あの大地震と大津波が発生した東日本大震災から一年となりました。
昨年の地震発生の瞬間は、市長室で打ち合わせをしていました。
地震は長時間にわたってゆらゆらと揺れ続け、まるで大きな船に乗っているかのような感じさえして、軽い船酔いのようになったことを今でも覚えています。
昨年のこの日のブログには、「市内では旧釧路市内と音別地区では震度3でしたが、阿寒地区で震度4を観測したため災害対策本部を設置。地震の被害はありませんでしたが、津波注意報が津波警報、そして大津波警報へと警戒警報が変化したために災害対策本部を継続中」と書かれています。
断続的にテレビから流れてくる津波の映像には今思い返しても胸が詰まる思いでした。
釧路市内でもMOOが津波による浸水被害を受け、各所で橋が通行止めになり交通混乱をきたしましたが、幸いにして市内での津波による犠牲者は一人も発生せず、不幸中の幸いでありました。
その後の東北の沿岸部自治体の津波被害とともに、原発の放射能漏れから我が国はいまだに本格的に立ち直ることができず、もがき苦しんでいます。
この未曽有の大災害を他山の石として、わが町の防災力向上に繋げなくてはいけません。
※ ※ ※ ※ ※
今日は14時30分から、臨時の災害対策本部班長会議が開催され、津波被害を受けた以降この一年での各般の対応状況が報告され、あらためて情報を共有するとともに、災害への備えの重要性に気持ちを引き締めました。
また14時46分には市内に流れるサイレンの音とともに、全員が一分間の黙とうを行い犠牲者に哀悼の誠を捧げました。
さて、大震災から一年を経てなお、被災地ではなかなか復興が進まず、焦る日を過ごしているようです。
「絆の大切さを思い知」らされることも大切ですが、ボランティア活動や被災地の報道が減ってゆく中で、なお関心を持ち続けて、直接・間接に支援を続けることの大切さを改めて思い起こしたいものです。
※ ※ ※ ※ ※
江戸時代末期の農村救済家であった二宮尊徳は、自身の仕法(=地域建て直しの方法)を報徳仕法と呼び、その四つの徳目として、「至誠」、「勤労」、「分度」、「推譲」を掲げました。
まじめに働き、身の丈に合った生活をしさえすれば必ずや余剰が出るだろうから、そうしたらその余剰は進んで推譲(=差し出せ)せよ、と彼は言いました。
尊徳の言う「推譲」にはいくつかの種類があります。
それは自分自身のための推譲、自分の身内のための推譲、そして社会や国のための推譲、の三つです。
【推譲の三つの形】
「自分自身のための推譲」とは、今日食べるコメを我慢して明日に推譲する、とか、今年使えるお金を取っておいて来年に推譲する、というような使い方もします。
今の余剰を使い切ってしまわずに我慢することも推譲の一つの形で、尊徳先生は、「この推譲ができるかできないかが、われわれ人間と禽獣とを分ける最大の違いである」と言っています。
猪でも熊でも、力があるのに今日の獲物を明日に推譲できないために、餌を求めて辛い日々を過ごすのであって、それができる人間だけが安泰な生活を営んでいるというのです。現代人も貯蓄はそうした推譲の積み重ねと言えるかもしれません。
次に、「自分の身内のための推譲」ですが、これもまた、自分が食べるコメや使えるお金を子供に譲ったり、自分の代で消費できるものを子や孫に推譲する、という言い方をして、自分自身への推譲よりは難しいだろう、と言います。
尊徳先生はその上で、「郷里や国家に対する推譲の段階こそ最も難しいものだ」と言います。[二宮翁夜話171段]
「これらもしょせんは自分の富貴を維持する結果となるのだけれども、眼前、他に譲ることだから難しいのだ。だからこれらは教えによらなくてはならない」
「この道を勧めるものは富貴や栄誉が集まってくるし、この道を勧めないものは富貴や栄誉が遠ざかってゆく」
「世の中の富有(ママ)者に教えたいのはこの譲道だが、ただ富者ばかりのことではない。また金や穀物ばかりの譲りではない。道も譲らなければならないし、…言葉も、功績も譲らなくてはならない。そなたたち、よく勤めるがよい」
※ ※ ※ ※ ※
自分のためには我慢も投資もできるけれど、他社にまで自分の関心を広げるには、しっかりとした教え、すなわち教育が必要です。
学力以上の自己修練の道を勤めて人間力を養うには、私は先人の良書、つまり古典を読むのが一番だと思っています。まだまだ修行ですね。
さて、尊徳先生の報徳仕法では、学ぶことも大切だが実践こそ大切と説きます。
東京都の石原都知事は、大震災の追悼式典で講演して、「祈るだけなら誰でもできる。行動をしなくてはだめだ」と言ったのだそう。
石原さんでなくても、今求められているのは行動です。
今日を日本再生のための新たな出発の日にいたしましょう。
昨年の地震発生の瞬間は、市長室で打ち合わせをしていました。
地震は長時間にわたってゆらゆらと揺れ続け、まるで大きな船に乗っているかのような感じさえして、軽い船酔いのようになったことを今でも覚えています。
昨年のこの日のブログには、「市内では旧釧路市内と音別地区では震度3でしたが、阿寒地区で震度4を観測したため災害対策本部を設置。地震の被害はありませんでしたが、津波注意報が津波警報、そして大津波警報へと警戒警報が変化したために災害対策本部を継続中」と書かれています。
断続的にテレビから流れてくる津波の映像には今思い返しても胸が詰まる思いでした。
釧路市内でもMOOが津波による浸水被害を受け、各所で橋が通行止めになり交通混乱をきたしましたが、幸いにして市内での津波による犠牲者は一人も発生せず、不幸中の幸いでありました。
その後の東北の沿岸部自治体の津波被害とともに、原発の放射能漏れから我が国はいまだに本格的に立ち直ることができず、もがき苦しんでいます。
この未曽有の大災害を他山の石として、わが町の防災力向上に繋げなくてはいけません。
※ ※ ※ ※ ※
今日は14時30分から、臨時の災害対策本部班長会議が開催され、津波被害を受けた以降この一年での各般の対応状況が報告され、あらためて情報を共有するとともに、災害への備えの重要性に気持ちを引き締めました。
また14時46分には市内に流れるサイレンの音とともに、全員が一分間の黙とうを行い犠牲者に哀悼の誠を捧げました。
さて、大震災から一年を経てなお、被災地ではなかなか復興が進まず、焦る日を過ごしているようです。
「絆の大切さを思い知」らされることも大切ですが、ボランティア活動や被災地の報道が減ってゆく中で、なお関心を持ち続けて、直接・間接に支援を続けることの大切さを改めて思い起こしたいものです。
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江戸時代末期の農村救済家であった二宮尊徳は、自身の仕法(=地域建て直しの方法)を報徳仕法と呼び、その四つの徳目として、「至誠」、「勤労」、「分度」、「推譲」を掲げました。
まじめに働き、身の丈に合った生活をしさえすれば必ずや余剰が出るだろうから、そうしたらその余剰は進んで推譲(=差し出せ)せよ、と彼は言いました。
尊徳の言う「推譲」にはいくつかの種類があります。
それは自分自身のための推譲、自分の身内のための推譲、そして社会や国のための推譲、の三つです。
【推譲の三つの形】
「自分自身のための推譲」とは、今日食べるコメを我慢して明日に推譲する、とか、今年使えるお金を取っておいて来年に推譲する、というような使い方もします。
今の余剰を使い切ってしまわずに我慢することも推譲の一つの形で、尊徳先生は、「この推譲ができるかできないかが、われわれ人間と禽獣とを分ける最大の違いである」と言っています。
猪でも熊でも、力があるのに今日の獲物を明日に推譲できないために、餌を求めて辛い日々を過ごすのであって、それができる人間だけが安泰な生活を営んでいるというのです。現代人も貯蓄はそうした推譲の積み重ねと言えるかもしれません。
次に、「自分の身内のための推譲」ですが、これもまた、自分が食べるコメや使えるお金を子供に譲ったり、自分の代で消費できるものを子や孫に推譲する、という言い方をして、自分自身への推譲よりは難しいだろう、と言います。
尊徳先生はその上で、「郷里や国家に対する推譲の段階こそ最も難しいものだ」と言います。[二宮翁夜話171段]
「これらもしょせんは自分の富貴を維持する結果となるのだけれども、眼前、他に譲ることだから難しいのだ。だからこれらは教えによらなくてはならない」
「この道を勧めるものは富貴や栄誉が集まってくるし、この道を勧めないものは富貴や栄誉が遠ざかってゆく」
「世の中の富有(ママ)者に教えたいのはこの譲道だが、ただ富者ばかりのことではない。また金や穀物ばかりの譲りではない。道も譲らなければならないし、…言葉も、功績も譲らなくてはならない。そなたたち、よく勤めるがよい」
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自分のためには我慢も投資もできるけれど、他社にまで自分の関心を広げるには、しっかりとした教え、すなわち教育が必要です。
学力以上の自己修練の道を勤めて人間力を養うには、私は先人の良書、つまり古典を読むのが一番だと思っています。まだまだ修行ですね。
さて、尊徳先生の報徳仕法では、学ぶことも大切だが実践こそ大切と説きます。
東京都の石原都知事は、大震災の追悼式典で講演して、「祈るだけなら誰でもできる。行動をしなくてはだめだ」と言ったのだそう。
石原さんでなくても、今求められているのは行動です。
今日を日本再生のための新たな出発の日にいたしましょう。