森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

散歩道で

2009-09-30 22:12:47 | 詩、小説
 <ごめんね>

 私はあなたに謝りたい
 あの時傷つけてしまったあなたに
 あの時心を返せなかったあなたに
 
 だけど遠い昔に通り過ぎ去っていった人は
 過ぎる季節と同じで、
 二度と巡り会う事はない

 遠い昔に想いを飛ばして
 ゴメンね
 私を許して
 そんな独り言で許しを請うだけ 

 

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天地人39回「三成の遺言」

2009-09-30 01:29:26 | ドラマ (大河)
 上杉主役なれど、上杉を描かず。
その撤退劇も家老自らしんがりを勤めたと言うせっかくの見せ場を作りながら、ヨロヨロになった家臣と血まみれカネタンを出して
「皆さま、大変だったんですよー。どうぞご想像くださいませ。」と言う所。

「しんがり」なんて、思いつきで書いたんだな、この人。と、そっちの方を想像してしてしまいましたよ。

だけどお話がつまらなかったかと言うと、さにあらず。

三成の最後。
その最後の日々をゆかり人の口から語らせ、丁寧に描いた新しい切り口で小栗三成との別れにしみじみといたしました。

兼続も撤退後のあのシーンは良かったです。
「あの」と言うのは、頭からの血の滴るシーンです。
涙のように滴り落ちるので、思わず失血死するぞとショウもないことを思ってしまいましたが、あの血は兼続の心から滴り落ちる滂沱の涙に感じました。

泣け、兼続!
今だけは許す。
今泣かずして、いつ泣くと言うのだ。

別に私の許しなどなくても、大げさに言えば39回ずっと泣き続けている兼続ですが、・・・
―ああ、だから普通の涙では伝わらないと思って、血の涙を滴らせたと言う所なのかな(普段泣かせすぎなんだよね)―
遠くから聞こえてきた三成の敗走、上杉の撤退。彼の夢見ていた正義の旗が無残にも引き裂かれたように感じた瞬間だったと思います。

家康の陣で詮議を受ける三成は、強い者、勝つ者が常に正しいと限らぬ、と言い放ちます。
だけど、このドラマの中の家康は本当に憎たらしい。こんな描き方でいいのか時々不愉快に感じます。考えた事もなかったのですが、私って意外と家康の事、嫌いではないのかも。
家康って、あまり良く描かれない事が多い?
良き者、悪き者がはっきりしているように見えるこのドラマですが、勧善懲悪にはならないのは、歴史が証明済みです。

何が正しかったのか・・・
誰が正義だったのか・・・

本当のそれは分かりません。
ただ彼らは我こそが正しき道を歩んだと、真っ直ぐな気持ちで信じていました。

処刑の時、初音に
「兼続に伝えよ!!」と凛とした声で叫ぶシーンは、余韻が残りました。

その先の言葉がなかったがゆえに、
―我の最後を伝えよ―なのか
―我の想いを伝えよ―なのか
それとも最後を伝える事によって、想いが伝わると言うのだろうか・・・
そしてそれはパズルを解くように人々が彼について語り、やがてその伝えよと言う部分が見えてくるのでした。

お船が語る三成の思い出は、いつか兼続と共に踊りを踊ってみたいと言うようなもので、出会いやその友情を育んだ場面が走馬灯のように兼続の脳裏に過ぎていきました。
訪れた福島が語る三成との最後の時。
豊臣の減俸と言う処分に、気持ちがぐらついていた福島でしたが、豊臣の事を思って戦ったのだから、我らは同じ同志であったと三成は語ります。下戸であるにも拘らず、最後に彼の盃から酒を飲む三成。
惜しいかな、彼にそういう柔軟さが普段からあれば、単純な(このドラマの中では)福島にも思いは伝える事が出来たのにと、私はまたも意味のないことを思ってしまいました。少なくともその時三成の豊臣への想いは、福島にはしっかりと伝わったのでした。

