森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

お花見日和

2019-03-31 17:36:09 | 梢は歌う(日記)
考えてみれば、公園などで俗にいう「花見」と言うものをした事がなかった。
私の花見は、花をジロジロと見て、いや、ジロジロではなくて、じっと見てと言うべきか、写真に収めて「美しい~」と詠嘆する事だったかもしれないから。

または先日の上野みたいにお団子などを買ってみて、その辺のテーブルについて頂くのがせいぜいなものだったのだ。

           ※          ※

だけど今回は、マンションのサークルの方に「長屋の花見をしよう。」と誘われて、今日、行ってきました。
昨日は真冬の寒さ。
何回も天気予報などを見てしまいました。

そしてきょうは昨日と打って変わっての、晴れ&ちょっと暖かいと言うお花見日和になったのです。

10時から買い出し。11時に皆で集まって、近所の公園まで歩いて行きました。
私は、まったくお花見準備に知識なしで、なんでもテキパキの人がいるので、その方におんぶにだっこ作戦です。

すぐ顔が真っ赤になるので、自分用にはノンアルのものを用意したのですが・・・・・・・。

「長屋の花見」、とっても楽しかったです。

ワタクシ…、顔がすぐに真っ赤になる癖に、実はそんなに嫌いじゃない方で、しかも意志薄弱。どうしてもノンアルと言う気分にはなれなくて、飲んじゃったのですよね~。
小さなビールまでは良かったのですが、その後の癖のあるチリ産のワインで、もうひとりで飲んだみたいに、顔に出てしまいました。

反省 !?
たぶんしないかも。
顔が真っ赤になっても覚めるのも早いので。
だけど、これからはワインだけはやめておこうっと。

私たちのメンバーは、シニア&シニアに近い者の集まりなので、騒ぐこともなく楽しい会話の集まり。しかもあの花はこの花はという花談義もあったり、楽しいから次は何をするみたいな話題で盛り上がったのです。

以下は「春は花の祭り」の画像で、花見と言う事で咲き乱れる桜の画像でまとめました。














コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Sky presents 藤原竜也のラジオ」11

2019-03-31 01:11:00 | テレビ・ラジオ

「藤原竜也のラジオ」もあっという間に11回を迎えましたね。

土曜日の深夜に緩く始まったかと思うと、フフフとかくすくすと笑っているうちにあっという間に終わってしまう30分。皆さんのお手紙も楽しいです。だけど私、そんなにみんなにサービスしなくたっていいんだと思いますよ。って、こんな所で一人で言ってないで、メール書けよってところですが、いや、苦手でさ、そう言うの。

まあ、そんな事はともかく、「プラト―ノフ」はとうとう終わり、次は「ダイナー」ですね。

wowowで「映画『Diner ダイナー』公開記念ナビ番組   刺激的なキャラクター」という番組をやりますよ。この放送は無料です。5月1日(水・祝)午前7時55分からシネマで。または5月2日(木)午前5時15分からプライムでです。 


というわけで、今回もメモのようなものを残しておきましょう。

「藤原竜也の二回道」のDVDBOXの大判振る舞いだそうです^^

 

「嘘と聞いて思い浮かべるのは・・・・」

「人生です。」

 

「親孝行は・・・・・。」

で、お母さんをアメリカに連れて行った話。日本の白いパンを食べたいと言われたと言うくだりに微笑ましい親子の会話がありましたね。

 

「イイ女の定義は」

「カツ !!  イイ女の定義はないよ。」

 

「競馬を始めたけれど、それにコツはあるのか。」

「最近行ってないよ。」と言いつつ、一年に一回だけそこで会う親子のお話をしてくれましたね。

名前もどこに住んでいるかも知らないけれど、一年に一回何気なく会って「元気してた」って挨拶するのって素敵な事ですよね。

 

「おじいちゃんは25歳」の主題歌だった曲のリクエストがありました。

懐かしい。あのドラマも面白かったですね。

「杏さんの愛は勝つ」

これ、見つからなかったので、下の方に雰囲気だけでもと違う方のを貼っておきました。

 

体が柔らかくなる体操。本当だそうです。これ、ちょっと聴き逃したので後で確認しなくちゃ。

口を閉じた状態で鼻から息を吸うとあくびが出る確率が高い。→やってみましたが出ませんでした(^_^;)

 

「占いを信じるか」で話したエピソードも「へえ」と言う感じでしたね。

ここでの体験が、世の中嘘ばっかりに繋がって行くのかしら^^

だけどプロの占い師の中には、お客さんの事を本当に調べ上げてリサーチから導き出したことを占いとして話すので、のめり込む人がいるけれど、止めた方が良いですよね。

 

 

そして4月から放送エリアが拡大しましたよ。

「ハワイの前に『イン沖縄』とか言ってみたいなぁ。」と。だけど無理なのは分かっているから、ここでやる・・・・か。でも彼の場合、分からない事だなと思います。周りが動いてくれるかもしれませんよね。

 

「愛してるゲーム」

「愛してる」「もう一回」「愛してる」「もう一回」と言いあって笑ってしまった方が負け。

意外とこれは使えるよ。笑っちゃうもん。

この方惜しかったですね。盛り上がりは良かったけれど、気持ち悪くなってしまったのですって(/_;)

 

というわけで、また来週。

 

 

日本財団CMソング「愛は勝つ」 by 新山詩織


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武士の娘の娘の話だった「まんぷく」

2019-03-30 15:43:15 | テレビ・ラジオ
トップ画像はチキンラーメンのミニで、お椀で食べるタイプのものです。このドラマの影響で、食べた事がなかったのに食べてみました(笑)


ああ、昭和がまた終わったなと思いました。
えっ、平成じゃないのかって?

いや、「まんぷく」って、まさに昭和のお話でしょう。

夫殿がとっても気に入って、毎朝楽しみに見ていました。
何処かのサイトで先のあらすじまで読んでいて、今放送中で、これからその先が描かれる数分前にネタバレをいつも聞かされていました。

「今、見ているんだから !!」と言っても、とうとう、ずっとこのドラマ限定数分先が分かると言う役にも立たない予知能力マシーンを真横に置いて見続けたようなものでした。ヽ(`Д´)ノプンプン

彼が言うには、なんか元気が出ると言うのです。


萬平さんの人生は波乱万丈。でも負けないで何度でも立ち上がりました。
そしてその長い道のりで、二人は多くの魅力ある人々と出会ったのでした。
キャストは皆素敵でしたね。(一族関係のレギュラーはもちろん、共同経営者の加地谷も塩メンも看守のチャーリーさえも)それぞれがとっても好きでした。

そして私も、毎朝楽しみに見ていました。

確かに福ちゃんは、萬平教の信者のようだったと思います。
まったく萬平さんを疑う事もせずに、「萬平さ~~ん。」とあの独特の呼び方で呼ぶ福ちゃん。
この役は、けっこう難しいなと思います。
なぜなら、ヒロインでありながら心の動きが少ないように見えるからです。
萬平教の福ちゃん。安藤サクラさんじゃなかったら、好きでいられたかどうかは分からない事だと思います。

女性側の視点で見た場合、この福ちゃんに感情移入しやすいかと言うと、そうでもないと言う難点があったかもしれません。
それをもう一人のヒロインと言っても過言ではないのではと思うお母さんの、現実的だったりコミカルだったりする発言が、最後までこの一家を盛り立てました。最初は口うるさいように感じたお母さんは、本当に可愛らしく良かったですよね。さすがに松坂慶子さんです。
萬平教の福ちゃん。だけどこの女性はまるで「日本婦道記」に出てくるような女性像ではなかったでしょうか。高い能力を持っていても決して出しゃばらずに、夫を傍で支えまくる。
福ちゃん自身も、お母さんが母子家庭でありながら高い教育を身に付けさせたのですよね。
まるでそれが美徳とされていた時代の鏡のような女性像だったと思いました。
でもこれが日本の女性の歴史だったと思います。
(だけど私、こう見えても、これを全面否定しない派です。でもそう言ったら、私の周りにいる人は、殆ど首を傾げると思います。あまり健気な人に見えない者ですから・涙)

