森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

1月に捨てたもの

2011-01-31 23:51:47 | 梢は歌う(日記)

今年の目標の一つ、「物を丁寧に捨てる」。だけど丁寧すぎたかな・・・・。

ブーツ一足(新しいブーツを買ったので)

白いコート(新しい白いコートを買ったので)

フライパン(新しいフライパンを買ったので)

お皿三枚。(カップ&ソーサーの片割れ。とっくにカップはなくなっていたので。)

ついでにラッタ君の部屋の置くにある手付かずコーナーから、高校時代のジャージなんかも捨てました。

ルート君の高校時代から大学時代、イベントのたびに作ってきたT シャツ。(変な言葉や、クラス名が入っている。既に思い出の品ではなくなったらしい)・・・だけど1回しか来ていない質の良いもの。すう枚拾って、私の夏用のパジャマにする事にしましたよ。持ったいなか~。

その他のTシャツは切り刻んで使い捨て雑巾に。

だから衣類は13枚。

ペーパーバック50枚ぐらい。ため過ぎだよね。10枚ぐらいは燃えるごみで出してしまったけれど、その後エコの神様に叱られそうなので、ちゃんと縛って資源ごみで出しましたよ。

ルート君の高校の教科書。(今頃・・!だけど実は数学の教科書は私用に拾っちゃった。内緒。)

傘二本。

<1月13日はこんな程度。>

1月20日、針箱なんかを整理しました。

黄ばんだレース糸

やたら溜まっていた、意味のないボタン(もう、手作りなんかしないから、ボタンを取っておくことには意味はないよね。)
だけどネームシールやワッペン、バッグ用の紐はもう少し取っておくことに。誰かにあげるって言うことを想定しているけれど、今どきのヤングママは手作りで幼稚園のサブバッグなんか作らないのかな。

入れ物を変えたり、キチンと整理したので前に使っていた缶を4つ

 

1月31日

クレジットカード、一枚解約。

もう1月も終わりだと思うと、焦って紙ごみを少々、ファイルも不燃ごみのゴミ箱に。国語の便覧が二冊あったことが分かったので、一冊処分の棚に。ちなみに「国語便覧」は役に立ちますよ。辞書並みの機能があるので、子供が高校を卒業したからってすぐに捨てるのは考え物ですよ。

そう言えば・・・

こんなものも捨てたのでした。

20年ぐらい前に買ったレースのポーチ。もうとっくに使わなくなっていたけれど、洗って箪笥の引き出しに入れておいたのです。これはその頃のお友達から買ったものなんです。その人の手作りと言うわけではなく、まとめて仕入れて知り合いに売っていたみたいですが、彼女に利益があったのかは分かりません。頼まれて紹介していただけのような気もしますが、そんな事はどうでも良い事なんです。彼女が亡くなって、もう20年が過ぎようとしているのですよね。

そんなに親しくもなかった彼女だけど、ささやかな思い出として箪笥の中でずっと眠っていたのです。

だけどもうお別れ、バイバイ。想い出は胸の奥に。


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今日は1月の終わりの日

2011-01-31 10:29:36 | 梢は歌う(日記)

 

 

今日は月曜日。

そして1月最後の日ですよ。

スタート&〆ですよ。

毎日本当に寒いですよね。でも今朝の天気予報ではその寒さは今日までなんですって。今日を凌げば良いのだと言っていましたよ。

寒いと肩も凝るし、なんとなく辛い。

でも冬を楽しみましょう。

とりあえず、今日の青空とか。

 

今日は、奥様ランチでなんとお好み焼きやさんに集合です。

ささやかな新年会です。

そう、友達にも今年初めて会うのですよ。

先日は別の友達と急に思い立って朝の珈琲タイムを持ちましたが、ゆっくり会ったと言うのには程遠い。

1月2月はお仕事ピーク。本音を言うとぜぇぜぇ言っています。

 

だけど、
「ゆっくりと言うのはなんとなく程遠く、毎日がバタバタとしています。」と書けば、そうなのかもと思われるかもしれませんが、どうも、私の場合はノンビリしています。今の生活に合わせてか、人にも会わず出掛ける機会も少なくし、電話も姉と頻繁に長電話をするぐらい。

だけどこのノンビリ、朝だけ。

朝は本当にぐうたら母さん。

そして午後。

私はチョー働き者ですよ~♪

バランス悪いなと思うけれど、人には人のタイムラインがあるって事で。

 

しかしやっぱり一日の勝因は「朝」じゃないかなと思いますよ。

近頃、朝ドラの「てっぱん」に影響されています。

お好み焼きやさんで新年会も、その影響です(笑)

そのドラマの中に出てくるキャリアウーマンが、
「朝9時までの行動が、一日の流れを作る。」と言ったのですよ。

なんとなく自宅が仕事場で狭い世界で生きている私には、そんな当たり前の言葉が目からうろこ的な言葉に聞こえてきましたよ。

「マイペース」と言う言葉が、自分をほとんど支配している私にとっては、時々、そういう頑張りすぎていて近づくだけで疲れてしまいそうな人にも接して、何かを得たいなと思ったりもするのですよ。

 

頑張りすぎてはどうかなと思いますが、頑張っている人たくさん居ますね。

ああ、自分を外しては駄目ですよね。

私も「頑張っている人」の片隅に参加しようと思います。

それなりに。

それなりで良いんですよ。

 

ツイッターに修造ボットと言うのがあって、熱い言葉を呟きます。そのボットさんのある日の呟き

shuzo_matsuoka
そうだよ! 君が無駄に過ごした今日は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった明日なんだ!

ちょっと言葉的にはキツイ部分もありますが、思わずうんと頷いてしまいました。

 

もうすぐ10時半。

今日は、今から飛ばしますよ~♪

 

1月最後の今日の日が素敵な一日でありますように。

 


 

そう言えば、今日は私の今の年齢の最後の日でもあったのだった。。。。

 

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相棒season9-13「通報者」

2011-01-29 23:27:24 | ドラマ(相棒)

<この記事、完成させて1回目に投稿した後に、ちょっといじって2回目に投稿した時に、何かを間違えたらしくて、ざっくりと後半の記事が消えていました。その記事を読んでしまった方、申し訳ありませんでした。気が付くのが遅くなってしまいましたが、書き直しましたのでよろしくお願いいたします。>

 

最近はなんとなく体調が悪かったり、お仕事でいろいろあるために、夜は崩れ落ちるように転寝で、その後も書き込む元気もなく今頃感想を書いています。「相棒」の感想は書けるときに気まぐれに書けば良いやと思って始めたのですが、なんとなく中身のないような感想でも書きたくなってしまうのですよね。

特に今回は今までのシーズンを含めても最高の視聴率で、22,5%と言う数字をはじき出したのですよね。

だけどさあ、・・・・って、別に良い数字出したのに文句言う事もないけれど、良い作品と数字は関係がないですよね。だって良い作品と言うのは見た後から思うもので、視聴者がチャンネルを合わせるのは見る前なのですから。

と言うことは、勝因は何?

予告編が良かったのか、前回の作品が良かったのか、それとも映画の相乗効果か。

でもやっぱり視聴率が良ければ、その回の関係の人たちにとっては、作った甲斐もあったと言うものですよね。

この回のライター様は太田愛 監督:近藤俊明

大田愛さんは「ミス・グリーンの秘密」や「願い」や、今シーズンでは「最後のアトリエ」を書いた人です。

彼女の作品は、人の心がトリック、そんな感じの作品が多いかもしれませんね。そして今回は「ミス・グリーンの秘密」よろしく、尊くんの主役回でした。ミス・グリーンの時は老人に優しく、そして今回は子供に優しかった尊でしたね。

 

始まりの時から、雰囲気が違う・・・
ちょっとホームドラマっぽくて・・・

「あれっ、『相棒』にチャンネルが変わらないの?」とテレビ、チラ見の夫が言いました。視聴予約にしてあるのです。

「これ、『相棒』よ。」と言ったら、「へえ~」とちょっと驚いていました。要するにちゃんと見ていなかったということで・・・。

 

最近夫は「相棒」に愛がない。

でも、それちょっと気持ちわかるなあ・・。

 

今シーズンはテーマが重いし、ずっとこの線で行くつもりなのでしょうか。ドラマは社会の投影図?
それはそれでも良いのですが、でもドラマはフィックションですから、現実のうつつが辛い世の中ならば、その投影図ばかりを見せ付けられたくないと言うのも心の底にある本音かもしれません。

私達の求めるものは~♪

思わず口ずさんでみたりして。

もっとハラハラしたい、もっとドキドキしたい、騙されてギョッとしたり、ええ~と驚いてみたい。モンスター出現に右京さんの顔の痙攣が見たい。

と、ちょっとグチグチ言ってみましたが、共鳴してくださる方はきっといるなと、私は思っています。
なんて言ったって、「相棒」好き歴、長いもんね、あたしたち。
あたしたちって、誰って言うと、それはきっと私とあなた様でございますよ。

 

と言うわけで、「通報者」の感想ですが、この作品を涙と共に見られた方も多いかと思います。
私はちょっと、映画の「誰も知らない」を連想してしまいました。

向こうの部屋で布団から起き上がった母親の後姿に、あれっ、アレは子供の・・・とは思いましたが、まさかあのような展開になるのだとは思いませんでした。

殺人を目撃し通報した少年祐太は名前を名乗らなかった。その祐太はある時急に大人しくなったと言う。その頃学校で盗撮事件が起きた。その時殺された生け花教師の女は学校に来ていた。その女と祐太が話している姿を見た人がいた。だけど祐太は女は知らない人だと嘘をついた。女は恐喝の常習者だった。少年は女に何を言われていたのか。

問いただした尊に、トランプを万引きしたのだと少年はまた嘘をついた。

必要なものしかない生活保護の生活で、必要でない物があるとホッとすると少年は言った。

だけど本当は、あって当たり前のモノが家にはなかった。

大人に守られた生活。

本当はその居て当たり前の者、欲しかっただろうになと私は思いました。

おかあさん・・・

母親の笑顔に子供はそれを許したのです。

 

終わりは、諦めていた高校進学にも少年は前向きになリ、優しい展開で終わりました。

それを最後まで見守っていた尊でした。

「僕もよく嘘を付いていたので」と尊は言いました。
尊、いったいどんな少年時代だったのでしょうね。

と言うより、私は聞きたい。

暇か課長、「あっちとこっちじゃぜんぜん違う」って、どのようにですか~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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イギリス旅行のフォトチャンネル2

2011-01-26 10:13:23 | イギリス旅行記

イギリス2

 

イギリス旅行のフォトチャンネル<その2>です。


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新しいフォトチャンネル

2011-01-23 23:25:52 | イギリス旅行記

イギリス

 

イギリスに行ったときの画像でフォトチャンネルを作りました。もうかなりの過去の出来事。光陰矢のごとしって本当ですね。


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「ろくでなし啄木」を観て来ました。

2011-01-22 18:48:12 | 観劇・コンサート日記

 

東京芸術劇場にて、三谷幸喜生誕50周年感謝祭、その1作目「ろくでなし啄木」を観てまいりました。

ある雨の日、寂れた温泉宿で起きた出来事の真相は・・・
それを三者三様の視点から描き、真実に迫って行く物語。

でもそれは、ある日の出来事をの真相に迫りながら、実は啄木自体の深層にたどり着く物語だったと思います。

三谷幸喜が今年のこれからの作品にどんなものを出してくるのかは分かりませんが、「作家の内面」と言う点で探ると、実はこの作品を1作目に持ってきたのは、何か意味があるのだろうかと、作品もミステリーと謳っているので、そちらの部分も推理してしまいました。

実際にはただ単純に、若き美しい三人だから1作目は華があるものをと言う理由や、スケジュール的なものだったかもしれませんが、だけどその深層心理の部分は、人には分からずという部分だと思います。

行動には理由がある。

三谷幸喜=石川啄木とはどうしても思えませんが、そこには別のミステリーが存在するかも、なんていうのは考えすぎですか・・・・

 

だけどこの舞台を見たら啄木をもっと知りたいと言う気持ちになる事は間違いがありません。

 

はたらけど はたらけど猶
わが生活 楽にならざり 
ぢつと手を見る

ふるさとの 訛なつかし 
停車場の 人ごみの中に 
そを聴きにゆく

たはむれに 母を背負ひて 
そのあまり 軽きに泣きて 
三歩あゆまず

やはらかに柳あをめる
北上の岸辺目に見ゆ
泣けごとくに

この作品の中にも登場する啄木の歌(はたらけど・・の歌はさりげなく)。だいたい中学二年生の頃学校で勉強し、知らない者などいない有名な歌ばかりだと思います。「ふるさとの・・」と言う歌では、テストではこの歌は何句切れですかとか、「そ」と言うのはなんですかとかが良く出題されます(余計な事ですが・・)

様々な人がやってくる上野駅の雑踏に、ふるさとの訛の聞きたくて、じっと耳を澄まして立っている。
そんな青年に人々は、朴訥な青年像を抱いても無理もないことだと思います。

だけど女と金にだらしがない破滅型作家と知ってこの歌をまた詠んでみると、では虚構の歌なのかと言うとそうではなく、更に奥の深さを感じたりするから不思議です。そして更に言わせていただくと、この歌を作ったのは、20歳をいくつかしか出ていない若造、私の横で気楽な顔をしてお茶など飲んでいる息子達とさほど年齢の変わらない青年なのだと思うと、更に更に感慨深く感じるのです。

体は弱い。歌は認められない。加えて赤貧。そして更に家族の家計までその薄っぺらな肩が背負わなければならない。

20代のヒヨコだというのに。

そしてまた、この苦痛があってこそ彼の心に残る歌は生まれ、支離滅裂な破滅型だからこそ、また感性が磨かれたと言う、絡み合った必要悪。

一面からは決して分からない行動の真実。そしてそれは多面で考えなければ決して見えてこない人生の真実なのかもしれません。

お芝居は、ミステリーと言えども三谷作品らしくコメディ色強くかなり楽しい展開です。
三人芝居、藤原竜也・中村勘太郎・吹石一恵、この三人の美しさと演技力がぶつかり合って、見ごたえ充分です。

中村勘太郎、コメディ部分でキラキラ光っていて、ちと藤原のたっちゃんが分が悪いんじゃないのって、微かに心の中によぎる不安。だけどラストの彼のあのシーンがなくては、上に書いたような感想は沸いてこないのよね。

だけどこの芝居の中の啄木、本当にろくでなし!

と言うわけで、ちょっとだけネタバレで以下書かせていただきます。

←劇場にあったポスター

 

トミの目線から語られる一幕目、テツの目線から語られる二幕目。その時に「ろくでなし啄木」と言う文字が鏡文字になっていましたね。裏から語られる真実と言ったところでしょうか。

二幕目は笑いに笑いました。

だけどその後半、死の世界から飛び出てきた啄木が語る本当の真実。

誰もが「あれっ?」と感じたリンゴとみかんの謎は、ナイフの思い込みから生まれた思い込みであった事が分かります。

そして、何年も経ってから、ふと自分達は彼に嵌められていたのだと気が付いても、トミもテツも確かめる事はできません。観客のみがその真実を知ることが出来たのですが、それさえも,最後は「なんちゃってね。」的にぼかされてしまいます。

確かなものなどない人の世の不確かさ。
だけれど、だけど、その時確かに変わらないそれは、昇ってくる朝のひかり・・・

 

うーん、なかなか良かったなぁ。こう言った後を引く物語が好きです。翌日になると気が付く事があって、また翌日になると「そうか」と見方が変わったりもする・・・

ただでさえ、金の為に愛する女を売ったと言うろくでなしに見えるのに、種を明かせば、自分で死に切れないから殺してもらうと言う、ろくでなし度10倍のろくでなし。このろくでなし度には翌日、ふと気が付きましたよ。なんて鈍い・・・。だって、その後の作家の苦悩の方に頭が言ってしまったからなんですが、だって、その時も啄木は自分の事ばかり考えているのですよね。

崖っぷちの自分の人生を、寂れた温泉宿で、女にもしくは友人に痴情の果てに殺してもらい、かっこ悪く人生を終わらせようと言う作戦。でももしこれが実行されたら、殺してしまった者にも待っているのは地獄。

その地獄に巻き込もうと言うのは、愛する女と何をやっても許してくれる自称親友の男なんですよ。

だけどみんなが彼のようにろくでなしではないものだから、二人は彼を許し、彼の思うようには成らなかったのです。啄木の真意を知らないテツが最低ぶっているけれど、お前なんてぜんぜんで最低な男にすらなっていないというようなことを言うシーンは、目論見に失敗している啄木にとっては二重の痛みがあったと思います。

彼らの優しさゆえに逃げ出し、苦悩にのた打ち回り、そしてその苦悩の中から立ち上がり・・・

その後いけしゃあしゃあと妻と家族を迎えに行き、テツが言っていたように東側に大きな窓のあるうちに住み家族と片寄せあって生きたのでした。

その後トミにもテツにも会う事もなく、「一握の砂」を発行した二年後に、彼は亡くなってしまうのです。満年齢で言ったら26歳だったのです。

 

若き日の愚かさを笑う日を迎える事もなく・・・・

 

 

☆    ★     ☆     ★

「ローマ字日記」はこの舞台がきっかけになって知りましたが、お勉強になりました。

加えて、この芝居には関係ありませんが「一握の砂」から気に入ったものと、このお芝居を連想させて気になったものを合わせて載せておきますね。フムフムと思う方もいらっしゃると思います。

 

ふるさとの 山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山は ありがたきかな

目になれし 山にはあれど 秋来れば 神や住まむと かしこみて見る

いくたびか 死なむとしては 死なざりし わが来しかたの をかしく悲し

誰そ我に ピストルにても 撃てよかし 伊藤のごとく 死にて見せなむ

己が名を ほのかに呼びて 涙せし 十四の春に かへる術なし

一度でも 我に頭を 下げさせし 人みな死ねと いのりてしこと

こそこその 話がやがて 高くなり ピストル鳴りて 人生終る

浅草の 凌雲閣の いただきに 腕組みし日の 長き日記かな

 

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「火天の城」と「江」第二回

2011-01-19 01:54:47 | 映画

火天の城 映画 - goo 映画

 

「江」の感想は書かないぞと言いながら、メモ程度には書かずにはいられないことが。

何がって、安土城の美しさについてです。

天守、綺麗でしたね。今まで見た安土城のデザインの中で、一番綺麗だったかもしれません。あの装飾は貝細工なんでしたっけ。それとも七宝焼き?

たびたび名前を出してしまうけれど、目黒雅叙園にあのような装飾の部屋がありますよね。

私が
「いやあ、NHKの美術さん、がんばったよなあ。」
と、感心していましたら、夫が、
「この後、『火天の城』を見るから、そっちで感激したら。」と言いました。

そうだよなぁ。そっちは映画なんだから予算が違うわけだし・・・・

ところがね、いやいや、「江」の勝ちでしたよ。出来上がった映画の方の天守には、地味な龍の絵が描かれていました。その映画の信長の性格を思うと、似つかわしくない。まるで「風林火山」の上杉謙信のバッグにあった龍のようでしたよ。

何、考えているんだろう、この映画。
マジにそう思ってしまいましたよ。

映画の感想を、映画ブログに書かずにこちらに書いたのは、そこの所を言いたかった為なのですが、ついでなので「江」の感想をホンの少々・・・

信長、江がこれから心惹かれる設定だけあって、魅力的に描かれていましたよね。
どくろの杯のお話にも、あまり描かれてこなかった信長像が描かれていて興味深かったです。
そして、お市の方の信長への態度も、あまり大河では描かれてこなかった描き方だと思いました。この二人は、「功名が辻」での二人が印象的で、ブラコン、シスコンの二人の間に入り込めるものなしと言う印象がありましたが、「江」の中の二人は、個性がぶつかり合っているものの、かなり常識的。なんとなくそれが好感が持てました。

が、新しい城のふすまに穴を開け、障子を破くって、如何に信長と言えどもやらなかったんじゃないかなと、凄く思ってしまいました。だってサ、障子はともかく、昔のお城って、襖絵とか描かれていて、凄く大切にされていたんじゃないかしら。

だいたい、あの時槍が刺さっていたら、二回目で最終回だよって・・くだらない事を言ってしまった・・・

 

で、映画の感想なのですが、実はそんなには悪くはなかったです。むしろ感動ポイントも多数。(ネタバレはありです)

アレだけの城を作る訳ですから、エピソードも多数あったに違いありません。2000年の杉の木を御柱として立てるいきさつは、木を手に入れるところから立てるところまでなかなか面白かったと思います。

城を建てる棟梁に西田敏行。安定した演技力で不可などありません。それを支えた妻に大竹しのぶ。この人も同じ。

それにしても福田沙紀は可愛いなあ。

だけど多数盛り込まれた人間ドラマが、なかなか伝わってこなくて、ジーンとしたりしみじみしたり鳥肌が立ったりと言う事もなくというのは、私的には珍しい感じがしました。すぐに感情移入、すぐに涙の人ですから、私。

ただ、ラストの主柱を人の手で持ち上げて、その一番下を訂正するという、壮絶なエピソードには力が入りました。支えて引っ張る人たちの手はみな血まみれで、アレでは明日は仕事になるまいなどと心配になるほどです。死者を多数出しても、仕事を休むなと言うくらいの信長ですから、明日以降も厳しいななどと描かれていない部分にも思いが走りました。

言わば、このシーンはクライマックスなのですね。

見ごたえがありました。

そして、次のシーンではもう城は出来上がって、信長が城作りから学んだ何かそれらしい事を言って、映画は終わってしまいました。

信長は城を作った者たちを称えて、多くの松明で城を闇の中に浮かび上がらせましたとさ。

 

何を考えているんだろう、この映画。
と、ここで上記に書いた感想にたどり着くというわけです。

人々が苦労して建てたその城を、まったく持って私達に見せてくれません。もちろん誰も見たことのない幻の城です。
「火天の城」―安土城築城の壮絶な物語

この映画を見たいと思った時、心のどこかにワクワクするものがちょっとなかったでしょうか。

 

見せるのはその人間ドラマ・・・
それはそれで良いのですよ。でも作ったものが安土城なら、それは架空のものであっても、CGを駆使してももうひとつの主役を描ききるべきであったと思いました。例えそれは天守のみであってもです。

この寿命の短かった幻城の最後を知った時、築城に関わったその人たちは何を思っていたのだろうかと切なく思いましたが、もちろんこの映画には、まったく持って何も描かれていません。

 

 

 

 

 

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雪でしたね♪

2011-01-17 01:18:09 | お散歩&写真日記

昨日の事ですが、目が覚めて吃驚しました。

だって雪!!

雪国の人には申し訳ないのですが、この程度の雪でもお祭り気分になってしまう関東平野の女です~。

思わず、まだ寝ている夫に
「あのさあ、雪ですよ・・」と声をかけちゃったりして・・・

すると夫は飛び起きて・・・

「いや、あなた、何も飛び起きなくても・・」
「雪と聞いちゃ寝ておれん。」って、夫。

でもこの雪、最初は凄く降り続いていたのに、すぐに止んで、そしてすぐに溶けて、良い雪でした。

ちょっとだけ冬を楽しんだ、そんな朝でした。

 

 

 

 

 

 

 

だけど太陽が雲の向こうからやってきて・・・・

このとき空の半分は↑のようで、また半分は↓のようだったのですよ。

下の写真は青空ですが、実はまだ雪は降り続いていたのですよ。映っていないのが残念。もっと上手く意識して写せばよかったです。

 

今週も凄く寒くなりそうですよ。風邪などにお気をつけて♪

 

 

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真珠草とカラス

2011-01-16 01:56:56 | 思いつくまま

最近、なんとなく書きたいような事を書いていないような気がしてきたので、延々と暴走して書きまくりたいような願望がむくむくと・・・
とか言っても続かないんだけどね。

 

近頃、私が思わずメルヘンだなあと思った事。


近頃といっても、昨年の12月の事です。そして人によっては捕らえ方も違うとは思いますが、私には、それは嫌な事ではなく、素敵なハプニングに思えたお話をしたいと思います。

この話は、ツイッターでも呟いたので、ちょっと知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、いつかブログに書こうと思ったので、全部は語らなかったのですよ。

このお話をする前に、私がブログに書いている数少ない小説のタイトルからちょっとお話させてくださいね。

「雪割草、春告げ鳥に真珠草」

ちょっと素敵なタイトルでしょう(超自画自賛)

それに内容は自分で言ったらアウトなんだけれど、かなり泣ける作品なのですよ。

イギリス旅行の時のブログお休みを埋めるために、ふと思いついて書いたファンタジー。私は子供を相手に仕事もしているので、こういうお話が好きだと思っている方もいられるかと思いますが、そんな事は全然なくて、この作品だけは空から光が差し込むように言葉が降りてきて勝手に出来上がった物語なのです。そして何故だか、どんどん続きが沸いてきて、一応の完結をしているのです。(本当は、まだ続きが頭の中ではあるのですが。)

その一応の完結編が上のタイトルのお話。
そのお話の中の重要な登場人物がカラスなのです。

で、そのお話を書くときに、「真珠草」はかなりリサーチしたのですよ。

それは「ない」と言う結論を探していたのです。

そして私の知る限りでは真珠草はないのです。ゆえに上のタイトルの物語は成り立つのです。

だけど調べたら「真珠の木」と呼ばれるものはありました。

それがペルネキアだったのです。

なんとなく心惹かれました。

よし10月になったら買い求めよう。

そう思ったのにいつも忘れて、2年が経ってしまいました。

 

そして、ここからが今回のお話です。

昨年の12月、コリウスをツリーの変わりに飾り付けしたいなと思い立ち、それを求めに花屋に立ち寄った私は、花屋の片隅でまるで明日にでも処分されそうになっている苗木ののコーナーに目が行きました。

こ、これは・・・

その苗木を手にしようと思ったその時、

「奥さん!!」と花屋の女主人が、大きな声で私を呼びました。

ここは切花とかは一切置いていない、苗や苗木のお店なんです。そんなには大きくないけれど、まあそこそこの広さがあるところ。それで一部には屋根は付いているけれど、ほとんど外と言う感じのお店です。

大きな声に驚いてそちらを見ると、

「あそこに止めてあるのは奥さんの自転車?」

そうです。お店の外だと、歩行者の邪魔になるといけないので、お店の敷地に止めたのです。

私はドキリとしました。
自転車が転倒して苗を傷つけてしまったとか、他の人の通行の邪魔になったとかそんな事が思い浮かんで、

「そうだけど、何かまずかったかしら~?」と聞きました。

「後ろの籠に、おにぎりとか入れていなかった~?」

「あっ、入れてある・・」

「カラスが持って行っちゃたわよ~!!」

「えええ~~!!!」

 

私はカラスが袋を凄く突いたのかと思いました。そしたらおにぎりは全滅です。このおにぎりは花屋の前に寄ったコンビニで、安易にお昼ご飯を調達しようと買った6個のおにぎりだったのでした。

 

女主人に私の心配がすぐに伝わったのか、彼女は言いました。
「大丈夫。カラスは物凄く鮮やかに一個だけ加えて飛び立っていったのよ。それはもう見事に。」

な、なんと。
確かに他のおにぎりを見たら触った形跡もないのです。しかもおにぎりが入っていたコンビニの袋はゆるく上のほうは閉じていたのですよ。それを袋を揺さぶって開け、一個だけのおにぎりを加えて飛び立ったのです。

凄いな、カラス。

腹が立つ!?
まーさか。
だって、相手はカラスなんですよ。
怒る訳がないじゃないじゃないですか。

それより残念。おにぎりを提供したのは私だって言うのに、そのおにぎりを見事にぱくりと銜えて飛び立っていくカラスを私は見る事が出来なかったのですから。

 

私はその後、出てきた女主人に、気になっていた苗木がベルネチアである事を確かめました。
「それは今年はもう終わってしまっているけれど、来年もまた実をつけるから半額にします。」と女主人が言ったので、二つ買い求めました。この木を見ている時に起きた「からすハプニング」だからこそ、私にはより意味がありメルヘンだなあと感じたのだと思います。

 

ところが、家に帰ってラッタ君と二人で、「カラスとおにぎり」の話をメルヘンチックにしながら手抜きランチを頂きました。
するとラッタ君、
「おにぎりは同じものを二個ずつ買ったのだね。すると、カラスが持っていったのは鳥五目おにぎりと言うわけだ。」とにんまり。

うっ、なんかちょっとブラックなオチ・・・・
本来童話にはブラックな部分がかなりあるようで、このお話もその部分もしっかり踏まえていたのでした。

 

 

 

 

 

 


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ありがとう、伊達直人様

2011-01-15 01:06:26 | 梢は歌う(日記)

ある朝突然、養護施設の玄関に置かれていた30個のランドセル。

いったい誰が置いたのか。置いた人の名前は伊達直人。

タイガーマスクの主人公の名前。漫画の中の伊達直人は、自分自身も養護施設で育ち、プロレスで稼いだお金を匿名で寄付し続け、施設を支えている。
・・・・などと、今更私なんかが書くこともないですね。連日ニュースで詳しく伝えてくれていたと思います。

年の初めの粋なプレゼントだと思いました。

だけどそれはそれだけに終わりませんでした。日本のあちらこちらに伊達直人は現れたのです。

ある手紙には

「伊達直人運動に共感して・・」とありました。

いつも間にか運動になってしまったのですね。そして、「仙台だから伊達政宗」とか、または矢吹ジョーや星飛雄馬の名前の人が現れたり、「○○県の子供達にも」と自分の県で遅れを取るまいという感じに、同じような事が起きました。中には「中学生の伊達直人」と言う者もあり、なんとなくいただけないけれど、エスカレートしたのか予告タイガーマスクまで現れたりもしました。

 

私は、このニュースが流れるたびに、なぜかジーンと来るのです。そして心が温かくなるのですよ。タイトルで「ありがとう。」などと言っていると、さながら福祉関係の人間みたいですが、そうではありません。寒い冬の日に、仄かに心を暖かくしてくださった伊達直人さんに「ありがとう」と言いたくなってしまっただけなのです。

たった一人の人が何かしらの心の事情により起こした行動が、言葉は軽くなりますが「流行」を生み出したのですね。

善意の。

最初の伊達直人さんには、いったいどんな心の事情があったのだろう。そのお金はどんなお金が使われたのだろう。どんな事を考えながら、ランドセルを購入したのだろう。
そんな詮索したくなるような気持ち、正直なところありました。でもなんだか嬉しくなってしまいました。

きっと二人目の伊達直人さんは、私と似たような気持ちになったのかもしれませんね。

誰でも出来ることではないのですよ。何よりお金が必要で、そして行動力が必要なのですよね。
そして最初の贈り物がランドセルだったから良かったのだと思います。

 

テレビを見ていた多くの伊達直人さんたちは、
「そうか、こんなお金の使い方があったのだ。」と気が付いたのですよ。

ちょっと最初は、そこそこの大金が出せる人がやっていたのだと思いますが、そのうちに自分達でも何か出来るかもと、複数で相談しあったり、出来る範囲の事をやりだしたりと形を変えていったのですよね。

 

私は、この二人目の伊達直人さんが要だと思っています。一人いた。そして二人目が続いた。だから三人目も立ち上がったと言う図式。

今、リサーチしたい事があってパラパラとパソコン回りをしてみたら、もう350件にもなっていたのですって・・・・
凄すぎる・・・・
ほんわか~と言う気分で、この記事を書き始めたのですが、ちょっとあっけに取られてしまいました。

まさに「流行」。

 

流行と言うのは一過性の事も多く今だけのことかもしれないけれど、今起きていることは現実で、それが駄目だと言う訳ではありませんよね。

だからと言って、すべての人がタイガーマスクになる必要もなく、寄付と言うものは今までどおり出来る時に出来る範囲でやっていけば良い事だと思います。

だけど、ある意味自己満足であっても名無しのヒーローになるなら今かもしれませんよ。
(寄付は究極の、だけど大切な自己満足だと私は思っています。悪意はないです。)

また、誰に褒められる訳でもなくても地道にそういう活動を普段からしていられる方々こそ、本当の名無しのヒーローなのかもしれませんね。

それでも私はちょっとだけ、最初の伊達直人さんにはインタビューしてみたいですよ。
「こんなブームになってしまって、こんな現象が起きると思いましたか?今のお気持ちは?」ってね。

 

それから施設にいる子供達が、今度の事をちょっとだけでも喜んでいたりワクワクしていたりしたら良いんだけどなと、思っているのですがどうなのでしょうね。

 

 

 

※リサーチしていたのは「福祉施設への寄付の仕方」。そんな言葉で検索するといろいろ出てきますよ。いろいろあるのでリンクできませんが、綺麗なぬいぐるみも寄付できるのかとか知らなかったこともありました。頂いたのに子供の成長に合わなくてほとんど着せる事のできなかった新品同様の子供服とか、文房具とか、頂きすぎて余ってしまった食品とかも喜ばれるらしいですよ。

ちなみに、そのような物品の寄付は施設の玄関前ではなく、窓口を通して要か不要かを確認してされた方がいいと思います。お金の場合は要か不要かなどと聞く必要はもちろんありませんが、常に受け付けています。ある金額以上だと確か税の控除対象になったと思います。(私は阪神大震災のとき、寄付を郵便局からした時にその事を初めて知りました。)まっ、そんな事は関係ないですかね、今は。

 

 

 


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