悔いる福島は兼続に秀秋にも会えと伝えるのでした。

そしてあんなヤツなのに、いつでもキーパーソン秀秋も、最後に牢に会いに言った事を語ります。
「ここを開けよ。」と迫る三成。最後の最後まで諦めない三成。でもそんな事が秀秋にする事など出来ないのも分かっているのです。
そしてここで三成は兼続に伝言を頼むのでした。
「生きて我らの正義を後世に伝えよ」


最後の最後まで、三成は生きて戦っていたのだと思いました。もちろん死の瞬間まで生きているのは当たり前の事ですが、蟄居していた三成は「死に体」に等しく、それを蘇らせたのは兼続の訪問だったように思います。
そして二人の間に交わされた密約。
その言葉には自分は死んでも、兼続は必ずや生き抜いて欲しいと言う願いを感じました。
景勝が家康を追わなかった時に、思わず兼続が三成の武運を祈るシーンにも呼応しているようにも感じました。

折りしも9月。ぜんぜんカンケーないのですが「雨月物語」の「菊花の契り」なんかを思い出してしまいました。テレビなので映像バリバリですが、本当は既に姿のない三成です。幽霊ではなく言霊と言う姿に変えて兼続に会いに来て、そして生き抜く力を与えていった・・・なんてね。


小栗三成―やっぱり「ムサシ」の舞台での成果もあったのではと思いました。
すみません。言いなおします。
「ムサシ」の舞台の成果だと感じました。あの発声があったればこそ、あの余韻残るシーンが出来たのだと、私は思いました。

小栗君、本当に良かったです。お疲れ様でした。
コメント (8)
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「ネジと紙幣」

2009-09-29 01:37:45 | 観劇・コンサート日記

 

 ゲキ×シネ「五右衛門ロック」で、森山未來君も良いなぁと思い、9月は「ネジと紙幣」をチョイスしました。これは近松門左衛門の「女殺油地獄」を基にしたものです。先日、ケーブルテレビでその映画をやっていることを知っていましたが、筋を知りたくなかったので、見ないようにしていました。もしかしたら、それは見ていた方が面白かったかもしれません。

 森山君は、ストレートプレイ初挑戦だそうです。

 お相手はともさかりえさん。この人を見ていると、私はいつも私の妹を思い出してしまいます。ついでながら、ドラゴンボールのブルマも同様です。と言うことは、日本で「ドラゴンボール・実写版」を作ったとしたら、子持ちになったブルマは彼女がいいと思います。まあどうでも良い、くだらない話を脱線ついでに書いてしまいました。

ところで下の画像は、そこで買ったネジキューピーのボールペンです。可愛いでしょ。

    キューピーさんのスタンプになっているんですよ。

だけどお話はこんな可愛いグッズとは無関係の、シビアな暗い物語でした。

 小道具で行人と桃子の二つの工場場面を見せるセットは、上手いと思いました。時計の壊れ具合なんか最高です。

生活感溢れるセットの中で繰り広げられたのは、芝居ならではの引っ掛けやだましのないストレートな物語。

が、終わってみるとなんだかよく分かりません。

―なぜ男は女は殺されなければならなかったのか。―
こんな感じのコピーだったように思いますが、思わず心の中で呟いてしまいました。

「なんで!?」って。

兼坂行人と言うダメ男に、何一つ共鳴できるものがないのが、この物語の理解を阻むのかも知れません。

それで頭の中で、かなりリプレイしてしまいました。

行人が言う「いつが初めかわからない。そこが初めなのかと思うと、その前がまだある。」。もちろんセリフはいつも不正確。

こんな風な自分になってしまったのは、あの時があったから。でもそう思うと、その前にも自分はこうで、その理由はその前にある・・・

「だから、もう終わりの事を考えるようにしたんだ。」

この「終わり」。

それこそが行人が幼馴染でいつも姉のように優しく手をさしのべてくれていた桃子を、殺してしまう理由だったのかも知れません。

「ちょっと先の事だけを考えたらいいんだよ。」と桃子は言います。

「終わり」と「ちょっと先の未来」は行人にとっては同じ事だったのかも知れません。

破滅型と言うと誰もが思い浮かぶのは、やっぱり太宰治かなと思うのですが、太宰=心中と考えると、なんとなくさっぱり分からなかった、物語のラストの輪郭が見えてくる様な気がしたのです。

