと泣いたこと。」

と言う文があるのですよ。

素敵な表現ですよね。これは5年生の国語の問題集に載っていたのですが、
「どのような様子を『花がほろりと泣いた』と表現しているのですか。」と言うのが問題です。

これを解いていた少女には、答えが分かりません。

私は心の中で

「だってさあ~、答えがタイトルに書いてあるじゃん。」と思いつつ、笑顔で
「夏の朝にね、早起きして・・・」と上に書いてあるような思い出話をしたところで、
「この詩の題名はなあに?」と聞きました。

この詩は「露」と言う題名なのですよ。

「ああ~。」と頭の良い少女は笑いながら分かったと言う風に言いました。
でもその目で、頭の中で「露=花がほろりと泣いた」が良く分からないと言っていたのが分かりました。

「露」。その言葉を知ってはいても、意識して葉の上の花の上の水滴を見たことがないんじゃないかなと思ったのです。

今時の子供はいろいろな事を知っているけれど、また、いろいろな事を知らないなと思ったのでした。

 

 


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記録する夏

2011-07-23 18:02:08 | 思いつくまま

どうも夏になると日記なるものをつけたくなるらしい。

本箱や引き出しなんかを整理していると、ノートなんかに書かれた夏限定の日記などが出てくる。そこに記入されているのはほとんどが仕事の記録と友人たちとのお食事会と電話のメモ。たまにお出掛けの記録。それも「・・・に行った。」と言うもの。書いてある事は数行で読み直しても面白くもない。だけどそのノートたちを私は捨てない。40日全体の「文の雰囲気」に意味があるのだ。

文の雰囲気と言うのも変な言い方だが、そこに目を通すと、その夏が蘇ってくるのだ。仕事ばかりしていた夏、それが楽しくて仕方がなかった夏。その中での自分の子供たちとの触れ合いと一喜一憂。懐かしい。

夏の日記的記録ノートはブログを始めてもやっていた年もあったようだ。日記的ブログの「梢は歌う」が7月8月になると放置状態になったりしていたのは、そのせいだったかもしれない。とにかくどこかにチマチマ書いているのだ、いつも。だけど、、なんたって自己管理が悪いものだからノートはあちらこちらに保管してあるのが問題だ。そう考えるとやっぱりブログは便利なのだが、だけどそこには面白みもない仕事メモは書けない。書きたいのはそう言うメモ。

 

夏は、夏と言うだけで非日常だ。毎日は同じように繰り返されるが、この40日だけは違う。そして何でだか忙しい。うっかりすると、過ぎた後「幻だった。」と言う感じになってしまう。夏の記録帳を付けたくなってくるのは日々の暮らしの確認をしたいのだと思う。

 

今日も生きた。今日も生きた。そんな確認。

 

ツイッターの呟きも結構日記代わりになると思っていた。でもあれは気分次第だ。現に昨年の7月なんて何をしていたのかさっぱり分からない。ただその気分次第と言うのも面白くて、その時思った事、知った事を呟いていて、それを今読むとすっかり忘れているのも面白い。
「ブラピのゾンビ映画面白そう。」と早くも去年の今頃呟いていたけれど、今の私はそんな映画の存在すら知らない・・要は忘れている・・・

 

また夏がやってきて、また夏の記録帳を書きたくなってきた。何処に書こうかと迷っていたが、アナログ復活と言う事に決めた。
2003年に夏だけ付けていた5年日記。やっぱり夏だけで終わっていた。

書いてあるのは、本当に仕事の事が90パーセント。そして犬のココちゃんの病院通いの記録。

そして中三だったルート君との学校見学会との事。

こんな一行があった。
「ルート君の通知表が思っていたより良かった事が嬉しい。」
中三母の本音。なんとなく微笑ましい。

 

この気持ち、忘れちゃいけないなと思う。
時々、通知表を持って来て見せてくれる子がいるけれど、あれは親の感謝の気持ちと、そしてこれからも「くれぐれもよろしく」と言う気持ちの表れだと思っている。

そんな一行を読むと、言葉の記録って大切だなと思えてくる。

パラパラとその日記帳をめくっていたら、夏だけでなく、いきなり9月17日に二年分の枠を埋めて日記が書いてあった。ある人の暴言に傷つけられてそこから立ち直る為の文章で
「そんな人の事はもう忘れ、穏やかに自分の道を進もう。思ったことをすぐに口にするのはオバサンだって。」

