【平成24年3月30日付日経】
今朝の日本経済新聞の「経済教室」の紙面は、東北大学の柴田友厚先生による「企業、新技術適応の条件~『既存』『新規』の管理統轄を」という記事でした。
記事は、世界を変えた三つのイノベーションは、トーマス・エジソンの電球、グラハム・ベルの電話、そしてジョージ・イーストマンのフィルムと言われる、としたうえで、そのイーストマン・コダックが経営破綻をした、というところから始まります。
コダック社の経営ミスは、フィルムカメラの成功体験がデジタルカメラへの転換を遅らせた、というもの。
「成功した企業が新技術の台頭に直面して、現行技術を継続するのか、あるいは新技術に移行するのかという経営判断を迫られるのは、同社に限った話ではない」
成功体験が大きく、その基幹技術で他を凌駕していればいるほど、自信を持っていればいるほど、新しい技術へ飛び込むことを躊躇しがちです。
危険なことは、経営判断に大きな影響力があるトップリーダー自らが成功体験による自信をもっていること。
ここでのミスは致命的なものになりがちです。
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渡部昇一著「日本の歴史」シリーズの第三巻目は、「戦乱と文化の興隆」というタイトルで戦国時代の応仁の乱から豊臣政権末期までを扱ったもの。
【渡部昇一著「日本の歴史③」】
豊臣秀吉が大陸へ進出して明の国を目標に挑戦へ侵攻した理由は後世の史家たちが様々な説を唱えていますが、著者の渡部先生は、「秀吉は若い時から明の国を取りに行く気持ちがあった」と言います。
そのうえで、「注目すべきなのは、秀吉に(他の武将と異なり)シナに対する崇拝の気持ちが全くなかったこと」であり、その理由は「秀吉の情報源が、どうやら倭寇だったらしく、『シナなど恐るるに足りない」とすっかり思い込んだらしいのです。
評論家の小林秀雄は、結果としては失敗だった秀吉の明侵攻という判断の誤りを、「秀吉が計算を誤ったのは、これが新しい事態だったからで、この新しい事態にあたっては彼の豊富な経験は何の役にも立たなかった。役に立たなかっただけではなく、事態を判断するのに大きな障碍となった。つまり判断を誤らせたのは、彼の豊富な経験から割り出した正確な知識そのものだった」と言っています。
明侵攻での事態の新しさとは海軍というセンスで、秀吉にはこれが全く欠けていました。
せいぜい輸送船という発想くらいはあったものの、水軍の船は性能で劣り、おまけに指揮官も不在でバラバラな戦いに終始しました。
陸上では破竹の勢いで進む武将たちの一方で、水軍で戦うということを考えなかったために、後々十分な食料を運ぶことができず陸の武将たちも大変な戦いを強いられました。
結果として戦いは秀吉の死によって収束してゆきますが、晩年の秀吉はもはやかつての輝きを失った老害でしかなく、トップリーダーでいることの自覚を客観視できる状態ではありませんでした。
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冒頭の柴田先生の日経紙上での論文には、こうした新技術への対応として、「既存事業と新規事業の双方を管理して、柔軟な資源配分をせよ」と主張します。
訪れる社会変化を「新しい事態」を捕え、技術転換を果たせば、それを補完する技術は新しいビジネスを生み出す可能性が十分にあります。
成功体験にこだわらずに自分自身を客観視し、戦略的な視点を持ち続けたいものです。
やはり変わる勇気でしょうか。