 

「ちょっと先の事」は、行人にとっては怪我をさせてしまった地上げ屋に、落とし前のお金を渡して終わりにする事。その先の思考はない。駄々っ子のように両親が桃子に渡したお金をナイフ振り回して奪おうとする行人に、桃子は
「あんたはもうだめだ。」と失望の叫びをあげてしまいます。

 その言葉はキィーワード。
もしかしたら、待っていた言葉だったかもしれません。

桃子に突き刺す二度三度の刃。
あまりにも非情で残酷です。

そして血で染まった手を、無表情で延々と洗い続ける行人の姿でラストを迎えます。

男は刃で女を殺し、そして自分の魂を殺したのだろうか、と、私は思いました。

 

破滅型人間を森山未來君は好演していたと思います。

  その彼の次回作。来年三月。

 

演出;倉持裕 他の出演者 田口浩正 根岸理季衣 満島ひかり
田口さんの、家族で揉めるシーンは、良かったですよ~。


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2009-09-27 23:32:21

2009-09-27 23:32:21 | 梢は歌う(日記)

横浜の実家に来ています。
久しぶりに携帯から投稿しています。
今日は「ネジと紙幣」を観てきました。「天地人」も見ました。

また、今週もよろしくお願いいたします!


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「A-Studio」☆竜也

2009-09-26 13:40:42 | テレビ・ラジオ

 なんて言いますか、竜也君のお陰で、いろいろな見たこともない番組を知りました。以前にも書きましたが、トーク番組はほとんど見ないので、知らないのです。
「情報ライブミヤネ屋」も知りませんでした。こちらは出演情報を知らなくて見逃してしまいました。昼間なので堂々と見ることが出来たのに残念。でもそのHPに行くと良い事がありました。→こちらです。

「A-Studio」も初めて見ました。

この番組、面白いんですねえ。 鶴瓶さんの司会はGoodです!!

昨日の竜也君は、本当に可愛かったです。それと言うのも鶴瓶さんの大人目線の優しさも良かったからだと思うのです。

「豊君」、有名人になってしまったのでは?

メチャクチャ、竜也君ってヤン茶坊主なんですね。その悪戯振り、笑ってしまいました。

古くからの友人達が映し出されるたびに、驚いたり焦ったりしていましたが、凄く嬉しそうでした。

この番組はロンドンから香港マカオ経由で帰った翌日に収録したものらしいです。
番組の最後に、彼が懐かしい映像に故郷に帰ったみたいだと言っていました。

この番組を踏まえてみると、先日の故郷で行われた試写会も予想以上に、彼にとっては感慨深いものではなかったかと思われました。
なんか、しみじみ~。

しみじみと言えば、この番組の最後に鶴瓶さんがゲストをどうぞよろしくと言うのは、恒例の事なんですか?

「考えてみてください。15歳の時に・・・・」とはじまり
「そんな藤原竜也をみなさん、どうぞよろしく・・・」で〆ました。
なんかしみじみとしてしまいました。

この道を彼は頑張ってきたんだんだなぁ・・・

良い番組です。来週はいろいろなゲストの方の総集編だそうです。出来ればまた見たいと思いました。

 

ところで、昨日はこの記事のタイトルだけ入れて、他のドラマを見てその感想を書いて寝てしまったのですが、朝、アクセス解析を見て驚きました。23時台に訪問者様が吃驚するほどの数をカウントしていたのです。
竜也君関係とは思いましたが、書いていない記事の確認の為にはこんなにはいらっしゃらないだろうと思いました。それは「身毒丸 復活」の記事にいらしてくださったのです。

