21日の深夜に、日記代わりに書いた私の呟き。
20日はお墓参りに行ったり、姑に「ありがとう、いつも感謝している」と言われたり、面白いドラマを見たり、美味しい夕食を食べたり、楽しいラジオを聴いた り、ブログを書いたりしたのでしたが、何もしなかったと言う気持ちが強いのです。私は何をしたら、「今日は満たされた」と感じるのでしょうね。
間が空いてしまいましたが、この記事からはじめます。
面白いドラマを見ることは。私とっては大切な時間。
ジャンル問わず見るのは、映画も読書も一緒の傾向。
wowowでやっていた「アナ・トラヴィス」、これは凄く面白かったです。取り扱った事件が猟奇的なので、確かに気持ちは悪いのですが、刑事物やサスペンスは敵に謎が多かったり強かったりの方が面白いので、勢い過激度も増してしまうのですよね。
イギリスが舞台のニューヒロインは、今後にも期待できそうです(この先もあるのかなあ)
私的には満足度が高いドラマでした。
美味しい夕食・・・・ううう、既にそれが何だったかは謎です。ほぼ10日前の夕食、あなたは言えますか?
楽しいラジオは、「幸拓、オールナイトニッポンゴールド」。
この日の放送は、たぶん面白かったのかもしれません。・・・・微妙な言い方。
この話は、この先には食い込まないようにします。(でも、もうこの番組、熱心には聴かないと思う。方向性が変わったら聴くかもしれないけれど)
イベントがあったり人に感謝されたり、そして好きなもので満たされて家族と楽しい時間を過ごしたと言うのに、さて眠ろうと思ったらぽっかりと心の中に穴が開いていたのです。
また、私の贅沢病が始まってしまったのだと、私は思いました。
普通は、その日がそれなりなら、それなりに満たされたりもするものですが、そうはならない私の我儘。
私はお風呂に入ってゆっくり考えてみました。
何かがあって、又は何かをやって一日が埋まっていても心は埋まらない。それはなぜか。
それはやった事の内容に問題があるのかと思いました。
だからと言って、好きなテレビやラジオでは満足は出来ないなどと決して言うつもりはありません。それらのものには、多くの人が携わり多くの人の力によって出来上がっているもので、決して軽んじられるものではないからです。そして、ある時には、ひとつのドラマで、心満たされて眠りにつく日も多いかと思います。
私は思いました。
大切なのは「達成感」なのではないかなと。
良い事や楽しい事で一日を埋めても、何かが物足りない。でもそこにわずかでも、やるべきことをやったと言う満足が加われば、充実した一日が出来上がるのではないかしら。
もしも私が専業主婦で、それなりの家事をやりきれば、その段階でかなりの達成感は得られるのではないかと思います。それはそれで素敵な事だと思います。でもそこにプラスでわずかに仕事でもしていれば、そこまで含めてやるべき事は生じます。その仕事の「やるべき事」からも逃げてはいけないし、その部分の達成感を得ると言う事は凄く大きな部分だと思います。
だけど「達成感」は、今本を読もうと決意していたら読書、ブログに力を入れようと思ったらその記事を書く、そんな風に自分の目標のようなものを満足させても得る事が出来ると思います。
家事だって、今日はみんなのシーツを洗うと言う目標を達成した時に、その日が他に何もないつまらない日であっても、意外と満足できる日だったことはないでしょうか。もうひとつの大切は「目標」。
ふーん。
そうか~・・・・
近頃、私は目標が甘い。それゆえ何をしたら、その達成感を感じるのか具体的には見え辛い。
ううむ。
そこは更に考える部分だと思います。
眠りに着く前に、ふと一日を思い、ちょっとむなしい気持ちを抱えてそんな事を考えた、ある日の夜です。
眠りの前に人は何を思い、何を望むのだろう。
一日を終わらせる眠りに、時には人は人生の終わりの時を重ね合わせる事がある。
人生の終わりのとき、人は何を思い何を望むのか。
恵まれた楽しい毎日を送った人生で、満たされた最後を感じる事が出来るのだろうか。
それは今の私にはまったく想像すら出来ない。
ただ、満たされた一日の終わりを願うだけ。