記事が分かれたものは目次などを作ったりもしますが、久しぶりに作りました。
5. 西の都に行ってみよう~♪〈南禅寺その3・山門の上から〉
6. 西の都に行ってみよう~♪〈南禅寺その4・水路閣から永観堂そして駅へ〉
2013,大阪&京都
記事が分かれたものは目次などを作ったりもしますが、久しぶりに作りました。
5. 西の都に行ってみよう~♪〈南禅寺その3・山門の上から〉
6. 西の都に行ってみよう~♪〈南禅寺その4・水路閣から永観堂そして駅へ〉
2013,大阪&京都
もう10年以上昔になってしまったが、ある時私は友人にこう言った。
「人は住みたい所に結局は住むんだと思う。」
それは実は頭の中には自分たち4人姉妹の事を思ってでた言葉だった。
姉はどんなに遠い世界に憧れていたとしても、結局は親元に帰りそこで暮らしている。
私は別に旦那の親がこの街で暮らしているからここに住んだわけじゃなくて、この街が森に囲まれていたから気に入ったのにすぎない。その森たちはその後どんどん切り開かれて、街は発展し続けているわけだけれども、都会とはまだ言えないと思う。田舎ではなくて都会ではない木の多い場所。そこが私の選んだ街だった。いや、町というべきか。
でも妹は、物価も高くて住む家にかかるお金も二倍は有にするのに、東京から一度たりとも離れようとしない。
一番下の妹は、その頃は最初はザ・都会、次はド・田舎、まだ住居転戦のさなかだった。
だけど聞いていた友人は、ほんのちょっとだけ遠い目をしたかと思うと、
「そう、そうよね。」とはっきりした調子で言った。
「だから私はやっぱり大阪を選んだのだと思う。」
私の家の近所に住んでいた彼女は、ちょうど実家のある大阪に移り住んだばかりの頃だった。
シャープな感じのする彼女の住みたい場所は、きっと大阪の街中なのに違いない。何故か私はそう思いこんでしまったのだった。
そしてそれから月日は流れたが、大阪にようやく来ることが出来たのでこれを機会に彼女の家に押しかけることにしたのだった。
大阪最終日、前日会った人たちで天満に言って昼はお好み焼きを食べるという計画を聞いた。
じゃあ、私もお昼は彼らとご一緒して、大阪に迎えに来て頂ければいいかなと最初は甘い考え。
どうやって行くのかと電話で打ち合わせをした時に、とんでもない勘違いをしていたのがようやく分かった次第だった。
あれに乗ってまた乗り換えて、そしてまた乗り換えて・・・・
ちょっと頭がクラクラ。
「大阪駅から近いって言ってなかったっけ。」
「そんなことひとことも言ってないわ。」
―そうか。私はそそっかしいからなあ・・・・。
天満に妹と一緒に行きお好み焼きを食べてからなんてとんでもないことだけは分かった。
往復に時間がかかるので、あまり滞在時間が少ないと言うのも悲しいし、電車の時間検索はちょっと時間をかけてやった。実はあれは結構好きで、時刻表片手に犯罪を組み立てる女性の姿を借りた松本清張の気持はよく分かる・・・なんちゃって。
だけど歩かないと分からないことってあるなと思う。
ちょこっと居ただけで、私の中では大阪駅と梅田駅はほぼ同義語なんだと感じてしまった。これも大きな勘違いだった。そんな風に思い込んでいた大阪初心者にとっては阪急梅田駅は地下鉄四つ橋線からの移動は、ちょっとハードルが高かったといえるかもしれない。
検索していた時にも不思議に思っていた。梅田とか西梅田に行って歩けばいいんじゃないかと思っていたのに、やたら検索にバスと出る。
使い慣れていないものは嫌なので歩くという選択をしたのだが、ヘタをしたらバス停2区画分は歩いてしまった。〈うちの近所比〉
