森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

8月30日 選挙&映画

2009-08-31 02:04:05 | 梢は歌う(日記)
いつものように夕食後の転寝から目覚めたと言うのに、眠いまま。疲れているといえばそうなのですが、無意識が私が起きることを拒んでいる様な気がします。

用のないくだらないおしゃべりの長電話は大好きでも、連絡や用のある大事な電話は苦手です。こんな風にブログに記事を打ち込むことは大好きでも、「遣らねばならぬ」事でパソコンに向うのは、憂鬱です。
と言うわけで、体が拒否しているのですよ、起きることを。

それと眠りのリズムがあっていないのに起きたからだと思います。転寝の間中夢を見ていました。テレビの選挙速報を聞こえていたのですね。
―ある男が、奥の部屋の白い部屋のソファに座っている男に
「議席をたくさん失ってしまいました。私も含めて・・・」とうな垂れて言うのです。ソファの男は優しく男の手を取って
「いいよいいよ。分かっているよ。」と言うのです。
ホッとして部屋を去ろうとする男の後ろから、ソファの男は声にならない声で言います。
「絶交だから。」―

まったく~。
すぐに影響されちゃうのよね。昨日見た映画に。


そう、昨日は「選挙」「映画」「買い物」「大河」「イモト」「選挙速報」「ほんの少しの家事(夕食の支度とか)」「自治会の遣らなくてはいけないお仕事をほんの僅か」と言う一日でした。

「選挙」
家族四人で行きました。いつもなら子供には「自由にしていいんだよモード」が漂っていた私達ですが、近頃私は考えが変わりました。先に生きるものとして向き合って来なければならないことを、「自由」とか「もう大人」と言う言葉で放棄してきた様に思います。こんな事を長々書いていると、また眠くなりますからもう止めますが、映画に行く途中で立ち寄りました。結構混んでいました。
初めて出口調査と言うものを経験しました。

「20世紀少年最終章ぼくらの旗」を見てきました。
でもまだ何にも感想は書いていません。どんな風に書こうか迷ってしまっているのと、それを書いている場合ではないのよね(自治会の仕事をヤレ~!!と、心の声が・・)。
だから一言。3時間があっと言う間でした。エンドロールの所は、私も「点」で出ているので二倍楽しかったです。ラッタ君は一瞬だけど自分が分かったって言っていました。何の話かって言うと、2008年の9月21日の記事を読んでくださいませ。
ラスト10分。私は吃驚したよ~。
でも驚く人は原作読んでいる人だけかも・・・。アッ、そうじゃないかも。私は筋以外のところでも驚いたし、どちらかと言うとそっちの方が驚きだったかな。
原作を読んでいても、何処が違うのか分からない人も身近にいたし・・・
私は映画の終わらせ方の方が、ちょっと好きかも。で、泣き虫だからちょっと泣けました。

一言と言いながら結構書いてしまいましたね。

「天地人」
秀吉臨終シーンで泣けたのは初めてです。良かったですね~!!
三成が秀吉と出合ったときの時の「三杯のお茶」のエピソードだったのですよね。最初、私は気がつかず三杯目の秀吉のお茶の飲み方を見ていて、「ああ、そうだったんだ。」と分かったのです。笹野さん、3杯とも飲み方が違っていましたね。臨終シーン、見事でした。小栗三成がまた健気で切なかったです。


と言うわけで、やっぱり目も覚めないのでやっぱりほんの少しだけ働いたら寝る事にしましょう。
今気が付きましたが、今日は8月最後の日ではありませんか。もっと〆になるような記事を書きたいと思っていましたが、それどころじゃないみたい・・・
ああ、子供の頃の新学期前夜を思い出します。特に中学、高校のころ。
―こんなに宿題が残っていて、どうするんだ、アタシ!?
大丈夫サ、提出日までに何とかするのさ。宿題なんて新学期が始まってからが勝負なのさ。と、内心焦りまくっていた私。
ああ、三つ子の魂百までって本当ですね。
コメント (6)
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キャラメルボックス「 さよならノーチラス号 」

2009-08-30 00:51:46 | 観劇・コンサート日記
テレビでで「さよならノーチラス号」を観ました。
演劇集団キャラメルボックスの1998年の公演です。

出演
西川浩幸 上川隆也 坂口理恵

なんて言うか、懐かしい気持ちになりました。別に今から11年前が懐かしいと言うわけではなく(それも懐かしいか、ヤッパ)、この物語全体が、読書感想文の為に図書館から借りてきた児童文学のような香がしたのです。
それも私が子供だった頃読んだ本ではなくて、子供達が小学生だった頃に読んだ児童文学のそれです。

