元毎日新聞論説委員、経済ジャーナリスト北村龍行氏が、3月27日毎日小学生新聞「ニュースの窓」に、『東電は人々のことを考えているか』と題し、「東京電力というひとつの会社が、日本で暮らす人々の生活や、日本の経済を危なくしている。(中略)東京電力は、…地域独占で、競争がない。鉄道会社のようにお客さんの命を預かっているわけでもないし、お客さんから直接、文句を言われることもない。経営は安定している。そのためか、危険が生まれた時に、どうすればいいのかという訓練を受けていない。そんな会社に、危険もある原子力発電所や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」とコラムを書いた。
そのコラムを読んで、東京都内の小学校六年生「ゆうだい君」(仮名)が意見を寄せた。
「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です…」で始まる一連の文書は、小学生とは思えないほど、論旨も主張もはっきりとしており、感動を覚えさせるものであった。
編集部員は、ゆうだい君のご自宅にお邪魔して、ゆうだい君とそのご両親に面会をして書かれたときの様子をお聞きし、北村氏のコラムを読んで思うことがあったゆうだい君は、夕方のわずかの時間で自分の考えをまとめて書き上げ、そのまま投函したというお話をお伺いした。
毎日小学生新聞では、東電の社会的責任が避けられない段階になるのを見届けて、5月18日の毎日小学生新聞で手紙の内容を紹介するとともに、全国のこども達に意見募集をした。
翌日以降多数の手紙が届き、中にはクラスや学校単位で意見をまとめ送ってくれたところもあった。
それらをまとめて『僕のお父さんは東電の社員です』(毎日小学生新聞編、現代書館)が同年8月に出版されるにいたる。
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ゆうだい君
、勇気ある手紙のメッセージをどうもありがとう。
この度の原子力発電事故災害は、ゆうだい君が書くように、東京電力一企業がすべて悪いわけではなく、ましてや、東電の社員が悪いわけでは毛頭ない。
ゆうだい君が手紙で引用した箇所でもあるが、『東電は人々のことを考えているか』と題し、「東京電力というひとつの会社が、日本で暮らす人々の生活や、日本の経済を危なくしている。(中略)東京電力は、…地域独占で、競争がない。鉄道会社のようにお客さんの命を預かっているわけでもないし、お客さんから直接、文句を言われることもない。経営は安定している。そのためか、危険が生まれた時に、どうすればいいのかという訓練を受けていない。そんな会社に、危険もある原子力発電所や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」と、元毎日新聞論説委員、経済ジャーナリスト北村龍行氏が、指摘している。
「原子力」という得体のしれないものを一企業にまかせきりの状態にしてしまったことこそが、ことの発端であり、今回の原子力発電所事故の責任を負わなければならないのは、多量の電力を必要とする社会構造を作り出し、それを享受し、助長し、かつ、地震国日本に54基もの原子力発電所を稼働することの体制を許してしまった私たち大人ひとりひとりに責任がある。津波やそれに伴う電源確保対策は、「想定できる」はずのものであったにも関わらず、「想定外」と表現し、その責任までも回避しようとしては決してならない。
私たち大人が最大限に努力して、その責任に報いることは、すなわち、これからも進行するであろう被害を最小限に止める努力をすることと、同じ過ちをもうこれ以上繰り返さぬようにすることであると考える。
被害を最小限に止める努力をするためには、事故原発の炉心の把握や汚染の広がりの把握と除染(避難)、放射線被ばくによる健康影響の把握が欠かせない。
同じ過ちを繰り返さぬためには、今回の事故に至る原因を徹底的に検証されることが求められる。思考過程をたどるためには、事故直後の政府の原発関連会議議事録が重要であるが、それが意図的かどうかは別にしても、存在していないという最近の報道はとても残念に感じる。
事故検証後、原子力発電を選ぶか再生エネルギーにシフトするか、ゆうだい君が指摘するように徹底的に議論をすべきところである。他人事としてではなく、すべての国民が当事者意識をもって議論し、その考えを政治に投票行動としても反映していただきたい。日々の生活の中であれば、不買運動として行動するのもよい。現在、大阪や東京で原発稼働の是非を問う住民投票実施を請求する署名が実施されているが、エネルギー政策を考え直すよいきっかけを与えてくれるものと私は賛同する。
再稼働ありきで、議論が進められることを許しては絶対にならない。検証がなされないうちからの再稼働は私にとっては論外である。説明会のやらせの問題、審議会委員が電力会社から多額の寄付を得ているなど利益相反の問題、スポンサーである電力会社からの圧力に屈するマスコミ報道姿勢の問題などが繰り返されないように望む。学術団体は、各々の専門分野での提言を積極的に発信するとともに、学術団体がその専門分野を超えた学際的な協議ができる場が創設されることを期待したい。
ゆうだい君はじめ、将来の子どもたちには、三つの御願いがある。
まず、メディアリテラシーを身につけていただきたい。何が真実かを、溢れる情報の中から見いだせるようになってほしい。「先生が言ったから正しい。」というのではなく、「先生がどういう理由で言っているから、正しい。」と判断できるようになってほしい。大人も、「専門家が言ったから正しい。」とそこで思考停止をしてしまうことがよくあり、それは、「先生が言ったから正しい。」の域を超えることができていない。また、人脈やインターネットを駆使し、極力、「一次情報」に当たることで、バイアスがかかることを防ぐことができるであろう。
次に、それら情報から真実を見いだし得たなら、その真実と異なる方向に進んでいきそうな現実をみた時に、その場の空気や同調圧力に流されることなく、自分の意見をはっきりと述べることができるようになってほしい。まさに、東電の社会的責任が避けられず、東電バッシングのその最中に、ゆうだい君の「僕のお父さんは東電の社員です。」と述べたその勇気をこれからも持ち続けてほしい。
そして、最後に、東日本大震災であらためて私たち日本人の誇りとして確認し得た「思いやりの心」をこれからも大切に持ち続けてほしい。ひとつの企業の利益、ひとつのまちや地域の利益だけを追求するのではなく、相手や社会全体の利益になることまで思い巡らし、物事の判断を下せるようになってほしい。
ゆうだい君達に、復興した新しい日本として、二度と「想定外」の言い訳を繰り返さない日本として、バトンが渡せるように私たち大人がそれぞれの持ち場で責任を果たし続けます。