森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

一人で行こう💛平泉その8★「奥の細道」

2024-06-30 03:35:47 | お出掛け日記

いくらなんでも最終回(笑)

実はまだちょっと書き足りないかも。ほんの少しの文句とか(;^_^A

どこかでどさくさに紛れこませようかな・・・・^^

 

と言うことはさておいて、平日の平泉は、確かにガラガラでした。

前に書いたことと重複していますが、「中尊寺」は確かに賑わっていましたが、団体客がほとんどで、ゆえに駅周辺に人がいっぱいと言うことはなかったのです。

コロナが収まっても、鎌倉の小町通りや浅草のようにはならないのですよね。

毛越寺は駅から、私の足でも20分はかかってなかったと思います。普通の人なら10分くらい。

だけど駅から続く門前通りがあるわけでもないし、ちょっと曲がったところに、心乱れるような女性好みのカフェがあるわけでもない・・・・。

隠れ美術館があるわけでもない・・・・。

でも平泉は、それが良いのですよね。

 

かつて繁栄を極めた奥州藤原氏。ゆえに頼朝は怖かった ?

しかし彼らは滅びてしまったのです。

平泉は「何もない」を見て感じる場所なのかも知れません。

「跡」「跡」「跡」を見て回る・・・・・。

 

そしてだから感じるのです。

生い茂る夏草に、過ぎていった男たちの夢を。そして女たちの涙を。

 

「夏草や兵どもが夢のあと」

 

 

だけど平泉には中尊寺金色堂があるでしょう。

多くの人は、光り輝くその堂を見たいと思い訪れるのです。

「五月雨の降り残してや光堂」

 

近頃、お出掛け時は「晴れ女」と自負していた私が、この日はしとしと降る雨の中を歩かねばなりませんでした。

でもあれは、その雨の中の中尊寺を、私に見せるための雨だったかもしれません。

(あっ、ハイハイ。分かっています。そんな自分本位のお天気解釈ってあるかいって、思いますよね(笑))

それでもだいたいのことはポジティブにしか捉えられない私は、そう思うのでした。

芭蕉さんは見たのでしょう。

雨の中の金色堂を。

いや、「見たかもしれません」に訂正しておきましょう。

彼が雨の日に訪れて、その句を詠んだとは言い切れないからです。

降り注いできた雨にも負けずに、金色堂は変わらずに光り輝いていた・・・・・

 

 

だけど変わらずにそこにあるものを見て、人は何を思ったりするのでしょうか。

ちょっとぶっ飛び発言になってしまいますが、「ポーの一族」「葬送のフリーレン」に通じるところが、なきしもあらずって、私は少し思ってしまいました。

 

ついでながら、ここでちょっと「松島や~」と言う句の事にも触れてみたいと思います。

有名でしょう。「松島や ああ松島や 松島や」

この句は、今では芭蕉さんの句ではないと知られていますが、昔は「奥の細道」には載っていない芭蕉さんの句と言われていたのですよ。

この句は、芭蕉さんの弟子で狂歌師である田原坊と言う人の

「松島や さて松島や 松島や」からきているらしいのですよね。

聞き逃したのか、言わなかったのか、松島の船めぐりの時、その名も説明もなかったように感じました。

でもこの句、この句が長い間、その松島に人を呼び込んだ、貢献度は頗る高かったはずです。

考えようによっては、すこぶるドラマチックです。誰かが思い言ったはずです。弟子の名前じゃだめだな。芭蕉作にしちまえと。

芭蕉さんは、松島には訪れても、句は読まなかったのは事実。松島の人たちは「奥の細道」の中では確かに褒めてくれていたとしても、句のないことにがっかりしたのかも知れません。そして誰かが、あの句を・・・・。

 

それを思うと、芭蕉さんの「奥の細道」には、とてつもなく大きな経済効果があったというわけですね。

 

と言うわけで、(どう言うわけじゃ)、私は平泉を後にして、一関で新幹線のチケットを早い時間に交換して頂いて帰途につきました。

えっ、前の記事でトンデモナイ事をやらかしていたと書いてあったじゃないと言われましたか ?

いや、覚えてませんか(笑)

そう。そのトンデモナイ事は、この旅一番のポカで、ドよ~んと落ち込むような事でした。

何とワタクシ、日付を間違えて買っていたのです。

あり得ないと思いました。「28日」と言う日付を押した記憶があるのです。

ああ、いつ 、なんで?

と思いましたが、思い当たるのは、買おうと思っていた新幹線の名前を間違えて、一度戻ったのです。その時に間違えた日付を押したのかしら。

なんかもやる~!!

馬鹿~、私 !!!

と思いつつ、実は、「助かった~。やっぱり私、何かに守られてる。」とも思っていたのでした。

なぜなら「もう早く帰っちゃおう。」と思わなかったら「新幹線のチケットを交換してもらおう」と思わなかったら、予定時刻になりその時になって乗れなくて「えーっ」となり、その時からじたばたしなくてはならなかったのですから。

15分後に出る新幹線のチケットも買えたけれど、1時間後に出発するチケットを選択しました。

そしてのんびりとロビーで待っていました。駅の売店のおそばを高校生たちが食べていたり、おじさんのグループが飲みながらおしゃべりしていたり、そんな風景をボーっと見ていたりするのも好きなんです。ついでに私も岩手のお土産などを買ってみたりしました。

ちょっと早いけれど、新幹線乗り場に行こうと思い行ったら、駅弁を売っているところがあったので買いました。

 

 

新感線の中で、車窓の風景を見てしみじみしたり、お弁当を食べたりしていたら、うつらうつらとする暇もなく大宮駅に着きました。

新感線に乗ってしまえば、宮城県も岩手県も遠くはないというのが、私の一番の感想です。

 

美しき5月の日本の風景。

 

そして地元の駅に着いた時・・・・

あんなトンデモナイことして(新幹線チケットの件)、なんか「老い」を感じる・・・・なんてことは全くなくて、もっと恐ろしいことに、私って昔からそういう人なのよね。

そういうトンデモナイ人でも、ちゃんとひとり旅は出来るし、楽しいよ。

 