本当は何も変わらず受け止める心が変わってしまっただけなのかもしれません。私の子供の頃の本にも、戦争や孤児や失業と言う背景はあったと思うのですが、ファンタジー、冒険、友人との別れのドラマと子供の目で捉えると、現実の辛い部分は薄まって感じていたのでした。
でも子供たちの為に、彼らが読んでいる本を読むと、離婚、いじめ、単身赴任中の父の浮気、ネグレクトと信じられない背景が並んでいるのです。世相の反映でしょうか。でもそうした背景があっても、子供達は夢や空想の旅の船を出すのですね。

主人公の少年の背景にあるものもそれと同じでした。父の事業の失敗、夜逃げ、家族と離れて暮らす小学生の少年。

自由になりたい。
本当の自由を教えてくれたのは、18年前の夏の思い出。


今となってはもう遅い事ですが、この作品を見ていて、私が子育てで遣り残した事の一つに気がついてしまいました。私は自分の子供たちに、良質の「舞台」を見せるチャンスを与えると言う発想がありませんでした。
横浜と違って、ちょっと不便だったと言う事実も確かにあるとは思うのですが、意識があればそういうものに触れさせるチャンスを得る事は出来たはずなんですよね。高校の時に観劇の授業があったので、良かったとは思っているのですが。もちろん生きて行く上での必要な経験ではないかもしれません。
でもいろいろな経験を出来る範囲でさせると言う視点で思うと、うっかりしたなと思ったのでした。

なぜそんなことを思ったのかと言えば、この作品が年齢を選ばない作品だったからです。大人から見たらキューンと懐かしく、子供が見たら冒険少年になった気分になれると思います。

今年は11年ぶりにこの作品の再演があるそうです。
キャラメルボックスのHPは
http://www.caramelbox.com/
です。こちらでチェックしてみてください。

内容の感想ですが、話す犬サブリナの上品な話し方に魅力がありました。今回も同じキャストで坂口さんだと思います。もちろん主役の少年タケシの西川さんも良かったです。そして、上川隆也さんのネモト、ワイルドな感じが良かったですね。

ちょっと驚いたのがダンスです。ダラダラ調べていたら動画がありました。こんなに踊れる人だったのですね。違った意味で感動しました。






キャラメルボックス さよならノーチラス号 DANCE



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目も当てられない

2009-08-29 02:17:08 | 梢は歌う(日記)
背中は相変わらず痛いのです。昼間は治っていたので油断しました。夜折りたたみのテーブルを持ち上げた途端、息も出来なくなってしまいました。あまりに長い間それが続いたので、傍からもおかしいと気がついて、パパさんが飛んできてくれました。
「お前、体が冷たすぎるぞ。」とパパさんは言いました。

昨日、痛いと言ったら「攣ったんだ。」と彼は言ったのですが、そんなところが攣るわけないと思っていました。でも体が冷たいと言われて、やっぱり攣ったのではないかと思いました。昨日から何度も。

明け方足が攣る事がありますが、あれも激痛ですね。冷える事が良くないそうですよ。
そんな訳でこれからはしばらくは、蜂蜜入りホットティーでも飲んで体の中から暖めるようにしましょう。


だけど、ああ本当に痛い。

家にいても友のいろいろな情報が入ってきます。

私と同じに曇天の空の下に立っている母たちは、この時代なんと多い事か。
でも頑張って息をしていかなければならないのです。
痛みなんかに負けるわけにはいかないのだよ。

何の偶然か、私の友人の子供達は皆就職していますが、一様に自宅待機がひとりずついるのですよ。
どうなっているんだよ、世の中。

そんな風に呟きたくもなるでしょ。


選挙に勝たれた方々は、すべての私欲を棄てて、沈みかかった日本と言う船をしっかり修理して次の時代まで力強く漕いで行って欲しいよね。意地の政策とか権力闘争より歴史に名を残す欲を持って欲しいな。

今は特に気を付けなければならない内容なので、うわっ面しかか書けないけれど、今度の選挙でどうにかならないかと期待している人も多いのは事実ですね。



私のお仕事ネタ。辻褄が合わないので、半年ぐらいは何も書かずに、ゆっくりその経過を書きたいなと思っていたのですが、辻褄が合わなくても、やっぱり書きたくなってしまった今日の出来事。


私がこんな事では日本は沈むと思っていることの一つに、「教育」の問題があります。私のような経験しかないものでも、あれやこれやと思うこと多数なのですから、学校と言う現場で「真面目に」に教育を考えている先生などは憂えること多数だと思います・・たぶんね。

ふと気がついたら、またも深夜。だからもう真面目なお話はしません。

我が家にやってくる中学生男子の一人は、来る日が覚えられません。
夏休みなので変則スケジュールも多かったのは確かです。しかもそのつど次回の確認をするので間違う子供なんか他にはいません。またその子だけがメモを取るのです。それでも間違えて、休みの時にも現れると言う憂鬱なお子さんなのです。
先日も曜日変更がありました。帰る時にその子だけを呼び止めて、
「次に来るのはいつ?」と聞くと、当然のように「火曜日ですよ。」と偉そうに言いました。
でも月曜日、私は受話器を取って、その子に確認の電話をしようとして止めました。他に間違える子はいないんだから、その子のことも信じよう(一応)と思い止めたのです。でもやっぱり来たのです。

来たんだよ~    ザワザワ←久し振りに使う効果音。

もう驚きゃしませんよ。

でもこれ幸いにミニ面談をしました。

「もっと生活全般に緊張感を持ちましょうね。勉強と生活は別のお皿の上に乗っているわけじゃないよ。」と、つべこべ言うと
「わかりました。」と子供は言いました。

「わかりました。」と言ったのです。「分かる」と言うのは、その話さっさと終わらせろよと言う意味じゃないのよね。
先々のメモも書いてあげました。
「迷ったらこれを見るのよ。良ーい?」

「ハイ、分かりました。」とまた少年は言いました。

でも今日時間を間違えて来ました。

「メモはどうしたの。」
「メモがあったことも忘れました。」
「・・・」
ああ、日本は沈没すると思った瞬間でした。

こうなったら臨機応変多用対応サービスを止めて、親に管理してもらう過保護作戦しかないかもと私が嘆いていたら、それを聞いていたラッタ君の一言。

「メモ当てられん。」








コメント (4)
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イタタ・・

2009-08-28 00:35:23 | 梢は歌う(日記)

昨日、「頑張ります!!」と言ったとおり、頑張ったのですよ。お片づけ&お掃除に、立ったり座ったり立ったり座ったり・・・

その日の夜、背中から脇の所が急にズキズキと・・・

イタタタ・・・

これって筋肉痛?
でもそんな感じではないんです。

結構今日は、時々息も出来なくなるくらいの激痛でした。あまり使っていない所を使ったから?

寝ていて寝返り打つのも痛くて、例の如く悪夢を見てしまいました。でも素敵な悪夢ではなくてずばり病気の夢。寒気が収まらなくて、インフルエンザに罹って薬を貰っている夢でした。絶対に正夢になりませんように・・・・

そう言えば、先日、スズメバチに襲われて刺されると言う夢を見たのですが、夢なのに痛かったの。どういうことかしら。足の爪でもあたっていたのでしょうか。

でもちょっと頑張ったら、体に出てしまうのって悔しいです。ノッテきたので続けて頑張りたかったですが、考えてみたら腰痛持ちで目まい持ち、肩こり凄くて胃も弱いと言う持病もちなので、体の事を計算に入れながら遣らなくてはだめなんですよね。

午後から普通の家事をやって、後はテレビ付けでした。だって痛いからソファでゴロゴロ。

ちょっと気になったこと。
昨日の「相棒」の再放送は「赤いリボンと刑事」だったのですが、ブログペットのアクセス解析なんかを覗いてしまうと、始まる前にチェック入れている人も多いのですね。私もどんなお話だったか忘れてしまったので、自分のブログを読んでみたのですが、ドラマ記事はネタバレ全開で書いているので、始まる前にチェック入れた人は、それでもいいのかなあと思ってしまいました。(ささやかな事で、すみません)

もちろん「宮廷女官チャングム」も見ました。次回は大変な事が起こりそう。見逃せません。

でもその前に実はもう一つ嵌っているドラマがあるんです。
WOWOWで遣っている「クリミナル・マインドFBI行動分析課」なんです。なんか私好みらしいでしょ。昨日のは「ダーク・ヒーロー」。パンチはなかったけれど、誰でも殺人鬼になる可能性があるかと思うとちょっと怖かったです。

で、それがチャングムの前で、その後「ポアロ」をミステリーチャンネルで見てしまいました。

流石に夜はニュースと「任侠ヘルパー」しか見ていませんが(「しか」ってねえ)、本当に一日テレビ付けでした(汗)
(ミニ感想です。
母の為の子供の張り紙にちょっと涙です。竜雷太さんのやくざの組長と病気の後遺症で言葉の出ない方の同室のシーンで、ふとジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの「最高の人生の見つけ方」を思い出してしまいました。だから二人はお互いに大事な人になる予想はしていました。
家族の「父も喜んでいると思います。」と言う言葉に
「あんたがそう思いたいだけなんじゃないのか。」と言うセリフはハッとするものがありました。「棄てられる」と言う言葉がキィワードでしたね。)

今日の事はだんなには黙っておこう。

でも、普通の家事は全部遣りましたよ、ヨロヨロと。しかも夕方に帰ってきた子供の服なんかも洗ってしまったので、いつもより家事には力が入っていたんです。後ろめたかったからかも。

食事時間も早かったし、夜家事もさっさと終わりました。だから「任侠ヘルパー」を結構じっくり見てしまいました。

ブログに書くと、「オイオイ」と言う感じがするけれど・・・
だけどこんな生活良いなあ。
毎日したいです。

アッ、痛いのはもちろんナシという事で。

 


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励み♪

2009-08-26 10:24:10 | 梢は歌う(日記)
 この夏、実は私は掃除以外も頑張ってしまって、それは遊び以外にもということなんですが、毎日毎日人が家に来るような状態を作ってしまったのです。なぜかは秘して書けないところなんですが、なんとなくポロポロとこぼれているかも知れませんね。まあ補助と言う形でチマチマお仕事をしています。

「チマチマ」と言いながら「頑張った」と言い、矛盾していますが、ある意味、楽でもありストレスでもあり・・・とこれ以上わけの分からない事を呟いても意味がないので止めておきますが、心の中では分かる人にはきっと分かるに違いないとちょっと思っていたりもするのです。

でも今日は・・ああ、やっと本題です。
そう、今日は誰も来ません。
ああ、清々する。

たまっていた「遣らなくちゃいけない事」、頑張って片付けよう!!
の、予定。

・・・オイオイ、なんで不安になる一言を書いちゃうかね。

だって一日って早くて思っていたことの半分も出来ないし、なんだか「やらなくちゃいけない事。」と思うと一気にテンション下がって、自分が如何に疲れていたのかを思い出し、そのやらなくちゃいけない事のトップ項目は、休息なんじゃないかなとか思えてくるのですよね。

今、ブログ書いていることからして怪しいし。
まあ、ちょっと休憩ですよ。大丈夫、洗濯機と食洗器が代わりに働いていますから。

だけど私午後から結構テレビタイムです。
「相棒」の再放送もやっていますね♪
でも今嵌ってしまっているのが、「宮廷女官チャングムの誓い」です。
これ、面白いですねえ。HNKで遣っている時は見ていなかったのですが、一度見出すと止められません。

でもうちのだんなは、韓国ドラマは内容なんかは問題ではなく一様に拒否反応。だから私のうちでは夜とか土日に韓国ドラマを見にくいのですよね。先日のだんなのお盆休暇の時には、その時間帯だけうっとおしかったわ。

今月二回、お久し振りの友達にあったのですが、二人とも夕方からは「チャングム」を見るので、ひとりは仕事の後のお茶も断って帰って来ると言い、ひとりはその時間以外にしか買い物にいけないと言っていました。しかもその話、私から振ったんじゃないのよ。

再放送なのに凄いですね。

私はすぐに影響を受けてしまう人なので、今、密かなブームは夕食を作るときにチャングムになった気分で作ること。大皿にきれいに盛ってバンバンバンって出すわけ。まあごっこ遊びなんだけど、
「作りたくナーイ、作りたくナーイ」って呪文唱えながら作るよりは楽しいですよね。
でも昨日は疲れちゃって、お皿が二つ。量が足りなかったみたいなんです。

だから私言いました。
「三品目は生卵でございます。」
もちろん文句はなし。大好きなんですよ。玉子掛けご飯。

だいたいうちの子たちって、本当は納豆と玉子賭けご飯と味噌汁だけでいいんじゃないかなと思うのですよね。でも本当にそれだけ出す勇気は私にはないのよね。

今日は買いだしに行かなくちゃ。
でも、もちろん「チャングム」が終わったらですよ。
それを励みに頑張りましょう♪


☆ でも一言だけ。(一言ではないけれど・・)
昨日の朝の地震警報、緊張しましたね。
ドアを開けて、子供に声をかけて窓も開けさせました。(マンションなので、とにかく出口確保かなと思いました。)それでも地震が来なかったので、疑って寝ている子供の方には声も掛けなかったのですよね。
もし本当にちょっと遅れて揺れが来ていたらと思うと、私はとんでもない判断ミスをしたのかもと反省しました。
思いがけずの予備訓練になったかもしれませんね。電車等が止まってしまったことを思うと、あまりお気楽で無責任な事は言えませんが。

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漣を抱くセシル

2009-08-26 01:13:32 | 観劇・コンサート日記

 高田馬場は学生時代もあまり行ったことのない街でした。
早稲田の街。そしてラーメン屋さんの街。
そう言えば大学時代の友人が就職せずに、叔父さんのお店を継いだと風の噂で聞いたのでしたが、今でもその店はあるのかしら。なんと言う名前のお店だったのか、しっかり聞いて置けば良かったな。あら、お話が横道に逸れてしまったわね。

 でも本当にラーメン屋さんが多いのです。行列のできている店もあり、レトロな魅せられる建物のつけ麺屋さんもあります。だけどラーメンって、人気があっても食べてみると自分には合わなかったり、評判が良くても「なんでかしら」と首を傾げたくなるものもあったりしませんか?
好みによって評価が変わる食べ物だと思います。なんだかお芝居と同じようですね。

そしてどうして高田馬場の話をしているかというと、「劇団金子」の二回公演がそこの「アートボックスホール」であったからです。

今回の「漣を抱くセシル」は、喩えて言えば、裏道の「大丈夫かしら、ここ」と不安に思いながら入ってみた小さなお店で食べてみたラーメンが、「な、何これ!超美味しいじゃん。」と感動する味だった、と言う感じのお芝居でした。

