まちづくりにおける地域の人たちとの関係についていろいろと訊かれることがありました。
先日2月17日に美唄市で講演をしたときに、市民や住民に対して、「『認知→共感→参加→率先』というステージがある、というお話をしました。
まずは知ってもらう「認知」ということが一番最初で、知ってもらったことに共感をしてもらえるようにする。
共感をしてくれた方に参加してもらい、参加してくれた人には自らが率先して活動をしてくれるように導く。
ただの一人が、自ら率先して活動をする気になってくれれば、地域は随分と活性化することでしょう。
しかし多くの場合、その方法が分からず苦労します。人を思いのままに動かすなんて簡単にできるものではありません。
一体どうやったら人々が本気になってやる気になってくれるのでしょうか。
※ ※ ※ ※ ※

江戸時代末期に疲弊した村々を救済して歩いた農村経営マネージャーが二宮尊徳です。
彼は農業という、天意に沿って真面目に働けば無から有を生む農業を中心に、村の経営を立て直すことに勤めました。
尊徳は村民に対しては、緻密な現状分析と将来の経営計画を立てて、「この通りにやれば誰がやってもうまくいく」という仕法を進めました。
そのために彼が村民に進めたのが「至誠」、「勤労」、「分度」、「推譲」という四つの徳目でした。
「至誠」とは生き方の根本としてひたすら誠実に真面目に生きよ、ということであり、「勤労」は、働いてこそ飯にありつけるのだ、という基本的な生き方の教えのこと。
「分度」とは、身の丈に合った分をわきまえた生活をせよ、ということであり、「推譲」とは、そうやって誠実に働き、身の丈に合った生活をすれば必ず余剰が出るものだから、そのうちのいくばくかを地域のため、他人のため、子孫のためにすすんで差し出せ、という教えのこと。
彼のこのやり方は、時の小田原藩主である大久保忠真(ただざね)から、「その方のやり方は、論語に言うところの、『以徳報徳』、徳をもって徳に報いるというものであるな」とお褒めの言葉をいただき、尊徳はそれに感じ入って、自らの仕法を「報徳仕法」と呼ぶようになったのでした。
さて、彼は彼を慕う多くの門人たちにもそのやり方を教え、北関東を中心に多くの村々を疲弊と飢饉から救いましたが、中には簡単に言うことをきかない人たちもいました。
そういう村で彼が実践したのが「芋こじ」という会合でした。
「芋こじ」とは、サトイモを樽に入れて棒でかき混ぜれば芋同士が互いに擦れ合って汚れが落ちてきれいになる、ということで、これを村民が集まって互いに意見を交わす場面のことに例えたものです。
彼の高弟の一人である福住正兄(ふくずみまさえ)が記した尊徳の言行録のなかの一つに、「富国捷径」という書がありますが、この中で正兄はこのように書いています。
「さて社中折々集会して、身の修めかた、世間のつきあい、…、また心配筋のこと、自分に決しがたきことなど、みな打ち明けて相談して、それよりはこのほうがよい、これよりはあのほうがよろしい…と相互に相談するのでござる。また教導職に説教を頼み、また学者に正講をも頼み、聴聞してますます善心を固くするがよろしいでござる」
「この集会をなすことを、二宮先生は芋こじと常に申されたでござる。これは、集会にたびたび出るは芋こじをするようなもので、相互にすれ合って汚れが落ちて、清浄になるというたとえでござる」
「人々、師について学ばざれば道は得られるものと思うは、ほんとうの道を知らぬゆえのことでござる」
「本当の道と申すものは、学ばずして知り、習わずして覚え、記録もいらず、書物もいらず、師匠もいらず、自然天然に銘々かならず心得ているわけのものでござる。それでなくてはほんとうの道ではござらぬ」
※ ※ ※ ※ ※
イメージとしては、現代のワークショップのようなものでしょうか。
皆が真剣に参加して知恵を出し合って、互いに足らざるものを補い合いながら、自らが気付くように仕向ければ、自らが気付いたことはやれる、ということに尊徳は期待をしていました。そして実際多くの村々が立ち直ったのです。
さて、冒頭の話題に戻りましょう。
「参加を率先へ」と高める方法は、この報徳仕法のなかの「芋こじ」にこそその真理があるでしょう。
もちろんそれを指導するリーダーには誠実さゆえの信頼が求められるわけですが、そうしたこと全てが二宮尊徳の報徳仕法なのです。
音もなくかもなく常に天地は
書かざる経を繰り返しつつ