その記事がお役に立てたかは分かりませんが、自分でも読み直してみました。
「身毒丸は18歳~♪・・・」のところで、思わず私は涙がこぼれました。ちょっと感動が蘇ってしまったのです。

良いものは時を隔てても、心の中に残っていくのですね。
「彼が15歳の時に・・・・」
鶴瓶さんの声が頭の中に蘇りました。

やっぱり応援したい「この道」ですね。

 

 

 


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「怨み屋本舗REBOOT」最終回

2009-09-26 02:45:19 | テレビ・ラジオ
「あなたの心に時効はあるの?」

怨み屋の問いかけに、ふと、「それはどうかしら」と、心の中で応えてしまいました。

―犯罪に時効なんかいらない。
私はそう思っている。でも怨みに時効はないのだろうか。
ああ、程度によるな。―

何を真面目になっているのでしょう。
ドラマの話なのに。

でも、あんな風に、あの雰囲気であの声で、あの顔で
「あなたの心に・・」と問われたら、誰もが自分の心に
「どうなの、私。」と問わずにはいられないのだろうと思いました。

それが怨み屋の罠とは知らずに。


「怨み屋本舗」最終回、面白かったですね。

ずっと毎回楽しみに見ていました。でも時には、怨みを買う元の出来事が酷すぎて、暗い気持ちになったり、またその復讐が怖すぎて目を瞑ってしまった事もあったりしました。
でも、「怨み屋」は「スカッと爽快、ざまあみろ」の世界ではないのですよね。

人を呪わば、穴二つ。

そのドラマを楽しむ事は、アハハ的な脳天気な笑いを得ることではないと言う事なのかもしれません。
(すみません、あらすじは書いていません。)

星影静香は、怨み屋に関わると破滅すると言う、寄木刑事の言ったとおりになってしまいました。でも、彼女の運命は一回目から決まっていたというか、こうなる事はみんな(視聴者は)知っていた逃れられない運命だったと思います。
ある意味、お約束ですから。
ちなみに、名前が宝塚っぽい・・・・関係ないですが。

彼女の怨みがどんな風に描かれるのかと思ったら、なんと依頼人とかではなく、怨み屋のコマの一つにされてしまいました。恐るべし。


怖いといったら、あの時のテレビ前の視聴者の反応でしたね。
何か起きろと期待していたり、起きたら起きたでただ驚くばかりのものもいれば、喜んでいる者もいて。そして番組が終われば何事もないように去って行く・・・

だからその後の怨み屋メンバーの呟きが面白かったです。
「テレビは怖い」「視聴者が怖い」
「でも一番怖いのは怨み屋さんだと、僕思います。」という十二月田猛臣の言葉に笑えました。

ところでもうひとつの依頼。そっちも面白かったです。でもこの展開は読めちゃいました。傲慢な城島が放置のまま番組が終わるわけないですものね。彼はたぶん自分が何処で怨みを買ったのか、自覚ないまま世間から葬り去られるのでしょうね。



誰の心の中にも暗い闇がある。その闇を感じて怨み屋がやってくる・・・・




細かいことを言うと、あまりにもご都合主義的な展開だなとか、静香のあの穏やかな微笑みは如何なものかとか、遠景でのシーンで横断歩道上で座り込む城島に話しかけている少女は何を言っているのだろうとか、気になった部分はいろいろあったのですが、もう眠くなってしまったのでこの辺で。

また、やって欲しいですね。



朝になって、頭の中がすっきりしましたのでちょっとだけ追記です。と言っても、ドラマの感想としてはどうでも良い私的視点の感想なので、イラっとする方もいるかもですが、その場合は「ふぅやれやれ」と言ってスルーしてくださいね。

上記に書いた、城島に話しかける少女は、本編にはまったくもって関係ありません。喫茶店で怨み屋がもうひとりの依頼人から報酬を受け取っている時、窓からは落ちぶれ果てた城島が見えるのです。
横断歩道の真ん中に座り込んでいる彼に、通りすがりの少女が何か言っています。

思わずアフレコを入れてしまいました。
「どうしたの。こんな所にいたら危ないよ。」

・・・が、話の流れ的にそんなわけないじゃん。

きっと少女は、思い切り嫌な顔を作って
「きもーい~」とか言ったのかも知れません。

見えないけれど迫真の演技をしていたかも知れないのですね。

その少女は結構長く城島に絡んでいました。その後、城島は横断歩道から立ち上がり脇の歩道に移動しました。
それは信号がただ変わっただけだからなのもわかっていますし、ドラマなのでそんなわけはないのは分かっているのですが、「大丈夫?」と、ついアフレコを入れてしまっても、それもありなんじゃないかと思ったのですよ。

なぜなら、人の心には闇があり、だけど光もあり。


上記の話はちょっと飛躍していますが、このドラマは結構光の部分も点滅していました。だから飽きずに見続けているのかもしれません。お正月などに、またスペシャルでやって欲しいですね。

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今日を一日頑張るぞ。

2009-09-25 08:44:35 | 梢は歌う(日記)

 そろそろドラマの話なんかのおしゃべりをしたい所。
でも今日は我慢我慢。
ゴミステ、洗濯、お掃除に歯医者、銀行に行って、午後は夜までお仕事頑張ります。
丁寧にスケージュールまで書き込んじゃって・・・笑

でも自分の頭に言い聞かせないと。

今日は頑張るぞってね。

 

 私のヤル気を後押しするもの。

  

空の青と

  

木々の緑です。
& ちょっとユーモラスな雲の姿も。

今日頑張れば、また明日はお休みという方も多いのでは?

 

ちょっと、追記です。
アップして気が付いたのですが、一番上の画像の雲に顔がありますね。胸もあってサッカーしているみたい。
すみません、妄想モードで。
空は大きなキャンバスみたいなものですね。


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彼岸の岸辺には・・・

2009-09-24 17:47:28 | 思いつくまま

昔この花が、嫌いだった。
ああ、それ、前にも言った事があったっけ?

だって「曼珠沙華」って、なにやらありがたい名前を持っているのに、「彼岸花」って怖い名前も持っているじゃない。血を連想させる色も、女性の結い上げた髪みたいな形もなんか怖いし。

でもある時気が付いた。この花、結構好きだわって。
どうしてなんだろう。

それはこの花の事を調べて、いろいろ知ったからじゃないかと思うのね。

その記事は「秋の気配ー曼珠沙華」→ココです。
知ったり分かったりする事は、恐怖からの開放なのかも。

 

    

 昨日はお彼岸でしたね。何かおやつを買おうと思って、やっぱりおはぎを買いました。それを食べながら、ラッタ君が
「おはぎとぼたもちの違いはなんだっけ?」と聞くので、
「春の牡丹が咲く頃は『ボタモチ』、秋の萩が咲く頃は『オハギ』だって。」と、世間で言われている事を言いました。すると、
「じゃあ、コレ、間違えているな。」と、彼は入っていたパッケージを指差して言いました。それを見て、疑問に思って確認したみたいです。
そのパッケージには大きく「ボタモチ」と書いてありました。

 

でも、私は子供の頃は勝手に、つぶあんで大きさも、「大きい」という言葉より「でかい」という言葉が似合うような、ボタッとした田舎っぽいそれは「ボタモチ」で、こしあんで、小ぶりでスキッとした感じの都会っぽいそれを「オハギ」というのかと解釈していました。そのパッケージに入れた人は似たような解釈をしていたのでしょうか。

「ボタモチ」でも「オハギ」でも、実は同じ。
「曼珠沙華」と「彼岸花」が同じなように。
日本語のそういう所に、さりげない遊び心を感じてしまいます。

 

    

 同じ場所なのに、天気や時間によっても雰囲気がちょっと違う?

    

 公園に咲く花も、竹林にひっそり咲く花も、

  

畑に沿って咲く花も、

   

皆同じ、花。

 

 彼岸の岸辺にたどり着けば、この花が咲いている。
可愛い冠り(かむり)が、オイデオイデと出迎える。
同じ花が同じように揺れている。
だけれどある人には、リぃーんと寂しい花の群れ。彷徨う岸辺に咲く花。同じ花と言いながら、見る人によっては違うように映るのかも知れない。

彼岸の岸辺はその向こう、そしてこちら側にもある。

日本には100歳を超えた人が4万人を超えている。
先日テレビで、それらの元気な人の姿をニュースで見た。音楽を教えている人、現役の書道の先生、アスリートまで。
凄いなあ。
そうでなくても80歳過ぎてもキラキラと生きる人も多い。私の義母もそう。
私の父もそう。私の母もそう。(70代だけれど)
あなた達の元気が私の幸せ。
短く簡潔に書くと、偽善っぽく聞こえるかしら。だけど、本音。

なぜなら、私はまだ知らないですんでいる、看護の大変さを。

こうなったらみんな100歳越えをして欲しい。ただし元気で。それが難しいんだよね。

 

前に姉が言ったんだ。
「ろうろう介護に、ニンニン介護」

「ろうろうは『朗々』でないことは分かるよ。『老老介護』。老人が老人を介護する事よね。でも、その『ニンニン』って言う楽しそうな介護は何?」と私。

「軽度の認知症の人が重度の認知症の連れ合いの面倒を見ることよ。」と教えてくれた。

 

ああ、日本ってさ・・・
文明国、先進国、豊かな国って、本当かよ~・・・・

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鴨の点呼

2009-09-23 01:18:59 | お散歩&写真日記

 昨日の黄昏時

 

いつもの散歩道。

 

鴨のお母さんは、「クェクェクェ」と点呼に忙しそう。一羽、また一羽と水から上がり、それをお母さんがチェックしているみたい。

 

 

 『ハイハイ、早く並んでね。』

 

『じゃあ、O.K ね。』

 

 

 

 『それじゃあ、帰るよ~』

 

 

 日が暮れたなら、おうちに帰ろう。そんな当たり前の事が一番の幸せ。近頃、そんな風に思うことがありました。鴨たちを見ていたら、その事を思いだしました。
なにげに、ここの鴨たちが好きな私で、この公園に来るたびに彼らを探してしまいます。

 

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シルバーウィーク、何していますか?

2009-09-22 14:57:14 | 梢は歌う(日記)

後二日・・
あ~ぁ・・・・

なんとなくぼんやり過ごしたいなと思っていましたので、予定通りの生活をしています。それでも貧乏性なのでささやかなやった事や気になった事などを思い出しています。

ショックだったのは、「クレヨンしんちゃん」の作者臼井さんの事です。長い連載でしたので、多くの方にそれぞれの思い出があるのではないですか。私もです。でも衝撃が大きくて、今は何も語れません・・・・・
この「・・・」の後を書いては消し、書いてはまた消してしまいました。繋ぐ言葉も上手く見つかりません。

それで思い切り違うお話です。
涼しくなったので、夏の間は出来なかった「自分のエリア探索」ということを始めました。これは「遣りたい事リスト」にも書いてあるのですが、自分の街の中を迷ったり彷徨ったりしようという遊びです。

で、コスモスの写真がやたら並んでいるというわけです。
シルバーウィークの一日目にしたことは、それでした。

二日目は、禁断の魔窟と化したルート君の部屋の寝具を干したり、カーテンを洗ったりを一日中していました。

三日目はお墓参り。
義母が、「おはぎなんか食べたくないから、チラシ寿司を作ったの。」とたくさんくれました。写真を撮っておきたいくらい超豪華でしたが、写真を撮る前に無くなってしまいました。ちなみに私は、おはぎも食べたかったです。