 来年の夏、第三回公演があるとすれば、まさかこれを遣るわけには行かないと思うのですが、粘り頑張り粘り頑張り(ミスって二回打ったのではありません。そのくらい粘れと言う気持ちで書いたのです。)、この先何回か続ける事が出来たなら、再演したら良いと思いました。

凄い褒めようだけど、そのくらい面白かったのですよ。
お話はサスペンスです。

10年前に誘拐された冬樹は、仲間割れによって犯人の女が首を絞められている悪夢にうなされながら生きてきました。それを支えてきたのは同じ時に誘拐された那美。だけどある日二人のもとにその悪夢の女と同じ顔をした女性が現れて・・・
その女性は誰なのか・・
悪夢の意味はなんだったのか・・
なかなかよく出来た物語だったのです。

もちろんパーフェクトじゃありません。

なるほどなあと、私、勉強しちゃいました。
でも、私の未来は結構閉ざされているから、私が学んだ所で仕方がないかも。

それは小説と脚本の決定的な違い。セリフの繰り返しはあったほうが良い場合があるというもの。

小説を読んでいて、
「ちょっと待てよ・・」と、ふと思い表紙の裏側の人物紹介をしみじみと読んでみたくなるタイミング、または
「ちょっと待てよ・・」と30ページ前のエピソードをまた繰り返し読んで確認したくなるタイミングの時、お芝居には繰り返しのセリフが欲しい・・・・かも。

登場人物の年齢設定など、ヒントになる言葉は合ったけれどその言葉が速過ぎて掴みきれなかったです。10年前は何歳で、だから今は何歳で、10年前はほとんど大人と子供でも、今は恋愛年齢の範疇にある二人なのか、イマイチ不明でした。

だから勝手に推理してしまったかもしれません。人物設定が変わってしまったかもしれません。一緒に行った妹が
「まっ、いいか。」と言っていましたが(基本的には同じ人種。)、 私のこだわる所です。彼らの年齢設定は、ちょっと私にとってはポイントです。場合によっては10評価が6になるくらい・・・。

なぜなら冬樹と言う青年のキャラは、とっても魅力がありました。帰りに入ったお店で、私はその事を姉や妹に
「人間顕微鏡、人間望遠鏡と言われるほど何でも見えちゃう不思議な力を持っていて、まともに起きていられなくて、トラウマを抱えていて、那美に依存しながら実は守っている男。なんかいいなあ。」と言いましたら、彼女たちは
「そうやって聞いていると、まるで少女マンガの主人公じゃん。」。
なるほどね~。

―と、ここまでながなが書くと、いったい誰がこの記事を読むのだろうとまたもちょっとジレンマ。まあ、いいか。自己満足&姉くらいは読むだろうと言う事で、最後まで書いちゃおう。―

 このお芝居、冬樹の悪夢で始まるつかみ3分がバッチリでしたね。舞台も綺麗だったし。

そしてラストも。
冬樹と那美の別れのシーンは、漆黒の闇、目覚めて見た那美のラストドリームは、煌くような光の中。その対比が切なく甘く悲しかったですね。

ただ、なぜ冬樹とセシルが同じ力を持っていたかも、本当の事を言うと説明不足。あれは「冬樹が見ている」と言う言葉が伝えたセシルからのギフト?
見えなくなってしまった冬樹が
「役目を終えた。」と言っていたから、その解釈でいいのかなと思っているのだけれど、他に説明がなかったような・・・?
後、黒木の憎しみがもう少し伝わってくる一言が欲しかったです。
黒木の4歳の可愛い病気の子供はどうしたんだろうと気になってしまいました。

舞台の一言って、結構重いですよね。
私は那美とセシルの抱き合うシーンに、ちょっと涙がジワッときてしまったのですが、一番ウウウッと来たのは、那美の
「おとうさん!!!」でしたね。

自分たちの命綱であるはずの身代金がみんな偽物だった時の、那美の叫び。その孤独に出口なし。そんな一言でした。

それに役者さんたち良かったです。確かに、熟していないプラム 、そんなイメージがちょっとします。でも今から熟れていてどうするんだって。

そう言えば私、藤原君にも同じ熟していない果実のイメージがあるなぁ・・・

 と、話題が外れてしまった所で今日は終わらせましょう。
まだ話し足りないので、違う記事にてまた追加していると思います。gooにはタグがないので関連記事は、そのうちリンクさせておこうと思っています。

 

 

 

 


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NO!

