北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

習慣的行動を変える力

2012-12-18 23:38:49 | Weblog
 「木鶏の会」は、人間力を高める雑誌、月刊「致知」の読者による月に一度の会合である。

 今日は読み合わせの勉強会はやらずに純粋の忘年会で一年を振り返った。

 月刊「致知」には本当に頑張っている人の物語が数多く語られていて読んでいるうちに勇気と元気が湧いてくる。

 しかしなにしろ文字が多いので、積読(つんどく)状態になることも多い。

 月に一度の読み合わせ会は読まざるを得ない状況に自分自身を追い込むので、いやがうえにも読んでから参加することになるのである。

 時には形から入ることで行動を促すことがあるもので、こういう知恵は上手に使いたいものだ。



   ◆   ◆   ◆



 参加者の中には、私のブログを読んでこの会の存在を知って参加してきた方がいる。

 ちょっとした文章を読んだくらいで雑誌を読み、会に参加してくれるとは嬉しいものだ。

 こういうことは、いくら「良いですよ」と進めても性に合わなければ縁がないものだ


   ◆   






 何かに刺激されて習慣化した自分の行動パターンを変えることを行動変容という。

 人の習慣的行動を変えさせるのはとても難しいことで、経済的メリットや健康など余程得るものがないと人間は簡単には変わらない。

 心に訴えかける物語などというものがどれほど他人の行動変容をもたらすものか。

 たった一言で、アルコール漬けの日々から決別できた人もいる。

 何度も繰り返すことで自らの気づきを促すしかないのだろうけれど、それにしても発信しない限り、出さない声は聞こえないし、書かない文字は見られない。


 これからも一隅に光を当て続けてゆきたいものだ。

 

   ◆   ◆   ◆


  
 先日、ある方から「小松さん、学力保障条例ができましたね。子供たちの学力を何とかしてくださいね」と言われた。

「子供たちの学力低下が言われていますが、どれくらい低いのでしょうか」と訊くと、「いや、本当に低いですよ」と言われてしまった。

 続いてその方は「私が聞いたのは、小学校高学年の子供たちに教科書の文字を原稿用紙に書き写すという能力を見た時に、10分間で170文字しか書き写せない子が何人もいた、と聞きました」と言う。
「それは低いのですか」

「ごく普通の子だったら、一分間に250~260文字は書き写せます。もちろんそのためには、何と書かれているかを覚えていて書かれている漢字も覚えて書き直すことができるのです」
「はい」

「しかし、書き写すだけのことができないというのは、漢字一つでもちゃんと覚えていないので漢字をまねるのにも時間がかかっているということでしょう。書き写す先に、ときどき見たこともない漢字が出てくる、とその方は嘆いていました。漢字そのものを覚えていないんです」
「どうしたらよいでしょうか」

「もちろん子供によって能力には差があって、すぐにできる子もいれば定着するのに時間がかかる子もいます。しかしその能力、学力の定着が遅かったならその分の時間を取ってあげないといけないんだと思います。それをおろそかにするから定着しかけてもはがれていってしまうのです」
「それができていないということですか」

「そのとおりです。その一瞬をおろそかにしないという姿勢を先生も親も社会も持ち続けて、子供たちが変わってゆくように見守ってあげてほしいものです」

  
 言い方は優しかったけれど厳しい内容の言葉で、現場に出なくては現実はなかなか分からないものだ。。

 子供たちに行動変容を起こさせるのにもまずは基礎的な力がなくては始まらないようだ。

 鶏と卵のようだが、条例の有無にかかわらず、地域も親も先生も子どもたちのためになお一層の奮起をお願いしたいものだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする