没後五百年を迎えるレオナルドは、『最後の晩餐』『モナリザ』等により「近代的絵画の創始者」と評されるだけでなく、科学者・技術者として「ルネッサンス的教養人の代表格」である。
レオナルドの交友は広い。マキャベリが友人で『君主論』の主人公である暴君チェーザレ・ボルジアに彼を介して雇われたこともある。
50代で、ライバルが『ダビデ像』の彫刻家ミケランジェロであった。20代であった彼は、心底レオナルドを軽蔑し、レオナルドのほうも、自身が『ウィトルウィウス的人体図』を描き裸体に否定的ではないにも関わらず、『ダビデ像』に「品位ある装飾を付けて」設置すべきと発言したこともある。シニョリーナ宮殿の大会議場に戦争画『ギリアーニの戦い』の壁画の依頼を受け、もう一方の壁にミケランジェロも戦争画『カッシーナの戦い』を同時期に描くことになったときがある。まさに競作である。レオナルドは、「絵画は自然界の知覚できるものすべてを受け入れ包含する。たとえば事物の色やその濃淡であり、それは彫刻という乏しい世界では不可能だ。…」とミケランジェロの彫刻や『カッシーナの戦い』等の彫刻的な絵画を批判している。両者とも完成せず、描かれるはずの場には、ヴァザーリによる6枚の戦争画がある。最近の研究で、絵の下にレオナルドの下絵があることがわかってきている。
ダビンチは、解剖、化石、鳥類、心臓、飛行機、光学、植物学、地質学、流体学、軍事兵器とありとあらゆる分野を研究した。レオナルドは、絵画では、境界線をぼかす「スフマート」という技法を開発した。また、立体性を絵画に取り入れた。史上最も独創的な天才であろう。スティーブ・ジョブズが師と仰ぎ、「芸術とテクノロジーの両方に美を見いだし、二つを結びつける能力によって天才となった」と述べる。
レオナルドの非凡な才能は、神からの贈りものでは決してない。非嫡出児であり、学校教育をほとんど受けておらず、ラテン語や複雑な計算はできなかった。左利きで、注意散漫で、ときに異端であった。30代の頃、「いまだかつて完成した作品などあるのなら、教えてくれ…教えてくれ…教えてくれ」と心の叫びを書き留めている。才能が認められなかった苦しみの時期をレオナルドも経験しているのだ。
1508年~1513年レオナルドが解剖学の研究に没頭したことは、医師としても興味深い。バヴィア大学解剖学マルカントニオ教授と共同研究をした。240点以上のデッサンと、1万3000ワード以上の記録を残した。詳細に筋肉や神経・血管、脊椎骨の構造を記録し、脳室の形を解剖で取り出した脳の中に蝋を流して発見し、唇の細かな筋肉の解剖をした。首の筋肉は、後に絵画に筆を付け加え、脳室を空想力の所在地と判断し、唇の解剖は、『モナリザ』の微笑に繋がった。
動脈硬化の発見だけでなく、驚きなのは、大動脈弁がなぜ閉まるかを流体力学の考察から解き明かした。大動脈の三角形の弁の尖頭が開き、穴を通過した血流は、大動脈のより太い部分に流れ込み、らせん状の渦をまき回転する。その血流が三つの弁の側面に当たり、弁が閉じることを発見した。1700年代初頭の解剖学者にちなみ「バルサルバ洞動脈」と言われる箇所だが、「レオナルド洞動脈」と言われてもよい発見であった。
しかし、レオナルドが陥った失敗が、弁が一方通行の仕組みであることを理解しておきながら、当時の常識であった「血液は心臓に出たり入ったりするだけ」というガレノスの唱えた説の誤りに気付けなかったことである。私も不思議に思うが、著者は、血液の流れの研究は、本や専門家からの知識をあまりに多く身につけてしまったため先入観に囚われ、斬新な発想ができなくなった珍しいケースと分析する。現代に生きる私たちも、膨大な情報にさらされ、三次元画像が複雑な動きや形などを簡単に示してしまうため、想像する力を鍛える場が減っている。大いに注意をすべきである。
著者は、本書を上梓した後、レオナルドのように世界を見ようと努力した。日々目の前の世界に驚きを見い出そうとすることで、人生が豊かになると述べている。私も、レオナルドの観察眼をぜひ持ちたい。芸術と科学を幅広く学問分野の枠を超えた学びをこれからもして行きたいと思う。都市計画を考えざるを得ない公職を得ており、なおさらである。7200ページの手記も参考に、レオナルドが得意としたアナロジーも使ってみたい。レオナルドが見ていた地球と人とのアナロジーを自分なりに解き明かしたい。
子ども達は、もともと自然と周囲の世界に好奇心を抱いている。「キツツキの舌がなぜ長いか?」とまでは疑問を抱かなくとも、「空はなぜ青い?」と多くの子どもが思うはずである。その好奇心を育て、「なぜ」という気持をはぐくめるようにしていきたい。例えば、「ダメな画家は画家に学ぶ。優れた画家は自然に学ぶ」(アッシュバーナム手稿、1巻2 r.)ということが初等教育の図工・理科の中で、生かされることを願う。
以上