ホテルを出る時に止まっているタクシーに心惹かれていた。
あれに乗ってしまえば簡単なんじゃないかなと思ったわけだけれど、そのバス2区画分を歩きながらやっぱり乗ってしまえば良かったと後悔したのは事実。でもしばらくするとその考えは変わったのだった。
もしタクシーを利用してしまっていたら、大変だったことが分からずに帰りに失敗してしまうかも知れなかったからだ。
だけど帰りは友人がJRの駅まで車で送ってくれて、まったく大変ではなかった。それでもやはり行きはふうふう言いながら歩いて正解だったと思ったのだった。
なぜなら旅の醍醐味はそこにあるからだ。
知らない街に行ってみたい。
知らない街を体験してみたい。
―阪急梅田駅はちょっと離れているのね。
その感想こそが知らない街の体験そのものだったと思うから。
今回の旅行は「ちょっと失敗したかも・・・・。いやいや、逆にそれが良かった!」ということがたくさんあったと書いたけれど、これもそのひとつだったかも。
友人の家も最初は思っていたよりもかなり遠くてちょっとだけ気持ちが萎えたのは正直な本音。
だけど、川西能勢駅から能勢電鉄に乗り換えた時から、私の心の中のテンションは高め。
だって車窓から見える風景は、全てが旅を感じさせるものだったから。
そこに住んでいる人には分からないことかもしれないが、自然の美しい風景が目を楽しませてくれたのだった。
しかも乗った電車は、乗り鉄の人たちだったら常識の範囲内かも知れないが、かなりレトロな感じ。
だけどこれは後で友人が教えてくれたのだけれど、今はレトロな電車を走らせているというイベント中なのだそうだ。ということは、私はラッキーだった訳だ。
たどり着いた友人の家から見えるのは山&山。そして木々の緑と紅葉した赤と黄色。
大阪の街中が彼女の住みたい場所なのかと思い込んでいた私には、ちょっとした衝撃があったわけで、彼女を見る目がいい意味でちょっとだけ変わったのも事実だった。
彼女の家のベランダにて
そうそう。彼女の家は着いた駅からすこぶる近く、徒歩5分といった所。まあ、「駅から近い」というのはやはり聞いたことがあったようだ。何処の駅かだけは違っていたわけだけれど。帰りはJRの川西池田というところまで送ってもらったように思う。「ように」と書くのは、既に自信がないからだが、その車の中から見た紅葉の風景がまた素晴らしかった。地図を開くと県道12号線になるのかな。
お話が最後まで弾んでいたので、おもむろにカメラを出すということは憚られることのように感じてしなかったのだが、今思うとその美しい風景は撮って於けば良かったかなとちょっとだけ悔やまれる。
友よ。また会えたらイイね。
能勢電鉄電車の内部。
乗ったレトロな電車。
長かった2013年秋の旅行記「西の都に行ってみよう~♪」も、これにて終わりです。
お付き合いくださってありがとうございました。
トップ画像は泊まったホテルから早朝に撮ったものです。大都会大阪の風景は、東京と何ら変わりがないものだと思いました。時には街中を歩いている時、銀座や新橋を歩いているような錯覚を感じました。
それでも西には西の人情みたいなものを感じたと書いたのは本当の気持ちです。
だけど人情にだって東も西もないはず。
だったら私の感じた西の暖かさはなんだったのだろうかと思うのです。それは遺伝子にまで組み込まれた「お商売」のマナーかもしれません。要するに上っ面ではない「お・も・て・な・し」の心だったのかもしれません。
新大阪で別行動だった妹と待ち合わせ帰路に向かいました。
その時嬉しかったのは、妹と天満に行った人たちが新幹線乗り場の改札横の喫茶店で待っていてくれたことでした。
