年の初めには夢を見よう2015
一年の目標などを同じタイトルで書いたことがあるので、「2015」が付いています。「年の初め」と言っても、すでに2月に入っていますよと言われそうですね。だけど人が目標を立てた...
上の囲みは、2015年の2月3日に投降したものです。
上の記事の時には書かなかった事ですが、2月3日の節分の日と言うのは字の如く季節を分ける日であり、新しい春を迎える節目の日になるわけで、実はこの日に一年の新しい目標を決めたりするのは、あながち間違った感覚ではないのです。
新年の頃には漠然としていたものが、新年度が見えてきたこの頃になると、かなりいろいろな事が具体的になってきたりするでしょう。だから、新たに目標を決めると言う事がなくても、ちょうどこのころに修正をするのも良いのかも知れません。
昨年の2015年のまとめもしていないので比較はできない事ですが、毎年思う事は同じです。
ダイエットをしようとか家を片付けようとか、基本的な部分は進歩のない私です。
だけど常々私が感じている事は、いつも何かに追われているような気がする、そんな毎日。
しょっちゅう、ふうふう言っています。
昨年の目標だったものは、「地味に生きる」だったと思いますが、そんなに地味に生きたとは思えなかった2015年。でもその時、私は考えました。「地味に生きる」と言うのはどういう事を言っているのだろうかと。
その答えは、ふと見た「にほんブログ村」のジャンルの中に、そのヒントの言葉がありました。
言うなれば「丁寧に生きる」と言う言葉。
それはかつて言っていた「ちゃんと生きる」に通じるように思います。
ちゃんと生きよう、丁寧に生きようと思います。
多くの刺激を次から次へと望み、いろいろな事を準備不足のまま進め、終わった事を十分と堪能し、しみじみと体の隅々に行き渡るほど思いめぐらすこともなく次を求める。そんな姿勢がいつもバタバタフウフウしている自分の生活を作りだしてきてしまったのだと思います。
ゆえに昨年は、そう言う自分を戒めようと思った誓いが「地味に生きる」だったようなのですが、付いてしまった習慣はなかなか打破できません。
でも望んだことではありませんが、1月は家にいて掃除をしてるか病院に通ってるか、そして夕方からは仕事して、それだけの生活。
それだけと言っても、病院通いは、本当に本当に疲れました。
本当はもう一つ疲れる事があったのですが、それはまたいつかの機会に書こうと思います。
丁寧に生きるためには、やはり家の片づけは必須です。
さあ、何かを始めようかと思っても、家事時間に一日が終始しては何も出来なくなってしまうし、どこかへ行こうと思っても準備に時間がかかったり、常に何かを探している生活をしていたりしそうです。
なにも楽しい計画は並びませんが、年齢的に言うと、今の私は老いの準備をしていかなければならないと思うのです。
経済的な準備と言うのはちょっと遅すぎて、貧乏老人は決定かなと思うのですが、その老いの準備の中には、その貧しさに負けない楽しい毎日を送る方法を探すと言う準備もあるような気がします。
何をするかと言ったら、やっぱり好きな事をするじゃないかしら。
今はあまり具体的な事は考える事が出来ないのが本音です。
それでも絞り出して思っている事は、「読みます・書きます・勉強をします」かな。
これも毎年言っていますね。
ではついでに毎年言っている事を、やはり言う事にします。
「体・家・家計のスリム化頑張ります。」
これって達成していないから書くのではなくて、エンドレスな誓いなのですよね。
面白みがないので、いやいや面白くなくてもいいのだけれど、下手の横好きバージョンの誓いを言うと
「弾きます・描きます・歩きます」なんてね。
新しい季節の始まり。
良い一年にしよう、今年も。
立春。
春は名のみのと言葉の如く、来週には雪マークがついています。
でも本当の春は近い。
夫は今週の土曜日に退院が決まりました。
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