って、もう6月も最後の日ではないですか。6月はあまり更新できなかったです。でもこの5月に行った旅行記が書き終えたので良かったかな^^


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一人で行こう💛平泉その7★ひとり旅は・・

2024-06-26 01:07:06 | お出掛け日記

先日、あるお友達とひとり旅について話していました。

ひとり旅などとても行けないという友に、誰とも話さないで一日が過ぎてしまうというのが心配なのねと私が言うと、友曰く、

「愚痴とかすぐに言えないから、いやだわ。」と。

それは旅先で起きた出来事の文句を、誰にも言えなかったりするから嫌だと言ったのでした。なんか彼女らしい感想だなと思いました。

でも実は文句ばかりではなくて、今見た感動を、すぐに誰かに伝えられないという意味でもあると思います。

 

だけど、

「今すぐに誰かに伝えられない。」と言うことは、今の時代にはあまりないことではないでしょうか。

 

ブログだってその一つに挙げられると思うのですが、Xやフェイスブック(みなもう古いか。)、インスタとかもあるし、ラインやまたはメールだってあるじゃないですか。

だからすぐに伝えられないから嫌だというのは、ひとり旅を避ける理由にはならないと思ったりもするのですね。

後は、アクシデント対応にはひとりでは不安だというのはあるかも。

 

だけど私のような、スッとぼけた人でもなんとかなっているのですから、たいがいは大丈夫だと思いますよ。

 

「トンデモナイ」と言う言葉に拘って、今回のひとり旅の旅行記を書いてきましたが、本当に「トンデモナイ事」だったのは、あの寝ようと思った直前に平泉の平日は循環バスが走らないと分かった時だったと思います。ああ、本当はそれだけだったと書きたいところですが、実は他にも一番大きなトンデモナイ事があったのです。

でもその前にも・・・・

 

平泉駅に着いた私は、そこでやっぱりガイドブックに載っていたお蕎麦屋さんに入ろうとしました。

が・・・・・・終わっていました。もう泣いちゃう、私。

でも何かを学んだような気がしました。

その学びこそ、ひとり旅の醍醐味でしょう。

平泉が、いかに世界遺産の街であっても、平日に循環バスなんか走らせていたら、赤字間違いなしです。ガイドブックに載るレベルのお店でも、平日の2時過ぎにお店なんかを空けていたって、誰も普通は入ってきませんよ。

中尊寺、賑わっていました。だけどその周辺も、団体客めあてです。

ひっそりとしていた雨の平日の平泉・・・・・・。

 

さてこれからどうしようかなと、私は思いました。これなら最初に考えていた一関から渓谷に行くのだって出来たな、それとも天気が荒れるから早く帰って来いという夫殿の忠告に従うか・・・・

そうだ。やっぱり一関に戻って、新幹線のチケットを早いものに代えてもらおうと、トイレでのんびりと手を洗いながらそう決めた私。

そう思った途端に、やっとあることに気がつきました。

さっき待合室に、なんだか人がいっぱい座って居たのが見えたのです。

電車の時刻、まったく調べていませんでした。

でも確か1時間に1本ぐらいしかなかったのではなかったかしら!?

のんびりと手なんか洗っている場合ではありません。

いそいそと改札を通ったら、反対側に(つまり乗りたい側)電車が入ってくるのが分かりました。

あーーーー、やっぱり。

以前だったら、ダダダダだと階段を駆け上り、はぁはぁと言いながらその階段を下りていくということも出来たと思いますが、今の私には出来ません。

エレベーターに乗って、早く早くと言いながらボタンを押し、連絡通路を上がり、また下がる・・・・

ああ、ダメだな。これ、タッチアウトのパターンよね。

エレベーターの扉があいた時、電車の扉も閉まっていました。

あーーーーー、やっぱり。

 

が、その時運転手さんが窓から顔を出し、

「乗りたいの ?」と聞いてくれたではないですか。

「はい。」と言うと、「扉を開けて乗って。」と言うので、扉ボタンを押すと、焦っていたのか開きません。

「落ち着いて。」と言われたので、自分でも落ち着いてと叱咤しながらゆっくり押すと扉は開き、無事にその電車に乗ることが出来たのです。

 

しかしですね。いかに私、果樹園の近くに住んでいて、今では自分でも鍬を振る人であっても、意外と気軽に東京には行ける都会人もどきなのです。

その都会人もどきは、秒の単位であったとしても電車様を遅らせたとあっちゃ、罪の意識がバリバリです。もちろん走り出せば、きっとすぐに回復できる時間だと思います。

それでも乗客の皆さんは、さぞや不愉快に感じたのではないかしらと思ったら、ついつい電車に乗り込んだ私は、車両の乗客の皆様に

「すみませんでした~!!」と一礼して謝ってしまいました。

 

ひとり旅・・・・確かにその場で感動などを確認しあえなくて、逆にブログに書いていたり写真を見返しなどをして、後から気がつく事があったり、再び感動したりすることも多いと思います。またその時の行動なども振り返り、いろいろな思いにとらわれることもあります。

この時の、車両の皆様に対しての「すみませんでした~。」って、今思うと、「よー遣るよ。」みたいな気持ちになってニヤニヤしてしまいます。

 

その時振り向くと、まだ扉が閉まっていませんでした。

「あー、閉めるのでしたね。」と、私がその方向に行こうとすると

「良いんだよ、ねーちゃん。勝手に閉まるよ。」と、一人の男性が大きな声で教えてくれたのです。

「おねえさん」と言われて、少々気分が良くなった私は、短い車窓の旅を楽しみながら一関まで向かったのでした。

 

長くなったので続きます。

 

引っ張るねと言われそうですが、ひとり旅だからこそ、書くことがあるってものですよ^^

 

あっ、そう言えば、私の周りの何パーセントかは、ひとり旅が嫌な理由に「幽霊などの怪奇現象」が、怖いというのがありますよ。かくいう私も、2010年に初めてひとり旅をしたのですが、それまで躊躇していた一番の理由は、実はそれだったことは、あまり前面に出しては書いていませんね。恥ずかしかったからかしら(笑)

 

 

 

 


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一人で行こう💛平泉その6★高館義経堂

2024-06-21 02:49:52 | お出掛け日記

中尊寺を降りて来て、「タクシーに乗る」と言う選択をした私。

滅茶苦茶正解だったよ~ !!!

