京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

 マグロの大トロ並み

2011年03月31日 | 日々の暮らしの中で
「keiさん、こういう本は読まない?ってSさんが言ってるけど…」 本が2冊回ってきました。進行形のもの、重なって出番待ちのものなどが何冊か(「も」)あります。「いいわ~」とあっさりとは断りきれず、「いつになってもいいい?」と口から出てしまいました。「どうぞどうぞ。生鮮食品じゃないから来年でもいいわ」 …ってことで。

『一食100円「病気にならない」食事』、著者は管理栄養士の幕内秀夫氏です。
【飽食時代に考えるべきは、「何を食べるべきか」より「何を食べてはいけないか」だ!】
つれづれなるままに、パラパラとページを繰っていました。

           
スナック菓子は食文化を崩壊させるといっても過言ではなく、中でもポテトチップスは「脅威のお菓子」だとあります。
・脂質量が約30%もある。(マグロの大トロ並み)
・「マイルド・ドラッグ」まみれ。(精製された砂糖・塩・油脂<食用油>・うまみ調味料)
・軽量で、子供でも簡単に一袋食べられる。(一袋約60~70グラムが多い)
・一袋100~200円で買える。(子供が勝手に食べてしまう可能性大)

肥満や味覚破壊につながり、依存症に苦しむことになると続き、単品でここまで強烈な食品はないと口調は強い。厳重に娘のところへ伝えようという思いでいっぱいになった次第です。母親は意識して気をつけているというが、常には目は届きません。息子の高校時代、部活の顧問から食べることを禁止されていたことを思い出しました。
食べ続けると、で、たまにはいいかな~。

夜、お菓子が食べたいなと思うのでしたが、何もありません。ないとなると余計に食べたくなる。でも無いものは無い。我慢して早寝することに致します・・・。
自分では買わないような本、素直に借りてみるものですね。
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 他を利する

2011年03月28日 | 日々の暮らしの中で
誰かがそばにいて苦しみの声を聞いてあげるということが、どんなに救いになるか。苦しみの声を聴く、音を観じる、即ち観音とは、苦しみをできるだけ共にし、その人の苦しみをできるだけ少なくしてあげることだ。観世音菩薩はどこにでもいる。人を救おうとの役割をした時、その人は菩薩になる。
…こんな事を説きながら立松和平氏は、「私は誰のためでも観世音菩薩になりたい」と、語られていた。(『遊行日記』)

              
先日、山田恵諦天台座主のお話をうかがう機会があった。
1895年兵庫県に生まれ、1974年に79歳で天台座主に就任された。92歳の時には比叡山宗教サミットを開催し、96歳で日本の宗教指導者として全日本仏教会会長に就任。1994年、98歳で亡くなられた。

昭和55年に来日されたローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世は挨拶の中で、世界の宗教にもっとも適した言葉として伝教大師(最澄)の『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』をあげられたという。その法皇の言葉と精神に応えようと比叡山宗教サミットにお招きしたそうだ。
座主は、「能舞台に喩えれば天台宗は背景の松、舞うのは諸宗教の皆さんだ」と互いの融和を図り、宗教サミットを成功に導かれている。

           
「忘己利他」の精神。テレビを見ながら、新聞を読みながら、思わずもらい泣きなどしながら自分に何ができるかと思う時、この言葉を思い浮かべることも多い気がするこの頃。「態度で示さなくては」という座主の声が…。
「自らに問い返せ」、ある新聞記事の見出しが胸に突き刺さるようだ。
   
  気温が上がった京、ソメイヨシノが開花したという。




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 変化の兆し

2011年03月26日 | 日々の暮らしの中で
みぞれが降り出したと思うと大きな雪に変わり、ひとしきり吹雪くと、まぶしいほどの春の陽ざしに包まれる。降ったり晴れたりと変わりやすい、いろんなお天気の一日でした。

尼講さんたちが昼から三々五々お集まり、井戸端会議で話題はなんなのでしょう。
ストーブを囲んで背を丸め、お菓子とお茶でほっこり過ごしておられました。まさかボランティアの相談でもないでしょうが…。

               
幹という幹もない古木に、やけに今年は花が咲きました。何もかもを見続けている愛着を感じる一本の木です。仏性?仏心あり?

