いよいよ今日から12月議会の始まり。
去る10月の市長選挙と同時に行われた市議会議員補欠選挙で当選した大澤議員は初登場。
初々しいというよりはJCで鍛えられた論客だ。年齢もまだ若く、今後の活躍に大いに期待したい。
◆ ◆ ◆
さて、今議会で大きく話題となっているのが、議員提案による『釧路市の子どもたちに基礎学力の習得を保障するための教育の推進に関する条例』である。
提出者は月田光明議員を代表とする複数の会派にまたがる市議会議員10名の連名だ。
この条例案は議員提案で、その内容については議会の中でも賛否が渦巻いている。
当然同僚議員からの質問もあるのだが、理事者側が答えるわけには行かず、提出議員代表が答えるという初めての形となった。
もしも可決したあかつきには当然執行者は市長、教育長をはじめとする理事者側なのだが、理事者側は質疑に参加できないという極めて不思議な感じである。
こうした形が初めてとはいえ、今後に向けては思うところも多い。
◆
さて、この条例、月田代表は『基礎学力保障条例(略称)案』と呼んでいるのでこれを使わせていただくことにしよう。
今議会の中では共産党及び市民連合から事前に質問趣意書が提出されている。
そのトップバッターは共産党の梅津則行議員だが、舌鋒鋭く条例の意味するところを問いただす。
梅津議員の問題意識は、条例案の中での基礎学力の定義だ。
条例案では『子どもたちが、その心身の発達の段階に応じて学習により身に付けるべき基礎的な能力のうち、義務教育の過程を通じて習得すべき読む能力、書く能力及び計算する能力に係る知識及び技能であって、その向上又は低下の傾向を客観的な数値指標によって把握できるものをいう』とされているが、梅津議員は「これを議連が定義することに違和感がある」と言う。
「公式ができなくても子供たちには考える力はある。『考える力』と『基礎学力』は両方がそろうべきではないか」という主張だ。
これに対して月田代表は、「それはあるが、そのなかでも『数値で測れるもの』という考え方だ」と譲らない。
梅津「考える力は数値には表れない。この定義については教育の専門家などとしっかり議論すべきだが、それがなされていない」
月田「学力の定義には幅があるが、まずは(数値で測れるもの)という一つの定義を明確にして、薦めるべき事柄を明確にするのが良いのではないか」
丁々発止のやりとりは見ていてスリリングで、議論はかくあるべしと思わせるに足る内容だった。

◆
しかし個人的に気になるのは、こうした条文の意味するところの範囲や解釈などは本来言葉で行われるべきものではなく、文書で後に残る形でやられるべきだ、ということだ。
国が新しい法律を作ろうとすれば、通称タコ部屋と呼ばれる法律家の専門職が一カ所に集められて各省からの質問に対して答えて互いの認識を一致させる努力を徹底的に行うものだ。
例えば、「等」などというあいまいな表現があれば、「『等』には何が含まれるか具体的限定的に列挙せよ」という質問が来るものだ。
それに答えれば今度は、「○○については含まれないことを文書で確認せよ」と来る。
言葉の定義と解釈にはこうした徹底的な摺合せが文書という後に残る形で事前に行われた上で初めて文案が提出されるはずだ。
今回の質問で訊かれなかった疑問は誰がどのように解釈するのだろうか。事前に解釈されない疑問が残ってはいけないのだが…。
◆ ◆ ◆
後半の宮田団(みやたまどか)議員からの本条例に対する質問には、「条例案6条(2)において、基礎学力の習得度の計測においては、それによって得られた習得状況及び課題等の情報を…、学校ホームページへの掲載等により広く市民に公表すること、が規定されているが学力テストの公表は求めるのか」というものがあった。
これに対して月田代表は、「この公表とは、各学校が行うミニテストなども含めるが、それをどう使って向上させるかの使い方は各学校の自主性でありその域を出るものではない」と説明。
宮田「課題のある(基礎学力の習得に支援を要すると認められる)児童・生徒はどのように把握するのか」
月田「テストで期待される点数に不足する度合いの見方があるだろう」
宮田「その子たちをどのように明らかにしているのか」
月田「一定の基準に基づき、『この学校はこれくらいの習得状況を期待し、不足する子』たちが見えたら各学校の対策が取られるのではないか」
◆ ◆ ◆
総じて低学力に対する問題意識は皆共有できているはずなのに、この条例が作られることによって実現することが何なのか、に対する意識は共有されていない印象だ。
そもそもが理念条例として、あるべき姿を語ることが目的なのか、実効性を持つものなのかも提出議員はもちろん一般市民が理解しているのかどうなのか。
「基礎学力を保障する」という言葉に込められた解釈がひとそれぞれで良いとは思えない。
また、議論の中で、「この条例が成立するとどうなるのか」という趣旨の問いがあり、これにたいして月田代表は「児童・生徒の基礎学力の習得のために行う教育委員会の事業に必要な財政上の措置が講じられる(条例案4条(2)か?)」と答え、議場からは「予算提出権は市長にしかないんだよ」という野次が飛んだ。
◆
重ねて言いたいのは、低学力をなんとかしたいという思いはみな共通なのだが、この条例の実効性と条文の解釈については共有がしきれていない印象だ、ということ。
特に質疑応答がされて文章として残っている部分以外については、解釈は明らかになっていない。
しかし条例が成立すれば執行は理事者側に委ねられるのだろう。
権限のある機関によって行われる法などの解釈を「有権解釈」というのだが、条例が成立した暁には有権解釈権は理事者側にあると考えてよいのだろうか。
発言もせず聞くばかりであったが、ちょっともやっとしている。
去る10月の市長選挙と同時に行われた市議会議員補欠選挙で当選した大澤議員は初登場。
初々しいというよりはJCで鍛えられた論客だ。年齢もまだ若く、今後の活躍に大いに期待したい。
◆ ◆ ◆
さて、今議会で大きく話題となっているのが、議員提案による『釧路市の子どもたちに基礎学力の習得を保障するための教育の推進に関する条例』である。
提出者は月田光明議員を代表とする複数の会派にまたがる市議会議員10名の連名だ。
この条例案は議員提案で、その内容については議会の中でも賛否が渦巻いている。
当然同僚議員からの質問もあるのだが、理事者側が答えるわけには行かず、提出議員代表が答えるという初めての形となった。
もしも可決したあかつきには当然執行者は市長、教育長をはじめとする理事者側なのだが、理事者側は質疑に参加できないという極めて不思議な感じである。
こうした形が初めてとはいえ、今後に向けては思うところも多い。
◆
さて、この条例、月田代表は『基礎学力保障条例(略称)案』と呼んでいるのでこれを使わせていただくことにしよう。
今議会の中では共産党及び市民連合から事前に質問趣意書が提出されている。
そのトップバッターは共産党の梅津則行議員だが、舌鋒鋭く条例の意味するところを問いただす。
梅津議員の問題意識は、条例案の中での基礎学力の定義だ。
条例案では『子どもたちが、その心身の発達の段階に応じて学習により身に付けるべき基礎的な能力のうち、義務教育の過程を通じて習得すべき読む能力、書く能力及び計算する能力に係る知識及び技能であって、その向上又は低下の傾向を客観的な数値指標によって把握できるものをいう』とされているが、梅津議員は「これを議連が定義することに違和感がある」と言う。
「公式ができなくても子供たちには考える力はある。『考える力』と『基礎学力』は両方がそろうべきではないか」という主張だ。
これに対して月田代表は、「それはあるが、そのなかでも『数値で測れるもの』という考え方だ」と譲らない。
梅津「考える力は数値には表れない。この定義については教育の専門家などとしっかり議論すべきだが、それがなされていない」
月田「学力の定義には幅があるが、まずは(数値で測れるもの)という一つの定義を明確にして、薦めるべき事柄を明確にするのが良いのではないか」
丁々発止のやりとりは見ていてスリリングで、議論はかくあるべしと思わせるに足る内容だった。

◆
しかし個人的に気になるのは、こうした条文の意味するところの範囲や解釈などは本来言葉で行われるべきものではなく、文書で後に残る形でやられるべきだ、ということだ。
国が新しい法律を作ろうとすれば、通称タコ部屋と呼ばれる法律家の専門職が一カ所に集められて各省からの質問に対して答えて互いの認識を一致させる努力を徹底的に行うものだ。
例えば、「等」などというあいまいな表現があれば、「『等』には何が含まれるか具体的限定的に列挙せよ」という質問が来るものだ。
それに答えれば今度は、「○○については含まれないことを文書で確認せよ」と来る。
言葉の定義と解釈にはこうした徹底的な摺合せが文書という後に残る形で事前に行われた上で初めて文案が提出されるはずだ。
今回の質問で訊かれなかった疑問は誰がどのように解釈するのだろうか。事前に解釈されない疑問が残ってはいけないのだが…。
◆ ◆ ◆
後半の宮田団(みやたまどか)議員からの本条例に対する質問には、「条例案6条(2)において、基礎学力の習得度の計測においては、それによって得られた習得状況及び課題等の情報を…、学校ホームページへの掲載等により広く市民に公表すること、が規定されているが学力テストの公表は求めるのか」というものがあった。
これに対して月田代表は、「この公表とは、各学校が行うミニテストなども含めるが、それをどう使って向上させるかの使い方は各学校の自主性でありその域を出るものではない」と説明。
宮田「課題のある(基礎学力の習得に支援を要すると認められる)児童・生徒はどのように把握するのか」
月田「テストで期待される点数に不足する度合いの見方があるだろう」
宮田「その子たちをどのように明らかにしているのか」
月田「一定の基準に基づき、『この学校はこれくらいの習得状況を期待し、不足する子』たちが見えたら各学校の対策が取られるのではないか」
◆ ◆ ◆
総じて低学力に対する問題意識は皆共有できているはずなのに、この条例が作られることによって実現することが何なのか、に対する意識は共有されていない印象だ。
そもそもが理念条例として、あるべき姿を語ることが目的なのか、実効性を持つものなのかも提出議員はもちろん一般市民が理解しているのかどうなのか。
「基礎学力を保障する」という言葉に込められた解釈がひとそれぞれで良いとは思えない。
また、議論の中で、「この条例が成立するとどうなるのか」という趣旨の問いがあり、これにたいして月田代表は「児童・生徒の基礎学力の習得のために行う教育委員会の事業に必要な財政上の措置が講じられる(条例案4条(2)か?)」と答え、議場からは「予算提出権は市長にしかないんだよ」という野次が飛んだ。
◆
重ねて言いたいのは、低学力をなんとかしたいという思いはみな共通なのだが、この条例の実効性と条文の解釈については共有がしきれていない印象だ、ということ。
特に質疑応答がされて文章として残っている部分以外については、解釈は明らかになっていない。
しかし条例が成立すれば執行は理事者側に委ねられるのだろう。
権限のある機関によって行われる法などの解釈を「有権解釈」というのだが、条例が成立した暁には有権解釈権は理事者側にあると考えてよいのだろうか。
発言もせず聞くばかりであったが、ちょっともやっとしている。