森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

秋をあなたに<その4>

2008-11-29 00:30:59 | 思いつくまま

 「秋をあなたに<その3>」は、一人でスクッと立って生きていきたいと言うような言葉でまとめた様に思います。

もう少しだけ、私のエリア公園の、秋の散歩にお付き合いくださいね。

 

 枯葉を踏むって、好きじゃないですか?

カサリと音がして、なんともいえない楽しさみたいなものを感じませんか。私はそんな時、意味もないような「言葉」が浮かんできたりするのですよ。

カサリ

―結局人はいつだって一人なんだ。
 生まれてきた時も、死んでいくときも、いつだって一人・・・

風が吹いてきて枯葉がカサカサカサと転がれば、

―だけどお母さん、ぼくはそれでも・・・

と、言葉を紡ぎながら歩いて行きます。

 

でも、「そうじゃないだろう。」

そんな枯葉の音は、そう私に語りかけるのです。

 

生まれてくる苦しみは、既に生んでくれている者と共有しています。

苦しみに対して、生む者には言葉と呻きと言う意思伝達の方法を持っていますが、生まれてくる者には、叫びと言う方法しかないのです。だから苦しいかどうかは分からないことですが、あんな狭い通路を通ってくるのですから、その頑張りは母だけのものでないことは、想像できるような気がします。

多くの場合はもっと多くの人の手を煩わせて、生まれてくるのですが、不幸にして、その母親がたった一人で子供を産み落としても、既にその時からひとりではないのですよね。

 

死ぬ時だって同じです。これもまた、病院などの世話にもならず、見取られもせず孤独に死ぬことがあったとしても、人間の体は死と同時に風にはなりません。誰かの手を煩わせて、この世を去っていくのです。

 

生きていく途中の道でも同じ。

公園の風景に綺麗だなと感動したとしても、そこには計算された人の感性が存在しているし、朝の一杯の珈琲を飲むにしても、みんな自分以外の人の手によってもたらされた贈り物なんですね。

なんだか分かりきった詰まらないことを言っているなあと、思いましたか?

でもね、秋の日の小春日和の散歩時、あなたは何を思いながら歩きますか。美しい風景や枯葉を踏む音が、あなたに何かを語りかけてきませんか。そっと耳を澄まして会話をする、一人の時間にはそんな楽しさがありますね。

 

ちょっと蛇足ですが、
寂しいとか、孤独だと感じる心って大切なんですよ。そのマイナーな心がエネルギーになって、あなたのプラスを生み出していくんです。

でも出口が見つからなくて、たまらない閉塞感を感じてしまうと、目の前の事しか見えなくなってしまうじゃない。でも、それは今は見えないだけで、その先に広がる世界があるんですよ。

マイナーな心を決して凶器にはしないでくださいね。人を傷付けるのはもちろんですが 、自分自身にもその刃を使わないでくださいね。

って、誰に向って言っているのだろう、私・・・・
たぶん、周りにいる子供たち・・かな。

 

 

   


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相棒「希望の終盤」

2008-11-27 06:15:39 | ドラマ(相棒)
最後の右京さんの一言が、心に残りました。
「自分の人生を読みすぎて、読み間違えてしまった。」・・・セリフは不正確

でもなんで、死ななくてはいけなかったかと思いました。
見えない影に怯えて死んだかのような西片ですが、その影は自分自身の弱い心の影だったのでしょうか。

将棋の世界にまったく詳しくはないので、にふの反則とかは何のことだか分かりません。(もしかしたら同じ列に歩が二つあってはいけないとか?)そんな所が残念でした。が、プロになるには年齢制限があることや、真剣師というものがいることは知っていました。

たぶんアレのお陰です。深くもぐーるって言うやつ。ダイバーなんとか・・

あまり真剣に見ていなかったのでタイトルもウル覚えですが(と、いうより覚えてない)、
「ご主人様!」と呟いてみたくなってしまったのは、真剣師・大野木の陰のある雰囲気が素敵に思えたからかしら。シリアスに物語りは進んでいきましたが、真剣師で食べていけるのかとか気が散ってしまいました。それに、この目の前のお金に手をつけなければ違法の現行犯ではないと薫に釘を刺されても、無視するアクの強さを持っていて、結構ダークなイメージです。

だから彼は犯人ではないなと思うのは、根拠がないけれど推理劇の常套かな。

逆に登場してきただけで、
「彼が犯人。」と、まったく根拠もないのに、キャストで犯人当てをしてしまうのも、映像推理の弱点だと思うのです。

それゆえに裏切られると、非常に嬉しかったりもするのですね。または、今回のように「犯人」というものに意外性が必要なく、推理の部分に重点のあるドラマ展開は、その裏切りに匹敵するような嬉しさがあったりします。

壁と掛け軸の水の染み、移動してあった碁盤、最初にふと耳に入った言葉、指紋のない10円玉と、面白かったですね。


ただ、将棋の世界は武士のそれと通じる・・
その世界観が理解できなければ、西片の死の動機には分からないものがありますね。
薫が言った、「やっぱり分からない。」には共鳴してしまいます。

