昨日は「天皇皇后両陛下結婚60年」ということで、テニスコートでの出会いに始まり、「感謝状」の言葉を使われた結婚50年の記者会見の映像などを何度か目にした。
語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓 (結婚が内定して 1958年天皇陛下)
結婚50年の記者会見では、この一首を引用し「婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます」と述べられた。
地元紙では歌人・永田和宏氏による「象徴のうた 平成という時代」と題した連載が、この3月に63回目をもって終わったばかりで、切り抜きを取り出し、ところどころを読み返してもみた。
「象徴」を模索し行動し続けられた日々のご苦悩などには想像も及ばないが、60年間の日々とこの御歌とを重ねて幸福感に誘われたり、あれこれ感情移入し何度か読み返した。そして、「われのこころに開きたる窓」の言葉に促され、重苦しく甦る自身の過去の記憶をたどり返すことにも…。
あの頃…、理が勝っていたのだろうな。「自分」にとらわれていたのだろう。何かがミスマッチ、心は平穏ではなかった日々。周囲とは上手にお付き合いしようと装っていたし、平静を保つために心に蓋をするような孤独な日々があった。
名もなき一介の人間であろうと、どんな生き方もそう楽ではあるまい。生きることは苦だというし。
夫婦間では互いに流露するものが欲しい。「無になることだ」のひと言では、未熟者にはわからんのだ。
「誰か一人でも『こころの窓』を開いて打ち明けられる、相談できる、意見を聞ける相手がいれば、人間はどこまでも強くなれるものである」「相手が面白いと思うものを、自らも面白いと思える。従来興味のなかった対象にも自然に興味が生まれ、それについて話をしたいと思う。そんなとき、それまで気づいていなかった新しい自分の輝きに気づくものである」(永田氏)
やさしい調和、これも大切だ…。