森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

自己紹介の代わりに「50の質問」に答えてみました。

2019-09-30 23:51:57 | 梢は歌う(日記)
この記事は、9月の初めに書き始めたのですが、途中で消えてしまって、気持ちが萎えて放置していました。なかなか面白いテーマなので、またチャレンジしてみました。

【gooブロガーさんに50の質問】
1. お名前は?
kiriyです。ついでながら、最近は「霧島花子」と言うハンドルネームも多用しています。
 
2. 名前の由来は?
35歳の時、頭の中で「清閑寺きり」という少年の物語を3日で5作作りました。だけど目の前の日常に追われ、彼は私の中から出てくることが出来ません。私がある日パタリと死んだら、彼も私の脳内で死んでいくのかと思ったら不憫になり、名前だけでも外に出そうと思って生まれたのがkiriyです。

3. 出身地は?
横浜です。
未だかって、「出身地は?」と聞かれて「神奈川です。」と答えた事のない、典型的な横浜人です。
 
4. 心の故郷は?
今住んでいる所です。

5. 住みたい場所は?
今住んでいる所で十分です。

6. 一番好きな場所は?
自分のうち。

7. 一番好きな食べ物は?
「一番」を決めるのは難しいです。不味くなければみんな好き。ただ素材で言うと、ジャガイモ・茄子・キャベツは友人に会ったような、そんな気持ちに子供の時からなります。(だんだん変な人を晒しているような気持ちになってきました。)

8. 得意料理は?
或る日ラッタさんに「我が家の『おふくろの味』は何だろう。」と言うと「唐揚げかな。」と言いました。「えーっ、お母さんの『唐揚げ』は唐揚げ粉を使ったもので、それがおふくろの味なの?」と嘆くと、「だけど何か手を加えてるよね。美味しいから。」と言われていい気になった経験があります。
と言うわけで、唐揚げ粉を使った唐揚げです。(笑っていいのか、嘆いて良いのか。)あとはカレーとか、ハンバーグとか・・・・(えーと、え~と、他にないのか。)
≪で、記事が消えて、ここまでしか残ってなかったのです。≫ (ノД`)・゜・。
その後、ルート君にも聞いてみました。彼曰く。ポテトサラダとか南瓜のサラダだそうです。

9. 苦手な食べ物は?
特にありません。子供の頃は、すべてが苦手でした。お豆腐とかシイタケとかはかなり後あとまで苦手でしたが、白いご飯も苦手。少しずつ努力しました。抹茶は好きだったけれど、抹茶ケーキや宇治金時は長い間苦手で、好きになったのは5,6年前です。

10. 趣味は?
今は「読書」と言うのは、趣味から外しています。美術鑑賞、映画鑑賞、お芝居を観る事、ドラマを見る事。森の緑を愛する事。
花を枯らす事・・・・・・・って、それは大いなる過ち!! 時々散歩。
 
11. 特技は?
これと言って何もないです。
ただいろいろな事を覚えています。まだ歩けない頃からの記憶がありますが、実はそう言う人はかなりいるらしいですね。

12. ブログを始めた理由は?
PCを始めて少しした頃、他の人のブログなどにコメントをしたくなりました。その時、ど素人だったので通りすがりではいけないのかと思って、自分の住所を作ったようなものです。

13. どんなブログにしたい?
ゆえにこの場所は、私のおうちなので、自分にとって居心地のいい場所。(多少トッ散らかっていても^^)

14. 誰に読んでもらいたい?
どなたさまにでも。

15. どんな人と仲良くなりたい?
どなたさまとでも。

16. このブログはいくつめ?
はじめてです。
ただしこの後に、裏の編集画面が見たかったので、たくさん作りました。作って広告面が嫌で5分で脱会したブログもありました。今も休止中ですが複数で持っています。
今もこのブログがメインブログ。なんたっておうちですからね。

17. もう一つブログを作るとしたら何をテーマにする?
日記と猫とゲーム。映画ブログは、今のような生活ではちょっと厳しい。

18. その理由は?
このブログに載せきれないのが、猫のアルバムと、主婦の日常日記だからです。

19. ブログを書くコツはある?
コツとかいるのでしょうか。よく分かりません。

20. インターネットを始めたのは何年前?
14年前です。

21. ブログはPCとスマートフォンどちらで書いてる?両方?
主にと言うか、殆どPCです。
 

22. ブログにコメントをすることがある?
ごく稀にあります。ブログを始めた頃は、本当にたくさんコメントをしていました。とっても楽しかったです。今はちょっと余裕のない生活で、なかなかしませんが、意外と皆さんのブログは読んでいます。

23. 「いいね」などリアクションがくると嬉しい?
素直に嬉しく思います。

24. ブログを読んでいる人に一言
いつもお読みいただけて、本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。

25. 記憶に残っている自分の記事は?

26. よく使うWEBサービスはなに?
yahooとかgooのトップとか諸々

27. 好きなブログは?
多数あります。皆様のブログの読者になっているのは、好きだから。

28. 暇なときは何をする?
ブログを書いてるんじゃん。

29. 好きな天気は?
なんの被害のないようなお天気ならすべてそれぞれに好きです。あえて言わなければならないとしたら、晴れ。
 

30. その理由は?
秋晴れの空も、真夏の真っ白な雲の空も、皆美しいから。

31. 暑いのと寒いの、どっちが好き?
過ぎたるは及ばざるがごとし。過ぎていなければ暑い方かな。

32. 好きな季節は?
実は夏。

33. その理由は?
なぜか心が燃える。

34. 秋といえば?
散歩。

35. この秋に食べたいものは?
さんま。安くなりますように。
 

36. 一番好きな映画は?
この場合の「一番」って、ラッタさんとルート君とどちらが好きなんですかと言う質問と同じように感じます。決められませんね。ありすぎて。でも、だけど、しかし、それでもあえて一個だけ言えと言われれば、「ローマの休日」とでも言っておきましょうか。   ああああ、やっぱ、これは残酷な質問だよねぇ。

37. トラウマになった映画は?
「リング」です。怖すぎて心を病みそうになりました。

38. 好きな本は?
これも難しいですよね。若い時のある時期、迷わず「荒野の狼」と答えていました。中学生の頃は「ジャン・クリフトフ」「赤毛のアン」「エミリーは登る」高校時代は「ジョバンニの部屋」「風と共に去りぬ」。アガサとサガンとヘッセとヘミングウェイが好きだった昔・・・・・・。今は・・・・・・・何かしらね・・・(^_^;)

39. 好きなマンガは?
「ポーの一族」、ジョジョシリーズ、「幽遊白書」その他多数。

40. 好きな音楽は?
これってジャンルの事でしょうか。ジャンルはよく分かりません。好きだと感じた曲が好きなので。単純に答えるのだとしたら吉田拓郎氏の歌が好きです。自分の心にかかっている鍵が開くような、そんな音楽だと思います。

41. あなた自身が思うあなたの性格を一言で!
心の中に馬と鹿を飼っている単純な人です。

42. ストレスの発散方法は?
書く事じゃないかなと思います。後は好きな人とのおしゃべりです♡

43. 一番幸せを感じるのは?
家族の事を、心配じゃない事で想う時。

44. 好きな言葉は?
「まっ、良いか。」

45. 今までで一番ハマったものは?
ブログなんじゃないかしら。良く続いています。

46. 子どものころの性格は?
よく覚えていますが、思い出したくもない寂しいちっぽけな子供でした。コンプレックス多数でひねくれていたと思いますが、平凡で目立たなかったので、ひねくれていたとばれて居ませんでした。

47. 尊敬している人は?
これはつい最近の事ですが、94歳になったスーパーばあちゃんの姑かも。
偉人の方々にも好きだと思う人がいるのですが、急に言われると(急ではないが)、思いつかないものですね。
 

48. 座右の銘はある?
「いのち限りあり。惜しむべからず。」だったなぁあああって今思い出しました。最近惜しんじゃって惜しんじゃって、・・・・・反省ですね。

49. 100億円もらったら何がしたい?
犬と猫をもっと飼える家をまず買って、そして私は放浪の旅へ・・・・って、犬や猫を飼ったら放浪の旅には行けないじゃない !!
どうせ妄想なのだから、今思いついたことを言ってしまうと、今の若い人が歳を取った時に、その時のわずかな年金だけで入れる老人ホームとか建てるとか。ネット環境充実・ジム有り・昔見たアニメを語る会とかのクラブ充実・美味しい珈琲のカフェありとか、そんな老人ホームは如何かしら。
すぐに資金が無くなりそうですね。

50. お疲れさまでした!最後に一言お願いします。
未来が明るければ、今日を頑張れる。
明日からの消費税アップ分は、未来の若い人たちの年金の不足分に回しましょう。
ぬけぬけと払った分より足りないなんて、どうしてそんな恥ずかしい事を、大人たちが言えるんだ。
と、時々私は怒っていますが、あまりそう言う事をブログには書きません。
 
このような私ですが、また明日からもよろしくお願い致します。
※ 10月になりましたので、コメント欄をまた開けました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東京ジャーミイ」に行ってみました。

2019-09-30 11:46:40 | お出掛け日記

・「ハレムの后妃たち」たちと言う記事の中で

>ひとつ歩めば、そこから興味の輪が広がって、また「見たい・知りたい」の欲望の連鎖が起きる事は、むしろ大事な事なのではないでしょうか。

と書かせていただきました。

トルコ旅行記で「イェシル・ウル、二つのジャーミィとコザ・ハン」と言う記事を書いて居たときに、ふと、日本にはそう言うモスクはないのかしらと思ったのです。親日家のトルコの人々は、たくさん日本にいらしてくださっているのですよね。その人たちのモスクが無いわけがないなと思いました。調べてみたら近い所では「東京ジャーミィ」がありました。

しかもこのジャーミィは日本で一番大きくて、そして見学も自由の事。

行ってみたいなと思うようになっていました。

9月25日は渋谷のbunkamuraミュージアムにて「ミュシャ」を見に行ったので、その時にこの「東京ジャーミィ」に立ち寄ってみる事にしたのでした。

 

代々木上原駅から徒歩5分。

ちらりと見えてきたミナレット。

 

 

扉は開かれていました。

中に入ると、入り口に居た男性に今は中の階段から上がって行けないので、外に出てちょっと先に言った所から礼拝堂に行けると、親切に案内していただきました。

 

上の画像でもちらりと足場が映っていると思いますが、修復中なのです。

イスタンブールでもアヤ・ソフィアにブルーモスク、皆修復中でした。世界レベルでモスク修復中ってのが流行っているのかしらなどとくだらない事を考えながら外階段から二階に上がって行きました。

下の画像は中階段から上がってくると出てくるところで、覗くといろいろ階段の所には工事の物が置いてあって確かに使えない状態でした。だけど綺麗な階段だと思いました。

入口。

確かに、向こうにチラッと見えるブルーシートと足場がちょっと残念ですが、こういう時に来たのだと言うのも、ちょっとした思い出になると思いました。なんたってポジティブな方ですから。

そして礼拝堂の中ですが、なかなか見応えのある美しさでした。

 

そしてクルクルと長い階段を上って、女性専用の礼拝室に行きました。

 

トルコ旅行では、存在しか説明されずに入ることの出来なかった場所でしたから、初めての経験です。

そこの視界から見える風景。

ほんのちょっとだけ違うように見える世界。

 

思わず写真を撮りたくなるポイント多数。

但し、この場所は礼拝する場所。

写真を撮る事に夢中になりすぎると、柵が低いので無用な事故を招きかねないので、気を付けなければなりませんね。

 

一階に戻って、集会所やショップ(ハラール・マーケット)にも立ち寄りました。

 

ショップにはいろいろと興味深いものが売っていました。ウールの小さな絨毯も。

確か月曜日は少々安くなるとか書いてあったように思います。今回は何も買い求めませんでしたが、またお買い物に来たいなと思いました。

モスクに買い物に来たいなどとなんだか不謹慎なようですが、この場所は「トルコ文化センター」でもあるのです。

お茶やお菓子、トルコの雑貨などに気軽に触れる事が出来る場所でもあるかもしれません。

 

下は休憩所。無料のドライナツメヤシやお茶などが置いてあります。

お国の人や信者の方々が、ここで多く語らって交流を図る場所なのかも知れませんね。

喉がカラカラになってしまったので、お水を一杯頂きました。

 

ただいま礼拝中。

 

その時扉はしっかりと閉じられます。

 

 

礼拝堂に入る時は、女性はスカーフが必要です。だけど入口の所に貸出用のスカーフが置いてあります。

私たちは、スカーフが必要と分かっていましたので持参しました。しかもわざわざ二人ともトルコに行った時とは別のものを持参しました。何気に異文化に触れあう事を楽しんでいたのかも知れません。

このように書くと、なんだかチャラチャラとしているなと思う方もいらっしゃるかもしれませんね。

「いいえ、違います !」とは言い切れないものが、少々私の中にはあるような気もするのですね。

 

ただ私にとって、今まではイスラム教と言うものをまったく知らず、この文化は本当に閉じられた扉の向こうにあったように思います。それゆえに一部の過激な人たちのために偏見的な目で見られていたりする部分がないとは言えないイスラムの世界ではなかったかと思います。

 

ただこの人たちと触れ合うと、感心するような事が多かったりもするのです。ここの人たちはこの場所で従事しているからかもしれませんが、穏やかで親切でした。

そしてここでも、たいていの人はすぐに忘れてしまうようなささやかな触れ合いがありました。

星子さんが(またも今回も相棒です。)私の写真を撮ってくれていた時、モスク修復の職人さんが鉄の柱を担いで入ってきました。

私たちを見ると、そんな重い物を担いでくれていると言うのに、画面に入らないように入口で待っていてくれたのです。

星子さんからはその人が見えなかったので、3秒待ってもらって済んだと言うわけにはいかなかったと思いました。

そしてたぶん私、「あっ!」みたいな変な顔をして映ってしまったと思います。

 

写真を撮り終わった後、思わずその方に手を合わせてお辞儀をしてしまいました。

「えーっと、そのお辞儀ってどこのお辞儀なんだよ。」って自分で心の中で笑ってしまいました。

思わず異文化交錯 !!!

