京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

どんな思いで

2016年12月30日 | 日々の暮らしの中で

2016年もいよいよ押し迫りました。

「如何ならむ思いに人は鐘を打つ鐘打つことは断愛に似て」という道浦母都子さんの歌があります。
鐘を打つ(撞く)人にある様々な人生に、思いを寄せることができます。
明日は除夜の鐘が撞かれます。108の煩悩をはらう…。ところが、「煩悩得涅槃」と信じる西本願寺では、ご法度で除夜の鐘を撞いてはいけないのです。宗派にこだわらない日本人の信心です。人はどのような思いを込めて、明日、鐘を撞くのでしょう。

今年5月に娘家族が日本にやってきて、大きく日々の状況が変わりました。ゆっくり一年を振り返ることもないままに、暮れていこうとしています。「如何ならん思い」で明日の鐘を撞きましょう…。
   
    心の灯消さじと抱き年暮るる

よいお年をお迎えください。
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Hello, it's Jessica * こんにちは、ジェシカです*

2016年12月23日 | 日々の暮らしの中で
HELLO,LONG TIME NO SEE. DO YOU PEOPLE REMEMBER ME??


みなさん、私のこと覚えていてくださいますか? ジェシカです。
私は今日これを変わに書かせてもらっています。
おばあちゃんと4つのキャンドルを作りました。あか、みどり、あお、きろ、いろです。


これはクリスマスのために作りました。シールやクリスマスむけの柄の紙などを貼ったりしました。卵のからで作ります。
色は、クレヨンでつけます。

日本にきて楽しいことがいっぱいありました。冬になってからは、朝起きるのが大変でした。ぎりぎりに起きて学校にとんでいくことがありました。でもやっと休みになりました!!!!!!!!!!!!!
 
THANK YOU
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2016年12月20日 | 日々の暮らしの中で
今日は今年最後となる光田和伸先生の『おくの細道』の講義がある日でした。
上方の文化圏、加賀の国に入っていますが、過去2回、やむを得ない休講があって、その分の補講日が決まりました。山中温泉での連歌「山中三吟」(北枝・曾良・翁)を資料で読んでみましたが、前句に付いたときに句意が決定する連歌の面白さなど、ちょろっと眺めた程度で到底理解できるものではありません。4時に終了。冷え込みを感じながらも、やはりいつものように京都御苑を石薬師御門から乾御門へと東西に抜けて歩くことにしました。



砂利の上につけられた筋は、自転車の通り道です。上をなぞる回数が増えるにつれて砂利はよけられ、地が見えだし、タイヤ何本分もの幅ができていきます。走りにくいので、目の前に敷かれた道を信じて乗っていくのです。
新しい筋をつけるという逆境に挑んで、他の人のお役にたてるのも無駄ではありませんが、目にしたのはこの道1本でした。

  【 この道
    平坦ではありません
    ふみはずしましたが
    気がつけば
    ここも仏の道でございました 】  とは榎本栄一さん。

「希望とは本来あるともいえないし、ないとも言えない。これはちょうど地上の道のようなもの、実は地上に道はないが、歩く人が多くなると道ができるのだ」。どなたかの著書の結びにある言葉でした。
憧れの心をもって訪ね歩く道、に憧れます。
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いちいち大切に…?

2016年12月19日 | 日々の暮らしの中で

ことごとく葉が散り落ちた賀茂川沿いの道。
青い空が広がって、温かな一日でした。

花を散らした風がそのまま雨に変わって、この道もいつしか若葉の季節を迎えます。
「春山の万花の艶(にほひ)と秋山の千葉の彩とを競憐(きほ)はしめたまふ」た額田王は、秋に軍配を上げています。葉が散る秋には、桜紅葉のみごとな最後を堪能させてもらう道ともなります。
今日は、この明るい静寂な道を歩きながら、春から夏、秋と、せわしなく日々奔走してきたなあ…と思い起こしておりました。

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横につながって

2016年12月17日 | 日々の暮らしの中で
「小さいちいさい雪がふってきた」と雪に喜ぶ孫娘の声を聞いたのは昨日でした。こちらでも、午後のほんの短時間でしたが雪がちらつき、みぞれになったり霰だったりと寒い一日でした。

同居する幼い子もいない我が家では、クリスマスの声を聞いても格別心弾むことはありません。が、オーストラリアを離れて日本にやってきた娘家族にとっては、今年は周囲の状況が異なります。「お正月」よりもクリスマスで、特別なイベントでしたから、多少のもの足りなさもあるだろうかと想像します。ですが、少し足りないくらいがちょうどいい。
新たな命も授かって、彼は順調に育っております。家族水入らずで日本でのクリスマスを楽しんでほしいと思うのです。


おもちゃのカタログを見ながら「これ欲しい!」「これも欲しいなあ!」とあれもこれもいっぱい〇をつけていたTyler、もう欲の塊?です。その中から母親に確かめて、クリスマスプレゼントを用意しました。気は心と小さなものを詰めて、一緒に贈ることにします。


子供たちが幼かった頃が思い出されますので、この時季には身近に取り出すものがいくつかあります。日本人には確固たる宗教観といったものはないのかもしれない、とは耳にすることですが、…その典型のようなワタシなのでしょうか。

とはいえ、です。周りの人と一緒になって、どう生き、どう喜びや楽しみを見出していくか。周りの人と関係を結びながら、自分の生きる道を探っていくことが、やはり大事なことなのだと思うのです。クリスマスのプレゼント選びに頭を悩ます、そんな楽しみを授けてくれる彼らの存在に感謝しなくては。





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杉の道を大雄山・常照皇寺へ

2016年12月13日 | こんなところ訪ねて
栂尾・高山寺の裏参道に近い市営駐車場からは30分ほどだった。杉が両側に林立して迫る細いくねくねとした山間部の道を抜けた、静かな里に常照皇寺はあった。心浮き立つ桜の時季でもなく、訪れる人もまばらになった初冬の今こそ、静かに気持ちを内に向かわせてくれるものがある。雪が降る前に、年内にという思いもあって、訪ねてみた。



「京都の西北、周山の山国に、常照皇寺というお寺がある」の一文に始まる「桜の寺」と題したエッセイで、白洲正子は南北朝時代の動乱の中に生き続けた光厳天皇の生涯に思いを寄せられていた。(『かくれ里』収)

山門をくぐり勅額門、さらに苔むした石段の上に勅使門が建つ。その左手の書院に参拝の受付があったが、声をかけてもどなたの姿もない。無人でも志納金として300円から500円をお願いしますという趣旨の紙が小箱の前に貼られてあり、朱印は200円ともあった。さていくらをと思いながら、御朱印をいただきたいので用意していた500円玉を収めた。ふたもない箱の中には既に500円玉1つと、100円玉で3人分ほどが入れてあった。



一重と八重が、一枝に咲くという「御車返の桜」、御所より株分けした「左近の桜」、国の天然記念物に指定されている「九重桜」の名木があるのだが、「この三本の桜で常照皇寺の庭は成り立っているのである」(「桜の寺」)。ここの桜は、水上勉の『櫻守』にも登場してくる。
方丈の板戸が雨風に晒され、かなり傷んでみえたが、方丈から白壁の映える開山堂への渡り廊下の上部には菊のご紋章が3つ、陽を受け輝きを放っていた。


境内を見下ろせる裏山の山国陵から、光厳帝は四季の移りを眺めておられるか…。
武力を持った武家の事情に左右され続けたが、自らの意志で仏門に入り、高野山、吉野と足を延ばし諸国行脚ののちに山国の無住の廃寺を庵として籠られたという。いくつもの峠を越えてたどり着いた山国の地で、葬式も死後の法事も仏事も要らぬと遺言し生涯を終えられている。
村人に慕われて、「悲しみに満ちていても、結果としては幸福であった」と「桜の寺」には綴られる。


北山杉が柱として使えるようになるにはほぼ35年ほどもかかるという。少し前に、大原の地だったと思うが、林業に携わる暮らしを紹介したドキュメンタリ―番組があった。祖父の木を伐り、父の木を育て、孫のための木を植える。長い時間をかけた世襲の営みが、この周山街道沿いの集落にもあるのだ。

