北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

飲料製品とモノの流れ

2015-06-10 23:45:17 | Weblog

 物を生産者から消費者へと届けるその流れのことを「物流」と言います。

 物流を行うためには時間と空間の制限を超えて物を運ぶことが必要で、道路や船を使って様々な荷物が我々の知らないところで行き来をしています。

 それをビジネスの視点で見ると、実は物を運ぶに当たっての道路の距離というのはあまり物流のルートを決めることに対して決定的な要素にはなっていません。

 島国であるこの日本にとって最大の要素は船の定期航路があるかどうかということなのです。物を運ぶにあたって、自分たちの都合に合わせていちいち船をチャーターで用意して運ぶなんてことはコストがかかってしかたがありません。

 大切なのは荷物を積んでいようが積んでいまいがとにかく港と港の間を行き来している定期船があるかどうかということで、それがありさえすれば、それにトラックやコンテナなどの荷物を載せれば、安価に物が運べるというわけです。

 さらにそれをビジネスの視点で言うと、片方からもう一方へ運ぶだけよりは、その船やトラックが帰りに荷物を積んで帰ってきてくれるとより効率的な物流になります。

 行きと返りで同じくらいの量の荷物が安定的に運ばれれば物流のコストも低く抑えられるのです。


       ◆ 


 稚内にはいわゆるコンビニと呼ばれる業態のお店としては、セイコーマートしかありません。逆に言うとセイコーマートだけが稚内に進出で来て、他社は進出できないでいます。

 その理由をある方はまことしやかにこういいました。

「セイコーマートさんは自社で販売する牛乳を豊富牛乳公社から買い付けていることから、豊富から札幌などへ物を運ぶ物流システムが必要になります。そこで札幌まで来たトラックを空で豊富へ返すのではなく、そこのセイコーマートで陳列する商品を載せることで、安く宗谷方面へ物を運ぶ物流の流れができました。そのために宗谷地域にはセイコーマートは進出できるのですが、他社ではこの地域にものを運んでくるだけではペイしないという判断で進出できずにいるのです」

 私自身はセイコーマートさんの物流に対するポリシーを直接聞いたことがないのですが、それがセイコーマートさんだけがここで展開できる大きな要素だとは何度も聞かされたものです。

 物流を効率的に運用することはビジネスの可能性を広げる重要な要素です。


       ◆  


 今日道内有数の飲料メーカーであるC社の方が訪ねてきて、地域の事情などについて意見を交わしました。

 その方が言うには、「この地域では単位人口当たりの売り上げで他の地域とひけは取っていません。まああまりライバルも進出が難しいのかもしれませんが」とのこと。

 そこでどういう形で飲料製品を運んでいるのかが気になりました。

「昔ならデポジットの空き瓶を運び返したのかもしれませんが、今日缶やペットボトルの飲料製品はどのように運んでくるのですか?」
「はい、提携している輸送会社に頼んで運んでもらっています。おっしゃるとおり、昔は空の瓶を運びましたが今は空き瓶がないので片道輸送です。しかし輸送会社では帰りのトラックに積める荷物を幅広に戦略的に集めているので、空で帰るということは少ないと思います」

「そうですか。私は逆に専属の輸送会社さんが帰りは空で帰っているようなら地域の産物を載せてもらえるような連携ができないかと思ったのです」
「それは当社だけの判断ではできませんね。もっとも、帰りのトラックに余裕があるからなんでも載せられるかというとそうでもなくて、たとえば匂いがつくようなものは断られます。やはり口に入るものを運んでいる関係で、そうした影響は避けるのだと思います」

「なるほど。では最近の消費者の飲料嗜好はいかがですか」
「はい、かつては飲料と言えば甘いものが好まれるという時代が続きましたが、最近では逆に味のないものが好まれます。一番売れているのは水です。次がお茶、そしてブラックコーヒーと続きます。甘さの入ったものは現代消費者の好みからは外れているようですね。私の娘などを見ていても、コーラを飲むのにカロリーゼロのものを当たり前に飲んでいます。もう舌がその味に慣れてしまったのかもしれませんね」


 飲料にも流行や廃りがあって、次の時代の流れがどこに来るのかを各社各様に悩みながら研究しているようです。

 たかが飲み物ですが、ビジネスや物流の流れという切り口で見ると案外面白いものですね。今日も勉強になりました。

 

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中国人のお客にものを売るためのコツ

2015-06-09 21:29:35 | Weblog

 NECが提供しているビジネス情報サイトの「WISDOM」に、「中国人の金銭感覚~中国のお客様にものを売るための基礎知識」という記事がありました。

 中国人観光客による「瀑買い」が話題になっています。日本人だったらそんなお金の使い方はしないなあ、と思っていたのですが、それは中国人のお金に対する考え方が日本人のそれとは違うということが背景にあるというのです。

 日本人は「論理で判断してお金を使う」のに対して、中国では「払えるか払えないか」で判断するのだと。

 曰く、「日本人は「このお金を使うかどうか(この商品やサービスを買うかどうか)」を判断する際、まず考えるのは、その論理的根拠である。『この商品は本当に必要か』『何の目的で買うのか』『もっと良い(安い)商品はないか』など、自分がこの商品を買うべき理由をまず考える。そして、この商品が『必要だ』『買うべきだ』となったら、金額が多少大きくても、買う。いまの自分に十分なお金がなければ、ローンを組んだり、人に借りたりして、多少無理をしてでも買う。つまり『この商品を自分は買うべきかどうか』という論理的根拠が判断の基準になる傾向が強い。

 では中国人はどうかというと、自分の興味ある商品やサービスを前にした時、その行動を左右するのは『どれだけのお金が自分にあるか』である。もちろん中国人とて自分の欲しいものを買うのであって、お金があるからといって欲しくもないものを買うわけではないが、やや極端に言えば『商品やサービスは高ければ高いほど良いものに決まっている』、さらに『モノは多ければ多いほど豊かな人生である』という観念がベースにあって、自分が「お金が払える」範囲で、できるだけ高いものを、できるだけたくさん買おうとする――という傾向がある」

 
 日本人は、裕福な企業経営者でも割りと当たり前に公共交通で通勤をしますが、中国人はそれを「お金がないから公共交通に乗るのだ」と考えるのだそう。

 裏返せば「お金があればタクシーに乗ったり運転手を雇うはず。それができないのはお金がないから」という論理です。

 その考え方の延長に、お金持ちが買う売り場と貧乏人が買う売り場があって、あきらかに客に対する応対の仕方が異なるのだそう。「購入額が小さいお客は神様ではない」のです。

 中国ではお客の側もそういうものだと思っているので、日本へ旅行へ来た中国人観光客は、たかがガム一個を買っても丁寧にお辞儀をしてくれる店員に感動するのだと。

 
 そこでこの考え方を上手に使うと、中国人のお金持ちに上手に物を売る方法がある程度確立されてきます。

「中国での接客やサービスは個別対応が必要になる。中国のお金のある人たちは、売る側が用意した仕組みに乗って機械的に買い物をするのが好きではない。

 自分だけの『特別感』、自分に見合った『クラス感』のようなものが感じられないと、なかなかお金を使ってもらえない。商売はあくまで『個』対『個』で、売る側と買う側がたとえ店頭での短時間でも人間どうしの関係をきり結んで、その人の『クラス』にあった対応をすることが求められる。

 ここをうまくマネージすると、中国の『お金のある人』は大いに気をよくし、消費金額の飛躍的な増加につながる」

 日本のシステムに慣れてもらうだけではなく、相手を知って相手が喜ぶシステムにこちらが慣れることで売り上げは大幅に伸びるに違いありません。

「瀑買いなんて」と呆れているだけではビジネスにはなりません。敵を知り己を知れば百戦危うからず、はここでも通じそうですね。 
 

【中国人の金銭感覚 ~中国のお客様にものを売るための基礎知識】
http://bit.ly/1Gomgtx

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がんばれ、ネパールの人たち

2015-06-08 21:03:53 | Weblog

 去る4月25日にネパールを襲った大地震。

 震源はネパールの首都カトマンズの北西約80kmほどのところで、大地震によって世界文化遺産に登録されている塔が崩壊したほか、多くの建物が倒壊し死者数千人以上と、国家の屋台骨が揺らぐほどの大災害となりました。

 稚内にある北星学園大学ではネパールからの留学生4人と教職員1名を受け入れているそうですが、幸いなことにこの皆さんのご家族やご親類は全員無事だったとのこと。まずは良かったですね。

 そして同大学からは市内の多くの機関に対してネパール支援のための募金活動への協力呼びかけがありました。寄付金は日本赤十字社を通じて現地で役立てられるとのこと。

 今日は私たち稚内開発建設部での寄付金が取りまとまったことから佐々木学長さんをお訪ねして直接お渡しをしてきました。まことに些少ではありますが、職員一人一人の居酒屋一回分、コーヒー一杯分の積み重ねです。


       ◆  


 
 佐々木学長との四方山話の中で、ネパールからの学生さんたちの真面目さが話題になりました。

 実は先日、稚内ロータリークラブに招かれて講話をした際に、ネパールからの学生さんに対してロータリークラブからの米山記念奨学金を授与するという一幕がありました。

 当日隣に座った方に奨学金対象の学生さんはどうやって選ぶんですか?」と訊くと、「ちゃんと大学からの推薦はもちろん所定の選考試験があって、これに合格された方に差し上げているんですよ」とのこと。


 そのことがあったので、今日も佐々木学長さんに「先日ロータリークラブから奨学金を授与するところに同席していました」と伝えると、「そうですか。月額で十万円もいただけるというので、実に本人にはありがたいと思いますよ」とのこと。

「月額十万円ですか。それは生活費の足しになりますね」
「ところが今回授与を受けた彼の場合は、そのうちのいくばくかを故郷ネパールに送って用立てているというんです」

「家族への仕送りとか?」
「いえいえ(笑)、ネパールでは通信をするのにまだ無線で電波を飛ばしてやりとりをすることが多いそうなんです。ところがその無線機の大敵が雷で、これを受けると機械が壊れてしまう。その落雷から無線機械を守る装置のために彼はいくばくかを送っているというので本当に真面目だと思います」


 遠い異国での勉学が心細いものにならないように、親日の国ネパールへの支援、応援をしたいものです。併せて留学生の皆さんが学業を頑張って本国のエリートとして立派に活躍されることを祈ります。

 がんばれネパール!


【参考:次は日本が。親日国だったネパールへの恩返しが進んでいる】 http://bit.ly/1IxMnQV

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ビギナーズラック~最北の河川景観

2015-06-07 23:05:36 | Weblog

 車ならわずか十分という至近の距離にある声問川でイトウを狙ってみました。

 対岸では両手で振って遠くまでラインを伸ばすダブルハンドのロッドでイトウを狙っている人がいて、ここには確かにイトウがいるんだろうなと思わせます。

 周辺は笹ヤブの荒涼たる平原。そこにほとんど勾配のなくて緩い流れの川が流れています。道北の河川は笹原の中を流れ両岸には河畔林ができるというのが典型的な河川風景ですが、声問川はまるで湖の様な川の流れ。これが最北の川の風景です。

 この日は風が強くてフライラインが向かい風に押し戻されてうまく思ったところに落とせません。おまけに気温も低くて、寒風の中をじっと耐えているというのは苦行です。

 フリース1枚じゃなくてもっとちゃんと冬の格好をして来ればよかった。

 フライのキャストポイントを変え、フライを変えて3時間くらい粘ってみましたが反応はなし。

 いないのかな、と思った頃に後ろからバシャッというライズの様な水音が聞こえて来たりするのでドキッとします。

 まあイトウ釣りにビギナーズラックはなし。道具仕立てと根性で立ち向かわなくてはダメみたいです。

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猿払村でホタテ釣り

2015-06-06 23:48:13 | Weblog

 道の駅「さるふつ公園」でホタテ釣りのイベントがある、と聞いてレンタカーで行ってみました。

 会場へ着くとすぐに素性がばれて、「よく来てくれました」と歓待を受けすぐにホタテ釣りをやらせてもらいました。

 料金は400円で3分間釣れるというシステム。(ホタテなんてどうやって釣るのかな)と思ったら、バランスを取った逆T型の針金を、口が開いたホタテにうまく差し込んで刺激することでホタテの口が閉まれば釣れるという仕組み。なるほど、こうやって釣るんですな!

 考え方は分かったものの、いざやってみると針がくるくる回ってしまってうまく口に入れられないもの。おまけにせっかくうまく入ったと思ったのに、貝の反応が鈍くて口を閉じてくれないうちに取れちゃったりで、結局は一枚も釣れず。

 ちょっとがっかりしていると、「はい、釣れなくても三枚は差し上げますからね」ということで、三枚の新鮮なホタテをいただきました。

「これどうします?持って帰ります?」見ると炭火が起こして在って、私の前に釣ったお客さんが美味しそうに焼いてもらっています。

「いいえ、ここで焼いて食べさせてください」「いいですよ」

 焼いてくれる汁の色が薄いので「この汁はなんですか?」と訊くと「麺つゆです。濃いと煮詰まっちゃうので薄くして使っています」とのこと。なるほどねえ。

 
      ◆ 


 現場には猿払村の観光協会や役場の関係者、それに山森副議長までが出張っていて、いろいろな方と名刺交換ができました。

「小松さん、それにしても今日は運が良かったです。実は昨日まで時化でホタテが獲れなかったんです。今日もダメだったら延期だね、と話していたんですが、今日は何とか取れました。朝獲りの新鮮なホタテなんですが、水温がちょっと低いのでホタテ釣りでは反応が鈍かったみたいですね」

 それでも中学生くらいの男の子がみるみるうちに三枚釣り上げて、全部で六枚をゲットしたりしていたので、やっぱり腕はあるのでしょう。

 朝獲り五年モノのホタテ三枚を焼いてもらいましたが、卵やヒモなど普段はちょっと苦手かな、という部位もクセがなくて美味しくいただけました。やっぱり新鮮なんですね。


 

       ◆  


 地元の方にホタテの売り先を聞いてみると、「大体中国や香港に送ります」とのこと。

「ホタテを干して珍味として食べるのは日本人くらいなもので、中国人は戻して中華食材で使います。だから五年物って大きくて見栄えもするし味もいいんです」

「ははあ、すると何年も育てたらどんどん大きくなるんですか」
「確かにそうなんです。以前十一年モノという大きなホタテを食べたことがありますが、大振りで固くて刺身以外ならともかく、年数を掛けた値がないと思いますね(笑)だから五年モノくらいがちょうど良いんです」

「十一年モノ!食べてみたいようなそうでないような…(笑)」

 
 一時は取り尽くして浜からの収穫が何もなくなった時期もあったとのことで、村の予算のかなりを投入して浜の再興を計ったのだそう。

 ホタテの猿払、猿払のホタテ。地元ブランドの名産品があるということは強みですね。 しかし釣りは好きですが、ホタテ釣りをやるとは思いませんでした(笑)

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FMわっぴーのインタビュー取材

2015-06-05 23:26:20 | Weblog

 地元FMラジオ局の「FMわっぴー」がラジオ番組のインタビュー取材に来てくれました。

 地域の様々な人にインタビューする企画で、わが職場も幹部が転勤すれば必ずインタビューされるのだそうです。

 生まれ育ちや稚内の印象、仕事への抱負などを訊かれましたが、ここでも「50年前に稚内にいたんです」というと驚かれました。まだまだ使えるネタですね(笑)。

「どんなお仕事をされているのですか」というお約束の質問もありましたが、「地域の生活基盤、インフラを作り守ることで地域の発展を支えています」と答えました。宣伝の時間をいただきありがとうございました。

       ◆  

 さてFMわっぴーは、稚内地域だけで放送される地域FMですが、今では「サイマルラジオ(http://www.simulradio.info/)」というインターネットサイトがあって、これで全国の地域FMラジオが聞ける時代になりました。

 このサービス、最初の頃は放送でかける音楽の著作権料について制度ができていなかったために、音楽の場面では無音になったりして不思議な時代がありました。

 著作権料というのは、「地域の人だけが聞くのだったら、これくらいの料金で良いけれど、ネットで全国の人が聞けるのだったらもっと支払わないといけない」ということで、この問題に整理がついたことで、一気に全国のラジオがネットで聞けるようになったのです。


「そうはいいますが、よその人も聞いてくれていますか?」
「これがね、結構聞いてくれているんですよ。やっぱり最果ての町稚内での放送ということに憧れている人はいますね」

「なるほど」
「以前大阪の方で礼文島が好きでネットで検索していたら、このわっぴーにたどりついて、私が礼文島で生放送をするというときに礼文まで来てくださった方がいました。もちろんインタビューさせていただきましたけどね(笑)」

 サイマルラジオで故郷のラジオ番組を懐かしく聞くというのはありですね。

 私のインタビューは、6月21日のお昼12時半からの放送だそうです。録音しておかなくては。 

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離島に道の駅ってどうなんでしょう

2015-06-04 22:54:19 | Weblog

 札幌から知人が訪ねてきて地域の情報交換をしました。

 相手方は「昨年は道の駅を全制覇しました。稚内へも来ましたよ」とのこと。

「しかし道の駅のスタンプを押すことが目的になってしまうと、本来目的のスタンプをきっかけにして地域を知ってもらうということがおろそかになりませんかね」
「いやあ、確かにその通りですね。計算してドライブをして少しでも多く回ろうと思いますからね」

 道内の道の駅は115カ所にもなるので、全駅制覇というのは相当に根性が必要です。


 するとこの方が、「ところで離島に道の駅があるとこれはなかなか全駅制覇が難しそうですね」と言いました。

「ええ?私も知りませんが離島にも道の駅なんてあるんでしょうか」
「調べてみると、長崎の五島列島の五島市に「遣唐使ふるさと館」というのがあって、奄美大島には「奄美大島住用」が、そして佐渡ヶ島には「芸能とトキの里」というのがありました」

「はー、少なくとも北海道にはありませんが…、んー、でも確かに利尻や礼文に道の駅があると、スタンプラリーの全駅制覇はハードルが高くなりますね(笑)」
「でしょう?でもそこにあればなんとしても島へ渡ってスタンプを集めようという人が増えますよ」

「しかし観光シーズンが終わると利用客がほとんどいませんよね」
「そうか、それじゃあだめですねえ(笑)」

 
 九州や佐渡ヶ島の離島の道の駅って観光のオフシーズンは一体どうしているのでしょうね。興味の湧くところです。

 別な知人からは、1日の離島行きフェリーは大混雑だったという情報が入りました。

「いや、まったく座れなくて、『これは若者は立っていろ』ということなんだな、と思って廊下に立っていました(笑)」

 いよいよ離島の観光シーズンの始まりです。離島へ渡りたくなるモチベーションをさらにめる方策を考えたいですね。

 

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トータル訪問者数が百万人を超えました。ご愛顧に感謝です

2015-06-03 23:48:22 | Weblog

 このブログ「北の心の開拓記」のアクセス者数が今日をもって累積で百万人を超えたみたいです。

 ブログの数は3902本で、この形でブログを始めたのは2005年4月7日でした。

 百万人を超えたからといって何かが変わるわけではありませんが、継続することによる一里塚だなあと思います。

 これからもどうぞよろしくお願いします。

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地方への移住とは~中頓別町のコミュレス&カフェ

2015-06-03 23:46:34 | Weblog

 中頓別町を訪問して、この春の町長選挙で当選された小林成吉町長にご挨拶ができました。

 着任後に挨拶に来たときは前任の野邑町長さんだったのですが、選挙後に小林町長に変られた後にお会いする機会がなかなかなかったのです。

 小林町長さんは「中頓別は小規模ながらバラエティに富んだ観光コンテンツが凝縮している土地柄なので、それらを上手にまとめあげて発信できたらもう少し人気が出ると思います」とおっしゃいます。

 私も、鍾乳洞、砂金堀、頓別川でのカヌーや釣り、ハチミツ、温泉となかなか面白い要素がふんだんにある中頓別町をとても興味深く思い始めたところなので、非常に共感できるところです。
 観光での情報発信はもっとできることがあるようにも思います。

 町長さんに今の悩みを伺ってみると、「人が欲しい、人出不足です」とのこと。

「それはどういう職種での人出不足でしょうか」と訊くと、「介護や福祉ですね」とのこと。「今は老健や障碍者施設などで約200人の町民の世話を行っていますが、これを約100人の担当者が支えています。今現在はまだ大丈夫なのですが、年に数人は辞めたり引っ越して行ってしまう人が出てくるので、その補充に頭を痛めています」
「募集しても来てくれませんか」

「福祉の学校を卒業したような若い人たちが、最初の職場として中頓別町を選ぶということはまず望めません。それではと、地元の高校を卒業したような子たちを採用して福祉部門で担当させても、必ずしも本人の希望とマッチしないようなことになればやはり辞めていってしまいます。来てもらって定着させるということが実に難しいのです」

「移住して来るような方はいかがでしょう」
「それが、移住となるとまた話は変わって結構不思議な人材が集まってくる魅力があるようなんです。全国を旅行して歩いたような人が森林組合に就職してみたりするなど、面白い人たちがたまに来るんですね」

 中頓別の魅力をもっと発信して、不思議な人材が集まることを期待したいと思います。


       ◆  


 その後でお会いしたのが、まさにこの中頓別町へ不思議な縁で導かれるようにして移住してきた渡辺由起子さん。

 この方は、看護師・保健師として働いていたこともあるのですが、ソーシャルファーム(Social Firm)という、障がい者や社会的弱者の就労の問題に取り組む活動に興味を持ち、それに関する講演会を中頓別町で聞いてから、この町がずっと気になっていたのだそう。

 そしてある時、町がかつて民間から継承した公衆浴場施設を売りに出すという話をホームページでみつけ、(これを活かせば何か自分でもできるかもしれない)と考えて、公衆浴場を買い入れたのでした。

 最初は売った側の町の方が「買ってどうするの?何をするのでも難しいですよ」と怪訝な感じだったそうですが、浴場の熱源を灯油から地域の産物である薪に替え、さらに施設の中でコミュニティレストランやカフェを行ってみることに決めました。

 最初は周りのお年寄りたちも「薪にするなんて無理だ、やめちまえ!」と厳しい声を口にしていたのが、いざやり始めると「(渡辺さん曰く)変人たちが手伝ってくれるようになって(笑)」薪が集まり、またボイラーで火をたく手伝いをしてくれるような人たちが現れてきたのだそう。

 また地域の山菜や農産品を活かした地産地消の素材で一食500円の定食をほぼ一日おきくらいに提供し始めると、常連の人ができてこれを支えてくれるようになったのだと。


   【これで500円は格安です】

「ビジネスとして設けることだけを考えると値段や素材も考えますが、障碍を持った人にちゃんと賃金を払って手伝ってもらうなど、お年寄りや障碍者を巻き込むことで、儲け以上の社会的な価値を感じられます」

 なによりも、風呂焚きや薪集めを手伝うという使命感に燃えた人たちは日常生活に不便のないくらいにどんどん健康な状態に近づいていくのが分かったそう。

「健康になるためには治療や投薬といったことだけではなく、社会に参加しているという充実感や使命感、目標や達成感といったものがいかに大切かということを痛感しました」

 

「必ずしも医療や買い物などにあまり便の良くないこの町で不便や不満は感じませんか」とお尋ねすると、「私はかつて海外青年協力隊でネパールに行っていたことがありました。それを思うと、物がなくて我慢したり工夫するということが極めて当たり前で、この町でもほとんど不便を感じないんですよ(笑)」という返事が返ってきました。

 北海道が目指すべき姿に関しても、「日本全体のように外貨を稼ぐということに一生懸命になりすぎずに、ちんまりとしても地域でこのように暮らせるんだということを示すことも大切じゃないでしょうか。北海道って日本の中での途上国みたいで、ネパールと思い返すと途上国っぽい強みみたいなものがあるような気もします」という感想を語ってくださいました。


      ◆  

  
 移住促進と簡単に言いますが、移住を決断するための背景は十人十色で一人一人の縁なんだなと思います。

 ただやはり惹かれていくにはその町になんらかの魅力があるわけで、中頓別町では受け入れてくれた周りの人たちとの繋がりや縁が強い魅力になっているようです。

 自分たちの町の魅力を理解して磨くことで小さな町でも移り住みたくなる人を呼び寄せることができるという事例を見せていただいたような気がします。

 うーん、やっぱり中頓別町って不思議な魅力がある町です。

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宗谷のブランド「勇知いも」

2015-06-02 23:12:05 | Weblog

 農林水産品の一次産業が盛んな宗谷地域での有望資源の一つが「勇知いも」。

 これは稚内の勇知地区というところで作られているジャガイモなのですが、「勇知」という地名を地域ブランドとしていて、糖度が高く甘いジャガイモだというので人気なのです。

 稚内の農業と言えば、今は酪農が中心となっていますがこれは酪農業への転換を国の農政が進めたためだから。

 実は明治四年というまだ入植がはじまった初期に、開拓判官がこの地を訪れてジャガイモが作られていたという記録が残されています。

 その後明治の末期に樺太から持ち込まれた樺太いもを「勇知いも」と呼んで作っていたのですが、「こんなに美味いと稚内で評判なのだから都会なら売れるのではないか」と試しに東京や大阪に送ってみたところ、案の定大人気になり「大量に送ってくれ」という声がわきあがったそう。

 その後勇知いもは道立農業試験場で研究改良が進められ、寒さに強く収量が多い改良種「農林一号」として開発され、昭和初期には稚内の特産物として全国にその名を知られるようになりました。生産ピークの昭和29年には2380トンを生産したと言います。

 ところが生産過剰や冷水害が相次ぐ中、国は酪農業への転換政策を進め、次第に生産量は減少の一途をたどり昭和47年にはとうとう農産物としての取り扱いがなくなりました。
 
 近年はわずか数軒の農家が往年の稚内の名産ブランドだった幻の「勇知いも」の復活を夢見て栽培に取り組んでいましたが、平成20年に稚内の有志が「わっかない地産地消研究会」を立ち上げて復活に向けた活動を開始し、売り先の開拓などに力を入れています。

 栽培するジャガイモの品種は、農林一号、きたあかり、アンデスレッド、メークイン、さやあかね、インカのめざめの六種類。これらが、降水量が少なく晴れの日が多い勇知地区において環境に配慮した「クリーン農業」で育てられた「勇知いも」として復活しつつあります。

 勇知地区で作られるいもがなぜ美味しいかというと、利尻富士が西側にあるために雨雲の雨が利尻富士に落ちてしまい、この地区は雨が少なく晴れが多いという土地柄のおかげで、道内他地域にジャガイモに比べてもデンプン質の含有量が多いのだそう。

 糖度も高く甘いという評判で、「勇知いも」という商標登録も紆余曲折ある中で取得に向けて手続き中とのことですよ。

 「勇知いも」って稚内ではよく聞くのですがその正体がわからないでいました。今日詳しく話を聞かせていただいてやっと得心がいきました。これは応援したいですね。


           ◆    


 そしてそんな勇知いもの付加価値をさらに高めようというのが自然冷熱利用の取り組みです。

 声問地区にある雪氷冷熱の実証実験施設では、屋根のかかったかまぼこ型の倉庫の中に水の入った水槽が一杯に置かれていて、これを冬の間に倉庫の扉を開けておくことで凍らせます。

 氷ったところ扉を占めれば厚い断熱材の張られた倉庫の中で氷の冷気が長持ちし、この空気をダクトで取り出して勇知いもの置かれたコンテナ倉庫に送り込んで寝かせて甘みを増加させようというのです。

 勇知という地域特性に加えて、稚内の冷気が甘さを増した「勇知いも」。宗谷地域のブランド産品になっていく日は近いことでしょう。

 

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