だってさぁ、私は「たどりつけない女」だったじゃん。思わず思い出してしまったよ~。

「それって何?」と言う方のために言うと、最後は(ふうふう言って)たどり着くわけだが、一発で目的地にたどり着けない、それが「たどりつけない女」なの。

地図が読めないわけじゃなくて、地図を見ないで、なぜかきっとこっちよねと歩き出すからそうなるのよね。

「高館義経堂に寄って、それから平泉の駅に戻りたいのです。」

 

一人で行こう💛平泉その5☆中尊寺の2」の続きです。

 

そしてタクシーは走り出す。

えっ、こっち !?

私の脳内では、右からやって来て中尊寺に上ったのだから、下りてきたらそのまま左に行くとなっていた。

そこで私は思い出す。

そうだった。

平泉の駅から歩きだし、中尊寺をターニングポイントにしてぐるりと回って、また平泉と言うのがコースだったのだと。

あぶな~!!!

 

やっぱりひとり旅は、そんなトンデモナイ事がいっぱいだよ。

しかもタクシー、ぐいぐいと坂道を登っていくじゃない!

やっぱ、タクシー選択、正解だったよ~!!!

 

💛      ☆       💛       ☆       💛       ☆

ガイドブックなどを読むと、「時間があったらこちらも是非」という感じで、小さく紹介されているような気がしました。

私的には、ここは外せないような気がしていました。

なぜなら「高館」だから。

それじゃ答えになっていないって?

 

それでは原文の一部を抜粋しましょう。

《三代の栄耀一睡の中にして、 大門の跡は一里こなたにあり。
秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。

まづ高館に登れば、北上川、南部より流るる大河なり。
衣川は和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。

泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり。
さても、義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の叢(くさむら)となる。》

私が「金鶏山入り口」と言う文字で、心が萌えたりするのも、この原文のせいです。→「一人で行こう💛平泉その3☆観自在王院跡」

 

義経はこの高館に館を構えました。

芭蕉さんも、ここから同じ風景を見たのでしょうか。もちろん、山や川や野原と言う意味です。

 

チケットをるんるんとした気分で買っていた時に、スマホを車の中に置いてきてしまった事に気がつきました。

それを取りに戻った時に、つい

「私の生きがいを忘れてしまったわ。」と言ってしまいました。

すかさず運転手さんが

「スマホが生きがいなの ?」と。

生きがい=スマホ・・・・・・いやん、バカ。それ本当に馬鹿っぽい。

「ええ、写真を撮るのが好きなので。」と私は言いました。

 

だけど自分の言った言葉に、思わずしみじみとする私。

そっかそっか。私は写真を撮るのが好きで、それが私の生きがいでもあったのねと。

 

「生きがい」と言う割には、写真を美しく撮ることを生きがいになさっている方たちの目には恥ずかしいレベルのものですが、「撮る」と言うことが私のそれなのですよね、きっと。

以下は少々同じような画像が並びます。

なんたって信号のない横断歩道を渡るが如く、右を見て左を見てそしてまた右を見て左を見て、この場所から見た風景を堪能してきたのです。

 

 

 

雨の平泉・・・・・

それはそれで良かったような気がしています。

だけどやっぱり、写真を見返すと、晴れていて欲しかったかも。

 

義経堂 ↓

 

運転手さんが言うように、滑るといけないので上りませんでした。
(いやぁ、上ったら降りなきゃならないからでしょ(;^_^A》

そして芭蕉さんの「夏草や・・・・」の碑が立っていました。

 

下の石碑の説明・・・・どこを探しても本当に見つかりません。

慰霊の石碑とぐらいしか。

「馬」と読めるから、戦で死んだ馬とかも含めての慰霊碑だと思います。

 

でもこの時、私らしいっちゃぁ私らしいのですが、なんでか義経堂の「義経」の言葉に呼応して、または「高館」と「金鶏山」がリンクしちゃったのか、そのふもとに眠っている彼の妻子の事を考えてしまって、ついこの石碑に向かって手を合わせ、

「なんだかんだと言っても、あなたが妻ですよ。」なんて祈ってきてしまいました。

 

「鎌倉殿の13人」、けっこう引きずっています(笑)

 

「満足しました~ !」とタクシーに戻ると、「えっ、もういいの。早いね。」と驚かれましたが、そのまま平泉駅に戻ることにしました。

 

駅に戻ると、タクシー乗り場に外人さんの夫婦がタクシーを待っていました。

「おっ、今日はツイてる。」と運転手さんが言いました。

その夫婦がどれぐらい待っていたのかは分かりませんが、すごく嬉しそうでした。

思わず降りて、乗り込むご夫婦に

「Have a nice day!」と言いました。

二人はにっこり笑って「Thank you」とお返事してくれました。

こんな些細なことが嬉しい私^^

 

と言うわけで続きます。

 

あっ、そう言えば、義経堂の所には上らなかったのですが、チケットがありました。


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一人で行こう💛平泉その5☆中尊寺の2

2024-06-18 10:03:05 | お出掛け日記

本当に、こんな坂道、トンデモナイ事だよと思いつつ、中尊寺に至る道を登っていた。

なんたって登ったら下らなくちゃいけないわけで・・・。
まあ、それはその時考えようと、またもケセラセラの私。

 

と、その時、私の真横から

「遅い!!」と怒鳴るような声が聞こえてきた。

横を見ると、中年のちょっと迫力があるようなご婦人が、上から降りてくる人に怒鳴っていたのだった。

それこそトンデモナイ事だよ。

 