「桜というものは、大きゅうなれば、自分の身を喰うて空洞になりよる。五十年目ごろから、皮だけになって生きはじめよる。ひとりでに、若木が根をはる。皮の力におぶさった若木は、次第に親の根を喰うて、親は子に根をあたえ、生きてゆくうちに一体となって幹はさらに太くなる。百年の樹齢を生きる桜は、どれが子やら親やらわからんものとなる」「あれはみな親一代の皮ではない。子が子にうけついで親となり、またその子が受けた皮の厚さや」(『凩』水上勉)

1時間ほどゆっくりして、帰り際にも幾度も声をかけてみたが、やはり誰も出てきてはくれない。御朱印の分200円の返却を求めるのも気が引けて、結局手は出せなかった。どこもかしこもすべて開け放たれている。村人の奉仕なのだろうか。
紳士用の黒の革靴が一足、薄くほこりをかぶって下駄箱に置かれてあった。誰のもの?

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初冬の高山寺

2016年12月11日 | こんなところ訪ねて
明恵上人の座像を安置する開山堂の東側一角には、薪木がきれいに積み重ねられていました。



明恵上人は1206年、34歳の秋に後鳥羽院から神護寺の別所である栂尾の地を賜り、60歳で入滅までの最後の10年余はこの寺で過ごしたそうです。厳しい戒律に生きた明恵上人の周りには、貴族、上級武士、僧、老若、男女を問わず教えを請う人々が集まったと言います。ひょっとすると鳥や蛙、ウサギたちも…?? ここでの冬の寒さを想像します。


若葉鮮やかだった栂尾の高山寺を訪れてから7か月。紅葉の盛りを過ぎ、訪れる人もまばらになった高山寺を訪ね、ゆっくりと歩いてきました。落ち葉が掃き清められることもない、「あるがまま」の山内には午後の冬陽が差し、聴こえてくるのは清滝川のせせらぎの音です。

高山寺を後にして目的としていた常照皇寺に向かったのですが、…。
「山より出づる北時雨れ」。くねくねと続く杉ばかりの1本の道は、北山時雨れに濡れそぼち、北山杉が林立して迫る山間の風情がどうにもわびしい。途中でUターン、出直すことにしました。閉門時間は4時、ゆっくりできそうにありませんでしたから。

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ぼんやり、ゆっくり

2016年12月08日 | 日々の暮らしの中で

陽だまりはぽかぽかです。
縁に腰かけ、本を読んでは時折ぽかんと空を見上げ、…風邪薬を内服しているせいでしょうか、ふっと眠気に襲われます。この眠気が怖くて、車の運転も自粛気味です。

今日は弟の祥月命日でした。9年になります。お内仏にお参りして、生き仏も大事ですから、無病息災を祈って千本釈迦堂まで「大根だき」をいただきに行こうかとも思ってみました。が、それも億劫になってしまいました。
こんなトーンの低い話は聞かされる方も辛いところですが、なにかほんのちょっとの不具合が生じるだけでリズムに狂いが出ます。
今日は何もしない、ぼんやりの一日でした。

      火かげんよし湯かげんよろし大根焚       西野文代



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吸入器と父

2016年12月06日 | 日々の暮らしの中で
喉の調子がおかしくて、うがいで治そうと思っていたところ軽い咳が出始めたので、思い切って市販の風邪薬を内服することにしました。

秋の古本まつりで購入した一冊に『遠い日の歌 谷内六郎』(谷内六郎文庫②)があります。
天野祐吉氏の解説によると、この②巻目に収められた59編の画文は谷内さんが1960年代前半に書かれたものだそうです。画家であり、ジャーナリストであり、詩人でもあった谷内さん。私の場合は、父が買っていた「週間新潮」の表紙絵で、その名を知ることになりました。


 〈ガラスの夢〉に、「小さい時病身だったのでよく家に閉じこもっていて、窓ガラスの外の景色を見」ていたと記してあります。
木々のこずえが風にふるえ、一番星が揺れ動きながら輝く。その輝きはカシャカシャという音までするような感覚で、ずっと脳裏に残っている、と。ビー玉やラムネのびんの絵をよく描き、ビーズ玉、ステンドグラスの夢、金魚鉢の夢、ランプのホヤとガラスタイプ、…ガラスの幻想を追ったらキリがない、とあります。そこに描かれていたこの画。


 〈ボクのビール工場見学記〉では、「一口に言うと、ビール工場はゴジラの吸入器という印象でした」とあって、この画が。
「幼い日、はいえんを病んだ冬の日に、― ブクブク泡をたてて、銅の釜もあって、パイプや燃料室がおそろしい重要な音をたてていました」。そして、

    〈吸入列車〉     と題した詩。
    ぴーよん ぷーとる
    ぴーよろん ぴよー
    吸入列車は
    こずえをわたる
    はいえんになると
    いわれた夜
    ぴーよん ぷーとる
    ぴーよろん ぴよー

    母がアルコール・ランプ
    いれた吸入器
    こずえにうるむ
    星のまに
    ぴーよん ぷーとる
    ぴーよろん ぴよー
    吸入列車は
    走り去る
    汽笛をのこして
    星のまに。

    ぴーよん ぷーとる
    ぴーよろん ぴよー

すっかり忘れていた記憶が一つ甦りました。よく似た、同じような仕組みの吸入器を使ったことがありました。ランプに火をつけるとビーカーに入れた水が湧き、蒸気が喉を潤すのです。薬剤などは入っていません。大きく口を開けて、顎を乗せるように、と父は言いました。顎を乗せる部分があったように思います。口の中にたまった唾液を受けて、流れ落ちていくのです。絵と同じように、胸元にはタオルなど当てていました。子供の頃、風邪をひくと母ではなく父がこの吸入器を出してきてはセットしてくれていましたっけ…。








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残る紅葉

2016年12月05日 | 日々の暮らしの中で
ぽかぽかと、よき日でした。


ためていた雑事をこなしたあと午後2時に家を出て、帰ってきたら歩数計は7000歩弱だった。小一時間ほどだろうか、今日はぶらぶらと歩いた。
例年より1週間ほど紅葉は早く進んだようで、今や足元は落葉の洪水。満天星の垣が美しい。陽はゆっくり傾いていく。その移りを実感できる時間帯で、私のウォーキングの多くはこの時間になる。


季節は秋の始めだったが、今日のような暖かな一日で、お弁当を持って京都府立植物園で友と落ち合った。それから2か月後、何度電話をしても彼女が受話器を取ることはなく、残したメッセージも伝わってはいないのだろう。やがて「この電話は使われてません」となってしまった。娘さんや孫娘とも面識はあったというのに。消息が絶えて2年になった。電話だけでつながる10年来の友だった。どうしたのかと、ふと思い出す。

もみじの移ろいは、人の一生にも似て…。
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第3子誕生

2016年12月01日 | HALL家の話

おかげさまで11月29日の午後4時前、娘家族に第三子が無事に誕生しました。名は、Lukasルーカス、ルーくんです。

Tylerを幼稚園へ迎えに出て、Jessieが学校から帰るのを待ち、早めの夕飯を済ませて病院に向かいました。汗をかいて少し体温が下がったので温めているというところでしたが、ほどなく「もう抱っこして大丈夫ですよ」と許可が下り、交互に顔を覗き込んでは小さな手やおっぺっをこちょこちょ。赤ちゃんの感触を楽しんで、代わりばんこに抱っこで記念の写真を。
「ハンサムボーイね」、父親Jayは言います。そして、遅い夕飯を摂りながら「ああ、long day, long day!」と漏らしました。一安心しました。眠れない一夜を過ごした実感、本当に長い一日だったことでしょう。

せっかく日本で生まれるのだから、ミドルネームに日本名をと考えてきました。長女のJesicaには祖母である私の名を、長男Tylerには父親の名を贈りました。さて、いくつか候補名は絞られているようですが…。

         

弟ができ、お兄ちゃんになったTyler。「でもボクはまだ一人で寝られへんけどなあ~」と笑っての感想でしたが、かわいいと思う感情を言動に示すお兄ちゃんです。
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