職場に来ていた献血車。4カ月ぶりに献血に協力しましたが、受付のシステムが変わっていたのに驚きました。
申し込むには献血カードを提示しますが、今までは4桁の数字の暗証番号で本人確認をしていました。それが今回からは、中指の静脈の形を登録してこれで本人確認をする生体認証が導入されています。
じっと我が指を見つめても、どこに静脈が走っているのか分からないのですが、これが一人ひとり違うことを利用するのですね。
次に、本人確認が出来たら問診票に健康状態などを記入します。昔はエンピツで「はい・いいえ」のマスを黒く塗りつぶしたものですが、これがタブレットのタッチパネルになっていました。
質問の内容はこれまでと同じですが、タッチペンで画面の「はい・いいえ」を押して「次へ」を押して次の設問に移ります。
このことで記録性も高めることが出来るとともに、膨大な紙資源がいらなくなるのでしょう。
省資源、効率化なわけですが、内需としての製紙業から見ると紙の需要が減るわけで、そちらはちょっと心配です。
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以前釧路にいた時に、地元に進出している企業の本社を訪ねて挨拶に行く機会があって製紙会社の本社も訪ねました。
その際に先方の幹部は、「物流のための段ボールなどの紙資源はまだ堅調ですが、情報媒体としての紙は減るでしょうね。しかも中国などから安い紙も入っていますし」と言っていました。
「情報媒体としてはなんと言っても新聞が量的には大きいのですが、こちらは新聞の部数が減ることで紙を使わなくなる傾向は変わりません。しかし新聞紙に中国産が入ることはないでしょう」
「なぜですか?」
「それは必要な量がきっちり間違いなく届くという安定供給が求められることと、もう一つは新聞紙の色味という品質の安定です」
「新聞紙の色ですか?」
「はい、新聞各社の新聞紙の色にはものすごく細かい指定があって、適当なグレーの紙を出しているわけではないんです。ちょっと明るくても暗くてもダメで、それ自体が新聞社ごとの違いなんです。そしてそういう色味を安定して供給できるのは日本のメーカーに限られる、というわけです」
国内重要のなかでも安定した品質で安定供給が求められるような世界はまだ国内産業がまかり通るのですが、世の中はだんだん「品質はともかく安ければ良い」という分野もどんどん増えています。
まして情報はデジタルで良いとなると、媒体は一気に必要がなくなりますね。
一部150円の新聞が、「デジタル配信ならもっと安く読めますよ」、と言われたらどれくらいの人がいくら払ってデジタルを選ぶでしょう。
私自身はまだそういう状態になんとなく懐疑的なのですが、イノベーションと言うことはそういう社会に変革せよ、ということなんですね。
そのひっかかりが、イノベーションを受け入れない国という烙印に繋がっているのかもしれません。日本人はノスタルジーを大切にしすぎているかもしれません。
なんとはない不安と新しい時代の変革を受け入れることのバランスは難しいですね。