このドラマがなかったら、誰もカップラーメンを作った男の人の奥さんの事など、思う人など居なかったと思うのです。

そんな時代の女性の幸・不幸は夫が妻に
「みんなお前がいたからだ。お前のお蔭だ。ありがとう。」と言うか
「お前は家で飯を作っていただけだ。すべて俺のお蔭だ。」と言うかで分かれたと思います。

福ちゃんはとっても幸せな人でした。
萬平さんは前者の人。そして周りの人々にも福ちゃんがいなかったら今の萬平さんはいないとまで理解してもらえているのですから。

私自身のこのドラマの好きだったポイントは、子供たちの反抗期があまり暗くならずに、またぐずぐずと長引かなかった事と、繰り返しアイデアを出しながら失敗を重ねてながらと物作りの過程を、見せてもらった所と言えると思います。

最終回は、大阪に当時の本当の歩行者天国を作ると言う大掛かりなロケと言うのは、あまり印象にも残らず(スマヌ)、「福子~」「萬平さん~」と言う、なんかノロケをテレビで見せつけられたような感じでした。「麺の旅、世界1週」に出て、タイで二人で「すっぱい~」とか言いながら麺を食べるシーンで終わりましたが、最初も二人でラーメンを食べて、戦後の貧しい時に二人で一杯のラーメンを食べたと、ちょっとだけしみじみとしました。だけど見ていてもニヤニヤ・デレデレとしてしまいました。
だから終わった時の私の顔は、そんな風にニヤニヤと笑っていたと言うわけで、何はともあれ、笑って終わったと言う幸せなドラマだったと思います。
(ラストシーンのセットも凄かったですね。美術さん、凄いです。)

そしてまたこの最終回には、60を過ぎてからというセリフがたくさん出てきました。若い人からヒントを得たと言いながら、これからもまだまだ発明は止めないと言う萬平さん。

日本はこれから老人だから。
60歳なんて、もう若造の域です。少ない若者たちとタッグを組みながら、足腰経たなくなるまで、いや、足腰が立たなくなっても、生涯現役でいようと言うような、ラストはそんなエールドラマだったのだと(作者がそこまで意図していたかは不明ですが)、私には感じました。

ここで止めても良いのですが、何しろ最終回1回だけの感想なので、あとちょっとだけ続きます。

最初、あのOP、違和感がバリバリしていました。若い福ちゃんが、歌詞に合わせて表情豊かに歩いているだけなんですもの(それはそれで安藤さんは凄いと思いましたが)。今までの朝ドラのアニメがあったり様々な工夫があったものと比べて手抜きのように感じませんでしたか。

ー ただ歩いていただけじゃん。
と私は思いました。
だけど終盤になって、この「ただ歩いていくだけ」と言うのが、このドラマのテーマだったのかと(作り手がそこまで意識していたかは不明だけれど)感じるようになったのです。

私の唯一の失敗は、そのopは最終回には流れなかった事です。
一日前で終わり。
先に言っておいてくれないかなぁ~。しみじみと見たかったのにぃ~。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寂しいですね。

2019-03-30 02:11:19 | 同じ時代の船に乗る


遠い日の学生時代だったある日、英会話のクラスで好きな映画を勧めると言う授業がありました。
もしも私が指名されてしまったら、答えようと思っていた映画のタイトルは決めていました。ちょっとした受け狙いもあったのです。
だけどできれば指名されたくはなかったのです。なんたって、英語・英会話は苦手でしたから。しかしこの話の流れでも推測出来てしまうと思うのですが、指名されて、私が答えた映画タイトルは
「Yatuhakamura」だったのです。

