北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

社会的包摂と労働

2012-03-22 23:45:13 | Weblog
 経済的困窮者を社会がどう受け入れて立ち直ってもらえるか、ということは今日『社会的包摂』と呼ばれ、重要な社会政策となりました。

 生活保護の問題はその最右翼。保護費受給者の多くは家に閉じこもりがちになり生活のリズムが乱れ、社会生活に適応できにくくなっている方が多いもの。

 そうした方たちに、まずは社会の中での適応訓練を兼ねてボランティア参加という形で社会の一員としての体験をしてもらうというのが、釧路市が始めた「自立支援プログラム」という制度です。

 まずは週に一度でも実際に始めてみて、少しずつ周囲の人たちとのコミュニケーションを取ったり、体を動かすことで体力をつけたり、さらには活動に感謝されることで自己肯定感を養ってゆきます。

 ボランティア活動から進化してパートでもアルバイトでも、実際に働いてみることができるようになればなお素晴らしい。

 保護受給者であれば、アルバイトで手にする収入が少額で保護受給額に満たない場合でも保護費との差額分は支給されるので、まずは収入の額よりも、自らが労働して対価としての収入を得る訓練の意味合いがきわめて大切だということ。

 中には資格を取りながら生活費を支給されるような制度もあって、こうしたことを活用しながら少しでも自立できる人たちを増やしたいものです。 


 
    ※     ※     ※     ※     ※



 しかしながらこうした人たちをサポートするに当たっては繊細なケアが必要なのだとのこと。

 今日話を伺ったAさんの体験談としてはこのようなことがあったのだそう。

 それはある青年を自立支援プログラムでボランティアの支援していたときのこと。その青年は、週一度の参加が週二度になり、やがて週三回の参加にも耐えられるようになりました。

 次第に本人にも意欲が増してゆき、やがて介護ヘルパーの資格を取るまでになり、もう大丈夫だね、ということで職場を紹介してそこで働くようにまでなれたのだそう。

 これで一安心と思ったところ、やがてその青年は職場での日常に耐えられなくなり、そこを離れてしまったとのこと。

「苦しくなった時に相談してくれてもう少しきめ細かなケアができていればよかったと悔やんでいます」とAさんは残念そうに語ります。


    ※     ※     ※     ※     ※


 保護受給者に見られる、働いた経験や働く意欲のない方を社会に導くのはかなり苦労が多く、それを果たした画期的な試みが自立支援プログラムなのですが、その社会参加まで果たした人をさらに就職活動するまでに導くのにはまだ有効な手立てがみつかっていません。

 子供であれば学校や家庭、地域による見守りネットワークがある程度機能しますが、高校を卒業した段階では「もう大人だから」という一言で、そうした見守りネットワークは途端に消え去ってしまいます。

 年齢だけは大人になっても、大人に期待される社会性や意欲が不足している人たちには、生活保護という最後のセーフティネットに簡単に追いやるのではなく、社会的包摂による何重もの支援があるべきなのですが、どういう形がよいのでしょうか。

 本人の意欲という教育面からのアプローチが必要な部分もあれば、能力開発・資格の取得という労働訓練もありますし、その努力を陰ひなたに支えるサポーターの役割も必要でしょう。

 社会全体が縦割りを超えた取り組みが必要です。

 「働く」という当たり前に期待されることが難しい人がいるという現実に目を向けて、支援の手を差し伸べる社会的包摂の実現を目指したいものです。


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釧路公立大学小磯学長の退任と離釧

2012-03-21 23:19:57 | Weblog
 釧路公立大学の小磯修二学長がこの度学長を退任されて、釧路を離れることとなりました。

 小磯先生は13年前に釧路公立大学の地域経済研究センター長として着任され、以来地域政策研究の分野で実践的な研究業績を上げて来られました。

 2008年からは地域経済研究センター長に加えて公立大学の学長にも就任され、文字通り大車輪で大学経営も支えて来られたのです。

 今夜はそんな小磯先生に対する感謝を込めて、有志による「小磯学長を送る夕べ」が開かれました。




 ご挨拶の中で先生は、「地方には地方の発想があるはずで、決して中央だけが素晴らしいわけではない。特に東京への一極集中が顕著になった今日、東日本大震災を見てもその危険性と脆弱さが明らかになったところです。今こそ健全な地域分散を実現すべき時だ」と強調されました。

 道路をはじめとする公共事業でも、「できればあると良い」、「欲しい」という願望レベルを、調査・研究・学問のレベルでその経済効果や必要性を主張するバックアップを幾度となくしてくださりました。

 まさに道東地域の経済発展に対する貢献はいくら書いても書き足りないほどです。本当にお世話になりました。


  【発起人たち】

    ※     ※     ※     ※     ※



 小磯先生と縁の深い方々からのメッセージでは、「小磯先生には是非とも、ご自身が推していた『二地域居住』で釧路にも生活の拠点を構えていただきたい」というお願いも。

 また蝦名市長からは、「小磯先生には、四月から釧路市顧問として今後とも市政運営へのアドバイスをいただくことになっています」という紹介があり、会場から安堵の拍手が湧き上がりました。

 
 最後のご挨拶が終わったところで、社会人による小磯塾の生徒たちから花束とフライフィッシングの竿とリールがプレゼントされました。

 小磯先生は釧路在住の間にフライフィッシングも楽しまれるようになっておられたので、今度はぜひ道東の川でご一緒させていただきたいと思います。

 どうぞこれからもますますお元気で釧路を見守ってくださりつつ、ご活躍ください。

 ありがとうございました。
 

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東北海道うま会議~馬に乗る”Cool!”

2012-03-20 23:45:48 | Weblog
 天気は良いけれど寒い三月の一日。この寒さを越えると春がやってくるでしょうか。

 今日は鶴居村で午後に入会している「東北海道うま会議」の総会があって、午前中は有志による雪上ホーストレッキングをしました。





 出発時は風が弱かったものの、釧路湿原のへりにあたる農道に差し掛かると風が強くなって冷たい風が吹き荒れます。

 息もできないほどの強風に身をすくめて体温を奪われないようにしながらのトレッキングはなかなか辛いもの。

 馬を走らせれば馬上の体も大きく動くので暖かくなりそうですが、歩く道の雪は一見堅そうなものの馬が歩くとズボズボと埋まってしまいます。

 これでは走らせるのは到底無理で、強風の中をしばし我慢の行軍です。

 ようやく広い道道にまで出ると、歩道をトレッキングしながら休憩ポイントや昼食のレストランに向かいました。

 すれ違う車のドライバーや助手席の人たちが物珍しそうに視線を向けると笑顔ですれ違ってゆくのを見るのはなかなかの快感。いかにも北海道らしい風景に見えることでしょう。

 釧路へ遊びに来ている妻も一緒に馬に乗せてもらって、何とかついてくることができ大いに楽しみました。



 
    ※     ※     ※     ※     ※



  【総会も無事終了】

 さて、鶴居グリーンパークで開かれた「東北海道うま会議」の総会では、今年度の事業報告と新年度の事業計画が審議されました。

 新年度事業では、エンデュランスという最長80kmに亘るハードな競技をメインにしながら、鶴居どさんこ牧場などをベースにしたトレッキングの集いなどが何度も予定されています。

 また今年は釧路港の耐震旅客岸壁にクルーズ船がやってくる際の旅客船歓迎式典で釧路湿原騎馬隊として、上級者が馬でお出迎えをするという企画も4回予定されています。

 釧路では馬の姿が当たり前に人目に触れるなどというのは実に地域らしさを前面に出したおもてなしになるに違いありません。


    ※     ※     ※     ※     ※


 さて、釧路の大楽毛地区は明治時代に一大馬産地として栄え、その伝統は今でも東北海道全体に受け継がれていて、広大な大地のイメージとともに、「馬と言えば北海道」、「北海道と言えば馬」というイメージが強く印象付けられています。

 そんな北海道だからこそ、草原をバックに馬を見ることは北海道らしさを大いに演出することになります、「馬に乗れる」というスキルは実に地域らしいクール(かっこいい)なことに映ります。

 一年のうち何日かを馬と付き合うことは、北海道らしさを自分たちが楽しんでいるということそのもの。

 そしてそんな人が当たり前にたくさんいるということは地域文化の層の厚さを示すことに繋がります。

 逆に言えば、せっかくそういう恵まれた土地柄にいながら、日々を無為に過ごすことは、地域のために協力できる時間や情熱を無駄にするなんともったいないことか。 

 自分の楽しみが、そのまま地域らしさを増幅させるような趣味や活動に大いに参加しようではありませんか。

 「苦しい思いをせよ」と言っているのではありません。「地域らしさを楽しんでください」と言っているのです。

 自分が楽しくなければ人にその楽しさは伝わりませんものね。

 さて、道東ならではの楽しみには何があるでしょうか。

 一人一人の発見と実践が鍵になりますよ。


【東北海道うま会議】 http://www.geocities.jp/umakaigi/
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二月議会終了~春は出会いと別れの季節

2012-03-19 23:55:21 | Weblog
 二月議会も今日が最終日。

 議場の中では、会期中に逝去された故宮下健吉議員の席に白い花と遺影が飾られていました。

 会議の冒頭では傍聴者も含めて議場内にいた全員で、宮下議員へ黙祷が捧げられるとともに、同期の議員さんによる追悼文が読み上げられ議場内はしんみりした雰囲気に包まれました。

 故宮下議員が議長就任時代に市町村合併にも尽力されたことなど、生前の功績が紹介され、改めて残された遺志を果たすべく、良いまちづくりをしようとの誓いを新たにしました。

 さて、議事の中では大きな焦点となっていた「フィットネスセンター」の廃止条例案が賛成多数で可決されました。

 一年がかりの懸案もなんとか議会の多数の御賛同をいただくことができ、そのほかにも平成24年度予算案など提案したすべての議案について全員または多数の賛成により可決成立をいただき、誠にありがとうございました。

 またこの春退任する部長や特別職にとっては最後の議会でもあり、苦労は多かれど感慨もひとしおのことでしょう。

 長きにわたる奉職、まことにご苦労様でした。


    ※     ※     ※     ※     ※



   【ついにできました】

 
 注文していたメガネができてきました。

 中近両用と遠近両用の2本をつくりましたが、乱視と遠視の部分はかなり矯正されてシャープな映像が見えるようになりました。

 しかし像をシャープに結ぶ視野はかなり限定されるので、視力のすべてが戻ったわけではなく、あくまでも視力を補助する器具だということがよくわかります。

 まあこの歳になるまでメガネをかけずにやれてきただけでもありがたいことと、健康な体に感謝すべきでしょうか。

 これは眼鏡との出会いとも言えるし、眼鏡の要らない健康体とのお別れとも言えるわけです。

 春は出会いと別れの季節。こういう自分自身の変化も受け入れていかないといけないのでしょうね。

 出会いを恐れず、別れも怖れず、前向きに参りましょう。 
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直接対話こそ基本中の基本なのだ

2012-03-18 23:45:53 | Weblog
 昨日、港町かもめホールで月に一度開かれる、「ビアクラブ友の会」に出て、ビールを飲みながら会の皆さんとお話をしていたところ、民生委員をされているという方から、「前回、民生委員の総会でお話をしていただいたのがとても良かったです。是非またお聞きしたい」という評価を聞かされました。

 このときに私がお話したのは、市政に関するホットな話題でしたが、レジメ一枚を渡して関連する単語がちりばめられたものを持ち帰っていただきました。

 私自身大したお話をしたつもりはないのですが、それが思いのほか好評だったという評価には二つの意味があると私は思います。

 一つ目は、釧路の市民の皆さんは、姿勢を展望するようなお話をあまり聴く機会があまりない、ということ。

 そして二つ目には、市役所側も市政の現状とこれからについて面白おかしく興味深く話をする機会をもっていないのではないか、ということです。

 広報紙やホームページなどでやっている、という言い方もありますが、これらは最低の市政情報提供であって、市民協働を語るからには一歩進んだ情報提供をじっせんしなくてはなりません。

 直接語りかけるというのは、そのなかでも最も基本でありかつ最も身近に感じられる伝え方に違いありません。


    ※     ※     ※     ※     ※


 本来ならば、市長自身が様々な会合で直接講演や講話をすればよいのですが、現在の仕事の配分ではなかなか全てが叶うわけにはいきません。

 しかし市長がダメなら副市長が行けばよいだけのことで、提供する側の心持は決まっています。こちら側も営業が不足していますが、市政の話を聞いていただきたいというお願いをもっともっとしようと思います。

 問題は、市民や市内の各団体の方に、市政を話を聞くということが『当たり前になっていない』という現状の方にあるかもしれません。

 つまらない話を延々と聞かされるのではないか、という心配もあるかもしれませんし、ほかの話題提供者も大勢いる中で、同じ人からの話を何度も聴いてはバランスが悪い、と思うかもしれません。

 しかしここは話題を提供する市側も、受け取る皆さんの側も共に頭を切り替えなくてはいけません。

 市側の市政としては、「市政についてつまらない話はしない」と心に決めて、プレゼン力を高めて姿勢を興味深く話すスキルをアップさせなくてはなりません。

 そして市民の皆さんの側も、最も関心を持たなくてはならない自分たちの町の話について真剣に聞く機会をもっともたなくてはならない、と自覚していただきたい、ということです。

 情報を伝えようと思ったら、直接対話こそ基本中の基本。それができて初めて、印刷物やネットでの情報提供がありえるはずです。

 私自身ももっともっと市民の皆さんの会合に顔を出して話をする機会を持とうと決意を新たにしました。

 いろいろなところからオファーが来ることを心から期待していますし、ある程度は数値目標を持って営業活動をしましょうか。





    ※     ※     ※     ※     ※



 …とここまで書いて、市内のロータリークラブから、明後日のお昼時に講話をしてほしいという依頼を受けていたのを思い出しました。

 テーマは何でも結構です、ということだったので、何気なく「二宮尊徳」について話そうかと思っていたのですが、気持ちを入れ替えて、改めて二月議会後の新年度の市政運営について話そうと決めました。

 ブログを書いていて自分の頭の中が整理されるという体験も面白いものです。


【余談ながら】
 映画「僕等がいた(前篇)」の公開が始まったばかりですが、釧路市内の出足が非常に悪いらしいという噂が伝わってきました。

 明日以降、しっかりと支援運動を始めなくては釧路の恥になります。

 こんな良い話を、地元が盛り上がらなくてどうしますか。映画館へ多くの市民が行ってもらえるように頑張りましょう。
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釧路を舞台にした映画「僕等がいた」本日公開

2012-03-17 23:31:27 | Weblog



 今日からいよいよ釧路を舞台にした映画「僕等がいた」が公開されました。

 なんとしても公開初日は見ておかなくては、と思い昨日から釧路へ来ている妻とともに、朝九時に映画館に到着。

 しかし9時20分開始の公開一本目は、スクリーンが小さいこともあって既にほぼ満席です。

 条件の良い席で見たいと思って、二本目の10時開始上映の指定席チケットを取っていよいよ映画が始まりました。

 私自身はすでに試写会で一度見ているものの、二度目だからこそ気づくポイントも多くてそれなりに楽しめたのですが、二度目にしてなお悲しいシーンではホロリと涙が落ちます。

 このあたりは三木孝浩監督の腕のなせる業と言えるでしょう。


    ※     ※     ※     ※     ※


 すでに「僕等がいた」の市内ロケ地マップが様々な形で出回っていますが、地元住民としては市内の風景を知っているだけに、却って「あ、これはあそこだ」とか「おお、これは泉屋さんの二階ではないか」などとロケ地を頭に描きすぎてストーリーを素直に楽しめないところもありました。

 まずは素直に主人公二人の恋の行方を追うのが良いと思います。

 主人公の高橋七美役を演じる吉高由里子さんは、今若い女性にも大人気という女優さんだけあって、実に魅力的な演技をしています。

 失礼ながら、どこから見ても美人というよりは可愛さを感じさせる演技で、実はモテる女の子を演じています。

 生田斗真さんの方は、この歳で17歳の高校生役はちょっとつらいだろうというところが時々出てきますが、そこさえ気にしなければ、女子の人気者という役どころをうまく抑えています。

 釧路の町がこんなにきれいだったかな、という風に写してくれている映画「僕等がいた~前篇」は今日から一般公開。

 釧路っ子はもちろん、釧路っ子ならずともこの永遠のラブストーリーを劇場でお楽しみください。
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2月議会も終盤

2012-03-16 23:46:23 | Weblog
 今日は2月定例議会の委員会採決の日。

 かねてより懸案だった、MOOのフィットネスセンターの廃止条例の問題は、経済建設常任委員会において賛成多数となったとの報告を受けました。

 前回は廃止に反対の立場をとった会派の一部から賛同を得られた模様で、これであとは本会議での採決を待つばかりです。

 様々な紆余曲折はありましたが、現在の利用者に対する激変緩和策や、市長自らが利用者と再三にわたって意見交換をした姿勢も評価されたのでしょうか。

 利用者団体の理解となると必ずしも得られたわけではありませんが、こればかりは相手のある話で、こちら側としては自らがコントロールできる事柄を誠実に行うばかりです。

 議論の中では、「条例案に対するパブリックコメントについて、市民から寄せられたものはほとんどが反対であったにも関わらずそれを斟酌しないのは問題だ。意味のないパブリックコメント制度などやめてしまってはどうか」という意見もありましたが、これはやや行き過ぎた意見だと思いました。

 パブリックコメントは市民投票のように賛否の意思を問うものではなく、あくまでも市民からの意見をいただく機会として用意しているものです。
 
 そういう意味で、意見を開陳する機会は常に大切であり、それが結果に反映されないことから意味がないとするのはやや暴論に近かったと思います。

 しかしながら議会議論を通じて、大所高所から様々なご意見をいただくことができました。

 個別の意見に対しては意に沿わない結論にしかならなかったこともあったかと思いますが、議会議論を今後の市政運営に活かしていきたいと思います。


 
    ※     ※     ※     ※     ※



 多くの議論を呼んだフィットネスセンターの廃止問題でしたが、当方として反省すべきだったのはやはり普段からの施設の経営状況などの情報提供を怠っていたということです。

 新年度からは公有資産マネジメントという取り組みを進めて、市が保有する建築施設を中心に管理の現状をつぶさに情報提供して市民の関心と議論を招きたいものです。

 
    ※     ※     ※     ※     ※


 
 かつて市議会議長まで経験した現職市議の宮下健吉さんが亡くなられて、昨夜の通夜、本日の告別式と参列してきました。

 「釧路の元気は水産の元気」というキャッチフレーズで釧路の水産業界を牽引されてきた功績に改めて敬意と感謝を申し上げます。

 享年67歳、一昨年私が着任してからも豪快な笑い声とともに良くご指導をいただきました。まだまだ釧路の水産を引っ張っていただきたかったと残念でなりません。

 弔辞では故人と早稲田大学の同期であるスポーツライターの伊藤龍治さんが、故人と男子フィギュア選手の小塚崇彦さんとの交流を紹介してくれました。

 小塚崇彦さんはお父さんもフィギュアスケートのオリンピック選手であり、このお父さんと故宮下さんが大学の同期という関係なのだそう。

 小塚崇彦さんのことを生前、「実に好青年だ」と褒めていたということで、この交流を伊藤さんご自身のブログで紹介されています。題して「小塚崇彦スタイル」です。

【伊藤龍治さんのウェブサイト3月9日版】 http://bit.ly/FPKclq 


 重ねて個人のご冥福をお祈り申し上げます。
 
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大事なことは放課後に~子供は遊べ

2012-03-15 23:12:20 | Weblog
 子供の頃は転校生活の私でしたが、小学校4年生から中学校1年までは、札幌に住んでいました。

 親が公務員だったために二階建て一棟四戸の官舎群に住んで、同じ世代の子供らを集めて放課後は本当に良く遊んだものです。

 年上の子供とは一緒に遊んだ記憶が全くなくて、自分より年下の子供たちとばかり遊んでいたので、いわゆるガキ大将だったのだと思います。

 それでもドラえもんに出てくるジャイアンのようなガキ大将ではなく、まあみんなが楽しく遊べるようなルールに調整したりするような形だったので、調整型のガキ大将といったところでしょうか。

 
 その当時、近所の子供たちの中で流行っていたのがビー玉とパッチ(=メンコ)でした。

 ビー玉の方は、互いにぶつけ合って当てた方が当てられた側のビー玉をもらうという、ホンコ(=本気の意味)の勝負。

 ビー玉を狙うときには、自分のビー玉のある位置から踏み出してはいけないため、一歩を大きく取る「一歩だし」という技を繰り出すのですが、これが玉離れより先に足がついたかどうかはいつも互いにもめる微妙な判定の山。

 また「一歩だし」よりさらに遠くのビー玉を狙う際は、ダイビングしながら空中で狙い投げる「原爆」という技もあって、服はいつも泥だらけ。

 玉がかすったのかどうかもこれまた微妙な判定でしたが、私の裁定では皆の合議制で判定を下していました。

 ちゃんと民主的なやり方で遊んでいましたが、なかには判定に納得できず泣き出すのもいたりして、これをまたなだめるのもガキ大将の仕事。なんだか最後はみんな笑って収めるのが得意でした。





    ※     ※     ※     ※     ※


 「パッチ」の方は、50センチ四方の板の上で、丸い紙のパッチを相手のパッチに投げ当てて外へ飛ばしだすか、ふわりとひっくり返せばもらえる、というルール。

 パッチには黄金バットや鉄人28号、鉄腕アトム、怪傑ハリマオーなどのヒーローがあしらわれていて綺麗だったし、中にはやられてばかりいる強いパッチがあって、「くっそー、鉄人は強いなあ」などと興奮していました。


  【北海道は丸型が多かったけどね】


 
 小学校5年生から6年生にかけては、学校から帰るやいなやランドセルを家の玄関に放り投げて、すぐに近くの子供らと集合するとビー玉やパッチに明け暮れました。

 こちらもまあ勉強もせず、本当によく遊んだもので、やがて子供たちから巻き上げたパッチがミカン箱一箱くらいになり、意気揚々としていました。 


 しかしある日、あまりに勉強もせずに遊びほうけている私の態度に業を煮やした父が、パッチで勝負を挑んできました。

「どら、一枚よこしな。勝負だ」

 こちらも腕に自信があったので、面白がって何枚かあげて父とのパッチ勝負です。

 ところが父の強いこと強いこと!その強さ比類なし。

 こちらは角をぶつけて出す戦法で子供たちから勝っていたのでそれで挑むのですが、父の方はふわりとひっくり返す技に長けていて、こちらの番に失敗すると、ことごとくひっくり返されて取られてしまいます。

 数週間で、ミカン箱一箱あったパッチは全部父親に持って行かれてしまいました。


「はい、これは全部私のもので良いな。じゃ燃やすから」


 そういって父は私から巻き上げたパッチを全部燃やしてしまい、それまで肩が痛くなるくらいやり続けた私のパッチ熱は一気に冷めることとなりました。

 小学校六年生の時に何を習ったかはほとんど覚えていなくても、取られたパッチを全部燃やされたことはいつまでも覚えていて、そのころからビー玉もやらなくなりました。

 思えば、あれが子供からの脱皮のきっかけだったのかもしれません。

 今、当時の官舎はもう壊されていて姿が変わってしまいましたがそのころの風景は今でも脳裏に浮かびます。

 大事なことは案外放課後に学んでいる。

 少なくとも私にとってはそうでした。
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三陸沖での地震発生、改めて備えを確認しましょう

2012-03-14 23:45:52 | Weblog
 18時9分、市長室で打ち合わせ中に三陸沖でマグニチュード6.8の地震が発生。揺れを長く感じたので、またエネルギーの大きな地震かと一瞬不安が頭をよぎりました。

 釧路中南部で震度4を記録したために直ちに警戒体制を組み、情報収集に努めていましたが、三陸地方に続いて北海道の太平洋沿岸部にも津波注意報が発令され、緊張が高まりました。

 津波に関しては、19時ごろに「えりも町で津波10センチを観測」というテロップがテレビで流れ、それほど大きな津波ではなさそうだという情報にまずは一安心。

 結局釧路港での津波は「微弱」ということですみました。


 とりあえず家で食事をしていると今度は21時5分に、千葉県東方沖を震源地とする最大震度5強の地震が発生。

 一年前の東北地方太平洋沖地震が発生したことで、太平洋沖のプレートのバランスが崩れている、という報道を耳にしましたが、改めて地震の怖さに緊張をしました。


    ※     ※     ※     ※     ※ 



 先日、地元のNTTさんのビルをお訪ねして、地震や津波などの災害への備えを見学させていただいたところです。

 NTTでは移動衛星電話車を用意していて、被災地にいち早くこの車を送ることで、衛星を使った電話で被災地の方々に対する電話サービスを果たすことができるというもの。




 昔はパラボラアンテナを出すのに苦労したのだそうですが、改良を重ねて、コンパクトな車体から電動で外にパラボラを出して衛星を捕まえ安くなったのだそうです。

 ちょっとした洒落っ気は、ナンバーが災害時伝言ダイヤルと同じ「171」であること。うまいですね。




 またドコモさんからは、無線の移動基地局車を見せていただきました。こちらは、災害の発生により、緊急の連絡や安否確認、などで通話量が急増する被災地で、殺到する通話量をさばくために威力を発揮するのが移動基地局車と、移動電源車です。

 こちらは被災地へ出動して、この車の周りで携帯電話を使えるようにするための無線基地局として働きます。




 こちらは移動電源車と共に安定した通信サービスの確保に役立つことでしょう。

 そしてこちらの洒落っ気はナンバーが「6000(ムセン)」番になっていること。




 緊急のための備えでありながら、ちょっとしたユーモアに心が和みます。

 災害があってほしくはありませんが、災害時には現地で活躍を期待したいものです。


 

【映像で見る災害用伝言ダイヤルの使い方】



  http://bit.ly/wiawS5

 緊急時には、安否を伝えたい被災地の人たちと、被災地の安否を伝えたい人たちの間で回線が大混雑するので、そういうときには、災害用伝言ダイヤルが力を発揮します。

 最近はウェブ版も登場したので、こういう機会にぜひ手帳にメモを取って、家族全員で情報を共有しておきたいところです。


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「この親にしてこの子あり」の因果応報

2012-03-13 23:16:03 | Weblog
 「この親にしてこの子あり」と言いますが、この諺には二つの意味があります。

 一つは、「立派な親だから子供も立派だ」という褒める意味で、もう一つはそれとは正反対に、「親がダメだから子供もダメなわけだ」という戒めに使っているものです。

 こういう事を書くと、天に唾するようで常に自分の子育ての結果が問われることになりますが、この諺を使えば自分の子供達の出来が悪くても「せいぜい自分もその程度だから仕方がない」という諦めの理由にもなったりします。 


    ※    ※    ※    ※ 


 教育では、学校と家庭と地域が大切とよく言われますが、先日釧路で講演をしてくださった、NPO法人教育支援協会代表理事の吉田博彦さんは、「家庭と学校は地域社会の中にある。地域社会が崩壊すれば、学校も家庭も崩壊してしまうのだ」とおっしゃいます。

「家庭で子供が本を読まないがどうすればよいか」と相談に来る母親によく聞くと、母親も本は読まないという。親がテレビを見ている横で黙々と本を読む子はいない」

「子供は学校教育だけではなく放課後に育つのです。子供の意欲や感心、自立の問題は家庭や地域社会の問題であって学校の問題ではありません。親が連携して『みんなでこうしようね』と決め、学校支援に取り組むべきです」

 なるほど、私自身、学校と家庭と地域は三角形で描かれる役割分担のイメージをもっていましたが、これからは「学校と家庭は地域の上に乗っている部分で、地域の力こそを改めて問うと共に、地域の力を高め結集して、教育問題に当たらなくてはならない」という意見も重みを増しているようです。


    ※     ※     ※     ※     ※


 
 さて、良い地域があればこそ、良い教育も成立して良い子供たちが育つのであって、良い子供たちがいるから良い地域になるわけではありません。

 
 わが心の師匠、二宮尊徳は「元と末を取り違えてはならぬ」と言っています。始まりと終わり、つまり因果の関係を取り違えてはいけないというのです。

 別な言い方では、「善因には善果があり、悪因は悪果を結ぶ」とも言っています。

 ものごとが思い通りにならないのは、因果が正しく結ばれていないから。つまり「瓜を植えてナスを求めているからだ」と尊徳先生は言います。当たり前のことではありませんか。





 報徳には戯れ歌があって、この因果をよく伝えています。

 「米まけば 米の草生え 米の花
     咲きつつ 米の実る世の中」

 「麦まけば 麦の草生え 麦の花
     咲きつつ 麦の実る世の中」

 この米や麦のところには何を入れてもよろしい。例えば、

 「善まけば 善の草生え 善の花
     咲きつつ 善の実る世の中」というわけ。


 しかし、しばしば具合の悪いことには、「今日まく種の結果は、目前に萌さず、目前に現れないで、十年、二十年、四十年、五十年の後に現れるものだから、人々は迷い恐ろしさを感じない。嘆かわしいことではないか」(夜話100段)


    ※     ※     ※     ※     ※


 いかがでしょう、冒頭の「この親にしてこの子あり」は究極の因果の関係ではありませんか。

 良い子を育てるには良い親を育てること。まずは自分自身が良い親になることが長い目で見た時の因果の「因」なのです。
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