森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「芸術新潮8月号」の特集を読んで

2020-11-29 01:31:39 | ユーモレスクを聴きながら(book)

「芸術新潮」は好きな雑誌で、時々バックナンバーでも気に入る特集があると、遅れてでも買ったりなんかしています。

この8月号表紙に「現地を体感 ! 保存版」と書いてありますが、本当に手元に置いておきたい一冊だったと思います。

この本は実は図書館で見つけて、延長二回で借りられるギリギリまでお借りしました。

明日泣く泣く返しに行きます。

「芸術新潮」は元々は1500円で買えるものですが、後からバッグナンバーを買おうと思うと、その特集の人気度によって定価が変わるようです。この号は定価が跳ね上がっていて、やはり世間の評価も高いようです。

 

コロナ禍で海外旅行もままならぬ今、いつか行ける日の為に、保存版としての旅の特集で見ごたえ十分です。

 

 

いくつもの魅力ある場所と絵が紹介されていますが、その中で私が一番心に残ったのは、フランス北西部にある「アンジェ城タピスリー美術館」の超巨大タピスリー「アンジェの黙示録」です。

ルイ1世はタピスリーの抜きんでたコレクターだったそうです。ルイ1世亡き後、アンジェの大聖堂に寄贈されたものの、フランス革命期には果樹を守る防寒具として風雨にさらされていた事もあったとか。そして、1840年代、司教館に死蔵してあったものが再発見され注文主の居城に戻って来たのでした。

パリ・モンパルナス駅からTGVで100分、アンジェ駅から徒歩10分。

ああ、行ってみたいなぁ~♪

またパリ郊外には、藤田嗣治が晩年過ごした「メゾン・アトリエ・フジタ」があるのです。あと、パリに行ったら「オランジュリー美術館」にも行かなくちゃ。

やっぱり、いつか行ってみたいなぁ~、フランス♬

 

今ここに私が書きこんだものは、この雑誌の2パーセントぐらいにすぎないと思います。どのページにも情報がぎっしりです。

対談も原田マハ×宮下規久朗の「人生を変えたアートの旅」と面白く、また「新型ウイルスと美術の現場」と興味深いものでした。

さながら「美術新潮」の回し者になってしまったかのような記事ですが、良い本に出合えたと嬉しく思ったものですから♡

やっぱりイタリアとフランスに行ったら美術館巡りはしたいもの。

だけど今の私は、と言うか、我が家はテレビが壊れ猫が病気になり夫婦二人は慢性の病気で医療費貧乏。

それでも夢を見るのは、自由なのですよね。

素敵な企画だったと思います。

・・・

以下はどんなに凄いなと思っても、この先の人生で絶対に行かないと思われる場所の、メモです。

ベツレヘム「ザ・ウォールド・オフ・ホテル」のバンクシ―。

エルサレム「ハダッサ医療センター・シナゴーク」のシャガールのステンドグラス。


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「エール」にエール ♪♬

2020-11-28 01:58:58 | テレビ・ラジオ

∇「音。出会えて良かった」

「私も、あなたに出会えて幸せでした」∇

 

たまたま一緒に見ていた夫殿が呟くように言いました。

「『でした』って過去形なんだな。」

それがこの物語のラストシーン。もう病気で臥せっている音のシーンには戻りません。

若い二人ははしゃぎながら海に向かって走っていきます。

「エール」の最終回、ジワジワ泣けました。

 

正直に言うと、毎朝楽しみに見ていたと言うわけではありませんでした。だけどそのラストシーンを見終わると、このドラマのあれやこれやが本当に思い出されてきて、この二人の長い人生を、本当に見続けてきたように感じてしまったのでした。

子供時代のエピソードで断トツ好きだったのは、やはり大将との別れのシーンです。

いつかまた出会い、自分の人生に深くかかわっていく人になるとは、その時はまだ思っていなかった少年時代。その時から神出鬼没で不思議な少年を演じていた久志の存在も好きで、その後プリンス佐藤になって現れ、福島三羽ガラスになろうとは夢にも思って・・・・・いやそこは嘘で、まあ、たぶん知っていました。気になると、すぐに検索しちゃう方なので (笑)

そして、家の為に養子になり音楽の道を諦めようとしていた銀行マン時代。

(そんな時代があった事を、覚えていらっしゃいますか ?)

