森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ありがとう、そしてさようなら

2024-10-06 14:00:32 | 同じ時代の船に乗る

4輪で終わりかと思っていた我が家の朝顔でしたが(9月の4枚☆2024)、なんと翌日も咲き、昨日は3輪もいっぺんに咲きました。

我が家のベランダは、猛暑の夏は本当に地獄のようで、そんな真夏にひょっこりと芽を出し期待もしてなかったのですが、途中で一度はケアしたものの、思った通り花など無縁な朝顔だったのです。涼しくなったので、きっと朝顔もホッとしたのでしょうね。

 

 

だけど・・・・

いつも素敵な朝顔がたくさん咲いていた庭の住人は、逝ってしまわれたのですね。

4日の日は、少し時間に余裕があったのでブログ周りをしていました。

そこで知ったある方の訃報。

今はコメント欄も閉じていますので、特別に深いお付き合いがあったわけではありません。

それでもブログの行き来はありました。

私はブログのお付き合いで一番大事なことは、お互いの記事を読みあうことだと思っています。

私もその方のブログに行きましたが、その方もよく来てくださいました。

 

ただ、バタバタしている時、または自分の体調がイマイチの時は来てくださった方のブログ訪問がやっとになることも多いのです。8月9月はまさにそれでした。

それで4日の日に他の方のブログで知ったのです。

その時、その方のブログに行ってみても、なぜこの記事で訃報が分かったのか分かりませんでしたが、その方と親しかった方がコメント欄に書き込んでくれたのです。

ショックでした。

同じマンションに同じくらいのお歳の方がいて、私のあこがれの人なのですが、その方のピンシャンと立っている佇まいが素敵なんです。

なんでかその方とイメージが重なっていました。

過去に娘さんを先に亡くしてしまった悲しみを抱えているというのに、それでも強く美しく生きている様に惹かれていました。

 

だけどこの日、私は今頃で本当に申し訳なかったのですが、別の方の訃報も知ったのです。

かつては所謂企業戦士でした。その後、アルコール依存に陥ってしまいました。きっと現役時代の過激さと必要に迫られた飲酒の習慣に、そこに導かれてしまったのかも知れません。

断酒後、コロナ前は自らゴミなどを拾い、街の浄化に努めていました。

病気になられても頑張っていらっしゃいましたが、これが最後の更新とその方がブログに投稿された後も、私が新しく記事を更新すると訪問してくれていたのです。

きっとあまり自由に動けなくなったお体で、それでも読んで応援してくれているのではないかと思っていました。

それならばもっと寄りそうな記事が書けないものかと思いつつ(美しい風景や花などの写真や、優しい詩の紹介とか)、結局何もしなかった私。ちょっと悔いの想いが残ります。

 

9月3日。私は何をしていたのでしょう。

呼吸器外来に行って、その帰り道に小さな秋を見つけていたと思います。

9月15日。私は何をしていたのでしょう。

姑を買い物に連れて行って、そして自分のうちの買い物。それだけでクタクタになっていたのではないかしら。

 

  

 

もうブログを通しての触れ合いが途絶えるのかと思うと、寂しい限りです。

ある時は頑張って、ある時はイキイキと生きていらっしゃった事を忘れはしません。

どうぞ安らかにお眠りください。

今までありがとうございました。

そしてさようなら。

 

※    ※    ※

素敵なブログです。

めんどりおばあの庭 (goo.ne.jp)

ヒゲジイのアル中よもやま話 (goo.ne.jp)


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「冒険者たち」に憧れた。

2024-08-20 17:31:59 | 同じ時代の船に乗る

2019年に行ったトルコ旅行が、あまりにも楽しかったので、続けてどこかに行きたいなと思っていました。

ふと、フランスなんかも良いなあと思って星子さんに言うと、何度もそこに行っている星子さんはあまり乗り気にはならない様子。

「モンサンミッシェルとか行きたいんでしょう?」と彼女が言うと、私はすました顔で

「あっ、別に、あまり興味がない。」と言いました。

フランスが誇る世界遺産を興味がないなどと失礼なことを言ってしまいましたが、その時までの私は、美術館になっているフジタの終の棲家とか、タペストリー美術館とか、少々マニアックなところに行ってみたいなと思っていたのです。

だけどモンサンミッシェルと言う、修道院の島の名前を聞いて、

「あー、ちょっと思い出した。子供の時からずっと行きたかったところがあったのよね。えっとえっと・・・・・名前は調べないと分からないから、後でメールを送っておくね。」と言いました。

「島」で思い出した、フランスのあこがれの場所、それはフォール・ボヤールです。

 

あとからその場所は、そこだけ少し離れたところにあるから周るのが難しいかもと星子さんに言われました。

「そうなのか。残念。」と思いました。

だけど今の時代は本当に便利です。すっかり忘れていたその島を、私は早速グーグルアースで訪問しました。子供の時に見て、ずっと心の中に閉まってあった憧れの場所。それは映画「冒険者たち」のロケ地でした。

彼のその映画は、美しい絵画を見たようなずっと心に残っている彼の代表作の一つだと思います。

私はこの作品が一番好きです。私を作った細胞の一つだと感じています。

特にこの要塞島で撮られたラストは、心に残りました。

「彼女はお前と行きたがっていた。」「嘘つきめ」

ううっ、泣ける。

そう言えば、これアマプラで200円で見ることが出来ますよ。↓

 

 

下の画像はグーグルアースから。

どっちにしろ中には入れないので、少しは行った気になれます。

 

 

アラン・ドロン氏が8月18日に88歳で亡くなりました。(以下、敬称略です。)

彼の名はハンサムの代名詞。それを否定できる人って、そうそう居ないと思います。

子供のころから美しいがゆえに彼が好きでした。

だけど中学生になった頃、友達が言ったのです。

「アラン・ドロンってさ、日本の女性の事を短足胴長で鼻ぺちゃで美しくないと言っているのですってね。」

もちろんこれは友人の発言のみの根拠があるものではありません。

だけどムッとしました。

「ふーんだ。だからさ、国じゃ、ジャンポールに勝てないのよね。」

その頃12歳と言えども、小学生の頃から「ロードショー」や「スクリーン」が愛読雑誌だった私たちの発言は、かなり生意気だったと思います。

まあ、日本人は平たい顔族ですので、間違えてはいないわけですが、そんな事を言われても(真実は分からない)嫌いにはなれなかったですよ。

やっぱりハンサムだったからかしら。

 

その彼が、それから数年後に日本に来た時に、スペシャル番組がありました。抽選で当たった彼のファンたちがスタジオに呼ばれていたと思います。

いったい彼はどのように日本女性と接するのかしらと、私もテレビ前で見ていました。

すると彼は、司会者そっちのけと言っていいくらいに、スタジオの女性たちから質問に答えたりファッションのアドバイスをしたりと、大サービスだったのです。

皆キャーキャーとはしゃいで、大盛り上がりでした。

覚えているのは、パンタロンをロングブーツの中に入れろ。それが今パリでは流行っている。と言うもの。

よほど印象的だったのでしょう。他の事は何も覚えていないのに・・・・。

 

本当かどうか分からない言葉に縛られて、人の事を見ちゃいけないなと、私はそう思いました。

だけど心のどこかで、アラン・ドロンは光と影がはっきりと見える人だなと、そんな事も感じたのでした。

それゆえに、ちょっと横目で見たり、上目遣いで見たりで孤独や屈折した心を表現できたのだと思います。

「太陽がいっぱい」のドロン。その目力でクラクラっと来たかもしれません。音楽も名曲ですよね。サインを練習するところ、なんか真似なんかしちゃって…(;^_^A

でももうドキドキしたくないので、やっぱりアマプラで見られるけれど、見ないと思います。

 

いつだって評価が高かったわけでもなく、かなり人気の高かった「ゾロ」公開の時、どなたかのレビューに

「『黒いチューリップ』がつまらなかったから、これを撮ったのかな。」と言うのがあって、その時、人のレビューは参考程度にすると学んだような気がします。

なぜなら「ゾロ」もだけど、私には「黒いチューリップ」も面白かったのです。

なんたって子供だったので「黒いチューリップ」に憧れて、それのごっこ遊びを一人でしていました。(;^_^A

↓、アマプラで見ることが出来ますよ。「ゾロ」は有料ですがお高くはありません^^

 

 

アラン・ドロンとジャンポール・ベルモンドが一番輝いていた頃、私にはハリウッドよりもフランス映画の方が輝いていたように感じていたのです。

二人は幸せなライバル。

なんと二人とも88歳と言う同じ年で亡くなっているのですね。

さよなら、ジャン=ポール

 

アラン・ドロンの映画は、かなりの作品数を見ていますので思い出もつきません。

「世にも怪奇な物語」とか・・・・もね。でも尽きないので、この辺で^^

彼が亡くなって、世界中が彼の訃報を、彼が抱えていた陰の部分を含めて報道していました。

太陽がいっぱいだった彼の人生は、その分だけ陰も深かったのかも知れませんね。

 

  

