内田樹さんが、勉強の本質を語られています。キャリア形成の本質も述べられています。
自分の専門ではないところへの興味をもっていくことが、人生に役立つという考え方には、同感です。
その興味の抱き方は、内田さんは、「純粋な好奇心というよりはむしろ「これを知らないと世界の成り立ちや人間の本質がわからない」という切迫感に追い立てられて勉強してきたように思います。」という風に、切迫感からきていると述べられています。
私は、単に知ることが、楽しいからということで、切迫感まではもっていないなと気づかされました。
******朝日新聞2022.3.25******
https://digital.asahi.com/articles/ASQ3S6G3XQ39UZVL005.html
――文章を書く際、「想定読者」と位置づける存在がいるそうですね。
想定読者というのは「この人がOKと言ってくれるか」と思い浮かべる相手のことですが、私の場合2人いて、1人は小学生の頃からの友人である文筆家の平川克美君(71)。もう1人が2歳上の兄・徹です。兄は6年前に亡くなりましたが、とても仲良い兄弟でしたね。今でも、兄が読んで納得してくれるものを書くということを心がけています。
――お兄さんとはどんな関係だったのですか。
小さい頃はやたら構ってくるので、「うっとうしい兄だな」と思っていましたけれど、僕が中学生になるくらいからだんだん仲良くなりだしました。特に、兄がギターを始めて、ロックに熱中してからですね。兄がシングル盤を買ってきて、僕を部屋に招き入れて、「とにかくこれを聞け」とうるさく勧めるのです。キャロル・キングも、エルビスも、ビートルズも、ジョン・コルトレーンやマイルス・デイビスも。
さらに親密になったのは20代の終わりころです。兄は大学の水にあまり合わなかったようで半年ほどで行かなくなりました。そのあと父が経営していた建設機械の会社で数年間働き、30歳ごろに一人で起業しました。
横浜に小さなオフィスを構え、大学院生だった僕は電話番を頼まれました。博士課程に進学したころで時間の自由がきいたので、週3回ほど通いました。電話番といっても、起業したばかりで電話はほとんどかかってきません。これ幸いと、無人の静かなオフィスでひたすら本を読み、翻訳をし、論文を書いていました。昼になると兄が外回りから戻ってきて一緒に昼食に出かけ、話が盛り上がると、そのまま夕方まで話し込んでいたこともあります。
兄は、僕の話を実に愉快がって聞いてくれる人でした。僕はその頃すごくマイナーなフランスの政治思想や哲学を研究していたんだけど、自分に全く関係のない話でも熱心に聞いてくれました。「なかなかおまえの言うことはうがっているな」と。だからついこっちも図に乗ってどんどん話してしまう。何を言っても受けてくれるという「甘い客」だったんですね。だから後に本を書くようになったときにも、自然と兄を想定読者にするようになりました。
「おまえは『弟子上手』だよな」
――お兄さんから言われた、印象的な言葉があるそうですね。
「おまえは『弟子上手』だよな」と言われました。十数年前のことだと思います。20年ほど前から兄や平川君ら仲良い友人たちと、年に2回くらい箱根温泉の宿で集まって、温泉に入って、おいしいものを食べて、飲んで、マージャンをしてという催しを始めました。そのおしゃべりの間に何かのはずみで兄が口にした言葉でした。「おれとおまえで一番違うところは、おまえには先生がいたけれど、おれにはいなかったということだ」と。
――その言葉が心にとまった理由は?
「なるほどな」と思いました。それまでそんなこと一度も意識したことがなかったのですが、言われてみるとその通りで、腑(ふ)に落ちた言葉でした。
私はちょうどその頃に「先生はえらい」(ちくまプリマー新書、2005年)という本を書いているのですが、兄の言葉の影響もあったかもしれません。その本に書いたのは、「師」というのは弟子の側が自分で作り出すある種の教育的な幻想だということです。「この先生は自分が一生かけて努力しても足元にも及ばないほどの叡智(えいち)と技芸を会得している人だ」と信じて学ぶ人間と、「この先生ははたして全幅の信頼を寄せるに足るだけの器量の人物なのだろうか」と疑いのまなざしを向けながら学ぶ人間とでは、同じ時間だけ努力した場合に身につくものが決定的に違ってくる。「偉大な師に仕える弟子」という位置取りは、自分の成長のためにきわめて有効だと僕は自然に理解をしていたのですけれど、兄に言わせると、「そんなことを思うやつはめったにいない」ということでした。
世の中は僕が知らないこと、僕がそれを知らないということさえ知らないことに満たされているわけです。ですから、ある意味で、「人生至るところに師あり」ということになる。
――相手を選ばず教えてもらう姿勢が重要だということですか?
「相手を選ばず」じゃありませんよ、もちろん。「この人は師とするに値する人だ」と直感を抱いた場合だけです。ただ、「師とするに値する」かどうかを判定する基準を僕の側であらかじめ用意しているわけではないということです。
学び続ける姿勢をやめない理由、そして天職との出会い方。さらに話は深まります。
師に就くというのは、ある意味ではそれまでの自分とは別の人間になると決意することです。師弟関係は絶えざる「自己解体」や「自己刷新」をもたらすものです。よく勘違いされますけれど、僕は「自分らしさ」とか「オレなりのこだわり」とか全然ない人間なんです。
――むしろ「内田樹」というあり方を確立されている人、という印象がありました。
全然違いますよ。「自分らしい生き方」なんて僕は興味ないんです。
私はとにかく勉強すること、人にものを教えてもらうことが好きなんです。専門家に話を聞くときには、口をぽかんと開けて、ひたすら聞いています。「人の話を自分の知識の枠組みに落とし込んで」とか「ああ、それなら知っている」とか思うことはできるだけ自制する。話の中の自分がこれまで知らなかったことに注目して、「それについて、もっと教えて下さい」とお願いする。
だから、誰からでも話を聞きます。たまたましばらく一緒に時間を過ごすことになった人からでも、できるだけ「僕の知らない話」を聞き出します。以前、僕のゼミの卒業生の結婚式に呼ばれたときに、隣に座ったのが新婦の勤め先の上司の方でした。貴金属業界の方でしたけど、「最近、貴金属業界の景気はどうですか」と水を向けたら、30分くらい実に詳しく業界動向を教えてくれました。途中で先方がふと我に返って「あの、こんな話、おもしろいですか」って聞いたのですけれど、「すごくおもしろいです」とお答えしました。本当におもしろかったんです。
――そうした蓄積が論考の土台になっているのですね。
別に話のネタを仕込むつもりで聞いているわけじゃなくて、本当に興味があるんです。その分野の専門家に対して、私が知っていることはすごく限られている。ただ、人の話を聞いていると「自分が何を知らないのか」についてはだんだんわかってくる。
だから、僕がいまいろいろなかたちで発信しているのも「知を授ける」という趣旨のものではありません。僕自分がこれまでさまざまな先生について知識や技術を授かってきたわけですから、今度はご恩返しにそれをできるだけ多くの人にお伝えする。先人から受け取ったものを後からくる世代に「パスする」という感じですね。
――分野を問わず学び続ける姿勢はどこから生まれるのですか?
純粋な好奇心というよりはむしろ「これを知らないと世界の成り立ちや人間の本質がわからない」という切迫感に追い立てられて勉強してきたように思います。
大学院では反ユダヤ主義のことを集中的に勉強していたのですが、それは紀元前から続く反ユダヤ主義というものをどうして西欧文明は清算できなかったのか、その理由を知りたかったからです。この世にはさまざまなレイシズムがありますけれど、最も歴史が古く、規模が大きく、残忍なのは反ユダヤ主義です。なぜ人間はある種の集団に対してこれほど憎しみを抱くのか。それを理解しなければ、怖くて生きられないという切迫感が動機だったと思います。
――なぜ、自身を「壊す」という勉強を重視するのですか。
勉強をするのは自我を強化するためではありません。逆なんです。自己解体、自己刷新のために勉強するのです。自分が知っていることを人に誇示するのって、まったく意味がないと思うんです。だって自分がもう知っていることなんだから。そんなことをしても自分の成長には1ミリも資することがない。そんな暇があったら自分が知らないことについてもっと勉強して、自分を壊していきたい。
「自分の立場を強めたい」という気持ちがあると、相手の懐に飛び込むことができなくなります。自分のディフェンスを固めるようなことには時間を使いたくない。それが兄からすれば「よくそれだけ無防備になれるな」ということだったのでしょうが。絶えず変化し、より複雑なものになっていくというのは、生物の本質なんですから。
「夢」が人生を限定するリスク
――人生の早い段階からキャリア形成を意識させる教育観とは対照的だなと感じました。
いまはもう中等教育から自分のキャリアについて精密な「キャリアプラン」を子どもに作らせていますね。将来どういうところに進学して、どういう資格をとって、どういうところに就職して……ということについての具体的な見通しを、できるだけ早い段階で決定させようとしている。僕はそんなことはしてはいけないと思います。
だって、中学生の子どもが知っている職業なんて、本当にごくわずかでしょう。実際には子どもたちがその名前も知らないような無数の職業が存在する。そして、かなり高い確率で、今の子どもたちがそうした名も知らなかった職業にいずれ就くことになる。アメリカでは、いま小学校に入学する子どもたちの65%は大学卒業後に「今はまだ存在しない職業」に就く、という予測もされているそうです。そうだろうと思いますよ。今の子どもがなりたい職業の1位は「ユーチューバー」だそうですけれど、20年前にはそんな職業存在しなかったじゃないですか。
だから、子どもたちに「将来、何になりたいの?」というようなことをうかつに聞くものじゃないと思います。先日、ある中学校の講演で「子どもに『将来の夢は?』というような質問をうかつにしないように」という話をしたら、親たちも先生たちもかなり驚いていました。
――私がそこにいても驚いただろうなと思います。
でも、子どもに将来の夢をうっかり語らせてはいけないと思います。あまり深い考えなしにであれ、一度「将来は……になりたい」というようなことを口にしてしまうと、子どもにとってそれが呪縛になって、自分の人生を限定してしまうリスクがあるからです。子どもたちはこの世の中にどれほど多様な仕事があるか、ほとんどぜんぜん知らない。その時点でうかつに「自分の夢」を語らせると、子どもたちはそれ以外の可能性を視野から遠ざけてしまうかも知れない。子どもたちには、できるだけ開放的な未来を保証してあげることのほうがずっと大切だと思います。
――社会の先行きが見えず、しっかりした将来設計を持てないと不安という意識もあるのでは?
今の子どもたちが将来どんな仕事に就くことになるかなんて、誰にもわかりませんよ。だから「しっかりした将来設計」なんか立てることもできないですよね。ただ一つ言えるのは、人が仕事に就くときというのは、だいたいは向こうから声がかかるものなんです。「ねえ、ちょっと手を貸して」と言われて、つい「いいよ」と返事をして、気がついたらその道の専門家になっていたということって、実際によくあるんです。別にその仕事が「将来の夢」だったわけでもないし、自分にその適性や能力があるとも思っていなかったけれど、他にやる人もいないみたいだから、じゃあ自分がやるか。というふうにして人は「天職」に出会う。僕自身、これまでやってきた仕事はだいたいそうでした。気がついたら教師になって、翻訳家になって、物書きになって、武道家になっていた。
――キャリアの可能性を広げるためにも、常に心を開いた状態にしておくことが大事だと。
そうですね。僕は仏文学の教授の助手を8年間やっていました。たいして仕事なんてなかったんですよ。電話番とコピーとりくらいで。でも、せっかく「やるかい?」と声をかけてもらって「はい」と即答して始めた仕事ですから一生懸命やりました。だから、就職が決まって辞めるときには、先生たちから惜しんでもらえました。研究成果で褒められたわけじゃなくって、幹事役が評価されました。「内田君は本当に宴会の仕切りがうまかった」って。
でも、それだって侮れないもので、僕が関西で就職できたのも、大学院に集中講義にいらした関西の大学の先生の接待を命じられて、1週間、毎晩院生たちを引き連れて先生を接待したせいなんです。その先生が僕の研究業績なんかよく知らないまま「宴会の座持ちがよい」点を高く買ってくれて、「うちの大学にこないか」と呼んでくれたんです。あのときに「集中講義の先生の接待なんか僕の仕事じゃありません」と断っていたらその先はなかったわけで、人生先に何があるかなんて本当にわからないです。(聞き手・佐藤啓介)