音との出会い。ファンレターから繋がっていくと言うのは、地味な感じでしたが斬新でしたね。

そして・・・・・・と、書ききれませんね。長い人生だったのですから。ただその時々、出会った人たちは皆魅力的で、それぞれが素敵でしたね。

その時々のエピソードに欠かせない人物を、それぞれの俳優さんが熱演していて惹きつけられました。「長崎の鐘」が誕生してくるまでのエピソードの、永田武(吉岡秀隆)と永田ユリカ(中村ゆり)、最初に出て来たオリンピック警備員の萩原聖人など。

キャストの事を言えば、この物語の俳優さんの多くは、本当に普段から歌を歌われる方が多く選ばれていましたね。

時々に差し込まれる劇中歌も楽しみでした。

私は野田洋次郎さんのファンなので、彼が出てくるのも嬉しかったです。

歌の上手なキャストさんたちには、皆それぞれの歌の見せ場がそれなりにあったのに、彼だけまったくなくて寂しいなぁと思ったら、昨日の歌のスペシャルで、皆を声量たっぷりの声で惹きつけ、ネットでの話題をさらったのは岩城を演じた吉原光夫さんでしたね。

「イヨマンテの夜」、見事でしたね。

彼に劇中で歌うシーンを作る事が出来なかった事を、悪いと作者も思っていたのでしょうか。ある時、音の母の光子の口から「岩城さん、歌がとっても上手いのよ。」と言うセリフが、意外と唐突に出てきていたのも印象的だったのです。最後の「エールコンサート」で彼の歌を皆に聞かせることが出来て、実は作者さんもホッとしていたのではないでしょうか。

あっ、そうそう。私的には「モスラ」の歌が聞けたのも嬉しかったです。

 

15分間の「エールコンサート」は録画して見ました。しばらくは消せそうもありません。

ドラマ「エール」は、ドラマを通して視聴者に向かってエールを送り続けてくれたのだと思います。だけど見ていた私たちも、この困難の2020年にドラマを作り続けた皆さんにエールを送り続けていたと思います。

だからコンサートの最後に、窪田正孝さんが言った

「皆さん、一緒に今を乗り越えましょう。」という言葉が胸に響きました。

 

最後に、ドラマ部分の最終回で思わず涙したのは、音とのラストシーンにばかりにではありませんでした。

小山田先生からの手紙に・・・・。

やはり誰でも思う事だお思うのですが、もしも志村けんが生きていらっしゃったならば、この和解のシーンは、いったいどのように描かれたのだろうと。

きっと違ったシナリオが書かれ、違った演出がされたのではないでしょうか。

偶然撮れていたと言う志村さんの可愛らしい笑顔。きっとその画像ありきのセリフが書かれたのではないかと思います。

「先生の前ではいつもしかめ面でしたが、笑顔は子供みたいにチャーミングでした。」

 

やはり2020年は世界中が大変な困難の時代でした。そしてそれは継続中。

皆さん、お気をつけて、一緒に乗り越えましょうね !!

 

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小説「ミッドナイトスワン」を読みました。

2020-11-27 01:21:57 | ユーモレスクを聴きながら(book)

映画の原作小説で、これも映画の監督であり シナリオを書いた内田英治氏の作品です。

この映画の感想は→「ミッドナイトスワン」を見てきました。

その映画感想の中で、

>この映画は「テネット」張りに想像力が、実はいるなと思いました。あっちはさっぱり分からないだけで実は正解があり、こちらは難解には思えないが正解はないのです。

と書き込んだのですが、大きな過ちでした。

正解はありました。この本の中に。

 

この感想はネタバレなしで書いているので、おそらくあなた様の知りたい事は何も書かれていません。基本的には「お勧めできます。」と言う事が書かれています。

 

そしてその感想ですが、ちょっと本音を言ってしまえば、「これはないよな」と思ってしまいました。

この本のコピーは

「映画の前でも、後でも、ぜひ読んでください」で、読むと、この物語の映画では想像力を有して分かり辛かった部分の正解が良く分り、そして感動度もあがります。

だけど映画を見る人のほとんどは、本は読まない事が多いのです。見たいのは映画だから。

だから二回見た友人の一回目の感想が

>「なんとなく雑な描き方だと思った。でも決められた時間内で収めようとしたら、それは仕方がない事だと思う。でもところどころついていけなくて置いてけぼりを食ったような気がしたわ。」

と言うようなものになってしまったのだと思いました。

だけどそこは感想の記事にも書いたように、

>この映画は、あちらこちらに作者(監督)のツボに嵌る罠が仕掛けられていたなと思いました。そこに至る経過は微細に過ぎず、拘らないのかと思いました。

だから微細の部分で、見ている者が理解できずに置いてけぼりと言う感情を抱いても、「気にしなくても良いよ。」、別の言葉で言えば、「切り捨てても良いです。」となっていたのかも知れません。

いや、そうではないよと言うのなら、それはやっぱり理解できないものは置いてけぼり、またはそうさせてしまった者の・・・・ムニャムニャなんだと思います。

 

だけど原作と映画ではラストシーンが違います。

それを思うと、やはり微細には拘らなくて良いと言われているような気がするのです。

また映像の力と言うのでしょうか。友人のりんの飛び降りシーンは、格段に映画の方が良いです。

映画と小説では、違う表現技法を使ったのだと理解すればいいのかも知れません。

 

映画に凄く感動して、だけどイマイチ分からないシーンがいろいろあったなと思われていて、いまさら人には聞きづらいなと思われる方には、是非この本をお勧めでします。

 

映画と小説、どちらが良いと言うのではなく、草薙君の演技力の高さを思うと、これは映画と小説でひとつの作品になっているのだと思いました。

やっぱり、「それはないよな。ズルい!!」と思ってしまうのですが、本を読んで、いろいろと分かってみると、希望と絶望、愛と孤独がさらに伝わり感動が増したのでした。

 

 

・・・


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相棒19 第7話「同日同刻」

2020-11-26 15:18:57 | ドラマ(相棒)

相棒17第6話「ブラックパールの女」

相棒18 第17話「いびつな真珠の女」

に続いて「平成の毒婦」遠峰小夜子のシリーズ3作目。

既に昨日の視聴率が出ていて、確かに安定の二桁なのですが、12.3%で今季の「相棒」にしては低い方なのではないかと思います。「いびつな真珠の・・・」の感想の中でも書いている事ですが、『相棒18 第15話「善悪の彼岸~深淵」』が、あんなに面白かったのに、視聴率の点で言うと、シーズン18の中で最低だったのですよね。

ということは、「相棒」ファンの中には、ある犯人のシリーズ化を嫌う傾向があるって言う事が言えなくもないのかしら。もちろん真実は分かりません。

やっぱり再度思う事ですが、視聴率って言うのは、「謎」!!

 

話は変わって、この遠峰小夜子繋がりで、少々「いびつな・・・」の記事に、訪問して下さる方が増えているのですが、全く物語の流れを書いていないので、あらすじに沿った感想を求めた方には「???」なる事は間違いのない事です。

ところがですね、読み直してみたら、私もすっかり忘れていたのですが、意外と大事な事が書かれていたのです。つまり彼女が口ずさむ「キラキラ星」の元の歌詞です。

それを知ってて、今回のお話を見るとですね、ちょっとなかなかな感じになりますよ~。

最後に右京が言うじゃないですか。(メチャクチャセリフは不正確。録画してませんが、今なら無料視聴が出来るので、気が向いたら後で訂正しておきます。とりあえず・・・)

「すべてを暴いてすべてを失わせるゲームならば、あなたにもそれは言える事です。」と。

暴かれる過去が彼女には、必ずあるのです。それが彼女のシリーズのラスト回なのかも知れませんね。ちょっと楽しみです♪

 

ところで今回の推理劇メインの部分ですが、遠峰小夜子の部分が無かったら、意外とフツウでしたね。あのポトスの彼女が出てきた時から、怪しいと思っていましたが、まさか事故死とは思わず、夫と彼女がやったのかと思いました。

だいたい彼女は変な事を言っていましたよね。過失かどうか分かりもしないのに、過失致死の時効は三年かなどと。余計な事を言う人は怪しいですよね。

「外れたけれど、当たったな。」と家では謎の発言をしていた私^^

いずれにしても、二人にとってはとんでもない所から名乗り出た男が出て来て、なんてラッキーな事かと思っていた事でしょうね。

だけど夫は世間のバッシングをも覚悟して、偽りの人生は捨てたのです。簡単な事ではないと思います。良かったなぁと思いました。

しかしあのポトスの記者の女優さん、見せ場でしたね。

「相棒」には時々、そう言う脇役の女優さんの見せ場シーンがありますよね。

あんなに遠峰小夜子を神のようにあがめていたのに、小夜子には名前も知らないと鼻であしらわれてしまいました。

「空っぽの脳は乗っ取られやすい。」

名言だわ~!!!

 

ってなこと、え~と、ワタクシ、ラインのスタンプ買いました。

 とか

とか、他にもいろいろと使えそうです。

だけど、まだちょっと感想は続きます。

我が家の夫殿は、出雲の「早く(免許を)出して !!」にあんな言い方を警察はしないと拘っていました。

私は編集もしないで傘の縁が映っている写真を、編集者が使うわけがないし、またうっかり使ってしまっても、その記事を見た妊婦の夫は、凄くその傘の縁が気になってしまって、傘を処分するのではないかと思うし、更に思うには、気付かないおバカさんだったとしても、たいがいの家で、あのように目立つ傘は使われる可能性は少ないのでは。

都合の良い話だ、と、私は思いましたとさ。

細かい所が気になるのは

 me too.