あんまりにも私の真横だったものだから、時々「妖怪おせっかいオババ」に憑りつかれている私は、思わずそのご婦人に

「下りよ。足の弱っている人には下りの方が辛いのよ。待っていてあげてね。」と優しくのたまう。

そのご婦人は、唐突な上にいる人の援護射撃に、思わず素直になり「はい」と小さな声で言ったのだった。

 

登っていくと、そこにはさらに年配のご婦人、つまりおばあさんが、下りの為の足を1歩踏み出すのを躊躇って、プルプル震えていた。

ああ、あの下にいる人は、今まで足に故障なんかを抱えたことがない幸いな人だったんだなと、私は思った。一度でも膝が故障し苦労したことがある人だったら、下から「遅い!!」などと怒鳴ることなどはなくて、真横について手を差し伸べながら降りてくるに違いないからだ。

または娘と母の普段の生活さえもが垣間見えるってもんだ。

 

だけど私はこうも思う。

それでもあの人は優しい人だなと。

なぜなら、この場所に老いた母を連れて来てあげているのだから。

 

💛      ☆      💛      ☆       💛       ☆        💛

一人で行こう💛平泉その4★中尊寺」の続きです。

そう言えば、中尊寺と言ったら「金色堂」だと思いますが、その感想などをスルーしそうになっていました。

  金色堂の中は撮影禁止なわけですが、ネットで検索したら、けっこう画像が出てきますね。
それを持ってくるのも嫌なので、このブログ内では地味な色合いの中尊寺ですが、私はその内部の金ピカキラキラド派手な金色堂に、意外と心惹かれるものがありました。

本当にデザインもそうですが、ド派手なつくりだと思いました。と、このような書き方だと、見えない誰かに叱られそう・・・・。
つまり柱にしても台座にしても、その一つ一つのデザインにすべて力が入っていると感じました。そしてこれを作った方の強気の心意気のようなものも感じたのでした。

これを作った方と言うのは、藤原清衡。

そしてこの金色堂に彼は息子たちと共に眠っています。

 

金色堂を後にして、「経蔵」の前を通り・・・・↓

 

 

「旧覆堂」の前を通って行きました。昔、金色堂を覆っていたものです。

その手前にいた芭蕉さん。

芭蕉の句に惹かれて、この平泉に来たというのに、芭蕉さんを見つけても
「わーい、わーい」とはならない私。

その前を通り過ぎて・・・・・

 

 

トップ画像の「大長寿院」に来ました。

しかし日本人、なぜ石を積む ?

 

しかしやっぱり新緑の季節は美しいですね。

美しい~。

この誰もいない門のところを撮るのに、少々努力しました。
団体客が結構いましたから。

だけどなんか満足した !   (笑)

 

その後、「讃衡蔵」に行き、中にいる仏像や展示物を見ました。

受付の人に先日まで「東京国立博物館」に貸し出していたのは、ここにあるものですかと聞いてみたかったのに、聞かなかった・・・・・・。
なんか私らしくない・・・・・・・。

はっきり言って、疲れていたのだと思います。

中に入れば、何か説明が書いてあるかと思ったけれど、何も書いてありませんでした。(つい先日まで、トーハクで「中尊寺展」をやっていたのですよ。)

過ぎた時間の事は、意味がないことなのかもしれません。

ふと、でもあれはここにあっても良いのではないかと思いました。

そのふと思ったものを載せておきますね。(東京国立博物館にあったものです。)

 

 

 

自販機も趣深い^^

さあ、下りようということになりましたが、来た時とは違う道を見つけました。

距離的には長くなってしまうのだなと感じましたが、坂が緩やかで、私はその道を選んで帰ってきました。

その時、頭の中で、入り口にタクシー手配所みたいなのがあったよねなどと考えていました。

咳も出ず、神経痛も痛くない。でも気力がね・・・・・。

 

意外と長い帰り道。

やっと降りて来て、「ああ、そうか、これが俗に弁慶のお墓と言われているところね。」と参ってきました。

 

その時、その弁慶のお墓のちょっと近くに止まっているタクシーが気になりました。

送迎、または観光でまわっている人を待っているのかなと思っていましたが、ふとよく見ると、「タクシー乗り場」と言うところに止まっていたタクシーだったのです。

わぁ、ラッキーと思いました。

私はちょっと早歩きでタクシーに近づき、

「一か所だけ周って貰って(ちゃんと場所は言いました。)、それから駅に行きたいのですが。」と言うと、運転手さんが

「えー!?」と言いました。

えっ、いやなの?

「あっ、大丈夫だよ。でも雨なので滑って転ばないでね。」と言われて、私はそのタクシーに乗り込み、次の場所にGO.。

 

と言うわけで、続きます。

 

ええ !?

まだ続くのかって思った ?

^^


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一人で行こう💛平泉その4★中尊寺

2024-06-16 02:27:21 | お出掛け日記

トンデモナイ話だよ。

着いてみれば、中尊寺は山の上にあるではないか。

では、勇んで臨むか・・・・・

いや、待てよ。

確か昔、姉が言っていたな。

山登りはお腹がペコペコになる前に食べて、体力を保持するのだと。

確かに時間的には12時近くで十分にお昼ごはんの時間だが、あまり食欲もなかったわけで、食べなきゃそれで良いという感じだった。

しかし姉の言葉を思い出し、とりあえず昼食を食べることにした。

 

 

確か「義経うどん」とか言うネーミング。名前に惹かれて注文しちゃったけれど、山菜うどんだね。珈琲は、いくらだったかしら。こんなカップで出てきているんだから、たぶん100円よね、きっと(違うと思う(笑))

 

と言うわけで食事を終えて、いざ!

💛    ☆    💛     ☆      💛      ☆

 長い長い坂道が続き、上って行きました。

途中で「月見坂」に合流できるようになっています。

あらっ、こんなところに趣深そうなお蕎麦屋さんが !