みんなが真面目、みんながピュア。
「胸がいっぱいで何も言えなかった。」ダークなイメージとは裏腹な大野木。

―君は僕の希望だ。頑張って欲しい。―と、たった一言言えてれば、または
―君、わざと負けたのか。―と6年前に西片が問うことが出来たなら、
―道は違っても、応援している。―と、畑の気持ちが伝わっていたならば
と、残念に思いました。軽口を叩くという言葉がありますが、もう少し軽いノリの人たちだったら、西片は無駄に苦しまなかったかもしれませんね。
でも、その苦しみが実は西片を強くしていたのに・・・



今日のツボは、なんと言っても鼻の効く薫ちゃんですね。
イタミンの「警察犬に推薦してやるよ。」
―警察犬・薫 
活躍していました。

部屋に入って行った時の二人と米沢さんとの「ども~」と言う軽い挨拶も、良かったですね。WELCOMEモードがたまりません。初回の大河内さんに釘を刺されていたことなんか吹っ飛んでしまっています。もちろんそうでなくちゃ。でも、彼、来週出てきますよね~、たしか。

来週もシリアスの予感。



祝・紅白水谷さん。
紅白って毎年ちゃんと見たことがないのですが、今年は見ようかな。


2009,4,2  追記
今日も再放送で見ました。
右京さんの解説者振りが面白かったです♪
事細かく解説して、
「封筒と便箋、手紙を書くときに使います。」には笑えましたね。

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秋をあなたに<その3>

2008-11-25 01:04:51 | お出掛け日記

 前回の「秋をあなたに<その2>」では、少し小雨が降っている都会の秋の風景の画像を載せました。テーマは「田舎のネズミ、都会のネズミ」だったかな? 

 すっかり「田舎のネズミ」になりつつある私の、田舎のネズミエリアの秋の風景です。私のブログにたびたび登場してくる近所の公園です。

近頃、ずっと画像は携帯写真からですが(まだ、新しいカメラは我慢しています。 )空の青さが、いろいろカバーしてくれていると思います。

 

    

 

  この公園には、近所の散歩なので一人で歩いていましたが、前の日比谷公園にも、実は一人で行きました。その後友人と有楽町で待ち合わせをして、帝国劇場に行ったのです。同じ街の住人なのに、東京で待ち合わせ。それは、その前の時間を違うように使いたかったからです。私は帝劇に行くばかりではなく、その前の時間で「東京」をわずかでも楽しみたいと思いました。でも、彼女はまだ子犬で甘えん坊のワンコの傍にギリギリまでいたいと思ったのです。

どちらも譲り合う必要はないでしょう。

だから
「有楽町~で、会いましょう~♪」・・・・古い?

 

でもね、一人の時間って大切ですよ。

一人で歩く、一人で見る、一人で感動する・・・・    

 

 

    

そんな事言いながら、最近では苦手分野です。例えば一人旅をする事を想像するじゃないですか。私は、旅先で知り合った人達と親しげに話すということが、出来るときとまったくと言う時と斑がありますから、下手をしたら何時間も無言と言う可能性も・・・・

そんなのあり~!!
言葉、忘れちゃう・・・。
どんだけおしゃべりな人なのかってもんですが、そういうこともやってみなくてはわかりませんよね。

一人旅をする・・来年当たりのチャレンジ項目でしょうか。

 とにかくですが、一人で生きる姿勢はとても大切なことなんですよ。いろいろな場面で自分を支えます。

なんとなく纏めてしまいましたが、以下はおばさんネタなので、30代の方には、ちょっと分からないかも知れないお話です。

     

 

 何でまた、そんなことを思っているのかと言うと、引き金は夫がリタイアした人の愚痴です。内容は書きませんが、なんとなく準備不足だよなぁ、いろいろと思ったのです。

でもその時ふと気が付きました。友人たちは判で押したように、その彼女と同じ歳の方が多いのです。(結構年上・・ごめん)
そして昔の流行なのか、その夫たちもかなり上。よく見渡せば、みんなリタイア直前じゃない。

「どうしよう。ずっと家にいるのよ。どうしよう。私は家から出られなくなるわ。どうしよう。」

と、言いながら無策。

でもその無策が余波になって、私に被ってくるのですよ。

「じゃあ、もう遊べないの?」
「そうね。」

―何なの、そのキッパリは―と、腹も立ちますが、現実を直視すれば、今までのようにお気楽には行かないことはわかります。

 

    

 

だけど私って、四人姉妹という武器を持っているのですよね。これは強い最終兵器なんです。今のところ仲も良いし、孤独の淵に放り出されることはないはずです(たぶん)

日々変遷、そして新しい出会いだってあるでしょう。

 

それでも私は思うのですよ。

一人でスクッと立って生きるということは大切な事なのだと。

そういう人に憧れます。そしてまた自分もそうでありたいと、思うのです。

 

 

  

   


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篤姫47回「大奥の使い」

2008-11-24 11:56:03 | ドラマ (大河)

 「篤姫」も47回も終わり、残す所あと三回になってしまいましたね。いよいよ来週は「無血開城」です。

なんだかんだと言いながら、今まで涙腺がつまらないように、毎週「篤姫」が一役買っていてくれていた様に思います。

 45回、46回と感想がスルーになってしまいましたが、その二回ともしみじみとした想いで見ていました。と言っても、46回の「慶喜救出」は、出掛けていて見ることが出来ず、再放送も見ることが出来たのは、残り15分だったように思います。それでもその15分はいきなり泣いていました。

私はやっぱり泣き虫なのでしょうか。

 いかに「そんなわけ、あるかいな。」とか言う展開でも、
「家族」を守る、そんな想いが伝わってきます。
慶喜と向き合うシーンは良かったです。

 

 今回も天璋院が静寛院と向き合い「あなたと私はつくづく似ていますね。」と言うシーンは、心に残りました。お互いに夫を早くに亡くし、そして同じように子供もがなく、今また攻めて来るのは、元婚約者であったり同郷の者であったりで、辛い気持ちも同じです。 この歳も近い嫁姑は、母子というよりは、親友のような感覚ではなかったのかと思いました。夫は「姉妹の」と言っていました。

家族と言うのは、血縁と言う血の縁ばかりではなく、不可思議な縁で結ばれた他人の集合体なのかも知れません。

 嫁いで来た女性には舅、姑、義兄に義妹、そして婿や嫁、そのような人たちに囲まれて暮らすと言うことが間々あると思います。
嫁はまだですが、私なんかもそうです。

篤姫は息子も血の繋がりのない家茂でしたね。

 

  嘆願書を書いても、篤姫のは、今の京の情勢ではしかるべき人に渡すこともかないません。でもそこで大いなる助っ人の幾島登場です。やっぱり貫禄たっぷりで、予告編では、もうこの人一人で何とかなってしまうのだと、勘違いしてしまいました。(そんなわけ、あるかいな、と思ってもです。)

 幾島と西郷との対面の前に、今週の小松様です。帯刀とお近の別れが思い切り気になってしまいました。あれは今生の別れなのでしょうか。45回の「母からの文」は篤姫の決意、母の思いよりも、この夫婦に目が行ってしまいました。私はこの近と言う人が好きなのです。

京へたどり着いた帯刀に、言葉や話の内容はないがしろにはなっていなくても、大久保と岩倉の態度の中に、何だ来たのかというものを感じてしまいました。

しかも薩摩藩の家老だと言うのに、西郷には会えません。急速すぎる時代の変化を感じました。

 幾島はその帯刀のアドバイスにしたがって、篤姫に西郷宛の手紙を書くように伝えます。もちろんその使者は幾島です。

「天は徳川を滅ぼせと命じたのか。」
幾島の涙ながらの説得に、西郷も涙で応えます。だけど
「それは違う話です。」と江戸攻めを辞めようとはしませんでした。

江戸攻めは3月15日・・・。

 だけど、篤姫はその話を聞いて、西郷は変わってはいないと嬉しそうに微笑むのでした。

相手を知ると言うことは、本当に大切なことなんですね。

 

さて次週、どんな無血開城のドラマが展開するのか楽しみですね。

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秋をあなたに<その2>

2008-11-22 23:51:55 | お出掛け日記

 

 秋をあなたに<その1>は、日比谷公園内レストランのお話でした。その続きです。
日比谷交差点の所から日比谷濠を眺めてみました。

私は思いました。
この街を作った男達の魂が、私と同じ場所に立ち、同じようにここからこの風景を眺めていたら、きっと満足して微笑むでしょう、と。

なんて美しい・・・。

 

 私は東京には、家から45分ぐらいで行けるちょっと田舎に住んでいます。結婚して横浜から今の街にやって来た時は、田舎っぷりにほれ込んだものです。狸を目撃したり、モグラの穴をはじめて知ったり、果樹園が近くにあったり、無人の野菜売り場があったり・・・・
梅林やススキ野原、山といわれる林や森ばかり。でも今ではそんな場所が、どんどん住宅地やマンションに変わっていってしまうのは世の常というものでしょうか。

でも、私は今住んでいる場所に違和感なくすぐに溶け込み、故郷のような愛しさを感じたのです。

そのちょっと田舎と言う所が、たまらなく好きなんです。
ある時友人に
「人はみんな結局は好きなところに住むようになっているのかも。」と言いました。その時私の頭の中には、生まれた土地から離れられない姉、東京でなければ住めない妹の顔が浮かんでいたのかも知れません。だけど友人は、私の言葉に深く頷きました。その後彼女は夫と別れ故郷の大阪に帰って行きました。私に別れの挨拶を言いに来た彼女は言いました。
「あなたは言ったじゃない。人は住むべき所に住むって。私が住む所は、ここではなく母の待つ大阪なの。」
その後、大阪で再婚した彼女は今頃どうしているのでしょうか。

ちょっと田舎が好きと言っている私ですが、それでも都会の風景もとっても好きなんですよ。

だから私の住むべき場所は、都会に近いちょっと田舎なのかも知れません。

  

お堀の反対側です。

  

お堀側。お堀の向こう側は皇居外苑です。江戸時代ならば重臣達が住んで居た所です。この道を少し行くと桜田門。要するにお向かいに警視庁があるところですが 、なるほど、それで「相棒」の右京さんはたびたび日比谷公園でお茶を飲み、小野田さんと会っていたりするのですね。

  

 

ところで、前の<その1>の中で、「美女の謎の微笑み事件」について触れましたよね。

ささやかなお話です。

最初に「相棒」ロケ地と間違えてしまったお店は、老舗でとても素敵なお店なんですよ。二階のお店にはちょっとリッチなコース料理などがあるのですが、一階はリーズナブルなお気軽レストランなのです。でも、老舗ゆえに店内は少し狭い感じです。隣の席が10センチぐらいしか空いていないのです。隣に座られると、相席という感じです。

少し後から私と友人の席の隣に、男女の二人組みが座りました。敢てカップルと言わなかったのは、私の斜め前に座った女性が、そんなに若くなかったからです。でも可愛い感じの美人でした。別にしげしげ見たわけではありませんが、席が近すぎるので分かってしまいます。

―ああ、綺麗な人だなぁ。
と、思いました。

会話も聞こえてしまいます。

おっと、うっかり会話の内容も書き込んでしまうところでした。そこまでは大したこともないですよ。単なるメニュー決めです。でもそのメニューを決めるのも、甘い恋人どおしの会話です。・・・ちょっと羨ましいかな・・と、その時は私は思ったんです。

ところが、人間の視界と言うのは180度以上あるでしょう。見たくないものも目に入ってしまうのですよね。男の人の顔ではないですよ。流石に隣の人の顔は、首を横に向けないと見えません。

でもその人たちは、テーブルの真ん中で手を握り合い、その後男の人が彼女の手を小指か親指でさすっていたのも視界に入ってしまったのです。

「ウ、ウゥン。」と咳払いするほど野暮じゃありません。でもちょっと、あまりに自分達の世界に入りすぎじゃありませんこと。なんたって、隣と10センチなんですよ。ラブラブなんだなぁと思いました。でも、こんな時女性の方が周りを気遣って、やんわりとその手を離したりするものだと思うのです。ところが彼女は違いました。

彼女はゆっくりと微笑みました。まるでモナリザのように・・・

「まるで手のひらの上で・・」という表現ってあるでしょう。でも私はその時、相手の男の人が、彼女の大きな瞳の中で泳がされているような気がしてしまったのです。

どんな人?

私の好奇心が囁きます。見ないで、と私の良識が命令します。

私はルート君(子供です)の高校進学時の体験談の話とか教育の話とか、ずっとそんな話を喋り捲っていました。だって彼らの話し声を聞きたくないのですよ。自分の声で消していたのかもしれません。

でも、席を立つ時背もたれにある上着を取りながら、やっぱりチラリと見てしまいました。

・・・・・・。

なぜとは言えませんが、ピーンときました。
銀座とは目と鼻の距離です。
―まあ、コレって、同伴前デート?

これこそ裏付けのないお話(聞くわけにはいきませんものね)で、妄想ストーリーです。
でも友人曰く。
夫婦だ、恋人だ、友人だ、不倫だと、わかるレーダーを女は持っている。
怖いですね。この話を聞いたその友だちは、きっとそうだと思うよと言っていました。

私はこういう時、「田舎のネズミ、都会のネズミ」の話を思い出します。都会のネズミには当たり前の光景でも、田舎のネズミは過剰反応してしまいます。私はすっかり田舎のネズミになってしまったのかしら。

このお話は少し前の10月の終わりのお話です。今の東京は・・・

  

 

 12月が走ってやってくると言う感じです。

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秋をあなたに<その1>

2008-11-21 09:14:37 | ドラマ(相棒)

「秋をあなたに<その1>」は、「相棒ー沈黙のカナリア」で載せた日比谷公園のロケ地の、訂正記事です。

シーズン5の1話で、そのオープンカフェを見たとき、素敵なお店だなぁ、と思いました。その背景が新宿御苑みたいに思えたのですが、そこは日比谷公園だと教えていただきました。

日比谷公園などは学生の頃、今のだんなとお散歩したとか(だんなは今のしか居ないけれど)友人と歩いた記憶しかなくて、遙か昔の過去の場所でした。

でもいつか行こうと思いました。

 

日比谷公園、パラソル、オープンカフェ・・・

行けば、それが何処なのか、すぐに分かると思いこんでいました。
が、大きな過ちでした。

私は「沈黙のカナリア」の記事で載せたお店の雰囲気で、そこだと思い込んでしまったのです。老舗の有名なお店で、右京さんのイメージにあっているような気がしたのですね。でも、記事に載せる時ふと不安がよぎり、自信のない書きかたしているでしょ。

だって、お店の人に確認しそこなってしまったのですよ。
店内は混んでいて、みな忙しそうだったからと言うこともありますが、食器を提げに来た時に、さりげなく
「ここは『相棒』のロケしたお店ですか。」ぐらいは聞けたはずで、その予定でした。でも、その頃私の頭の中は「美女の謎の微笑み事件」でいっぱいになってしまっていました。

それってなんだって、思いますよね。くだらない好奇心ネタなんですが、そこで脱線するといつまでたっても本題に行かないので、そのお話は次に書きます。
(そのお話は「秋をあなたに<その2>」の下の方に書きました。気になる方はどうぞ♪。but,相棒ネタではありません。)

それで、要するに裏がない写真を載せてしまったわけです。コメントにて正しいお店の名前を教えていただいた時、悲鳴をあげてしまいました。それでも、ここだと思うと言ってくださったり、間違えたことが分かっても、ここでも撮影したかもと言っていただけたことは、とっても嬉しいことでした。なぜなら、パラソルなどの雰囲気からここじゃないかなと、感じてくださったと言うことは、同じ感覚を共有しているような気持ちがそこにあったからです。

でも、だからと言って「まあ、いいか。」では済みませんので、また行ってみることにしました。(日比谷周辺に用があったからですよ。その為だけには、行かないです、たぶん。)

 

 日比谷公園内には、6個のレストランと(こんなにあるなんて思ってもみなかったことが、間違いの始まり・・・田舎の人にすっかりなってしまったのね、私。) フェリーチェガーデン日比谷という素敵なガーデンウェディングがあります。

コメントでお店の名前を教えていただけなかったら、また私は間違えてしまったところです。頭の中で、じゃああそこだったのだわと思っていたのは、日比谷パークセンターと言う、これもまた素敵なテラスのあるレストランなのです。

調べて行かないの、と叱られそうですが、二回目はリサーチ入れていました。撮影時は二回がスタッフの控え室に使えると「ロケなび!」と言うサイトに載っていました。ここだと思ったパークセンターには二階はありません。

なので、しげしげと公園内の地図を見て、たどり着きました。

   

 

 ココだったのか~
完全にスルーしていました。それと言うのも、私の中でパラソルの色はグリーンだったのです。(なんでかナァ。)

お店の正面から見ると、ちょっとイメージが違うような気がしました。でも中から見てみると

    

 

見覚えがありますよね。今度はしっかりお店の方にも聞きました。
「ええ、そうなんですよ。」と爽やかに対応していただきました。そして、
「あそこに色紙もあるんですよ。」と教えていただきました。

    

大伸ばし・・・↓

    

ボケていて、分かり辛いですね。

お店の方がこそっと教えてくれたのですが、近いうちにまた撮影があるそうです。と言うことは、シーズン7でもこの場所は出てくるのかもしれませんね。ちょっと楽しみが増えました。

     カフェサローです。

      わずかな時間でしたが、楽しいひと時でした。

 

・・・。ちょっと、kiriyさん、お店の名前がないですよ。って、思いましたか。

わざとなの。なぜって、「相棒」は推理ドラマでしょ。
自分はお店の名前を教えてもらって、行き着いたくせにと言われてしまいそうですが、画像付きでヒントの量が違うので、公園内をウロウロして、たどり着いたほうが楽しいですよ。

もちろん知っている方も多いと思いますし、検索すれば簡単?
でも、お店の名前は「沈黙のカナリア」のコメント欄で教えていただいています。やっぱり名前が分からなくちゃと言う方は、ご参考に。

    

 

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相棒7-5「顔のない女神」

2008-11-20 03:16:36 | ドラマ(相棒)

 いっけんストーカー殺人、だけど、それは自殺のための依頼殺人の人違いだった・・・。依頼者のDJ、井沢ローラには殺害された西田春香に殺意がなく、何の罪で送検できるのか1課の悩む所となった。

DJを止めると言っているローラには社会的制裁のみで、罪に問われない可能性もあった。

だが、右京は偶然撮られた一枚の携帯写真から、人違い殺人の意外な真相を暴きだす。

 

なかなか先まで見えない展開が、面白かったですね。人間関係の伏線は張られていても、最後のネタ証しまで動機などは分からない展開です。

でも、私ちょっと・・
なんだか犯人は崖っぷちで海を背景に話すという推理劇っぽいなと、ふと思ってしまいました。
しかも番組終わった直後、立件出来る出来ないで、夫と意見が食い違ってしまうし・・・

「これで立件できなきゃ、警察なんて・・・」と言う夫。

もちろんローラの自白があるから、それも動機まで詳しい自白なので、覆されることはないから立件は出来るとは思います・・・?

だけどあそこで語られたのは、右京さんの鋭いけれど、すべて推理の段階だったように思うのです。ローラが何であんなに素直に自白をしてしまったのか分かりません。

もちろん時間の都合上とか、本来ローラは良い人(殺人をふと企む人だけど)とか、そういう問題だと思うのですが、

「あなたが何を言っているのか、意味が分からないわ。」と、とぼけることが出来たように感じてしまいました。

それが出来ないのが、右京さんの鋭い眼光マジックかしら。

そして右京さん、今回は最後に言って欲しいことを言ってくれました。

「リスナーを裏切って・・」と言う言葉がローラの口からたくさん出ましたが、一番リスナーを裏切ったのは彼女自身だったと思います。結局は自分のプライドの為に、長い間ファンだった人を裏切ってしまったのですから。

「番組が終わったら、自殺します。」と言う葉書に電話番号が書いてありました。それはそんな殺人依頼の電話ではなく、
「生きて欲しい。」と言う言葉が聞きたくて、無意識に書いてしまった電話番号だったのではないでしょうか。

またはラジオで語りかけてあげるべきだったのだと思います。

 

今は真夜中の3時過ぎ。今まで起きていたのではなく、2時頃ふと起きてしまったのです。寝ぼけた頭で、何気なく「顔のない悪魔」と打ち込んでしまいました。危うく、また間違いを犯すところでした。

前々回の「相棒」の記事で、日比谷公園の相棒ロケ地を間違えた所の写真を載せてしまいました。正しい場所で撮り直して来ましたが、眠くなってきましたので明日、また載せる事にします。