さよならアラン。

素敵な映画時間をたくさんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 


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憧れの人でした。

2024-05-03 03:52:31 | 同じ時代の船に乗る

昨日、ふと自分のブログのアクセスランキングを見ると「アニメ「MONSTER」を見ていました。」と言う記事が10位に入っていました。最初、私は何も考えずに、

― フジコ・ヘミングさんが亡くなったからかな。―と、思ってしまったのです。なぜなら、その記事には、彼女が歌ったyoutubeが貼ってあるからなのでした。

でもちゃんと考えてみたら、私たちが彼女が亡くなったことを知ったのは昨日のことだったので、おとといのアクセスランキングには関係のないことだったのです。

 

調べてみたら、3月には全く読まれてなかったその記事は4月になったら地味に読まれ始めていました。地味で少しずつだったからなのか、その過去記事が読まれていることに気がついたのが、奇しくも昨日だったのでした。

そういう事ってあるなあと、私は、そんな何でもないことにしみじみとしてしまうのです。

 

アニメ「MONSTER」を見ていました。」にも貼ってあるのですが、ここの下にも貼っておきますね。

素敵なピアノ曲ではなくて、歌を貼るところが、私らしいのかも^^

でも本当に引込まれてしまうような調べなのですよ。

 

それに彼女は多才な人でしたね。

2021年に「フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記」という本を読みました。タイトルでその時の記事にリンクしていますが、学校の読書感想文には使えないと思いますが(使ってもらっちゃぁ困るが)、意外と真面目に書いてます。彼女は私の母よりほんの少し年上。だけどその本を読んで私は、彼女の事が前から好きでしたが更に好きになってしまったのです。

 

 

 

丁寧に生きていたフジコ・ヘミング、果敢に生きていたフジコ・ヘミング、憧れていました。

 

ピアノのコンサートにもいつか行こうと思っていました。

「いつか」なんて思っていてはいけなかったのです。

時は川の流れの如く。留まってはくれないのですから。

これからは、読みたい本のリストに入っている彼女のエッセイを読んだり、彼女の記録されている音楽を聴いて行くばかりです。

 

彼女は優しの国の白魔女のようなイメージがありました。
たくさんの素敵なもの愛おしいものの愛に囲まれながら、安らかにお眠りください。

 

ツイッターからの情報です(Xって言うの、好きじゃないんで。なんか秘密結社みたいなんだもの。)

【フジコ・ヘミングさんをしのんで】
2つの番組のアンコール放送をお送りします。
フジコ・ヘミング ショパンの面影を探して ~スペイン・マヨルカ島への旅~ 4日(土・祝)午前11:00[NHK BS]
おとなのEテレタイムマシン ETV特集「フジコ~あるピアニストの軌跡~」 4(土・祝)夜10:00』

 

 

Fujiko Hemming - Make it Home Monster Soundtrack Ending 2 OST II (Romaji & English Lyrics)

 

 


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さよなら、イリヤ・クリヤキン

2023-09-26 15:08:27 | 同じ時代の船に乗る

懐かしい名前を見つけました。

でもそれは訃報記事でした。

英俳優のデビッド・マッカラムさん死去 90歳 「NCIS」ダッキー役で人気博す (msn.com)

「NCIS~ネイビー犯罪捜査班」と言うドラマのタイトル名は知っていましたが、そのドラマを見たことがなくて、これにデビッド・マッカラムさんが出ていたことも知りませんでした。

このドラマで変わらない人気を保ち、そして90歳で自然死したのですね。なんかしみじみとします。

 

私にとってデビッド・マッカラムさんは、子供の時に見ていた「0011ナポレオン・ソロ」のイリヤ・クリヤキンです。

1965年に日本で最初に放送された時は、白黒でしたが、我が家のテレビも白黒テレビでしたので、何の問題もなかったのです。

その頃、私はまだ小学校の中学年だったので、この放送を見ているクラスメイトは他には一人ぐらいだったと思います。

ちょっと楽しい昔語りですが、その頃は、良い子はみんな9時には眠りの中にいたのです。今みたいに子供番組もしくは学園物が9時だの10時だのと言うこともなく、アニメが深夜だなんて考えられない時代です。録画機能がなかったのもありますが、区分わけがされていたのだと思います。このスパイドラマは、9時、9時半、10時とシーズンごとに時間帯が違いますが、子供には少しだけ厳しい時間帯でした。

「0011ナポレオン・ソロ」の前の番組が、何やらすごくまじめな番組で、ある意味箱根の関所みたいなものでした。でもそこを乗り越えて見た、ちょっと大人の香りがした「0011ナポレオン・ソロ」はとっても面白い番組でした。父と姉と三人で見た、懐かしい時代です。

イリヤ・クリヤキンは、最初はそんなに重要な役ではなかったのに主役を食う人気ぶりで、ナポレオン・ソロの大事な相棒役になっていきました。

私は、まだ男性の好みなどはっきりしていませんでしたので、姉がイリヤ派なら私は主役のソロ派で二人の子供部屋には、彼らの写真が飾ってありました。

日本にこの番組の二人が来日した時、声優さんの野沢那智さんとの対談があり、顎が同じだと言っていたのが印象的でした。

 

ソロ派と言っても、その後も彼が出ていた映画を見れば、やはり目がそこに行きました。

「大脱走」では脱走後に一人でそそっと逃げられたのに、仲間が見つかったと知って、わざと目立つように走り駅で撃たれて死んでしまった時は悲しかったです。

そういう悲劇が似合う線の細い美しい人でしたから。今の時代は便利です。その時の役名も分かるんですから。アシュレー=ピットっと言ったのですね。

「NCIS~ネイビー犯罪捜査班」と言う番組に、彼が出ているのを知っていたら、きっと私は懐かしく見たかもしれません。

この先、見る機会があったら、やはり懐かしい思いで見るでしょう。

 

しかし彼は何と、母と同じ年の人だったのですね。

「イリヤ、素敵ね。」

「でもやっぱり、ソロの方が良いわよ。」

なんてことを子供部屋で話していた私たちは、ちょっとませた小学生だったかも。

 

自然死だなんて、なんか立派なスパイでしたね。

安らかにお眠りください。

さよなら、イリヤ。

 

 (デヴィッド・マッカラム - Wikipedia)よりお借りしました。

トップ画像は9月25日の空。

 


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今頃は、銀河鉄道の車窓の旅を楽しんでいるに違いない

2023-02-22 00:06:27 | 同じ時代の船に乗る

イヤ、違うか。

今頃はアルカディア号に乗って、憧れの銀河の海を旅しているんじゃないかしら。ハーロックやエメラルダスと一緒に。

松本零士さんは、2月13日に亡くなられました。85歳だったそうです。

 

松本零士さんは、私が生まれる前から漫画家で、そして私の青春時代を彩ってくれた方でした。

彼の代表作のひとつである「宇宙戦艦ヤマト」は、「ガンダム」と同じように、リアルタイムよりもその後の再放送でファンを拡大していったアニメだったように記憶しています。(記憶違いかもしれませんが)

私もその一人だったと思います。

救いを求めて命ギリギリでイスカンダルに向かうと、地球を滅ぼそうとしたガミラスは、そのイスカンダルと双子星だったという衝撃の展開。

メチャクチャ面白かったですし、その自己犠牲や愛の物語に滂沱の涙を流しました。波動砲、カッコ良かったし、木星を横切るヤマト、ワクワクしました。

そしてその映画「宇宙戦艦ヤマト」の頃から、リピートで観るという事がはやり始めたのではと思います。少なくとも私の周りではそうで、私以上に「ヤマト」にはまっていた妹のスノウさんは、「3回見た。」と自慢していました。私も負けじと2回は見ました。

その続編辺りから、一緒に見に行ったのは今の夫。

彼は、私以上に松本零士さんの漫画のファンで、家に行くと、彼の世間で知られている代表作と言われている「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」以外の他の漫画もたくさんあったのですよ。

もちろん「銀河鉄道999」のシリーズは、皆、夫と行きました。

「まんが祭り」か何かで上映された、旅の途中のひとつのエピソードのような中編のものまで、ルート君と見ましたが、あの長編の二作の後であっては、子供であったルート君にさえ「がっかりした。」と言われてしまうようなもので、好きだからと言って、何でも見れば良いと言うものではないなと言う反省をしたものですが、そんな事も含めて、みな良い想い出です。

映画館で見た「銀河鉄道999」は本当に美しかったですね。機械の体を鉄郎は最後に貰えるのか。この物語、最初から答えが分かっていると思うんです。だけど終着駅で鉄郎はどのような答えを出すのか、その最終の地の秘密は ?

メーテルの正体は ?

みんなが夢中になり、いまだに人気が衰えていないのは当然の事ですね。

 

だけど私、最近、良くこの映画のある場面を、今の心象風景のように思い浮かべる事があるんです。

そしてなんかリアルな未来図を松本零士さんは描いたような気にもなって来るんです。

それはみなが思うような、メーテルとの別れのシーンとか、少年の日の想い出とか言う叙情的なシーンではなくて、冒頭・・・・。

発展に発展を重ねた未来の空中都市があり、その視点が下に下にと降りていくと、そこには荒廃したゴーストタウンのような地上があり、豊かさから取り残された人々が生きているのです。鉄郎とその母は、そんな世界の住人。

機械の体を貰おうと、パスもないのに銀河鉄道を目指します。

そこにあるのは、底なしの貧しさと無知。

メーテルとの出会いが無ければ、物語は始まらないのです。

 

時々、この先、この国はどうなってしまうんだろうと、自国の未来に不安を感じる事もあるでしょう。そんな時、私はこの作品の強すぎるビル風の中を歩いていく鉄郎親子の姿が浮かんでくるんです。なんだかこの国の未来の風景のように。

 

と、ここで終われば、長さ的にちょうどいいのかなと思うのですが、やはりそれでは書き足りないのです。なんてったてファン歴が長いものですから。

松本零士さんのアトリエ・・・・昔テレビで映ったのですが、積読資料の山で吃驚しました。きっとどこに何があるのか、そこの住人には把握されているか、もしくはどこかに宝が隠されているかって言う感じで、好き度が変な所であがりました^^

またテレビ等で代表作を言う時、「宇宙戦艦ヤマト」と「銀河鉄道999」をあげるけれど、「男おいどん」はあまり言われないですね。

あの作品は、確かに女性にはいろんな意味で少々キツイ・・・。なのでどなた様にもお勧め出来ると言うものではないし、私自身も、あのキノコの名前とか、不名誉な皮膚炎の名前とか、あーもう、いや、何で知ってるのって気分になりますよ~(笑)

 

で、私、上に書いてきたような作品の想い出を書こうと、心の中でその想い出を辿っていた時に、ふと自分の中の1作品は違うなと、ある作品の事が頭に蘇えって来たんです。

それはやはり夫の家で読んだ、戦場マンガの「スタンレーの魔女」という短編です。

(反戦がテーマとか言うものではないので、そこはご了承ください。)

皆さまの中にも、きっと私のように、自分の中に一番の作品と言うものがあるかもしれませんね。

 

長い漫画家生活で、多くの人に夢やワクワクやそして感動を与え続けてくださったことに感謝いたします。

今は、その銀河の旅を楽しまれるよう、心からお祈りいたします。

 

 

 

愛猫ミー君が呟く、零時社のツイッターから。

零時社からのお知らせです

漫画家松本零士が 2023年2月13日都内病院にて 星の海に旅立ちました

これまで応援くださいましたファンの皆様 本当にありがとうございました

「遠く時の輪の接する処でまた巡り会える」 と松本は常々申しておりました

私たちもその言葉を信じ その日を楽しみにしています』

 

やっぱり「星の海」って書いてありましたね。

・・・


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さよなら、ジャン=ポール

2021-09-10 10:30:30 | 同じ時代の船に乗る

子供の頃、いや、本当に子どもで幼稚園辺りの頃、夕方テレビで映画が放送されていました。

その頃の私は、それが何の番組かも理解できていませんでしたが、後に勝手に「フランス名画座」と呼ぶようになっていました。この番組の事を知りたくて、少し前から検索していると、それは「テレビ名画座」という番組である事を知りました。

その番組は1961年から1968年まで続き、午後3時から5時ごろまでの枠で放送されていたのです。

私の父は時間的に不定期な仕事をしていたので、家にいた時は父とその映画を見る事が楽しかったです。

ほとんど白黒映画・・・・・・・・、いや、ちがう。

我が家のテレビが白黒だったのです。

ある日、父が見ているテレビの部屋に行くと、その映画はもう終盤で、主人公の恋人が(実は妻)亡くなって、嘆き悲しんでいる所でした。その主人公は貴族たちのパーティに押し入り、貴族の夫人のゴージャスなネックレスから腕輪やら、その他もろもろを奪い去ります。なぜか一人の女性の前では意味ありげに、ネックレスを乱暴に奪います。

「この女の人は何かしら。」と聞くと、

「この男がメチャクチャ悪いんだ。」と説明になっていない事を父は言いました。

後にそれは、愛する妻がいるのに変な野望に憑りつかれ、貴族の妻を手に入れようとしていて、それが彼女だったという事が分かりました。

だけど男は、それらの宝石で埋め尽くされた馬車に死んだ恋人を乗せて、そしてその馬車ごと湖に沈めるのでした。

部下たちと共に灯した松明の明かりが湖面に反射して、美しかったです。

この映画を最初から見たかったなと、私は思いました。

しかしなんで子供の時は、世の中がクリアではないのでしょうか。

その映画のタイトルが全く分からず、物語の内容から、私は後にこれが「大盗賊」という作品ではなかったかと思うようになりました。

その「大盗賊」を、またテレビでカラーで見る機会があり、楽しみに見てみると、なんだか微妙に違うような気がしました。それで私は思いました。きっとこの映画は昔作られた映画のリメイクなんだわと。

この「大盗賊」は1961年制作で1962年に公開されました。2年ぐらい後にテレビで放送されても不思議はないのですが、「素敵」と思った水葬のシーンが違うような気がしたのです。

そしてやっぱりネット世界は便利です。

ウィキペディアでこの「大盗賊」を見ると、この作品のテレビ初出は1969年8月の「金曜ロードショー」なんですって。

それに「テレビ名画座」をまた調べると、おもに放送された作品の中に、これが入っていません。

この作品が放送されていたならば、必ずそこに名を連ねるはずです。

だけど「大盗賊」のページに、同じカルト―シュをモデルにした映画が1950年に公開されていた事を知り、私が見たのはそれだったのではないかと、今思っている所です。

 

1950年のそれの主人公はRoger Pigaut。

1962年の「大盗賊」の主人公を、ジャン=ポール・ベルモンドが演じました。

私は、この映画で彼が好きになり、それからもずっと好きでした。

 

幼い頃にほんのわずかに見た映像が忘れられなくて、そしてそこに行きついたのです。

 

その「テレビ名画座」は、おもにフランス映画を中心にヨーロッパの映画が主で放送されていました。その影響だったのでしょうか。私はある時までハリウッドを意識する事もなく、映画といったらフランス映画で、たまにスペイン、またはイタリア映画でした。

そして若かった私にとってのフランス映画の代表的な俳優は、ハンサムの代名詞であったアラン・ドロンでした。

彼がハンサムの代名詞ならば、ジャン=ポール・ベルモンドは、味のある顔と言われていました。

男の人の方がファンが多かったと思います。

フランスでは彼の方が人気も高かったと聞きました。

 

そして二人はライバル視されていました。実際に良い意味でのライバルだったと思います。

1967年にロベール・アンリコ監督、アラン・ドロン主演の「冒険者たち」が公開されました。もちろん、私がテレビで見たのは、ずっと後です。だけどこの映画は、今でも心に食い込み、たぶんこの後にいろいろな方に影響を与えたのではないかと思うのです。本当に素敵な映画でした。

それを見て、ジャン=ポール・ベルモンドが、こういう映画に出たいと言って1968年、同じロベール・アンリコ監督で撮ったのが「オー!」だったと思います。

フランス映画はお洒落と哀愁が命。

この映画をテレビで見た1972年の私には、この映画の哀愁を理解できず、あまり好きな映画にはならなかったのです。

 

アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンドはライバル。

だけどある時、アランが声をかけ、二人が共演した映画が誕生しました。

それが「ボルサリーノ」でした。

 

2021年9月6日、ジャン=ポール・ベルモンドは88歳で亡くなりました。

その訃報を聞いて、アラン・ドロンは「完全に打ちのめされた。」と述べたと伝えられました。

 

 

レンタルですが、アマプラで見る事が出来ます。

 

 

 

さよなら、ジャン=ポール・ベルモンド。

カッコ良かったし、楽しかったです。

 


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暗く重い夜でした。

2021-08-20 02:08:36 | 同じ時代の船に乗る

いつものように、夜の時間のうたた寝中、夫が、

「千葉真一が亡くなった!!  コロナのせいらしい。」と言いました。

人が寝ていても、普通に話しかけてくるのが普通の我が家。

 

「この人も可哀想すぎる。この女の人は柏の人なんだ。」と又言いました。

妊娠中でコロナにかかり、病院の受け入れ先を探しているさなかに、子供を早産で一人で産んで、そしてその子は心肺停止。自分で119番に電話を掛けて・・・・・・

目を瞑りながら耳を澄ますと、テレビの女性アナウンサーの「この女性の命に別状はないそうです。」と言う声が聞こえてきました。

だからと言って、「ああ、良かった。」などと言う話じゃ、全然ないじゃない。

私は眼も開けられず、思わず「誰か助けてください。」とすがりたいような気持ちになってしまいました。

 

しばらくして起きましたが、女性の話は辛すぎて、夫とは語り合いたくなかったです。

 

「千葉真一、ショックだね。あの子たちも辛いよね。」と私。

あの子たちと言うのは、新田真剣佑、眞栄田郷敦、そして真瀬樹里の事で、それを言いながら、私はおととい見たばかりの「プロミスシンデレラ」の事をなにげに思い出していたのです。

「うん、あの人なんてさ、確かに82歳だけれど、コロナにかからなければ、90歳越えはゆうにしていけたと思うんだ。」と夫。

少し前のインタビュー記事など、本当に溌剌としていました。

【千葉真一、長男・新田真剣佑が出演する『るろうに剣心』を見て「俺を越えたな」】

 

コロナ、本当に怖いです !!

 

その後、ツイッターでしばらくみんなの呟きを読んでいました。

キアヌ・リーブスとの対談の映像を出してくださる人や、なんと「キイハンター」のOPを出してくださる人もいて、すべてが懐かしかったです。キアヌが千葉真一のサプライズ登場に「マエストロ!!」と叫ぶ姿が印象的でした。

毎週楽しみに見ていた「キイハンター」。

懐かしいと言ったら、私はやっぱり「柳生一族の陰謀」と「戦国自衛隊」です。

映画館で見たのですよ。

 

ああ、なんだか

「夢だ夢だ、夢でござる。」と今の時代を言ってみたくなるってもんですよね。

 

千葉真一さん、

多くの人に楽しい時間と夢を与えてくださってありがとうございました。

まだまだ真一さんは夢の途中で、無念な想いもあるとは思います。だけどどうぞ今生の未練を断ち切って、今は安らかにお眠りください。あなた様の夢はきっと、あなた様が育てた多くの人に引き継がれていくと思いますから。

ご冥福をお祈りいたします。

 

アマプラで有料レンタルですが見られます。↓

・・・・・・・

 

 

・・・・・・

コメント (2)
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さらばでござります

2021-05-19 10:21:51 | 同じ時代の船に乗る

 

【田村正和さん、芸に生き、芸に死す“ダンディー”貫いた77年】
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20210519-0066

 

※      ※      ※

昨夜の午後9時過ぎ、バイトが終わって外に出た所で友達から受け取るものがありました。だけど外は雨で彼女の姿もまだ見えなかったので、何か連絡が入っているかとスマホを開けると、田村正和さんの訃報のニュースがそこに表示されていました。驚く間もなく、そこに友だちがやってきました。だけど彼女の開口一番は「今9時のニュースで・・・・!」でした。

ほんのわずかな時間でしたが、二人で一緒に歩きながら、そのショックな気持ちを語り合いました。

「好きだったな。」「かっこ良かったものね。」「スパッと引退しちゃったのも、彼らしかったよね。」

だけど、昨日の夜、彼関連の記事などを読んでいたら、(そしていつも最後は)ウキペディアに依れば、それは正確な事ではなかったのだと、今頃知りました。

2018年の雑誌のインタビューで

《これが俳優業からの引退を示唆するかの様なコメントだったことから、一部のマスコミで引退宣言などと報道された。一方田村とは旧知の仲である八木靖夫が、伴一彦らとの対談で田村について「確かにやり切ったとは感じている様だが、報道の内容は正確なものではなく、田村自身は一言も引退とは言っていない、また今後絶対に何かに出演しないと言っている訳でも無い。今の田村と何か新しい作品をやりたい。」と話していた・・》

しかしながら、そのインタビューの前に放送された「眠狂四郎 The Final」が出演最後になり、あながちその報道を信じて引退していたと思っていた、私のような人が多数いても不思議はない事だったなと思いました。

 

私は彼がブラウン管に登場したころから、姉と二人でかなり彼を好きだったんです。その頃は、もちろん私も姉も子供です。そして彼も主役ではありません。ちょっと申し訳ない事を言うようですが、彼の一種独特な語り方は、最初は時々何を言っているのか分からないほど聞き取り辛かったのです(私的には)。だけどそれが「個性」と言うものなのだと言う説得力がありました。それにもまして、彼は美しかったのです。

元々俳優さんを追いかけるタイプではなかったので、コアなファンではありませんでしたが、意外と次回作などを楽しみに見ていたと思います。

若い頃の私は、必殺シリーズなどの分かりやすい痛快娯楽作品が好きだったので、けっして私好みではなかったと思うのですが、「眠狂四郎」「乾いて候」なんかも、ちょっと無理して見ていたような気もします。(今ならまったく無理ではありません♪)

きっと彼がニヒルで美しくカッコいい役だけの人だったら、たぶん私は飽きてしまったと思うのですが、やっぱり彼の役者魂が「若さま侍捕物帳」の若様のような役をやり、更に「うちの子にかぎって」のような三枚目の役もこなせる人なのだと分かってから、本当に彼の事が好きになりました。

田村さん自身が好きだったと言う作品、「ニューヨーク恋物語」は、1988年の作品で、わたしは子育て真っ最中で、まったく知りません。

追悼でCSのどこかで放送して頂きたいものです。「若さま捕物帳」も。

だけど追悼で一挙放送するとしたら、それはやっぱり「古畑任三郎」になってしまうのだと思います。

 