清が終りを告げ中華民国が成立していく二十世紀初頭の詩人、王国維と魯迅の詩でもって、八年間続いたNHKラジオの「漢詩をよむ 漢詩が来た道」が今夜で完結でした。講師の宇野直人氏の穏やかな口調が好きでした。
日本を、京都も訪れたことのあった王国維と魯迅。   
清王朝の崩れを予感、八方ふさがりの境遇に、これからは下界(家庭外)の移ろいに決して心を乱されまい、と魯迅は心境を読んでいましたが…。

季節も時代、人の世も心も移り変わる。どんなに栄華を極めたとてもだ。それなら、「どん底」のようなと思えてもきっとそうだろう。留まっていることはない。よどみの中にもいつかまた変化の兆しが見えるはず、とうなづけます。

もうこれで最後にと、終了直前まで思っていました。が、いともたやすく心変わり。
次回からは「日本の漢詩」と題して道真から漱石まで…という案内に誘われてしまいました。

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 お世話好き

2011年03月24日 | HALL家の話
               ちび豆が…
日本への電話代は25日まで無料だというせいか、娘から時々電話があるこの頃だ。
このたびの大災害に心痛めながら、やはり事の成り行きを注視していると言ったところだろうか。

おかげ様でJessieも機嫌よく日々を過ごしているようだ。
日本で言う「お当番」なのだろう。ちょうど学校に参観にやってきた母親に「ジョブしてんね~ん」と楽しげだったというJessie。あの笑顔が目に浮かぶ。

お世話好きの性格は健在らしく、「co–operating with friends」 といった類の賞状をいただいた。リーダー役・まとめ役、といえば恰好もよいが、まあ、つまりはお世話好きを少々褒められたということだ。
全校集会で、クラスごとに名前を呼ばれたらしいが、「びっくりした~。でも恥ずかしくなかった」と。
元気に仲良く過ごせていることなら申し分ないと思っている。
子供は一人ひとり、その子なりの成長に合わせて階段を上っているものだ。今を十二分に認めてあげる、これが信条の私は、いつもその先を楽しみにできる。

そして! 6歳を前にして、予定なら9月にようやくJessieはお姉ちゃんになる。
“おしゃべりジェシ子”のこと、あまり早くに教えると大騒動になりそうだと控えていた。が、聞かされての反応、第一声は「ほんまに~!?」だったとか。
飛び上がった… とまでは聞かなかったなあ…。

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 春分の日に…

2011年03月21日 | 日々の暮らしの中で
                 18日
春分の日、朝から住職による町内各戸の仏壇へのお参りが始まる。
遠い門徒さん宅には午後から車でうかがい、夕刻からは毎年本堂でお勤めをされるご夫婦がおられる。袋菓子を山のようにお供えされる小柄なおばちゃんを、子供たちは「お菓子のおばちゃん」と呼んでいた。婆さまと子供たちと、その好き嫌いによる争奪戦があったことも懐かしい。
あいにくの雨降りとあって、お墓参りのあとに立ち寄られる人は少なく、急いで家へ帰られたのだろう。

今年は法然上人の八百回忌、親鸞聖人の七百五十回忌に当たり、50年に一度の大法要「遠忌」が営まれる。京におよそ80万人の信者が参拝されると報道されていた。

          
東本願寺では計30日間で54回の法要が予定されていたが、このたびの大地震で、第1期(3月19~28日)の遠忌法要は取りやめられた。全国から710団体、約4万9千人の参拝予定だったとあるが、救援と復興を願う「被災者支援のつどい」となって19日から営まれている。
御影堂に設けられた初めての椅子席もキャンセルが相次ぎ、初日は4200人の参拝者とのことで空席が目立ったようだ。
一足早く前日18日に参拝したが、階段前にはスロープが設けられている。
    「親鸞展」は始まっている。
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 人の数だけ・・・

