京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

収穫の喜びって…

2023年04月30日 | HALL家の話
この28日にクロスカントリー地区大会に参加した孫のTylerは、3キロ14分で56人中17位。
10位以内に入れば更に上の大会に出場できたのだとか。「吐きそうだ」と言った日から3回目となるクロカン。なんかもう十分じゃないの?と言いたくなる。
だって…。

弟のLukasと一緒にサッカーのスキルデベロプメント、習熟度を見るような催しに参加したところ、アカデミーに招かれることになったという。ボールさばき、身体バランス、運動能力にコーチはWOW! さすがに本人もびっくりの展開だったらしい。
二人が同じ曜日なら送迎も楽だが、兄の方だけにするつもりだと言っている。

29日には所属するAFLのシーズンも始まって、さっそくMAN OF THE MACHに選ばれた。
弟のサッカークラブはすでに1週間早く始まっており、6点を決めて意気揚々。

 

自慢でもなく卑下するでもなく、離れて暮らす孫たちの暮らしぶりの一端を書いているにすぎないのだが、成長は早く、今しかできないこと、それがスポーツだけでいいのかしらと思うことがある。
好きで一生懸命に取り組める何かがあることが原点であることは承知しているし、吸収し発光するものをきっと育むことだろうとも思う。


娘のところへ荷物を送ろうと、それに合わせて本も選んできた。
Tylerには、教科書以外に最近何か本を読んだか一度聞いてみることにしよう。
だって、本を読まない人生、収穫の喜びを知らない人生って寒そうよ。
ウインタースポーツの時季だから関係ないのかな。

読むということはかならずしも、わかるわからぬのことではない。魂というような言葉を使いたくなるところだが、本に触発されて自分がいっときでも自分から広がり出る。そこに妙味はある。人の成長の機縁もある。本も人の中で眠るうちに育つ。
読み暮れて、空手でもどってもそれでいいのだ
〉 

古井由吉氏が書かれていた。
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普通のおじさんが口ずさむ

2023年04月28日 | 日々の暮らしの中で

現代詩は難しくなりすぎていないか。まっすぐに心に響くような書き方を忘れてしまった、
と日本現代詩人の会の方が言われていた。

戦後間もない東京の飲み屋街でフツーのおじさんが「よごれちまったかなしみにきょうもこゆきのふりかかる」と口ずさんでいたような、
普通の人が口ずさめる詩を書いている人がいない、というのだった。

前登志夫氏に「橋」と題した詩がある。
 花びらがこぼれて
 追憶の眼窩をうづめ
 はるかにとおいどこかの方に
 失われた時間がふくらみはじめる
 わたしは見ることができるのです
 おびただしい運命の通過のあとを
 樹液の重さにうなだれた
 しののめの梢のような
 孤独な睡眠の
 はてに

 あ 橋が刃物のように架けられて
 いる わななく讃歌よ
            『望郷』(S26)

言葉を投げかけられても、むこう側へ渡れない、感応できない私…。
読解力の違いと片づけてしまっては、考える意味も学ぶ意味もない。
とはいえぐっと単純に、どうして自分は詩を遠ざけるのかなあと考えるのだ…。

詩の本質とは「ひとすじの呼びかけ」だ、「ひとりの人間が、一人の人間へかける、細い橋のような」声である。という石原吉郎の言葉を教えられた。
胸の内から自分の思いを誰かに届けようとする真摯な声の響きが、巷間から消えているように思えてならないと河津聖恵さんが言われる。


   まだあげ初めし前髪の
   林檎のもとに見えしとき
   前にさしたる花櫛の
   花ある君と思ひけり

学生時代に所属していた会で、酒宴のお開きには必ず歌ったのが「初恋」の詩だった。
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えんぴつ

2023年04月26日 | 日々の暮らしの中で
短い赤鉛筆の芯を整え出したら、思ってた以上に木の香りがした。

どの鉛筆もちびちび削り継いで、いっこうに未使用品の出番がやってこない。
本来はチョークをはさんで使っていたが、ちびた鉛筆用に代えて久しい。


ある日客人があって、手にしたまま立ち上がった。
どこに置いたのか。一年以上が経過して書棚の下からほこりにまみれて現れた。細い棒を差し込んで探し物をする機会があったのが幸いしたというところ。
手に持って移動したのではなかったのだ。記憶なんて曖昧なものだな。


手回しの削り器を孫たちのところへ回したので100均で買った小さなカッターナイフを使う。
芯が長めに出て、先が整うことが条件なので、見目の悪さには何の問題もないの。

  つゆの日のえんぴつ芯のやわらかき    辻征夫

昨日からの雨が降り続いた半日だった。
原稿用紙には鉛筆と限る。
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海も白い 道も白い 家も白い

2023年04月25日 | 日々の暮らしの中で
房総半島の御宿は東京の知識人や芸術家に愛され、重い悩みを抱えてふらりとやってくる人が続いた。迎える土地の人々は自然体でおおらかだった。素朴な漁村の魅力が口伝てに広まり、人が人を呼び、作家が作家を呼んだ。

大正7年、立教大学の学生だった加藤まさをが転地療養でやってきた。
前後して尾崎士郎が東京の生活に窮して逃げてきている。作家志望の逃亡仲間が二人いた。
御宿の砂漠を思い浮かべ、童謡「月の砂漠」を生み出した加藤から20年後、昭和13年には16歳だった谷内六郎が母方の遠縁にあたる船大工を頼ってやってきた。
喘息の発作の苦しみと治療薬の副作用を抱えていたのだ。


ある土地を介して生まれる人と人との縁。生きる希望を見いだそうとした人々は病と闘う療養の身ではあったが、御宿での日々には人生の時間の豊かさを感じ得ていたのではないだろうか。

自分も作家として新生に挑もうと覚悟が生まれる。
とこれは乙川優三郎『地先』に収められた1篇の小説…。

谷内六郎の『遠い日の歌 谷内六郎文庫②』があったのを思いだし目次を追うと、もう忘れていたが「上総の海」と題した小文があった。


自分が描く絵に千葉の外房の風景が多いのは16、7歳から外房の借家で過ごした思い出が出てくるせいだとし、心のナイーブなときに吸収したものからは容易に一生抜け出せないものかもしれないと書いている。
どんなに背伸びしても、自分の持っているものしか出ないに決まっていると。

中村八大氏の名曲つきになっている房州のうただとして、
  海も白い 
  道も白い 
  家も白い 
  夜明の上総は 
  磯蟹だけ真赤

  空も青い
  海も青い
  上総の町は貨車の列
  火の見の高さに 
  海がある

「これをボクの上総風景詩の決定版として、よく色紙にスラスラ書くけど、あまり人はよろこばないようです」

父が通勤電車で読む「週刊新潮」の表紙絵が谷内六郎を知った始まりだったと思う。
乙川作品にはしばしば房総の地が小説の舞台に登場する。
内房ではあったが夏には家族で海水浴の思いでもあり、まあちょっとした親しみの一つかもしれない。

雨がしずかに降ったりやんだりの一日で、お使いの用もなく家に籠って過ごしたせいか長い一日だった。
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絵解き

2023年04月23日 | 催しごと
慶讃法要が勤まる西本願寺の門前。


向かいのミュージアムでは法要に関連した春季特別展開催中で、土曜日だけ〈三河すーぱー絵解き座〉による絵解きの実演があるので昨日出かけた。この座は僧侶もそうでない人もいて、20年の活動歴があるという。琵琶の音とともに語りは始まった。

9幅の太子絵伝(複製)が掛けられ、差し棒で示しながらのお話は、
聖徳太子の誕生、握ったままの指が開かれた2歳のときの合掌、その姿像、開いた手から零れ落ちたという仏舎利、仏教伝来による蘇我氏と物部氏の対立、太子の教え、長野の善光寺、善光さんのこと、四天王寺建立、六角堂での親鸞との関わり…等々。

〈絵解き〉と言えば『那智山熊野権現曼荼羅』を絵解きして、熊野への信仰を掻き立てた熊野比丘尼が浮かぶ。
物悲しい節回しで諸国に「熊野の本地」の物語や熊野権現の霊験を語り伝えた女たち。
かつて熊野古道を歩くツアーに参加していた折に、善男善女の涙を絞ったという比丘尼の話を読んだこともあった。


この日絵解きを披露された座長さんは「絵解きはエンターテイメント」とお話のようだ。どう伝えるか、絵伝を穴のあくほど見つめ考え抜いて台本を書く、のだとか。
太子の教えも、親鸞聖人の教えも、弟子たち、あるいは志ある人々の書や語りを通して広まる姿を見ることができる。『論語』もそういうことだ。
一度聞いてすべては記憶に残らないし身に添えない。誤って解釈することもある。だからこそ教えを聞き問答し語り合うという姿勢が問われてくるのだろう。

『金剛の塔』を思いだし書架から取り出した。昨年秋、初発の感想は作品の構成も含めてイマイチだった。
「わかりやすいことは薄っぺらでもある。なにも考えさせない小説に良質な読後感は期待できない」と乙川優三郎氏が作中の人物に言わせていた(『この地上で…』)。
あのときのモヤモヤ。絵解きが再読へといざなってくれているのか。太子のお導きか。
どこかに聖徳太子のストラップが落ちているかもしれない。
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山田太一と寺山修司

2023年04月22日 | 日々の暮らしの中で
山田太一氏の『誰かへの手紙のように』を読もうと手に取って、ふと松浦弥太郎さんが文章を書く時は読み手の「あなた」に手紙を書くつもりでいつも書いている、と書いていたことが思い出された。

山田さんは大学が早稲田だった。
その頃の一番の親友が同級生の寺山修司で、二人でよく高田馬場の古本屋を歩いたときの想い出を綴っている。

当時まだ古本を値切る習慣が残っていて、どちらかが「神田ではもう少し安く出ていた」と言ったところ、
「だったら神田へ行けよ。神田がなんだっていうんだ。神田神田って」と青白い主人は真っ赤になって、ものすごい怒りを買ったそうだ。
こちらはたった1回神田と言っただけなのに何度も繰り返し、「出ていってくれよ」と。

「あれはすごいコンプレックスだよね」と笑いが止まらない寺山修二に、「そんなに可笑しかないよ」と応じたのを覚えていると述懐する山田氏は、店主のむきだしの敵意に傷ついていたらしい。

青森から出てきたばかりの少年と、傲慢で不安な世間知らずだったという二人が見えて面白いなと心に留めた。
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一人ひとりがたまわった命

2023年04月19日 | 日々の暮らしの中で
窓越しに聞こえてくる我が家の鳥がナイストミチュ ナイストゥミ-チュと鳴いている。
Nice to meet you. 意味を持った言葉に当てはめて聞くことは「聞きなし」というようだが、いっそグッドモーニングとでも鳴いてくれたら素晴らしいのに。

浄土宗総本山知恩院では宗祖法然をしのぶ忌日法要が始まり、その開幕行事として「ミッドナイト念仏 in 御忌」が営まれた。昨夜午後8時から19日午前7時まで、三門楼上の仏堂で一晩中念仏が唱えられるというもの。(↓写真は朝刊より)


東・西の本願寺での慶讃法要、それに合わせて末寺で勤まる法要もある。京の町ではいつにも増してお念仏が満ちているときかもしれない。

「ありがたい、おかげさまで、もったいない」この3つが日本人の大切な心だという。
一切はいただきもの。「天命に安んじて、人事を尽くす」(清沢満之師)
たとえどのような状況に身を置いても、一人ひとりがいただいた寿命は決して見捨てられることなく照らし続けて下さる。

どうにもならないことは、どうにもならないままお任せして、賜った命を精一杯生きましょう、ねっ。 

 〈私の心の奥底にある「生きたい」という声に耳を澄まそう〉


 身辺には萌えだした新緑のエネルギーも満ちて
  
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蓮如上人御影道中

2023年04月17日 | 催しごと
浄土真宗中興の祖・蓮如上人の北陸教化と真宗再興のご遺徳を偲び、吉崎別院では毎年「御忌(ぎょき)法要」が勤まります。

「御影道中」は、御忌法要をお迎えするため蓮如上人が歩んだ東本願寺と福井県の吉崎別院を結ぶ往路(御下向 )約240km、復路(御上洛)約280kmの道程を、上人の御影(ごえい)とともに歩む大切な御仏事で、江戸時代から300年以上続けられ本年が350回目となります。
300年を超えて、この力は何なのか、どこから来るのでしょうか。

今年は親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年の慶讃法要をお勤め中の御下向ともなり、しかもコロナ禍で途絶えていた「歩いて」の道中が復活しました。

阿弥陀堂での下向式を終え、蓮如上人の御影が収められた輿をリヤカーに乗せています。

御影堂門を出て北へ


「蓮如上人さまのお通りー」
先触れの声が響きます。輿を乗せたリヤカーを引く歩みはかなりの速さでした。速い! 


式典に参拝し、五条まで共に歩いて、お見送りする機会をいただきました。

下向最大の難所、木ノ芽峠を行く時は、御影を入れたお櫃を背負ってゆくようです。責任の重み、いのちの重みを感じると供奉人の長を勤める方がお話でした。

乱世の時代、対立した比叡山延暦寺の衆徒は本願寺を破壊しつくし、蓮如上人は滋賀県の堅田に移って布教の拠点としましたが宗徒に追われ、やがて越前吉崎へと発ちます。
蓮如上人39歳から始まる五木寛之氏による『蓮如 -我深き淵よりー』(中公文庫)は、上人が吉崎に向けて船出する57歳まで、戯曲で書かれています。

「されば朝には厚顔ありて、夕べには白骨となれる身なり」(「御文」から)
朝方にはいかに元気であり、明るくふるまっていても、夕方には死んでしまうようなこの身である。「のがれがたきは無常なり」。
無常の苦から救済されるには阿弥陀仏をひたすら頼むことである、お念仏もうしましょう、という信仰が…。

今夜は小関の光徳寺にお泊りでしょうか。由緒あるお寺です。
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なにしに行ったのか…

2023年04月16日 | 催しごと
「前登志夫没後15年企画」展を奈良町にぎわいの家に訪ねた。


前さんの創作活動は「詩」から始まったようだが、私は平素から「詩」とは疎遠できた。
20代の氏が中心となった吉野発の文芸誌『望郷』『詩豹』。「歌人以前の前登志夫の活動の足跡を紹介する」とあるが…。
コピーされた何篇かの詩が蔵の壁に貼られてあって、それを読まなければ具体的に詩に触れることはできないのだが、腰をかがめ目を凝らさなければならなくて、文字を追うという根気を失うのは早かった。


「20代の頃、詩を書いていた私は、突如として20代の終りに短歌を詠むようになった」
(「いのちなりけり 現代における自然詠とは」『いのちなりけり吉野晩禱』収)

学んだこと、失ったことがあるという。
先ず学んだことは草木鳥魚を細やかに視るようになったことで、山河自然への眼を開かれた。観念の言語とイメージにまみれていたので、削ぎ落す苦痛は一入だったと書く。
が、作歌の世界に入ってたちまち自然についての考え方に覚えた違和感は、40数年たっても続いているとある。
手法上の分類、題材としての自然詠に過ぎず、自然への哲学が欠けているように思われた。
心理や感情移入しているたぐいのものが多く、余計なもの、はからいを詠み込む歌は理に落ちた後味が残る、などと書かれている。

はてはて、ムズカシイ。
『吉野山河抄』から始まる氏の散文集を通して詩歌にも触れるという読者でしかないが、言葉を味わい作家の思考に近づくために、きっとこれからも繰り返し読むだろう何冊かの本があればいい。
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希望に染まる季節

2023年04月13日 | こんな本も読んでみた
この地上において私たちを満足させるものってなんだろうかと、『この地上において私たちを満足させるもの』(乙川優三郎)を読み終えて数日余韻に浸った。


終戦の翌翌年に生まれ,、71歳になった高橋光洋の生涯。
貧しさしか知らない暮らしの中で初めて心臓に強い痛みを覚えた16の冬、よくて40年の人生と思い定め、残る20余年をいつ死んでもいいように有意義に生きようと考えた。
父を見送り、母が家を出、貧しさと病と孤独をかかえたまま、ただ就職が決まり家を出る春を待った。
30代には仕事を辞めて海外へ発つ。英語は独学で身につけた。やがて独自の世界観、実体験、他言語での思考を武器に作家に転身する。

生きることも書くことも冒険の人生だったと振り返った。
「一家を上げて働くことが生活なら、自分という人間を築くことが人生だろう」
「人が自分の運命を完成させるまでの意欲と忍耐と闘いの旅路」は今懐かしく、
「灰色の人生も輝き、沸々といのちが燃えて、明日はどうなるか知れないと覚悟して生きる日々こそ希望に染まる季節であった」


人は誰もが生まれながらに〈美しき種〉をそなえているという。
人間を人間たらしめる根源的ないのちであって、その種を育んで開発するのが、この世に生まれてきた甲斐なのだと読んだことがある。

こうしていると小間物問屋遠野屋の主・清之助の言葉が聞こえてくる(あさのあつこ・「弥勒」シリーズより)。
 ― 人の一生を人は決して見通せないのです。定まったものなどなに一つありません。
定めとは日々の積み重ねでございましょう。どのようにも変わり、いかようにも変えられます。

いつの世も、より良く生きようと願って懸命に生きる日々、明日はどうなるか知れなくても覚悟して生きる日々は、スポットライトを浴びても浴びなくても関わりのないことで、一人ひとりが、生きた愉しんだと回顧できる充実感があればそれで十分と言えるのか。

思いきり生きて、願ったように一羽の蝶の軽さで光洋はこの世を去った。

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誰もが若かった

2023年04月11日 | 日々の暮らしの中で

昨年9月、落下した乾いた種ではなく、実が割れたばかりの種を湿らせたティッシュペーパで包んでビンに密閉しておいたところ、4つのうち1つ(右下)に根が顔を見せた。
伸びてきたら鉢植えにする。もうしばらく様子を見ることにして、元の状態に戻した。
佐伯一麦氏のエッセイにあったのを真似てみたのだけれど、氏は花芽が付くまでに7年かかっていた。気が遠くなるわ。

ときおり強めの風が入る廊下の窓を開けて、十分にこの世の風に当てながら何年振りかで五月人形を飾った。



両親が遊びに来ていた遠い遠い昔の歓楽を思い出させてくれるのが、この柏餅についた息子の歯型。
誰もが若かった記憶がよみがえる。

おかげさまで予定通り8日にスイスから無事に帰国し、休む間もなく日常に戻った。
「どうだった」と様子を聞いてみたい思いはあるが、まあそのうちに…と思って控えている。
ただ、帰国翌日には土産の品が届いた。この気持ちだけで十分。
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貧しい日本語

2023年04月09日 | 日々の暮らしの中で
「 サイタ
  サイタ
  サクラガ
  サイタ
何という貧しい日本語から、私たちの国語教育ははじまったことだろう。
昭和12年(1937)4月、小学校に入学したとき国語教科書の第1ページには、目に突きささる片仮名で「サイタ サイタ サクラガ サイタ」と記してあった。大声でこれを斉唱し、校庭に出ると、塀沿いにずらりと白っぽい桜の花がサイテヰタ。」

と杉本秀太郎氏が書いている(『花ごよみ』)。

そう、なぜひらがなで書かれなかったのかと思うことだった。
片仮名は鋭角的で「目に突きささる」。ひらがなはまろみがあってやさしい。感触、肌触りはまったく異なる。


漢字の用い方、外来語のはめ方、会話のニュアンス、文体の好み、字面のセンスは養ってあるべき。強い好みが自分のうちにできていること。漢字は遣い方でとても汚く感じられたり、下卑て見えたりする。
などと田辺聖子さんは言われる。そして「自分の情熱と、自分だけの人生の感懐をたいせつに」することが、作品の核となる力だとも教えられてきた。

ちょうど読んでいる『この地上において私たちを満足させるもの』(乙川勇三郎)では、編集者が作家の文体づくりにどのような助言するのか、幾つも示されていて興味深い。
一つ挙げてみるなら
「リズムがないし、音読みの言葉が多すぎる、やさしい訓読みの表現に直してみたら」
この指摘だろうか。


今年度も若い文章仲間の力に刺激を受けて、心にあたためてあることなどゆるゆると綴っていくことになりそうだわ。

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集まり安らぐ魂

2023年04月07日 | 日々の暮らしの中で
だいぶ上手になったなと聞き耳を立てる我が家のウグイスだが、今日ばかりは鳴き声もひっそりとしたまま。訪れる人もいない雨の1日だった。

一昨日5日のこと。歌人・前登志夫氏の散文集の中から一冊、桜の花びらが舞う『いのちなりけり吉野晩禱』を抜き出した。
装幀が誘ったのだと思うが、遅く夜になってこの日が氏の祥月命日だったことに気づかされた。
2008年4月5日に82歳で亡くなられ、今年は没後15年。
氏の散文が好きで著書をいつも身近に置く者としては、なんのはからい!?の思いがした。没後十五年の企画展があることへも誘われたからなおさらだった。

朝日新聞連載のエッセイ、「短歌現代」掲載の歌論、雑誌や新聞に求められて書かれたエッセイ(2005年5月から2008年2月の間)40篇が収められている。


「ことしも桜が咲き始めた。こんなに清々しく華麗な饗宴が年ごとの春に訪れる火山列島とは何なのか。まさしく神々の住む聖地にほかなるまい。」(「春爛漫 豪華さと空虚」)
「柴の煙に燻し出されたように街へ出ると花見の宴は始まっている。そんなところに春の女神のいないことを、みんな昔から知っているのだろう。春爛漫の装置が豪華であればあるほど、どこか空虚なのにちがいない」

貧しい山里に営まれる人間と自然の織りなす時間。そのなつかしさに「本当のいのちの充実」を感じ、「人間にとってしみじみとした寂寥は、いのちの最も豊かな時間かもしれない」と綴っている。
「美しい村とは人間の心のふるさとが生きて存在する場所」「美しき国とは、貧しい辺境の村里の伝承も語り継がれ、聞き継がれる志のやさしさ、あたたかさであろう」(「山里の村 集まり安らぐ魂」)

現代詩から歌の世界に入り、生涯「木こり」を自称し、「影武者としておのれの出自を語ってきた」。そして、
  つひにわれ吉野を出でてゆかざりきこの首古りて弑(と)るものなけむ  

と詠う。(「この首古りて -山中に死す」)

晩年の静かな山住みの日々、「豊饒なことば」にひたる。
氏の風情の美しさが、そのままことばに映る。品位ある、言葉の固有性のようなものが心に染みてくるのだ。
好きなものへの、言葉の過剰を意識しつつ記しておこう…。企画展に心が動く。
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何やらゆかしすみれ草

2023年04月05日 | 日々の暮らしの中で
   春草の中にもわきてむらさきの野辺のすみれのなつかしきかな
 
京都市北区の紫野(平安時代は天皇の狩猟地だった)の春の野辺を描いた名勝図絵に、江戸後期の伴蒿蹊(ばんこうけい)が詠んだ歌が添えられている。


1684年、芭蕉が関西に向かって出立し、京の伏見を経て大津へ向かう「小関越え」の途中に、ふとすみれを見かけた。(『野ざらし紀行』)
   山路来て何やらゆかしすみれ草

山路に咲くすみれを訪ね、この小関越えを歩きたいと思って友人に声をかけてきたが、どなたさまからも断られ続き。相棒がいないというだけでもう何年か見送ってきた。
体力ありそう、山歩き好きそう、よい返事がもらえるのではないか、と期待値高く見積もって、色眼鏡で見てしまったのだ。

思いがけない返事をくれたのは、私より少し年長のH子さんだった。
「いいなあ」と話に加わって、一緒に歩いてみたいと口にされた。

「歩き通せるかわからへんけど」
うーん、介抱しつつは問題ありよ。大丈夫かしら…。
人を見かけで判断してはいけない、と学んだはずなんだけど。



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びっくりする、面白がる

2023年04月03日 | 日々の暮らしの中で
昨日2時間余り庭の草取りをして、熟睡できるかと思いきやさにあらず、午前2時半過ぎには目が覚めた。眠れそうになかったので4時近くまで本を読んで…。朝は案の定首根っこが詰まって頭が重く、鬱々とする始末。
「あー」、…なんて他人のため息など読みたくはないかな。このままではいけないとコリをほぐしに外へ出た。

硬いままだったクルミの冬芽の先端が膨らみ、微かに緑色が差すのを見た3月末。

あれから1週間。やわらかな黄緑色の葉を広げていた。


この変化はまだまだこれからが面白い。

名もわからない雑木の芽吹きを確かめながら、早くもヤマツツジが山を染め出しているのに気づいた。
“紅さし白粉のげんげ畑”とはいかないけれど、ごろごろと土が返された田の脇にほんのひと群のレンゲソウ。


小さな野の花1本でも、ありたけのいのちを咲かせている。
アタシの心の土壌にもタネをまいてきたつもりだけど、この春の温みに芽生えはあるかしら。

「ぱあっと綺麗なもの」「陽気なもの」「かわったもの、新奇なもの」「楽しくなるもの」に、
いつもびっくりする、面白がる精神を「失ったらあきまへんえ」

 と聖子さん。
今日のひと日を喜ぼう。
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