なんか失敗したかなと思ったけれど、「まっ、いいか。」と思い直しました。

金色堂に行く前に、様々なお堂があります。

やはり人気があるのは「弁慶堂」。

今、気がついたのですが「土足厳禁」とあるところを見ると、靴を脱いだらもっと近くに行って見ることが出来たのですね。ただ雨のために、それをやっている人は誰もいませんでした。

「東物見台」と言う所も、雨の為なのか封鎖されていました。

そこから眼下を見渡せたというのに。

だけどそこの弁慶堂からも実は見渡せるスポットがありました。

 

 

思うに、いつ「平泉」を訪れるのがベストかと言えば、やはり紅葉の秋なんじゃないかな。

でも新緑の平泉も、本当に綺麗でしたよ。上り坂を頑張って登ってしまえば、後は新緑の参道です。

 

「瑠璃光院」。

電線を消しゴムマジックで消したけれど、なんか不自然にしか消えませんでした。

日本の「どこに行っても、どんなところでも電線問題」は何とかならないのでしょうかと、時々思います。

ここは入れませんが、名前だけ聞くと京都を思い出しますね。

 

趣深い平泉のポスト。

そして本堂です。

 

小さな庭も可愛らしい。

そして再び金色堂を目指します。

「薬師堂」。実はここの今の本堂の方は画像なしです。

また写真がありませんが、ここは目の病にご利益があるとかで、目が連なってる旗が出ていて、それこそ目を引きました。またペット君たちの平安とかにも。

お堂でも人気があるところと、意外と普通のところがあるのが印象的でした。

 

 

 

そしてとうとう、金色堂にたどり着きました。

もちろん中は撮影不可なので、実は中尊寺の写真全体の色は、意外と地味なのです。

 

次の画像は何かというと

です。

 

上の写真、相当ヨロヨロしていたのが伝わってきてしまったかも。

雨には濡れるわ、坂を上らなくてはならないわで、けっこうヨロヨロとしていました。

本当は、後少々しか画像もないわけで一気に行きたいところですが、続きは次回にしますね。

(早起きして、畑の草刈しなくては。旅行から帰ってきたら、本当にトンデモナイ事になっていて(;^_^A(;^_^A)


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一人で行こう💛平泉その3☆観自在王院跡

2024-06-12 08:52:38 | お出掛け日記

トンデモナイ事が起きた。

私の「晴れ女伝説」はこれにて終了か ?

「毛越寺」に行く途中で予報通りに雨が降り始めてしまった。

今まで出かける時は、「雨」と言われていても、なぜか曇りどまりで家に帰る頃に降り始めたりしたものだ。

なんとか姉妹で動いた昨日までは大丈夫だった。

でも28日はダメだった。

 

だけどトンデモナイ奇跡が起きた。

あんなに痛み止めが効かないと膨れていたのに、なぜか膝はさほど痛くなくて、何しろ咳が出ずに神経痛も痛くない・・・・!?

奇跡だ。確かに膝はカクカクと言う変な動きをしているみたいで、歩くのも遅い。それでも人はどれだけ痛みからの解放に左右されるのだろうかと思う。

後から妹が、「それ天気のせいだったかも。」と言った。

確かにそれはあったかも。湿った空気は咳を沈め、もしかしたら他の痛みも沈めてくれていたのかも。

 

そう言えば、いつも晴というわけではなかった。白馬ではとうとう雨が止まず、素人では危ないねと、最後までは行かなかった。

でもあの時の諦めての下山の時、下から湧き上がってくる素晴らしい雲を見たのだった。

と言うことは・・・・

私は「晴れ女」ではないけれど「良いお天気女」ってことになるのではないかしら。

って、けっこう負け惜しみ(笑)

 

と言うわけで「一人で行こう💛平泉その2★毛越寺」の続きです。

 

💛      ☆      💛       ★       💛      ☆

「毛越寺」の隣にあるのが、「観自在王院跡」。

「毛越寺」に行きつく前に、こんな看板に出会います。

 

 

きっとここに門があり、素晴らしい建物が建っていたのですね、きっと。

夫の基衡が「毛越寺」を建て、その横に妻が「観自在王院」を建てたのね。

 

下の看板は、その「毛越寺」の中にあったのです。

その「毛越寺」の中から、横にあったはずの「観自在王院跡」を眺めることが出来ます。浄土庭園は池が要のようです。

「毛越寺」を後にして、そんなにしみじみと見ようとは思ってはいなかったのですが、通り道ですし、そちらの庭にも行ってみました。

ああ、思っていたよりも美しい~。

 

「ああ、ちょっと座りたい。」

だけどだけど、みんな雨の中~。・。・。・。・。・。・

ここに座って雨宿りと休憩をしている若い人がいたけれど、おばさんの私には、それはダメなことではないかと言う気持ちが勝って出来ませんでした。

さほど興味があったわけではなかったのですが、
と言うのも庭の作りを考えたら、二つ、しみじみと見なくてもと言う気持ちがあったからかもしれません。

でも此処にはここの美しさがありました。

立ち寄って良かったです。

 

そしてここを後にして、また山道をとぼとぼと歩き出す私。

この歩いている時、ちょっと背中が濡れちゃったなぁ。

 

でも途中では

「金鶏山」の文字に萌えますね。

義経の妻と子どもが眠っているのでしょう。

時間がたっぷりあったら・・・・と言うより、足が健脚であったら、ちょっと入り口くらいは行ってみたかったかもしれません。

 

またもとぼとぼ

普通に歩く道の風景も素敵でした。

個人の家なので画像は紹介できませんが、途中ですごく素敵な家を見つけました。

裏庭には薪が積んであるのがチラリと見えました。と言うことは暖炉かしら。
窓も入口も素敵で、柵のない庭、素敵な花々。
このように周りに何もないところで、どんな人が住んでいるのだろうかと思いましたが、その先も知るすべもなく、私は歩き続けます。

だけど体は濡れてしまっているし、休憩なしだったので、どこかでちょっとで良いから休みたいなと思っていたので、「平泉文化遺産センター」を目指しました。

もちろん寄り道ではなくて、「中尊寺」に向かう途中にあるのです。

 

ここは無料ですが、中の展示などの撮影は出来ません。飲食も禁止です。外観なども(普通の公民館みたいだったので)、うっかり写真にも納めませんでした。

残念なことに、見た展示をあまり覚えていません。だけどそれなのに、なかなか展示は良かったなと言う印象が残っています。平泉と言う場所の歴史的背景を知りたかったら、是非立ち寄ることをお勧めします。

 

そしてここから中尊寺までは、ほぼ10分・・・・らしい。

頑張るぞ !!