2009-08-24 02:42:13 | 梢は歌う(日記)
さきほど目覚めて、またも深夜。シャワーを浴びたので髪が乾くまでの間に、なんとなくおしゃべりを。

半端な時間に転寝するのはいつもの事だけれど、別にそんなに疲れていたわけではないの。なんかテンション下がっちゃって。
だんなが、
「24時間テレビが始まると、今年も夏休みが終わる様な気がするね。今年はもう一つ大きなイベントがあるし。」
大きなイベント、それは選挙の事です。
行きましょうね、みなさん。

でもアタシ、そこで一言、不用意に
「でもアタシ、その日はちょっと出掛けるかもしれないのよね~。」

あ~あ。言ったタイミングが悪かったのよね。昨日も出掛けていて、迎えに来てくれた車の中での会話だったわけなんです。

NOと言われました。NOと。
「ふーん、分かったよ。」しか聞いたことのないその口から。

もちろん、本当に「NO!!」って言ったわけじゃないですよ。もっとガミガミ・・・。

確かに先週は本当にフラフラしていたし、家でもいろいろイベントがあって大変だったのです。でも出かけたと言っても彼が帰って来る時間には家にいたわけだし、ガミガミ言われる筋合いはないんじゃないのと、いつもなら三倍返しで言い返してしまうところだけど、黙っていました。
なんでだか分かっていたから。
おとといの朝、私がこれもまた不用意に
「なんだか最近凄いだるいのは、更年期のせいじゃなくて、ずっと下痢してるからだと思うわ。」って言ったからなんだと思うのです。

あの、いきなり・・の会話ですみません。
そういうのって一種の夏ばてみたいなものでしょう。ぜんぜん私は気にしてなくて、
「でも下北沢に行ったときは心配だから薬を飲んで行ったのに治らなかったのよね。」と世間話的におしゃべりしていたら、神妙な顔をして言ったんです。
「それ良くないね。」

それで昨日も彼は
「それチケット買ってしまったから仕方がないんでしょ。」とか「行くって言って失敗したね。」とか、さりげなく言っていたのですが、行く気満々で張り切っていた私の耳には留まっていなかったんですね。失敗したなんてぜんぜん思っていないし。

で、安易に「30日も」って言ったから、ムカッと来たに違いない・・・

そういう時は「ハイ、分かりました。」と、すぐに引く。
先々のことがあるでしょう。

でも友人が日光に連れて行ってくれるようなことを言っていたんですよね。日光と聞いて、ちょっと旅心が動いていたのも確かなの。断らなくちゃナと思ったらテンション下がってしまって、・・・

こんな風に書くとフテネみたい。でも不貞寝ではないですよ。(ふてねって不貞寝と書くんですね)だって、だんなの言っている事は正しいと思うのですよ。だから明日断わろうと思うのですが、断るのって嫌じゃないですか?
でも本決まりではなかったから友人の方にも変更があることを祈って、朝電話しましょう。


だけど家で寝てろと言うわけじゃないんですよ。なんたってベランダのお掃除が大変だったので、家の中のお仕事も大変になってきてしまいました。あれやこれやと遣る事がいっぱいです。(だからこれ以上に疲れることをするなって彼は言ったわけなのよ)休みの日には二人で犬小屋周辺をゴシゴシと洗い、網戸のお掃除や窓拭きや、・・・えーとまだ終わりません。
「ねえ、こんなに夫婦で協力し合ったの久し振りだね。」
「ケーキ入刀以来か~?」なんて馬鹿なことを言っています。

うちら夫婦、今日は仲良しです。
明日はどうかは分かりません。明日は明日の風が吹く、それが夫婦と言うものさ。



昨日出掛けたのは、「劇団金子」の「漣を抱くセシル」を観に行ったのですよ。もう終わってしまった公演なので、感想はゆっくり書くことにします。
二日で終わってしまったのが勿体無いような出来でした。

夜、WOWOWで「ナルニア」をやっていたのですが。その続編を私は楽しみに待っていたと言うのに、今作っていないのですってね。これも勿体無い。凄く面白いのにな。あの魔法使いのお話より、本当は好きだな、私。


あとほぼ一週間で8月も終わりですね。
この一週間は家にいてやるべきことを遣り、早く寝ることに勤めましょう。
って、こんな時間に言っても説得力がないよね(汗)




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ワンダーガーデン

2009-08-22 02:29:10 | 観劇・コンサート日記

 

 以前から、大好きな「百鬼夜行抄」の単行本の帯に載っていた「花組芝居」は気にはなっていました。

八月の大半は掃除ばかり。たまに真面目にそういうことばかりを一人で遣っていると、その反動が遣ってくる私です。

―そう言えば、あそこは今何をやっているの?