改札口で手を振って「またねえ」と別れました。
またね、大阪。またね、大切な人たち。
遠くに見えるのは六甲山かな・・・。
南禅寺になんとなく行きたいなあと、私が思っていたのは、この水路閣を見たかったからなんです。
京都を舞台にしたドラマでは、って、主にサスペンスなんだけれど、ヒロインなどが一人佇み物思いに耽っていたり、自分の推理を歩きながら語っていたり、なんか素敵な場所ではないですか。
前の記事にも書いたけれど、ここにはずっと昔一度来たはずなのです。でも何故か記憶がなかった私。
このブログを書きながら、なんとなくその記憶のからくりが分かってきたように思います。
この水路閣の上を流れる水は琵琶湖から引いている、要するに琵琶湖疏水。なんかその説明を昔感心して読んだ記憶はあったのでした。
「へえ」と思い「素敵」とは思わなかった・・・
だからテレビを見て「素敵」と思った時に、かつて訪れた場所とは結びつかなかったのかもしれません。
でも短い滞在期間でも、行きたかった場所に来ることが出来て、ちょっぴり幸せな気分の私なのでした。
南禅寺を後にして、ちょっとした休憩の後、永観堂に向かいました。
ところが、時間的にも足的にもリミットが来てしまいました。紅葉で有名な永観堂ですが中には入らず柵の外から撮った画像です。こんな風に撮ると、もう何処の紅葉でも関係がないように思います。
あの歌、思い出します。
「富士の高嶺に降る雪も、京都先斗町に降る雪も~♪」
こんなんじゃ、家の近所の紅葉を撮って、京都に行ったと言っても分からないってもんです。
だけど・・・・
やっぱり・・・・
京都は京都やね~。
やっぱり人は水の流れに心惹かれるのかも知れません。
さあ、ちょっとおみやげを買ったら駅に真っ直ぐに向かうぞ・・・・
って、ここでワタクシやっちまいました。
久しぶりの辿りつけない女。
何も考えずに歩き出す私。
南禅寺から駅までは来た時と同じ道をたどれば近かったはず。
でも買い物してしばらく歩いたら、来た時とは違う道を歩いていることに気が付きました。
「しまった!」と言ったら、妹がすました顔で
「知ってたよ。でも帰りは違う道で帰るのかと思ったのよ。」
「・・・・・・・!」
お店に寄って買い物したり、何かを食べたりする人には参道は結構楽しいと思います。でも来る時の近道と比べて遠かったです。
だけど、今回の旅行では
「あっ、失敗した・・・。いや、かえってその方が良かった。メデタシメデタシ。」ということがたくさんありました。
実はこの考えなしに歩いてしまったのも、まさにこれでした。
なぜなら、こんな素敵な廃線の道を歩くことが出来たからです。
あっ、そうそう。ちょっとした休憩は南禅寺近くの「杏こ庵」で。
ここのお運びさんは、着物に大きなガマ口ポーチを持っていて、それがなんか可愛い。お会計をその場でするからなんですが、そのファッションにちょっと萌えました。ぜんざいの中に入っているお餅の中にはまたこしあんが入っていて、なかなかのお味でした。
だけど「日本庭園を見ながら・・云々」って、この御店に入る時に何処かで読んだような気がしたけれど、窓際じゃない和室に通されちゃったら、あんたそれ―誤表示ですから、残念~!←古い(^_^;)
※ ※ ※
私は時々、ネットの窓から手を振って知り合った方々と会ったりもします。
今回は妹とも共通のお友達で、この後現本能寺近くの老舗のお店で夢のような楽しいひと時の時間を持つことが出来ました。
その時ついでに閉門前の本能寺に駆け込んで、本当に「見た」というだけの見学をしてきました。