クラスの人からは
「あっ、もう見たんだ。」「へえ」「その他ザワザワ」と言う、私の狙い通りの反応がありました。

その時「八つ墓村」は、話題の映画だったからです。

ちょっと気を良くして微笑む私に、アメリカ人の英会話教師は、馬鹿にしたように首をすくめ「面白かったの?」「本当に?」と言ったのでした(英語でね。)
そして信じられないと言う態度。

映画番宣の映像が老婆の
「タタリじゃー!!!」ですからね。

ランク下の映画に思えたのかも知れません。それにその頃はまだ、洋画は邦画に勝ると思い込みも蔓延していましたから。(でもちょっと製作日数とか制作費とかを思うと、一概には否定できない部分は確かにあるにはあるのですが)

でもこの瞬間、ますますこのクラスが嫌いになってしまったのは確かな事だったのです。理由はそれだけでゃなかったけれど、二年目には選択しなかったのは、先生が大好きというレベルではなかったからだと思います。
(で、今も英語が苦手だ(/_;))

面白かったですね、面白かったですよ、あの映画。

演技の引き出しをいくつも持っていたと言われていたショーケン。
それでも見たこともない萩原健一を見せつけられて息苦しかった「影武者」も、好きでした。

この人は破滅型の天才なのかなと思わせるように、何度も逮捕劇を繰り返してしまったけれど、それでも最後まで、役者と歌の道を貫いたのだなと思いました。

好きな作品がたくさんあります。

その理由は、ちょっと自身の内面に踏み込んだ部分があるので書けないのですが、大学の映画会で見た「化石の森」は、私の人生レベルで影響を受けた作品でした。(注:殺人の部分にでは決してありません)

映画と言うのは、思いがけない形で、様々な人に影響を与えるものだと思います。
きっと作品の数だけ、ショーケンも多くの人に何かを与え続けたと思います。

「いだてん」にも出演するのだとか。
悲しいけれど遺作になってしまいましたね。
68歳なんて、若すぎるのが悲しいです。


でも人の死と言うのは何歳だって、早すぎると感じますよね。
ショーケンの翌日に飛び込んできたのは白石冬美さんの訃報。

なんだか「平成の終わりに・・・」などと言うと、更に寂しさが増してしまいます。

みんなに楽しい時間を与えてくださったショーケンもチャコちゃんも、どうぞ安らかにお眠りください。


※ トップ画像は、ソメイヨシノよりも先駆けて咲いて、春を知らせる寒緋桜。既に葉桜になりつつありますね。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ポーの一族」ユニコーンVol.3 バリー・ツイストが逃げた

2019-03-29 01:06:51 | 漫画・マンガ・まんが
「ポーの一族」が再開しました。またエドガーやアランに会えるのが、毎月の楽しみになりました。
 
 
ちょっと信じられない事ですが、ひとつ前の記事「百鬼夜行抄 27」でも記事が消えてしまいました。
こまめに保存という問題じゃなくて、保存の度に消えたり消えなかったり・・・・
つまりいちいち書いたところまでコピーを取り・・・・・・って疲れてしまいますよ。
じゃなかったら、この記事も28日中に書き終えていたと思います。
 
もう新しいエディタを使うのは止めようかなと思いつつ、タグをつけたいがために、またそれで書いていたのですよね。今の段階では、少々改悪状態ではないかと思います。というさりげない今のブログの現状を挟み込みながら、今回の「ポーの一族」の感想を簡単にですが書いておこうと思います。
 
徐々に明かされる「ポーの一族」の秘密。
また新たにポーの村の枯れない薔薇たちの秘密が分かります。
楽園の秘密は、地下に永遠と続く地獄の上に成り立っていた・・・・・・・?
 
