京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

数え日

2020年12月26日 | 日々の暮らしの中で

「一年なんてじきやなあ」
門先を掃いていると、ご近所さんのUさんが出てきて声をかけてきた。
「自粛自粛の日暮しをしているからか、日ばかりが経ちますね。また年越しの支度です」
他愛もない言葉を交わして、
「こうして何ごともなく元気で年が越せそうなのが何よりですね」
と、掃き掃除に戻るのだった。

明日は母親に送られて孫二人がやってくる。
子供たちだけで三晩。水曜日に母親が来るまでLukasが待っていられるかどうか。兄も一緒なので無事だといいのだけれど。

年末には、このあたりでも風向きによれば雪になる予報が出ている。

    2015年の1月1日、Jessieが10歳,Tylerは4歳で迎えた雪のお正月を思い出す。あの時は息子も帰省していて、3人が雪合戦を楽しんでいた。雪、Lukasが見たら喜ぶだろう。

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クリスマス・イブ

2020年12月24日 | 日々の暮らしの中で
〈12月24日 月曜日。クリスマス・イブ。
東京、地下鉄丸の内線。黄色い電車の中で、進駐軍の米兵とおねえさんたちがじゃれ合いながら讃美歌を唄っている。
黄色いゆりかごの羅紗の座席に、毛布にくるまれた赤ん坊が横たえられ、母親は身を翻して地下鉄を降りた。〉
65年前。僕は生後5か月だった。
僕は定年退職し、送別会の帰りに地下鉄で倒れ意識を失う。



午後から雨になって久しぶりに傘をさしての外出になったが、その帰り、がらすきの地下鉄に座ってひと息ついていると、昨夜読み終えた小説の最終章が思い出されたのだった。

     
孫のLukasから、幼稚園で作成された「めりーくりすます」と添えられたクリスマスカード(葉書)が届いた。赤い帽子をかぶって、大きな顔が肌色に塗られたサンタさんの口は横一文字だわ。鼻はオレンジ色でニンジンみたい(笑) 

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分かち合えば

2020年12月23日 | 日々の暮らしの中で

頭上でピーヒョロロロ…と鳴く声に見上げると、トンビが大きく輪を描いて飛んでいた。
少し横に2羽、舞うというより並んで羽をばたつかせていたが・・・。
何も言わずに空を指さす人がいる。そこに4羽、さらに5羽目を発見。そろって輪を描き出すのを首がだるくなるほど見上げていた。


楽器を奏でるサンタさんたち。これは30年ほど前、入院する母を見舞った帰りに子供たちのお土産にしようと新御茶ノ水駅に近い店で買い求めたもので、我が家にあるクリスマスにつながる唯一ともいえるもの。母にもつながるせいか、なぜか毎年これだけはそっと私の身近に置く。

孫たちのためにサンタさんの役目だけを務めて、今年は我が家で過ごすことにしている。
このところ娘家族のもとで一緒にクリスマスを楽しませてもらってきた。利や福は分かち合うことでまた大利や大福となるように、楽しさに預からせてもらい、かけがえのない福を身に積んできたと思っている。
父親と姉のJessieが不在なのも物足りない、ちょっと寂しいクリスマスだろうか。男子二人はさほど関係なさそうだけど。


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美しい松の緑を求めて

2020年12月21日 | 日々の暮らしの中で

今日は冬至でした。太陽の力が最も弱まる日とあれば、日差しの温かさも今一つ不足気味? 
それでも少し寒さが緩むというのを聞いていて、おじいさんとおばあさんは山へ、松の枝を切り出しに行ってきました。
新年のお花を立てる真にするもので、80(-90)センチほどの高さを目安に形の良いものを1対、そして、もう少し小さめで1対ぶんとを。

歳神さまが宿る依り代と見立てる門松を立てることはありませんが、仏華の真に松を用いるのです。松は長寿です。千年の歳を重ねて、なお常盤の緑を保つ松は、特別な存在なのでしょう。
「千歳緑」「常盤緑」が新しい年の吉祥を招きますよう…。

門徒物知らず、諸事簡素に…。
「礼節は、形式的であればあるほど虚礼から遠ざかるものである」とは杉本秀太朗さんです。
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過剰に恐れた?

2020年12月17日 | 日々の暮らしの中で

ためらいがチャンスを逃した。
コロナ禍にあって「正しく恐れる」という言葉を耳にする。…のだけれど、その判断は時に難しい気がする。

『まほろばの疾風』(熊谷達也)を読み終えたのは9月半ばだった。薄っぺらい、にわか関心で恥ずかしくもあるが、読後、潜在的に意識が向けられ続けたのか、半月ばかりの間に次から次とアイヌ民族に関する新聞記事に目が留まった。
その一つ、大きなものでは大阪民族博物館准教授・斎藤礼子さんによる「博物館が伝える先住民文化」があった。そしてそこで、各地の先住民が大切にしてきた有形、無形のものを通し、多様な価値観に触れてほしいという趣旨で、特別展「先住民の宝」が12月15日まで開催されていることを知ったのだった。斎藤さんは、先住民とは何か、ということにも触れていた。

アイヌのサケ捕獲は先住民族が持つ権利・先住権だとして訴訟が起こされた。そんな小さな記事にも目がいった。アイヌ語音声をAIで文字化するのに京大グループが成功した記事。現代のアイヌ民族への差別にも踏み込んだ『アコロコタン』を出版した成田英雄さんを紹介する記事もあった。また、『問いかけるアイヌアート』の書評を読んだ。アイヌ料理店を営みながら居場所づくりにかかわる女性が取り上げられていた。11月に入ると、写真入りで民博での特別展が「先住民の誇りと素顔」として大きく紹介されもした。11月29日、テレビ番組の日曜美術館で「アイヌ民族の秘密 カムイの里を行く」を観た。

偶然というより、何か流れのある出会いであった。そこを立て続けに拾った。
娘宅を訪ねた折に、ぜひ特別展に足を運びたいと思っていたのだ。しかし、よし、行こう!という勢いがなかった。コロナを過剰に恐れて、逃したチャンスだったような気もしてくる。残念。

 年が明けたら、みみっちいなあと思いながら10月16日に手に入れた『熱源』(川越宗一)を読むのだ。
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笑って暮らせたら…

2020年12月15日 | 日々の暮らしの中で

孫が通う小学校が、このご時世下で急遽休校となることが通知され、それに伴って弟の4歳児も通っている幼稚園を休むことが求められる状況になりました。母親は仕事があり、急には「明日」のシフトに融通がききません。で、回ってきました。日曜の午後遅くの頼み事。私にとっても思いがけない出来事ですが、月曜日「午前中になるべく早く行く」という約束で、それまでは二人で待ってもらうことになりました。
今日は二人ともが平常に戻りました。 で、私も、それなりに家の中を整えて、帰ってきたというわけです。

名神高速道路上り線で天王山トンネルを抜けて京都側の大山崎へ出ると、細かな氷の粒がフロントガラスに当たって溶けていきます。大阪を出るときは風が冷たかったものの日差しは豊かでしたのに。戻ってくるとき、このあたりで天気の違いを感じることが多いのです。
高速を降りて北上…。時折白いものがふわふわ舞うのが目に入ります。初雪です。

事情が事情だけに、二人とも外に遊びに行くこともできず、じっと家で我慢の子でした。
半月ぶりに会う4歳児。4歳になってやっと半月。庭でサッカーボールを蹴りあうも寒さに降参。中に入ろうと誘い、兄を交えて3人でかくれんぼ。トランプで神経衰弱を何度したことか。記憶をたどる知恵もしっかりついて、3枚、4枚、5枚とめくってみて合致なんてことでも、(このへんにあったはず)と頭を働かせているんだなと大目に見てやりますから、4歳児の圧勝です。気をよくして「もう一回しよう」、に気長にお付き合い。
夕飯の支度にも「ぼくもおてつだいしよ」っと隣に椅子を引っ張ってきて手を出します。時間はたっぷりあります。「るーちゃん、。。してくれる?」「いいよ」の名コンビぶりを 兄はずっとゲームをしながらチラ見で笑っています。

  
  ♪あわてんぼうのサンタクロース
    クリスマス前にやってきた     4歳児が音楽に合わせて歌います。 

何ごとも笑ふてくらそ ふふふふふ
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ファンタジー

2020年12月10日 | 日々の暮らしの中で

今日、むかーし昔の文章仲間と会って2時間ほどおしゃべりをして、頼まれごとを一つ受け取って帰ってきた。
童話やファンタジー、児童文学に入る作品を書く別の友人Sさんがいるので、そちらに回したほうが私よりずっとよさそうに思うのだったが、二人に接点はない。ちょっと厄介な宿題になった。

現実を超越した世界には、現実味、リアル感など不要なのか。なにやら物語のウソクササばかりを感じてしまってきた。頭が固いのか、理屈をこねてしまいがちだ…。どうしたものか。

児童文学ファンタジー、と呼べるらしい。
【特徴づける世界は、宗教からこぼれ落ちてきたものと考える。古来、命の世界や死後の世界は宗教が語ってきた。近代化が進む都市社会で遠ざけられていた神的なもの、非科学的なものが、自然に現実と空想の世界に流れ込み、ファンタジーの中で発散していった。ファンタジー作品は、書き手の頭に浮かぶあいまいなものを言語化してリアリティを持たせたもの】
いつか、宗教学者・大沢千恵子さんが新聞で書かれていたのを引っ張り出してみた。
「アンデルセンも宮沢賢治も「ハリー・ポッター」も宮崎駿さんも、その延長線上でつながりあっている」とある。

「読んでみて」という相手を間違えていると思うのだけどなあ…。

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「かたじけなさに涙こぼるる」

2020年12月08日 | こんなところ訪ねて

弟の祥月命日で、東本願寺さんに参拝した。
義妹は6日に娘二人と一緒にお墓入りをしてきたと伝えてくれた。もう一人の娘は兵庫県にいて、今年は往来がかなわぬまま暮れることになる。義妹の両親と娘3人、7人で賑やかに暮らしていた時が懐かしい、と。…13年が経った。

倒れた一日は下弦の月夜だったとか。高校時代の仲間が多く寄って、弟の書斎で書棚を肴に献杯。“社研”の部室みたいだな、と誰からともなく。同じような本を読んでいたんだと思った人がいた。福島泰樹さんの「絶叫」が好きで、吉本隆明の詩集ばかり読んでいた17歳だったと知ったのは、亡き後のことで、彼の友人を通してだった。母も父も、一番近くに居て最後まで面倒を見てくれたのだった。
そんなこんなのあれこれの思い出と、少しばかり自分のことも、数珠を手にお話しさせていただいて合掌。心は内に向かう。それが仏教だろう。

御影堂(写真右)から阿弥陀堂(左)へ。浄土を見たこともないが、黄金色に輝く広い空間に座り続けていると、安らかな安堵感のようなものに包まれる。不思議な心地が生まれる。だからかな、何度でも足を運んでいるのは。
   何ごとのおはしますか知らねども かたじけなさに涙こぼるる    西行

 2015年12月の報恩講で阿弥陀堂が公開された。参拝したが、写真は修復工事完了を前に新聞で報道されたもの。御本尊の阿弥陀様は御影堂に。


「そこ 動くな」。そんな声に「はい!」と応じ…。たまわった座に坐し、一生かかって揺られながら導かれるのだろう。
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妙覺寺へと、歩けば出会いが 

2020年12月04日 | こんなところ訪ねて
日蓮宗の妙覺寺が織田信長の上洛の際の宿所だったことを大河ドラマ「麒麟が来る」の前の前の前あたりの回で知って、近い所だしのぞいてみたいと思っていた。
市営地下鉄「鞍馬口」駅を地上に出ると、そこは烏丸通で、新年の皇后杯女子駅伝で最終区を走るアンカーにタスキをつなぐ地点に近い。
その烏丸通から鞍馬口通を西に入って、最初に左折した(南へ折れる)角に「小松帯刀(たてわき)寓居跡」の碑が目に入った。


この石をぐるりとと回り込むと「薩長同盟所縁(ゆかり)之地」とあり「近衛家別邸 御花畑御屋敷跡」と記されてあった。



このあたりは御花畑御屋敷と呼ばれる摂家の近衛家別邸があったところで、幕末には薩摩の島津家が使用。薩長同盟に先立ち長州から上洛した木戸孝允ら一行がここに宿泊した。その後、竜馬も合流し、小松や西郷らが木戸たちと会見。徳川家による長州征討への対応の合意がなった場所、として最有力地だそうだ。

少し南下して右折。しばらく行くと木造二階建ての素敵な建物が! 京都大学の学生さんの宿舎で、室町寮だった。


窓のカーテンが明けられた部屋が一つあったので、ちらっと見やると窓辺に本棚が置かれているのが見えた。
突き当りを左折で南下、そして西へ入って、進んでいくと妙覺寺さんだった。




目的地に着くまで、初めて歩く筋、筋には様々な出会いがあって、足が何度も止まった。

この広大な境内。正面が祖師堂で、本堂は左手の奥にあって見えない。

先週の大河ドラマを見損ない、明日の再放送を待っている。
比叡山焼き討ちは、日本史上初の「集団大虐殺」に当たると司馬遼太郎さんが「叡山への道」(街道をゆく16)で書かれている。このとき信長は膳所(滋賀県大津市)の山岡対馬守の屋敷を宿所としていた。「信長は世界史的に見てもっとも早い時期に出た積極的無神論者である」、と。
「山上の堂塔は一宇も残さず焼かれ、経巻や文書、什器のたぐいも残らず灰になった」

叡山を見上げた。司馬氏の「大虐殺」と題した個所を読んで、待つわ。
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ナンセンス

2020年12月02日 | 日々の暮らしの中で

   夏の夜は秋の草木の八重桜
      紅葉の錦雪は降りつつ

四季の景観のまじりあった「ナンセンス歌」で、『百人一首』の発声練習用の歌として用いられたらしい、と高柳蕗子さんが書いていた。
ナンセンスを楽しむ歌は『万葉集』にもあるという。

新聞で「万葉集のやまとうた」が連載中なのだが、ちょうど明日が土用の丑の日という日、同志社大学の塩見修司教授が
  石麻呂に我物申す 夏痩せに良しといふものそ鰻(むなぎ)捕り喫(め)せ
という家持の歌を紹介された。
  石麻呂さんに私は申し上げます。夏痩せによく効くということですよ。鰻を捕って召し上がれ、の意。
言葉の使い方から信頼関係に基づく笑い、「親しく思うこその戯れ」とされた。
この一首も戯れ歌に入るようだが…。

いつ頃だったか。「ナンセンス!」と、人の発言を取り合わない、相手にせず、その一声で退けてしまうようなことがずいぶんと口にされた記憶がある。
なにかにつけて「ナンセンス!」「ナンセンス!」と。無意味だ、役に立たない、無駄、くだらない、そんな意味合いを含んでのことだろう。

朝から「桃太郎侍」をテレビで見てきたという人が、65歳以上の高齢者と基礎疾患を持つ人は、Go Toトラベル利用による東京発も着も自粛をしてほしいという要請のニュースを聞いてきて、
「ほんまにナンセンスやわ」と言ったのだ。
「そうですよねー」(と私は同調)
「そもそも自粛してるやろ」って。
ほんまやわ。感染が拡大しているときに、もっとすべきことは別にあるんとちがうの??

「ナンセンス」だなんて、久しぶりに耳にした言葉だった。
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十二月

2020年12月01日 | 日々の暮らしの中で

十二月へ日付けがめくられると、一年の終いを迎えるとあって、「始まり」とはまた別な特別な思いがわいてくる。
この時期、決まってすべきことがある。順次こなせばいいはずなのに、気持ちは不思議と急いてくるし、逃げ出したい気分に襲われるのもまた常で、心ってまことに厄介なものだ。

今を大切に生きるとは、毎日毎日のあたりまえのことを手を抜かずにきちんと積み上げていくこと、と清水寺の管長・森清範さんは言われる。
一つ一つのことを、いちいち大切にやっていくことが大切だと、いつか、テレビ番組の中で永平寺の僧が話されていた。
結果良ければすべて良し、では単に自分を慰めるだけの思い込みでしかない。
私には「日々是好日」と、たやすく言える言葉ではないことがわかってくる。けれど、難しくたって、窮屈であろうが、今を大切に積み重ねていくしかないのもわかる。

「人生はトシ相応のタカラが ゆく手ゆく手に埋められてある」
田辺聖子さんの言葉で、心を温めて…。静かに振り返る時間をもって、いい一日だったと言える毎日が積み上げられたら、いい、
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