映画でも小説でも、その全体の評価以外に、特に印象的又は忘れられないシーンと言うものがあると思う。映画などは特にシーンの積み重ねで作られているので、それが顕著かもしれない。
だけど、だらだらと時間が流れていくような日々の暮らしの中においても、それは実は同じ事があるのではないだろうか。
本当に一瞬な事なのに、そのシーンがいつまでも心に残る、そんな事がある―。
先日、と言っても一月の事ですが、気まぐれに出かけたマンションのエントランスでやっているリフォーム相談会で、顔見知りの婦人に会いました。
顔見知りと言っても、本当は微妙・・。
彼女との出会いは・・・
「☆ゴミ捨て場でおばあさんにナンパされて、お茶を飲みに行きました。〈10日〉。だけど1時間45分の間に同じ質問を10回聞かれました。本当のお話です。・・・「1時間45分」と言うのは偶然ですが、私はこの時間の区切りが好きなのかしら・・と、今思いました。(1時間45分!?) 」
上記のものは、「梢は歌う」の2008/10/13に書いたものの一部の再掲です。
その後彼女とは、・・・
「10月16日
私は、朝から悩んでいました。先日ゴミ捨て場で知り合いになった人に、会いに行こうか行くまいか。前日に芋羊羹なんかも買ってきておいたのだけれど、もしかしたら私の事を忘れているかも知れないし。そう思うと、ちょっと面倒くさい気持ちにもなってくるのです。
だけど「そうだ、縁した人を大切にしよう。」と、私は思い、彼女の家のチャイムを鳴らしたのでした。
そうして、私は同じ話をほぼ三回ずつ聞きながら、たくさんのお話をしてきました。話を先に進めるコツも分かってきました。
新しい人と知り合うと言うことは、新しい門の前に立つということと同じなんですね。
面白い話がいっぱい聞けました。
私の周りにいる老人たちー父や母、そして義母は元気溌剌で会話なんかも淀みがありません。もちろん同じ話は繰り返し聞くこともありますが、それは会うのが一週間ぶりだったり二ヶ月ぶりだったりするからで、何処まで話したのか分からなくなっているからなんだと思います。
私たちだって、誰に何を話したかが分からなくなって、
「この話は、もうあなたにしたっけ?」と確認しながら話すことってないですか。
だけど、同じ会っている時間内に、同じ話を繰り返す人は、私にとっては初めての経験です。こういうのを「・・」と言うのかも知れませんが、分からないことに関しては、ない知識で判断するのは辞めようと思います。
カナダにいる娘さんのところにいつか一緒に行こうとか、赤毛のアンの故郷をガイドしてもらおうとか、そんな夢と言うかたわごとを言って、少女のように笑いあっていた時間は、本当に楽しかったのですよ。
「午後なんかはいつも何をしているの?」と私が聞くと
本も読まず、テレビもあまり見なくて、空や花や森の緑を眺めてぼんやりしていますと言う答えが返ってきました。
「まあ、そうなの。」と言いながら、心の中では「ふーん」といろいろな事を考えてしまったわけです。
空や花や森の緑を眺めて、ホッと息をつき、心を空にする。
それは私の理想です。なんとリッチな時間じゃないですか。
でもでもでも、足枷なく、心に楔なく、何がしのプレッシャーもない生活は、人を咲いているだけの花にしてしまう生活なのかもしれません。
この話にはまだ続きがあるのですが、長くなってしまったし、気が付けば真夜中じゃないですか。もう寝ましょうね。・・・zzz」
(梢は歌う/リッチな生活パート2)
そのまま再掲なのでリンクしていません。
その続き・・・
「17日、ええと、そうでした。知り合いになったばかりのおばあさんの家に行ったのでしたね。
その彼女が、夜は毎日飲むのよと言いながら、急に
「なんだか喉が渇いちゃったわ。少し飲もうか。」と私を誘います。別に差しさわりがなければ、お天道様がまだ高くてもちょっとぐらいは良いとか思ってしまう私ですが、アルコールにはかなり弱いので
「青リンゴのジュースにお酒の香りが付く程度の薄いのにしてね。」と私は言いました。
「うん、ぜんぜん大丈夫よ。」という彼女の言葉を鵜呑みにして、結構美味しいなとか思いながら飲んでいました。
コップが空になりかけた頃、これはジュースにお酒の香りなんてものじゃないなと気が付きましたが後の祭りです。
廊下を歩く時、もうフワフワな感じですよ。
「感覚」というものは人によってこうも違うものかと、思い知らされました。
お酒に弱い私は、「薄くしてね。」と言ったら、コップに1センチの焼酎ですよ。でもお酒がジュース代わりの彼女にしたら、薄くはきっとコップ半分より一寸下かな。
私は酔うのも早いけれど、醒めるのも早い人なので、1時間後にはもう普通でしたよ。でも、その日の夜には、もう二日酔いになってしまって、頭がガンガン痛かったですよ。
何やってんだか、私。
でも、「赤毛のアン」のダイアナがアンの家に初めて来た時に、ジュースと間違えてお酒をたくさん飲んで酔っ払って帰ってしまったシーンを思い出してしまいました。
「帰る。」と言うと
「後10分いてね。寂しいから。」
と言い、帰るときも玄関の外まで見送ってくれました。
かなり草臥れたアンとダイアナでしたね。」(梢は歌う/リッチな生活パート3)
ちょっとついでですが、「リッチな生活パート4」はこの彼女と同じ年の知り合いの女性と会って、いろいろと考えてしまったと言う内容で、お時間があったら合わせてお読みください。
その後、このご婦人とはずっと会いませんでした。本当はゴミ捨て場のところで会ったのですが、他の人をナンパ中で私の存在に気がつかなかったのです。しかも他の人に話しかけている内容が、驚く事に、私に話しかけてきた時と全く同じセリフなのでした。
もう私の事を覚えてすらいないんだなぁと、その後姿を見てそう思いました。
それは例えて言うと、まるで大島弓子の漫画のワンシーンのようで、ある意味、私とその婦人の物語のラストシーンだったと思います。
「ヤレヤレ」と思うのと同時に、私は一抹の寂しさを感じました。もっと早くに知り合っていたかったと思いました。手編みのマフラーや帽子がとっても似合っていてお洒落、笑顔がとっても可愛いご婦人だったのですよ。
ちょっと長くなってしまったので、次回に続く。