森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

鎌倉殿の13人 第4回「矢のゆくえ」

2022-01-30 23:35:00 | ドラマ (大河)

矢が二回放たれました。

なんでか、私ドキドキしました。

八重が山木が家に滞在していることを頼朝の館に知らせるために、白い布を付けて矢を放つ・・・・・。

夫殿が真横で

「そっから届くわけがないだろ。もっと近くにいかなくちゃ。」と言いました。

「いや、八重はきっと矢の名手で、特に遠くに放つ名人なのに違いない。」と私。もちろんでまかせです。

だけどそこは問題なく矢は届きます。ドラマなので。

別に、矢が届くのか否かでドキドキしたわけではありません。

このドキドキはワクワクに近かったかもしれません。

「ああ、始まる~。」と言うワクワク・・・。

 

八重は、義時が彼女を気遣って、さりげなく挙兵の事を告げると、迷わずに父に報告する人だったのですよ。前の回の時にも、彼女は自分が父に逆らった事など無いと言っていましたよね。

頼朝と別れろと言われたら別れ、嫁げと言われたら家人に嫁いだのです。

挙兵の事を伝えても、頼朝の命は懇願し、父の曖昧な約束を信じる八重でした。

その彼女が、父をも裏切って矢を放ったのは、義時が言った「関東の武者は・・・」とかなんとかの挙兵の理由によるものではなく、私が思うにひとえに頼朝の無事を思っての事だと思いました。

白い布の合図を送ったのも、自分の事を思い出してほしいと言う切ない願いもあったかも知れませんよね。

 

しかし総大将は、何もせずに館にドーンとしてればいいと言われたって、政子の膝枕でと言うのはないんじゃないかと思った私。

それじゃ八重が可哀想だなと。

 

そして、もう一つの矢は、もちろん佐々木常高が堤館に放った矢です。

「吾妻鏡」に『「これ源家げんけの平氏を征する最前の一箭なり」と記されています。』HPから抜粋。

やっぱりこのドキドキも、始まった~ !!と言うワクワクだったかも。

やっぱり「吾妻鏡」読もうかな。(漫画で^^)

 

今週の私的ツボだったのは、やはり一番は、義時が坂東武者を田舎侍と馬鹿にしているのを諫めるシーンでした。

その後、頼朝が武者たちに会う時

「あれっ ? 何で知ってるのか忘れちゃったけれど、頼朝は会う人ごとに全部泣いて見せて、人の心をつかむんだよね。」と言ったら、本当にそういう流れでした。

何を見て知っていたんだろうかと思いましたが、この頼朝エピソードは有名なのかしら。

 

また相も変わらず、怖くて面白かったのは、政子と八重のシーンでした。

この先、再び八重と頼朝に何かあったら、ただでは済ませないようなことを引きつった笑顔で言う政子。いっぽう八重はかってに、政子と頼朝は上手くいっていないとか、可哀想な頼朝様などと、義時が否定する言葉など耳も貸さずに勝手に話し続ける始末。

でも今は面白くても、こんな雰囲気が続くんじゃあまり好みじゃないなと思っています。

この人がヒロインで、この先どうなっていくんだろうかと思って、以前も調べてみた「八重姫」でウキペディアを検索したら、なんか更新されていて、彼女の説明が違っていました。・・・・いや、違っているように感じました。

いつもなら、「ここです」とリンクするのですが、こちらの説で言ったら、八重がヒロインである理由が分かるような気がする一方で、ネタバレにもなりかねないし、こうなっていくのかと思い込むと、三谷氏に裏切られるかもしれないので、後の楽しみという事にしておきますね。

 

あと面白かったのは、軍議の席での義時の手の上げ方。

気合が入ってましたね。

そこで堤もターゲットに提言するわけですが、あれは絶対に茄子の怨みですよね。

食べ物を踏む。これは意外と、「まあ、君は撃たれても仕方がないね。」みたいな気持ちになるから、やはり食べ物は大事にしましょうと言う所でしょうか。

 

細かい所を言えば、あの占いは、皆同じ日付だったのではないかとか、いろいろと思う事は尽きないわけですが、次回は「兄との約束」。なんか嫌な予感が・・・・。

と言うわけで、次回も楽しみですね。

 

 

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くぅちゃんのお蔭。

2022-01-28 23:06:32 | 梢は歌う(日記)

写真のくぅちゃんは、10月のくぅちゃん。

堂々としていて、そうは見えないけれど、5か月の子猫だった頃。

去勢手術が災いしたのか、まんぷく中枢が壊れてしまっているみたいだと夫殿が言いました。

ここに来て、やっと落ち着いてきたようなのですが、ずっとお腹が空いているみたいで、なんだか可哀想だなと思っていました。

可哀想だと思っていても、情に流されては大変な事になってしまうので、双方とも我慢我慢。

一方、先住猫のあんずさんは、ずっと子猫のような雰囲気を醸し出す小柄な猫さんで、少し前までは、全く食い意地と言うものがはっていませんでした。

ところがご飯の時、ゆっくり食べていたり、後から食べようとマイペースを決め込むと、みんなくぅちゃんに持っていかれると気がついて、なんだかガツガツと食べるようになりました。もちろんそれに対してはケアしていますが、油断すると最初はやられてました。

ガツガツ食べるようになったのが良かったのか、ここに来てあんずさんもガシッとしてきました。

それでも1月のくぅちゃんは、あんずさんの大きさを超えてしまったと思います。

だけど仕草と表情、やる事は子猫なんですけれどね。

でっかい子猫のくぅちゃん^^

時々、二匹は凄いバトルをしてますが、時々、仲がいいです。

 喧嘩売っているのではなくて、くぅちゃんを嘗め回しているあんずさん。

そして

 あんずさんのしっぽで遊ぶくぅちゃん。

(この際、猫クッションについているタグは見ない事にして欲しい・・・(^_^;))

 

と言うわけで、ももちゃんがいなくなった後、寂しかったあんずさんにも賑やかでストレスもちょっとある猫ライフが戻ってきました^^

 

ところで・・・・・まぁ、ここからが本題ですが・・・・

この腹ぺラし猫のくぅちゃんは、夜になると野良猫だった頃の血が騒ぐのか、ゴミ箱を漁ってみたり、食品の置いてある棚を物色するようになってしまったのです。すぐにゴミ箱は買い換えましたが、元々キッチンで使っている物は蓋つきなんで、関係がなかったのですが、リビングにあるゴミ箱って、たいがいは紙ごみなどが多くて、猫が反応する物ってないはずだったんですよね。

それでも買い替えてゴミ箱問題は解決したものの、小さな食品棚物色は、荒らされると言う問題じゃなく、くぅちゃんにとって危険な事なのでした。

ももちゃんの時もあんずさんも、何の心配もなかったので、油断していたと言うか考えも及びませんでした。

猫が真夜中に、青汁の粉末の入ったラミネートの袋を食いちぎって、舐めたりその辺にまき散らすことや、未開封のワカメスープの箱を食い破り、その袋をまた食いちぎるとか、レトルトパウチのあんこの袋に穴をあけ、絞り出して舐めるとか・・・・・。

 

確かに私が迂闊だったのだと思います。だけど、うっかり席を外したすきにバターナイフを舐められると言うレベルじゃないんだもの。

 

ちょっとお仕事が2月の終わりまで週6日やっています。時間数は大したことはないのですが、なんたってそのお仕事時間が夜な事もあり、また時間外のあれやこれやがかなりストレス。体力がないので、いつもヨレヨレしている私。

もう決め込んで、12月は大掃除はしないと宣言。3月が私の年末なのだと思っていました。

掃除と片付けは別の問題のようですが、意外と同列にある場合もありますよね。

やってはいけない床置きとか・・・・・分かっちゃいるけど余裕なしという感じだったのです。

だけどそんな事は言っていられません。

アホな猫の命がかかっていると思えば、やらなくちゃ !!

 

朝からその日は頑張ったのです。

だけど前から約束してあった友人には会いに行き、いつも通り夕方からのお仕事はしました。

でもその後「相棒」は録画して、見ない事に決めました。

洗濯物の片づけとか他の諸々の家事を終わらせて、真夜中近くにキッチンのお片付けも終了しました。

本当は小さな食品棚の所だけ片付けて無くしてしまえば済むことだったのですが、この際だからやりました。

さらば床置き生活(笑)

 

夫殿

「なんかキッチンが綺麗過ぎて、気持ちが悪い・・・・。」

なんじゃ、そりゃ !?

だから私、言っておきました、念のため。

「大丈夫。続きゃしないから。」

 

※ 最近ちょっと分かった事。そうなんじゃないかなと思っていたのですが、くぅちゃんは食べ物を物色していたんじゃなくて、プラスチックの何かをカジカジするのが、好きみたいなんですね。これからも気を付けなくちゃ !!


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相棒20 第13話「死者の結婚」

2022-01-27 23:11:43 | ドラマ(相棒)

終わってみれば、ちょっと切ない話だと思いました。

真実は暴かれましたが、その真実は、あのお母さんに告げられたのでしょうか。

でもきっと、あの人たちは覚悟していたはずですよね。だからあの瞑婚絵を依頼したのだと思います。

確かに元刑事の黒瀬は、絶対にやってはいけない事をやってしまったと思います。だけどあの瞑婚絵が描かれたことによって、その絵にそっくりな女性をお父さんが見つけ、余命のないお母さんの心を励まし、そして犯人だった青年は、親の気持ちを理解して苦しみ、自首しようと決意したのだと思いました。

青年は殺されてしまいましたが、結局は、それによって最後は少女の遺体の場所に行きつき、真実が分かっていくのですから、あれは冥府の少女からのメッセージだったのかもしれません。

親は、成長する事を止めてしまった想い出の中の子供も成長させて、出来なかった結婚をさせてあげようと思うー。深い愛情と共に。

だけれど子供は子供で、きっと先に逝ってしまった事を悲しみ、親の事を思って、そっと見守っていたのかもしれません。

瞑婚の事を描きつつも、ホラー色無し。

実はちょっと勿体ないと思ったのでした。

ホラーと言っても、それは恐怖ばかりではないと思うからです。

 

また、多岐川家の両親にとっては、やはり真実を知る事が大事で、病気のお母さんはどんなに哀しくても、過去にあったそれを受け止めて、そしてしっかりと娘を先に見送ると思います。そしてあの瞑婚絵似の女性は、最後までお母さんに寄り添って励まし続けるのだと思いました。

 

しかし本当に犯人は恐ろしい人でしたね。

高校生に手を出す。目撃してしまった少女・未来が謝って死んでしまうと、埋めて隠ぺいしてしまう。そしてずっと胸も痛まずヌケヌケと生きていて、良心の呵責に苦しみ自首しようとする青年を刺し殺す。しかもめった刺し。

夫も生徒も失いたくなかったなどと、まるで正当化するように平気で言う。

右京が、声を荒げてお説教して、沈み込んだ顔をして見せたけれど、こんなモンスターは、何も反省していないと思いました。

出会った事が不幸せなのだと言うのは、こういう人との事を言うのだと思いました。未来ちゃんも、そしてあの殺されてしまった青年も。

 

最後に、「こてまり」でのイタミンは、なにげに可愛いおじさんになってましたね^^

そして確認しましたよね。

青木はしつこいって。役に立ちましたが^^

 

 

 

 

 


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「他人は地獄だ」を見ました。

2022-01-26 00:39:05 | 海外ドラマ

「トッケビ」からファンになったイ・ドンウクのドラマは、私的には外せないような気がしていて、この「他人は地獄だ」というサスペンスも見たいとずっと思っていました。

このドラマの事を知った時に、何処かで見る事が出来ないものかとネットをウロウロしていたら、ついつい地雷を踏んでしまって、主人公のジョンウ(イム・シワン)がどうなってしまうのかが分かってしまったような気がして、「見なかった見なかった」と自分に暗示に掛けそのサイトを閉じたと言う、いかにも私らしい失敗が・・・・(^_^;)

その時、なぜかイ・ウンドクは怪しく見えただけのツリの人のような気がして、そしてもう少し脇役なんだと思っていました。怪しく見えただけの人っていうのは、何気ないファン心理だったかもしれません。

全然脇の人ではなくて、ど真ん中にいました。

怪しく見えただけの人なんてとんでもなくて、一番怪しい人そのものでした。

これ、ネタバレと言うわけではないです。

最初からそういうドラマだって、たぶん皆さん分かってみるドラマだと思いますから。

 

このドラマがアマプラで見られるようになったことが分かったので、同じくイ・ドンウクファンの姉に、しかもスノウさんの家にお見舞いに行った時に無邪気に勧めたのです。

するとスノウさんも「私も見るね。」と言ったのですが、きっと私たちが帰ったら、そう言った事は忘れたと思います。寧ろ忘れて欲しいです。

1話目を見て、「お勧め撤回宣言」をしました。

シリアルキラーの話は意外と好きなんです。「ハンニバル」とか「クリミナル・マインド」とか。(ただしスプラッタシーンは見ない。)

そんな私でも、これ1話目を見て思った事は「キッツ―」です。かなり辛いです。元々サスペンスなど好きではない姉などには耐えられないレベルなんじゃないかなと思ったのです。

暗い汚い貧しい。住人は皆変な人たち。

ジョンウの入ってしまったエデン考試院は、まるでごみ溜めのようなところ。

そんな所から足掻いても抜け出せない恐怖が、そこにはあったかも知れません。

やたら明るくて、お節介な普通のおばちゃん風な大家さん。こんな人が居たら、私は騙されちゃうと思う。

本当に怖い。

イ・ドンウクの美しさがまた怖い。

 

1話目もやっと見て、2話目も三回ぐらいに分けてみて、エデン考試院の秘密が秘密ではなくなり、きっと成るように成るサと思った頃から、急に面白くなってきて後半は10話まで一気見でした。

やっぱり彼らの最後は見届けなくちゃと言う気分になったからでしょう。

 

ちょっとdvd-boxの解説から言葉をお借りします。

『◆累計8億PV! 39週連続ランキング1位! 評価平均9.8点!
韓国中を震撼させた驚異的メガヒットWEB漫画を実写化
原作漫画「他人は地獄だ」は、韓国の電子漫画サイトNAVER WEBTOONにて連載初期からその衝撃的なストーリー展開で話題を集め、韓国中で大ブームとなった。
その結果、連載終了時には累計8億PV、日曜ウェブ漫画ランキング(※)39週連続1位、そして平均評価点10点満点中9.8点という前代未聞の大記録を打ち立てた。
実写化に際して、各キャラクターの再現性は原作ファンからも称賛を集め、ドラマで展開された原作を越える恐怖描写の数々は、オリジナル同様に中毒者を数多く生み出した。(※NAVER WEBTOONにて毎週日曜日に更新される作品の人気ランキング)』

 

ラストはやっぱり、暴力とは違った意味で怖かったです。

死んでほしくない人もいたので、ショックなシーンもありましたが、ムンジョ(イ・ドンウク)が自分の仕事は解体して組み立てる事だと言っていましたが、彼の仕事が終了するまで、ほぼ10日ぐらいだったのではないかと思うと、それもとっても怖かったです。

そしてやはりジョンウがカフカの「変身」を読んでいたのは、何かを最初から示唆していたのかもしれません。

 

韓国ドラマのサスペンスって、刑事ものだと彼らの暴言やボカスカと言う暴力シーンがざら。

だけど物語の発想はメチャクチャ面白いので、そういうシーンは我慢して見ているか、見ていないんですね。ここは日本でリメイクする時は考えなくちゃいけない所だと思います。

ちょっと妄想ですが、もしもこれを日本でリメイクするとしたら、一時期このような映画の主演ばかりやっていた、大竹しのぶさんがやはり大家さんが良いのかなと思いました。ムンジョ(イ・ドンウク)の役は、松坂桃李さんとか。ジョンウは北村匠海さんとか。

 

因みにこのタイトルの「他人は地獄だ」は、サルトルの戯曲「出口なし」の「地獄は他人である」という言葉から生じた言葉らしいです。どいう意味かと検索してみると、この「出口なし」の物語を解説しているサイトがあって、その方の記事を読むと、「ややっ !」という気持ちになってしまいました。このWEB漫画の作者は、その言葉の語源になったサルトルの戯曲を知っていて、このおぞましき物語を作ったのではないかと思えたのでした。

いきなり素晴らしい~という気持ちにもなってきました。(笑)

ご挨拶が苦手なのでリンクはしませんが、「地獄は他人である」で検索などしてみてくださいね。

 

 

 

 

・・・・・

 

 


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鎌倉殿の13人 第3回「挙兵は慎重に」

2022-01-25 00:28:04 | ドラマ (大河)

古今東西、常に早とちりの人は居るわけで、都の情勢を頼朝に伝えていた三善康信は、源頼政の残党狩りを以仁王から令旨を受け取ったもの全員に清盛の兵の手が迫ると、早とちりをしてそれを頼朝に伝えてよこし、それによって頼朝は挙兵せざるを得なくなっていったわけなのですから、役に立つ思い込みと早とちりはあるという事ですね。

いや、挙兵に役に立つと言うのも変な言い方ですが^^

実は私も思い込みの早とちりをしていました。

何をしたのかと言うと、私、これが時代劇なものですから「十三」と言う漢数字を使っていましたが、それこそ思い込みでした。このドラマのタイトルは「13人」と言う数字だったのですね。

三回目で気がついて良かったです。

って、三回目まで気がつかなかったのかってところですが(^_^;)(^_^;)

しかし、思い込みって怖いわぁ。

 

怖いと言えば、あのシーン、私は怖かったです。

対岸の丘の上から、頼朝と政子、大姫家族を見つめる八重に気がついた政子が、にこやかに手を振るシーンです。

お仕事を引き継いだ後輩として、手を振っているのでしょうか。

この政子のお手振りが、気持ちがよく分からなくて怖かったです。

にこやかに笑っていましたよね。その時の頼朝は、なんかこそこそとした感じ。まあ、分かるけれど、そっちの方が。

その頼朝にも、怖いシーンがありましたね。

政子が、戦に参加しなくて良かったですねと言うような事を言うと、頼政の事をかばって彼女の事を叱りますが、振り向いて仏に向かった時に、思わず微笑みが彼の口から零れるのです。

彼は、負け戦に参戦しなくて良かったと思ったのか、清盛を頼政に討たれなくて良かったと思ったのか、とにもかくにも「ああ、良かった !」と思ったのです。

しかしこの男、とにかく本音を言わない男なのですね。

めんどくサッ!

 

そんな面倒くさい男も、義時にだけは本音を言うー。

「止めてください、私にだけ言うのは。」

「言葉にすると、自分の考えがまとまるのだ。」

なにげに頼朝は義時を信頼しているのか、それとも主役特権か ?

 

ただ義時は、兄のように熱くなるだけではなく、数からいろいろな事を分析し、状況を判断する力を持っていました。

なんだかんだと言って、挙兵への決心に一番説得力があったのは彼の数字からの分析だったのではないかと思います。

 

ところで、私は日本史は教科書レベルでしか知識がありません。大河ドラマのお蔭で、戦国と幕末には少々知識も増えてきたようなものです。なんたって順番にやってると言われているくらいなものですから。だからこの平安時代から鎌倉時代に入っていく、この時代の事をやって頂けるのはありがたい事です。

文覚と言う人の、「頼朝の挙兵を決断させた父のドクロの話」と言うのは有名な話なんですね。

この文覚と言う人は知らない人だったので、昨晩は、この人のことをあれやこれやと調べていました。だけどこの方が僧侶になったいきさつからして、好きになれない人だと感じました。

だけどこの人のあれやこれやを書くと、ある種のネタバレにもなりかねないので、詳しくは書かない事にしますね。

この先もかなり関わってくる方だと思いますが、この回も、かなりいい加減な人に描かれていましたね。

「もう二度と来るな。」と言われたり、ドクロを投げ出して「まだあるから良いもん。」と言ってみたりで、ちょっと笑ってしまいました。

この誰のか分からないドクロがあったから、政子の力強い進言、義時の説得力ある分析も加えて、シーン的にカッコ良く収まったと思います。

もちろん外せないのは、後白河法皇の(偽物臭い)令旨ですね。

私、ちょっとこのシーンで、三谷氏って本当に歴史が好きで、いろいろな書物を読みこんでいるんだなと、本当に感心してしまいました。解釈が拡大しているようなお話って、基本の元ネタのお話を、よくよく知らないと書けないものだと思うんですよね。

だから逆に、このシーンは本当はどのように伝わっていた話なんだろうかと、また調べる楽しさがあるのかもしれません。

 

最後に

「人々は夢のお告げを信じている。平安末期はそういう時代である。」っていうナレで終わるじゃないですか。

「別に平安時代じゃなくたって、夢のお告げは、今だって信じられてるよね。」と真顔で言う私。

たぶん夫殿は、「うん。」と言いつつ、人の話をまったく聞いてなくて生返事だったと思います。だけどこれ、私たち四姉妹でいた時に、私が言ったらみんなで「うん。」としっかり返事してくれたと思うー。

「夢のお告げ」はいつの時代も大事だと思います。なぜなら、その人の深層心理が見え隠れ・・・

本音を語らず、自分の気持ちが良く見えてなかったかもしれない頼朝の本音が、そこにはあったと思うからです。

 

というわけで、また次回も楽しみですね。

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薔薇の花が咲いていました

2022-01-23 10:59:28 | 梢は歌う(日記)

いったい薔薇の花は5月と秋に咲くものだと、誰に決められたと言うのでしょうか。

1月12日に三菱一号館を訪れた時に、その中庭に咲いていた薔薇たちです。

季節は真冬だと言うのに、先日は雪も降ったと言うのに、それでも楚々と咲いている薔薇の花たちに癒され励まされました。

こんな所に、ささやかな幸せや喜びを感じる私です。

だけど薔薇たちから言わせたら、

「あなたにとっては『ささやか』でも、私たちにとっては、大変な努力があるわけなのさ。」となるかもしれません。

最近の、そんな事の日記です。

日記なので、良い話ばかりではありません。

 

 

【嬉しかった !】

今日・・・じゃなかった、もう昨日ですが、午前も午後も自宅で仕事だったので、少々疲れて短いお昼寝をして、ツイッターを覗いたら、なんと「ハリー・ポッターと呪いの子」の情報のツイートが流れていました。

なんとトリプルキャストですが、藤原竜也さんがハリーを演じるんですって !!

このお芝居についてはまったく知らず、ノーマークでした。

ワクワクと言うより、ちょっとドキドキしてしまいました。

「良し! 今年も頑張って生きよう。」と言う気持ちに思わずなりました。

贔屓にしている人が居るって事は、そういう事なんですよね。

これだって、薔薇の花ほどはささやかではありませんが、それにしたってひとつの楽しみでしかないと思います。でも、これこそ

「あなたにとってはひとつの楽しみであったとしても、こちらは大変なんだよ。」と言う案件に間違いはありません。

なんたって、海外オーデションで勝ち取ったわけですから。

その公式ページは→こちらです。

【嬉しかった その2】

週一回、姉妹でライン集会を開いています。カメラ機能でリモートお茶会みたいなもので、最初に写真を撮って、その後はおしゃべりをしています。

なんだかんだと5年やっていて、その4人で撮った写真も200枚以上はあります。

子供の成長記録の逆なわけですから、5年前の写真を見ると、しみじみしたり嘆きたくなったりもします。やっぱり若い、私たち。そして、キラキラと元気、スノウさんも。

要介護4になって、なかなかラインにも出てこられなくなったスノウさん。

だけどおとといの金曜日は、その集会に出て来てくれました。

凄く嬉しくて、「大丈夫 ?」と声を掛けると、

「そんなに簡単には死なないよ。」と彼女は言ったのです。

人によってら、その言葉はかなりきつく感じるかもしれません。

でも私たちには嬉しかったのです。

「そうだそうだ。そうスノウさんが言っただけで、私たち、嬉しく思うよ。」と、私は言いました。

確かに言葉だけのささやかな幸せ。

だけど大きな幸せ。

 

【虚しかった。】

バイト先で受け持っていた子供。

心を込めて激励し続け、それがいつの間にか、彼のヤル気スイッチなるものを押していて、成績がガンガン上がっていった少年がいました。私自身、しっかりと自分の仕事としての手ごたえを感じていました。

ところが、

辞めるんだってさ。

私が常々思っている、塾あるある。

成績が上がると、「うちの子、頑張ったわ~。」

成績が上がらないと塾のせい。

 

まあ、いいけど。

それでも、一回は愚痴りたくもなるってもんじゃない?

【オチオチ熱も出せない】

13日の日に、あまりのだるさに熱を測ってみました。7度3分ありました。

なんか嫌な感じです。

又測ると、7度5分。

あー、もう憂鬱。

夫殿に電話を掛けました。

今時は、そんな微熱は寝てればいいじゃんにはならないんですよね。

夕方、発熱外来に行きました。

病院でまた熱を測ると、8度5分まで上がっていました。

こりゃ、ダメかなと思いました。

そしてそこでは唾液での検査でした。

ああ、唾液で検査するんですねと言った途端に、私が耳の下の唾液腺をマッサージし始めたので、看護婦さんが、ニッコリ笑いました。

「ええ、気持ち以外はしっかりと老人枠なので、唾液がそうそう出ないんですよ。」と私は言いました。それでもうまく出ないで、仕方がないのでスマホで梅干しとかレモン画像を出して頑張りました。

看護婦さんを呼んだ時に、不用意にテーブルの上に置いておいたスマホのその画面を彼女は見つけ、「良いアイデアでしたね。」とまたニッコリされました。

私が熱を出したので、検査結果が出るまで夫は仕事を休みました。金曜日は病院がお休みでしたので、土曜日にお電話が来ました。

結果は陰性でした。

良かった~ !!

そう思いつつ、じゃあ、あの風邪の症状がなかったあの熱は何だったのかと思いました。

もしかしたら持病から来た熱で、それは「疲れ」が原因で、微熱はある種の警告だったかもしれません。

陰性だったので、先日受け取る事が出来なかった皮膚科の薬を、薬局に夫に連れて行ってもらいました。その帰りにコメダに寄ってモーニングを頂きました。

「もしかして、懲りてないな、私。」と言うと、夫が

「人はそうそう簡単には変われない。」とまとめの言葉を言いました。

 

ああ、えっと、因みにもしもこの時陽性だったとしても、それは12日に出掛けたからではないですからね。陰性だったし^^

 

 

その12日の三菱一号館の中庭で、薔薇を見ながら星子さんを待っていたら、スズメさんたちがたくさんそばにやってきました。きっと昼食のおこぼれを貰いなれているのでしょう。

写真を撮ろうと、ちょっと動いても飛んで行ってしまうので、たくさんのスズメが真横で並んでいると言う稀な写真は撮る事は叶いませんでしたが、冬でも丸々太ったスズメは可愛らしかったです。

 

 

東京駅前の「KITTE」では、ツリーの後で「呪術廻戦」のイベントをやっていました。

このパネルの一番端っこに座って、参加できます。

 

しっかりと参加しています(笑)

そしてこの日は、12月に妹の名都さんと一緒に来て美味しいと思ったので、星子さんを誘ってまた来ました。

 

カップも可愛らしいのです。

そしてその珈琲を頂いてから、私たちは解散をしました。

星子さんは、またお孫ちゃんが生まれたので、他のお孫ちゃんのお世話の為に娘ちゃんの家に行っているのです。

 

先日のラインで、

「うちの一族には、オギャーオギャーと鳴くものはまったく現れなくて、ニャーニャーと鳴くものばかりが増えていくな。」と思わず私は嘆きの言葉を言いました。

だけど、それこそ、「まっ、いいか。」てなものですよ。

皆さん、今日も元気に行きましょ !!


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相棒20 第12話「お宝探し」

2022-01-21 09:19:08 | ドラマ(相棒)

面白かったです。軽妙で笑わせながら、最後に事件解決。好きです、こういうの。

だけど予告編で徳川の埋蔵金と言う言葉が出て来た時、お正月の特別ドラマの沢村一樹主演の「管理官キング」を思い出してしまった事は、前回の「相棒」の記事の終わりにも書きました。

埋蔵金は男のロマンかもしれませんが、出ないからロマンであり続けるのかもしれません。はっきり言って荒唐無稽なんです。だけど掘っているところが死体を埋めた所であったら、埋めた人にはメチャクチャ心騒ぐ目の離せない出来事ですよね。

何となく「ハハーン。」と思っちゃうわけです。

ところがちょっと捻っていましたね。

(あっ、そうそう。ドラマ感想は、基本ネタバレしていますから。)

 

もう掘るのを止めると決めた所に遺体を埋める・・・・。

これ、普通にしてたら、本当にずっと遺体など分からない事だったんじゃないかしら。石仏の場所を動かしていたのはいいアイデアで、元の洞穴には誰も辿り着いていないわけだし、また更に言えば、「落盤☆危険☆立ち入り禁止」と立て札建ててそちらの穴をふさいでおけば、よほどでないと人は入らないと思うのです。

それをずっとここに住んで見張ってろと、加害者だった嫁を追い出して、行方不明者にしてしまい、(たとえ男と逃げたにせよ)小さな事件にしてしまった事が大きな間違いですよね・・・・って、何か私、発言が間違えているような気がする・・・・(^_^;)

殺しちゃダメでしょ。隠蔽しちゃダメでしょ。っていうのが正しい見方ですよね(笑)

 

しかしここでも、私は既視感が。

あっ、いや、この私の「既視感」の使い方は間違えているみたいですね。余計なお話ですが、「既視感」と言うのはデジャブの事で、『 一度も見た事もないのに、すでにどこかで見た事があるように感じられること。』で、私の使い方は、『1の誤用から)過去にどこかで見た覚えがあること。』の方。辞書に(誤用から)と言いながら意味が載っているのは、誤用が多くて社会権を持ちつつある言葉なのかも知れませんね。

と、言うわけで書き直さずに押し通す・・・・^^

話を元に戻して、玉の輿に乗った女性が、昔のろくでもない男に復縁を迫られて、うっかり殺してしまうと書いたら、やはり正月スペシャルの「緊急取締室」を思い出してしまいました。

犯罪を隠すと言うのは、サスペンスのパターンの基本の一つだと思います。たまたまそこに婚家の家族が絡むと言う同じパターンになったかなと感じてしまいました。もちろん結末は違いますが、双方とも良い終わり方でしたね。

どんなにろくでもない男を殺してしまっても、やはり「じゃ、いいか。」ってわけにはいかないのですよね。

と言うより、過去の男の(もしくは女の)対処法は、結婚する時に話し合っておくか、もしくは一人では決して合わずに、大金の手切れ金を用意できるのなら、そのお金でチョー強面の役者を雇えってもんじゃありません ?

おっと、妄想が暴走・・・!

と言うわけで、私的には既視感(誤用)バリバリだったわけですが、それでも凄く面白く感じたのは、このライターさん(斎藤陽子)が、「相棒ワールド」をよく分かってらっしゃると感じるからなんです。

相棒ワールドの住人が、皆イキイキと自分の役目を生きてると感じました。

ユー・チューバ―(劇中では別の名前)をやっている、「ここ掘れわんわん」のメンバーを、

「仕事そっちのけで遊び呆けている、どうしようもない大人」を青木が称した時、冠城は復唱するように「どうしようもない大人」と言ったのは、明らかに自由気ままに動いている右京の事を指して言っていましたよね。

右京、本当にイキイキと、そして物凄く楽しそうでしたね(笑)

「自分で言いだしたくせに、あんたちっともやってない。」とメンバーに言われると、

「今日はこんな格好なので・・・」とか言い、一緒には掘らない。と言いながら、格好をそろえて来ても、やっぱり掘らない。もちろん、そんな事が目的ではないので当たり前のことですが、、いざ動画をとろうとすると、自分で仕切ってど真ん中でチョー目立つ。

その動画を、警視庁でみんなで見てる・・・・っていうのも笑える・・・

 

私的には冠城や青木に「近い !」「近すぎる !」と距離感掴めず、嫌われるおじさんだった暇か課長が、いい味出してるなぁと感じ笑えました。

 

しかし徳川埋蔵金って本当にあるのかしら。

あって欲しいなぁ。

だけどこれからは、普通のおうちにも、1万から下手したら十万単位の小銭埋蔵金が生まれていくのではないかと、私、予想してる・・・。

 

と、言うわけで次回も楽しみです。

 

 

 

 


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イスラエル博物館所蔵「印象派・光の系譜」展☆その2

2022-01-19 09:59:58 | お出掛け日記

・「イスラエル博物館所蔵「印象派・光の系譜」展」

の続きで、三菱一号館での美術展は16日で終了しましたが、少しだけ感想などを残しておきたいと思います。

因みに、昨日ネットをウロウロしていましたら、この美術展は1月28日から4月3日まで「あべのハルカス美術館」で開催されることが分かりました。

さて、上にリンクした記事にも書きましたが、私はやはりこのような西洋絵画展に飢えていたのだと思いました。

そしてこの絵画展は、今の時代にぴったりな作品が選ばれていたようにも感じました。

人は時には、「ここではないどこか」に憧れるのではないでしょうか。

この美術展の中には、その「ここではないどこか」と言う静かな風景が溢れていて、目に飛び込んでくる絵画のシーンひとつひとつに癒されました。

ああ、シスレー良いよなぁ。ピサロも良いよなぁ。そんな風に自分に語り掛けている私がいました。

 

この美術展は、一部屋丸々写真撮影が出来ると言う太っ腹と、やはり前の記事で書きましたが、

今回はその時撮影してきた写真を載せていきたいと思います。

 

下のこの絵だけは、三枚も撮ってしまいました。

ふと思いついて、拡大・・・・

 

「うわぁ。」と思いました。この時、私、この絵の中に取り込まれてしまったような気がしたからです。

この時はまだ、作者名が馴染みのない人だったのでその名前を意識せず、先に進みました。

その隣に、モネがかかっていました。チラシにも使われていたモネですね。モネはこのほかにも、同じような構図の連作が展示されていました。

 コローは結構好きな画家さんです。

シャルル=フランソワ・ドービニー「花咲く林檎の木」 ↑

 

↓ 「エラニーの日没」カミーユ・ピサロ

 

これもピサロ。↓「朝・陽光の効果・エラニー」

↓ これはセザンヌ「湾曲した道にある樹」

昨晩、やはり遅い時間にこのブログ記事を書き始めていて、上の絵を載せた時(セザンヌは、私にとっては少々ビミョウ・・・・(^_^;))と書き込んだのです。

だけど下の絵を載せた時に、書く手が止まりました。

思わずまたもネットウロウロ・・・・。

下の絵もセザンヌで「陽光を浴びたエスタックの朝の眺め」なんです。

けっこう今までいろいろな絵画を見てきました。

真偽は別ですが、とりあえずは、私などでも知っている有名な名前の方の絵画を見たら「誰の」とぐらいは分かるような気がしていました。

それはとんでもない事だなと思いました。特にセザンヌは無理なんじゃないかなと感じたからです。これからは「エスタック」という地名が出てきたら、セザンヌかなぐらいは推理するかもしれませんが、二枚の絵を見ても同じ人の作品なのかと、不思議な気持ちになっています。

(もし、何か間違えていたら、教えて下さると助かります。)

 

ゴッホの絵も、心に突き刺さるというかささくれるような作品は無しで、自分の中の何かと闘わずにすんでホッとしました。

その時、背後から若い女性が

「可愛い~。うふふ。」と小さく笑う声が聞こえてきました。

― 可愛いって、何がかしら?―

と、振り向くと、やはりそこにもゴッホが。

―えっ !?  ゴッホで「可愛い~。」?―

あっ、確かに・・・ !!

可愛い~、うふふ^^

 

写真を撮っても良いよと言われても、だからと言って全部は撮りませんでした。

この部屋は、二周回りました。二回目は自分の眼だけで見たかったからです。

でもその時に、一回目には避けた絵の写真を撮りました。

下の絵はギュスターヴ・クールベの「岩のある風景」。

暗い・・・・暗すぎる・・・・

最初に写真を撮らなかった理由です。

ところが二回目に、何故か岩の上に人が居るような気がして撮りました。

めいっぱい明るくしてみました。人など居ませんでした。暗さが見せた幻影がこの絵にも表れていたと言うのでしょうか。

でも岩自体が、人を睨み付ける人のように見えてきました。ご一緒した星子さんがもう一枚の「森の流れ」を撮っていましたが、やはり森の濃い影と暗さが様々な幻を見せ、私には「怖い絵」になってしまいました。

この部屋の最後に撮ったのは、二巡目に撮ったこの下の絵でした。

下の絵は優しい色合いにホッとさせるものがあるのか、それとも描かれた「道」が心をかき立たせるのか、常に人がその前にいました。それでその絵だけがとうとう横からしか撮れませんでした。

 

コローってジャン=バディスト・カミーユ・コローと言う、そんな名前だったんですね。「ジャン=バディスト」って誰やんってなったものですから(笑)

そしてこの部屋を出て、次のコーナーに進んだわけですが、そこで私はある絵の前で「わあぁ♪」と言う気持ちになりました。

買ってきた絵葉書の絵で、伝わらないとは思うのですが、雰囲気だけでもと言う感じです。

レッサー・ユリィ「夜のポツダム広場」です。そしてもう一枚は「冬のベルリン」なのですが、絵葉書がなかったのでマグネットを買い求めてきました。

 この絵は、トップにリンクしてある、前の記事に画像をお借りして載せてあります。日常の中にある普通の美しさが、そこには描かれていました。

この人、今まで全く知らない人だなあ。ドイツの画家さんなのね。世の中にはまだまだいっぱい出会えていない好きな人が居るんだなぁ。と、ワクワクしました。

で、その時、「あれっ ?」と気がついたのです。

あの写真を撮っても良い部屋で、三枚も写真を撮ってしまった「風景」と言う絵の作者も、実はこの人だったのです。

 

また次のコーナーで「赤い絨毯」と言う絵に惹かれました。

もう、私はこの人の名前を憶えてしまいました。

 

美術館に友だちと行っても、たいがいは中で解散して出口で集合です。

私は「ふっふっふ」と言うような気持ちで、ご一緒した星子さんを待っていました。

早くこの人の話がしたいなと思っていたからです。

きっと彼女も、この画家さんが好きだと思うと言う予感もあったからです。

その予感は当たりました。

「欲しかった絵の絵葉書がなくて・・・」と彼女は言いました。

「レッサー・ユリィのでしょ。だから仕方がないから、私、マグネットを買ったの。何か今日の戦利品が欲しくて。」と、その後もワイワイ。

「私たち、やっぱり一緒に回らなくて良かったよね。一緒にいたら、絵の前で煩くなっちゃって、注意されちゃったかも。」と笑い合いました。

良い出会いがあって、素敵な美術鑑賞の一日になりました。

 

買ってきた他の絵葉書など。

 ←ミニファイルです。このコレクションはもう止めようと思いつつ、ついつい・・・

 

そうそう、前の記事で、リンクしますと言っていた「美術館ナビ」。

そちらには絵葉書などではない綺麗な画像や、面白い話が載っています。

→「【探訪】一躍人気のレッサー・ユリィ 独特の作風がコロナ禍の人々の心に響いた? 「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」展(三菱一号館美術館)で注目」

 

これを読んで、強く「やっぱしね。」と、きっと私が思ったと思う事でしょうね。

 

コメント (2)
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鎌倉殿の13人 第2回「佐殿の腹」

2022-01-17 09:13:49 | ドラマ (大河)

八重は言う。

「佐殿は、あまり多くは語らない。」と。

(注:セリフの多くは不正確です。)

頼朝は本心をベラベラと誰かに語る事はない。

だから周りにいるものは、逆に自分にとって都合がいいように解釈し夢を見てしまうのかもしれない。義時の兄の宗時らがそうであったように。

だけど時に、本音を語り人の懐に飛び込み懐柔してしまう・・・・。

ああ、なるほど。「懐柔」とはこんな事か。

 

義時が、頼朝に「政子をどう思っているのか。」と尋ねた時、彼は彼にかなりの本音を語ったと思うのです。そして最後に「だから」と結びました。

「だから、お前は私の大事な弟になる。」

ああ、この大事なセリフくらいメモしておけば良かったかも。ただニヤニヤ、ヘラヘラして見ちゃったんです。頼朝がまともな、かなりポイントになる大事な事を言っているなぁと思っても、何でか右の耳から左の耳へと抜けていく・・・・

でも今彼は自分の気持ちの大事な部分を語ったなと思ってればいいんじゃないかなぐらいの認識で、ニヤニヤして見てた・・・・。

そして、その後に義時を巻き込んでしまうその言葉を言った時の、その後の義時の一言で、実はヘラヘラどころじゃなくて、「ワハハ」と笑いました。

だって「はい、分かりました。」ですよ。しっぽが生えて振っているかと思いましたよ。

まるで漫画だなあと思いました。でもこれは貶しているわけではないですよ。ワタクシ、この年齢にして、「漫画文化」を自分の中で手放しはしないと踏ん張っている者ですから。

 

頼朝は、自分の本音を初回で語っていましたね。

自分が生き延びた意義ー。

彼はずっとひとり寂しい流浪の地で、それを考え自分の使命を考えて来たのではないでしょうか。

 

だから八重が婚姻前に、最後に一目頼朝に会いにと命がけで比企の家にやって来ても、頼朝は行こうとも思いませんでした。

終わってしまった関係だからと言うよりも、そんな感傷的な事に命を掛けるわけにはいかないからではないかと思ったのです。

それに頼朝が八重に会いに行かなかったのには、ドラマ内では描かれていなかったので、単なる妄想ですが、子供の事もあると思いました。八重は千鶴丸がどこかで生きていると思ってる。だけど頼朝は二人の子供が今は亡き者にされている事を知っているのです。会って何を語ると言うのだと言う気持ちがあったのではないかしら。

 

新たに頼朝の気持ちを掴んだ政子は、八重の想いを断ち切るために彼女に会いに行きます。

「止めておけと言ったのだが。」と頼朝は言いましたが、言っただけで、本心は行って欲しかったのだと思いました。彼はそういう男なんだ。←もう、決めつけ!

八重は受け止めて、まるで業務の引継ぎのように注意事項を述べます。

「寝汗を掻きますから手拭いを枕もとに。」「あと」「あと」と可愛らしく、そして虚しく言いました。

ー私の男だったんだからね。―

と言うような、彼女の意地のようなものを感じましたが、

「あとはお任せください。」と言う政子の言葉が、勝ち誇ったように聞こえてしまいました。

でもこのシーン、切ない女性の物語のシーンと言うよりも、なんかいろいろな仕事の引継ぎや、辞めていく時に出会うシーンのような気がして、どなた様も既視感みたいなものがあったのではないでしょうか。

 

と言うわけで、物語的には伊藤と頼朝をかばった北条と一触即発の状態になった時に、相模の権力者である大庭景親が現れ、とり終えず収まる。頼朝の乳母の比企尼とその一族が出てくる。八重は家臣の江間次郎との新しい婚姻が決まり、頼朝に最後に会いたいと言う。だけど頼朝は会わず、政子との距離を縮める。

都では、平清盛が鎌倉での報告を聞いても、何の興味も示さない。

「おもしろかろ ?」と面白く感じる事にしか興味がないのです・・・・・じゃなかった。これはアニメの「平家物語」の清盛でした。脳内コラボしちゃうわ(笑)

まあ、そんな感じだったでしょうか。

今回はさらっと脳内を通り過ぎてしまった感じがしました。

あっ、思い出したんで書いておきます。前回であんなに重々しく「殺せ」と命を受けたのに、工藤祐経、弱すぎます (^_^;)(^_^;)

 

それでも次回も楽しみです !!

 

 

 

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「新選組!!総集編」と「土方歳三最後の一日」再放送

2022-01-15 19:23:52 | ドラマ (大河)

年末・年始のスペシャルな番組の感想を書いてきましたが、それもようやくあとわずかになりました。

録画してもなかなか見る時間が取れないので、ゆっくりになってしまうわけですが、それでもなんだかんだと言って見たいドラマをほとんど見ているのは、これが私の趣味の一つだからなんですね。

 

三谷幸喜氏シナリオの「鎌倉殿の十三人」のお蔭で、このドラマに久しぶりに再会できました。

懐かしかったですね。皆の若さがキラキラしてて、本当に総集編ながら良かったです。

総集編なのでざっくりと大まとめでしたが、それでも様々なシーンが蘇えりました。

もちろん私の一番のお気に入りは、なんたって藤原竜也さんの、今時風に言うと、彼が私の「推し」と言うわけなので(意外とこの言い方恥ずかしい~☆歳の関係かなww)、その彼の沖田総司のシーンです。芹沢鴨を打ちに行くシーン、藤堂平助との別れのシーン、姉・みつとの別れ、そして植木屋の家での最後のシーン。

なんだかんだと言って総集編に出てきたシーンばかりになってしまいますが、やはり再び会いまみえるという事は忘れない事の為には大事な事ですよね。

しかし総集編になかったシーンでも、お考がいなくなってしまった後の植木屋平五郎の家でただ寝ているだけの部屋で、血だまりの中の蟻を助けるシーンは印象的で、忘れられないシーンです。

またもう助からないだろうと思える総司に向かって、

「『沖田さんちの総司さんは若い時は良い男だったのに、今はしわくちゃのお爺さんなってしまった。』と言われるくらいに、あなたは生きるんだ。」みたいなことを言うのですが、しわくちゃのお爺さん、お婆さんになれる事って、本当はとっても素敵な事なんだなと、私は思いました。

そして総司自身も、病気になって命の尊さを知り、知った自分にはまだやれることがあるはずなのに、それが出来ない事が悔しいなんて事を言ったように思います。

なんだか曖昧な書き方ばかりですが、見て、録画を消しちゃってから、感想を書いているので、メモもしていないし記憶だよりなので、多少思い込みも入っているかもしれません。

 

ただ、運命の矢印は死に向かっていると言うのに、心は生に向けられている、そんな感じがしてしまったのでした。

総集編は、やっぱり主人公の近藤勇がど真ん中で、ずっと本編を見ていた時よりも、彼が身近に感じました。本編の時は登場人物も多く魅力的な人も多かったので、なんだか主役感が薄れていたように思っていたからです。

香取慎吾さんの近藤勇は美しかったです。

(いまだに近藤勇の最後の陣屋跡に行っていなくて、今年は必ず行こうと思います。)

 

そして2006年のお正月に放送された「土方歳三最後の一日」。

実はこれ、初見なんです。

なんでこれを見なかったんだろうかと思っていたら、裏が「古畑任三郎」だったらしいですね。うちにはその頃、レンタルしてきて再生する物ばかりで、たぶん録画機能の機器を持っていなかったんです。

録画してまでテレビを見る時間もなかったからです。(という事は、今は「暇~ !」って言えるって事ですね。)

その後にもチャンスはあったのですが「もう、いいか。」みたいな気持ちになっていたのだと思います。

だけど、今回見る事が出来て嬉しかったし、そして今見ても新鮮でした。

その中の回想シーンの試衛館での食事での、「一番強いものは何か。」を語り合うシーンは、そのドラマの為の新撮だったのですね。だからこの続編で、まさか子供のような藤原沖田をまた見る事が出来て嬉しくも思いました。

土方と言ったら、様々なドラマで「死に場所を求めている男」というイメージが持たれていると思うのです。

だけどこのドラマの中では、榎本武揚との会話を通して、生きる事を諦めない土方になっていくのです。

歴史を知っている私たちには、やはり彼の運命の矢印は死に向かっている。だけどこのドラマの中の土方は生に向かって進んだのでした。

冒頭、京の三条の河原から奪回してきた、近藤の首を会津のどこかの山に埋葬し供養するシーンが入ります。その時土方は、近藤の羽織を半分に割いて、その片方を持って行くのです。

そして最後の決戦の時に、またその布を割き、頭に巻きます。

「すまない。再会するのは、もう少し後になる。」と言うような事を言うのですが、ジーンとして涙が零れました。

生に向かっても、彼は銃弾に倒れました。それを皮肉とは思えず、彼の想いは生き残った者たちにちゃんと伝わっていったなと感じるラストでした。

最後の時に、きっと混同が迎えに来ると思いました。

思った通りに彼が来て「トシ」と言った時にも泣けました。

 

死なない人間はいません。

如何に生きたかが大事。

胸が熱くなるドラマで、名作だったなとしみじみと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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