今の中学生は自分たちで計画を練って好きな所を回るのが今どきの修学旅行なのです。
以前我が家に来ていた中学生がこの「本能寺」に行くのだと話してくれたことがあり、なんとマイナーなコースだと驚いたことがあるのです。
―同じ場所に建て直したわけでもないし、そこの所をちゃんと分かって行かないとがっかりするかもよ。
なんてことを、その中学生には言ったかも。。
だけど名前に惹かれるということはあると思うのです。
それは私が大阪城に行ってみたいと思う気持ちと同じようなものなのかもしれません。
今回は大阪城には行けませんでしたし、いろいろと行ってみたい所が残ってしまいました。だからまたこの街には是非来たいと思いました。
なんだか結びの言葉みたいですが、この旅行記、後ちょっとだけ続きます。
天授庵の次は山門に上ることにしました。
高い所は昔から苦手ですが、近頃ではこの程度は大丈夫なのです。問題は急激な階段をこの足で上れるかなのでした。だけど、階段の横に太い綱手で手すりが作ってありました。それにつかまりながら山登りの感覚で上るとチョー楽ちん。
私の先を上っていたおじ様がいきなり振り向いて、
「そこ、頭をぶつけないように気をつけろよ。」と言いました。
なんてー、
なんて親切な人なんだろうと感激しかけた時、妙にその方は照れて
「あっ。うっ。」などと言ったのです。
ははーん。
この人はすぐ後ろにお仲間がいると思い込んでいたようです。
なのでワタクシ
「はいよ~。」と答えて、そして同じように振り向いて見知らぬおばさま方に
「そこ、頭ぶつけないように気ぃつけるんだよ。」と言いました。
数年前だったら、私はニコヤカに「はぁ」とか言うだけが精一杯だったと思います。歳を重ねておばさん化するのは、そうそう悪いことばかりでも無いようです。
と、さりげない自慢話はさておいて、山門の上から眼下を見下ろすと、先ほどの天授庵の東庭が見下ろせるのでした。中庭の真ん中にある松のポジションを「その1・天授庵」の記事で見比べてくださるとわかると思います。
以下は見下ろした風景。
以下は見渡した風景。
抜きん出ている松の木。まっすぐに伸びて伸びて、みんなを抜いたところでようやく葉を茂らせているんだね。
眼下の紅葉も素敵だけれど、こういう風景はやっぱり上ってみなければ分からないものだと思います。
・・・・・・・・・
だけど私こういう木を見ると、
お~い、寂しくないのかッて思っちゃう。
遠いお山の向こう側、ちょこんと見える塔の頭を仲間と思って
「おーい、おーい」って呼びかけているんじゃあないのかな。
ずっと昔に切り倒されて仲間の躯で作った塔とも知らずに・・・・・
天授庵南庭です。
水辺の風景、画像日記。
少しずつ角度を変えて、ぐるりと池の周りを撮りました。
今年の紅葉は少し遅れて始まりそして一気に来たと、今日テレビで言っていました。
であるならば、今頃この池の周りはもっと凄いことになっているのではないかと想像してしまいますが、どうでしょうか。
大阪を後にしてやって来たのは南禅寺。京都もこの季節いろいろ行ってみたいところはあったのですが、いかんせん足に不安があるため、端の方山の方は避け、今回は南禅寺を選びました。
若き日、「哲学の道」は歩いた記憶があるので、ここにも来たことがあるはずなのに全く記憶が無いのです。
春でも秋でもない頃に訪れたその時は、あまり「お寺」に興味がなかったのかもしれません。
南禅寺は、京都市営地下鉄東西線蹴上駅からすぐです。
下の隧道をくぐって・・・・
下の白い壁などを眺めながら行くと
あっという間に付きます。
近道です!
そしてお金をお支払いして「天授庵」に入りました。ここはケチってはいけないのです。
紅葉も素敵だけれど、石庭も素敵です。
上のコーナーは東庭と呼ばれているらしいです。
そしてこんなところ、↓
こんな所を↓
通って、南庭に向かいます。
京都は滞在時間が短かったのですが写真日記になっているために、分けますね。
出来るだけ間を空けずに更新しようと思っています。
「ユニバーサルスタジオジャパン」に行ったからって、それで大阪に行ったと言ってはいけないような気がします。例えばディズニーランドに行っただけで東京に観光に行ったと言うようなものですよね。
って、あそこは千葉ですがーー
当初はUSJの後に荷物をホテルに置いてから、夜の難波に行ってみようと思っていました。だけど体力的に絶対にムリだと判断したのです。
これが数年前の奈良旅行に行った頃だったら、予定変更を嫌って
「もう、死ぬ~」とか言いながら行ったと思うのです。
あの時は父も元気だったし、私も病気知らずで健脚。気力も満ちていたなと思うと、同じようにみえる毎日は決して同じではないのだと、こんなところからも思い知らされるのでした。
二日目は用があって京都に行くので、朝から京都の紅葉観光の予定にしていました。
だけど「こんなことでは大阪に悪い~!」←いつだって擬人化。
ということで、午前中は難波に行くことにしました。
大阪の方言で「めっちゃ好きやねん」と言うのがあるでしょう。
この言葉が私、「めっちゃ好きやねん。」
だって前後のいろいろ、もしくは効果的な設定、そういうものが何にもなくてもとっても説得力があると思うのですよ。
大阪に対して、好印象ではあるものの強烈だなあと以前は思っていた私です。言葉もそうですが、テレビに映し出されるおばちゃんたちは、いきなりカメラが向けられても、みなプロのようにボケとツッコミの達人ですし。
でもほんの僅かですが大阪の人と触れ合った時に、その強烈であると言うイメージが変わってしまったのです。
なぜか、みなホンワカと優しげに話すのです。その触れ合いはほとんど街でのすれ違い、お店での会話でしかなかったのです。それでも暖かさみたいなものを感じてしまいました。
長く滞在したら、それなりに嫌な思いをすることにも出会ってしまったかもしれませんが、私の初めての大阪体験は、大阪の街の人情が気持ちの良かった楽しいひと時になりました。
難波の道頓堀は看板オブジェの街でした。
アレヤコレヤの有名な看板にちょっとはしゃいだ私です〈心の中で〉
しかし、私やっちまった~。
大阪の皆さん、ごめんなさい。わざとじゃないですよ。得意気に家に来ている小学生に写真を見せていたんですよ。そしたらその子供がクスクスと笑うんです。子供って、そういうのが大好きなんだよね。思わず私も、つられて笑ってしまいました。
だって
↑ 大きく載せる勇気がなかったのですが、分からないよという方はクリックしてみてください。但し、大きくしてから腹を立てるのはヤメてください。
時間があれば、見たかったかも。↑
おもてなしの気持ちがいっぱいあるなと思ったのは・・・
↑ ここのたこ焼きを食べました。本当に大だこが入ってました。
くいだおれ太郎の人形焼は、おみやげにも買ったけれど、その場で焼き立てが食べられます。凄く美味しかったですよ~。
下の画像は駅に向かう途中でちょっと気になったプリン屋さんのプリンです。
だからこの日のお昼は、たこ焼き三個、人形焼三個、プリン半分。
でも種明かしをすると、ホテルの朝食ブッフェを目一杯食べてきたのでそれでOKなのでした。
翌日会った友人が、道頓堀は東京の浅草のようなものだと言ったのでした。
まったく同じとは思えないけれど、確かにいろいろと共通点はあるなと思いました。
上のように食べ歩きを愉しむところとかもね。
「行ってみよう~♪」なんてノリで書くと、さも思いついたような言い方ですが、さにあらず。だいぶ前から決まっていたことですが、なんせ夏は膝の故障で買い物でスーパーでさえ1周するのもままならず、日にちはまだまだあっても行けるのかなあ私と、内心ヒヤヒヤしていました。
なんやかんやとあってだいぶ良くなっていたというのに、2週間前にまた調子に乗ってショッピングセンター内を歩きまわり、またも足問題が再燃。
とか言いながら、何とか自分をごまかして行ってきました、関西に。
ワタクシ、実は大阪、初体験。
行ってみたいところはたくさん在るのです。
大阪城とか万博公園とか・・・・
えっ!?
そこか~、ってツッコミ入れられちゃったかも。
エエトエエトと考えていたら、今回一緒に行く妹が迷いもなくUSJに行くと言うので、はっきり言って15日の日に連れて行って頂きました。←今回はこの言い方が正しいような気がします。
妹はもう何回も行っているのです。ディズニーランドも年パスを持ってるほど、こういうのが好きな彼女なのです。その妹に兼ねてから気になっている「スパイダーマン」というアトラクションについて
「ネエネエ、それ怖くない?ネエネエ、それ高い所から落ちない?ネエネエ・・・」と安全確認に余年もなく、絶叫系全く問題なしの妹がマイ相棒と言うか保護者・・・(^_^;)
が、やっぱりこれを見るとテンションは上がりますよね。
クリスマスバージョンになっています。
いつの頃からか、すっかり臆病になってしまった私ですが、いくつかはチャレンジしようと決意していました←決意は絶対に必要。
で、最初は「スパイダーマン」。平日金曜日ですが、45分待ち。大したことなかったです。
ただこの待ち時間は子供には長かったようで、私の前にいた制限身長ギリギリだった幼稚園児さんは待ち時間にだんだん怖くなってしまったようなのです。すると、その子のお母さんが説得しようと、
「大丈夫だよ。怖いかどうかおばちゃんに聞いてみな。」とその子に言いました。
―おばちゃん・・・
私のことです。はい。何も間違いはありません。だけどちょっとだけドキマギした私。
でも
キターー、大阪じゃん、ここ。
って、テンションがまたもじわじわっと上がりましたよ。
そんなことで心の中で密かにニマニマしていても、顔はまじめに先ほど妹から聞いばかりの怖くないという理由をそのまま子供に聞かせてあげました。さも乗ったことが在るかのように^^
そこの部分を書くとアトラクションのネタバレになりますので書きませんが、その後もその子は、精神的に私を頼ってくれたようです。
その子のお母さんが、乗る時にわざわざ私達の横になるように乗る順番を変えてと係の人に言っていました。
「スパイダーマン」はかなり面白かったです。絶叫系が苦手な方も安心で、それでいてかなり刺激的。オススメできるアトラクションです。
乗り物から降りた時に、手ぐらい振ろうかとちょっと待っていました。
するとその子供くんが走り寄ってきて
「おばちゃん、ありがとー」と西のイントネーションで言ってくれたのです。
「ありがとう」は、私の方です。
ホッカリとした素敵な思い出をアリガトー。
スパイダーマンの街。
次に入ったのは「バックドラフト」
もちろん怖くありません。だけど違った意味で怖い。火事には気を付けましょう。
ワタクシ、「ジュラシックパーク」もチャレンジしました。
―えっ、乗るんだ。
と妹にはちょっと驚かれたけれど、子供の頃「失われた世界」という本で心ときめかした者としてはスルーしてはいけないのだ・・・なんちゃって。
失われた世界―チャレンジャー教授シリーズ (創元SF文庫) | |
龍口 直太郎 | |
東京創元社 |
↑ これ、コナン・ドイルが原作。
このアトラクションは最後が
いろいろ良く出来ているので、怖いというより楽しかったです、これも。
次は「ジョーズ」
これはランドのジャングルクルーズと同じでクルーの人の演技力が問われます。凄く面白く盛り上げて頂き楽しかったです。
クリスマスバージョンのジョーズの画像はなんとなく失敗したのでナシ。
午後から入っているので仕方がありません。
ラストに乗ったのは「フライング・スヌーピー」。
幼い子向きかも知れませんが、良いのです。キッパリ。
夢のひとときです。
夜になると、こんなイベントをやってました。
東京駅でやってましたよね。壁に光で絵を描く、あれです。
スヌーピーに乗って買い物をしていたらショーは見逃してしまったみたいです。でもこの壁画だけでも得した気分です。
そして、
昼間見た巨大ツリー・・・
夜になると
またいつか・・・・
来年公開のハリーポッターがかなり落ち着いた頃で良いのでまた訪れたいと思った、初めてのUSJでした。
父は本当は11月13日の自分の誕生日に死にたかった。世の中ままならぬことは多いが、病気などの自然死においては死ぬ日の予定日ほどままならぬものはないと思う。
私や姉が、4月の終わりには後1ヶ月その命は持つのかと重い気分でいた時、父は朝が来ると普通に食事をして自分の部屋に行って諸々の雑務をこなしていた。そんな父には、自分の死期がそんなに早く迫っているとは思えなかったに違いない。
そんな父を見ていて母は言った。
「そんなには持たないとお母さんは思うの。私の予想では10月かなあ。」
そう言った母を、私は半ば呆れたような気持ちで見返した。
でも私は気を取り直して、そして言った。
「生きてて欲しいよ、誕生日まで。だけどその願いが叶わなかったら、その日はみんなで集まって誕生日を祝い合おうね。」って。
※ ※ ※
11月13日、父の誕生日。
私達四人姉妹と母とで墓参りに出かけてきました。
真っ青な空が煌めいて、昨日までの冷え込みがちょっと緩むという小春日和でした。
母がお赤飯のおにぎりを5つ握ってきました。
それを供えて、私達は一緒にちょっと祈り、そして言いました。
「おとうさーん、84歳の誕生日おめでとう~。」
でももう父には何も贈ることが出来ないので、今年は代わりに母に何か受け取ってもらいたいなと思って姉妹で用意したのはアメジストのネックレスでした。
冬になると黒のネックの服が多くなる母なので、この紫は素敵だなと思って選んだのです。重いと肩も凝ると思って小さめなものを選びました。
予想通りですが、喜んで貰えました。
と、なんとなくこのように書くと、楚々とした誕生日風景のような・・・・
だけれど女三人集まればかしましいと申しますが、なんたって5人もいるわけですから、墓参りと言っても誕生日祝であって賑やかでないわけがありません。父のお墓の横にあるベンチとテーブルを囲んで供えたお赤飯のおにぎりを皆で頂きながら笑い声が絶えませんでした。それはまるでプチピクニックのようです。父がお墓の区画で端を選んだその決め手は、その横の綺麗な芝生と置いてあるベンチでした。
私達の誰もが知っていました。
父が望んでいたもの―それはそんな女達の賑やかな風景だったのです。
今回初めて通ったのですが、駅からバス停に行くまでの商店街は何やら面白そうな雰囲気でしたし、少し足を伸ばせば動物園などもあるのです。父は前から言っていました。
―墓参りにだけ来てもつまらないでしょ。いろいろ遊んで帰るんだよ。
と。
それで昨日13日の日は、その後皆で健康センターと言うか、街中温泉に行ってきました。
マッサージチェアや薬湯などを堪能し、贅沢な一日になりました。
※ ※ ※
いつもはもう正月にしか顔を出さなくなってしまった夫が、今年は5月の連休に実家を訪問しました。
その時、庭の柿の木の緑がとっても美しかったのです。
「最近はずっと冬ばかり来ていたから、この木がこんなに存在感を感じさせたことはなかったなあ。」と夫が言うと、父が
「うん。この柿は一年おきにたくさん実るんだ。今年は実るぞ~。」と言ったのでした。
その言葉通り、今年はその柿がたくさん実ったのでした。
と言っても、その柿の収穫日に行ったわけではないので、実っている柿の画像はないのですが、姉がふうふう言いながら電話を掛けてきました。
「今までで一番なの。収穫したらお母さんがどんどん近所に配って歩いてる。多分300は超えたな。」
「お姉ちゃん、それってお父さんからの贈り物なんじゃ・・・」と私がそう言いかけたら、姉も言いました。
「うん、私もそう思ったよ。」
送ってもらったその柿は、まだちょっと硬くて、その柿をカリリと噛ったら、ちょっぴり涙がこぼれました。
今年も、後51日になってしまいました。
今年の書ききれなかった分のお出かけ振り返り日記です。
※ ※ ※
1月の末に、一年ぶりに我が家にて大阪のお友達と会いました。その方とはその前の年には「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」をご一緒したのです。←その感想はリンクしてあります。
そういうこともあって、いろいろなおしゃべりの後、この展覧会の話が出ました。
この展覧会は大阪国立国際美術館で上野より先にあったようです。それを見た彼女がかなり良いと私に勧めてくれたのでした。
それでイソイソとその後すぐにに出掛けて行ったのでした。
近頃ツイッターでもあまり日常を日記代わりに呟かず、手帳にもカレンダーにも書き込まず、ブログ更新せず、さっぱり何があったのか分からないような気がします。朝から過去ログを探っていたら、
2月3日のつぶやきに
『「日曜美術館」宗教画家エル・グレコなう。 #etv
おはようございます。テレビつけて「日曜美術館」を見始めました。先日、これを観てきました。』
というのがあって、だいたい推理するに、1月30日辺りに行ったのではないかと思います。
・・・・・・と、この先の記事を書いていたらふとまた閃きました。確か写真を一枚撮っていたのです。それがトップ画像の東京都美術館の画像です。その記録には1月31日とありました。ちょっと外れました・・・推理・・・
なんでそんな事に拘るのかと言われたら、
「細かいことが気になるのが私の癖」とか言ってスルーしても良いのですが、やっぱり「なぜ」「いつ」「どこで」みたいなことは、日記的にはいささか大事なことなのではないかと思うのです。
だけど、ハア、来年はー
来年と言わず、これからはちゃんとしよう、いろいろ。←反省中
エル・グレコについてはこちらを参照してください→ wikipedia「エル・グレコ」
彼の作品集のようなものを見ていたら、
「おやっ?この記事、もしかしたら書いたんじゃなかたかな」と混乱しました。
でもその理由は、「蝋燭に火を灯す少年」と言う作品によるものだったのです。
エル・グレコという画家の名は、私の頭の中には浸透していないのですが、やっぱり好きだなと思った絵はそうそうは忘れないということなのですね。
この少年の絵についての感想は「ナポリ・宮廷と美「カポディモンテ美術館展」」にあります。今回の「エル・グレコ展」の出品作品であったか否か、ちょっと不明です。
この記事のタイトルが「振り返り日記」なので、いろいろ反省点も出てくるわけで、私的にはその反省点が大切なのだと思いますが、ブログ記事にするまでは捨てるわけのない〈と思われる〉目録とかが見つかりません。やはり1月に行ったものの記事を今書くというのはいろいろな意味で無謀なのかもしれません。
ただ今も覚えている感想だけを書けるところは良い点なのかなと思うのですが・・・。
唐突に話は変わるようですが、田んぼアートというのがあるのを御存知ですか。
田んぼに品種によって色が微妙に違う苗をうまく植えて芸術作品にしてしまうあれです。それもいつか見に行きたいなと思ったりもするのですが、あれも見る場所を計算して構図を決めているんですよね。
私はあれを見る度に、このエル・グレコの作品を思い出していました。
大作である祭壇画では下から見上げる視点で描かれていて顔と体のバランスが違うのだと説明にありました。思わず「おお」と思う点であった事は確かです。見上げると絵はすべて空に向かってぐぐっと伸びていくような印象があります。
天と絵画と地上にいる私。
なんか神々しい感じになりますよね。
宗教画が多かったので、それほどには心が動く作品がなかったというのは正直な感想です。色彩は確かに美しかったのですが、多分クリスチャンのお友達が見たら、その感激度は大幅に違うのではないかと会場にて推理していました。
ただ描かれている男女は美しい人が多かったというのも印象深かったです。