北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

幸せになれない日本人 ~ 国民性かも

2012-12-22 23:42:08 | Weblog
 アイヌの人たちは赤ん坊のことをアイヌ語で「テイネシ(ぬれた糞)」「ソン(糞)」「ソンタク(糞のかたまり)などと呼ぶのだそう。

 これは、喜びのあまり美しい名前を付けると魔物まで寄ってきて不幸なことになるのではないかという心配があるからなんだと。
 
 そのため赤ん坊は敢えて汚い名前で呼ぶことにより、魔者が近づくのを避けようとしているのだ。

 実は似たようなことは日本の歴史の中にもあって、豊臣秀吉と淀君の間に生まれた子供は、最初の子が「捨(すて)」と名付けられ、その子が死んで次に生まれた子は「拾(ひろい)」と名付けられた。

 捨て子や拾われた子の方が育つから、という理由らしいが、乳幼児の死亡率が高かったその昔にあって、アイヌの人たちも戦国武将も素直に喜びを前面に打ち出すよりはひっそりと育ってほしいと願う親の気持ちに切なくなる。



   ◆   ◆   ◆



  新聞を見ていたら今週号の週刊ポストの記事に、「人間を幸福にしない日本というシステム」というタイトルがあった。

 20年以上にわたって日本を研究している、K.V.ウォルフレン氏が書いた記事だが、ネットではこんな記事があった。

【ウォルフレン氏 日本というシステムの本質は権力中心が不在】
 http://bit.ly/12w7hZz

 
 内容は、自民党が政権に復帰することで官僚独裁主義が完全復活を遂げ、それが日本を不幸にするという趣旨だが、あまり共感できないものだ。

 官僚独裁主義がまかり通っているならば国家公務員の給料や退職金が下がるようなことはあり得ないと思うが、民主党の政治の力でちゃんとその法律は成立しているではないか。

 おまけに民主党が国民から厳しい批判を受けたのは、官僚との関係はどうあれ、上手に国を動かせなかったからではないか。

 また、1憶2千万人の勤勉な国民を有しつつ、周辺を欧米の先進国とはやや異なる考え方を持つ国に囲まれながら世界第三位の経済大国として世界を渡り歩く社会を維持しようと思えば、精緻な官僚システムを政治が使いこなす以外に方法はないだろう。

 新しいことをしようという意思は法律を作ることで実施されるし、それを決めるのは国会というシステムで、それは立派に機能している。

 記事の内容はまあそんな感じなのだが、問題は日本人が幸せを幸せと感じるマインドの問題のような気がする。



 【半分しかない、か、半分もある、か】



   ◆   ◆   ◆




 冒頭で子供の名前の話を持ち出したが、もともと日本人には古くから陰陽の循環論のような考え方をする傾向にあって、良いことを素直に喜ぶよりは、「これだけ良いのだから次はそろそろ悪いことが起こりそうな気がする」という方に考えが移りがちだ。

 おみくじで大吉を引くと、「今がピーク、あとは下るだけ」と言われ、忠吉の報を喜ぶ国民性なのだ。

 東日本大震災を持ち出すまでもなく、台風や洪水、旱魃に地震に津波とさまざまな災害を目の当たりしてそれに耐える国づくりをしてきたわが国では、素直に今を喜ぶよりも次への備えという悲観的な見方の方が国民性に合致しているようだ。

 だから我が国の歴史を見ても、よほどバブルな景気が良くて浮かれ騒ぎになっている本の一時期を除けば、普通はは悲観的な将来像を頭に浮かべてそれへの解決に心を痛めるというのが標準的な日本人像なのだと思うのである。



   ◆   ◆ 


 内心は幸せをかみしめつつ、備えとしての悲観論を絶やさないことが「幸せになれない日本人」というのなら、それはそれで国民性なのではないか、と思う。

 そして普段からの悲観論者が多いからこそ、ここぞとばかりの忘年会などでは陽気にはじけることで精神のバランスを取っているともいえる。

 今年もあと十日となった。

 まあ一年を振り返って、自分なりの幸せを噛みしめてみるのも良いのじゃあないかな。
コメント
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