京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 今日を楽しむ

2014年04月30日 | 日々の暮らしの中で
昨夜来の風雨はおさまったが、湿気を含んで重ったるい風が生暖かい。時折うす日が漏れるほどの一日だった。


四月末日、嬉しいことに孫娘Jessieからの手紙が届いた。封筒の中にもひとつ封書が入って、「あいたい」「またあいたい! まってるよー」「だいすき」と何枚ものカードに。そして、「なんでかしらんけどほんとうにあいたいよー!」って。…どうしましょう。
こんな熱烈な?かわいいラブコールは1ドル80セント、日本円に換算しておよそ170円ほどで海を渡ってくる。


日本で過ごした思い出。関わりのあった人の「死」とか「いのち」のゆくえといったものが無意識にもJessieの心にかかるのだろうか。先ごろ何度も書かれて送られてくる文面に、こちらを思いやってくれるかのような少女の気持ちの温かみを感じている。

生きていれば、喜びもあれば憂いもあるということ。
心が晴れない煩わしいことも避けずに引き受けるところに、まぶしいほどの明るさが与えられるのだ。

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 「南山城の古寺巡礼」

2014年04月26日 | 展覧会

4月22日から京都国立博物館で特別展覧会「南山城の古寺巡礼」が始まっています。(~6月15日)

南山城という地域は京都府の最南部です。奈良と京都に挟まれて大きな木津川という川が流れていますが、この流域を中心にした地域です。
大和を中心として考えて、奈良山の北面背部の地として意識されていたのが「山城(やましろ)」。この「山城」という国号は平安遷都と共に改称されたもので、もとは「山背(やましろ)」国であったと説明されています。ですから当時は、奈良を中心にして山の背の国だったのです。
740年から数年間、木津川(当時は泉川)のほとりに恭仁京が営まれましたが、完成をみることなく途中で造営は放棄され、その後は難波宮に遷都となります。

この地には多くの寺が散在しています。この企画では、高麗寺・笠置寺・浄瑠璃寺・岩船寺・禅定字・宝寿寺・現光寺・蟹満寺・神童寺・観音寺・金胎寺・酬恩寺…などからの出展でした。


写真の左上は、宝寿寺の十一面千手観音立像。会場には珍しい十一面観音坐像(現光寺)もお出ましでしたが、この地域、傑作の十一面観音が多く祀られているようです。
素晴らしい幾体もの観音像を前に、かなりの無遠慮をおかして間近に迫り、左から右から、斜めから時に後ろへと回ってのぞき込むようにして拝観してしまいました。
本来は下からの目線で…。が、床に座り込むわけにはいきません。やはり堂内でもう一度と思わされます。もっとも、仏様の目を見たりしたら目がつぶれると信じた昔の人たちの信心には、私がいくら観音像のお傍に近づいたところでかなうものではありません。

右上は、天に向かって弓を射る形の「天弓愛染明王坐像」(神童寺)です。愛染明王は、愛欲貪欲(煩悩)を浄菩提心に転ずるホトケとして女性の心の拠り所になったとか。これは、長浜市にある尊住院に近い川道神社にまつわる話を通して知ったことです。(「『びわ湖・長浜のホトケたち』)に収められていた話でした。煩悩など数えきれないほどあります…ような…。
下は海住山寺の四天王立像です。

昨日、一緒に良い時間を過ごした友が帰りがけに絵葉書きを買っていました。その時、私にも3枚、そっと持たせてくれたものです。

対面するや、瞬時に心をとらえられるような出会いというものもある気がします。大きな慈悲の心に包まれて、その懐にくぐり入ったかのようにさえ感じながら、ひと時でも気持ちを浄化し感動に浸る。感じるも感じないも、これまた縁…。

4月はしみじみ仏縁を感じさせていただく機会に恵まれました。自分自身を見つめ気付かされる。どう生きていくべきなのかを問われるのかもしれません。
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 輝く若葉 

2014年04月23日 | 日々の暮らしの中で

      さびしさに慣るるほかない春落葉     西嶋あさ子

父が母親を亡くした時に涙を見せた。初めて見た父の涙だったと記憶している。おかあさんっ子?だった我が家のユウトウセイ。悲しさや寂しさを推し測ることはできても、その身になることまではできそうにない。
唐突だったために、部屋も今の今まで過ごしていた状態のままで残された。「そのままにしといて。さわらんといてくれ」と…。
枇杷の木から、かさこそと葉ずれの音を立てて枯れた分厚い大きな葉が落ちてくる。この葉落ちも「春落葉」と呼んでいいのだろうか。

今日は明るい日差しが戻って、とりどりの若葉の輝きに目を見張る一日になった。
 
      うららかに ただうららかに 或る日かな     久保田万太郎

こんな日は、ふと誰かに会いたくなるような…。


まぶしいほどの新緑を見るにつけ、やはり微妙にさびしさを募らせているのかもしれない。海の向こうで、二人の孫は元気に走り回って二週間の休暇を過ごしていた。JessieとTylerの活力に与りたいところかな。



  
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 「自分を新しく、…」

2014年04月21日 | 日々の暮らしの中で
東京へ行った日がもう随分と前のことに感じるし、その記憶さえ薄れて忘れてしまっていることが多い。


本堂にかけられた4月のカレンダーには「お念仏 仏の願いの 船に乗る」と書かれあった。大きな乗り物に大勢で乗って、みなで共に彼岸に渡ろう、という考えであろうか。
ふたなぬか(二七日)を済ませて、季節も桜から山吹やツツジへ、ひとつ進んだ新鮮さが感じられる。
毎日カレンダーを見ながら諸用を済ませているこの頃にもかかわらず、どうかすると心ここにあらずで集中力に欠く。友人に宅急便で小さな包みを送るために、コンビニまで思いっきり自転車をこいで行った。やたらがむしゃらに力を入れてこいだ。


 
気付かないうちに蓄積されるのか、悲しさとはまた違った内向する気持ちを少しでも解放しようとすれば歩きに出ることになるのだが、少し大きく気分を変えたくている。歩道わきの鉄柵にからみついて咲く小さな花の可愛かったこと。

        きょうしつがかわると気ぶんもかわるかな   

小学校2年生、日向子さんの句に「どんどん自分を新しくする、そんな時期が春かも」と坪内稔典先生。






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 野道を歩けば

2014年04月16日 | 日々の暮らしの中で

このところ暖かくって、午後から1時間ほど散歩に出る日が続いています。

草むらや植え込みの中からスックリ顔を出すほど背丈も伸びて、カラスノエンドウが花ざかりです。山吹の黄が鮮やかです。

家に帰ってから、名前をネットで調べて覚えたこの花はムラサキケマンでした。これがなんと「全草にプロトピンを含み有毒。誤食すれば嘔吐・呼吸麻痺・心臓麻痺などを引き起こす。 ウスバシロチョウの幼虫の食草であり、このためウスバシロチョウも有毒となる。また、植物体を傷つけたときに出る汁は悪臭がする。」(ウイキぺディア)と説明されていたのには驚きました。
というのも、わざわざ茎を折って、この筒型の花がきれいに撮れないものかとカメラを向けていたからです。食べることはないでしょうが、その手をなめるなんてこともしなかったので、まあよかったこと。問題なしです。

ヨモギを摘んでいた高齢の男性がいました。根から抜いたら次が生えないからいダメだと教えられ、「いっぱいありますよ、どうですか?」とすすめられたのですが、遠慮することにしました。昔、父がハコベを煎じて飲んでいたのを思い出し、話題にしてみたものの、まったく反応なしで終わってしまいました。
見知らぬ方とちょっとしたおしゃべりを交わし、相も変わらずキョロキョロしながら体をほぐして気分転換です。快く疲れて、夜は居眠りばかり…。


Jessieからの手紙が相次いで届き、おかげで気持ちもほぐれます。やはり「かわいいなあ」というところに落ち着いてしまう、のも孫のこと、仕方ありませんということに。
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 「瑞華院」

2014年04月14日 | 日々の暮らしの中で

先日、96歳で亡くなった義母は私の父の幼馴染でした。父が故郷を思って昔話をするときによく登場したのが「じゅうちゃん」「きさくさん」「しんちゃん」の3人と、ただ一人の女性が義母の「ふくちゃん」でした。顔も知らないで記憶の始まりはここです。
祖母の納骨のために訪れたとき寺で一泊させてもらって、その別れ際に「keiさんだけここに残らはったら」と言われたのです。その7年後に嫁ぐことになるとは、縁があったとしか言いようがありませんでした。

「お客さん大好き!」と言い、もう群を抜くおしゃべり好きで賑やかな人でした。お経で鍛えられたよく通る大きな声で、通りをはさんでのおしゃべりにも花が咲く。ですから、どこにいるかがすぐにわかるのです。このおしゃべりが来客をくつろがせるのです。その一方では、オーバーなと思える表情で相手の話にうなづき、相手を乗せる。気持ちよくさせていたのでしょう。
しゃべりすぎるほどの善意のおしゃべりは、結果、お互いの心を近づけるエネルギーを発していたのかもしれません。明らかにしゃべる時間が人より多いのに、うとまれることなく気持ちよく会話の成立をみているのですから、やはり不思議な力だと思います。まあ、本音の本音を言うなら、やっぱりちょっとしゃべりすぎでしょ!思っていました。

「瑞華院」という院号をいただいております。
一人娘として寺に生まれ寺で育ち、働きに出たこともなければ小旅行で家をあけることもめったとない。娘の家に泊まりがけで出かけても、1泊で切り上げ早々に戻ってくる(きてしまう?)。「じぶんねー(自分の家)がきらくやわ」。一代、寺を守り通した人生でした。

口癖は「仏さんが見てはる」。生きてきたすべての日々に仏縁は結ばれているのです…。   合掌
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 「長浜のホトケたち」

2014年04月04日 | 展覧会

「春には…」と1月11日にご紹介させていただきましたが「観音の里の祈りと暮らし展ー長浜のホトケたちー」を拝観したくなりました。明日、訪ねてみることにします。

俳優であり仏師でもある滝田栄さんが【日常の自分のあり方を正す絶好の季節に観音様にお会いしたくなったのです】と、雪の中、「信仰と生活が一体となった村」観音様の聖地・湖北の地を歩かれています。観音様は「たまに見る美術品ではなく毎日手を合わせ祈る対象」。YouTubeで「観音の里の祈りと暮らし」を何度再生したことやら…。心に響き、とてもしみじみとした気持ちにさせられます。

定期観光バス利用で「観音めぐり」があることも知りました。あるいは自分の足で、「観音の聖地」を巡ってみたいものです。

上野公園にある東京藝術大学大学美術館での開催。上京後は、まず自分の愉しみに心おきなくたっぷりな時間を使ってから、夕刻に息子と待ち合わせです。滝田栄氏の講演会にもできれば参加してみたい…。今回はこの展示会が主目的です。
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 花見

2014年04月01日 | こんなところ訪ねて
年年歳歳、季節は巡ってきて、「桜花さきにけらしな…」。

新聞の「桜だより」によれば、丸山公園、哲学の道、木屋町高瀬川などは「五分咲き」、京都御苑、天龍寺、山科疎水、醍醐寺あたりで「満開近し」の情報だった。「満開」となると、まだ平野神社と高台寺だけ。
そこで、「梅は北野(神社)、桜は平野(神社)」、「御室(仁和寺)は花人を埋め、平野は人花を埋む」と、古くから桜の名所だった平野神社を訪ねてみることにした。



珍種が多く50種、400本もの桜があるといわれる。武運長久を願う公家が、家の象徴として桜を奉納したことに由来しているのだとか。

まだ少し早いと知りながら、千本えんま堂に普賢象桜を見に回ったが、その途中に立ち寄った、というか、この門前に足が止まった上品(じょうぼん)蓮台寺。

真言宗の寺でお堂は公開されていない。境内に咲き誇る大きな枝垂れ桜の美しかったこと。訪れる人はごくごくまばら。この静けさが花のやさしさ華やかさをより際立たせ、忘れがたい場所になった。いいお花見をした。

境内にあるという平安時代の仏師・定朝の墓を探して歩いたが、わからなかった。聞く人とていなくって…。それでも、一人、せめて小人数での静かな花見が好きだ。ゆっくりと時を過ごし、できれば少しお酒があったらいいかな。



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