懸崖造りの二月堂の欄干上で、点火された大松明が火の粉を散らすシーンはニュース映像でもお馴染みかと。奈良の早春の伝統行事「修二会(お水取り)」は、その時代じだいの国家の安寧や万民の幸福を願うことを主旨に、1260年をこえて引き継がれ、一度も休んだことはないという。
どこでスイッチが入ったのか、椿が誘ってくれたのか…。昨日八日、初めて「お水取り」に合わせて二月堂を訪れてみた。
内陣(今、見えてはいないが普通は中央に須弥壇)があり、その内陣と礼堂(私たちでは外陣と呼ぶ)は結界する薄い白い布が下りていた。礼堂の周囲3方に局(つぼね)と呼ぶ場所があり、そのうちの正面の所に上がらせてもらう。すでに声明が唱えられ、「日中」の行は始まっていた。座った目の前は、礼堂とを仕切る格子戸で仕切られ、腕一本が通る格子枠に顔を近づけのぞき込むのだが、白い布(戸帳)の向こうでは火が焚かれ、声明が唱えられ、僧が動いていることが透けて見えるのです。
床を打ちつけるものすごく大きな音が響きます。差懸(さしがけ)と呼ばれる沓が立てる音でした。爪先が厚紙で被われ、胡粉で白く塗ってあるという木履。これを履いた僧が内陣から出てきては何があるのか右手の闇の中に消え、また戻る。往復の小走りな足元が打ち立てる音は強く高らかで、せわしげだ。
読経が続く中、内陣から礼堂に出た僧(一人)が上体を大きく動かしたかと思うと、これまた大きく体を落と仕込む…。とまた、あの床を打ちつけるような大きな音が上がりました。等間隔で、激しい所作が格子の向こうで繰り返された。知りませんでした。これが五体投地の行であることを。中は暗いし鮮明ではありません。ただ、局に座った場所から近かっただけに、すごさ、荒さに感じ入っていました。
この修二会に参籠する僧は練行衆と呼ばれ、東大寺と末寺から現在は11名が選ばれるのだそうです。「四職(ししき)」の上位4人と平衆7名から成り、それぞれに役割を担う。3月からの本行に入る前には、身に着ける紙衣(かみこ)の紙を絞ったり、椿の造花づくり、差懸を整えるなどし、やがて11人が起居寝食を共にし、湯茶が制限され私語も許されないという精進潔斎を重ねる。厳しい寒さの折に、火の気は廊下に置かれた火鉢の炭火だけとは。観音菩薩と人々の間の媒介者の役を果たすということで、よほどの覚悟がいるようです。
練行衆は、仙花紙を貼り合わせて木綿の裏地をつけた袷仕立ての「紙衣」と呼ぶ小袖の上に、黒い麻布製の衣を重ね、袴を身に着ける。五体投地で、紙衣の右膝の部分は「一撃で裂ける」と。
ちょうど訪れた8日の未明に本尊が大観音から小観音に変わって厨子が安置された。「本尊が変わったから餅も新旧交代だ」と堂衆さんたちは、「日中」の行のあと運び出し始めました。
袋の中を見たら、と言ってくれます。見慣れた「おけそくさん」など比ではない、10㎝に3㎝?は優にありそうな大きさ、分厚さ。「餅一つを3合の米で、それが1000個」だと言うので、びっくり仰天。
奈良国立博物館で開催中の特別陳列「お水取り」に立ち寄り、再現された須弥壇を拝見。椿の造花の供花が大小の花瓶で2対。そして餅も。のぞき見たお水取り、詳しいことは購入した冊子で教えられています。(内陣と礼堂、衣の写真は冊子より)