 

 


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小説「天気の子」を読みました。

2020-11-25 00:21:38 | ユーモレスクを聴きながら(book)

11月12日に読了。

「君の名は。」に続いて話題性の高かった「天気の子」をwowowで見ました。

その時、ツイッターである事を呟いたら、小説の方に書いてあると教えていただいたのです。その「ある事」と言うのはネタバレになってしまうので、書かない事にしますが、その事だけを知りたくて読み始めました。

この映画の小説版があるのは、作品が本屋の映画で戦略的なものだからなのかと思いました。

ちょっと前に「王になった男」のドラマと映画の感想を書きましたが、その時、映画が原作のドラマであって、やはり映画を先に見たかったということを書いたのですが、何か表現の媒介が複数ある時、どれと一番最初に接するかは、時には大事なポイントになる場合があるかと思います。

だけどこれはどちらが先でも同じような感じがしました。ただ小説を先に読む方が、小説自体を面白く感じたように思います。なぜなら新海誠氏によって書かれたこの小説とアニメはほとんどが同じだからです。アニメを先に見ていると、文字を追いながら映像が脳内で再び再生されました。

実はワタクシも、途中まで、これをアニメを見直すかのように読むことに意味はあるのかと感じてしまったくらいなのです。パラパラとめくって知りたかった事だけを確かめたらいいのではないかとさえ思ってしまったのでした。

ところがです。途中からちょっと思う事が変わってきました。なぜなら、上にも書いたことですが、小説コラボは戦略かも知れませんが、これの完成はアニメの後ではなかったのです。如何にこの新海氏が脳内で作り上げた世界が、忠実に映像になったかが分かると言うものです。

また新海氏もあとがきに書いている事ですが、アニメならいらない事を、小説では言葉として必要な事を文章として書いてあるのです。やはり私が知りたかったことは、その文の中にありました。

更に小説版の方は、登場人物のひとりひとりの心情が丁寧に描かれていて、物語に深みを与えています。特に私は夏美の独白のシーンが好きです。また彼女がバイクで穂高を助けるシーンで、アニメでは、私にはひたすらカッコいい峰不二子のような女性に見えたのに、バイクが水の中に嵌って、彼女が言った

「私はここまでだよ。」に、二重の意味があるとは思いもよらず、誰かと関わる事によって成長していったのは、主人公たちばかりではなかったのだと感動しました。

解説をRADWIMPSの野田洋次郎氏が書いているので、そこもお得な感じです。

ところでこの物語の感想ですが、発想が凄く斬新ですね。だけど、もう大勢の他者の為に自己を犠牲になんかする必要はないと言う発想が、新しく感じるということ自体はどうなんだろうかと、様々なザワザワ感を自分の中で感じるのでした。

なんたって「宇宙戦艦ヤマト」に滂沱の涙を流して育った世代なので。

だけど、もしも自分の子供や愛する人が、自己を犠牲にして「世界」と言う名の他人の集まりを救おうとしたら、その手をガシッと掴み、「いいから、行かなくて !!」と言うかもしれません。

ただもしも私が、過去の巫女の魂だったら、またはその家族だったら、私が信じた正義とは何だったのかとさめざめと泣くでしょう。

気持ちがザワザワして、非常にかったるい気持ちになるので、もうこの物語はリピートはしないと思うのですが、RADWIMPSの音楽は繰り返し聞いてみたと思っています。

「大丈夫」って言葉が大好きですから。

作中で穂高が言う「僕たちは大丈夫だ。」っていうのも凄く良かったと思いました。

 

 

[天気の子] Weathering with you 「大丈夫」

・・・


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麒麟がくる 第三十三回「比叡山に棲む魔物」

2020-11-24 00:05:00 | ドラマ (大河)

比叡山の延暦寺の天台座主・覚恕は、注いでも注いでも満たされない、そんな器のような人だと思いました。

天皇家の次男以下は、武家の次男以下の部屋住みみたいなことは出来ぬゆえに、多くは仏門に入れられるのは世の習いだったと思います。

足利の将軍家でさえ、同じ事をしていたのですから。

だけど覚恕は美しくないから父親に寺に入れられてしまったと思っていたと言いました。本当にそう思ったかどうかは不明ですが、世の習いとは彼の中では思うことは出来なかったのだと思います。なんとなくの推理ですが、よほど兄と比較されて育てられたのではないでしょうか。あからさまに、親以外の者にも言われてきたのかも知れません。

片方は生まれながら天子になるもので、片方は親元から引き離されて寺に捨てられる運命の子供なのですから。

ゆえに後にお金も力も手に入れて、生まれながら高き椅子に座ると定められていた兄に頭を下げさせても満足せず、そして天子が住む屋敷の塀が壊れても、見向きもしなかったのです。

彼は彼の世界で、自分の国を手に入れたのでしょう。

それ故、それを奪った信長を憎み容赦しなかったわけですが、摂津と信長を追い出したのちの京を語る時、「また良き時代が戻る。」と言いました。

 

自分たちだけが良いと言う「良き時代」ですね。

これを見ると、何一つ比叡山をかばう理由など無くなり、焼き討ちに強い説得力が出てきました。

ところが、いざそれが始まって見ると、容赦なく女子供も犠牲になっています。

ここまでの説得力を持たせたのに、比叡山に残る者を傍から殺害したことに、再三の下山を促したのにと言う信長のセリフひとつでは、信長側をかばいきれるものではないなと感じました。これは作者も狙っていた事だと思いました。なぜなら、ここに比叡山に売られた子供のエピソードを持ってきたからです。

どんなに下山を促されていたとしても、売られてきていた女子供に自由はなかったのでした。

やはり後の非難は免れない状況を作ってしまったと思いました。女子供も含めて焼き討ちしたのも事実であり、その時女子供を逃がしたと言うのも事実らしいです。

それが戦。戦争なのだと思います。

いずれにしても、あの妹を助けようとした少年が殺されてしまった事はショックで、なかなか気持ちが切り替えることは出来ませんでした。

 

ところで、私は今やっぱりこの「麒麟がくる」がドラマの中で一番面白く、好きだと感じるのです。なぜなら、あのセリフの演技合戦が見事なんですものね。

覚恕の春風亭小朝さん、見事でしたね。魔物っぷりを見せつけて、今回のお話の芯を作り上げましたよね。その兄の帝の坂東玉三郎さんの上品さも素敵でした。

そして宿敵筒井順慶の祝いの席に、罠のように同席させられた松永久秀の怒りのシーンでは、吉田鋼太郎さんが、演出の方にちょっと抑えてと言われたくらいの熱の入りようだったようですね。あのシーン、実は私はワクワクしていました。どうしてかって言うと、そこには舞台でシュークスピアのお芝居をしている時の鋼太郎さんがいたからです。

引き留めようとする光秀の正攻法の演技に、そこにやってくるどこまで遊ぶのかという演技の(褒めてます。)鶴ちゃんがやって来て、これでただ松永が去って行く重要でありながら、下手をしたらさほどと思われて軽くスルーされてしまうかもしれないシーンが、面白くないわけがないと言うシーンに出来上がったからです。

朝倉のセリフも良かったですね。

・・・一向宗と戦って分かった事がある。経を唱えるものとは戦ってはならない。倒しても倒しても地から湧き上がってくるように終わりがない・・・

のような言葉だったと思いますが、「それって、ゾンビ?」ってなことを思ってしまった人は、私だけではないと思います。いや、けっしてふざけているわけではないのでお許しアレ。

「死」と言うものが、戦いの終わりにはならないと言うところに、やはり聖戦の怖さはあるのかも知れないなと、少々真面目な事も考えてはいました・・・・って、後からね。( ̄▽ ̄)

 

と言うわけで、次回も楽し・・・いや、まだありました。

「帰蝶に笑われる」と言う言葉に反応する信長は可愛らしかったですね。

結局、帰蝶が一番強いんじゃないと思ってしまったり(笑)

その後の「極主夫道」でも、結局一番強いのは帰蝶(じゃないけど)でしたものね。

あっ、そうそう。菊丸も出てきましたね。^^

 

と言うわけで、今度こそ、次回も楽しみです !!


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大平山の紅葉

2020-11-23 00:05:00 | お出掛け日記

11月13日の大平山は、元々そんなには紅葉になる木も少ないのでしょうか。山が燃える様なと言う言葉は当てはまらないような気がしました。ただ一か所、謙信平を除いては。

まあ取りあえずは、「大平山神社」の見晴らし台から見た下界の風景です^^

そして「大平山神社」の本殿です。栃木の神社は、一か所でいろいろな神様を祭るのが好きなのかしら。

そしてこの神社を後にした私たちは、また250段近くの階段を降りて、そこからまた移動して、謙信平に行きました。

謙信平と言うのは

「戦国時代の頃、関東平定を競い対立した越後の上杉謙信と、小田原の北条氏康は、当時の大中寺住職虎溪和尚(こけいおしょう)の斡旋により、永祿11年(1568)9月、大中寺において和議を結んだ。
そのあと、上杉謙信は太平山に登り、兵馬の訓練を行い太平山上から南の関東平野を見渡し、あまりの広さに目を見張ったという故事から謙信平の地名が生まれたいわれる。」だそうです。

燃える様な秋の色。

その秋色を堪能しました。

堪能したのは秋の風景だけではありませんでした。

大平山の三大名物は「卵焼き」「焼き鳥」「お団子」なんですって。

これ、二人で分けて頂いたのですが、けっこうお腹がいっぱいになりました。

そして帰り道、思わず美しい風景に立ち止まりました !!

その帰る道ですが、本当は山道を選ぶことが出来たらしいのです。だけど日が落ち始めた時間、森の中に入って行くのは、なんとなく避けてしまいました。そしてまた舗装された道路を歩いたのです。帰りはずっと下りです。近頃、膝の調子があまり良くない私には、ゼィゼィ言わないけれど、下りの方が実は厳しいものがあったのでした。

それまで痛くなかった方の膝が、その日から二日後に少々まずい状態に・・・・。

&継続中。(ノД`)・゜・。

 

「裏見の滝」の時は、凄く気を使って杖になる木などを探して事なきを得たのに、油断してしまいました。

折り畳みのトレッキングポールを、持って歩こうかなとふと思い、帰って来てからちょっと調べてみたんです。

だけどその時「折り畳み杖」と入れてしまった為、今、ネットを開くと、やたら流れてくるネットの広告は・・・・・・・「介護用品」!! なんです。(^_^;)

 

栃木駅に戻った私たちは、駅前の「武平作だんご」でお煎餅などのお土産を調達し、広くて凄いよと言う星子さんのお友達のお勧めだったファミレス「一兆」に行き、軽く休憩をして帰りました。

栃木市、また来るねぇ~。

次は「蔵の街」の方にも行ってみようと思います。

※ 早く早くコロナが終息しますように 人

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大平山あじさい坂からの1000段階段

2020-11-22 01:33:44 | お出掛け日記

栃木に行く前日に電車の時刻などを調べるついでに、もう一度「大平山神社」についてもちゃんと読んでおこうと思いました。そしてそこで初めて階段が1000段ある事を知りました。

「ひえ~!!」と、情けない事に思ってしまいました。なんたって、東照宮の奥宮の270段の階段で、少々の階段恐怖症になっているものですから。

だけど山を登っていくわけですから、そのぐらいは当たり前ですよね。

登り口左側には、趣深い六角堂と全く趣深くない看板があって、それを見ながら坂の登山開始です。

  

果てしなく続くように思われる階段です。

途中に銭洗い弁天の洞窟なんかもありました。

鬱蒼とした山の中・・・・・。

もしも一人で歩いていたら、ちょっと怖くなってしまったかも。

ところどころに、木に番号が付いていました。こういうのって、山の番地みたいなものなのかしら。

振り返ってみました。

長い坂道に見えるけれど、階段なんです。だけどこういう階段は、凄く上りやすくて、そんなには苦にはならなかったです。確かに「まだか~」「長いなぁ」と思ったりしましたが、また来てもイイナと思えるぐらいでした。なぜなら、この坂は名前の通り両脇にずっと紫陽花が植わっていて、きっと紫陽花の頃は凄く見事なのではないかと思われたからです。

 

途中に古い鳥居がありました。人物を切って画像が細いので分かり辛いのですが、崩れた山肌は、よく見ると元は道だったことが分かります。崩れてしまったが故に使われなくなった旧道だったのでしょうか。

そして、その古き鳥居と閉じられた道を守る狛犬たち。

 

なんか、ドラマチックじゃない?

『千と千尋の神隠し』の世界観だなって思いました。

 

階段の途中にある「手水」。

ある所まで登ると、そこからは石畳の階段ではなく、普通のコンクリートの階段になるのですが、はっきり言ってそこからは結構きつかったです。

あとちょっとで大平山神社の入口まで行けると言うところで、男の人とすれ違いました。

「そうとうきちゃってるね。」と心配そうに言われてしまいました。

と言うのも、「ゼィゼィフゥフゥ」と、時々記事にも書き込むけれど、私は本当にそういう状態になってしまうのですよね。でもそれは体重過多になった今からではなく、まだ7号サイズを着ていた昔から(いったいどのくらい大昔なの(/_;))、実はそんな感じ。

「きついわぁ~」と笑いながら言ったけれど、本当の事を言うと、上って来てしまったので、もう「さほど」みたいな気持ちになっていたのです。さほど大変ではなかったと言う意味です。

ところがそのおじ様が言うには、大平山神社まではもうすぐだけれど、その入り口からが大変で250段あるのだと。

思わず脳内に「絶望」と言う漢字二文字が浮かびそうになりましたが、それを打ち消しまて上って行きました。

 

神社入口に着き、狛犬を見ながら少々休憩し、そして最後の階段にチャレンジしました。

なにげに狛犬巡り・・・・。

最後に、そう言えば写真に残さなかったなと気が付いて撮った入口の画像です。

階段が途中までなのが残念です。

大平山のあじさい坂は懲りずにまた来ても良いかなと思えましたが、こちらの神社は、二回目はないと思いました。ラストの248段は本当にきつかったですから。

(実はラストのみ、ちゃんと数を数えたのです。ところがもう忘れてしまっていて、数字に自信がありません。)

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図らずも、「野州大塚」散歩 !!

2020-11-21 12:39:35 | お出掛け日記

なんでも「初めて」と言うものには、トキメクものがあると思いませんか。

例えばそれが、初めての路線の電車に乗るということにも・・・・。

それともやはり、その程度の事にはしないのでしょうか ?

私は「いつも」ではないのですが、ちょっとする方なんです。何しろ、幸せを感じる基準値が低いものですから

( *´艸`)

「東武宇都宮線」に初めて乗りました。

「新栃木」の次が「野州平川」、そして「野州大塚」になるわけですが、「野州」が二回並ぶと、気になるじゃないですか。

「野州」って、「栃木」の昔の言い方なのかしらと思い、そのぐらいはその場で検索してみました。

「下野(しもつけ)国の異称」と書いてありました。「下野国」と言うのは栃木の事。

思っていた通りだったのですが、帰ってから、なぜそのような異称があるのかと検索したら、それはさっぱり分からず、頭だけが痛くなりました。

あるサイト

『栃木県の意味です。 かつて栃木県は下野国 (しもつけのくに)、群馬県は上野国 (こうずけのくに)と呼ばれていました。 さらに上野国を上州、下野国を野州と異称したのです。』と簡潔にまとまっている所があって、もうそこまででいい事にしました。

だけど駅名に、その古い名前を残して付けるってなんか素敵に感じました。

訪ねた「大神神社」は栃木で一番古い神社ですし、土地の歴史を誉に思っているような感じがしました。

ただ今も、街全体が「古さ」を感じさせるものではなく、新興住宅地が多かったわけですが、それはつい最近まで空き地がたくさんあったということだと思います。

スーパー・ホームセンター・ファミレスがたくさん街に存在し、実家の横浜より選択肢がたくさんある我が街も、同じような歴史を辿っているので、そこはそう推理しても間違いはないのではないかしら。

 

その新興住宅地を通って、そしてなんだか普通の道路を通って「大神神社」に辿り着いたものですから、ちょっとつまらないなあと思っていたのです。

辿り着いてみると、入り口に駅方向の矢印があって、私たちが来た方向とは違うものでした。

「別の道があるんだね。帰りはそこを行ってみよう。」ということになったのですが・・・・。

 

狛犬のように鳥居の背後に立っていた大銀杏。

 

そして、帰る事にしました。(ここでのお話は→「「室の八嶋」に行ってきました。」)

さて、この「室の八嶋」に来たかったのは私なので、電車の時間などバッチリ調べてきたのです。1時間に2本。まるっと50分近く時間がありました。徒歩15分と言っても私たちの足では20分ぐらいはかかったかも。頭のどこかで、あの何もない無人駅で30分過ごすのかしらとチラリと思いました。

しかしそんな心配は無用だったのです。

 

ところで、あなた様は目の前に自信満々で行動する人がいて、もしかしたらそれは違うのではないかしらと思う時、「それ、ちゃうで !」ってそく言えるタイプですか ?

いや、何も関西弁で言わなくてもいいのですが、私はいつも気が弱いと言うわけでもないので、自分の基準が分かりませんが、時々ひどく遠慮がちになる時があります。

それで言いそびれてしまいました。

「星子さん ! 駅は反対方向だと思うよ。どんどん遠のいているよ。」と。

私と星子さんは、かなり似ている所があるので、・・・・あっ、いや、そそっかしい所ではなくて・・・・・、それは納得できる根拠を示さないとダメだと言う点で、トップ画像の撮っておいた地図を開いて、そう思う理由を言いました。

最初に帰り路は違う道を通ろうと思ったのが、これの原因なのですが、ちょっと遠回りして帰る事になりました。

 

「やっぱり最初に、田舎道じゃなくてツマラナイなって言ったから、願いが叶ったんだな。」と私。

 

「うーん、ここも田舎道とは言えないけれどね。」と星子さん。

― まあ確かに国道で、車がビュンビュンですからね。そこは見ない事にしよう。

微かに見える遠くの山々がイイよね。―

 

 

駅に着いて、3分したら電車が来ました。

この無人駅でボーっとしていたより、図らずも野州大塚駅周辺を堪能したからいいんじゃないかしら。

と、思ったのでしたが・・・・。

この時点で家から電車の乗り継ぎの分も含まれてですが、既に8000歩歩いてしまいました。

 

 

栃木駅に戻ってバスに乗り「国学院前」で降り、大平山に向かう私たち。降りる時に、運転手さんに

「大平山神社に向かうのは、この道を真っすぐに行けばいいのですか。」と聞くと

「そうだけど、かなりありますよ。ああ、大平山は初めてじゃない ?」

「いいえ、はじめてです。」

「ああ、けっこうあるよ~。大変ですよ~。頑張ってください。」と激励され、少々嫌な予感が・・・(^_^;)

 

階段が1000段と言うのは、前日にリサーチして知りました。でもここは、あの「裏見の滝」とちょっと同じで、バスから降りてその階段に行きつくのに舗装された上り坂を上って行くのです。

これが結構きつくて、思わず

「さっきさぁ、『野州大塚』を堪能できたわなんてポジティブな事言っていたけれど、こうなってくると、何で30分も余分に歩かせたのよ~ってなるな。」と言うと、

「そうなるよね~。」と二人はゼイゼイとその坂道を上っていったのでした。

 

でもご安心くださいね。こんな事で険悪な雰囲気にはならず、これを笑いながら言っています、私たち。

因みに私は「野州大塚」と言う駅には、二度と来ないのではないかと思います。ただこの先、私が「源氏物語」に嵌ってしまったら、また来るのではないでしょうか。

なんたって「紫式部のお墓」があるのですよ。

ちょっと気になるじゃありませんか ?

 

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「室の八嶋」に行ってきました。

2020-11-20 00:23:54 | お出掛け日記

かねてより「室の八嶋」に行ってみたいと思っていました。

何故かと言えば、それは「奥の細道」に出てくる場所だからです。そして計画ばかり立てていたそのお出掛けを、とうとう11月13日に実行しました。

なぜ頑張って実行したかと言えば、やっぱりそこは

「順・番」

と言うものは大事でしょうということからです。

そりゃ、チャンスがあったからずっとすっ飛ばして、かなり前に「山寺」には行ってしまいましたよ。

だけどそんなにあちらこちらを旅行など出来まいと思っているので、とりあえずの私のやってみたい事リストに入っているのは「『奥の細道』の入口付近をウロウロしたい。」と言うだいぶ地味なものなんですよ。山寺の後は、その計画通りの事をチマチマやっていました。「千住大橋」に行ったり「草加松原」を歩いたり、「粕壁」のまったく観光地ではないお寺を見に行ったり・・・・・。

だけど先日、やっぱりずっと行きたかった「裏見の滝」に行ってしまっては、やはりこの「室の八嶋」には行かねばならぬと言う気持ちにもなるってものでしょう。

「室の八嶋」は「大神神社」内にあります。

その「大神神社」は東武宇都宮線の「野州大塚駅」下車、徒歩15分の所にあるのです。

「野州大塚駅」は無人駅。

私の住んでいる所だって、裏に果樹園があるようなカントリーなのですが、やっぱり無人駅と言うものは程遠く、なんだか旅に来た感が徐々に湧き、気持ちが盛り上がってまいりました。

 

だけど途中は田舎道と言うわけでもなく、新興住宅街の中を歩き、さして面白いとは思われない道を歩き、だけど着きました !!!  ♡♡♡

来たかった場所に来たんだと思うと、なんだかチョー嬉しい私。

「流石、栃木ね。大谷石だわ。」と星子さんが言いました。

 

そうなんです。今回の相棒も星子さん。

私たちはこの後、栃木に戻り大平山に行ったのですが、そう言う場所に一緒に行けるお友達が、もう私には他には居ないような気がするのです。

家に居るお連れ合いに遠慮して、せいぜい出掛けるのはたまのランチだけの人もいるし、ババ活動をしているので子供たちの帰ってくる時間までが自由時間の人もいるし、たまになんだからそう言う部分をクリアできても、肝心の自分の体がハイキングには無理になっているとか・・・・。

世の中には体も丈夫でお金もあって、自由な行動に夫の理解がある人もたくさんいると思います。

だけど徐々に、そう言う人と巡り会っていくことが難しくなってきた年代なのかも知れません。

たった一人であっても、そう言うお友達がいる事は素晴らしい事なんだと私は思います。

それに「大平山」は「いいね」と言っていただけても、「その前に『室の八嶋』にも行きたいんだけれど。」と言って、「OK」と言っていただける人は、そうそうはいないような気がします。

「室の八嶋」の説明は、立て看板がいろいろあったので、それをアップして手抜きをしたいと思います(笑)

以下は、その風景の画像が続きます。

 

ひっそりとした雰囲気が、落ち着いて良かったです。ついつい

「私たちってさぁ、こういう誰もいない所を見つけていくのが得意じゃない ? 」とか言ってしまいましたが、ここに滞在中に、誰も来なかったと言うわけにはいきませんでした。3組ぐらいのグループが来たでしょうか。思わず私は自分の事を棚に上げて、もの好きだなぁなんて思ってしまった事は内緒です(^_^;)

その後は、ご神木を撮ったり、

狛犬を撮ったりして、そこを立ち去りました。

もちろん本殿も撮りました。本殿は確かにそうとう古い感じがしました。1800年も前の物かしら。

でもあまり上手く撮れていなくて、ちょっと載せるのは止めました。狛犬の背後にちょっとだけ写っているのがそれです。

 

そして私たちは栃木に戻るべく、駅に向かったのでした。

だけど私と星子さんの弥次喜多コンビ、何もないわけはなかったのでした。

えっ ?

その話聞きたいですか~?

コメント (2)
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