と言うわけで、続きます。

 

 


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一人で行こう💛平泉その2★毛越寺

2024-06-11 10:26:58 | お出掛け日記

5月28日、ここからはひとり旅だ。

トンデモナイ事が起きた。

ひとり旅なので、多分にその予感はしていた。

一関のホテルの朝、時計を見たら予定していた時間を過ぎていた。自撮りで写真を撮って遊んでいたからいけないのか。

焦る !

だけど納得がいかない。テレビをつけて確認する。なぜかスマホで確認とはならない。信じてないのか、スマホ!?

 これが正しい時間。おい、コラ、ホテル。朝は爽やかなお姉さんが受付にいて、意外と快適なホテルだった。
だけど、時計をわざわざ進ませておくサービスは止めておこう。

 

いや、トンデモナイ事が起きていたことは旅行に行く前の25日の夜遅くに既に起きていたのだ。

 

実はギリギリまで悩んでいた。

せっかく一関に泊まったのだから、一関の名所である厳美渓は行ってみたいかな、それともずっと行きたかった場所に気合を入れて行こうかなと。でも時間にも余裕があるみたいで、思い切って行こうと思い、ずっとバスの効率よく回れる時間を調べていた。

 
25日の夜、明日は朝も早いし早く寝なくてはと思いつつ、最終確認のつもりでバスの時間などをチェックしていたら、そこで見つけた「平泉の巡回バスるんるんは、土日祭日のみ運行」という文字。
ビックリした。このバスは走っていると思い込んで計画を立てていた。なぜなら珍しく旅行雑誌を買ったのだが、すべてそのバスで動く計画しか載ってなかったからだ。
急いで普通の路線バスの時刻を調べてみて、絶望する。
 
やはりネットのある方の記事で言っていた、平泉はゆっくり歩いて周ることをお勧めするを信じて行動することにしようと思った。
いつもなら「楽勝」と思う。
だけど今、膝が悪くて、加えて坐骨神経痛、時々咳が激しく出る私・・・・・
大丈夫なのかしら、それで~・・・・・って、不安は大きい。
 
だけど私・・・・・まっ、その時考えよう・・・・一応,歩きでまわる。
計画できたから、さぁ寝ましょうということになったのだった。言うなればケセラセラ。
 
💛       ☆       💛      ☆
 
というわけで28日。
何があるのか分からないので、平泉に気合を入れることにしました。
 
まず最初は「毛越寺」。
 
平泉からひたすら1本道。
駅から徒歩7分らしいです。もちろん私はその2倍(泣)
 
途中ですれ違う多くの中学生に、「おはようございます。」の挨拶をされました。
「社会科見学ですか。」と聞くと
「遠足です。」と言われ、「はて」となりましたが、そこは深く追求しないことに^^
 
「毛越寺」の受付で、「あの子たちはどこの中学かしら。」などと聞くと、
「平泉中学の子たちですよ。」と即答。
 
恒例の行事で地元の人たちも慣れていることなんだなと思いました。
自分の住んでいる場所が、歴史的に重要な史跡の場所。
知って伝えていくことは、凄く大事なことですよね。
 
良いことだなあと思いました。
 
中に入ると、
 
 
 
英訳の句碑がありました。
 
 
そして、
 
 
 
 
 
ここの庭は、特別名勝に指定されているんです。
 
以下はぐるりと回った画像が続きます。
 
 
 
今は「あやめ祭り」をやっているみたいですよ。この時は気の早いあやめに出会えて、ちょっと嬉しかったです。
 
 
 
 
 
 
 
ひとりでつくのは恥ずかしい。誰かついてくれないかな・・・・・と思ったら、かなり離れた時に遠くから聞こえてきました。
 
 
 
どうもここが自撮りスポットらしいって、別に誰も言っていないけれど、ちょっといいと思います。
これ、顔がばれるから切っているのではなくて、自撮りって不自然な笑顔になりませんか ?
 
ひきつった笑顔で気持ち悪いので、元の画像から、もうこの写真。
ああ、おでこ、広いね(笑)(笑)
 
 
というわけで続きます。
 
 
 
 

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一人で行こう💛平泉その1☆芭蕉の句に憧れて

2024-06-09 01:03:40 | お出掛け日記

27日に仙台旅行を終えて、そしてその仙台駅で姉妹と別れました。

仙台まで来たので、せっかくだからずっと行きたかった平泉に一人で行こうと、私は思ったのです。

最近体調が優れないことが多い私。行けるうちに行きたいところに行こうみたいな気持ちになっていました。

 

だけど今思うと、あれは私の卒業旅行だったような気がするのです。

今年の2月にすべての仕事を辞めました。

なんだかんだとこのお仕事には、単純にアシスタントとして某塾に雇われていた時から含めて25年近く携わることが出来ました。

 

ある時私は、他の友人と組んで、家で国語単科で家庭教師などをしていました。

「奥の細道」は中三になると必ず学ぶ作品です。

 

ある時私は、中学三年生の女の子に、句の説明をしようと

「夏草や 兵どもが 夢の跡」

と声を出して読みました。

その時自分でも信じられない感情に、あっという間に支配されて私は次の言葉が出なくなってしまったのです。

 

