JR東日本が発行するSuica付きの郵貯キャッシュカードを紛失してしまった。
キャッシュカードは先週釧路で使った記憶があるので、おそらく身近なところにあるように思うのだが、とにかく見つからないというのは不安なのでやむを得ず機能停止を決断した。
まずは郵貯のキャッシュカード機能だが、これは近くの郵便局へお願いして、通帳番号などを伝えるとすぐにできた。
さてSuica機能である。
釧路ではSuicaが使えないので、仮に落としたカードを拾ってもすぐには使えないとは思うけれど、数千円程度はチャージしてあるのでこれもそのままにしておくには気持が悪い。
幸い記名式で購入してあって、名前や生年月日などの個人情報を登録してあるので私の利用状況はチャージ金額は特定できる。
まずは使用停止手続きなのだが…。
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ところがいくらSuica利用のホームページを見ても、使用停止の仕方が分からない。
困って落し物係に電話したり、ご意見聴取先に電話をしてみて初めて、JR東日本の駅に直接本人が行って手続きをしない限り使用停止はできないと知った。
幸い今週末に上京する機会があるのでそこで手続きができるので良かった。
しかし本人確認は重要な事柄だが、地方にいるということはこういうこと一つでも難しい時代になった。
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「参ったなあ、Suicaカードを紛失して…」と職場でぼやいてみた。
若い職員たちは、「大変ですね、私は携帯のモバイルSuicaで、残り金額が不足しそうなときは携帯を使って銀行口座から入金できますよ」とか、ある女性職員は「私もモバイルSuicaですが、クレジットカードからの引き落としにしています」など対応もスマートだ。
ネットでの入金やセキュリティ管理など、現代社会では時間や距離を節約するツールにもついて行かなければいけない。そのためには勉強もしなくてならない。
これ自体は一つの生涯学習だ。移り変わる時代について行くためには、「学習する」という行為が欠かせない。
子どもたちの低学力は問題だが、大人も学ぶことをやめてしまったら社会人として低学力人に成り下がるのだ。
しかし一方で、個人情報の管理や詐欺などへの対応など、対応しなければいけないリスクがあって、それは便利の量に比例して増えてゆく。
自己責任という四文字は結構重たくのしかかってくる。
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なんでもできる携帯電話やスマートフォンがもはや当たり前になっている。
しかし、身の回りの全ての機能をたった一つのツールに集約することは、失われたときのダメージも大きいと知らなくてはならない。
私自身、二つの機能を一枚にまとめられると教えられた時に、キャッシュカードとSuicaを一緒にしたのは便利だと思っていたが、受けるメリットよりは紛失した時のデメリットの方が大きかったように思う。機能統合の便利と言ってもその程度のことだ。
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東京への政治、行政、経済機能の一極集中は災害やテロなどに対して脆弱だと言われ続けながら、ますます便利になる東京の魅力に対抗できず対処ができていない。
一枚のカードを失っただけで機能を集中させていることへのリスクを知ったのだが、失敗を経験しないと分からないというのが人間の性と言われるが、要は想像力の欠如の問題だ。
便利をどこまで犠牲にして不便を受け入れるかは自分の決断の問題だ。
カードの再発行は別々にしてもらおうかな、と思い始めている。