だけどその人はにっこり笑って、頷いてくれたのでした。

 

 

この記事を書いていて、またふともっと近隣にはないのかしらと思い調べてみました。

確かに、浅草にもあるしつくばにも横浜にもありました。

だけどこの「東京ジャーミィ」は日本で一番大きいと言うのもありトルコ文化センターでもありと言う事で、だいぶ一般にも開かれている場所だと感じました。やはりモスクは礼拝の場所ですから、どこもかしこも同じと言うわけにはいかないので気を付けなければならないなと思いました。

この先、出掛けた先にモスクがあれば外側から写真を撮るような事はあるかもしれませんが、中を予約してまで見に行く事はないと思います。

また真夜中に、ずっとひとつひとつを検索などをしていましたが、その中の一つから罠が仕掛けられていたような所に飛んでしまいました。たぶん次を開かなかったのでセーフだと思いますが、怖いのはネットの世界ばかりではありませんが、やはりネット検索は図書館の片隅で本のページを捲って調べているわけでは無いので、気を付けなくてはならないと肝に銘じた9月最後の真夜中でありました。

 

 

たぶん、今日は夜遅くにもう一回更新する予定です。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#なつぞら を嫌いになれるわけがない

2019-09-29 02:06:53 | テレビ・ラジオ

今日、この半年間、本当に楽しんできた朝ドラの「なつぞら」が最終回を迎えたので、その感想を書いておきたいと思います。

今から書きはじめたら、「今日」ではなく「昨日」になってしまうかなとか思いながら・・・・・。

今、22:22なんです。

「今、何時 ?」と思うと、いつもではないものの、殆どぞろ目。これって結構気持ちが悪いですよ・・・、という事はどうでもよい事ですが、何でこの時間から書き始めて、書き終わるのが明日になりそうだと思うのかって言うとね、それだけちょっと気持ち的にはいろいろあったからなんです。半年間のドラマの感想を1回で書く事は、ある意味無謀でもあるわけですから。だけどできるだけ頑張って短くまとめてみたいと思います。

この朝ドラ、最初と最後の1週間は、本当に毎日ジワーッと瞼を濡らしました。

 

ところで私は今ではツイッターの朝ドラクラスタではありません。ツイッターに感想を書きこまなくなって久しいのですが、時々そこを開くと意見が「好き」と、「好きではない」に分かれているのですよね。「好きではない」と言う書き方は正しくはないのかも知れません。だって見続けているのですから。嫌いなら見ないっしょ。そこは「もっとこうであったらな。」と言う人たちでは無いかと思うのですよ。「好き」で感動している人たちは「こうであったらな」の人たちを、ヒロインの演技が、脚本が、演出がとつべこべ言っている人たちと思っていると思うのですが、ワタクシ、好きだったけれど、時々テレビ前でつべこべ言ってましたよ。

 

このなつさんは、実は私たちの母の世代の物語。

最初の戦争孤児の時代の物語の時、母たちの世代の心をわしづかみしたと思います。

そして最初の頃のお話のベースが「ハイジ」や「赤毛のアン」のアニメが見え隠れているような気がして、私たちの心もトキメキました。

他人だったなつが北海道で柴田家の家族になっていく様子は、毎朝ドライアイの治療に役だちました。

これは最初から最後までいえる事ですが、もう草刈正雄、最高ね。

中学の時にそのビジュアルからファンになって、ファン歴もなにげに長いのですが、彼自身がこんなに長くしかも演技派の俳優になるなんて思ってもみなかったですよ。ファンでいて良かった~と思える泰樹さんでした !!

 

ただ私、「演出につべこべ」の一つあったのは、千遥が再び北海道の牧場に訪れた時、泰樹さんが黙って抱きしめたじゃないですか。

ドラマ的には感動的。何も言わなくていいんだと黙って受け止めてくれる泰樹さん。良いシーンなのですが、

「ないないない。」「ムリムリムリ」と、首を傾げてしまいました。

ハグと言う習慣は、今の若い人ほどは無いんだよ、この時代の人はー。

「不自然なんだよなぁ。」と私が言ったら、

「どうでもいいんだ。そんな事は一つ二つはちっぽけな事じゃないか。」と夫殿。

そう言われてみたら、「まっ、良いか。」てな気持ちになりました。

だけど時々、ちゃんと時代を踏んでいたように感じていたドラマが、私たちの時代さえも通り越した現代劇のようになっているなと感じていました。それは途中からそうなってしまったように思えました。特に子育てと仕事の両立のシーンなど。

 

母たちの時代、まだまだ働く女性への風当たりは半端ないし、それでもやりぬいた人たちを助けたのは今の保育園のような場所ではなくて、たいがいは家族でした。言うなればおばあちゃんと言う存在。そのおばあちゃんと言う存在がなく仕事をしていた女性たちは、子育て・家事・仕事をこなすスーパーウーマンでなければならなかったのです。

言わせていただければ、私たちの時代もです。家に居たって、イッキュウさんの様な家事参加は、父の時代私の夫殿の時代に見たことがありませんよ。フンだ。

なんだよ、この現代劇の持ち込みはと、私は少々ガッカリしていましたよ、はっきり言って。

だけどこれは今という現在に放送されているドラマなのですよね。今働いている女性たちが、これを見ていて「よーし、今日も頑張ろう。」と思えるドラマになっていれば良いのですよね。

いつの時代のお話になってしまったのだろうかなんて事は、きっとどうでも良いちっぽけな事なんだと思います・・…たぶんね。

 

私はもう、いつの間にか「古い水夫」になってしまっているので、この現代劇を見て「よーし、今日も頑張ろう。」とは思いませんでしたが、それでもこのドラマが大好きだったのでした。

なぜなら、ひたすら懐かしかったからです。

 

以前の朝ドラでは、夫殿が何かのサイトからあらすじを知っていて、それを今見ているのに話すものだから、数分後に分かる物語を数分前に知ってしまうと言う、まるでニコラスケイジの映画の様な状態になっていました。(うざいね)

だけど今回の場合は、いちいち、「これはあの物語のことを言っているのよね。」と私がそのアニメを見た時の思い出を語り解説をすると言うような事が起きていました。まあ、はっきり言って夫殿は聞いていなかったと思いますが、それでも一人でテンション高く盛り上がっていました。

例えば「白蛇姫」。あれは「白蛇伝」ですよね。

このアニメに影響を受けた方々はたくさんいたようですよ。

それを幼かった私は母に連れて行ってもらったのです。そしてその後、私たちは白蛇の優雅さにうっとりして夢中になり、姉と二人で彼女の真似をして腕を動かしていました。

「ねぇねぇ、こんな風に腕が動いていたよね。綺麗だったよね。美しかったよね。」と。

この映画は、私にとっても何かの原点の様な大切なものだったのです。

 

それからテレビのアニメでは「百獣の王子サム」って、「狼少年ケン」の事じゃないかなと思いました。

私これも実は、このアニメを一番最初は映画館で見たのですよ。テレビでやったものを映画館でやるってなんか視聴者を甘く見ているのかってな感じですが、この時代はそうとは言えないのですよ。

なぜならテレビの普及率が100%ではなかったからです。それに電波状態も悪くて、映像が綺麗に入らないチャンネルなども多かったからなんです。横浜に住んでいた私の家は、まさにそれで、ある時まで本当にダメでした。

ある時と言うのは、山の上に共同アンテナを建てた時まで。それまでこの地域にNHKが集金に来ることはありませんでしたよ。(映らないからね。)

映画館で見たそれは本当に面白くて、後からテレビでもやっていると姉から伝えられて、それを家族で(歪んだ映像で)見るようになったのでした。これは「ジャングル大帝」でも同じ事が我が家では起きました。大きな映画館の綺麗な映像で見た「ジャングル大帝」は子供心にも感動的で、掴まってしまったレオの船が難破して、海を渡ってレオがアフリカの故郷に泳いで帰って行く姿に、私たちは泣きました。

テレビと同じものを映画館でもやっても、意味があった時代もあったのだと思います。

 

「キックジャガー」は「タイガーマスク」。白黒でありながら血しぶきが飛び、女ばかりの家庭では(父は居たけれど、あまり家にはいなかったので)かなりのショックで、「キャー」といっては全員がテーブルに顔を伏せました。

「 (そのショックな場面は)終わった?ねぇ、終わったの?」と聞いても、全員顔を伏せていたので分からずに、音声で判断して恐る恐る顔をあげたのでした。だけど「タイガーマスク」は傑作。家族でその後も見続けていました。

 

楽しいアニメ作品の思い出は、つまり家族との時間の記憶です。

 

別れ別れになってしまった戦災孤児のなつたち兄弟が再会し、再び家族の時間を取り戻していく物語。

そして私にとっては、映像から記憶の中の家族の時間を取り戻すことができたアニメ制作の物語。

 

なんだかんだと言ったって、このドラマを嫌いになることなんてできないのです。

どんなにヒロインが、

「じいちゃん、明日あたし歌留多大会に行ってくるね。」と言う言葉が飛び出てきても、何ら違和感がないなと密かに思っていてもです。(^_^;)

 

しかし北海道編はすべてが面白かったし感動ポイントが多数でした。

 

泰樹さんの「ソラ」を見た後の感想が「朝日を見せてもらった。」と言うのも良かったですね。

このシーンは私も「今日も頑張ろう。」と言う気持ちにさせていただきました。

 

また「キングダム」と言う映画を見た時に、「この美しい青年は誰?」となったのですが、それが毎朝見ていた天陽君だったとは・・・・という事で、それからは見る事の楽しみが倍増したと思います。

モデルがいたので、彼の運命は分かっていたわけですが、それでも若すぎる別れには胸が痛かったです。

脇を固めたキャストの皆さん、本当にそれぞれが皆、素晴らしかったです。

 

初回に流れたアニメが最後に繋がって行ったのも、私的には凄く良かったと思いました。

戦火を逃れようと、なつの手を引いて逃げてくれたノブさん。これは本当の過去の出来事。

だけれどラストに流れた映像は、確か初回と同じだと思うのですが、未来の仕事への展望を表現していたと思うのです。

過去も今もそして未来も、大事な時間ー。

 

そして老いた人は、緑の中に横たわり大地と風を感じていました。

若い夫婦と子供は緑の草原の中を歩いて行きました。

 

美しい最終回だと思いました。

 

 

※ 【追記】

真夜中、そうとう寝ぼけて書いていたみたいで、タイトルから脱字していました。訂正いたしました。m(__)m

またついでに書くような事ではありませんが、真夜中に寝落ちしながらは書けなかった事なので、追記させていただきます。

このドラマの途中で、あの恐ろしい京アニの放火事件がありました。その後にこのドラマを見続けて居た時、夢を抱いて頑張っていた方々の事が心のどこかに存在していたように思います。

アニメを作り出す現場の物語だったからです。

 

きっと皆さんが作り出した作品を、見た方々は心を時めかしながらずっと語り続けると思います。

私が「白蛇伝」を今でも熱く語ってしまうのと同じように、何年も何十年もずっと・・・・・・。

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「みんなのミュシャ」は29日までです!

2019-09-27 02:37:55 | お出掛け日記

9月25日に行ってまいりました。

こんなに会期ギリギリになってしまったのは、最初は行く予定がなかったからなのです。というのも、私にとってのミュシャは、今となっては「スラブ叙事詩」のミュシャだったから。

2017年に行った記事は「「ミュシャ展」に行きました。」なのですが、その時の企画展は、本当に最高でそして圧巻だったのです。

その記事の中で

>私は「ミュシャ」と聞くと、今まではアール・ヌーヴォ―の綺麗な絵を描く人と言う認識しか持ってなかったように思いました。確かに彼はパリで舞台用や商業ポスターを手掛け、その人気を絶大なものにしていったのです。

と書いたのですが、「今までの認識」の方のミュシャにあえて行く事もないかと、最初は感じてお出掛け候補から外してしまったのでした。

しかしその後、ツイッターなどからの情報で、彼に影響を受けた方々の展示があると知って、にわかに行きたい熱が過熱したのでした。

よく見れば副タイトルがなんと「ミュシャからマンガへー線の魔術」だったのですよねぇ。

 

2017年の記事の中で、私はまた

>私はこれらの絵を観ていて、漫画を描く人、映像を作る人、もしくは物語を綴る人に何かしらのヒントを与えそうだと感じました。今の自分がそれらの何にも当たらない事が、ちょっと寂しくも感じました。

「与えそうだ」などと、また無知の知を晒していたわけですが、やはりここでも大事なポイントは外してはいなかったのですね。←何気に自慢。

 

会場の入口からずっと続く、美しいポスターや雑誌の表紙を飾ったミュシャの絵。

もしも私がこの時代の人だったら、もちろんそれらを目にし雑誌を手に入れる事が可能な人と言う意味ですが、私はきっと彼を見つけ出し、ひとりその絵を眺めてボーっとしていたと思います。そして彼が故国に帰り、あの大作たちを仕上げたこと知ったならば、我が事のように喜んで自慢に思い涙を流したことでしょう。

そんな妄想をしながら、私はメチャクチャ混んでいる会場を廻っていました。

言うなれば、その感情は「押しを押す」「オタクの心」「ファン心理」と言うような、今も昔も変わらないものではないでしょうか。

「スラブ叙事詩」のような大作の時にも、何かそこに大きな物語の様なものを感じました。

そしてまた今回も、彼の一枚のポスターや雑誌の表紙を飾った絵などからは、そのページを捲ったら何か物語が飛び出すような、そんな錯覚を抱かせるものを感じさせたのでした。

本当にまるで漫画みたいだと、私は思いました。

 

クオリティの高い漫画家の皆様が影響を受けるのも当たり前かもしれませんね。

そして私たちは、知らず知らずのうちに、その影響を受けた作品を見ていたのです。

「みんなのミュシャ」。なんだかそんなタイトルに頷けるようなものを感じますね。

HPは→こちらです。

そしてそこからも飛べますが、

影響を受けられた方々のスペシャルページは→こちらです。

 

 

 

買ってきた絵葉書です。

 

ペコちゃんのサブレ缶とかカステラの綺麗な箱売りのものなども、後で考えたら欲しかったかも。

今回はコレクションしているファイルも無しです。

お土産売り場も混んでいて、ちょっとだけ圧倒されてしまいました。

それでも見る価値がありですよ。

 

 

天野さんの作品で絵葉書になっていたら欲しかったものがあったのですが、HPにもチラシにも同じ作品しか載っていなくて残念です。彼の作品展に行くしかないかなと検索したら、

このような所を見つけました。→ここです。(ファンタジーアート展)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハレムの后妃たち

2019-09-26 00:36:50 | トルコ旅行記

はい !

分かっております。もうタイルの壁は見飽きたと言うのは。

だけど写真を撮りすぎて、余っていたものですからついつい載せっちゃった!

やっぱり綺麗だわ~♡

だけど私もそろそろ飽きてきました。というのは、ハレムの后妃たちの事を、夜な夜な読んでいることにです。飽きたと言いながら、更に嵌って、アレを読みだしたりコレを見出したりしかねない。そう言うのは先送りにして「後の楽しみ」にしたいところです。アレとコレについては、後程書きますね。「読む」「見る」で、すでにハハーンと分かってしまった方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

「トルコ旅行記」番外編です !!

 

トルコの至宝展と5月の東京散歩」の記事は「トルコ至宝展」に行った時のものですが、ハレムについての説明で、そこに集められた女性たちは奴隷狩りで集められたり海賊に拉致されて、やはり奴隷として売られて入って来たものも多かったとあったと思うのですが、その時、私はその事を知っていた事に気が付きました。

そして思い出したのです。

いつ頃だったかは不明ですが、海賊に囚われて奴隷としてハレムに売られながら、ハレムの中でスルタンに愛されて絶大な権力を握って行く少女の物語を。

海賊に拉致。奴隷と売られる良家の少女。しかもハレムに。

かなり衝撃的な物語ではないですか。

最初私はこの少女の事を、「ロクセラーナ」つまりヒュッレムの事ですが、その女性だと思ってしまいました。なぜなら、彼女をモデルにした漫画も存在しているからです。

 

夢の雫、黄金の鳥籠(1) (フラワーコミックスα)
篠原千絵

小学館

夢の雫、黄金の鳥籠 コミック 1-12巻セット
クリエーター情報なし
メーカー情報なし

 

またも篠原千絵さんの作品です。

またもと言うのは、「赤い川のほとりで」で紹介した「天は赤い河のほとり」も彼女の作品だからなのです。もう彼女はトルコのスペシャリストなんですね。

いつか読まねばと本当に思い始めています。

 

ヒュッレムは1502から1504年ごろから1558年の人で、スレイマン1世の皇后です。

彼女はスレイマンに、それまでのハレムの慣習を次々と破らせ奴隷から一夫一妻の妻となり、ハレムの頂点に上り詰めた人なのです。ハレムの慣習と言うのは、男子一人を出産したら、本来ならば二人目を孕む事はなくスルタンから遠ざけられることが普通だったのです。それを彼女は長男を出産した後も傍に居続けて、6人もの子供を儲けました。

そしてライバルたちとの攻防に勝ちそれらを退けて、唯一の妻となったのでした。

400人もの、または多い時には1000人とも言われたハレムの中において、それが如何に熾烈な女の戦であったのか、乏しい想像力でも分かると言うものです。

私は、「壁・天井・窓、トプカプ宮殿のハレム」の中で、共鳴は出来なくても、ある視点に置いてみれば、理に適っている部分もあるし、こういうシステムになって行ったのはそれなりの理由があったのではないかと思ったと書きました。

ある視点と言うのは、もう本当に女性の人権なんかまったくない腹立たしい視点ではありますが、優秀なスルタンの後継と政治と言う視点です。

だいたい日本の大奥もですが、宮中もそして中国の後宮も、正妻などは、皆実家の家柄は大事ですよね。そして外戚はたいがい力を誇って行くのが常の様な気がします。最初からそれを狙って、平安の貴族たちは娘を持つことは非常に大事な事だったと思います。簡単に思いつくところで言えば、藤原道長や平清盛など。

だけどオスマントルコの女性たちのほとんどはもとは奴隷です。

外戚のわずわらしさがありません。

そして家柄を重んじるあまり、血縁に近いもの同士の婚姻などを繰り返す事もないのです。美しくて、そして多くの女性たちの中からのし上がっていくような能力のあるものが、王子の母になって行くわけですから、優秀な遺伝子の確保という事になって行ったと思うのです。

また男子一人の出産というのも、ある時代まで後継者が決まると異母兄弟は処刑されたと言うのですから、同じ母で兄弟であると言うのは非常に厳しいものがあったと思います。結局は次の後継の者の母だけが勝ったと言えるのだと思います。だけどそれも、スルタンの母としてそれなりの扱いを受けるだけ。

あー、やだやだ。それなら庶民の方がよっぽど幸せじゃないと思っても、彼女たちはここに売られたり、献上されたりした人が多く、それゆえそこで生きていくしか選択肢がなかったのでした。

これでは完全なる「腹は借り物」の状態だったのだと思いました。でもだからこそ、このような状態だったら中国の西太后の様な後宮政治にはならないはずでした。

だけれども、歴史にしても人の生きていく道にしても、激流の川が流れていく如く、堰き止めても堰き止めても、溢れた川の水は必ず流れていく道を見つけるが如くですね。スルタンたちが相手にしたのは、綺麗なお人形ではなかったわけですから、ヒュッレムはオスマン帝国の後宮政治(女人天下)の幕を開けたと評されているのです。

(ちょっと、『ざまあみろ』ってな気持ちにもなりますよね。)

 

そしてまた、彼女の物語はトルコ発信のドラマでも見る事が出来るのですね。

「オスマン帝国外伝〜愛と欲望のハレム〜」。世界の約8億人が見たそうですよ。日本でもチャンネル銀河で第四シリーズが始まるそうです。

トルコ版大奥とか言われていますが、それじゃあ、人気があるのも頷けますね。

 

