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春が近くなって、フライフィッシングのフライ巻きをいよいよ本格化させつつあります。
道東の釣りは四季折々に楽しめて、季節ごとに使うフライ(疑似餌)が変わるので、様々なタイプを作りためておかないといけません。
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ある虫はほんの一時期に水中から羽化して空中へと出てきますが、それを狙う魚をさらに似た餌で誘うという知恵比べがフライフィッシングの醍醐味の一つ。
そのかわり、その虫に似せたフライが使えるのはほんの数日でしかありません。その期間が過ぎるともう次の虫を狙う魚たちの興味を引かなくなるからです。
何種類のフライの巻き方を学ばなくてはいけないのかわかりませんが、まずは分からないままに下手なりに巻いてみるところから始めなくては。
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【エビに見えますか?】
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先日も友人のAさんにフライの巻き方を教わりながら、時節柄そろそろ退職する先輩たちの話になりました。
現役の時には仕事一筋に生きて、「退職したらゆっくり趣味でも始めることにするよ」という方が良くいますが、それは間違いだ、とAさんは言います。
「『趣味でも』というのが間違いで、何が没頭するに値する趣味なのかが分からないのでは時間が使えないのではないだろうか」と言うのです。
私も全く同じ意見。
一生の趣味とは、最低40代から始めて定年を迎える頃には先生と呼ばれていたい、ということを理想にしたいと私は思います。
そしてそこに至るためには、もっと若い頃からいろいろなことを始めてみて、自分に合うか合わないかを試してみることも大切です。
そういう意味でも自分自身の好奇心を持ち続けることが大事なのであって、心が枯れたようなものごとに無関心な状態からは早く脱却したいところです。
「でも趣味を誰とやるかですよね」とAさん。
「そうですね、一人でもいいけれど、心が通う友達と楽しめればこれまた最高ですよね」
趣味を極めることも大切ですが、同時に同じ時間を共に楽しめる同志の存在がまた欠かせません。
もちろん、身近な配偶者でも良いし、趣味の仲間でもよし。
結局人生が半ばを過ぎるころに大切になってくるのは、生きている意味を感じる対象と、心を通わせる同志の存在ということになるのでしょう。
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昨年私が聞いた中でもっとも目からうろこが落ちた一言は、釣りに遊びに来ていた人生の先輩からの、「寿命には限りがありますから」という一言でした。
寿命には限りがあって過ぎた時間は取り返せないからこそ、早くやっておくべきことには早く気付いた方が良い。
真の勉強とはそういうことに気付くような人間力を鍛えるためにするはずなのではないでしょうか。
学びて思わざれば、すなわち罔(暗)し (論語)