平日だと言うのに、まだ起きているあなた・・・。
こんばんは☆
今日・・、ではなく昨日ですね。とにかく私、疲れました。
そりゃあ、あなた前日に浅草に行ってアレだけうろつきまわれば、日付が変わり気持ち切り替えたとしても、体に刻まれた疲労はなかったことには出来ないのですよね。
それなのに昨日は二つのアクシデントが・・・
一つは予定していた父兄との面談時間を間違えられて、一時間も前にお母様がいらした事。
ああ、お化粧が・・・・。
二つ目は一人の子供が
「明日出掛けるから、今日来たの。」といきなりやってきた事。
「・・・・、あの、お電話頂戴、これからは。NOとは言わないから、たぶん。」と言いながら、NOと言わないんだから、断りの電話を入れることもないかと言うことになってしまうのかなあと、複雑な気持ちがしました。
私は欠席振り替えを昔からバンバンやってあげていたんです。これは御仲間うちでいうと、よくやるよと言う部分で、所謂「バカみたい」と思われている部分です。
もちろんサービス精神からくる好きでやっている事ですが、「サービス」なんだということが分かってくれていないと、ちょっと辛いものがありますね。
この話をもう少し詳しく書くと、真夜中に相応しくない堅いお話になってしまうので、また先送り・・・。
そんなわけで買い物なんかに行くのも出遅れて、外に出ると、今まさに太陽が沈んでいくところでした。焦ってシャッターを押したのでバランスが悪いのですが、困ったことにこういう写真が自分では結構好きなんです。
こういう風景を見ると、
「さよならだけが人生ならば・・」と言う寺山修二の詩が頭に浮かんでくるのです。
さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家なんだろう
さみしいさみしい平原に ともす灯りは何だろう
さよならだけが 人生ならば 人生なんか いりません。
特に、「さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう 」が凄くいいですよね。でもなぜか私の中では「やさしいやさしい夕焼と」と最初の部分がイメージ合体していて、美しい夕日を見るたびに、この言葉が思い浮かんでしまうのです。
それなのに、タイトルは「さよならだけが人生だ」の方を書いてあるのはね、続きがあるからなんですが、私もいい加減眠くなってきました。
だから、また明日。
おやすみなさーい。
真夜中に書く文は、もっとお気楽なものにしたいとは思うのですが、なんたって、ホラ、私自身が真面目人間なものだから、・・ねえ・・