                おやすみなさい

・・・・角田課長の夢でも見よう。最近目立ち度アップ。
たどたどしい原稿読みも、「暇か」で右京さんを呼び出すところも、嬉しそうに写メを撮る所も、みんなツボでした。

 

 追記
↑上記の、日比谷公園の相棒ロケ地の訂正記事は
「秋をあなたに<その1>」です。よろしくお願いいたします。

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私は一体何処に行くというのだろう。

2008-11-14 00:32:50 | お出掛け日記

これも先週のお話です。

別に人生について語ると言うわけではありません。単なるお出掛け日記です。

 先週の3日、文化の日に友人が何処かに連れて行ってくれると言うので楽しみにしていました。メンバーは運転手の人、私とあと二人の4人です。近頃、私以外の三人で出かける用が続いていて、そろそろあの人(私)も誘わないと煩いぞと思ったのかな、私はちょっと申し訳ないような気持ちと感謝の気持ちでいました。これ、本音です。だって、翌日の平日にだって、他の人はお休みを取って行けたんですよ。私に合わせてくれたんですね。感謝、感謝です。

 「何処に行くの?」と事前の時間打ち合わせのときに、一緒に行く人に聞きましたが、
「さあ? 秩父って行っていたかなあ・・・。」

じゃあ、長瀞周辺かなあと思って向かえた当日の朝。

運転手の彼女がナビに「奥多摩湖」と入れています。

 

・・・・・  奥多摩=秩父・・・じゃないですね。
そうか、私は奥多摩に行くんだ!
出発、GO

そして、上の写真は奥多摩湖です。画像はすべて携帯で撮った写真です。携帯でもそこそこ撮れるのだと、最近気が付いたのですが、やっぱり色には限界がありますね。(デジカメが壊れてしまったのです

 

 「この湖の周りとか歩く?少し行くと、趣がありそうな橋があるわよ。」

「歩くのは次の秋川渓谷に行ってからにしよう。じゃ、次行こう。」

「にゃーんだ、秋川渓谷にも行くのね。」

 

 窓の外の風景はどんどん綺麗になっていきます。車は山の上の方に登っているんですよね。窓から「山梨、塩山」と言う標識が見えました。

―へエ、秋川渓谷って山梨にあるんだ・・・・。 「?」
でも、ナビ付きだしな。

 

風景が綺麗だったので、車を止めて紅葉の山を楽しみました。流れる水も秋っぽいです。

   

   

 

 こういう風景に触れると、人はしばしこんな所に自分が住んだらどんななんだろうと、想像してしまいますよね。かなり不便そうだなとは思うけれど、窓を開けるとバーンと山の木々が広がる風景は、それはそれで贅沢なような気がします。

 また少し行くと、さらに紅葉が綺麗で、また車を止めてもらいました。

   

 

   

 

   

ほんと、携帯で撮らなくてはいけなかったのが残念。綺麗な紅葉でしたよ。

また少し行くと、なんだか面白そうなお店が山の中にありました。ホラッ、良くあるじゃないですか、山の道路の路肩にあって、山で取れたものを売っているお店。キノコやら手作りたくあんやら、ごぼうやら柿や栗や銀杏などやらと、楽しげに並んでいます。夫婦とその息子と思われる人が気持ちよく対応しています。試食で食べたらあんまり美味しかったので沢庵を買いました。なんと全員・・・・・。

これがその後、大変なことに・・・。

友人の車は、車のことなんか何にも分からない私が見ても、凄くカッコイイ車なんですよ。でも、その後その車の中はずっと沢庵くさくなってしまいました

それからこんなお芋も買いました。

     大きいでしょう。確か赤芽芋と言ったような気がしたのですが、後で調べたら違うみたい。これ一個でお鍋がいっぱい。ほくほくしてとっても美味しかったのですよ。

友人は手作りこんにゃくなんかもたくさん買いました。その友人が後で、このお店の事を「山賊の店」と言っていたので、つい私も
「このお芋は『山賊の店』で買ってきた。」と言ってしまい、
「またあなたはろくでもないことを言う。」とラッタ君に叱られてしまいました。
フーンだ。

 

と、少し行くと、また脇道があって・・・・
脇道を歩いていくと、山の風景が広がる場所を散策なんかしたのですが、写真がボケてしまいました。下の写真は、脇道の入り口から撮ったものです。  

 

    

 

  そして、少し行くともうお昼です。峠にあるお店に入ってとろろご飯とお蕎麦のセットを戴きましたが、動いていないのでお腹がすいていません。それなのに詰め込んで、またもdebuの道です。

    

 

 その峠のお店前から撮った写真です。

そんなにお腹がいっぱいだと言うのに、次に寄った、勝沼のぶどう園では生ピーナッツの塩茹でなんかを試食してしまいました。ここも息子が熱心に店番していました。

 

 ところで、さっきからこの人たちちっとも先に進まないなあと気になっていませんか。
実は、私はずっと気になっていました。みんなも気にはなっていたのですが、ナビどおりに彼女は走っているし、今日は運転手の彼女にお任せしているので、口にする人はいなかったのです。

相変わらずに車の中で、賑やかにおしゃべりなんかをしていました。でも、太陽は西の方にかなり傾いています。

私のイメージ・・・、夕日に煌いている渓谷を歩く・・・。

でも、さらに高速に乗ると、なんと渋滞です。これって三連休のラスト、家路に向かう人たちじゃないですか。

もうすぐ日は完全に落ちそう。

私たちも帰ることにしました。

渋滞、渋滞、渋滞、を抜けて帰ってきました。

(でも、女同志っておしゃべりで、気楽だし渋滞もそんなに辛くはなかったです。)

 

秋川渓谷って本当は東京あきる野市にあって、奥多摩からは近いみたいです。どうしてそんなことになってしまったのかって言うと、奥多摩から少し走ってしまってからナビに目的地を入れたのですって。

そこには行けなくても、紅葉狩りは充分出来ました。思うに高さから言って、秋川渓谷の紅葉は奥多摩と同じくらいだったと思うのです。思いがけず綺麗な紅葉を見ることが出来、山賊のお店(失礼!)や、峠からの風景を楽しめたのだと思います。

でも、お土産は・・・

        

 

山梨土産でした。

注;「秋川渓谷」の検索で来てくださった方、すみません。行けなかったというお話です

 

 

 

   

    

 

 

  

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相棒「隣室の女」

2008-11-13 10:24:48 | ドラマ(相棒)
 脚本が岩下悠子さん、彼女らしい優しいお話でした。

出てくる人がみんな優しいのです。そして、地味。いっけん普通の平凡な人に見えてさえしまいます。

でもそうじゃないのですよね。
かつては、カッとなって人を殺してしまったお兄ちゃん。婚約を破棄してしまった男。自分を捨てようとした愛人を殺した女。人生に投げやりになって青酸カリを入手したバーのママ。自分の人生を捨ててしまった女・・・・。

普通じゃないジャン。

よく人の話を聞いて
「分かるわ、その気持ち。」なんて無責任に相槌を打つ時があるけれど、佐藤仁美さんが演じるあけみの気持ちを本当に分かってあげるのは、難しいことだなと思いました。自分には出来ないなと感じたのは、捨ててしまった名前と人生にでも汚名が付く屈辱に耐えられないということです。それは自分の人生を捨てると言うことから理解できない、つまり殺人者の家族の気持ちがわからないと言うことなんでしょうか。

なので、気持ち整理です。
家族に殺人を犯した犯罪者がいたら、本当に心は地獄に落ちてしまうと思います。出来るなら、関係のない違う人生になりたい、なりたい。世間のそしりも自分なら耐えられるけれど生まれてくる子供には、同じ思いはさせたくない・・・
なるほどなあ・・・。
今なら、「分かるわ、あなたの気持ち・・・少しだけ。」と言ってあげられるかもしれません。


昔は、こういう殺人事件の下手人(と言っていた頃)は、一族郎党罪に問われたと母が言っていましたが、それが本当かは分かりませんが、精神的なことを思うと、今も昔も変わらないんじゃないかなと思います。

被害者家族は描かれることも多いと思いますが、加害者家族の苦しみを描いたと言えるのかも知れませんね。だけど、未開封の現金書留と言う形で被害者家族の気持ちも表していて、上手いなと思いました。それがまた真実を暴く証拠になったと言う所も憎いですね。
ラストシーンでは、冬が過ぎて春が来たといったイメージで、やっぱり自分の人生で堂々とお天道様の下を歩こうよと言った感じがしました。


 
 だけどこのお話、結婚相談所のおばさんが幽霊話をした時からぜーんぶわかってしまいました。トリックや推理劇としては楽しめなかった分、小ネタでは楽しませてもらいました。

この結婚相談所のおばさんも良かったですよね。薫ちゃんはともかく、右京さんは一応独身なので、キャンペーンで三人ただで紹介してもらっても良いんですよね。たまきさんがいるので、絶対にそんな発想はないのでしょうかね。
このおばさんは頼みもしないのに、聞きたいことをガンガン話してくれる便利キャラでしたが、いい味出していましたね。「ね」が煩い文章ですね・・・と自分で突っ込んでみたりして、・・・。

取調べが終わって、帰ろうとするあけみに右京さんの「一つだけ」
、男への呼び方に拘ります。
芹沢の
「最近益々細かいですね。」、その言った顔がとっても嬉しそう・・・


もちろん一番受けたのは、角田課長のパンダカップ。
どうしたのかなあと気になっていたら、突然出てきて、子供に勝手にプレゼントされちゃいました
前にマイカップを置かないでと薫ちゃんは言っていたので、わざとじゃないかなと思ってしまいました。
でも、へこたれませんね。
新しいマイカップ。しかもまたもパンダちゃんニューバージョン。

どうでもいい話ですが、昨日は「相棒」が終わった途端に寝てしまいました
あまりないことですが、朝まで夢など見ながらぐっすり寝ていましたが、夢に出てきましたよ。課長のパンダカップ(汗)



HPに「イッキ見イベント」のことが出ていました。仕事の都合と体力にも自信がありませんんで、応募すら出来ませんが、行ける人がちょっと羨ましい。

とりあえず私はシーズン2の再放送をCSで見ましょう。その頃、私はファンじゃなかったので、今でも見たことないわと言うのがあって、結構楽しめるんですよ。
コメント (4)
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Get wild

