京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

『ブラック・ジャック』を

2019年08月30日 | こんな本も読んでみた

短い話が重なっている『ブラック・ジャック』(手塚治虫)をこのところ読んでいた。
“描かないことを読む”。
大胆な場面の展開、省かれる説明、少ないセリフ、すっぱりと切り捨てるような終わり方…。
短編小説であれエッセイであれ、文章とマンガとは表現の作法も約束?も異なるのだろうが、書き過ぎない・描き過ぎないということが、読者を余韻の中に引き込む力となる。
読後に働く想像力が、思いもかけない感情を湧き上がらせ、そう…、あらたな扉をも開く。角野栄子さんの言葉をなぞって、やはり「想像力は魔法」というところ。余韻がないのはつまらない。

意図的に仕組まれた「手塚節」。ちょっと味わってみたくて、つまみ食いだが…。


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名前を知ろう

2019年08月26日 | 日々の暮らしの中で

小ぶりの植木鉢に種がこぼれ散る。8月に入って先っぽに一輪咲いただけで、どうやらお終いになった。そろそろ種を採っておこうと鋏を入れた。
ただ、私には宿題が残っている。

「もし、名前を知らなかったら、それらはたんなる草花であり、木であり、においであり、鳥であるだけで風景の中に埋もれてしまっていることだろう」「ものの名前を覚えると身の回りの世界が広がる」
佐伯一麦さんの実感が語られていたが、やはりこの夏の最後に、この花の名前を確かめておかなくてはという思いに駆られている。

わずか数センチの小さな蕾がほころぶことでさえ、夏の朝に一つの喜びをもたらしてくれてきた。暮らしを楽しむということでもあった。
「ねえねえ、そこのあなた」なんて呼ぶのは、やはり失礼でしょう。
相手の心をノックするために、名前を呼ぼう。名前を知ろう。
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洗いもん

2019年08月22日 | 日々の暮らしの中で

寺の西側の道路脇にお地蔵さんを祀る祠があります。町内輪番で朝にお仏飯を供え夕べに下ろし、きれいにしたお仏飯器を専用の箱に収めて隣家に回します。地域で世代を超えて、ずっと守り継いでいるのです。
祠のお地蔵さんを取り出し、町内の子供たちでお地蔵さんを洗い清める、「洗いもん」の日です。

私が嫁いだ頃は町内の会所がなく、寄り合い事も地蔵盆も寺の本堂で行ってきました。
お地蔵さんをきれいにした翌日には、大人の協力もあり祭壇を設け安置します。
二日間、子供たちは遊んでいるのです。お昼もみんなでお地蔵さんの前でいただきます。
幼児から上は中学生までごちゃんぜ、年齢を超えて過ごす二日間。
各戸からお地蔵さんに菓子や飲み物のお供え物が山とありますから、年長の子が分け役となって、おさがりをいただきます。「じぞ(地蔵)さんに賽銭あげとくれ~」と鉦をたたきながら各戸を回る声も聞こえてきます。

この2日間は子供たちを充分に楽しませようと町内挙げての協力です。
そして最後の晩には大きな数珠の周りに大人も子供も座って、「ナムアミダ ナムアミダ・・」とお念仏を唱えながら数珠を繰り、右隣に送る「百万遍」で終わります…。

子供たちも少なくなり、世代は私の孫世代です。まあ馴染みが薄くなったとはいえ子は宝、地域の宝でもあるわけです。
数珠回しの様子を撮った写真があったのですが、探し出せません。京都・滋賀ばかりではなく、各地にこうした行事はあるのでしょうね。
                         
                                       (小林良正さんのほほ笑み地蔵)

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誕生日

2019年08月20日 | 日々の暮らしの中で
娘の誕生日でした。ダディが留守で、マミィちゃんの誕生日を子供たちだけでどう祝ったのかしら…。こんなときだから押しかけてでも賑やかな祝い事にしたほうがいいのかと思いながら、存分に楽しんできたのだから、ここは縮小ムードかなと思ったり…。朝、お祝いの言葉を送った。


小学校入学、弟は幼稚園生になって、登校、登園前の記念の写真。
4年生くらいまでは頻繁に入退院を繰り返し、薬の加減で顔のほうもふっくらとしていた。
キャッチボールなどしたことがなく育ち、ボールを投げるホームすら様にならなかった子が中学校でソフトボール部に入部。フライをおでこで受けた、という話が作り話なのかホントウの話だったのか、今やはっきりしなくなったが、友達に恵まれ愉快な子に育った。「二十歳のあなたに会ってみたい」という担任の言葉があったが、東京の大学に進学し成人式に戻ることはなかった。

そして20年。3人の母親となった娘は、中学生の我が子の進路の問題で思案している。子供の望みをかなえてやりたいようだ…。

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雨音を聞きながら

2019年08月19日 | 日々の暮らしの中で
盆の行事と、台風の影響を注視しながら娘家族のサポートとに追われた日を過ごしていた。

午後3時前になって激しく雨が降り出した。雷さんも鳴っていた。
家の中が暗くなったままで身辺の整理を続けていた。たいしたことではない。たまった不要なものをゴミ出ししようと処分していたにすぎないが、窓を打つ雨の音を聞きながら停滞した気分もまずは6分かた一新しただろうか。何だか心も軽くなった。そろそろ自分のしたいことに気持ちを向かわせる時間も欲しいなあ、と思い始めている。ただ、いま孫たちの父親がオーストラリアに帰国しているさ中で、まだ少し彼らには夏休みが残っているから…。


父親と合流はかなわなかったが、鎌倉、東京を楽しんで帰ってきた。夏休みの絵日記も書けるでしょう。
幼い頃は病気がちだった娘だが、この暑さの中3人を連れて母は強し…。でも、人混みは嫌だと口にするようになった。
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リッシュウ

2019年08月08日 | 日々の暮らしの中で

本日は「立秋」。
今朝はいつもより気温が下がり、窓を開けて風が通る心地よさがあったが、日中は38度の猛暑で「立秋」の気配は探りにくい。
ただ、「リッシュウ」の音感に、幾分かの新涼の心地を求めてみたくなる。リッシュウ、いい響き。
夜になって外も幾分か涼しさが流れ、月齢7.0の半月が上がっている。

暑い一日だった。美容院に行き、カットしてからゆるくパーマを当ててきた。
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女のひとはチョコレートみたいな

2019年08月07日 | 日々の暮らしの中で

夕方にテレビをつけると衆議院議員の小泉進次郎氏と滝川クリステルさんの結婚報道がなされていて驚かされたところだった。
人気のある進次郎氏が発する、二人の馴れ初めからの言葉を聞きかじった。
クリステルさんは、進次郎さんの鎧を脱がせ、結婚へと気持ちを溶かせた、…とか。

6月に亡くなられた田辺聖子さんのお別れ会の様子を新聞記事で目にしたのは最近だったかな…。手元にあった聖子さんの文庫本を何気なくめくっていたところ、こんな一節があった。
【女のひとというものは、内側はいつも温かくてとろッとしていて、溶けそうに甘く、香ばしくて、やさしい、チョコレートのような部分があってほしい。どんなにきびしい職業をもっている人でも、どんな逆境に生きている人でも、チョコレートみたいな部分をもっていてほしいのです。それは「愛することのできる」部分です。そういう人が家庭をつくるべきだと思います。】

上手に言われますこと。
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期待

2019年08月06日 | 日々の暮らしの中で
「怪光一綫 蒼旻(そうびん)より下り、忽然 地震いて天日昏し。一刹那の間 陵谷変じ、城市台榭 灰燼に帰す」

今日は8月6日。『漢詩日暦』(興膳宏著)では、原爆投下の非道を描いた土屋竹雨の漢詩「原爆行」が引かれている。
天から下った怪しい光が、一瞬の間に街も建物も灰にしてしまった。
「難に殉じ命を殞(おと)すは戦士に非ず、害を被るは総て是れ無辜(むこ)の民。」
核兵器廃絶の先頭に立たねばならないはずの日本。74回目の原爆忌を迎え、広島市長の「平和宣言」の言葉に耳を傾けた。



先週末、映画「この世界の片隅に」がテレビ放映され、小学校2年生になった孫のTylerと一緒に見た。
通学する学校にも戦争に関連する遺品の展示物があると話す。黙って見てはおらず、あれこれ尋ね、たんびたんびに思いを口にしながらの1時間だった。(途中、9時からはチャンネルが切り換えられた)

この孫クン、学校の友達に加え、ボクシングやサッカーを通じて親しい他校の友達もいて、公園に行けば誰かがいるというほどに遊び仲間に恵まれているようだ。今、子供たちだけ何人かで、演技しながらドラマ作りを進行中とか、ビデオ撮りをしているらしい。“小道具”まで持って出かけていく。
午後の集合時間を気にしながらの昼ご飯だったが、その間も話は尽きることがない。何をするにしても、この子の生き生きとした目の輝きは魅力だ。飽きずにどこまで楽しめるか。せっかくの夏休み、とことんやったらいい。
「この暑いのに、やめとけば」とは家族の誰も口にしない。帽子と水筒を忘れず持たせることと自転車なので車に気を付けるよう注意を促すことぐらいか。
思いっきり遊んで過ごす子供時代の体験こそが、この子の明日を創るのだろう。

「一人の人間の力は小さく弱くても、一人一人が平和を望むことで、戦争を起こそうとする力を食い止めることができる」

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消夏法は

2019年08月02日 | 日々の暮らしの中で
今日は文章仲間との例会日だった。
昨夕、ワードでプリントアウトしようというとき、これで明日の準備は完了という段だったが、プリンターはいきなり「故障」「修理が必要」というメッセージを表示。あっら~~、如何ともしがたく大慌て!!
PDFに変換、編集してみるとできているのにUSBに保存できず、急きょ原稿用紙に書き写し、コピーでしのいだ。夜遅くにコンビニに行く羽目になって、最悪だった。


 


朝、物置小屋の脇のコンクリートの上を蝉が歩いているのを見つけて、びっくりしたが、。身体から緑色のものが少しだけのぞいて見えている。
殻からは出ているのかな? 羽が伸ばせないでいるのか? 見ていると壁を上っていく。身体にはこれ以上の変化もないまま…。私の外出時間が来てしまった。

ここしばらく昼下がりの外を歩いたことがない。アスファルトの照り返しをまともに浴びながら一刻も早い帰宅を急いだ。37.9度。消夏法は、昼寝??
結局この蝉は長い年月を地中に暮らし、気の毒に夏を謳歌することができずに終わっていた。暑かったろうになあ。隣には3日前の抜け殻があるが、切り倒した実のならない枇杷の大木の周辺から這い出してくるらしい。



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