行ったこともないのに、そこのHPはしっかりPCのお気に入りに入ってはいるのです。そういう準備には怠りないのよね。

何かいろいろ反省しちゃうな。
・・・・・

それはともかくとして、開いてみたら、20日の追加公演のお知らせが目に飛び込んできました。はっきり言って20日の午後だけが予定がないのです。「おいでおいで」と言われたような気がしてしまいました。

少々夏バテ気味、体力的に大丈夫かしらとは思いつつ即申し込んでしまいました。

下北沢も初めてで、「花組芝居」も初めてで・・・・・
なんだか冒険少女(気持ちは!)にでもなった 気分でした。

シアター711は80席ぐらいの小劇場です。三歩歩いたらもう舞台、そんなところで鑑賞いたしました。小さな舞台に私は驚きませんし、別に新鮮とも思いません。「架空畳」や「劇団金子」で見慣れています。でも歴史が違います。なにせ同期4人の20周年記念企画なのですから。

1時間40分の作品です。あっと言う間に終わってしまいました。ネタバレ厳禁ということなので、別に語ってもいいなと思う部分もありますが、危ういのでないようには触れずにおきますね。

なかなか良かったですよ。ラストにちょっとジーンと来ました。

ただ、私・・・・
と、この続きは別の記事に書きます。このお芝居の批判ではありません。

ちょっとオマケで嬉しかった事は、「相棒」のヒロコママが観に来たこと。 

「キャ~、ヒロコママ~!!」と手ぐらい振りたかったけれど、実は私、外面は固い人で、クールな顔をしてるわけ。だってプライベートだしねぇ。でもたぶん口元緩んでいたような・・・。

植木潤さん、「ANJIN」にも出るのだそうです。皆さん良かったのですが、この方の夫役にはかなり魅力を感じたので、「ANJIN」でも彼を見るのが楽しみになってきました。

プログラムを買うと、生写真が付いてきます。
後で画像を追加したいと思います。


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「ゴーギャン展」に行きました

2009-08-21 00:33:46 | お出掛け日記

学生時代に「月と6ペンス」を読みました。「月」は夢、「6ペンス」は現実を表しているのだとか。ゴーギャンをモデルに書かれた小説だったと思います。でも今となってはほとんどその内容をお覚えていない情けなさ・・・

だけど、なぜかは忘れてしまっていても、その頃私はしみじみと感動し、モームが好きになったのです。

どんな話だったか・・。覚えているのは、友人の妻が悲惨な服毒自殺をしたことだけです。そういう時は、リサーチ入れて思い出してみます。
「月と6ペンス」はこちらを参考に→ココ 

 

でも「月と6ペンス」に感動したはずの私は、ゴーギャンの絵画が好きであったかは別な事でした。

だけど今年4月に「駅路」と言うドラマを見て、いきなり私の中でゴーギャンは大きく興味を引くものになってしまったのです。折りしもタイミング良く7月から東京国立近代美術館で「ゴーギャン展」が開催される事を知り、観に行くことを楽しみにしていました。

今回の目玉は
「我々はどこから来たのか
         我々は何者か   
             我々はどこに行くのか」
と言う長いタイトルの、大作です。

 

 この絵の様々な解釈はと解説はHPをお読み下さい。→こちら

多くの人々がこの絵の前で神妙な面持ちで立ち止まっていました。あきらかに圧倒されているのです。確かに音声ガイドの長い説明を聴いているからと言う人もいたかもしれませんが、そのガイドが終わってもすぐには立ち去らなかったのではないかと思います。

私は最初ガイドなしにこの絵を見ていました。先にこの絵は人の誕生からの一生が描かれているような事は知っていましたが、本音を言えばもっと何も知らずに、タイトルのみでこの絵を観てみたかったです。しからば私はこの絵に何を見出したのだろうかと思うのですね。

以下は音声ガイドを聞く前の、私の素直な感想です。

― この絵でひときわ目を引くのは、もちろん手前の女性です。光り輝いていて逞しい二本の足でしっかりと大地を踏みしめて立つ姿には、楽園の象徴のようなものを感じる事が出来ます。この少女はゴーギャンの楽園に対しての切なる願いと憧れのすべてが込められていたようにも感じました。

次に目を引いたのは、私には奥にひっそりと存在する少女の姿でした。

「ああ、ゴーギャンはフランスに置いてきた家族を描いたのだわ。」と私は思いました。どんなに自分の理想に生きたとしても、過ぎてきた時代、存在していた時間を切り捨てる事はできないのですから。

またこの絵は立体的で円になっていると思いました。赤ん坊が表す生から老婆が表す死。だけどその奥に偶像の女神が存在します。この絵は直線ではなく立体に感じるのはそこですね。死を表す老婆の背後から周り偶像の右手から左手に抜けてぐるっと回ってまた生に戻る・・・。そんな感じです。そしてその方向に何気なく緩やかに木の枝が道しるべのようにいざなっているように感じました。

円になっている構図から、私はこの絵に東洋の曼荼羅を連想してしまいました。

他の絵の解説で、ゴーギャンは自分自身を黒い犬として描きあらわしていると言っていました。この絵の中でも黒い犬は右端に座り、命の輪廻を眺めているのです。

その後の解説で、後ろにひっそりといる少女は、その年に死んだ娘アリーヌだと言われている事を知りました。私の勘は当たっていたのですね。その解説でその少女の死を知ってから見てみると、いっそうこの少女が何処を見ていて何処に向かっているのか、見えない背景にいっそう不安定な不安を感じるのでした。黒い犬は傍観しているのではなく、どうする事もできないで見守っているだけなのかも知れません。

さらに言うと、この絵が立体的に感じたのは、輝く少女と青白く光る偶像が対角に配置されているからなのだと後になって気が付きました。生の世界と死の世界・・・・・

 人であるなら、常に付き纏う疑問。
私達は何処から来たのだろう。そして何処に行くのだろう。何のために生まれてきたのだろう。 

 その疑問は人の脳には対応できないゆえに、疑問であり苦悩の根源でもあるのです。でも私達はその苦悩と向き合い、科学を発達させ宗教を生み出しあらゆる文化に反映させて言ったとも言えると思います。

この絵はそんなゴーギャンの苦悩から誕生した傑作だと思いました。

 

そのほかの気に入った絵。

 

この絵は「女性と白馬」。1903年の作品です。この絵を描いてからゴーギャンは亡くなりました。丘の上に見える白いものは墓標です。彼はこの絵の中に自分を葬ってから逝ったのだと思いました。

  

この絵のタイトルは「浅瀬(逃走)」。この絵は死神がだれか(忘れましたが)を導く絵とか何とか言っていた様に思うのですが、ちょっと不明です。でも怖いテーマだったと思います。それでも「青」は私を引きつける色なのです。

  「エ・ハレ・オエ・イ・ヒア(どこに行くの?)
いかにもゴーギャンらしい絵ですよね。反面、下の絵だったら一枚出されて誰の絵かと言われたら、ちょっと分からなかったと思います。

  変なところを見てしまいますが、芝生が素晴らしい。絵と言うのはこんな風に描くのかとしみじみと感心しました。でも・・・

 「純潔の喪失」です。この絵の動きのないのっぺりとした背景はなんだろうと思ってしまいました。この絵を描いてから、ゴーギャンは家族や今までの生活を捨てて、タヒチに向かったのでした。

この絵の中にはそんなゴーギャンの決意が表れていたのかも知れません。

 

ゴーギャンの生涯は→ここでチェック

 

月と六ペンス (新潮文庫)
サマセット・モーム
新潮社

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コメント (2)
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「おばけかぞくのいちにち」

2009-08-19 13:58:35 | ユーモレスクを聴きながら(book)
おばけかぞくのいちにち さくぴーとたろぽうのおはなし こどものとも傑作集
西平 あかね
福音館書店

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一年に二回、子供を集めてパーティをしてきましたが、その時やっていた事が絵本の読み聞かせです。何を読もうか本を選ぶ段階から楽しいのです。今回は前にも紹介した「つみきのいえ」にしようかなと思いましたが、少し長いので 最後にろれつが回らなくなりそうです。長さがポイントです。

つみきのいえ
平田 研也
白泉社

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この本の感想は→ここです

長さがポイントと書きましたが、では内容はどうなのかと言うと、良書であれば「読み聞かせ」の場合少々難しい内容でも、低学年でも理解できる事が多いのです。

でもこの場合、私は自分の言葉でコメントを入れて解説を挟む事があります。主に内容のと言うより言葉の意味の解説です。

では低学年向きの場合はどうなのかと言うと、これもまた高学年にもO.Kなのですよ。

要するに、子供は大人に本を読んでもらうのが好きなのですね。

今年選んだ本はタイトルにも書いた「おばけかぞくのいちにち」。

登場人物がふたりとも保育園に行っているので、低学年向きと言えるかも知れません。内容も単純です。子供が考えるような想像の世界ですが、なんともいえない楽しさユーモラスさがあって、その世界に引きこまれます。

欲を言えば、登場人物の一人を小学4年生くらいのお姉ちゃんぐらいにしてくれると、物語にも巾が出るのにと思ってしまったのですが、まあ、余計なお世話ですね。

 なかなか寝ない子供に、おかあさんが
「もうおばけのじかんよ。」と言います。

みんなが寝るころお化けの家族は何をしているのでしょうね。

でもこんな家族の一日を垣間見てしまったら、
「早く寝ないとおばけが来るわよ。」と言っても、会いたくてベッドの中でソッと寝たふりをしたくなりますね。

 

                  

 私は上の子どもラッタ君には声が枯れるまで本を読んであげた記憶があります。でも、落ち着かなくて言葉も遅かったルート君は、私と遊ぶより常にラッタ君に構ってもらう事を望んでいました。弟の宿命と言うのか、姉にまとわり付いていた私にはとても良く分かる感情です。でも、親としては物足りなくちょっとつまらなかったのも確かです。喜ばなかったので本も読んであげませんでした。

でもこんな本に出会うと、諦めずに彼にも読んであげれば良かったなと後悔するのです。

子育てが本当に楽しい時代は意外と短いのですものね。
何事も過ぎてから気が付くものなのでしょうね。ちょっとその事を考えると、切なくもなってくるのですよ。


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