簡単に言えば、「感動のあまり」ということだと思います。

大げさに言えば、生い茂る夏草を前に立っている芭蕉さんを感じたと言っても良いかもしれません。

松尾芭蕉はその草の向こう側に、栄華と共に更なる野心に突き動かされた男たちが馬に乗って通り過ぎるのを感じていたかもしれません。だけど過ぎ去った後には、築き上げた館も何もなく、ただ風がその草たちの上を吹いているだけ。

そして私は、その草原の前に立っている松尾芭蕉を感じたのでした。

「ある時」というのは、遠い昔、20年も前のことです。多分その頃の私には、ちょうどそのような感情に支配されるだけの感性が育っていたのだと思います。

ただその後、「奥の細道」に焦がれて山寺を訪れた時、芭蕉記念館なるところも訪れて、彼が知識と推敲を重ねて句を作る人なのだと認識し、少々気持ちが萎えたことがあります。何となく、感性があふれ出て句を織りなしていく人だと思い込んでいたからだと思います。

それでもこの句への感動が消えるわけではありません。

 

この句に人々が、気持ちが捉われてしまうのは、何も戦の天才だった義経の最後や栄華を誇った奥州藤原の滅亡に心を痛めてのことでは、まったくないと思います。

この旅でも、私は仙台城跡でVRゴーを外した時、思わずこの句が頭に浮かんできたのでした。
VRゴーをつけている時に見える、仙台城の大広間の豪華な襖絵・・・・
「凄いねぇ」と姉妹たちで言い合って、そして外すと、そこにあるのは土台の石だけ。

感じるでしょう、夢の跡を。

歴史なんて、すべてそんなものじゃありませんか。留まることなく過ぎていく時の流れに、生い茂る草の上に吹くような風を感じませんか。

そしてそれは、何も大きな歴史ばかりではなくて、ひとりひとりの人生にも被るものがあるのではないかしら。

煌めいていたあの時代の夢の跡・・・・

もちろん一人一人にこの句が突き刺さる理由は違うとは思いますが、中には私と同じという方もいらっしゃるのではないかと思います。

 

その20年前。
「ごめんね。」と私は少女に言いました。

「感動しちゃって、口を開くと、言葉より涙が出そうになっちゃって。」と句を読んだ後に、手でちょっと待ってのポーズをしたまましばしの沈黙があったことを詫びたのです。

すると少女は「分かります。」と言いました。

ええっ ?

14歳で分かるのと、私は驚きました。すると少女は続けて言ったのです。

「学校の先生が、まったく同じことを言っていましたから。」と。

過去の話ですが、私がそれを聞いて、なんて良い先生なんだと単純に思ったに違いありません。

 

さて旅行記なので、軽い旅の話をします。

仙台で泊まったホテルは、ちょっとリッチな雰囲気がしましたが、一ノ関で泊ったのはビジネスホテルで受け付けも、怪しい雰囲気のおじさんが一人だけでした、

何をもって怪しいという失礼な言葉を使っているのかというと、その方がドラマチックだからです。実際は普通の方です。

たった一人、薄暗くて狭い受付に立っている中年のおじさん。前日との格差がありすぎて、思わずこう言う言葉になってしまうのですが、実は私、こういうビジネスホテルが好きなんです。安いからです。

確かにお部屋にはお茶のティーパックしか置いてなかったし、フロントに通じる電話もなかったです。だけどこの部屋は意外と快適で、深い眠りを得ることが出来ました。部屋でパソコンなどを使って仕事をする人にはとっても良いのではないかしら。そして駅から近い。それはベストですよね。

 

その日の夕食。

 

ひとりになった途端にこれかって感じですが、私的には寧ろこれが良いという感じ。

朝はさすがに写真なども撮りませんでしたが、前日にコンビニで買っておいたサンドイッチでした。(美味しかったです。)

 

一ノ関駅は、今ポケモン押しなのですか?

 

 

でも私が乗ったのは

 

すこぶる普通^^

 朝が早かったし、始発なので空いていました。

平泉まで、快適な電車の旅でした。

 

そして平泉に着きました。

 

 

仙台から一ノ関までの車窓の旅の動画をXに載せたので、こちらにも載せておきます。

 

 

 


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姉妹で行こう💛仙台その3★仙台城跡

2024-06-05 00:30:18 | お出掛け日記

姉妹で行こう💛仙台その2☆瑞鳳殿」の続きです。

 

もちろん仙台城はありません。

なぜ無くなってしまったの ?

と、ふと思いました。

それは、明治15年に二の丸で起きた大火で、大手門、脇櫓、虎ノ門を除くほとんどの建物が焼失してしまったのですって。

そして1945年にアメリカの焼夷弾により、それらもすべて焼失してしまったのだと・・・・

そして仙台城は無くなってしまったのですね。

だけどちょっと感動的だなと思ったのは、政宗像の事です。

1935年(昭和10年)に伊達政宗没後300年を記念して、本丸に政宗騎馬像が建立したのでした。

ところが1943年(昭和18年)に金属類回収令によって撤去されてしまいます。すべて溶解されていたと思っていたところ、1945年(昭和20年)に塩釜の金属集積所で郷土史家が発見し、それを自費で購入し、青葉神社に奉納したのです。なんかさぁ、ドラマチックじゃないですか?

その像はその後1986年から2023年まで、仙台博物館の中庭に胸像として(騎馬の部分は切断され溶かされてしまったから)設置されていて、2023年に仙臺緑彩館に移転されました。

それは青葉山公園内にあって、るーぷる仙台で「博物館・国際センター」前から徒歩2分なんですって。ああ、その前も通ったなぁ。しみじみ。

下の画像は地下鉄国際センター駅。るーぷる仙台から撮影。

もう一つは胸像って知っていたのですが、そんな歴史的意味があったとはつゆ知らず、知ると感慨深いものを感じました。

 

だから今のお城跡にある政宗像は2代目です。

1962年に騎馬像は再建されたのです。

だから金属の政宗像を探して歩く場合は、上に書いた青葉城公園とこの仙台城跡に来れば、ゲットだぜ感が達成できると思います。

岩出山城にある石の政宗像の事は、疲れたのでもう終わり(笑)

 

