実家から帰って来るバスの中で、ドラマが始まるからと言って、こんなにワクワクしたことは今まであったかしらと考えてしまいました。
最終回、どんな「鎌倉殿の・・」を見せてくれるのだろうかと、本当にワクワクしました。
だけど、「グランドフィナーレ」の配信にも間に合わず、本編のドラマにも10分遅れの参加になってしまいました。
でも、もちろん録画してありますし、「グランドフィナーレ」の方は、後日放送されますので、それを楽しみたいと思います。
10分見ていないのに、感想を書くのかと言われそうですが、書きます。
年末なんで。
(いつ、なったの。12月の後半に !?)
それに、一番書きたい所は冒頭ではないと思うので。
それでも
「あとからその10分の為に見直すわ。」と私が言うと、夫が
「徳川家康が出てくるよ。」と言うので、「へえ~!!」と驚きましたが、三谷氏は「真田丸」の時も真田幸村に物見から、赤揃えの鎧の軍団を見せて、
「彼らの物語を聞きたいものだな。」と言わせたのでしたよね。私はそのシーンがあったから、それまでまったく興味がなかった「おんな城主直虎」を見てみようと思ったのでした。
そう言えば徳川家康の愛読書は「吾妻鏡」だという事は、けっこう知られている事ですし、
「松潤、出たの ?」と聞くと、
「出たんだよ、松潤が。」と夫。
そりゃ、視聴者も大喜びのびっくりぽんや。
そこもちゃんと見たいけれど、私的には義村が「うるせえだよ、じじい」と言われたシーンを見たいかも(笑)
で、昨晩、ここまで書いて、さすがに疲れて寝ました。
昨日の勢いだと、ラストシーンのみ書いて、残りは箇条書きのような気もしたのですが、最終回ですので、もう少しちゃんと書きたいような気がしてきました。でも、三谷氏、最終回までぎゅうぎゅうと中身が詰まってるものだから、少々長くなってしまったら、ごめんなさい^^
承久の乱、見ごたえがありましたよね。
最後の最後まで、三浦氏はチャンスを伺っていました。
「ここで上皇様が出てくれば形勢は変わる。」と。
だけどその要請に、勇み出て行こうとする上皇を乳母の藤原兼子が必死に止めます。
後白河に守ると言った約束をと彼女は言いました。そこで後白河の臨終の姿が映り、幼かった後鳥羽天皇が「はい」と口が動いているシーンが映るのですが、あの時後白河は何を言ったのでしたっけ。
「私は守った。」と言った事は覚えています。「私も守る。」と後鳥羽が言った事も覚えています。
この「守る」とは、何であったのか。
朝廷は決して武士の立場まで降りて行かない。そして朝廷は朝廷の立場で君臨するという事だったのでしょうか。
かくして、この武士と朝廷の戦いは、武士が勝ち、後鳥羽上皇は隠岐に流されてしまいます。
この時、文覚が現れて、「隠岐は良いぞう。何もないぞう。」と出家したばかりの後鳥羽院の頭をかじる・・・「イヤダぁ。」と言う最後のシーン。
あの奇僧はどうなったのかしらと思っていたので、生きていたのかと、私も思いました。
配流の地で死んでいった後鳥羽院は、波乱万丈の人生を生きた悲劇の人だったと思います。だけどそうは思わせないコメディ調のシーンにホッとするものを感じました。私的には後鳥羽院の楽しい隠岐ライフ(無理くり)をスピンで見たいものだなと思いました。
鎌倉最大の危機、承久の乱が終わって、なんとなくのんびりとした平和な日常と言う雰囲気の鎌倉が映し出されました。
そう言えば、承久の乱の時の政子と実衣の祈りのシーンは、凄まじくて、そして・・・・・・笑っちゃった^^
特に実衣の姿に、全成さんの姿が被りましたよね。
その実衣と政子の会話で、実衣が「一言で言うと、どうかしてた。」と言うじゃないですか。
なんかしみじみとしました。
結局政子は無欲の人だったと描かれていたと思います。
そう言えば平盛綱、川で浮かぶものだから、死んだのかと思ったら 生きていて良かったですね。
「私はいつも何かに守られているような気がするのです。」
それは川で彼の命を助けた八重さんかしら。
そして義時が眩暈を起こして倒れると、薬湯を飲ませているのえが・・・・
そののえの顔を見て、「飲ませている顔よね。」と私。「だな。」と夫。
菊地凛子は、このドラマでは、凄く難しい役だったと思うんです。そこに居るのに、なんとなく絡んでいない存在。だから分かりやすく演技していたように感じます。唇や顔つきから、「飲ませている」がちゃんと伝わって来ましたから。
ところが医師の診察で、すぐにばれてしまいます。
麻の毒って、すなわち、大麻のことでしょうか。
残念だわ。キノコじゃなかったのですね。
のえと義時の会話で、マイ夫なんかは「このろくでもない女」呼ばわりなのですが、私にはそうは思えないー。
義時は夫としては、本当に「このろくでもない男」と言いたくなってしまいます。妻として娶ったならば、しかも自分の方から気に入ってですよ、三番目だろうが四番目だろうが、五番目だろうが、誠意を示しなさいよ。
義時にとっては地雷だったと思うのですが、つまり前のふたりの妻の出自と立場を語ってしまったのえ。だけどこののえの言ってることは、この時代だったらあながち間違いと言うわけではないんですよね。特に八重は、愛妾扱いだったはず。
のえはその八重が、義時が若い頃からずっと好きで、断られても諦めずに、やっと一緒になれた唯一の心の妻であることを知らなかったのでしょう。
のえは毒を盛ると言う大罪を犯しても、メンツの為に裁かれず追い出されます。
でもこれが、義時の精いっぱいの誠意だったのかも。
そう思いたい。
「もっと早くお前の本性を知っていたら。」と義時が言った時の、のえの悲しい顔さえ、義時は見ない。
「あなたには無理よ。あなたは私の事を少しも少しもみなかったから。だからこうなったのよ。」
「(仲章と)手も握ってません。」と言えば、「そんな事はどうでも良い。」と言われ、
「やきもちですか。」と言えば、馬鹿を見るような目で見る。
京都に居た兄が、政争に巻き込まれ殺されても、一緒に怒ってくれるわけでもなく、いたわりの言葉を掛ける事もない。
そしてここまで言っても、
何も大事な話などもせず、心を割った話などもせずに「出て行け~!!」と怒鳴る。
存在が軽すぎますよね。
のえが可哀想だと、私は思ってしまうのです。彼女のような人は、道端の花が綺麗だったからと摘んできてくれるような人だったら良かったのですよ。
(あらっ ? 昔の義時じゃない、それ。)
寂しいのえは立ち去りがたく、「あっ、そうそう」と言って、毒の入手先を教えてくれるのでした。
三浦義村との語らいの場面。
思わず「相棒」の「人は暗示で殺せるか。」がテーマのお正月特番があったじゃないですか。あれを思い出してしまいました。
逃れられないと思って、義村はあの杯をあおったのですよね。
そして自分の本音を語りました。
自分の方が優秀だったのに !!!
見栄えも良かったのに !!!
その杯に入っていたのは、ただの酒と分かっての一言、
「あっ、ほんとだ。しゃべれる。」
もう、本当に、三谷氏、こういう所好きすぎる。笑ってしまいましたよね。
そして、彼は義時に言うのです。
「これからも北条を三浦が支える。」と。
この時、義村の襟、みんなじっと見張るように見ていたのでは ?
彼が襟を触らなくて、ホッとしましたよね^^
そして、運慶の義時似の仏像が出来上がってきました。
「散々待たされた挙句、これか。」と義時は怒りますが、運慶は凄く満足した顔をしていました。快心の作だったのではないでしょうか。
顔の崩れた仏。
これの元になった仏像はないのでしょうか。
見たいなぁ。
「人に見せられぬ。」と義時は壊そうとして、そこで倒れて病の床に就いたわけですが、ある意味、その仏が守ったのでは ?
だって、それで毒を飲まされていると分かったのですから。
だけど、なーんてことは、三谷氏は考えていないと思います。
しかし義時は、自分似の仏像を作らせて、それを人々に拝ませたかったのでしょうか。何たる傲慢。
政子がその仏像を見る事も兼ねて、義時の見舞いにやってきました。
義時にとって信頼しきった二人で語り合える、ホッとできる時間だったと思います。
自分の毒殺未遂事件も、医師が解毒剤を持ってきていたし・・・・。
そこで彼はこのドラマの、本当の意味を語りました。
「ああああ、なるほど~。」と思った人はたくさんいたと思いました。
かくいうワタクシも。
頼朝が去った後に、血の粛清を受けた人の数。その数が13。
でもこの時点で、私的には12だと良かったのになとちょっと思っちゃった。(義時が13番目になればなと。)いや、ごめん。思っちゃったんだから仕方がないよね(^_^;)
調子に乗ってベラベラと話す義時。だって、大好きなお姉ちゃんだから。
「待って! なぜそこに頼家が入っているの。あの子は病死じゃなかったの。」
政子に言い寄られて、義時は過ぎた事だからと言い淀みながら、自分に都合のいいように語ります。最後まで頼家さまは勇敢に戦ったと。
「そうね。あの子はそういう子よ。」
「薄々は分かっていたわ。だけど聞くのが怖かったのよ。」と政子は顔色もさほど変えずに言いました。
だけどこの時、政子は思っていたかも知れません。
実朝の時、なぜあんなに警護が居たのに助けられなかったんだろうかと。語られなかった真実は何かとか。
何となく義時にとって、きつい話になって来て、今日は調子が悪い。医者が持ってきた薬を飲まなくてはと思い、政子に薬を取ってと言いました。
その薬を取りに行くスピードの遅い・・・・
気のせい ?