ところがこのヒロイン、あらすじやその他の諸々を読んでみたら、海賊に拉致されてと言うわけではなかったのでした。

私の読んだのは誰がモデルだったのかしら・・・・と検索しても出てきません。

ネットも万能と言うわけでは無いのですね。

もしかしたら漫画ではなかったのかも知れません。

 

それでも怪しいなと思っているのは「エイメ・デュ・ビュク・ド・リヴェリ」。名家の姫君でナポレオンの最初の妻ジョセフィーヌの従妹だった人。こちらはほとんど伝説のようになっているお話ですが、それも本当に面白いです。

または、「海賊に拉致された」と言う点において、「サフィエ・スルタン」だったのでしょうか。

 

どちらの方でも波乱万丈を地で行く人生。だけどちょっと(かなり)怖い人生の終わりでもあるのです。

 

ひとつ歩めば、そこから興味の輪が広がって、また「見たい・知りたい」の欲望の連鎖が起きる事は、むしろ大事な事なのではないでしょうか。

 

いつかまた、関連したドラマや書物(漫画を含めて)などを読む日は来ると、私は思っています。今の時点ではそれは「後の楽しみ」ではありますが、そのフォルダーにそれらを放り込んでいくこと自体も、今の楽しみかもしれません。

 

えっ?

やたら放り込んでどうするのと、おっしゃいますか。

大丈夫です。放り込んで放置ではありません。

今日も・・・・と、昨日でしたね、もう。

昨日も、そのフォルダーから一つ取りだして実践してきました。それは次の次の記事に書く予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トプカプ宮殿のささやかな触れ合い

2019-09-24 12:25:52 | トルコ旅行記

※ 昨日の朝早く、30日に会う約束をしていた友人から骨折したと言う旨の電話を頂いて、なんだか何もしていないのに疲れてしまった私です。祭日であっても夕方からの短いバイトはあって、夜は「監察医朝顔」の最終回を観ました。「~願う~願う~♪」と言う絶妙のタイミングの音楽と共に泣きました。

なんでもない日常、それこそが宝。そんな想いを感じながら、今日も一日、それなりに頑張りたいと思います。

 

というわけで、「壁・天井・窓、トプカプ宮殿のハレム」の続きです。

トップ画像は、「愛妾のテラス」と呼ばれている所から見た風景だと思います。

「思います。」という怪しげな書き方は如何なものかと思うのですが、この時点ではツアーは自由行動で、この場所の正式な名称を聞いた記憶がなかったからです。「割礼の部屋」の説明はあったけれど、そこの前でもやっぱりタイルの前で二人でニコニコと写真を撮っていました。

正直なことを言ってしまうと、忘れてしまったからではなく、最初から自分が何の部屋を見ているのか、あまり意識がなかったみたいです。お風呂だとかは流石に分かりますが、前のページのトップ画像が「団らんの間」であることを、先ほど知ったくらいです。ガイドさんはそのくらい言ったのではないかと思いますが、すぐに抜けてしまったのですね。ここが何々の間と言うのは、私にはあまり意味のない事ですから。(ゆえに全くガイド的な記事は書けません。)

それでもブログ記事を書くのに、もう少しちゃんとしたものをと思って、かなり検索し直しました。それで分かった事は、やはり多くの見逃しがあるなと言う所かもしれません。

「見る」と言う事においては、かなり十分な量ではあるのですが、他の方の見事なガイド的なブログ記事などを読み、その場所は「抜けたな」と思うと、ちょっと残念な気持ちになったりもするのです。それは欲望は果てしないものと言う事なのでしょうか。

「トプカプ宮殿」は結構広いのです。迷う人もいるとかと言う文をどこかで見かけました。だけどツアーは途中で写真を撮ったり、かなり列はダラダラとマイペースで進んではいましたが、イヤホンガイドが聞こえる範疇に居るので、迷う人など居ないと思っていました。

が、ハレムを出て、いったんの集合をした時に、誰かが

「迷っている人がいると思う。」と告げたのです。

確かにひとりいませんでした。ガイドさんが慌てて探しに行き、ちょっとした時間が経過した後に、「すみません。」と恐縮しながら、その方が戻って来たのです。

その方に悪いので、聞きはしなかったのですが、どうして迷ってしまったのだろうかと不思議に思いました。

推理するに、一度庭園に出た時に、興味のある方向に歩を進めてしまったのかも知れないと思いました。

もしくは途中で一人でトイレに行ったとか。

だけど私が更に不思議に感じたのは、「迷っている人がいる。」と告げる事が出来た人がいた事なのです。

集まった後に数を数えて、足りないと分かった後に出た発言なら分かります。

だけどそうではなかったのです。

きっとその人は(これも単なる推理ですが)、違う方向に行くその人の背中を見て、気になっていたのではないでしょうか。すぐに戻って来て、ここに同じように集合するのであれば良いわけで、先には注意もし辛いものもあったでしょう。

結局誰にも確認もしなかったので、真相は分からないままです。ただ私は、このツアーはなかなか良いメンバーに恵まれたなと思ったのでした。

 

その後、わずかな自由時間になりました。

私と星子さんは、トップ画像の海を背景に写真をお互いに撮っていました。

そこに賑やかで華やかな四人組の女性がやって来ました。意外と写真を撮る事を頼まれたりします。安心な人と言う顔をしているからだと思いますが、自分から「撮りましょうか。」と言う事も多いです。たぶん元々おせっかい気質なのでしょう。この時はどっちだったのかは忘れてしまいました。なんたって6月の事ですから、そこまでの細かい事は覚えてはいないのです。だけど撮って差し上げれば、こちらも写していただけると言うものです。この場所での二人の写真は、この四人組の方に撮ってもらったのでした。

「違うツアーの方ですね。」と言うと、

「妹がトルコに住んでいるので、友達を誘って妹に案内してもらいながらの個人旅行です。」と答えてくれました。四人組の中の二人は姉妹だったのです。

「まあ、羨ましい。」と私は本当に素直に言ってしまいました。

「楽しい旅でありますように。」と、お互いの旅にエールを送りあって別れました。

 

 

 

向こうの壁の中が、「割礼の間」だったと思います。いろいろ工事中です。

 

そして外側の写真を撮り忘れましたが、「バクダードのキョシュキュ」。↓

 

 

 

 

やっぱりまた壁に魅せられて、壁と窓ばかりを撮ってしまいました。だけどこの部屋は見張りと言うか警備の方がいました。その方に写真を撮って欲しいと頼むと、爽やかに快く引き受けてくれたばかりではなく、カメラに他の人が入らないようにと周りの人に頼んでくれて、二人だけの写真を撮ってくれたのです。他の人に言えるのは、やはりこの人だからだと思います。