しかしなんだかんだと言っても、政宗像と言ったら、このお城跡の彼だと思います。

 

仙台観光の象徴ですよね。

今回私たちは、

 

これを使いました。

これ、本当に良かったです。

もう何もない所に、本丸の大広間が出現してきて、煌びやかな襖絵などを見ることが出来るのですよ。

そしてこのカメラを外すと、すべて幻・・・・。

ああ、なんか切ない。だけど素晴らしいです。

 

古きと新しさと・・・。

石垣って見るの、好きです。

 

 

そして私たちは、再びるーぷる仙台に乗って次の目的地に向かいました。

その「メープル仙台」の路線図です。

 

仙台城跡から仙台駅に帰るとすると、かなりの停留所を通るわけですが、運転手さんが観光案内をしてくれるので、ぐるっと市内を1周出来た感じが良かったです。

この日は月曜日だったので、晩翠草堂はお休みで未練無しです。それにお友達からこの場所を訪問した話を聞いていて、良いなと思いつつ、お話が面白かったので既に行った気分になっていました。

時間があったならば、「博物館・国際センター前」では下車したかったかもしれません。政宗の胸像に会いにというのもありますが、地下鉄の国際センター前には、羽生結弦君と荒川静香さんのフィギュアスケートモニュメントがあるのですよね。

彼のファンのお友達に聞いていたので、それで思わずその駅の前を通る時にシャッターを押したのですね。

(スマホの場合は、そのような言い方はしないかな。)

 

私たちの次の目的地は

 

 

定禅寺通りでした。

なんとなく「杜の都仙台」らしい風景にホッとした私でした。

仙台観光に悔いなしみたいな気持ちに成れたからだと思いました。

 

そして駅に戻ってきた私たち。

最後に駅で3人で、ずんだシェイクを頂き、そしてそこで解散しました。

 

姉と名都さんは帰途に。

そして私は一ノ関に向かったのです。

ここからはひとり旅。ひざ痛・坐骨神経痛・咳の私でしたが。

 

バイバイ仙台、楽しかったよ。


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姉妹で行こう💛仙台その2☆瑞鳳殿

2024-06-04 01:01:16 | お出掛け日記

姉妹で行こう💛仙台」の続きです。

るーぷる仙台に乗って4つ目のバス停で下車、「瑞鳳殿」に向かうことにしました。

が、そこに至る道を見て、ドーンと心が重くなりました。だってさ、

 

実はこの前もあるのよ、坂!!
ここは階段だからまだマシなの。

途中ですれ違ったおじさんたちに「頑張れ」エールを貰ったようにも思うけれど、(まあ、ふくよかなので大変に見えるのでしょう。)
上りは意外と平気なんです。私が憂鬱になってしまうのは、上ったら降りなきゃならないんですよね。膝がダメな人にとっては、下りって本当にきついですよ。

まあ、上りはテクテク行きました。緩やかだったし上りはきつくはなかったような気がします。

ふーん、そうなのか。

 

 (名都さん撮影)

ここ、霊屋下っていう住所なんですね。

それでまた階段。

たどり着きました。

 ←(蝶子さん撮影)

 

 

 

瑞鳳殿は伊達政宗の霊廟なので、しっかりと手を合わせお参りしてきました。

上から見下ろすと

 

印象的だったのは、

いまだに残る「伊達藩志の会」。凄いですね。

東照宮張りの色の鮮やかさじゃないですか。

2001年に改修工事が行われたとありましたが、既に23年も経っていて、つい最近ってわけではないわけですから、やっぱりこの鮮やかさは凄いなと思いました。

 

かっこいいな。

これも2001年に復元されたのですって。

 

 

ええと、これらはなんじゃ ?

そやそや、パンフレット貰ってあったんだわ・・・・・って載ってないし。

拡大してみよっと。

 

「瑞鳳殿は昭和20年(1945)7月10日に焼失・・・・・・」

「そうじて焼け残り。このうち4体は・・・・」

「瑞鳳殿改修工事記念」

「平成13年4月吉日」

はっきり言って読めません。だけど抜き出したところだけ分かれば、私的にはOK.

そうか~。

あの坂と階段を上って来るのにめげて、資料館は良いよねとなってしまった私たちでした。

「瑞鳳殿」は戦災にあって焼失してしまったのですね。

1979年(昭和54年)に再建。2001年に改修・・・って流れですね。

焼け残った竜の瓦・・・・

知ってから見返すと、しみじみとするものがありますね。

「瑞鳳殿」は、伊達政宗公に対しての愛と仙台の戦災の歴史が折り重なって、そこに今存在しているのかと思えるのでした。

 

もう一つの瓦は、

まあ、読もうと思えば読めるけれど、まっ、良いか。m(__)m

 

それから私たちは、

別の道を行って、戊辰戦争で亡くなった仙台藩士の慰霊碑を巡りました。慰霊碑なので画像はありません。

(霊廟は撮ったのに矛盾してますね。)

でも今、ウキッ様を読んでいたら、その戦いで亡くなったのは1260人なんですって。ああ、多いなぁ。

 

そう言えば、その前に載せ忘れたので順番が違いますが、

これも凄いですよね。「殉死」・・・・。何も言えない・・・・。

供養塔を後にして下山に向かいます。

ひぇーーーー。

熊、怖いよね~。

名都さんの画像。

 

 

今度はとぼとぼと降りて行きます。

階段は、まだマシ(;^_^A

 

ここが辛い・・・

蝶子さんの画像にありました。

これ、もう下が見えているけれど、私にはけっこう長かったのです。

途中で花の写真を撮って気を紛らわしたり

途中のお寺の写真を撮ったりしました。

そして下までたどり着きました。

で、休憩です。

美味しかったです。

朝食をいっぱい頂いたでしょう。だからなのか、もうこれでお腹が一杯になり、結局この日の昼食は、このお団子になってしまいました。

だけど、仙台の名物のずんだのお団子が食べられて嬉しかったです。

 

さあ、その次に。次は仙台城跡。

 


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