子供も大好きで、家族一緒にテレビを見たと言う、幸せな時間を作ってくれた「古畑任三郎」。

芸能関係にまったく興味のないラッタさんも、田村正和さんの訃報に、ツイッターで「マジか」と反応していました。

彼自身の中でもいろいろな思い入れがあったと思います。

 

幅広いファン層を持っていた、田村さんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

※ 言ってもせんもない事ですが、引退してなかったのなら。田村さんにはチョーカッコいいシニアを演じてもらいたかったです。老いると言うのは、ただ年齢が重なるだけ。こんなにかっこよく生きられるんだよみたいな、そんな人を演じてもらいたかったです。

 

 

コメント (2)
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「3匹のおっさん3」を見ました。

2020-05-09 13:24:11 | 同じ時代の船に乗る

画像は5月1日に写したマンションのオオアマナです。なかなか咲かないなと思っていたら一気に咲き、そしてしばらく通り過ぎる人を楽しませた後、あっという間に枯れてしまいました。

 

 

※       ※       ※

4月20日、俳優の志賀廣太郎さんが誤嚥性肺炎のために亡くなりました。脳梗塞で右半身麻痺などのリハビリに励んでいてナレーションなどで年内復帰を目指していた最中だったと聞きました。享年71歳でした。まだまだお若くて、本当にご無念だったともいます。

その追悼番組として「月プレミアム8」で「3匹のおっさん3」が再放送されました。

私、実はこういうアットホームな番組、意外と昔は好きだったのですよ。サスペンスも温泉女将シリーズとか赤い霊きゅう車シリーズとかお気楽でそしてちょっとホットな感じが良いじゃないですか。

だけど最近はあまり見なくなってしまいました。

「風が吹くと桶屋が儲かる」じゃないですが、ずっと前にソファを捨ててしまったので、寝転がってテレビを見る習慣が無くなって、あまりお気楽にテレビを見ることが無くなってしまったからなんだと思います。それに放送時間に居ない事が多いからと言うのも一番の理由だと思います。

 

この番組を録画すると言ったら、夫殿が「えーっ?」と言ったのですが、露骨にそんなのをと言う意味なのですが、何の事はないのです。自分は以前既にリアルタイムで見ていたからなのですよ。

「私、それを見たことがないので、最後に見てみたいわ。」と言って録画しました。

志賀廣太郎さんの代表作と言うのなら、見ておくべきだと思いました。優しい口調で、若者に理解がある、または信頼のおける、ホッとできるキャラを作り出すのにベストの人で、その反面そんな雰囲気を漂わせているものだから、裏切りの大悪党も演じられる、本当に得難きキャラの俳優さんだったと思います。

 

このドラマの感想自体は、やはり予想通りの温かみのある、ほんのちょっぴりのサスペンスが含まれるホームドラマでした。町内で卓球大会を開くと言うのも良いアイデアですが、それであんなに盛り上がれるのも羨ましいような気がします。豪華賞品に釣られてにしても、今の時代あまりない事のように感じられてしまうのはなぜなのでしょうね。

家族愛がテーマでオールハッピーエンド。子供と一緒に見ていられる良いドラマだったと思います。おっさん3人でいつも夜回りをして街を守ってると言うのも良いですよね。志賀さんの役どころは、メカに強く、それで立ち向かう所。

 

彼が居なくなって、この3匹は解散ですね。

また日本の名優が一人消えてしまいましたね。

 


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今だからこそ、彼を思い出す。

2020-05-03 10:25:00 | 同じ時代の船に乗る

昨日、5月2日は忌野清志郎さんの御命日でした。

2009年からあっという間に11年も経ってしまったのですね。

それでも、いや、

こんな時代だからこそ、彼の事を思い出してしまうのです。

 

もし彼が生きていたら、何を言うかな。

ううん。

戻って来て、清志郎。

そしてズバッと言ってよ !

そして歌ってよ !

今と言う時代をさ。

 

今日は憲法記念日。

『この国の憲法九条を知っているかい。戦争はしない。戦争に加担しない。愛と平和なんだ。まるでジョン・レノンの歌みたいじゃないか。

出典:http://virates.com

 

☆              ☆

彼が亡くなった時に書いた記事は(2009年5月5日)→キミ、かわいいね

その年の母の日に書いた記事は→デイドリーム ビリーバー/母の日に・・・

 

だけど私の記事は、思い出を語りまたなぜ母の日にそれなのかを語りとなっていて、その記事も読んで欲しいけれど、「今は良いです。」と言う方のために、その二つの記事にお借りしたyou tubeさんを貼っておきますね。

 

キミかわいいね・初期のRCサクセション

 

THE TIMERS - デイ・ドリーム・ビリーバー (Hammock Mix)

やっぱり泣ける。

ラッタさんに電話しようかな。


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