北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「眼力」は経験のたまもの

2012-03-25 23:45:23 | Weblog



 まだ雪がちらつく釧路ですが、早朝から郊外の川へフライフィッシングに行ってきました。

 まだ水位は低いとあって、ウェイダーを着て川の中へ立ちこんで対岸を狙います。

 用意したラインは水に沈むシンキングラインで、緑色したマラブーというフライでチャレンジです。

 できるだけ対岸近くへ放り込もうと思いますが、シンキングラインではすぐに下流へ流れるのでなかなか意図したところにとどまってもらうわけにはいきません。

 師匠のHさんも、前半はシンキングラインを使っていました。しかしやはり魚がかからないので思うところあってシステムをルースニングという弛ませながら浮きでアタリを取る方法に変更。

 すると見事に第一投からヒットして、50cmオーバーのきれいなアメマスに出会うことができました。さすがは師匠です。


  【50オーバーのアメマスが!】


「魚がいないかと思いましたが、いるんですねえ」

 ちょっとしたシステムの違いで釣れなければ、魚はいないと思うところですが、いるなら顔を見せてもらいましょう。


「ルースニングのセットは持ってきていないんですか?」
「ええ、まだシンキングラインの季節かと思ったもので…、失敗ですね」

 まだまだ見えている範囲が狭いことを思い知りました。


    ※     ※     ※     ※     ※



 場面に応じた多様な対応の引き出しを揃えるには、ひとえに経験を重ねるしかありません。

 広い川の中でどのあたりになら魚がいそうかを見抜く目も直感に近い力。

 より細かな情報から的確に状況を把握する力を私は「眼力」と呼んでいますが、この眼力こそ経験が若さに勝る点です。

 私はこれを性能の良い天体望遠鏡に例えます。

 性能が悪いと一つの星にしか見えない天体も、性能の良い望遠鏡で見ると二つに分かれて見えるようになるものです。

 このように違いが分からないものの違いが見えるようになるのが「眼力」に外なりません。

 眼力は、もちろん時間をかけた経験によって培われますが、ただ見ることに時間をかけるだけではいけません。

 『見る』と同時に、常にその本質を見極めようと『考える』訓練を重ねること、この両輪をバランスよく働かせてこそ眼力が育ちます。

 いろいろな分野でより高い眼力を持てるかどうか。

 今生を心豊かに過ごすためのテーマではないでしょうか。  


コメント
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