とっても嬉しい想い出の写真になりました。星子さんと二人なので、このブログには載せられませんが、上手く撮れていました♪

出る時に、先ほどの四人組が入ってきました。

こっそりと、「あの方に写真を撮ってもらうと良いわよ。」と小声で伝えておきました。

「陶磁磁器の展示室」前。中には厨房の道具や、日本の陶器などの展示もあります。

薔薇の季節のトルコでした。

以下星子さんが写した画像です。

【正義の塔】

そして


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

壁・天井・窓、トプカプ宮殿のハレム

2019-09-23 15:48:46 | トルコ旅行記

※ この三連休はお彼岸のお墓参りをすっかり忘れて、映画に行きました(『引っ越し大名』、面白かった~!!! )。ほとんど欠席無しの墓参りだったのに、ちょっと残念だし心残り。その前日に姑の家を訪れたと言うのに何も言わなかったのは、彼女たちも忘れていたからに違いないと思われます。そして急に思い立った朝、お電話を頂いてもねえ。いつもこんな風にぶんぶん振り回されてきた何十年・・・・・・。まっ、良いか、って事で。そして夜は、「前畑、頑張れ!」でしたね。

 

それでも私は「トルコ旅行記」の続きを書く事にします。

 

ひとつ前に書いた「ブルーモスク ♪」は夕方4時半ごろの訪問で、そうとう疲れていたと言ったのですが、なぜかと言えば、その前に訪れた「トプカプ宮殿」が、私にとってなかなかの見応えがあって、かなり私と言う器が埋まっていたからです。

ごく稀に美術館のはしごなどをすることがありますが、私的には、あれも相当ヨロヨロとしますよ。

そのような感じのヨロヨロだと思っていただければと思います。

 

今年の5月の「トルコの至宝展と5月の東京散歩」は、もちろん「トルコ至宝展」に行った記事ですが、あまり内容の感想には触れていないのです。それはその時はトルコに旅行に行く事は決まっていた事なので、あえて書かなかったのですが、それでもその中で

『>スルタンにハレム。

いろいろなロマンを感じるし、立身出世は自分の才覚によってと言う所にも魅力は感じるのですが、まずは奴隷からと言うのも疲れる世界だななんて思ってみたり・・・・。』

と書き込んだのは、やはり印象が深かったからなのでした。

本当は昨日、この記事をアップしようかと思っていました。だけどついついハレムの后妃たちの事をネットで検索し、読んでいたら真夜中になってしまったので止めたのでした。

オスマントルコのスルタンたちは、本来は結婚をしません。ハレムで多妻で子を儲けるのは後継の子供を得て育てる為ですが、また本来は、女性は一人の男子を儲けたらその子と引き離され、二人目を孕む事は無いらしいのです。そして更に恐ろしい事に、後継者のスルタンが決まると、ある時代までその他の兄弟たちは殺されたのです。

それでは後継争いに命がけで必死になるのは当たり前です。また腹は借り物を地でいっているのですよね。

それでも私はちょっと、ある視点で見ると、理に適っている部分もあるし、こういうシステムになって行ったのはそれなりの理由があったのではないかと思ったのです。もちろん共鳴なんてしないですよ。アナおそろしや。

「トルコ至宝展」ではその中で、寵愛され一夫一妻制を貫き、結婚もした后妃の事が紹介されていました。

そして私の記憶の中にも・・・・・・。

しかしこの話を延々としていると、この記事の本文にたどり着きませんので、別記事にて書かせてくださいね。

 

要するに、「トプカプ宮殿」のハレムに行く事は、私の中ではメチャクチャに楽しみにしていた場所だったのです。愛と陰謀、血と殺戮、女たちの野望と悲しみ、そんな過去の空間を歩くのかとワクワクしていたのでした。

ところがです。

いざ行ってみると、私の中でそのような想いは微塵も湧き起って来なかったのです。

なんと言うか・・・・・

壁・天井・窓が美し過ぎて。

そして「壁・天井・窓」ばかりをこんなに写真に撮った事は、かつて無かったのではないでしょうか。

 

 

 

 

【挨拶の門】です。

 【帝王の門】

 

実はすぐ傍にアヤソフィアがあるのです。なんだかそんなに混んでないんじゃない?

まあ、くだらない場所に時間を使ってるからな、このツアーは。←心の声

 

 

そして天井

天井

 天井

下の絵は「トルコ至宝展」でも見た気がするのですが・・・・・。

本当に綺麗です。色が鮮やか。

よく見ると、鳥さんが巣を作ってました。

こんな通路を歩く時、ちょっとだけいにしえのオスマントルコの女性になったような気持ちになってみました。

家族のためのお風呂。

ボケちゃったのですが、トップの画像を大きく撮ってみました。

そして何百年も敷きっぱなしの、トルコ自慢の絨毯。

そしてまた、壁・天井・窓です。

確かに、考えてみると、どこかの国の宮殿のようにゴージャスな調度品が置いてあるわけではないのですよね。それでも女性たちがひしめき、スルタンをもてなす為のハレムは、そこに存在しているだけで美しさを肌で感じる場所でなければだめだったと思います。このトルコ自慢のタイルたちはその空間を見事に作り出していたのではないでしょうか。

この宮殿の記事はもう一つだけ、あっ、ハレムの后妃の話を入れたら二つかしら、とにかく続きます。^^


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーモスク ♪

2019-09-22 00:31:35 | トルコ旅行記

※ トルコ旅行記、また再開します。

「イスタンブール」まで来たので、なんとなく安心しちゃって、しばらく放置していましたが、やっぱりこれを終わらせていかないと落ち着かないような気もしますね。

6月14日は朝からイスタンブール観光でした。

ここで有名なモスクと言ったら、「アヤソフィア」か「ブルーモスク」だと思います。だけど、「アヤソフィア」は遠くから見ただけ。不満に感じたツアーのメンバーもいたみたいです。内部の見応えが違うらしいのですよね。だけれど今は一部修復中らしいし、何しろ入場チケットを買うのにかなり並ぶらしいので、ガイドさんは外したのではないかしら。

今回のガイドさんは、けっこうなベテランさんで評判も良い人らしく、ところどころで私もそれを感じました。

例えば、午後から来ると逆光で上手く撮れないからと、午前中に一回写真の為に下車して写真を撮らせてくれたりした場所もあったのです。今時の観光客の要求、ちょっと分かってる感じですよね。

だけどこういう説明はしない方かも。こういうって言うのは、ブルーモスクは「スルタンアフメト・モスク」が正式名称だと言う事など。もしかしたらイヤホンガイドのイヤホンが外れた時の一瞬、それを言ったのだろうか・・・・・早口で・・・

毎度お世話になっているwikipedia様で、ちょっと復習しておきました。

1609年から1616年の7年の歳月をかけて建てられたー。

6本のミナレットと直径27.5mの大ドームを持っているー。

内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれるー。

(って、コピペじゃない (^_^;))

設計者の名前は、絶対に忘れてしまうと思うので、良いかな…といういい加減な復習でした(^_^;)(^_^;)

 

