《風のように人生を通り過ぎていく、その3》
《その2》の続きです。
25日の朝、近所で暮らす独居老人であるスーパーばあちゃんの姑が、横浜に用があって本来なら数人で行くはずがいろいろあって一人で行くので、その帰りに私の実家に寄りたいと電話が掛かってきました。
我が夫殿は、生活全般が「無理をしないように」で成り立ってることが多いので、その電話にも同じ様なことを言っていました。姑はスーパーばあちゃんであっても、88歳なのです。横浜のみなとみらいで用を済まし、その後にうちに来るのでは大変だと思いました。だから私も夫から受け取った受話器に向かって同じ「無理をしないで」と言いました。だけど別のことも言いました。
―父は、いつもお義母さんの若くて元気な声に励まされていましたよ。お話はもう出来なくても耳元で声をかけてくだされば喜ぶと思います。だけど暑いし最近も忙しかったのでしょう。無理はしなくて良いんですよ。無理をされたら困ります。
―本当のことを言うと、そうなのよ。ここの所毎日出かけなきゃならない事が重なって、それで今日もみんなと同じ日に行けなくて一人で行くことになってしまったの。でもだから自由に動けるなって思ったのだけど、確かにちょっと疲れているので『みなとみらい』で自分の体に聞いてみるね。もしかしたらそこから申し訳ないと電話して失礼するかも。
―もう、それで十分ですよ。
その気持が嬉しいのです。実は私の心の中には鉛筆の先でちょっと印をつけたくらいのわだかまりがあったのです。なぜこの人は私の父に会いに行くと言ってくれないのだろうとちょっと思っていました。私の両親は舅が同じように肺がんで入院した時に病院に見舞いに行ったじゃないかと。もちろんお見舞いは直ぐに頂きましたし、舅が亡くなったのはかなりの昔で年齢も違います。それでも私はほんのちょっとだけ気になっていたのです。
しかし姑も同じ様に凄く気にしていたのですね。
疲れていたかもしれないのに、やっぱり義母はみなとみらいから私の実家に行ったのでした。
そしてその報告の電話がすぐに入りました。
私はその時には東京経由横浜に向かっていたので、後から夫にその時の話を聞きました。
母が、本当に疲れているように見えたと義母は言いました。
そうだと思います。母は自分はすごくしっかりして全く問題がないような顔を常にしているけれど、言ってることがズレていて姉をイライラさせることが多かったのです。まあまあとなだめながら、いつも肝心なときにどっかに行ってしまってる母に、私も口調が厳しかったような気がしました。だけど義母が言った言葉を聞いた時に、ちょっと反省をしたのです。
義母は言いました。
―苦しんでいる人をほぼ1年傍らで見続ける苦しみは経験のある者同士だから、私には分かる。
やはりどんなに家族を思う気持ちは同じでも妻と娘では全く違うのではないでしょうか。
「苦しんでいる人を傍らで見続ける苦しみ」―
そんな事を私は思い気遣ってきただろうか・・・・・
―おとうさんはきっと治るんだ。私が治してみせる。
母は最初、きっとそう思っていたのではないでしょうか。
―おとうさんはもうだめかもしれない。でもきっと5年は生きる。 私が生きさせてみせる。
父が死を覚悟してそれに向かって生きだした頃、母のこの考えはどれだけ父を苦しめたことか。双方で想いあっているというのにチグハグな時間があって・・・
―おとうさんはもう年内には・・・。きっと予想では10月。
5月23日を乗り越えることが出来るかなと私達がドキドキしていた頃、母はそんな風に考えていたように思います。姉が現実が見えていない母に確認しようとすると「全て分かっている。」と応える母。
母は母が言うとおり全て分かっていたと思います。ただ、時計だけが私達とは同じ様に時を刻んではいなかっただけなのだと。
父は20歳の時トランクひとつで横浜にやってきて、母の母、つまり私の祖母がやっていた下宿屋の住人になりました。その時母は16歳。
私はこの馴れ初めがとってもロマンチックに感じて好きなのです。母は下宿屋の娘で父は山梨からやって来たちょいキザな人。
先日、父に
「おとうさんが来た時お母さんはもう働いていたの?」と聞くと
「うん。よく仕事の休みの時は送っていったな。その時は家にだって電話がないだろ。迎えに行くと勝手に帰っちゃって入れ違いになってしまって、そんなことばっかししていたんだ。」
そんな話にキラキラした過去の扉が開きます。
若い時には「パパちゃん、ママちゃん」と呼び合っていた二人。
それなのによその女性にも親切だったパパちゃん。だけど母は言ったなあ。
「私はこの人で良かったわ。だっていろいろあったから人生が楽しかったもの。」って。
最近の父は
「僕はこのおばちゃんにとってもとっても心の底から感謝してるんだよ。」
おばちゃんって母のこと。
父と母は20と16で出会い24と20で結婚してそして今まで共に生きて来ました。
64年間―
心の中の父は健在でも、共に暮らす場所は川を隔ててしまいました。
唐突ですが、近頃私がハマっている事は、詩を作るのではなく作詞作曲です。少し前のまだ少し元気な父に聞いてもらった最後の歌は、父の母への気持ちを歌にしたものでした。
―夢幻の過ぎた日々
君と出会えて良かったな 君を愛して良かったな
共に暮らした長い日々
いつかは別れがやって来る ハミング
ありがとう
ありがとう ―
※コメント、ありがとう。全部書き終えたらお返事を書かせて頂きますm(_ _)m