2008-11-12 08:50:05 | 同じ時代の船に乗る
先週の水曜日、何気なく一人で入った喫茶店で、話し相手もいないので本を相手にブレイクタイム。だけど、隣に座ったおば様四人組みの話し声が大きくて、同じところを三回も読んじゃったじゃないのよ。

如何に隣の話が盛り上がっていようとも、普段はその会話の内容はわからないものです。だけど、
「一ヶ月2千万」「一年2億」「生活を変えられなかった。」と、そんなキィワードが聞こえてくれば、彼女達が何の話題で盛り上がっていたのかは、今なら誰だって分かることですね。

「change」と言えば、今ならオバマさんの次期大統領の演説を連想するかしら。初めての黒人大統領の誕生は、やっぱり凄いことだと思います。

先週もいろいろな事がありましたね。

筑紫哲也さんが肺がんで逝ってしまいました。それも悲しいニュースでした。彼には復活してもう少し頑張って欲しかったです。

そしてもう一人のテツヤのニュースも、本当に大きなインパクトがありました。おば様たちが喫茶店で盛り上がってしまう気持ちが分かります。

ずっと彼のファンだった人には申し訳ないのですが、私はずっと全盛期の頃から彼が苦手でした。彼の造った音楽が流れない日はないと言う時代があったように思いますが、その音楽も苦手。本当はそんなこともなく、音楽を聴けば、ああこれ好きだわと思う曲もたくさんあると思うのですね。でも、生理的に何か受け付けませんでした。

ただ私には「嫌い」と言う感情は、あまり持ち合わせがなく、「好き」か「興味ない」で成り立っているので、いつしか彼の曲が聴かれなくなっても、全盛期に稼ぎまくったお金で優雅にセレブ生活を送っているんだろうぐらいに思っていましたよ。

小室哲哉氏が逮捕された日、多くの人が「栄枯盛衰」と言う四文字熟語をふと思い浮かべてしまったのではないでしょうか。
ちなみに意味は
―人・家・国家などの勢いにも盛んな時と衰える時のあること、ですよ。


喫茶店での事ををラッタ君に話したら
「人は『掛ける×』の生活をしてはだめなんだと言う教訓だな。1×100で100を出してしまうと、そいつは1かまたは100の生活しか知らない。だけど、1+1+1+・・・で100を出したやつは20の暮らしも30の暮らしも知っていて、変えることが出来るんだよ。
アレッ、俺また良い事言っちゃってない?」と言いました。
「言った、言ったブログに書くわ、それ。」と、ちょっと感心したので褒めておきました。


ところで巷の話題もですが、ワイドショーでも話題独占でしたね。でも、その時掛かっていた曲なんですが、やたらタイトルの「Get Wild」だったように思うのです。興味がないということは恐ろしいことですよ。
私はこの曲が大好きなんです。でも、今までこの曲と彼がイコールで結ばれたことは意識としてはないのです。「意識としては」と周りくどい言い方ですが、知識としては実は知ってはいたんですよね。彼がその曲を歌っていたTM NETWORKから出た人と言う認識・・・・。


この曲はアニメ「シティーハンター」のEDに使われていました。そのアニメが放映されていた頃、ラッタ君は2歳、私は若い母親でした。子供が小さいので、帰りの遅いだんなを待たずに二人だけで食事をしていたことが多かったのです。男達は母と言う名になった女が、子供相手にお気楽な優しい時間を持っているようなイメージがあるかもしれませんが、話し相手にもならない幼い子供と二人だけの食卓は、時には若い母親になんともいえない寂しさと不安を感じさせるものがあるのでした。私のように大家族で育ったものには、特に辛い時間帯でもありました。

そんな時、子供と一緒に見るわけでもなかったのに、そのアニメが時にはなんとなくかかっていたりする事もあったかも知れません。
世間的には絶大な人気のあったアニメでしたが、コメディであったこと、子供が小さかったこと、ヒロインが好みでなかったことから、そんなに好きなアニメではありませんでした。

が、そのラスト、物語の終わりから音楽のイントロが入りそのままEDが流れるそのスタイルが、もの凄くかっこ良かったのですよ。そしてその音楽を聴くと、また元気が出るのです。
「何も怖くない~」
なんだか、励まされているような気になりました。


たまたまですが、「相棒ー還流」でも「フェルメール展」の記事でも「音楽の力」と言う事に触れましたが、「Get wild」には人の気持ちを高揚させる何かがあったかもしれません。

だけどこんな事件があったからといって、急に感傷的になり、今まで興味のなかった人に応援しているみたいなことを言う、そんなつもりはぜんぜんありません。ただ皮肉にもワイドショーで繰り返し流されたことにより、小室哲哉という人が若き日の私を励ましてくれた曲を作ってくれた人とイコールで結ばれてしまったのでした。

ちょっと驚いたことに、彼はこの曲をglobeで出す予定だったとか。
甘ちゃんな私などは
「ああ、彼は原点に戻ろうとしていたんだわ。」などと言ってしまいそうですが、ナわけありゃしませんて。
でも、起死回生の選択だったのかも知れませんね。

錬金術ではない音楽の力・・・・
そんなことを呟いたら、子供を膝の上に乗せて、ワクワクしながらアニメの音楽を聴いていた、20代の私の顔がふと浮かび消えていきました。
遠い昔・・・、それは彼にとっても・・・。










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