「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
憲法では、ご存知のように、第14条
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
と謳われているところです。
平等の考え方を整理します。
自然的事実としての不平等が世の中には存在しています。
能力や資質の差、環境の差、人格の差などです。
もし、形式的平等のルール(A=B=C=D=E=F=G・・・・)を適用すると、能力のある人、資質のある人、そして、能力や資質をのばすための環境が整備されているひとが、高い成績をあげることができ、結果に大きな差が生じてしまいます。
行きつく先は、格差社会です。
今の世の中では、基本は形式的平等のルールです。
入試、選挙権、運賃、消費税、法律が等しく適用されること、誰でもどんな職業にもつけるということなど。
形式的平等のルールの長所は、分かりやすい、「公平」らしく見えるという点にあります。
ただ、背後にある不平等を隠しており、格差を無視しています。
行きつく先には、例えば、富裕層と貧困層の間の格差が広がり、貧困層が拡大し、貧困層から脱出困難な社会ができあがることにつながります。
そこで、どうすればよいか。
実質的平等のルールの採用です。
簡単に言えば、下駄を履かせ、機会を実質的に平等にすることです。
累進課税を想像すればわかりやすいですが、同じレベルの収入のひとにかかる税率は同じですが、高い収入のひとにかかる税率は、高い税率を課しています。
実質的平等の極端な例は、結果まで平等にすることです。(結果の平等)
この場合の短所は、「モラル・ハザード」が生じることです。
がんばっても、がんばらなくても結果は同じですので、がんばる意欲がそがれる状態になります。
例外のない平等を「絶対的平等」というのであれば、このような平等は、「相対的平等」すなわち「等しいものは等しく、等しくないものは等しくなく扱うべし」といいます。
そして、このことが、平等原則となっています。
再度、整理しますと、
形式的平等、ペアの概念として、機会の平等そして絶対的平等があります。
それに対して、実質的平等、相対的平等が言われ、実質的平等を突き詰め過ぎると結果の平等となります。
日本国憲法のもと、場面場面で、形式的平等と相対的平等、一部実質的平等が保障されています。