なんとエドガーはクロエとも再会していたのですね。
「ポーの村」の秘密は彼女の口から語られるのですが、その時にバリーが誰なのか、私たちには分かります。
だけどこの時には、エドガーには分からないのですよね。
 
それなのにアランには彼の名前がバリーだと分かったのです。つまりバリーがアランの意識に語りかけたと言うのでしょうか。
 
どうなのかなと、前回までの「ユニコーン」を読み直してみました。
 
「バリー」と言う名前が出てくるのは、第一回でシルバーが言うからですよね。シルバーが彼をバリーと言うのは当然です。でも1975年のロンドンでアランが、彼をバリーと言うのは、彼が教えたからなのですよね。
だけど第一回では、「バリーと言う名前も偽物だ。」と言うセリフがありますから、本当はもっとさらに違う名前があるのかも知れません。兄のフォンティーンだけが呼んでいた名前が。
 
ただ私、諸々の予想が外れっぱなしです。
まさかのフォンティーンと言う新キャラが出てくるとは思わなかったものだから、大老ポーがダイモン、つまりバリーのお兄さんなのかと思ったり、干からびるまでエドガーの餌食になってしまうのはクロエかなと思ったり。
考えてみたら、エドガーはそんな事をする人ではないのよね・…・(また、外すかも。)
 
ただ予想はいろいろと外しても、これだけは分かります。
あんなにみんなに恐れられたり、気味悪がられたりするバリーなのに、アランの前ではまるでやさしさ全開です。
まるで恋する少年のようじゃないですか。
 
なんだか彼を見ていると、とっても切なくなる私です。
 
古物商の火事の時、エディスをバスタブに入れたのはバリーだったのですね。
 
 
あの時何が起きたのだろう。
長い年月を経て、その真相に迫って行くと言うのも素晴らしい事で、また次回も楽しみです。
 
・・・・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百鬼夜行抄 27

2019-03-28 21:42:55 | 漫画・マンガ・まんが
本日は二回目の投稿で、「ふてくされていましたが、《上野の桜》」もよろしくお願い致します。
トップ画像は記事とは無関係ですが、花の季節なので、ちょっと載せています。

 さて20日に発売していた「百鬼夜行抄27」、さっそく注文して読みましたので、簡単な感想を書こうと思います。

                 ☆

前回、新たなるメンバーの予感をさせた海の存在。
一族と言うのは、切っても切れないものがありますね。会って見るとおじいちゃん(飯嶋伶)にそっくりな遠縁の人とかがいたり、海も律に似ていたりするわけなのですから。
だけどリアルな世界ではたいがいは、何世代かすると、その縁も分からなくなってしまうのじゃないかしら。
リアル世界だけではなく、飯嶋家も同じでした。でもそれは蝸牛(飯嶋伶)が禍に巻き込みたくなくて、姉の水脈の縁を切ったからです。
かつてのお話の中で、その姉はたくさんの子宝に恵まれ幸せに暮らしたように思っていました。

だけどそうではなかったのですね。
水脈の一族にも、いろいろな事があったのではないでしょうか。
離れたことによって守れなかったー。

この先も、彼女の一族のお話がいろいろと展開して行きそうです。
海の祖母の宣子。
何があったのか、謎すぎます。そして何やら恐ろしい・・・・・。

以下はネタバレ感想です。

 
 結局、律は大学院生にはなれませんでした(涙)
いったい何年大学生なのかと言っても、高校生も長かったのでね。
でも次回は、院生にしてあげて欲しいですね。
研究室に出入り。似合いそうです^^

骨髄移植のドナーのお話はシビアでしたね。
体質で三か月目覚めないと言うのは「漫画」と割り切る所だと思うのですが、それで大学を留年と言う所で「良いことをしたのだから仕方がない。」と、三か月目覚めなくても、その行動に何も疑問を持たない母の姿の方が、もっと「漫画なのだから」と割り切らなくてはならないところかと思いました。

ただこのお話の中で、はっきりと骨髄移植の場合のリスクを描いていたのは良かったとお感じました。つまりドナーの方も入院し、仕事や学校なども休まなければならない事をです。

常々、思っていた事なのですが、「骨髄バンク」はここの所を、あまり言わないで登録を勧めるじゃないですか。
私はここの部分もはっきりと言うべきだと思うのです。そして社会が、
何よりも命優先で「オーケーオーケ―、こう言う時は何を置いても、そっちが優先さ。」という流れになって行くようになるべきだと思うのです。

で、ないと、日頃からあまり休む事など出来ない人たちの登録は期待など出来ない事だと思います。

今回は、そんなには怖いお話はなかったように思いますが、お話に統一感があって分かりやすかったです。
ただ私的には、今までの飯嶋家の一族のメンバーのお話のそれぞれの顛末記をもっと読みたいなと思うのでしょうが、皆さんはどうでしょうか。

・海辺の少年
・疑心暗鬼を狩る
・彼岸の果実
・凍える檻
・はずれの家
を収録。
 
・・・・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふてくされていましたが、《上野の桜》

2019-03-28 13:45:12 | お出掛け日記
あまり長々と落ち込むことが出来ない性格なので、復活しました。

どうでも良い事ですが、「長々と落ち込むことが出来ない。」と言うのは、その内容によるもので、ものによっては10年間ぐらい心の片隅でクヨクヨし、ちっとも解決していないものの、そのクヨクヨしていた年月の長さに腹を立てて、無理やりお悩み強制終了させたと言うのも中にはあるので、一概には言えない事ですが、ちっぽけな出来事などは、そのちっぽけさに比例して、立ち直りも早いのです。

何を落ち込んでいたのかと言うと、昨夜、いつもの通り日にちをまたいで、つまり2時間ぐらいかけて書き込んだブログ記事が、ラストで「公開する」を押したら、すべて消し飛んだのです。

ーああ、もう嫌だ。こんな時間喰いな趣味はもう止める。もうgooは嫌いになってやる。
そう思って寝ましたが、上にも書いた通り、「まあ、いいや。」てな気分にすでになってきました。

gooを始めた頃は、記事が消えるって結構ありましたよね。
良くラッタ青年に叱られました。
「あなたは学ばないね。」って。

消えた記事を、再びめげないで書く場合もあるのですが、作文部分の二度書きって、結構辛いものがあるのですよ。
少しだけ、ブログについて考える良いきっかけになったかも知れません。

でもそれについても、まだちょっと結論は出ていません。
ああ、止めるとかではないです(昨晩はちょっとだけ思ってました。)

なんでもありブログは、この先は無理なんじゃないのかと言う所でしょうか。
で、結論が出ていないのです。

今日は少々時間もあって、加えて憂鬱なメールが来たりで、気を晴らすためにも
または紛らわすためにも、少しいくつか更新したいなと思っています。(と言っても、いつも大した数ではありませんが。)

で、最初は、昨日とは同じ内容ではありませんが、
昨日の「さくらの日」にたまたま上野に行ったので、「ひとり花見」をしてきました。

その写真日記です。








まるで人など居ないかのような切り取り方ですが、昨日の上野でそんな訳はありませんね。



花より団子タイム。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由が丘に行きました。その3

2019-03-26 23:02:25 | 家族スナップ

・「自由が丘に行きました。」「自由が丘に行きました。その2」の記事は、お出掛け日記のように見えても、実はそうではなかったのです。でも「その3」に来て、「お出掛け日記」に近づいてきました。ちょっとだけそれが嬉しい私です。

トップの画像は、食事の後でみんなで行ったピーターラビットのカフェです。

すぐ下の妹が案内してくれました。

さすがに地元民。素敵な所を紹介してくれてありがとうという気持ちになりました。

 

  

先日肺がんの手術を無事終わらせることが出来たその地元民の妹ですが、やはりその後の抗がん剤治療は免れることは出来ないようです。

肺がんは手術で取り切ることが出来たら、その後の抗がん剤治療はしなくても良い癌なのだと、事前説明で聞きました。ところが妹は、その手術の時、同じ肺の中ではありましたが、事前の検査では分からなかった小さい癌もあって、それも綺麗にしてくださったそうです。

それを聞いて、もしかしたらその後の治療は免れないかも知れないとは思っていました。

妹の乳癌での抗がん剤治療中は、本当に大変だったのです。もちろん私はまったく大変ではありません。その苦しみも私のものではありません。我が事のように語ることは許されないと思えるほど、彼女の場合は辛そうだったのです。いいえ、「辛そう」ではありません。辛かったのです!

傍にいるだけで、心が真っ暗になるほどに。

またそれをやるのかと思うと、明るく振る舞う妹が不憫でなりません。

と言っても私はあまりそれが態度に出る人ではないのですが。

 

だけど

「治療が始まったら、本当に大変になってしまうから、その前にみんなで自由が丘でお食事会をしない?」と提案をしました。

そう言うわけで、3月20日にまた再び、自由が丘に行ったのでした。

本当は、母も姉も来る予定でした。母が来れば、お会計は母持ち。

「お母さんが行くと言う事はそう言う事でしょ。」と母は言ってくれたのです。

だけど急きょ、母は来られなくなりました。

それで川越の記事を書いた時に、安上がりにしといて良かったと書き込んだのでした。

 

 この日に地元民の妹に連れて行ってもらったお店は

 中華のお店で、かなりの人気店でした。

お食事。

 

 

 

 

 ちょっとリッチなランチでした。

そしておしゃべりも楽しい時間でした。

「じゃあね。」と別れて、私と一番下の妹は駅の改札前で時刻表示の案内を見上げていましたら、いきなり別れたばかりの妹が「わっ!!」と抱き着いてきました。

「わーっ、吃驚した。もう行っちゃったと思ってたよ。」と言いながら、私たちはその妹に見送られながら駅の中に入って行ったのでした。

 

「楽しかったから、お別れが寂しかったのかしら。」と私は思いました。

 

いつかみんな笑い話になればいい。

笑い話になりますようにー。

 

  

 待ち合わせの時間より早く着いたので、家族のお土産に「あげまんじゅう」を買いました。

 気になっていた古本屋さんにも寄りました。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Sky presents 藤原竜也のラジオ」10

2019-03-26 22:38:13 | テレビ・ラジオ

※ 朝起きたら、喉の奥が痛くて、なんだか一日中ぐずぐずしていました。ようやく夕方近くになってからやっと元気が出てきて、「やるべきこと」の一つをやりにようやくお出掛けしてきました。

じゃあ家にいた間、何をしていたのかと言うと、「GYAO!」で「ST赤と白の捜査ファイル」が更新されていたので、5話から7話まで見ていました。これ、リアルタイムで見て居たときより面白く感じます。またスペシャルでやってくれないかなぁ~。

 

※       ※      ※

というわけで、遅れつつ今週もラジオを聴いたメモを残しておこうと思います。

 

オープニングのお話。

エイリアンの特集を読んで2時間起きていたと言う話とか、先週の「どんどんおじさん」は怖かったとかいう話とか。

そしてお花見のお話。

あまり竜也さんはお花見は好きじゃないみたいですね。

だけどね、このお話の最後に言ったあの言葉は何なの。

「今年の桜は見る事が出来ても来年の桜は見る事は出来ない。」

私何気なくても、こう言う事を言われるとドキドキするのよね。

この言葉って、私の父が最後の花見で言った・・・・・。まあいいや。

ただ、今年の桜と来年の桜は違う。同じ桜を見る事は出来ないと言う事を言ったのね、きっと。

 

お手紙もまた皆面白かったのですが、特に、接客業をなさっている方のお手紙に対する竜也さんのお返事は心に残りました。

連日舞台が続いている時、毎日同じセリフや動きをするお芝居を嫌になった時のモチベーションの上げ方はと言う質問に

「演じる事は日々を生きると言う事。日々新しい鮮度と感覚を求めて。なぞりはしない。毎日同じ事をやっているわけではないんだよね。」

言葉を拾って書くと、こんな感じになってしまたのですが、話し方も凄く良かったです。舞台人の哲学を感じました。

次の質問で「彼氏が女々しい」に「藤原さんの奥さんからじゃないんでしょうね。」というツッコミ。

「なんでだよ。」と言う流れがおかしかったですね。

 

歌は告白応援ソングと言う事で、

I LOVE YOU - 尾崎豊(フル)

 

「服の話」「高所恐怖症の話」などなど

高い所・水中・暗い所が苦手なのね。

今回も面白かったですね。また来週~。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いだてん12回「太陽がいっぱい」

2019-03-26 09:19:35 | ドラマ (大河)

一番最初に思ってしまった事。

ー まあ、あの子も海外ロケに行ったわけ ? えっ、ここ、もしかしたら日本のどこか ?

