少し前、ツイッターに頻繁に流れてきた「はだしのゲン」についての感想は、松江市のある公立小学校でその本が閉架措置を取られたことを受けてのものでした。過激な表現が多いなどの理由で子供が勝手に手に取ることが出来ない処置なのだそうです。
そのニュースは→「はだしのゲン、なぜ消えた 松江市教委の閲覧制限、われる賛否」などを読むと良くわかります。
そして昨日、その要請に対しての松江市教育委員会の結果がでました。それに対しての記事は→「はだしのゲン 閲覧制限要請を撤回」
実は私も、子供だけが勝手に読むのはどうかと思う漫画はあるんです。
でもそれは子供が勝手に手に取ることが出来ないというのとは若干違うニュアンスだと思います。
例えばですが、我が家の息子たちが小学生の頃、うちでは「少年ジャンプ」と言う雑誌を毎週楽しみに買って読んでいました。でもその雑誌は、必ず私も読むようにしていました。もちろん私自身が子供の頃からのまんが好きということもあって、何も教育的見地のみではないのですが、それでも少年漫画は小学生が読むには「勝手に」という訳にはいかない部分もある場合もあるかと思ったのでした。
だけどそれは、取り上げるというのとは違います。一緒に読んで過激だなと思ったシーンは、敢えて話題に取り上げてフォローしていたように思います。
例えば・・・(ちょっと、厳しい内容です。過激なシーンに弱い方はお気をつけ下さい。)
その当時、人気の高かった「封神演義」という漫画の中では、息子の肉をミンチにしハンバーグにして父親に食わせるシーンが有るのですが、、悪の女王達による
「妲妃となんとのお料理講座~♡」 と明るく描かれていて、思わず眉間にしわがより、口を抑えてしまいました。
でも、他を知らず、私の取り上げたここだけでこの漫画を判断するのは大きな間違いです。
子供たちにも人気の高かったこの漫画は、その後アニメにもなりました。アニメになったら全て許されるわけではありませんが、その恐ろしいシーンはその後の話の展開にかなりの重要な説得力を持ってくるのです。(ちなみに余談ですがその恐ろしいエピソードはシェークスピアの戯曲の中にも描かれていて、それの映画化されたものがアンソニー・ホプキンスの「タイタス」。なにげにネタバレかな・・。)
我が家の子供達はお話の底辺にあるテーマ、元々は「三国志」「水滸伝」などと同様の古典であるという知識、そして残酷という事は何かを漫画というツールから学んだかもしれません。
但し、ここで大切なのは、上に書いたように会話をしてフォローすることだと思うのです。
「はだしのゲン」も結論が出た後も、それでも市の校長の半数が再検討を望んでいるのは、単に取り上げるという意味ではないからだと思うのです。
その関連記事は→「ゲン閲覧制限、地元小中校長の半数が『再検討を』」
その記事の中でも「教員と一緒に見るなど配慮をお願いした」とありました。
どうも「この本は子供には過激だ。」→「だから見せない」というニュアンスでこの報道は伝わってしまったような感じもするのです。
ただ私が思うには、学校という場所柄、 一度閉架処置を取られたら、子供はその本のことを思い出し自由に
「先生、『はだしのゲン』を読みたいから、一緒に読んで。」などと軽く言えるとは到底思えません。
読んだ子供たちの精神的フォローを思うならば、「はだしのゲン」は高学年の学級文庫にしたらいいと思います。
読ませる時期を考えてあげることもできるし、教師の目の届く範囲でその本は手に取られるはずだからです。
実はうちの息子が子供だった時、小学4年生の学級文庫にそれはあったのです。
子供にとって心の器がいっぱいになるような衝撃があったのかもしれません。だからその本を毎日休み時間に読んでいると、私に話したのだと思います。
でも子供の口から出てくる言葉は、
「ゲンって半端無く逞しいんだよ~。」と言う感想でした。
子供の理解能力と受け入れる力をもっと信じても良いのではないかと思うのです。
と、ここまで書いて、ふとあなたの論点はずれていると誰かに言われてしまうかなと思ってしまいました。
なぜなら、市教委が問題にしてる過激なシーンというのは、原爆投下のその時さっきまで話していた少女が塵のように吹き飛ばされるシーンでもなければ、家の下敷きになって火が迫る中、夫と子供の一人を残して妊娠中の母親が立ち去らねばならぬシーンでもなく、ましてその後の悲惨な街の様子を言っているわけではないのですね。
問題は「旧日本軍による斬首シーンと女性への性的暴行の描写だ。「子どもたちが心に傷を負ったり、興味本位にとらえたりするリスクがある」と強調する。」と、ここらしいです。
戦争というのは、狂気の剣を振り回し行う蛮行にすぎないと思うのです。
だから原爆を落とした人たちは、今でもあの爆弾は必要だったなどという人もいるし、たった1発の爆弾が街を地獄と化してしまうことを、世界中の人が知っているのかというと、実は覆い隠されて知らない人もたくさんいるのだと思います。
だけれど、日本人であるならばその事実を知り子供たちに伝えていかなければならないと思うのです。「はだしのゲン」はそういった意味で子供たちには一度は読んでもらいたい本であると思っています。
旧日本軍の蛮行シーンを読んで、すべての日本軍がそうだったなどと思う子どなんかいるわけがない・・・・・いや、いるかもしれないけれど、その場合問題は違うところにあると思います。本を読む理解能力とか・・・。
そして、そのシーンを読んで、そんなことは微塵もなかったはずだと思う大人だって一人だっていないんじゃないですか。
いつも死にさらされている現場で、すべての人が紳士でいられたか否かー。
あっ、首切りシーン・・ですか。
過激→首切り>原爆直後の広島・・・なわけないじゃないないですか。
女性への暴行シーンについては、どの程度のものなのか記憶に無いのでなんとも言えませんが、それこそ教師と一緒に見ていて、深く質問されたらなんて答えるのか不思議に思う所です。子供というのは、映画好きだった私もそうでしたが、良くわからない事は記憶の中にインプットしておいて、時期が来て知識を得た時にそれらのものを消化していくという能力を持っているように思います。「暴力」と単に捉えるのではないかと、あくまでも推理ですがそのように思います。
この問題の底辺には天皇に対しての不敬の発言による、政治的見解からの排除というものがあるような気もしました。
もしそれでというのなら、何をか言わんやというところです。
既に結論が出たこの話題ですが、その火はくすぶっていて、またいつか再燃するように感じました。
時代はどんどん過ぎていき記憶は記録として映像と文字の中に残るのみという日もやがてくると思います。だからこそ距離を置かせて管理するのではなく子供たちの身近において、フォローすべしと、私は思うのです。
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はだしのゲン 1 |
中沢啓治 | |
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