人は都合の悪いことを口走ると、それを打ち消したいがために、また余計に話してしまう事があると思います。
彼は言った。
子供も孫も全員失ってしまった政子に。
すべては泰時の為にやってきたことだと。我が子の為にと。
残酷すぎるー。
それでも政子は、「これですね。」と薬を持ってこようとしていました。
それなのにまた義時は、幼い排斥された天皇を、復権させないために殺すのだと言ってしまうのです。
「あなたはまだ・・・」
さながら義時は、その道で仏に会ったら仏を殺し、神にあったら神を殺しかねない男になってしまったような感じです。
だから、政子は義時の修羅の道を閉ざす決心をしてしまったのだと思いました。
「私もあなたも長く生き過ぎたわね。私もあとからほどなく行きますから。」と解毒剤を零してしまいます。
義時が這ってまでして、その薬を舐めようとすると、その直前でそれを足(?)でサッと拭いてしまう政子。(追:足じゃなかった(^_^;))
強い意思も感じたし、そのシーン、凄く好きでした。
まだやる事があると、生きようとする義時に、泰時をもっと信じましょうと言い、姉の意思を悟った義時は、頼朝の遺品である仏を泰時に渡すように託して息絶えるのでした。
「ご苦労様でした。」
政子はそう言うけれど、うっうっうっ・・・と嗚咽の声が響きます。
暗転し、名前だけがそこに映し出されても、政子の嗚咽が静かに流れていました。
やっと義時は修羅の道から解放されたのだと思いました。
じわぁ~ときました。
やっぱりさぁ、シェークスピアっぽいじゃん。
余韻半端ない、泣ける~と言ってしばらくハラハラ泣いていました。
舞台劇みたいでしたよね。
だけど何処がアガサなの、と私は首を傾げていたのですが、やはりこれまたツイッター民様の呟きですよ。
私は全体的に「そして誰もいなくなった」みたいにみんな消えちゃうじゃんと感じていたりもしたのですが、なんとこれ、「鏡は横にひび割れて」を参考にしたっていうんですね。
たぶん「アガサ」を参考にしたというのは、ラストの数分のみの事だったのですね。
なんでもない一言が、人の殺意を呼び起こし殺人が起きたという話です。
「嘘つきはついた嘘をちゃんと覚えていなくてはね。」と政子は言ったけれど、言葉は本当に恐ろしいですよね。
もしもあの時、頼家の死の真相を知らなかったら、家族想いの政子は脱兎のごと薬を取りに行って、さっさと飲ませたかもしれません。
知らなかったら、次の義時の考えている事を聞いても、やっぱり今は殺さなかったのではと思います。
やっぱ、凄いな、ツイッター民。謎が一つ解けました。
だけど映画のエリザベス・ティラーみたいに、張り付いた凍った顔とかして頂けたら、分かりやすかったのになぁ^^
あっ、でも、考えてみたら、シェークスピアだったら、義時は殺さず生かさずくらいに復活させて、そして泰時暗殺だな。それを義時に見せつけて復讐を果たす・・・・。(そしてその肉を鹿鍋に・・・・って止めなさいよ、私 !!!!)
なんてことを、朝、姉に電話して言ったら、「キャー、シェークスピアってそんなに怖いの。」と言うので、「基本、全員死亡ジャン、。」といい加減な事を言っておきました。
だけどこのドラマ、泰時のような希望の光があって、それを感じられたのが良かったです。
また泰時夫婦のワシャワシャとトウの暗殺教室の事は、どこにねじ込んで良いのか分からなかったのでしたが、なんかみな良い顔をしてよかったです。
余韻が半端ないというのは、今日も続いているわけですが、いろいろ関連番組を録画してあるし、HPのみんなのインタビューを読んだり、諸々ともう少し、その余韻に浸っていきたいと思います。
でも好きなものがたくさんあると言うのは、ちょっと忙しい。
拓郎さんのラジオをもう一回聴かなくちゃ・・・ねっ。
いや、だけど掃除もしましょう。