あの子と言うのは、四三の子供時代の久野倫太郎君の事です。

後で、公式のツイッターが、海外ロケにも参加と書いてあったので、やっぱり行ったんだなと確認しました。

なんか自然体で良かったですね。

凄く大事な要のお役目を見事にこなしていましたね。

 

短距離走の三島弥彦の敵はタイムでした。つまり闘うのは自分自身。

そして長距離であるマラソンを走る四三の相棒は過去の少年四三。つまり自分自身と共に戦う闘いでもあったのですね。

 

練習の時によく間違えていた分かれ道。

本番でも間違えてしまうのかなとドキドキしていましたが、まさか命の分岐点になるとは思いませんでした。

いいスタートが切れなかったわけですが(誰のせいかな~)、途中から挽回しだした四三は欲を出し(本人談)、途中でとらえたラザロとも競い合います。二人とも給水しなくて・・・・・・。

ここでも敵はうちなるものだったのですね。彼は分かれ道で違う道に行ってしまいます。

ラザロが違うよと手で指し示し教えてくれますが、朦朧としていた四三には伝わりませんでした。

あれは無意識の中のもう一人の彼が、その選択をさせたのかも知れません。間違えずに走っていたら、四三はギリギリまで、そのギリギリを超えても走り続けてしまったのじゃないかしら。

 

今回は、遠い日本で祈ることしか出来ない人々の、応援パーティーのシーンでも胸が熱くなりました。

その場所で、心からの応援のエールを送るスヤ。

そしてあの歌。

お互いに歌いあうあの自転車の歌をまた二人で一緒に歌うシーンが、いつか来るのだと思うのですが・・・・・・・。

 

四三が暑さの中を走るシーンにかぶせて、孝蔵が夜の東京の街を車を引きながら走りに走るシーンが映し出されますが、良い感じだなと思いました。彼らが闘っている間も、皆それぞれの生活とそれぞれの闘いが、毎日の暮らしの中にあったのですよね。そんな市井の人の事なんかを描いているわけではないのですが、私には大勝負を控えている孝蔵の事のみではないように感じました。なぜなら孝蔵は狂言回し、私たちの視点って事で良いのでしょう。

もう大勝負なんてものは(たぶん)、縁のない私。でも気持ちの中のどこかが走り出したいような衝動に駆られましたよ。

今回も面白かったです。

 

だけど「太陽がいっぱい」。

2020年の東京は大丈夫なのって誰もが思ったのではないでしょうか。

いっそ、マラソンは北海道でやったらいいじゃないって、唐突に思いました。

それじゃ、「東京オリンピック」じゃなくなるってか。

だってさ、東の外れのちっぽけな国の地理なんて、世界のほとんどの人になんかわかりゃしないよ、(きっと)

それに日本は狭いんだよ。移動する選手も飛行機に乗せたら、ああ、隣の都市に来たって思うよ、(たぶん)

 

それにね、夫殿が

「北京に雪なんかそんなに降らないだろう。どうするんだ、北京オリンピック。」みたいなことを言っていて、

彼が調べたところによると、競技によってはかなり移動するのですってね。

日本も打ち水みたいな悲しいこと言っていないで、なんかしなくちゃね。

じゃなかったら、夜明け前からやるしかないよね。

思わず2020年の「太陽がいっぱい」が気になってしまった回でもありましたね。

「ね」と書いて、みんなを巻き込む私・・・・(^_^;)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする