京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

再利用は

2020年06月30日 | 日々の暮らしの中で

段ボールに詰めた絵本が何箱も残っていて、数日続いた梅雨の晴れ間を利用して一部を虫干ししていた。

いかにも古本のニオイが鼻をくすぐる。手触りの悪さを1枚1枚、各ページごとにふき取って、風を通していた。どれをとっても紙質の劣化はなく、黄ばみもほとんどない。30年以上経つが、今も読み継がれる作品ばかりだ。
傷みや汚れがもともと少ないので、きれいによみがえったのではないだろうか。

時間もあることだし点訳しようかと思っていたが、古いものは好まれないだろうか。ひとまず娘のところに声をかけてみることにしよう。

『このゆびとーまれ』はたちまち3歳児・ルーカスに喜ばれそうだ。
〈見つけたオニヤンマ。「ぼくのやで」「だれにもやらへんで」と追いかける。指先を回して、目を回せ~、目を回せ~と迫るが捕まえられない。ええこと考えつく。「ぼくが草になるんや」。そして、「このゆびとーまれ」〉



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赤、真っ赤

2020年06月28日 | こんな本も読んでみた

『火定(かじょう)』(「火定」とは、仏道の修行者が火中に自ら身を投じて入定(にゅうじょう)すること、と広辞苑にある)のカバーを外してみました(左端)ら、本体は赤一色。表紙を開き(中)、さらにもう一枚めくると書名・タイトルが記された「扉」というページ(右)。いずれの面も真っ赤っかです。



タイトル、「火」の文字、メラメラ燃え上がる炎の装画、どれをとっても心理的に平穏ではない衝撃性がある。さらにこの赤一色の装丁で、圧迫感のある不穏な気分に落とし込まれている。おまけにスピンまでが赤い。人間の心理をついた魔力が、扉のむこうへといざなう。澤田作品4作目、初めて単行本で手に入れた。文庫化されたとき、果たしてこのような楽しみを味わえるものかどうか。

物語の世界の扉を開く。時は長屋王を排斥した藤原4兄弟が国政の執権者の座を占める世へと時空を超える。聖武天皇の御代。
市井に高熱を発症する者がぽつぽつ現れる。疫病蔓延の予兆なのか? 新羅帰りの官吏、筑紫から寧楽へやってきた若い夫婦、酒家の妓、…。この女、なぜか急に熱が下がったが、それを芋虫の姿をした病平癒の神様のご利益だと口にする。
帯からは、「人間の光と闇」「絶望と希望が交錯」「数え切れぬほどの死の中にあってこそ、たった一つの命は微かなる輝きを放つ」などと言葉が拾える。

現実に戻れば、市内でも未だに感染者の報告がある。感染ルートがたどれるケースばかりではない。どちらかと言えば自粛気味な日々だが、新聞で〈高齢者「自粛一辺倒では失うもの大」〉の見出しが目に留まった。人との交流が大切だとある。今日のように朝から時折ザーッと雨が降る日には読書三昧の言い訳が立ち、気持ちは楽みたいだ。
ようやく読みだした『火定』。きっとまた、頭の中をかき回されるのではないか。
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仙女の優雅さには…

2020年06月26日 | 日々の暮らしの中で

昨年の春、孫の2歳児と公園で遊んでいたとき、薄茶の皮に包まれたままフェンスに絡みついて残っている種を見つけた。
「むしぃ~?」と後ずさりする子と、「虫とちがうよ。アサガオ言うお花が咲くんよ~」なんて言い交わしながら8粒の種を集めてもらい受けたのだった。てっきりアサガオだと思い込んでいた。8粒のうちわずか1粒だったが芽を出し、大事に育てた。のに…。

今年は5粒が芽を出し、横並びにプランターに植えた。昨夕2センチあるかないかの蕾がついているのに気づき、今朝一輪が花開いた。
ご無沙汰でしたねー、変わらないねー。やっぱり4センチほどの花だった。まあ、小さいけれど清楚な淡い色合い、白い筋も、花の芯も、きれいだ。見慣れたぶんそれなりにかわいく見える。〈青い羽衣をまとった仙女〉のイメージには遠く遠く及ばないけれど。
植物園で花の名を訊ねようかと思って写真を1枚持ち歩いてもいたが持ち越しとなった。これはこれで独自のいのちを有し、やがてまたタネを結ぶ。

    

これまた昨年同様にジンジャー・シロップを作った。まずは、新生姜1キロで。写真はスライスした500gぶん、この上に分量の砂糖をまぶし放置し、水分が上がるのを待って火にかけ、冷まして濾して、冷蔵保存。

蒸し暑く、降ったかと思えば日差しが漏れるスッキリしない天気の一日。こんなことしながらなんとなく終わってしまいそうだ。
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葬儀の相談…

2020年06月24日 | 日々の暮らしの中で

ご門徒で葬儀ができたら…。尼講さんのお一人にそうした不安があって、急きょ喪主(となるだろう長男さん)、町内の代表、寺の総代さんがたと相談を重ねている。
規模の縮小は余儀なくされるだろうし、町内での賄いも控えようという方向だ。こちらからは導師のお願いを先方にしなくてはならない。
人生最後の儀式が家族・親族だけの御弔いであっても、規模の大小ではない。それに、ほんとうに縁のあった身近な人たちに送られることこそ意義深いものだと思っている。
最後は寺へお参りにみえるから、すべて心の準備だけはしておかなくては…。

義母と同じように、この地に生まれ地域のことは何でも知ってるという情報通だったFさん。あの家の何代か前まで、家々の本家、分家を知り抜き、義母亡き後、彼女の話の聞き役が回ってきた。他人の家のことにほとんど興味も関心もなかったものだから、私にとっては鬱陶しい話でしかなかった。先ず、聞いた話の捨て所に困る。keiさんは口が固い。世間向けにはこれが売りなのだから。と言いながらもどこかで、「これ内緒なんだけどね、…」と一つや二つ、三つはあったかもしれない。

ジャパニーズ・ビューティー・ベリーの英名を持つムラサキシキブ。世界的に美しさは認められているという。秋、あのなんともいえない鮮やかな紫色の実をつける。「日本の美しい果実」。淡い紫色の小さな花が咲き出しています。
Fさんとの長いお付き合いを思いながら、本堂のお花を立てるのに何がいいか…。

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父と子

2020年06月21日 | 日々の暮らしの中で

「最近何か面白い本読んだ?」とでも聞いたのだったろう。20年ほども前になる。まだ学生だった息子が挙げたのが『エミリーへの手紙』だった。
これまで何冊かこうした形で購入したり、帰省の折の持参本を置いて帰ったりということがある中で、最初の一冊だった。

言うなら記念の書。内容はともかく存在を忘れることはなかったが、もう何年も開くことはなかった。探し物で書棚をのぞいている際、なぜか手が伸びた。内容の展開はしっかり覚えていないのだが…。
祖父が遺した詩集。詩の中にパスワードを見つけ、パソコンに入力するとフォルダー内の手紙が開く。孫娘エミリーに宛てて、「ディア エミリー」で始まり「愛をこめて、ハリーおじいちゃんより」と結ばれる手紙。またほかの詩を読み、パスワードを見つけ、手紙を読んで…。

男手一つで育てた子供たちと心が通わず、関係がうまくいかなかったハリー。孫娘宛てではあったが、その手紙を読み進めるうちに、息子も娘も父の「家族」に向けた深い思いを知るようになる。「ただの気の触れた老人ではなかった」。「無愛想な表向きの態度の下に…家族を気遣う人間がいた」。

どうしてこの一冊を読んだのか、どんな感想を持ったのかは聞いたことはないが、今日はちょうど父の日でもあった。
父と息子。「お父さんはぼくのこと関心がないのかな」とつぶやいた言葉がよみがえった。高校教師でもあった父は、東京へ出たいという息子の進学問題に何一つ意見を言うことはなかった。口を出すのは祖母(義母)だったわ。求めもしないのに…。
未だに円滑とはいかないが、それでも親子。「遅くなったけど…」、とちょっとした祝い事ができた父親に息子の気持ちが届くことだろう。
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「他人の生涯から学ぶ」

2020年06月19日 | 日々の暮らしの中で

               額の花上へ上へと軽げなる   川西龍彌

4月下旬の気温だとか。涼しい雨に傘をさして、午後から一つの会に参加した。
帰りに『火定』(澤田瞳子)を買って帰ろうと書店に立ち寄る。書架には新聞の書評にあった『駆け入りの寺』、直木賞候補作『稚児桜』も並んでいて欲は膨らむが、まずは読んでからと予定通りに『火定』を購入。

京都新聞で、お話を絵にするコンクールがある。
3、4年生対象の選定図書の中で、『耳の聞こえないメジャーリーガー ウィリアム・ホイ』はどうだろうと思っていたので手に取ってページを繰ってみた。
「ストライク!アウト!場内アナウンスも大液晶画面もない1890年代に、審判のジェスチャーを考案し観客を熱狂させた大リーガーの伝記」。

人生は一人に一つずつだが、物語でもドキュメンタリーでも、伝記でも、本を読んだら自分以外の人の人生が疑似体験できる。そうやって他人の人生を読んで経験することが「自分の人生の訓練になっていくこともあるんじゃないのか」(『明日の子供たち』)
体育会系の8歳児に、もっと本を読む機会を持ってほしいなと思っている。やっぱりプレゼントしてみようか、どうしよう…。
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法金剛院たずねたけれど

2020年06月17日 | こんなところ訪ねて
若き日の西行・佐藤義清(のりきよ)が黄葉に彩られた法金剛院御所で競べ馬十番勝負の騎乗者として参加した日。鳥羽天皇の中宮であり崇徳天皇の母である待賢門院は義清のみごとな手綱さばきにほうびの品々を用意させ、近くへ呼び寄せた。
義清の望みも訊ね、手に入るものならかなえようという女院に、「では、御簾を上げてお顔を拝見させて頂きとう存じます」と願い出た。
「御簾を上げてください」。気持ちのいい、少ししわがれた、二重に割れた、低い女院の声。たっぷりとした豊かな黒髪に囲まれた豊満なお顔。
「この世に、女院以外に慕わしいものはなくなっていく」。
女院はやがて髪下ろし、御所に籠る。

『西行花伝』(辻邦夫)を読んで以後、法金剛院に参拝してみたいと思っていたものだから足を運んでみたのだが、もうしばらく閉門するとの張り紙がされていた。おいで下さった参拝者にお詫びします、の言葉を添えて。私がうっかりしていたのだったが、「おわびします」の言葉に触れて気持ちはなごんだ。どうしようか…。JR花園駅までは数分のところ、同じ道を引き返すのも面白くない。



寺の西側から北への道をたどって歩いて行ったところ、通りから少し入った奥に陵墓らしきものがあるのに気づいた。「鳥羽天皇皇后璋子花園御陵」。女院のお墓。この瞬間下を向いていたら、見過ごしてしまったことだろう。待賢門院はここに眠っている。


見事に美しく手入れされた参道、樹木の茂り。垣の膝ほどの位置にクチナシの花が一輪だけ咲いていた。

「旅の一日にすべてを託す。今日の旅にすべてを託す。今日の旅がすべてであった」。…また日を改めて。


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うときことばかり

2020年06月14日 | 日々の暮らしの中で
降り続く雨間に、鳥のさえずりに耳を傾けていた。何を言ってるのだかなあ…。しきりに一人お喋りの感で、わかろうはずもないのに、私はそれを聞き取ろうと耳を澄ます。ひと鳴き?が、ひと声が長い。なんて言ってるのかしらねー。
悲しいかな、鳥の名前もわからない。

名前と言えば…。
先日、孫の8歳児Tylerは友人の家族に誘われて、初めての釣りを体験。淡路島まで連れて行ってもらったそうで、初めてなのに釣り上げて帰ってきたと母親のほうが興奮気味…。釣った魚を自分で煮付けにしてパクパク、「うまい、うまい」と食べていたと母親は伝えてきた。



何を釣ったのか。
「メバチじゃなかったかな?」「メバチ!?」 メバチマグロって聞くけどなあ…と調べてみると、2mはあると書いてあるではないか(マグロだものね)。まさか。メバチじゃなくてメバルではないのかしら。と推測してみているが、今一度確かめたい。

周囲の人に支えられ、体験を積み成長していけるのがありがたい。さて我が身は…、不案内、うときことばかり。

                    ※ 写真メバチ(左)はWEB魚図鑑より拝借し直してのもの

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「辣韭を漬け了へて」

2020年06月12日 | 日々の暮らしの中で
    

   辣韭を漬け了へて子にきらわれる  小間さち子

うーん、家の中 におう! においがなかなか抜けない。子供には嫌がられるだろう。
泥付きのらっきょうは少し前にスーパーで見かけていたし、もう今は下処理を済ませた1キロ入りのものしか手に入らなかった。
500gの辣韭に塩を一振りして馴染ませ1時間ほど置いて…、そこからだったが、向田式の「洗って水気を切って、(生醤油に)漬けるだけ」に、レシピを参考にして漬けだれには酒と酢も適量合わせることにした。赤唐辛子も。

残る半分は甘酢で。醤油漬けは初めて手掛けたが、酒のかわりに味醂、カットした昆布を入れる法もあるのを知った。小分けして、昆布を入れてみるのも良かったかなと思い出している。

   箸とどかざり瓶底のらつきょうに   大野朱香

あるある。らっきょうでなくても、こういうことよくある。クスッ! 
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季節のものを

2020年06月10日 | 日々の暮らしの中で
      

実山椒をさっと下茹でして冷凍保存している。昨年の分がまだ残っていたので新しいのが採れる頃だし処分しようかと思っていたところ、実山椒の甘だれの作り方を知り、香りのほうがどうかなと思いつつ試してみることにした。

材料  実山椒(下茹でしたもの) 100g
    酒            200ml
    砂糖           200g
    しょうゆ         200ml

作り方  ①すべてを一つにし、鍋に加え、中弱火で15分加熱する。
     ②煮沸した容器に入れ、粗熱が取れたら冷蔵庫で保存する。
     冷蔵庫で約1ヵ月保存可能。
冷蔵庫保存することでたれにとろみが生まれます。     (記事から引用)

たれの甘みの中に実山椒の香りがうつり、いいお味。肉料理に回しかけてもいい。新しい実で再度作り置きしてみるつもりでいる。おそらくもっと香りが生きるだろうと思う。

店頭に、皮がむかれ下処理を済ませた漬けるだけのラッキョウが並んでいた。
向田邦子のエッセイを読んでいた時、生醤油に漬ける話があったのを思い出し、一度真似てみようと思ったのだけれど、どこにあったか…。ページを繰って探したところ、「食らわんか」(『夜中の薔薇』収)の中にそれは記されてあった。
実家の母は、甘酢で唐辛子を効かせたピリ辛で漬けていて私も好みだったが、甘い方が小さな子供たちには食べやすい。醤油となるとどうだろう。

「ただ洗って水けを切ったのを、生醤油に漬け込むだけである。二日もすると食べごろになるから、三つ四つとり出してごく薄く切って、お酒の肴やご飯の箸休めにするのである。」「外側が、あめ色に色づき、内側にゆくほど白くなっているこの新らっきょうの醤油漬けは、毎年盛る小皿も決まっている。大事にしている『食らわんか』の手塩皿である。」

向田さんの手料理は、「材料も作り方もいたって簡単」「もったいぶって手順を書くのがきまり悪いほど単純なもの」と自ら書いているが、盛り付ける皿や器への工夫、こだわり、そしてそれらへの愛着が滲むのがとても素敵だ。

「豚肉と、最近スーパーに姿を見せはじめたグリーンピースの苗を、さっと炒め合わせ、上がりにしょうがのしぼり汁を落として、食べたい」などとあった。

明日はらっきょう探しかな。土付き、まだあるかしら。
                        

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袖振り合って…

2020年06月08日 | 日々の暮らしの中で

雲一つない青空が広がりました。

東京で暮らす息子に「どうしてる?」と訊ねたことで、メール交換が始まった。そうした中で、

「仕事面で大学時代からの親友との関わりができたのよ。不思議な縁を感じながら、一つ思い切ってみようと思ってるよ」
 こんな言葉を送ってきた。縁という言葉を聞かされるのは今までにあっただろうか…。
「〈袖振り合って縁をも活かす〉だったかな…。〈柳生家家訓〉にあるのよ、調べてごらん。ユーは大才?」
  
  … 縁に出会って 縁に気づかず
  … 縁に気づいて 縁を生かさず
  … 袖振り合って 縁をも活かす

「〈袖振り合って縁をも活かす〉、いい言葉だね。これは覚えておかなければ。調べてみよう」
「ミーは大才、ではないけど中の上才かしら(笑)」
 と笑わせてくれる。
「上を目指して」
「うん、志だけは高く」

 思いつくままに言葉を交わしながら、私自身の気持ちも上昇傾向に。
「……でね、物足りなさもあって迷うところがあったんだけどね。今ね、なんか気分が上向いてきたわ」
「意欲的だわさ、いいねえ。楽しんだもん勝ちだものね!」
「楽しんだもん勝ち、ね。そーだね」

一生が初心。毎日が初心ということ…。世阿弥だったかな。





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地上を歩く同行者

2020年06月06日 | 日々の暮らしの中で

昨日は文章仲間での4カ月振りの例会に参加した。窓を開け放した風通しの良い部屋に、マスクをして皆さんお変わりない様子で全員が集まることができた。誰からも〈コロナ〉の言葉は聞こえてこなかったのではなかったか。お一人、介護付き老人施設で過ごされ、例会に直接参加することはないが、毎回欠かさず書き上げた作品だけで参加する方がおられる。

私は2018年5月からの参加でまる2年が経過したが、ご本人とは一度もお会いしたことがない。その彼女が入院したことを今日になって代表からのメールで知った。作品を代読しても、文字がわかりにくく閉口していたが、次第に筆圧もしっかりした丁寧な文字で原稿用紙を埋めるようになられ、とともに回を追うごとに文章にも大きな変化が感じられるようになった。ご回復を祈りたい。

私はと言えば、18年4月に見学、5月からの例会に作品を仕上げて参加を決めた。例年6月発行の会誌に、この作品を掲載したいと許可を求められる展開で戸惑ったが、この1作だけをもって29号から仲間入り。コロナ禍の中で遅れていた今年度の作業だったが、無事校了。親睦会とセットでの来月の例会で記念号は手渡される。充分に体調を整えて?? 

2015年の高野山夏季大学に参加した折、その復路のバスで隣り合わせた方が群馬県内の介護付き老人施設で暮らしていると話されていた。『等伯』を読み終え、帰ったら出光美術館に桃山の美術展を見に行くのだと楽しみにされていたが、5年もたったのか…。
いろいろな生き方がある。「たよりない足で この世の一歩を歩く」と念仏詩人・榎本栄一は詠う。地上を歩く同行者、かなしみをあたためあって…。

今年度の夏季大学は「新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止」。宿坊の一部屋に5,6人、入浴は密密、講座会場でも満席、では開催があるはずもなかった。

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ボーン ボーン ボーン

2020年06月03日 | 日々の暮らしの中で

ボーン ボーン ボーン
通りすがりの家から3時をつげる時計の音が聞こえてきた。

確か、「ボーム ボム ボム」と出てくる時計の詩があった。風呂敷に包んだ柱時計を背負った少年が、星に照らされた夜道を心細い思いで村へと帰って行く詩だった。…と思い出しながら歩いていた。タイトルも作者も細かな表現も、忘れている。

田中冬二の「青い夜道」と題した詩だった。
〈ぼむ ぼうむ ぼむ〉〈ぼむ ぼむ ぼうむ ぼむ…〉〈ぼむ ぼむ ぼむ ぼうむ…〉この擬音語が3カ所に繰り返されていて、印象深かったのだな。少年の不安な気持ちを駆り立てる。〈少年は生きものを 背負ってるようにさびしい〉

懐かしい音。夜中の12時を知らせる音は家中に響く大きさだった。それをよく数えていたのを憶えている。振り子が止まると、ゼンマイでねじを巻くのだが、父がその役を担っていた。父不在の時はまずは手で、振り子よ動けと右か左に振って仕掛けてみたものだった。すっかりレトロな昭和の柱時計だろう。記憶にあるのはそれひとつだから、ずっと家族の暮らしに時を刻んでいたのだ。

そう言えば、孫のLukasと ♪コチコチカッチン おとけいさん~ と一緒に歌うことがあった。私が「カチコチカッチン」と歌い出すものだから「ちがうよ!」とストップがかけられて…。次いこ! ♪鬼のパンツはいいパンツ~と振ると、ちゃんと一人で「5ねんはいてもやぶれない つよいぞー つよいぞー」と歌っていく。ちゃんと覚えているんだなあと、その成長を喜ばせてもらうのだけれど、ここひと月ほど会っていない。


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更衣(ころもがえ)

2020年06月01日 | 日々の暮らしの中で

6月1日、一般的には「衣替えの日」としている。

葉桜、若楓、柿若葉…。萌え出た鮮やかな黄緑の若葉は、いくつもの色目を重ねながら、その成長は著しく青葉となって木々に繁るようになった。風土、土地によって、その緑の色つやは異なる美しさであることを教えられる。
このころになると人は逆に一枚また一枚と衣をとって薄着に変わる。

今の三越の前身にあたる、江戸一番の大店であった越後屋三井呉服店では〈現金掛け値なし〉〈越後屋〉などの看板を掲げ、暖簾を盛大にかけめぐらして、切り売りという薄利多売の商法で人気を得ていた。
旧暦で4月1日~5月4日ごろ(太陽暦だと5月初めごろ)、綿入れを脱いで袷(あわせ)に替える衣替えの季節で、初袷の仕立ての注文が殺到する。客が群がり、店からはひっきりなしに絹布を裂く音が聞こえ、切り売りされたようだ。

    越後屋に衣さく音や更衣   其角

商売繁盛。商家の景気の良さが、耳に届く。


こうした商店の賑わいが戻るだろうか…。
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