京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

間に合わなかった思い

2019年06月28日 | 日々の暮らしの中で

日中は好きだった庭いじりをして過ごし、夕食は食べたくないと言って何も食べずに横になった。
夜中、うなされているような声に気づいたので手を握り、ずっとさすってあげていたら、午前2時頃に静かに息を引き取ってしまった。

叔母は電話口で、91歳の叔父の最後の様子をこんなふうに話してくれた。叔母も今年90歳になる。
ずっと二人での暮らしだった。「平(たいら・福島県)はいいところだったって言いながら亡くなったようなもので、満足して逝ったと思うからよかったんじゃないかな」とも。平の地の温かさがとても気に入っていたという。身体が弱いからと、常に身体をいたわったことが長生きにもつながったのだろう。
会うのは、母、父、弟の順で葬儀のときばかりだった。一度我が家を訪ねてくれたが、関西の地まで、旅行すら控えていた叔父には珍しいことだったらしい。

一昨年の夏、羽黒山の五重塔の前に立ってみたくて東京発のツアーに参加した。息子宅に戻ったあのあと、叔父夫婦を訪ねていわき市まで今一度出向いておけばよかったのかもしれない。心のどこかにその思いはあったのだ。後になって悔やまぬようにと思いつつも、いつもちょっとだけ間に合わないことが生じる。

   暮れぬ間の身をば思はで人の世のあはれを知るぞかつははかなき
我が身は暮れぬまのいのちなのに、明日知らぬ身であることも忘れて、人の死のあわれを知るというのもはかないことだと紫式部が詠んでいる。
まことにまことに、命は賜りもの。なのに、今日を限りのとは、つい忘れてしまう。
コメント (2)
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