2011年03月19日 | 日々の暮らしの中で
             
久しぶりに訪れてみた御苑。散策を楽しむ人で賑わっている。なんら変わることなく平和だ。
何の目的もなく、春の日差しを浴びながら歩いた。見ごろの梅林にはふくよかな香が漂う。
日脚が伸びて、明るい光や温かな風を誰もが心待ちにしているはずの季節、春。

「これが私の故里だ さやかに風も吹いてゐる」中也が彼の故里山口市を歌ったという。
人間の数だけある「私のふるさと」だが、どうも言葉の響きも悲しげな春だ…。

気になるのはおまわりさんの姿だった。烏丸丸太町周辺、堺町御門を入るとすぐ脇に警察車両。御苑内の駐車場には、消防車や救急車を含めた物々しい数の関係車両が止まっていた。

ヘリコプターの音で思いだすことがある。
2003年10月、京都迎賓館に当時のブッシュ大統領(アメリカ)をお迎えするとき、3方向から飛んできたヘリコプターが御苑内に降りたそうだ。そして3方向に飛び去ったという。映画でしか知らない“おとり作戦”を、地でいくものだった、といった話を聞いたことがあった。

ロケット弾さえ跳ね返すという迎賓館の屋根。
ここで日中韓の外相会談が行なわれたのを知ったのは夕刊でだった。心強い災害支援を受けることもできるのだろう。

ところで、三者はどのようにしての京都入りだったのだろうか。
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 「みんな一緒だから」

2011年03月17日 | 日々の暮らしの中で
             
連日春寒、雪がちらつく京の一日だったが、被災地一帯には凍えて声もなしだろう。
普段から暖房はこまめに調節しているが、覚悟も甘く長時間火の気のないつらさに耐えられずにいる。

母と二人、硬いシートに並んで座る夜汽車に揺られ、眠れぬまま宮城県の古川に向かった幼いころを記憶している。土地にも、祖父母・叔父の家族にも馴染みが薄く、帰りたくて半ベソをかいていたものだ。後年、一人で叔父を訪ね、松島湾の遊覧船に酔い、塩釜で笹かまぼこをどっさり抱えていたっけ。仙台市内を歩き回った。仙山線で山寺に行ったのもこの時だ。小さかった従姉妹にトンボを採った。その彼女が5歳と7歳児の母親になって震災に遭う…。

泥にまみれ、深刻な被害に襲われた近隣にあって、無事の確認が取れただけでも幸運だった。私自身にとっても少なくなった身内が暮らす東北の地。
「みんな一緒だから」 ある避難所で立ち動く女子高生のひと言が、すっと心に入ってきた。彼女の祖父母の行方はわからないのだと言う。

「頑張れ」などとはとても軽々しく言えない状況に、どんな言葉も力なく響く。だが、「前向きに」と口にされる被災者のためにも、現地で懸命な努力は続けられているのだ。
少しでも早く救援への道が整えられて、尊い多くの命が救われますように。 … がんばって!
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 ♪涙でよごれたあなたの顔に

2011年03月14日 | 日々の暮らしの中で
             
私事ながら、本日午後一時過ぎ、宮城県内に住むふた家族の身内の安否確認ができました。ただ、福島県いわき市に住むおじ夫婦とは依然連絡の取りようがないままでした。

午後7時49分、電話が入りました。「ラジオで聞いたのですが」と、小名浜の神社の娘さんでした。
尋ねてみると、家族で長年のお付き合いがあり、身を案じ情報を探していたとのことです。私のところへ身を寄せたのかと思ったらしい。

実は昨夜遅く、地元のラジオ局に安否情報の形で流してもらったのです。叔父の耳に届けばいいと期待しながら、パソコンで聞いていました。1時間もしないで放送してもらえました。あとで思えば、停電ではラジオも聴けない?と思ったものですが。

明日、バスで行ってみると言われます。車はガソリンがないのだという。このような状況下、くれぐれも無理をされませんようにとお頼みし、電話を切って1時間。改めて、怪我もなく無事であることを確認したとの一報を得ることにつながりました。

情報を求めて多くの人が不安を募らせている中で、早速に一人の耳にとまるという奇跡のようなご縁をいただけました。「ラジオは大切ですね」と言われます…。

今夜もラジオを聴いていました。
   ♪ がんばれ、がんばれ、
      涙でよごれたあなたの顔に
       ぼくは 声援を送ります 

と、聞こえてきました。明日から、私にできる協力の方法を探します。 
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 今を生きる 

2011年03月12日 | 日々の暮らしの中で
                   
午後2時46分頃、こちらでもゆ~らゆ~らと揺れていたという。
ちょうどその頃、私は立ち話をしながら、郵便屋さんの配達物がありやしないかと待っておりました…。

一週間前、つまり10日までには来るはずでした。が、なんの通知もない。あ~あ、ショック!!ダメだったのか。あきらめの悪い私はもう一日、昨日まで、それも午後の最終便まで、忍耐強く、少しの期待をしながら待っていたのでした。
届きました!!【このたびは「五木寛之『親鸞 激動編』京都新聞連載記念講演会」にご応募いただき、… 厳正なる抽選を致しましたところ、残念ながら… ご参加いただけなくなりました。あしからず…… 】
ショック! 待った挙句のダブルのショック。我が事にいっぱいで、何も知らずにおりました。

11日午後4時過ぎ、友人からの「とてつもない大地震」とお知らせいただいた形になったメールに続き、「こちらは無事です。そちらは大丈夫だよね?」と入った息子からのメール。東京にいる息子が、「無事」だと知らせてくるとは!?
急いでテレビをつけて初めて知った現実に声もなく見入るだけでした。

「阪神淡路大震災の遠い記憶(息子は高校生でした)の揺れよりもひどかった。電話も通じずだけれど、歩いて頑張って帰宅しています。とりあえず無事でございます」
このメールが届いたのは一夜明けて今日の昼。

五木寛之氏が、今月17日、混迷の時代を語られるその演題は「今を生きる力」とあります。

古川の叔母さん、よっちゃんと一緒で無事ですか? 仙台の真知子ちゃん、子どもも無事? いわき市の叔父さん叔母さんは? 
連絡が取れずに心配しています…。 今、無事でいてください。
こうしていても大きな余震が続いています・・・。たった今も。

   多くの被災された方々、お見舞い申し上げます。心より無事を祈ります・・
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 スイッチ・オフ

2011年03月09日 | 日々の暮らしの中で

誰にも会いたくないと思うほど、気分や体調がすぐれない日でした。

鏡を見ることもありません。間の抜けた、気力もなにも浮かんでいないだろう自分の顔など見なくてもいいのです。自分で自分の顔は見えないのに、敢えてそこを見ることもないでしょう。
誰か来るかもしれない緊張感はあります。が、外出の予定も取りやめたので、他人の中に顔をさらすこともないと思えば、装う必要も感じられません。
すべてにテンション低く、あらゆるスイッチがオフモードの一日でした。

左肩から肩甲骨の下までが痛い。首が真横に向きません。しっかり向けようとすれば左肩も一緒についてくる、どうなっちゃったのでしょう。たったこれだけのことで気分が悪い。あまりじっとしているので余計に固まってくる。すべてが悪循環です。
夜、お風呂に入ってようやく気分はほぐれ、とまもなくスリーピングタイムのスイッチが入りました。

外の世界とのつながりを遮断し、何もしないでボッとしている、いられる。これもまた確かに一つの幸せかもしれません。
ですが、「あ~あ、極楽!」ではありませんでした。

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 口は門戸

2011年03月08日 | 日々の暮らしの中で
             
「人の口は、一切善悪の出入りする門戸なり」

思わず口を押さえました!?

人の口は、あらゆる善悪が出入りする門戸である。口を出入りするものを吟味して善か悪か見分けなさるがよい。その番人はあなたの心の中にいます。出入りは厳しく取り締まるべきです。善は出入り自由自在に、悪は出入りを固く禁止すべしです。

問題【一】は、こんな内容の文章でした。「可笑記」の一節です。
公立高校の「国語」入試問題を解いてみました。新聞に掲載された米粒より小さな文字を追って、毎年国語と英語問題には挑戦してみます。
そして、足るを知った者は、小さな満足にうぬぼれるのです。

いけない!! 唇には人差し指をたてに! ですが、あー、やっぱりもどかしい。
自慢と反省は振り分け荷物。前になり後ろになりで離れることができません。反省の二文字を大きく吸い込んではみるものの…。
こんなささいな見栄や背伸びは自分のためのバネだと、大目に見ることにします。
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 海沿いに歴史の足あと(2)

2011年03月07日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
             
塩屋王子から切目王子まで12.4キロのコースは、樹齢600年の木の気を浴びてスタートした。
穏やかな日和には一部海路を使ったとも言われる万葉人だが、日高川を渡って塩屋から南へは海沿いの道を切目にまで至る。

 
              腰賭けた石(十)      草履を脱ぎ捨て(十二)  
真砂の里から田辺、印南と安珍を追い走り続ける清姫は切目付近で追いついた(八)   
     清姫が自分の姿を映したという印南川(九)
            

 
仏井戸。上野王子の旧地で、「王子の本地仏」三尊が井戸の中の壁に彫られているとあるが、見ることはできない。
   上野王子跡

国道42号線に沿って印南町に入る。津井(叶 かのう)王子を過ぎればあと1時間とのことで、斑鳩王子・切目五躰王子でゴール。
  
願い事“かないますように”、願掛けも多い叶王子に椿の花。  斑鳩王子はビューポイントだそうな…。
           

    
桧皮葺の風格の切目王子。由緒書きによれば、秀吉の紀州攻めで焼失(1585)、全山廃墟と化すが、氏子の力で再興(1594)された。数百人もの宿泊者となったとある。
    ウツボの干された駅前店の軒先。
JR切目駅に向かって、計20988歩で完歩の第6回目。様々な顔、表情を持った海辺のコース、良く歩いたこと!楽しかった~~。でも、やはり少し疲れた。




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 陽のさす海南の風土(1)

2011年03月06日 | 熊野古道(紀伊路・中辺路)を歩く
建仁元年(1201)、当時40歳の藤原定家は後鳥羽院の熊野行幸に随行している。10月11日明け方、宿舎を出て塩屋王子から上野王子、津井(叶)王子・斑鳩王子・切目王子へと進んでいった。
6回目となる今回は、ちょうどその足跡をたどるように歩く。
王子社は潔斎、遥拝の社、上皇や法皇の宿泊に当たっては、神前での催しも多く行なわれてきた。明治の合祀で社がなくなり碑だけが残る王子社も多い中、切目王子は格式の高い五躰王子社のひとつで、藤白王子とで二社目になった。

            
予告もなく眼前に開けたこの大洋、定家も見ただろう海。彼が目にしたのは、明るさを増した早朝、初秋の海だけれど…。
今回は、海・海・海と、日頃馴染みのない私には海が見えるのがやたら嬉しかった。水平線の青さ、洋々とした広がり、気持ちは開放され浮き立つ思いだ。坂を下りながら目にする明るくきらめき返る美しさ。小さな白波、潮の香、…ついついこうして修辞を重ねてしまう。
            

     印南(いなみ)港。
このあたりは南海の大地震(1946年12月)で津波の被害を受け、17名の犠牲者がでた。印南に生まれたこの日の語り部さん。津波からの避難で3歳の弟と0歳の赤ちゃんに手を取られたお母さんは、5歳でしかなかった彼女を、あねさん!!と叱りつけながら急き立てた。その声の記憶は消えることがないと語られた。
          
              電柱に、ここは海抜約2.0m、…7.7mなどと、いたるところで注意を喚起している 
公民館々長、文化財保護活動の会長に、習字に着付けの指導、祭りのときのお化粧役に、印南の町の案内を語り部として…。70歳、地域に向ける心根の温かさ熱さあふれる女性の先導で過ごした一日だった。

    向こうは海
         左上までびっしり
みかん畑は姿を消して、海辺から小高い山の上にまで一面に広がるハウス・ハウス、ハウスの棟。
地に緑が青々と、これもお豆さん。
この規模、絹さや・うすいえんどうなど、お豆さんは印南町が日本一の産地だと言われてもあっさり頷ける。スターチスの花の紫色もビニールを透けて見える。

行き倒れを覚悟で、難路を歩く苦行こそが功徳を積むことになると考えられていた熊野古道。南海のこの明るい風土の陽光を受けて、これも先人が歩いた道ではあった。
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 あかりをつけて

2011年03月03日 | 日々の暮らしの中で
               

2003年、ちょうど8年前の3月3日、オーストラリアを旅行中だった娘から絵葉書が届いていた。
オーストラリアで最も美しいと言われる海のあるエスペランスからとある。こんなポストカードではとても伝わらないけれど、鳥肌が立つ美しさだと感動し、「お母さんの目で見て欲しいわ、見せてあげたい!」と書いてくれてある。
この月末の27日には帰国が決まっている。帰国後の夢を描いていた23歳の春。
Take it enjoy and good luck!  弾む心を結んであった。
それよりさかのぼる1年前、4年間の大学生活を終え「今までどうもありがとう」と言葉を残し、オーストラリアへ飛んだのだった。

1月31日にはシドニーの郊外ウォーターフォール駅付近で二階建て通勤列車の全車両脱線の事故があった。3月にはアメリカのイラク攻撃が始まるだろうと囁かれ世界的に不穏な情勢だった。
いつも親が思うことは、元気にしてるかな?寝たかな?起きたかな?ご飯食べたかな?たまには連絡してよね、なのだ。クライストチャーチで被災したわが子を思う親御さんたちの心も熱いというのに…。

いつの間にか大人になって、娘もいなければ孫もいない桃の節句
折角の雛人形、せめて来客の目に触れさせたいと襖を開け放ち今日を迎えた。
老いたとは言え、家には二人の女。婆さま、雛の料理に添えて、白酒一口いかがです? 

桃の花の下照る道に、出で立つJessieも似合いそうだけれど? 今日はいかに・・・。 
赤は魔よけ・緑は健康・白は清浄だったか、雛の菓子に思いを寄せて、女達の幸せを祈ろうか。
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 「ハート・リフト」

2011年03月01日 | 日々の暮らしの中で
            

ブサイクだけどかわいい」のは、「わさお」と言う名で、ふさふさの毛並みの大きな白い犬。彼が主人公の映画「わさお」がまもなく公開されるという。薬師丸ひろ子さん主演で。
“ブサかわ犬”はともかくとして、薬師丸ひろ子が二十歳のとき、精神的緊張がないと顔の筋肉がゆるんでくると、語った話を読んだ事があった。

表情筋の緩みは精神生活のたるみと共通の印象を与えるというので、顔面筋肉吊り上げ手術を行なう人もいるらしい。英語でFace Lift、「吊り上げましょう」というわけか…。

先日、テレビショッピングで女優の高畑淳子さんが登場し、ある商品を繰り返し繰り返し宣伝していた。使用者の評判もすこぶるよし。顔面を中心に、ゲルマニウムをはめ込んだ棒状のものをころころと転がしている。顔の輪郭がすっきりシャープになっていくという。これは簡単、転がす手間さえかければ見違える美人に? ウーン、買おうか!?と思い 0120- とメモをし始めたのだった、あれー、あの紙はどこへ?何にメモをしたのか?忘れてしまっていた。捜し出したのは「卒業」のテーマで下書きした原稿用紙だった。あるある、あった。「0120‐500-33… プラチナ ゲルマローラープロ コロコロエステ ¥14800…」

つり上げましょう!「ハート・リフト」に心がけよ!!と諭されて…。 
だけど… コロコロも買おうかな、やっぱりやめとこか。心の緩みはつり上げられないしなあ…。

                                        (小林良正さんの「ほほえみ地蔵」)
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