そう、わざわざマーカーで線が引いてあった。残念だ。これをもっと読み直すチャンスがあれば良かった。2003年から今まで、既にオバサンになりつつある私は、それで一杯失敗したに違いないのだから。その人の事が反面教師にはならなかったようだ。

 

だけど最後にこうも書いてあった。
「人の悪口はこりごり。今日で終わりにしよ。」

なるほど、確かにアナログだと愚痴や悪口、書こうと思ったら結構自由。それを嫌って日記帳は閉じられ、これは使命を終えて、本箱の片隅にいたというわけらしい。

 

でも2011年復活。
今年の夏をよろしく。

 


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5月6月&7月前半を振り返って

2011-07-20 13:05:20 | 梢は歌う(日記)

自分の亡備録として書いています。

と、ここで朝から勉強をしてしまいました。「ぼうびろく」と打って変換が出来ません。時にはわざとですが、言葉をいい加減に使う習性があるために、何か間違えて覚えていたのかなと調べてみたら、「備忘録」と言うのが本当なんですね。でも辞書等には「亡備録」とも言うなどとオマケのように書いてあるので、これはあのパターンですね。あのと言うのは、間違えている人が多いが故に日本語として地位を確立していったパターンだと思います。

「ぜんぜん美味しい。」と同じかな。
あっ、そう思うと気持ち悪い。

「これ、マジ、やばくない?」
と、ケーキを褒める時に使うのと一緒かな。ちょっと違うかもしれませんが、そっちには順応できてしまったから、それと同じと言う事でいいかな。

でも「備忘録、備忘録・・・」覚えましたよ。
ちなみに意味は、「記憶すべき事柄を簡単にメモするための個人的な雑記帳」

別に「記憶すべき事柄」じゃないけれど、時間経過による記憶喪失防止メモです。
とは言っても早くも、記憶喪失気味です。うーん、うーん、唸りながら、思い出してみます。

 

 映画

5月には「ブラック・スワン」「ジュリエットからの手紙」6月には「パイレーツ・オブ・カリビアン」「星守る犬」「SUPER8」をシアターで見ました。(感想のページにリンクしています。)

テレビでは「てぃだかんかん~海とサンゴと小さな奇跡~」「レクイエム」「バージニア・ウルフなんか怖くない」「プリンス・オブ・ペルシャ」
「ボックス」「君が踊る、夏」などを見たように思います。

 ドラマ

前シーズンが終わって、新しいシーズンが始まりましたね。
前シーズン、結構厳しかったです。振り返りが5月からとかなり前からなので、前の「3月4月を振り返って」とほとんど被るので書く必要もないかなと思うのですが、とにかく「「JIN-仁」の最終回は本当に良かったですね。しばらく余韻を引きずっていました。
「クリミナル・マインド」の今期のラストは残念でしたね。輪番停電の間に起きる殺人と言う事で、放送を見合わされてしまいました。大概ラストは次のシーズンに繋がっている事が多いので、それって何か腑に落ちない気もするけれど仕方がないのかもしれませんね。

意外と楽しみに見ていたのは、NHK の「下流の宴」です。上流・中流とは言うけれど「下流」ってあまり言いませんよね。このドラマの中では数人の人が「下流」と言う言葉を当たり前のように使うのです。そこの所だけ違和感バリバリ。でも敢えてそうしてるのかもしれないと作者の罠みたいなものを感じます。日本全国中流意識と言われていた時代があったでしょう。そんな事は幻以外のなにものでもないのに、家のローンや教育費にふうふう言っていても、意識だけは中流で、なんだか滑稽だなとそんな事を普段から思っていました。だからなのか、このドラマは凄く面白いコメディでした。黒木さんが愚かな母の役を体当たりで頑張っていました。最強の駄目男翔君、あれはあれで良いのだと言えるお母さん族が居たら、どのように良いのかその説をお聞きしたい。自分だったらどう闘う。(本当に闘うという意識になってしまうよ。でもたぶん歯が立たない。最強。たぶん私も負けるという自信がある・・・)みんなでたくあんで食卓を囲むシーンに勇気が出ました。登場人物には共鳴できなくても分かってしまうと言う、なんだか面白いドラマで大好きでした。

新しいシーズンのドラマでは、まだみんな出揃っていないけれど、楽しみに見出したのは木曜日の「それでも、生きていく」でしょうか。
火曜日の「絶対零度」は今度も面白いらしいです。なんだかその時間が眠くて、まだ真剣に見ていないので私的には何にも言えないのですが、これからも見ると思います。
水曜日は「新・警視庁捜査9係season3(第6シリーズ)」。このドラマ「新」がついてから、いきなり面白くなりました。欠かさず見たいところです。その後の「ブル・ドクター」はまあ、お気楽に見ています。
そして、土曜日は私のドラマ曜日になってしまいました。「ドン★キホーテ」、面白いですよ~。その後、前シーズンでは知らなかったが故に見ることが出来なかった「鈴木先生」をbsジャパンで見ています。

 お芝居

wowowで「ろくでなし啄木」を観ました。

ゲキ×シネ「薔薇とサムライ」を観ました。

「南へ」をwowowで観ました。

ちなみにこんな所で言うのもなんですが、来年初めに観に行くお芝居は決定ですね。
2012年1月6日~2月12日 東京・シアターコクーンにて上演される舞台「下谷万年町物語」。大好きな宮沢りえちゃんと藤原竜也君出演ですよ。

 お出掛けなど

近頃炎天下と言うのは、雷雨と一緒だなと思ってしまいます。どちらも出かけることを気持ちが阻みます。最近のことを思うと、ずっと引き篭もっていたのかと思わず思ってしまいましたが、意外とそうでもありませんでした。

5月の中旬陣ヶ下渓谷公園に行きました。
6月には「江戸東京たてもの園」(「その2「その3」)と「深大寺」に行きました。

美術館には国宝「燕子花図屏風」2011 レンブラント 光の探求/闇の誘惑「写楽展」に行きました。

「吉田拓郎カラオケパーティー」に行きました。

<新宿区役所横>

 奥様ランチ

う~ん。

これがなくて引きこもっている印象が自分にあるのかも。
レンブラントなんかを見に行ったときに、上野の駅隣接の和食屋さんに行ったかな。
「星守る犬」を見に行ったときに、ランチならぬディナーを「梅の里」で頂いたかな。ここ、凄く美味しかったけれど、あまりにゆっくり出てくるので、映画まで1時間45分もあったのに、間に合わなくなってしまって、ご飯とデザートを一緒に運んでもらったのよね。今度ここに行く時は、優雅100パーセントで行かなくては。

服を買いに言った時に、義母が言っていたてっぱん焼き屋さんに行ったのだけど、味がイマイチ合わず、ここに二回来る事はないなとかくにんしたとか。この友人とはサイゼでも一回会ったかな。

後は仕事絡みでサイゼに行ったとか・・・

あまりワイワイと言う感じにもなれなくて、じぃっと家にいたいと言うのは如何なものなのかしら。

かなかなかな、と言ってるけれど、まだ蝉の声を聞かないなあ・・・と、関係のない事を連想してみたり・・・

 子供たち・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・!・・・・・・・・・・・・・溜息・・・・・・・・・・・・・・・・・・スマイル・・・と言うか笑っていよう。

そんな感じです。

 ももちゃんの避妊手術。
ももちゃんを家に迎える時に、少し悩みました。ペットショップの店長さんにも相談もしました。お相手から、生まれた子供のお世話まで全部していただけるのだと分かりました。ももちゃんは顔が色白猫なんだけれど、お父さんはチャンピョン猫なんですよ。でもお父さんがチャンピョンだから悩んだのではなく、ワンコのココちゃんのときに失敗したからです。

部屋の中で飼っているんだから、不用意な失敗は考えられないので、何も痛い思いをさせなくても良いんじゃないかと、ココちゃんの時には思っていました。でもそれは間違いだったのです。子供を産ませる気がなければ、不要なものは動物には病気になる確率を増やすだけだったのですよね。

ココちゃんは、それで子宮内膜症になり生きるか死ぬかと言う大変な目にあいました。そして結局子宮摘出と言う痛い目にあわせてしまったのです。飼い主の無知なる故に。
だけど、こういうことこそ先に教えて欲しいよね。いろいろな事を言う動物好きさんたちやペットショップのおじさんとか。

一回は産ませてあげた方が良いのかなと女性の私は思ったりもします。でも、生まれた子供たちを手元に置くわけには行かない事を考えたら、やっぱり早めにに手術をする事にしました。

これで繁殖期のストレス、乳がん、子宮の病気からのリスクがなくなるのだそうです。

分かっていても、切ない出来事でした。

 読書
四畳半神話大系」を読みました。今年の目標は確か5冊と言うしょぼいものだったので、こんな感じでも良いかなとおもうのですが、本当は1ヶ月に1冊は読みたいものです。

近頃漫画すら読まなかったのですが、「岸辺露伴ルーヴルに行く」「荒川アンダーザブリッジ」を読みました。「荒川・・」の方はまだ読んでいる途中です。

 お仕事

ある日突然、夜の部の仕事を失いました。この事は、どこかに書きましたよね、確か。でもこれは我が家にとってラッキーな事でした。この不自然な生活をどこかで線引きをしなくてはと思いながら、一体何処で引けば良いのか分からなかったからです。
二人の子供が去っていきましたが、何も宣伝もしていないのに、二人の子供がやって来ました。
物事は悲劇に見えることが、善き事の第1歩なのかもしれないなどと、前向き人間なのでそうとしか思えません。

 お片付け

これねぇ・・・。なんかしたと思う・・・・、たぶん。完全な記憶喪失?

ああ、そうでした。衣替えをしたので、又服を捨てたのでした。ここの所、毎回かなり捨てています。何故捨て始めた時に一気に捨てられなかったのだろうかと思うのですが、「やっぱりいらないな」と思うのに、時間が掛かる服があるということですね。

去年は服が全部回るように意識して着ていたのだけど、最近は気に入ってる服を頻繁に着ています。そうなると服はそれだけで良いんじゃないかと思うのだけど、なかなかそうは行かないのが女心なんですよね。

 

こんなものでしょうかねえ。何とはなしにささやかで質素な生活を送っているような気もしますが、まとめて書くと少々のイベントもあって、少々の仕事でふうふう言っていて、まあまあの生活だったかもしれません。そう、この少々の仕事がちょっと大変になると、私の意識は全部ストップして、もうそれだけになってしまうという不器用さ。7月の生活がイケテナイなと感じたのはそこに原因があったのだと、今自己分析しました。

反省があってこそ、次に進めると言うものですよね。

さて、明日から夏休み!!
関係ないけれど、関係ある夏休み。
本当は夏は大好き。

暑い暑いとへばっていた今日までの自分の意識をかなぐり捨て、がんばるじょ!

 

おっと、「がんばるじょ」じゃ、怪しいってか。でも猫が真横で覗いてるからさ、思わず猫会話バージョンになってしまうのよね。
「ママちゃん、わたしのせいにしないでくださいましぇん。そんなことより、このエリザベスカーラ、じゃまでしゅのよね。みてないところでとっちゃいましゅ。」とももが言い、密かに実行に移そうとしているので油断がなりませんよ、まったく。

 

コメント (2)
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時には冒険少女のように<その2>

2011-07-18 13:07:33 | 梢は歌う(日記)

吉田拓郎 放浪の唄 カラオケ

 

歌と言うのは不思議です。歌全体の内容に心惹かれる時もあるけれど、歌を「詩」として捉えると、その音楽の調べに乗った言葉が、歌全体の意味を離れ、心に響く時があるのです。

『僕は少し変わったでしょう。』

心がキューンとしました。

この歌はカラオケである方が歌っているのですが、声も素敵で心に響きました。

※       ※       ※

吉田拓郎の歌を心の栄養にしてある時まで育ってきました。

だけど、ある時から長い間、私は彼の歌をほとんど知りません。それはいつの間なのかと言えば、それはまさに子供が生まれてから、そしてそれからおよそ15年ぐらいの間だったと思います。

不器用な私はあれもこれもに目を向ける事など出来ません。子育ての時は、覚える歌は「日本昔話」のテーマソングだったり、子供番組で流れる曲だったりしたのですよ。パソコンが今のように普及していなかった以前は、好きだった人たちの動向など追う手段もなかったのです。

時は流れて、時間は再び私に、子育ての時とは違う好きな事を遣って良いのだと告げました。

それは又、新作でもないのに新しい知らなかったものに出会うチャンスを私にくれたのかもしれません。

※      ※        ※

ツイッター、遣ってます。←(知ってるよ!とか叱られそう。)←と、毎回書いている私。

でも時々、そのツイッター、もうイイヤとか思ったりしているのです。イイヤと言うのは、止めてもいいやと言う意味なのですが、そんな風に書くと「うそだあ~。」と思われそう。
いつか体験記を書こうと思っているのですが、傍から見れば、凄く楽しんで遣っているようにしか見えないツイッターでも、と言うか、ツイッターごときでも、心ざわめく事もあるのですよ。

何度か波のように遣ってくる「もうイイヤ~。」と言う気持ち。

ブログとは思い入れが違うのです。でも、そう思うと、そこに必ず何か面白い事や役に立つ事が起きるのがツイッターだったのです。その事はいつか私の記録として書くと思いますが、又最近、その面白い事に出会ってしまいました。

※     ※        ※

ある日の私、ぽつんと一人。

私の中身は成長もなく・・・いやいや、それは嘘。重ねてきた年齢は、私に知恵と経験と悔いの涙を与えてくれました。だけど気持ちはやはりあの時と大差ない。

あの時と言うのは、32歳の冬の朝、安物の青いジャンパーを来て、ひとり町を自転車で走っていました。そのジャンパーの青い色がとても綺麗で、そして空も真っ青。私は道端に自転車を止め、髪をかきあげ空を見上げ、そして感じたのです。
「私は、凄く自由だな。私は自分が好きだな。」と。

今も、その時と変わらない気持ち。だけど現実にはそうはいかないことがたくさんあるのですよね。近頃仕事の夢さえも、年齢の制限に奪われてしまった事に気がつきました。「この扉は開いている。この扉は閉じている。」と言うアレですよ。(アレと言っても、私にしか分からない言葉かもしれませんね。)

ツイッターの良い所は、なんたって老若男女、自由にお話しが出来るところだと思います。だけど、じゃあ全てが自由かと言うとそうじゃないですよね。オフ会で知り合った人どうしが、チャットのように会話しだしたら、もうそこには入り込めませんよ。

「まぜて~。」って言えば良いじゃないですかって思う?

そうはいかないのよね。
「お母さんが来た。」って言われちゃいますよ。

ふーんだ。

そして、前後に何の脈絡なく、本当に独り言で呟いたのです。

「吉田拓郎のオフ会なら参加できるような気がするな。」と。

本当の独り言。

だけど・・・

あっ、予想がついちゃった?

そうなんです。誘っていただいたのですよ。だけど、「行ける」と言うのは「行きたい」じゃないのかと言うと微妙なところです。なぜなら、家の裏が果樹園と言う、なんだかカントリーチックなところに住んでうん十年、夜の新宿、別世界です。

それにですよ。

このブログにいつも来てくださる方には、分かっていただけると思うのですが、昼間でも曲がらない角をくいっと曲がってしまって、目的地にたどり着くのが大変な私なのに、夜の帳が下りたら、そこはもはや迷路ですよ、きっと。

街は別世界、そしてそこで出会う人たちは見知らぬ人たち。(加えて言うと胃炎の為にお酒が飲めず、さらに加えて言うと音痴)
自分で呟いておきながら、ちょっと悩んでしまいました。

だけど、私、立ち止まって考えました。

すみませんとかありがとうとか言って断ってしまう事は簡単だけど、でも幾つになっても自分の世界は此処までだと決めちゃいけないんじゃないかなって。

「1999日目」と言う記事の中のラストに吉田拓郎の「こうき心」を載せたのは、その時の気持ちだったからです。

 

姉を誘って行く事にしました。

 

行って良かったのかって?

 

そりゃ、あなた、良くなかったら、こうして記事に書くなんてことはしませんて^^

とっても楽しかったです。
吉田拓郎の歌って、本当に愛されているんだなと実感しました。

それに私、なんだかたくさん「思う」ことがありました。「思う」、すなわち心が動くと言う事で、そう言うことが日々イキイキと生きる糧、または感性の良質な栄養なのだと思います。

 

思うことはたくさん・・・。

例えば、私の横で姉が幸せそうな顔で笑っていました。その笑顔を見ていたら、なんだか私も幸せな気持ちになりました。やっぱり私の幸せは家族の笑顔にあるのだなと思いました。

だけど・・・・。

 

「君から貰ったネクタイを~~♪」
この「放浪の唄」は、全体を聴くと、このような歌だったのですね。

男視点の歌と言うのでしょうか。女から見れば「分かるわぁ、こんな男の気持ち。」と、この曲を聴くのかもしれません。

でも男だから、女だからとはあまり思えない私。

この歌のオマージュ的五行詩

『 愛してるって言った言葉と想いに嘘はなかった
 だから私は此処にいて、微笑みながらあなたに手を振る毎日
 だけど広げて干したシーツの向こう側、飛んで行く鳥を目で追う私
 その瞳には真っ青な空の青しか映っていない
 私は少し変わったでしょう』

そんな感じでしょうか。

この歌が凄く気に入ってしまって、何回も何回も聴いてしまいました。
そうしたら、ふとまたも自作のもので申し訳ないのですが「ま・い・に・ち」と言う詩が、なんだか似ているような気がして思い出してしまったのでした。似ていると言うよりむしろ間逆の事を言っているのかも知れない詩なのに。
だけど世の中の愛すべき男たちの優しさは、イヤ女たちも同じかな。こっちの「ま・い・に・ち」に近いような気がしてしまったりもするのですよ。

それでも、おはようとオヤスミを繰り返す毎日の中で、冒険少女のような気持ちは忘れずに、幾つになっても自分の世界は此処までだと決めてはいけないと思うのです。

 


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「岸辺露伴ルーヴルへ行く」を読みました。

2011-07-17 00:10:16 | 漫画・マンガ・まんが
岸辺露伴 ルーヴルへ行く (愛蔵版コミックス)
荒木 飛呂彦
集英社

荒木飛呂彦ファンには前から話題になっていた本。

凄く気になっていたのですが、なにせ家の近所の本屋が潰れてしまってからは、本屋に行くのも大変であまり行かなくなってしまいました。それでもひとりで映画に行ったついでに立ち寄る本屋で、この本が若い青年たちに囲まれているのを見ました。

彼ら曰く。

「俺、この本、気になっているんだ。」
「なるよね~。」
「でも悩むよね、高くてさ。」

そう、お高いのですよ、この本。

でも、オールカラーで非常に美しい本なのです。荒木 飛呂彦ファンには手に取る価値のある本だと思います。

だけど青年たちにその本が囲まれていた為か、なんとなく買いそびれてしまいました。

その本を、今日ラッタ君が買ってきました。

※     ※      ※

ジョジョシリーズでは、何故だか杜王町シリーズが好きです。
岸辺露伴のおばあちゃんの遣っていた旅館は駅から遠い・・・
杜王町って、そんな旅館があるような町だったのかと認識新たです。

 

物語の前半は。荒木氏にしては珍しく(と言っても最近の作品は知らないので、既に珍しくないのかもしれませんが)、男と女がねっとりと描かれているように感じました。××の初恋は摩訶不思議な雰囲気で、映画チックです。

取材して描かれているので、ルーヴルの深さ伝わってきました。

ネタバレしないように書いていますが、一箇所だけ物語と関係のないことなので書かせてくださいね。

 

露伴がルーヴルの前に立ったシーン。

ラッタ君が声を出して笑っていたので、覗くとジョジョ立ちとは又違った不思議な構図で立つ露伴。

何でこんな格好・・・。

背中とわき腹が同時にかゆい時にするポーズと、我が家では盛り上がりました。

でもこのインパクトのあるシーンは、後ろに載っている解説に書いてありました。

ルーブル所蔵のミケランジェロ・ブオナローティ作の彫刻「瀕死の奴隷」のポーズをルーヴルへのオマージュとして取り入れているのですって。

なるほどです。

 

お話の内容に触れないので、こんな程度しか書くこともないのですが面白かったです。レポなどの記事部分も興味深く読み応えがありました。

 


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ももはお出掛け

2011-07-16 16:07:01 | 猫さま日記

今日はももはお出掛けです。お出掛けといっても素敵な所に行っていると言うわけじゃなくて、避妊手術のために入院中。一泊なので明日の午後には帰ってくるのですが、なんだか寂しいです。

ももが4月の中頃我が家に来て、3ヶ月が過ぎました。すっかり慣れたももちゃんです。夜寝るときには違うところにいるのに、朝方になると気がつくと私と夫の間で寝ているももちゃんです。

向こうに見えるのは、申し訳ない、夫の足です。

だけどももは、夫が寝ると、私の布団に自分のおもちゃを運ぶのが習慣です。後から暗い中布団に入ろうとすると、そこにはいつも三つの猫じゃらしが並んでいるんです。

うきゃ。

止めてくださいよ、まったく。

ももちはあっちこっちで寝ていますが、お気に入りの場所は数箇所で決まっています。お気に入りの場所に何かがあっても、無理をしてでも自分の気分に従います。何もそんな狭いところで寝なくてもと思うのですが・・。

 

明日、ももを迎えに行ったら、どんな反応をするのかしら。

まあ早く平常に戻って、おきらく生活に戻りましょうね、もも。

 

    

 

コメント (2)
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「君が踊る、夏」と「ピースボート」

2011-07-14 23:51:29 | テレビ・ラジオ

両方とも藤原竜也君が友情出演で少しだけ出ている映画とドラマです。

「君が踊る、夏」は映画館では未見です。竜也君はそんなに出そうもないけれど、実はちょっと見たかった映画です。何処がかと言うと、よさこい踊りのシーン。何かいろいろあって、最後に踊りとかダンスとか歌のコンテストがクライマックスに来るというお話は、和洋問わず好きなんですね。

予想通り、ラストのよさこい踊りのシーンは良かったです。

予想通りと言えば、竜也くんのシーンの少なさも予想通りでした。でも理解のある大人のカメラマンを演じていて、
「バカだなあ、本当に」なんて言うシーンは、かなり悟った人に見えました。

出番の少なさで言ったら、「ピースボート」も、そう。

初回なんか、お風呂に入っていて、最初ほんのちょっと見逃したと思ったら、もう出番は終わっていたのですよ。噂ではいきなり死体だったとか。その死体すら見ていない・・・・。でも予告編には出て来たから「まあ、いいや」と思っていました。

二回目には主人公の回想シーンで少しだけ。物語の展開上、そんなものよね。

だけど私、早くも妄想しています。このお話のラストの要に竜也君の存在がポイントになると。もちろん主人公の男(まだ名前も覚えていないので)の罪は、兄を殺したですから、大事な存在である事に間違いはないのです。でもそれだけじゃなくて・・・

だけど始まったばかりなので、お口チャックですよね、幾らなんでも。

まだ凄く面白いとは言い切れないけれど、先はどうなるのか気になるので見続けると思います。

 

ところで以前見逃してしまった、「ボクらの時代☆前半」、you tubeにアップされていました。いつか消去されてしまうかもしれませんが、その時はその時です。
ちなみに後編の記事は→ボクらの時代、後編☆竜也 

 

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「南へ」

2011-07-10 17:31:31 | 観劇・コンサート日記

7月8日wowowで観ました。

このお芝居は、2月10日から3月31日まで東京芸術劇場で公演されたものです。この公演日を見れば分かると思いますが、3.11の震災の時に公演されていたものなんですよね。

私の記憶違いでなければ、いち早く公演再開を果たしたお芝居だったと思います。あの震災後の自分の生活を思うと、再開を果たしても、どれだけの人が劇場に足を運べたのだろうかと疑問に思ってしまいます。が、それでも不安定な電車のダイヤを駆使して駆けつけた人たちの熱意と演劇への愛情によって、舞台は成り立っているのだとしみじみと思ってしまうのでした。しかも、なんと言う偶然か、この内容でお芝居を再開したのかと、ちょっと私は驚いてしまいました。

ネタバレしていますので、いつか違う機会に見ようと思っていらっしゃる方はお気をつけください。

※       ※       ※   

「地震」「押し流される村」「起きることが嘘か本当かよりも、起きてしまったらを考える事に意味があるんじゃないの。」・・・・・一体これはどうした事なのでしょうか。まるで3.11に起きる事を予知していたかのような、連想させる言葉のオンパレードではないですか。

放送後に野田秀樹さんのインタビューがありましたが、「震災後、台詞の意味が変わって聞こえてきた。言っている方も違った意味を持ってしまった。」と言っていましたが、それは本当でした。

メッセージ性の強い作品でしたが、それにさらに予想外の意味が加わって、複雑の二乗になってしまいました。

とにかく余震に怯えながらも、演劇を愛してやまなかった人たちが劇場に足を運んでみると、そこでも又地震が頻繁に起こり、ありえそうなデマか真実の叫びか分からない言葉に混迷させられると言う、思考の迷路が待っていたと思います。

その迷路に、最初に予定されていたメッセージには容易にはたどり着けなかっただろうなと、複雑な想いで真夜中にこの作品に向き合っていました。

そのように複雑に込み入ってしまうので、図らずも後から付け加わってしまった意味はちょっと棚の上にあげて、このお話の感想を考えてみたいと思います。

 

野田作品はこれで二本目なので言い切ることは出来ませんが、彼の作品は「舞台である」と言う利点を最大に生かした「謎」を構築し、最初に見せるだけ見せておいて、徐々にじわじわと真実が見え隠れし、最後にアッと言うどんでん返しが待っていると言う構図のような気がします。

ラストの少女の正体、男の正体が分かってくると、そうか、あれはそう言う意味だったのかと辻褄があってくるのでした。

何故、あの虚言癖のある少女は、南のりへいと名乗る火山観測所の新任の男に最初から攻撃的であったのか。
少女は何故、嘘をつき続けなければならなかったのか。
彼女が怯え続ける、自分自身を見張り続けるもうひとりの自分とは誰の事を指していたのか。

南と言う男は、本当は誰なのか。何故、本当の名前を失って「日本人」と言う名前になってしまったのか。

分かって見ると、胸を突き刺す台詞ばかりだったように思います。

「うそつきの狼少年は、不幸を言い続けなければならない。」
「この国は天皇の名前を語った詐欺の歴史で成り立っている。」
「見たこともあったこともない人のために、その人を助ける為に走り続けているんだ。だけど一番怖いのは、登ってくると信じている、その人が最初から登ってくると言うのも嘘で、姿も形もないことなんだ。」←もちろん不正確。

 

時代が交錯し、江戸時代に飛んだり現代に戻ったり、物語も不思議に編みこまれた紐のように進むのであれば、少女が本当は誰であったのかと言う事を書くのは野暮と言うものかもしれません。だけど、今ある場所から逃げ出して自分を捨てるのであれば、嘘はつき続けなければならないのだと思いました。

また、「日本人」と言う名前になってしまった男の正体を語ることも同様かもしれません。
だけど、本当の事を言う事が出来なくて、会った事もない人の為に命をかけて走り続けなくてはならなかった男たちは、いつしか名前を失って「日本人」と名前を変えてしまったのかもしれないと、少しだけ昔の日本にあった出来事を思って感銘を受けました。

 

火山観測所に赴任してくる謎の男に妻夫木聡。彼、良かったです。「感染列島」で冷め掛けていた妻夫木熱に再び火がつきました。
虚言癖のある女に蒼井優。彼女って、前から好きでしたが、さらに好きになりました。お芝居が上手な人はみんな好きです。(例外もありますが・・)
火山観測所の所長に渡辺いっけい。麓の旅館女将に高田聖子。

見応えがありました!

 

※     ※       ※   

wowow終了後の野田さんのインタビューで、再開したけれど、客席には来る事が出来ないお客さんの分の空席が目立ったそうです。そう言う経験も、この劇団ではあまりない経験だと思いますが、その経験が役者の方たちにも大きな力となって蓄積されると信じています。

私が一番強く感じたのは、「今の時代」だからこのお芝居は存在できるのだ、と言う事かもしれません。66年前だったら(お芝居の内容的にも成り立たないけれど)、野田さんの首と胴が離れるなんて危険だってありますよ。
そう思うと、「今の時代」に生きる意味と意義はあるのですよね。

 

 


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