四日目の今日は、だんなと義母でユニクロに買出しに行きました。もうここでだんなの誕生日と敬老の日のプレゼントを済ます事が出来ました。メデタシメデタシ。
義母は最近、Tシャツとかが着易いからとユニクロのファンなのです。今度、ユニクロは靴も出すでしょう。テレビで見たスニーカーなんかは可愛くてちょっと気になったのですが、安いといいなぁ。

こうやって書くと、なにげに何かしているみたいですが、ほとんどがだらっとしていました。

そのだっらとしている時には、結構テレビを見ていました。なんだかおじさん族の休日の過ごし方みたいですよね。

そのテレビのお話。順不同です。

こうせつさんの「サマーピクニック」を「天地人」を見る前にちょっとだけ見ました。ちょうど「酔いどれかぐや姫」のところで、二万人の人が「ヒャ~ら~ら」と言っていましたが、思わず笑ってしまいました(ごめん)。でもこうせつさんも笑っちゃって、
「そこまでやるか。」って言っていましたが、ちょっと、羨ましかったわ。凄く楽しそうでしたね、皆さん。

テレビで「カンフーハッスル」見ました。結構転寝していて、ところどころを起きて見たのですが、見たシーンが全部面白くて、眠くない時間にちゃんと見たかったかな。

その時間帯は眠いけれど夜中は平気です。真夜中に「その日のまえに」と言う映画も見ました。泣けたけれどね、ラスト15分はゲンナリ。映画は説明しすぎても辛いものがあるなと思いました。

イキガミ」も見ました。
これは予告編で見たときに感じた星新一の小説とかぶると言うより、戦時下の赤紙配達人の事を連想させるものがありました。
「国の為」と言う、わけの分からない理不尽な規則・・・
逆らう事のできない人々・・・
原作が途中なので映画の核心の部分が半端で終わってしまう所が残念です。

昨日は二宮君のドラマの再放送「DOOR TO DOOR」を昼間に見ましたが、これは感動しました。夜は「おくりびと」を半分見て(これはちょっと前にwowowでこの前見たばかり)、その後「ウォンテッド」を見ました。微妙な映画でしたね。映画館で見なくて良かったな。<アッ、「おくりびと」は良かったですよ。超感動。>
「一人殺すことによって千の命を救える。」と変なことを信じている暗殺集団・・・・
こんな映画がまかり通るのかと欠伸しながら見ていたら、最後はちょっと納得できる展開に・・
でも★★というところかな?

 映画館ではしごして二日で4本見たと書いたら「凄いよな」という感じになりそうなのに、テレビで見たというと、ろくでもない生活をしているイメージになるのはなぜなんでしょうね。

今日は「ICHI」も見ました。「HACHI」ではありません。今度は本当に「ICHI 」です。
でもあまり感想もありません。ただこの映画、結構豪華メンバーで作ったんですね・・・・。

そういえば昨日はささやかな素敵な事がありました。
昔、家に来ていた子にばったりと会いました。母と子に会えて、近況を聞くことができました。懐かしいなと思っていましたら、そこにやっぱりもう高校三年生の子から電話が入り、近況を教えてくれました。
ありがとう。私を思いだしてくれて・・・

もう一つ面白い事が。
ブログペットのキィちゃんがボーさんのところの、ノーマ・ジーンちゃんのところに遊びに行って留守だった事があったのですよ。他の方のブログでそういうシーンを見かけて羨ましいと思っていたのですよ。
記録したいと思ったのに、どうしたら良いのかわからないでオロオロしていたら帰ってきちゃいました。

焦って携帯で写したので、それのピンボケ写真です。

  ああ、情けない。でもこの時の二匹の会話・・・
「悪魔好きでしょ?」
「お返事に困るね。」

なんちゅー会話をしているのだ。

 

こんな感じで今度の連休は終わりです。

さて、今日の夜から溜まっていたお仕事を頑張るつもりです。夕食は義母の家。そこから帰ってきたら、私の連休は終わりです。

皆様は如何お過ごしですか?

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