先日2月17日に美唄市で講演をしたときに、市民や住民に対して、「『認知→共感→参加→率先』というステージがある、というお話をしました。
まずは知ってもらう「認知」ということが一番最初で、知ってもらったことに共感をしてもらえるようにする。
共感をしてくれた方に参加してもらい、参加してくれた人には自らが率先して活動をしてくれるように導く。
ただの一人が、自ら率先して活動をする気になってくれれば、地域は随分と活性化することでしょう。
しかし多くの場合、その方法が分からず苦労します。人を思いのままに動かすなんて簡単にできるものではありません。
一体どうやったら人々が本気になってやる気になってくれるのでしょうか。
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江戸時代末期に疲弊した村々を救済して歩いた農村経営マネージャーが二宮尊徳です。
彼は農業という、天意に沿って真面目に働けば無から有を生む農業を中心に、村の経営を立て直すことに勤めました。
尊徳は村民に対しては、緻密な現状分析と将来の経営計画を立てて、「この通りにやれば誰がやってもうまくいく」という仕法を進めました。
そのために彼が村民に進めたのが「至誠」、「勤労」、「分度」、「推譲」という四つの徳目でした。
「至誠」とは生き方の根本としてひたすら誠実に真面目に生きよ、ということであり、「勤労」は、働いてこそ飯にありつけるのだ、という基本的な生き方の教えのこと。
「分度」とは、身の丈に合った分をわきまえた生活をせよ、ということであり、「推譲」とは、そうやって誠実に働き、身の丈に合った生活をすれば必ず余剰が出るものだから、そのうちのいくばくかを地域のため、他人のため、子孫のためにすすんで差し出せ、という教えのこと。
彼のこのやり方は、時の小田原藩主である大久保忠真(ただざね)から、「その方のやり方は、論語に言うところの、『以徳報徳』、徳をもって徳に報いるというものであるな」とお褒めの言葉をいただき、尊徳はそれに感じ入って、自らの仕法を「報徳仕法」と呼ぶようになったのでした。
さて、彼は彼を慕う多くの門人たちにもそのやり方を教え、北関東を中心に多くの村々を疲弊と飢饉から救いましたが、中には簡単に言うことをきかない人たちもいました。
そういう村で彼が実践したのが「芋こじ」という会合でした。
「芋こじ」とは、サトイモを樽に入れて棒でかき混ぜれば芋同士が互いに擦れ合って汚れが落ちてきれいになる、ということで、これを村民が集まって互いに意見を交わす場面のことに例えたものです。
彼の高弟の一人である福住正兄(ふくずみまさえ)が記した尊徳の言行録のなかの一つに、「富国捷径」という書がありますが、この中で正兄はこのように書いています。
「さて社中折々集会して、身の修めかた、世間のつきあい、…、また心配筋のこと、自分に決しがたきことなど、みな打ち明けて相談して、それよりはこのほうがよい、これよりはあのほうがよろしい…と相互に相談するのでござる。また教導職に説教を頼み、また学者に正講をも頼み、聴聞してますます善心を固くするがよろしいでござる」
「この集会をなすことを、二宮先生は芋こじと常に申されたでござる。これは、集会にたびたび出るは芋こじをするようなもので、相互にすれ合って汚れが落ちて、清浄になるというたとえでござる」
「人々、師について学ばざれば道は得られるものと思うは、ほんとうの道を知らぬゆえのことでござる」
「本当の道と申すものは、学ばずして知り、習わずして覚え、記録もいらず、書物もいらず、師匠もいらず、自然天然に銘々かならず心得ているわけのものでござる。それでなくてはほんとうの道ではござらぬ」
※ ※ ※ ※ ※
イメージとしては、現代のワークショップのようなものでしょうか。
皆が真剣に参加して知恵を出し合って、互いに足らざるものを補い合いながら、自らが気付くように仕向ければ、自らが気付いたことはやれる、ということに尊徳は期待をしていました。そして実際多くの村々が立ち直ったのです。
さて、冒頭の話題に戻りましょう。
「参加を率先へ」と高める方法は、この報徳仕法のなかの「芋こじ」にこそその真理があるでしょう。
もちろんそれを指導するリーダーには誠実さゆえの信頼が求められるわけですが、そうしたこと全てが二宮尊徳の報徳仕法なのです。
音もなくかもなく常に天地は
書かざる経を繰り返しつつ