だけどそこに書かれている通り、内部は本当に美しかったですよ~♪

トルコはまさにタイル・絨毯の国。ステンドグラスも美しかったです。

以下は主に写真日記。

 

 

 

 

 

 

最後に名残り惜しく感じてパチリ。↓

 

イスタンブール観光の最初の記事に、ここを選んで書いてしまいましたが、本当はここは夕方の4時ごろに訪れて、タイルなどに感激しながら、またはしゃいでお互いの写真を撮りあったりしたのですが、ここに来る前のトプカプ宮殿での観光もあって、結構疲れていたのです。

今ここでブログを書くために見直さなければ、言葉だけの「結構綺麗だったわ。」程度の記憶しか残っていなかったように思います。

保険ではないけれど「見直し」大事ですね^^

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自由が丘に行きました。その4

2019-09-20 01:12:56 | 家族スナップ

・「自由が丘に行きました。その3」の続きです。

肺がんの手術が終わって、その時に検査の時には分からなかった小さな癌もあった事から、抗がん剤の治療を受けた妹でしたが、その辛い治療もすべて終わり、後は定期的に検査に行くだけになりました。

まだ体力もないので、みんなでまた自由が丘に会いに行く事にしました。

前回、抗がん剤治療が始まる前に、しばらく会えなくなるかもしれないからと自由が丘に行った時は、何か用が出来て姉は欠席だったのです。それで今回は、前に行った時にお茶などを頂いたピーターラビットのカフェにランチに行きました。

すべてすべてが可愛いカフェです。

 

ここを予約してくれたのは地元民の妹だったのですが、「テラス席にした。」と妹が言ったら、姉はちょっと不安そうな顔をしました。雨になったらどうしようかと思ったのです。もちろん大丈夫な作りです。でも本当のテラス席だったら、困りますよね。

「大雨になったら、傘を差しながら食事をするのよ。『肩が濡れるから、もっと傘の中に寄りなさいよ。』なんて言いながら、珈琲を飲むの。だけど傘を伝わって雨水が珈琲の中に落ちちゃって『なんだかこの珈琲、飲んでも飲んでも減らない無限珈琲だわ。』なんて言っちゃったりして。」なんて、たわけたことを言いながら笑いあったのでした。

(たわけたことを言うのはお任せください。味が変わるだろとか、ホットコーヒーがすぐにアイスになっちゃうだろと言うツッコミは無しと言う事で。(^_^;))

 

ところがこの日は大雨。お店に着くまではセーフで、着いた途端にザーザー降りです。

だけどお店の中は、こんな感じ。 ↓

 

しかも奇跡のガラ空き。

 

無限珈琲にならなくて良かったです(笑)

妹たちが頼んだものは、もっとインスタ映えするものだったのですが、とりあえず自分の注文したものだけをアップしておきますね。

 

 

 

 

 

妹は乳癌の定期検診で肺がんが分かり、初期で見つかったのに、開けてみたら大きくなっていたのです。手術日も早く設定してくれましたが、更にキャンセルが出て、また3週間ほど早く手術も出来たのです。

「そうじゃなかったら、私、結構危なかったと思う。」と妹は言いました。

「私の守護霊、強くて。私、乳癌も肺がんも交わして生き抜いて来たわ。」と妹は自慢げに言いました。

 

『生き抜いた。』と言う言葉に深く頷いていたので、うっかり言い忘れたけれど、

あなたを守っているのは、守護霊なんて霊ではなくて母の強い祈りだと私は思うなって、私は言いたかったな。

 

姉が孫の世話と言うお仕事をしているので、早めに解散です。

短い時間でしたが、とっても楽しい姉妹集会でした。

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホキ美術館と昭和の森

2019-09-19 12:06:33 | お出掛け日記

やはり少し時を遡って、8月に行った「ホキ美術館」のお話をしましょう。

「ホキ美術館」は「千葉市昭和の森」に隣接しています。その美術館チケットは当日に限りチケット提示で再入場できるので、美術鑑賞の後、森を散策したり美術館のレストランでお食事をした後に、また名残惜しく絵画を鑑賞し直したり、または一階にあるカフェでお茶を飲んだりできると言うのも、素敵な点だと思います。

 

ところでこの「昭和の森」は、本当に広いサッパリとしたところでした。季節によっては花々や、または紅葉の美しさが出迎えてくれると思います。中をサイクリングなども出来ます。

私は何も無くても、緑が多い所を歩く事だけでも好きなので、良い所だなと感じました。

風が流れていたのも、良い感じでした。

 

 

 

そしてこの「ホキ美術館」は、写実絵画専門美術館です。 

ちょうど行った時には、「スペインの現代写実絵画」と言う企画展をやっていました。

最初、入場したところから並んでいた常設展示の、あまりの写実っぷりに、私は心の中である種の葛藤の様なものを感じてしまいました。

それは「写真で出来るものを絵画でやる意味や意義」の様なものだったでしょうか。

もちろん写実絵画は現代アートと言うわけではありません。たぶん私の好きな絵画の大半はそれです。

ただ「あまりの写実っぷり」と言う所が、私の中の葛藤を生んだのでしょう。人物像に関しては特にそれを感じたのでした。

それで私は想像しなければなりませんでした。その画家が真っ白なキャンバスに最初の線を入れるところを・・・・・

そうして作り上げられていった、画家の魂の作品たち・・・。

 

結局は、その魂を感じる事が出来るか否かの「見る力」が物を言うのかも知れませんね。

「スペインの現代写実絵画」は伝わってくるものがあり、とっても良かったです。

今開催中の企画展は「ハンガリーの写実画家 サンドルフィ展」です。→HPはこちら

そのHPによれば、来年の3月には「bunnkamuraザ・ミュージアム」で「超写実絵画の襲来」と言うタイトルで、ホキ美術館所蔵の企画展も開催されるみたいですね。

 

下の三枚はお土産に買ってきた絵葉書で、常設展示の中の作品です。ほとんどの作品の絵葉書があり、そこは凄く良いところだなとまた思いました。の、割には選んでの三枚だったわけですが、もっと好きな作品はあったなと思いながらも、家に持って帰って来たら、良い選択であったような気がしてきました。

 

そして花より団子タイム。

レストラン「はなう」は結構良い感じのレストランです。ちょっとリッチな感じですが、お値段に見合った美味しさだったと思います。(ドルチェの写真を撮り忘れたのね、これ、たぶん。)

 

 

 

外観も面白いのですよ。空中美術館になっているのですが、中を歩いている時には、それはまったく感じる事は出来ません。

先端はこんな感じです。

外観の写真、良い写真があまりなかったのでした。ちょうどこの場所の写真を撮っていた時に、友人から電話が入ったからです。その事は→「最近の備忘録

電話の後、ここの外観の場所をさらに撮ろうとは思えなくなっていたので、「ちょっとな」の写真しかないのです。

「ホキ美術館」は良い所でした。

だけど私は、そればかりではなく、違う意味でこの美術館の事を、きっと長い間覚えているのではないかと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする