終わってしまいましたね。毎週本当に楽しみに見ていたので、来週からこのワクワクしていた時間をどうやって埋めたら良いんだなんて思ってしまいましたよ。
毎週泣いているのですが、今週も泣かせていただきました。
「3月4月を振り返って」の中でも書きましたが、最終回の予想を勝手に妄想し勝手に涙ぐみ一人で盛り上がっていました。
昔から前夜祭でも盛り上がるタイプでもなかったと思うのに、「仁」には思わずそれをしたくなるようなものがあったのですね。
では、勝手に妄想していた内容はあっていたのかと言う事ですが、ポイントである一部があっていたのみにすぎず、だけれどそれこそが私の望んでいた事で、凄く満足な終わり方でした。
要するに咲さんの手紙は残っていなくちゃあね。
だけど、まさか歴史の修正力なんてものに、記憶が塗り替えられるなんてことを遣られるなんて思っても見なかった事なので、切なさが増しました。
咲さんが、「『仁友堂』を残す事が私の使命なのだと思います。』といつかの回で言った時に、妄想の扉がバーンと開いてしまいました。
こんな妄想・・・・。
南方仁はいつか未来に戻る。そこで彼が仁友堂のあった場所に行ってみると、そこには現代にはあるはずもなかった「仁友堂」が静かな佇まいで存在していたのでした。もちろんそこは今では資料館になっていました。だけど資料館として存在するほどの功績があった場所だったのは間違いのない事なのでした。
南方が吸い込まれるようにそこに入ろうとすると、そこの傍らには小さな小さな石碑が。そこには
「南方先生、お帰りなさい。」・・・・。
「仁友堂」が存在していると言う事が、既に咲さんからの大きなラブレターのような気がしてなりませんでした。でも手紙は残っていると思っていました。
そして勝手に泣いていたと言う・・・・
二倍、楽しんでいたかもね、私。
しかしこの「JIN-仁」は良く出来たお話でしたね。SFであり歴史的医療物語だったわけですが、どの視点からでもワクワクさせた所が人気の秘密だったと思います。
そうでした。
それから、この物語は凄く切ないラブストーリーだったのですよね。
方法は分からなくても、仁を元の世界に帰す事が仁を助ける唯一の方法だとしたら、あの時咲が緑膿菌に感染してしまったのも、単なる偶然ではなく愛が動かした運命の力と思わざるを得ません。
会えなくなってしまっても助けたい。自分の命をなげうっても助けたい。
それは咲のみではなく南方にも感じました。
頭の中の龍馬の声は龍馬の血を浴びた事によって・・・・・云々かんぬんは幾らなんでも、そりゃ無理だろと言う説明ですが、もうそんな事はどうでも良いのです。そうかそうかと、何でも受け入れてやるのです。ついでに言うと、出口と入り口は違うと言ってるのに、薬が出口に落ちていたのにも「?」ですのよ。でも何でも良いのです、そんな事は。
私的には龍馬の声は、仁の願望です。人間の脳は、あまり使われていないと言う事はよく知られているでしょう。最大の理解者であり親友である龍馬を失って、仁は龍馬の声を借りて自分の使っていなかった脳を使って、龍馬と言う形をとって自分を導いていったのだと思います。
入り口と出口は違う。
本当は、仁が本当に帰りたくてのた打ち回り嘆き悲しんでいたら、その発想はもっと早くに思い浮かんだ事なのかもしれません。でも、仁にそんな事は起きなかったのです。たとえ未来の写真の画像が消えてしまったときにも。
今いる場所に役割と使命と運命があったから。
でも仁は咲の為に、咲の命を助けたいが故にようやく閉じてあった門が開いたと思いました。そして彼は現在に帰ってきたのでした。
そして最初に戻る・・・・
なんと無限ループ・・・・。考えると恐ろしい。もしかしたら、その戻っていった(新たな)現在の仁の江戸での運命にはそれどれ若干違う出来事が待っているのかもしれないなどと、疲れる事を考えてしまいました。
原作は10年連載で、10年前の伏線回収と漫画レビューでどなたかが書かれていますが、ドラマでもたった一年でも伏線回収がちょっと大変だった部分がありました。それは、現在の同僚たちのキャラの性格。手術をしてくれた事になってしまった同僚の医者もそうだけど、野口役の山本耕史君のキャラは結構濃かったような気がしたけれど、どんな感じだったかしらなんて・・・。とにかく理論的に物事を考える事が得意な人なのよね。
再放送の時にも、いつも一回目を見逃していたから。彼が出てきたときに「そう言えば」と、なんだか嬉しい感じがしてしまいましたよ。
仁友堂のあった場所には行きませんでしたが、図書館で調べる仁。ペニシリンの欄に仁友堂の名とそのメンバーの懐かしい名前が載っていたのが嬉しかったですね。
でもそこには咲の名前も仁の名前もありませんでした。仁は咲の家があった場所を訪ねて行きました。そこには「橘医院」の看板が。
おお、そう来たか~!
そこでであった女性は、咲さんそっくりの・・・・、ではなく野風そっくりの女性でした。
ここにも遣られましたね。咲は野風の子供の安寿を養子にしたのです(安寿の父ちゃんはどうしたんだろうって事は深く考えない事にして・・)
そして彼女の名は未来。
その彼女が最後に渡してくれた手紙のは
「○○先生、・・・」と書かれていました。
歴史の修正力によって、名前も姿の記憶も消されていってしまう。その中で咲は、必死の思いでこの手紙を書いたのですよね。最後の「お慕いしています。」。もうぼろ泣きですよ。「私もですよ、咲さん。」
あっ、ちょっと今書いていても涙が出てきてしまいます。。。。。
ある日、未来が脳の腫瘍で病院に運ばれてきます。仁は自信のある力強い声で、「私にやらせてください。」と言い、手術のシーンでこの物語は終わります。
彼は未来を助けられなかった自分をずっと責めていました。そして何とかして助けたいと思っていたところからこの物語は始まったように思います。この最後の手術シーンは、明るい展開が予見でき、そしてその後未来との新しい物語が始まっていくと言う事を想像しても許される、そんな終わりだったと思います。
「完」
寂しいけれど完璧だったと思います。
でも、あのシーンの事は書かないのかなと思われた方、いらっしゃいますか。
わざと最後に取っておいたのですよ。
実はぼろ泣きしたシーン、もう一箇所。
手術中の仁と龍馬の夢のシーンです。
海に入っていく龍馬に「何処に行くんですか、龍馬さん」。
龍馬の声は仁の脳の具象化した声だと言う自分の説は棚の上に放り投げ、思わず、ああ、役目を終えて龍馬は帰っていくんだなぁと思ってしまいました。そう、ここでは龍馬なのですよ。
龍馬は本当にお別れに来たのですよ。そして本当に大切な事を言いに来たのです。
「先生はいつか俺たちの事を忘れてしまう。でもいつも傍にいる。一緒に居る。」
正確な台詞は書けませんので、感動も薄れるってもんですが、このシーン、本当に感動しましたよ。
こんな大それた歴史的SFでなくても、人の記憶はいつしか徐々に奪われて、あの時一緒に笑ったあの人も、抱き合って泣いたあの人も、今は傍にいません。そればかりでなく名前も姿も、あった出来事もゆっくりと忘れていってしまうでしょう。でもその時の記憶はいつしか消えても、それらの事が消えてしまったというわけではないのですよね。彼らはいるのですよ、私の中に、一緒に。
何か見えない何かに励まされているような感覚、見守られているような感覚は、こういうことなのかなと思いました。
上手く言うことが出来ませんが、この内野さんの龍馬が嵌り役だった事だけは間違いのないことでしたね。
追記
コメントに咲さんがお手紙を全文載せてくださいました。あわせてお読みくださいませ。